藤末 健三(ふじすえ けんぞう、1964年2月18日 、ボク… 藤末 健三(ふじすえ けんぞう、1964年2月18日 、ボクシングリングネーム:アイアン・フジスエ)は、日本の政治家・研究者。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。東京大学工学部助教授を経て、中国清華大学客員教授、カーネギーメロン大学サイラボ特任フェロー、早稲田大学未来イノベーション研究所客員上級研究員、早稲田大学研究院客員教授、東京理科大学大学院経営学研究科技術経営専攻上席特任教授。 民進党参議院政策審議会長、総務副大臣(野田第3次改造内閣)、参議院総務委員長を歴任。現在は、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員教授を経て、慶應義塾大学経済学部及びグローバルリサーチインスチチュート特任教授。
峯 陽一(みね よういち、1961年12月24日 - )は、… 峯 陽一(みね よういち、1961年12月24日 - )は、日本の経済学者、アフリカ地域研究者、国際関係学者(専攻は南部アフリカ経済論・ヒューマン・セキュリティ論)、同志社大学教授。 熊本県天草市生まれ。1987年京都大学文学部史学科卒、1993年同大学院経済学研究科博士課程満期退学。大学院在学中にナミビア独立支援キャンペーン事務局で活動。 1993年中部大学国際関係学部専任講師、1996年助教授、2002年同教授。この間、1998 - 2000年に南アフリカ共和国ステレンボッシュ大学政治学科で助教授を務めた。2006年大阪大学人間科学研究科助教授、2007年准教授。2010年より同志社大学グローバルスタディーズ研究科教授。
松薗 斉(まつぞの ひとし、1958年5月5日 - )は、日… 松薗 斉(まつぞの ひとし、1958年5月5日 - )は、日本の中世史研究者、愛知学院大学教授。 東京都生まれ。熊本県立熊本高等学校卒業、1981年九州大学文学部国史学科卒業、1988年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。九州大学文学部国史学研究室を経て、1991年愛知学院大学文学部講師となり、1995年助教授、2002年教授。1998年「日記の家 中世国家の記録組織」で九州大学より博士(文学)の学位を取得。2018年4月より2020年3月まで文学部長。2020年4月より図書館情報センター長。
村上哲(むらかみ さとし, 1957年 - )は、日本の美術… 村上哲(むらかみ さとし, 1957年 - )は、日本の美術評論家、キュレーター、比較芸術学・エコール・ド・パリ研究者、美術館学・ミュゼオロジー(英: museology)研究者、学芸員資格課程・キュレーター人材育成教育者。 熊本県熊本市出身。東京藝術大学卒業(美学/比較芸術学専攻)。 1982年から2018年まで熊本県立美術館に在籍し、同館の企画運営や西洋絵画・版画・彫刻等の研究、美術館コレクションの理念構築と収蔵事業のほか、「エコール・ド・パリ展―プリミティヴィスムとノスタルジー」、「レオナール・フジタとパリ 1913-1931―藤田嗣治渡仏100周年記念」、「ランス美術館展」、「シャガール展—色彩の詩人」、「ロダン展ーブルックリン美術館コレクション」など、全国の美術館を巡回する海外展の企画統括・監修・執筆・講演等に携わる。
上村 英明(うえむら ひであき、1956年12月15日 - … 上村 英明(うえむら ひであき、1956年12月15日 - )は、日本の研究者、政治家、社会運動家。 衆議院議員(1期)、名古屋大学大学院講師、恵泉女学園大学教授、ソーシャル・ジャスティス基金運営委員長、アイヌ民族や琉球民族の先住民族としての国連を支援する市民外交センター(SGC)顧問(元代表)などを歴任。 1956年、熊本県熊本市で生まれる。 1975年、熊本県立熊本高等学校卒業。1979年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1981年、早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。 1982年、学習塾(AU英語進学教室)専任講師。同年、NGO市民外交センターを設立して代表になる。 1992年、川崎市によって開設された川崎市平和館で初代の専門調査員を務める。
松野 良一(まつの りょういち、1956年 - )は、日本の… 松野 良一(まつの りょういち、1956年 - )は、日本のメディア研究者、ジャーナリスト。専門は、メディア論、ジャーナリズム論。中央大学教授。2013年11月から中央大学総合政策学部 学部長。
岩本 憲児(いわもと けんじ、1943年7月25日- )は、… 岩本 憲児(いわもと けんじ、1943年7月25日- )は、日本の映画史研究者、早稲田大学名誉教授。専攻は映画史、映像論。 熊本県八代市生まれ。飯島正に師事。1971年早稲田大学大学院博士課程満期退学、文学部助手、1977年専任講師、1980年助教授、1985年教授、2002-2006年に日本映像学会会長、2006年退職、2008年日本大学芸術学部教授。2014年退職。
北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - … 北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - 2004年7月17日)は日本のレフ・トルストイ専門の翻訳家・文学研究者、農場経営者、平和主義者。トルストイの平和思想に共鳴し、農業を営みながら彼の作品を翻訳した。良心的兵役拒否をしたことでも知られる。
中山 一郎(なかやま いちろう、1911年 - 1993年)… 中山 一郎(なかやま いちろう、1911年 - 1993年)は、日本の翻訳家、研究者。熊本県出身。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校)、第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。 東大卒業後、南満州鉄道に入社し、調査部などに勤務した。戦後、ソビエト抑留から帰還し、東京大学に勤務、東京大学社会科学研究所図書資料室長などを歴任した。 その傍ら、ロシア語の本の翻訳を行った。
美作 太郎(みまさか たろう、1903年9月17日 - 19… 美作 太郎(みまさか たろう、1903年9月17日 - 1989年7月3日)は、昭和期の編集者、出版会社経営者、出版学研究者。 熊本県熊本市生まれ。1927年東京帝国大学法学部卒業後、日本評論社に入社。東大で教わった師の河合栄治郎の著作『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系』『ファッシズム批判』『学生に与う』『学生叢書』などの出版を担当する。 1938年、河合栄治郎事件が起こり、河合著の『ファッシズム批判』などが発禁となる。自身は1944年に横浜事件により逮捕される。両事件により、日本評論社は相当な被害を被る。戦後は同社に復帰し、編集局長、専務取締役になる。1951年退社し、1952年に新評論社(のち新評論)を創立し、社長、のち会長となる。
堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年〈明治33年〉9月… 堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年〈明治33年〉9月27日 - 1948年〈昭和23年〉9月25日)は、日本の海軍軍人、体操研究者。最終階級は海軍大佐。熊本県熊本市出身。海兵50期。 御馬下尋常小、濟々黌を経て、海軍兵学校第50期入校。席次は入校時298名中283番、卒業時272名中156番。堀内は第13期飛行学生(艦上機班)となったが飛行作業中に車輪止め位置を直そうと駆け寄りプロペラ接触、2日間意識不明の重症を負い2ヶ月間程治療後、飛行場に出るも教官から次期飛行学生に編入されると告げられ憤然とし「次期編入であれば飛行学生を辞めます」と立ち去ったという。このため砲術専攻へ転科し、のち駆逐艦や巡洋艦の砲術長を歴任した。
松田 喜一(まつだ きいち、1887年(明治20年)12月1… 松田 喜一(まつだ きいち、1887年(明治20年)12月1日 - 1968年(昭和43年)7月30日)は、熊本県出身の日本の農業研究者・教育者・著述家である。 農業試験場技師時代に松田式麦作法を考案するなど、革新的な食料増産技術の発展に貢献。 自ら日本初の民間農業実習所を開き48年間に亘り生徒を受け入れ後進育成に献身するなど、明治から昭和にかけて日本の農業発展に貢献した。また、全国各地に赴き講演を開き農業技術・精神の普及に尽くした。実習所で直接教育を受けた生徒は約三千六百名、講演で講習を受けた者は延べ約四万名に及ぶ。その傍ら雑誌『農友』を自ら執筆、50年間に亘り刊行し、その他50冊におよぶ著書も執筆した。
坂口 秀哉(さかぐち ひでや)は、日本の研究者、医学者(神経… 坂口 秀哉(さかぐち ひでや)は、日本の研究者、医学者(神経内科医)。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名高等学校、熊本大学医学部、京都大学大学院医学研究科修了。 2008年より熊本大学医学部附属病院・研修医、2012年より理化学研究所・発生再生化学総合研究センター・リサーチアソシエイト、2016年より京都大学iPS細胞研究所特定研究員などを経て2020年より理化学研究所・上級研究員(研究リーダー)を務めている。
黒木 政秀(くろき まさひで)は、生化学の教育研究者。医学博… 黒木 政秀(くろき まさひで)は、生化学の教育研究者。医学博士(1982年、福岡大学)。福岡大学名誉教授。元福岡大学医学部長。熊本県多良木町生まれ、熊本県立人吉高等学校を経て熊本大学出身。悪性腫瘍(癌)の診断や治療後の経過観察における臨床検査上の腫瘍マーカーとして、医療の分野で最も利用されている癌胎児性抗原(英: Carcinoembryonic antigen, CEA)の研究における第一人者。2025年および2026年に紺綬褒章を受章。 1965年、カナダのフィル・ゴールドとサミュエル・O・フリードマンという人によって見いだされたCEAは、それ以来腫瘍マーカーとして利用されているが、その測定系には類似物質も同時に反応する問題が存在し、癌ではない疾患でも陽性を示すことが少なくなかった。