福田 浩一(ふくだ こういち、1953年(昭和28年)1月2… 福田 浩一(ふくだ こういち、1953年(昭和28年)1月25日 - )は、日本の銀行家。山口フィナンシャルグループ取締役会長。山口銀行取締役会長。
熊本県:9人
福田 浩一(ふくだ こういち、1953年(昭和28年)1月2… 福田 浩一(ふくだ こういち、1953年(昭和28年)1月25日 - )は、日本の銀行家。山口フィナンシャルグループ取締役会長。山口銀行取締役会長。
佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018… 佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018年11月15日)は、熊本県出身の日本銀行理事、福岡銀行頭取などを務めた銀行家、実業家。 旧満洲生まれ。父は南満洲鉄道の駅長。敗戦でソ連兵の強奪に遭い、日本に引き揚げる際は栄養失調に陥るほどの苦難を経験した。引揚者として父の実家の熊本県玉名市に移り住み、熊本県立玉名高等学校から東京大学法学部に進む。1955年日本銀行入行、新潟、名古屋の支店長、営業局長、理事を務めた。新潟支店長時代の部下が拉致被害者横田めぐみの父横田滋。営業局長時代は三重野康の腹心として、高目放置を主導した。 1989年福岡銀行副頭取に転じ、1991年頭取就任。1996年有価証券を売却し黒字化することもできたが、不良債権を一括処理し福銀市場初の赤字を計上した。
長野 吉彰(ながの よしあき、1925年(大正14年)7月3… 長野 吉彰(ながの よしあき、1925年(大正14年)7月3日 - 2016年(平成28年)8月31日)は、日本の銀行家。肥後銀行頭取、熊本経済同友会代表幹事、九州山口経済連合会副会長等を歴任した。1988年藍綬褒章。 熊本県玉名郡弥富村(現:玉名市)生、熊本市出身。 九州大学経済学部卒業後、肥後銀行入行。各部長等を歴任後、1984年には同行初のプロパーとして、頭取に就任した。 9年間の頭取在任時は、1985年9月には東証、大証1部への上場。新事務センターを建設し第三次オンラインシステム稼動を実現させた。また、業容の拡大に取り組み、1990年には預金残高2兆円、融資残高1兆5000億円の達成も成し遂げた。
磯田 一郎(いそだ いちろう、1913年1月12日 - 19… 磯田 一郎(いそだ いちろう、1913年1月12日 - 1993年12月3日)は、日本の銀行家、元ラグビー日本代表選手。 住友銀行頭取・会長、経団連副会長などを歴任した日本を代表する銀行家で、住銀の高収益体質を確立し都市銀行上位行に発展させるなどの功績を挙げるなど、「住友銀行中興の祖」「住友銀行の天皇」と称された。しかし晩年には住銀と反社会的勢力の関係を近づけさせてしまうなど負の側面が目立ち、最終的にイトマン事件が原因で引責辞任した。 海軍軍人だった父親の赴任先、京都の舞鶴に生まれ、父が退役後、岡山の三井物産船舶部(後の商船三井)に入社したため岡山で育つ。岡山市立内山下小学校から旧制岡山一中(後の岡山県立岡山朝日高等学校)に進むが、父の転勤で旧制第二神戸中学校(のち兵庫県立兵庫高等学校)に転校。
迫 静二(さこ せいじ、古い文書では「靜二」と表記 1898… 迫 静二(さこ せいじ、古い文書では「靜二」と表記 1898年(明治31年)3月26日 - 1983年(昭和58年)8月6日)は、日本の銀行家、富士銀行初代頭取。 熊本県熊本市出身。熊本県立熊本中学校、官立第五高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部を卒業。安田銀行に入社。1946年(昭和21年)常務取締役、48年と社長となり、行名を富士銀行と改める。翌年社長を頭取に改称し、初代頭取に就任。全国銀行協会連合会会長などを務めた。 1983年8月6日死去、85歳没。
古荘 四郎彦(ふるしょう しろひこ、1884年(明治17年)… 古荘 四郎彦(ふるしょう しろひこ、1884年(明治17年)7月18日 - 1967年(昭和42年)10月24日)は、日本の銀行家。初代千葉銀行頭取、千葉工業大学理事。千葉銀行レインボー事件で有罪となった。熊本県熊本市出身。陸軍大将の古荘幹郎はいとこ。 熊本藩士・古荘幹実の四男として生まれる。第五高等学校 (旧制)を経て、1912年(大正元年)東京帝国大学独法科を卒業、帝国商業銀行(後の富士銀行)に入行する。支配人まで昇進したのち、1923年(大正12年)に、帝大同窓の業界仲間で親しい友人の河合良成の紹介で、河合の弟の岳父川崎八右衛門 (2代目)が経営する川崎銀行の営業局長代理に転進。1925年(大正14年)には川崎系の房州銀行と安房銀行が合併して発足した安房合同銀行の常務に就任する。
林 市蔵(はやし いちぞう、1867年12月23日(慶応3年… 林 市蔵(はやし いちぞう、1867年12月23日(慶応3年11月28日) - 1952年(昭和27年)2月17日)は、日本の内務官僚、銀行家。府県知事、日本信託銀行頭取。 熊本藩士・林慎蔵の長男として生まれる。五歳で父が死去し、母・亀寿により育てられ、苦学して中学済々黌、第五高等学校を経て、1896年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。拓殖務省に入り拓殖務属となる。1897年7月、拓殖務省の廃止に伴い内務省に移り内務属として北海道局に配属された。1898年12月、文官高等試験行政科試験に合格。 1899年5月、警察監獄学校教授に就任。以後、兼内務省参事官、山口県書記官、同県第一部長、広島県事務官・第一部長兼第三部長、新潟県内務部長などを歴任。
岡 次郎太郎(おか じろうたろう、1854年(安政元年2月)… 岡 次郎太郎(おか じろうたろう、1854年(安政元年2月) - 1929年(昭和4年)9月5日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。鉱山経営者。衆議院議員(1期)。 岡権内の第二子として熊本城下内坪井町(現熊本市中央区内坪井町)に生まれる。藩校に入ったのち岡松甕谷の門に入る。第百五十一国立銀行の創立に尽くし、観光社などの重役を務め、鉱山業を営んだ。1884年(明治17年)大蔵省御用掛となり、翌年、秋田県収税長を任ぜられ1889年(明治22年)10月まで務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では熊本県第4区から出馬し当選。大成会に所属し衆議院議員を1期務めた。
松尾 又雄(まつお またお、1852年(嘉永5年11月)- … 松尾 又雄(まつお またお、1852年(嘉永5年11月)- 1901年(明治34年)8月9日)は、明治期の銀行家、政治家。衆議院議員。 肥後国玉名郡、のちの熊本県玉名郡伊倉村(伊倉町を経て現玉名市)で、豪族、熊本藩士の家に生まれた。 熊本県警部となる。熊本県会議員に選出された。1895年(明治28年)玉名銀行が設立され頭取に就任。また、肥後農工銀行取締役も務めた。 1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(熊本県第2区、無所属)で当選し、衆議院議員に1期在任した。議員在任中の1901年8月に死去した。