吉田 敏浩(よしだ としひろ、1957年9月11日 - )は… 吉田 敏浩(よしだ としひろ、1957年9月11日 - )は、日本のジャーナリスト。 大分県臼杵市出身。大分県立臼杵高等学校、明治大学文学部卒業。在学中は明治大学探検部に所属。1985年3月から1988年10月まで、ビルマ(現ミャンマー)北部のカチン人などの少数民族を長期取材し、マラリアに感染して生死の境をさまよう。その長期取材の記録をNHK番組「回想のジャングル」で発表。記録をまとめた「森の回廊」を出版し、第27回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。「赤紙と徴兵」(彩流社)で第2回いける本大賞を受賞。『「日米合同委員会」の研究』で第60回JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞。戦争のできる国に変わるおそれのある日本の現状について主に取材している。
筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23… 筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23日 - 2008年〈平成20年〉11月7日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。長年にわたって新聞・雑誌・テレビ報道の第一線に立ちつづけ、日本のテレビジャーナリズムの確立に多大な貢献をした業績により日本記者クラブ賞を受賞。朝日新聞社政治部記者、ワシントン特派員、テレビ朝日『日曜夕刊!こちらデスク』メインキャスター、朝日ジャーナル編集長などを経て、TBSテレビ『筑紫哲也NEWS23』キャスター編集長を18年あまり務めた。 大分県日田郡小野村(現在:日田市)で筑紫和臣・文子夫妻の長男として生まれた。静岡県立沼津東高等学校、東京都立小山台高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。
御手洗 辰雄(みたらい たつお、1895年(明治28年)3月… 御手洗 辰雄(みたらい たつお、1895年(明治28年)3月23日 - 1975年(昭和50年)9月7日)は、日本のジャーナリスト。政治評論家。 大分県大分市出身。旧制大分中学校を経て、慶応義塾大学に入るが、1914年(大正3年)に中退。地元の大分新聞(現・大分合同新聞)を経て、上京し、1917年(大正6年)報知新聞社に入り、社会部、政治部記者となり、1922年(大正11年)社会部長となる。1928年(昭和3年)に社内紛争のため退社。その後は東京毎夕新聞、国民新聞、二六新報の各編集局長などを務め、同郷の菊池寛の勧めにより『文藝春秋』に「城南隠士」のペンネームで政治評論を寄稿した。1936年(昭和11年)に朝鮮に渡り、京城日報副社長となる。
橘 樸(たちばな しらき、1881年10月14日 - 194… 橘 樸(たちばな しらき、1881年10月14日 - 1945年10月25日)は、日本のジャーナリスト、評論家で、清末から日中戦争期にかけての中国で、『遼東新報』や『京津日日新聞』などに拠って活動した。 1881年、大分県臼杵の下級士族の家に長男として生まれた。中学時代は各地を転々とした後、第五高等学校に学んだが、退校処分となった。その後早稲田大学に入学したが、中退。 1905年に北海道に渡り、『北海タイムス』の新聞記者となった。しかし翌年の1906年に清末の大連へ渡り、『遼東新報』の記者となった。以降、記者として『京津日日新聞』『済南日報』といった新聞や、『日華公論』、『支那研究資料』、『月刊支那研究』、『調査時報』、『満蒙』、『新天地』、『読書会雑誌』、『満州評論』などの雑誌類に関わった。
清瀬 規矩雄(きよせ きくお、1878年(明治11年)10月… 清瀬 規矩雄(きよせ きくお、1878年(明治11年)10月11日 – 1944年(昭和19年)12月5日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 大分県宇佐郡四日市町(現在の宇佐市)出身。1897年(明治30年)から欧米各国に留学して法学・経済学を学び、サンフランシスコで「日米新聞」の記者となった。1910年(明治43年)に帰国した後は「東京朝日新聞」記者を経て、南満州鉄道株式会社総裁秘書を務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。原内閣・高橋内閣で山本達雄農商務大臣の秘書官を務めた。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙から4回連続当選。その間、阿部内閣で大蔵政務次官に就任した。
中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう、嘉永7年8月13日〈… 中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう、嘉永7年8月13日〈1854年10月4日〉 - 1901年〈明治34年〉10月7日)は、明治時代の官吏、実業家、ジャーナリスト。三井財閥の工業化と三井銀行の不良債権処理を推進し、三井家の最高議決機関である「三井家同族会」を設置。「三井中興の祖」として高く評価されている。従五位。三井合名理事長。福澤諭吉の甥(母・婉が諭吉の姉)にあたる。三女はタレント・参議院議員の藤原あき。名字の読みは「なかかみがわ」とされたものもあるが、正しくは「なかみがわ」である。 現在の大分県中津市金谷森ノ丁に豊前中津藩士・中上川才蔵・婉夫妻の長男として生まれる。婉は福澤百助の娘で、諭吉の姉にあたる。