小野 知大(おの ちひろ、1999年7月22日- )は大分県… 小野 知大(おの ちひろ、1999年7月22日- )は大分県大分市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。大分市立坂ノ市中学校、大分県立鶴崎工業高等学校卒業。旭化成陸上部を経てGMOアスリーツ所属。 両親から「大勢の人に知ってもらえるように」という願いを込めて「知大(ちひろ)」と名付けられる。 野球少年だった小学生の頃から長距離走が得意だった。大分市立坂ノ市中学校の陸上部監督に素質を見込まれて陸上部に入部。3年時に全国中学校駅伝大会2区区間賞の走りで30人抜き、ジュニアオリンピック陸上競技大会3000mで優勝と、駅伝・トラックともに全国区の活躍を見せた。 中学校卒業後、大分県立鶴崎工業高等学校に進学。
兒玉 芽生(こだま めい、1999年6月8日 - )は、日本… 兒玉 芽生(こだま めい、1999年6月8日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。 メディアにより児玉芽生と表記されることもある。 大分県臼杵市出身。臼杵市立市浜小学校、臼杵市立西中学校卒業。 小学校1年生の頃から姉・彩希(のちに400mハードルで国体優勝)の影響で臼杵ジュニア陸上クラブに通うようになり、小学校3年生の時に入会して本格的に陸上競技を始めた。小学校5・6年生の時には第26・27回全国小学生陸上競技交流大会女子100mを連覇した。中学校時代は、1年生の時に第43回ジュニアオリンピック陸上競技大会にて女子C100mで優勝し、3年生の時に第41回全日本中学校陸上競技選手権大会にて女子200mで5位入賞を果たした。
大塚 祥平(おおつか しょうへい、1994年8月13日 - … 大塚 祥平(おおつか しょうへい、1994年8月13日 - )は、大分県大分市出身の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。大分東明高校、駒澤大学経営学部経営学科卒業。九電工陸上競技部所属。
橋本 崚(はしもと りょう、1993年9月26日 - )は、… 橋本 崚(はしもと りょう、1993年9月26日 - )は、大分県由布市出身の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。大分県立大分西高等学校・青山学院大学国際政治経済学部卒業、中央発條所属。身長172cm、体重55kg。
油布 郁人(ゆふ いくと、1991年7月7日 - )は大分県… 油布 郁人(ゆふ いくと、1991年7月7日 - )は大分県出身の元陸上競技選手。専門は中・長距離種目。大分東明高校、駒澤大学経営学部経営学科卒業。富士通陸上競技部所属。現在は現役を引退。 ※いずれも大分県チームからの出場
丸山 文裕(まるやま ふみひろ、1990年7月1日 - )は… 丸山 文裕(まるやま ふみひろ、1990年7月1日 - )は、日本の陸上競技選手、専門は長距離種目。大分県佐伯市出身。旭化成陸上部所属。現在同部の主将を務める。 大分東明高校では主力選手として全国高校駅伝などで活躍。3年時の全国高校駅伝では、1学年下に既に頭角を現していた油布郁人(駒澤大学→富士通)がいたためチームのエースではなかったものの、4区を区間3位で走り、チームの5位入賞に貢献した。また、全国都道府県対抗駅伝にも大分県の代表として2年時、3年時と二度出場し、いずれも高校生最長区間の5区(8.5㎞)で区間3位と好走した。高校卒業後、大学には進学せず旭化成に入社。 旭化成入社後は着実に実力を付けていき、入社4年目の2013年2月の熊日30キロロードレースでは、川内優輝(埼玉県庁、当時)と熾烈な優勝争いを演じ、川内から遅れることわずか3秒でゴールし準優勝。
中西 麻耶(なかにし まや、1985年〈昭和60年〉6月3日… 中西 麻耶(なかにし まや、1985年〈昭和60年〉6月3日 - )は、義足(右脚下腿切断)の陸上競技選手。北京パラリンピック日本代表、ロンドンパラリンピック日本代表。リオデジャネイロパラリンピック日本代表。2017年シーズンまで、陸上競技障害クラスT44。2018年シーズンからは、新設された陸上競技障害クラスT64。日本記録・アジア記録保持者。 大阪市に生まれ、小学生の時に父親の仕事の都合で大分県大分郡庄内町に移り住む。 大分県別府市にある明豊高等学校在学中に、ソフトテニスの選手として全国高等学校総合体育大会(インターハイ)及び国民体育大会に出場。2004年3月に高校を卒業した後は社会人として働いていたが、2008年に地元で開催されるチャレンジ!おおいた国体が開催されることを知り、大会出場を目指し、2006年にソフトテニス競技に復帰。
成迫 健児(なりさこ けんじ、1984年7月25日 - )は… 成迫 健児(なりさこ けんじ、1984年7月25日 - )は日本の陸上選手、政治家。大分県議会議員(2期)。 大分県佐伯市出身。2007年、ミズノに入社。2013年、地元の佐伯市に戻り、佐伯市役所職員として東京オリンピック出場を目指す公務員ハードラー。
佐藤 智之(さとう ともゆき、1981年1月31日- )は、… 佐藤 智之(さとう ともゆき、1981年1月31日- )は、日本の陸上競技選手。大分県別府市出身。大分東明高等学校卒業。旭化成陸上部所属。2014年の別府大分毎日マラソンを最後に現役を退き、現在はコーチとして同チームに所属している。 大分東明高校卒業後、旭化成に入社。宗茂の指導を受け、日本のトップ選手に成長する。入社4年目の2003年延岡西日本マラソンでは2時間13分02秒で初マラソン初優勝。 2004年の東京国際マラソンで2時間9分43秒(自己記録)をマークして5位入賞を果たすが、2005年のびわ湖毎日マラソンは、2時間14分21秒の16位に終わる。2006年、別府大分毎日マラソンでは2時間11分46秒で準優勝。
笹原 廣喜(ささはら ひろき、1974年4月20日 -)は、… 笹原 廣喜(ささはら ひろき、1974年4月20日 -)は、大分県豊後高田市出身の車いす陸上競技選手である。 25歳の時、配送の仕事中の事故で脊髄を損傷。希望を失い、現実を受け入れられずにいた時、入院していた福岡県飯塚市の総合せき損センターで出会った車いすテニスがきっかけで車いすでもスポーツができることを知り、パラリンピックの車いすマラソンをテレビで見たことで生きる目標を見つけることができたという。北京パラリンピックで銀メダルを獲得した後、現在は競技の第一線を退き、トップアスリートとしてではなく、市民ランナーとして大会に参加している。太陽の家内にあるオムロン太陽勤務。 5人の先頭集団によるトラック勝負となったが、35km付近で先頭に出た笹原がトップで陸上競技場に入るとそのまま逃げ切り、日本人として初めて優勝した。
安部 友恵(あべ ともえ、1971年8月13日 - )は、大… 安部 友恵(あべ ともえ、1971年8月13日 - )は、大分県杵築市(旧速見郡山香町)出身の日本の女子陸上競技・マラソン選手。 2021年現在、100 kmウルトラマラソンの女子世界記録保持者。旭化成所属。身長149cm。 2006年に結婚、現姓・河野(かわの)、2児の母。 1989年8月、大分東明高校3年在学中、高校総体3000mで3位入賞。この年、第1回全国高校女子駅伝が始まり、エース区間の第1区6kmを走り、トップの堤文子(埼玉栄2年)から12秒差の20:27の区間7位だった。同区間を走ったその他のランナーには寺崎史記(筑紫女学園3年)、小幡佳代子(秦野3年)、盛山玲世(由良育英2年)、山口衛里(西脇工業2年)などがいた。
是永 克也(これなが かつや、1963年1月27日 - )は… 是永 克也(これなが かつや、1963年1月27日 - )は、日本の俳優、タレント、喜劇役者、脚本家、演出家。劇団『BigSmie』主宰。株式会社ビッグスマイル・プロモーション代表取締役。 コメディアンを目指して大分から上京後、渡辺プロダクションに所属。コント集団時代のホンジャマカの後、10年間コンビとして活躍した。ただし相方は何度か変わっており、その中の一人にケンキ(コンビ解散後はどーよ→ピン芸人)がいる。31歳の時に舞台に目覚め、自ら劇団を旗揚げ。その後は、芝居の枠だけに囚われず、アカペラパフォーマンス等の前衛的なライブを精力的に開催。 その後、JME (ジャパン・ミュージックエンターテインメント) に所属。
宗 猛(そう たけし、1953年1月9日 - )は、日本の元… 宗 猛(そう たけし、1953年1月9日 - )は、日本の元陸上競技選手・指導者である。現役時代の専門は長距離走・マラソンであった。一卵性双生児の兄宗茂、瀬古利彦とともに1980年代前半日本男子マラソンのビッグ3として、マラソン界をリードした。旭化成陸上部に所属し、引退後も指導者として2025年3月まで活動した(現在は顧問)。また、2012年11月から2016年10月まで公益財団法人日本陸上競技連盟中長距離・マラソン部長を務めた。 大分県臼杵市出身。茂とともに中学時代より陸上競技を始める。中学2年で兄弟揃って大分県内一周駅伝に出場するなど、早くから地元では注目されていたが、同じ2年生からは学校の指導者が不在となり、茂とともに自主的に考えてトレーニングをしたという。
三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は… 三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は、日本の陸上競技(中距離走)選手。旧姓:松田。 大分県宇佐郡院内村景平(現在の宇佐市院内町景平)出身。陸上競技を行っていた3歳上の兄に刺激され、小学校5年生の時に陸上競技を始める。院内町立竜東中学校3年生のとき、全国中学校放送陸上競技大会に出場し3000m競走で優勝、大分県中学校駅伝会では宇佐郡チームの優勝に貢献。駅伝の強豪であった大分県立四日市農業高等学校(現在の大分県立宇佐産業科学高等学校)に進学し、1962年(昭和37年)には全国高等学校駅伝競走大会に大分県代表として出場した。 大分県陸上競技協会理事長であった池中康雄(東洋大学出身)の勧めで東洋大学に入学。
石井 均(いしい きん、1927年〈昭和2年〉11月30日 … 石井 均(いしい きん、1927年〈昭和2年〉11月30日 - 1997年〈平成9年〉12月31日)は、日本の俳優、喜劇役者。 大分県豊後高田市是永町出身。本名は石原 仁。芸名の由来は、「〝一〟獲千〝金〟」という言葉が好きな事に由来。(一均=井均) 熊本逓信講習所卒業(昭和18年)。 1948年(昭和23年)、八幡の寿座で初舞台を踏み、以後旅回りをする。 1956年(昭和31年)、新宿フランス座に加入。体技型のコメディアンとして頭角を現す。 1958年(昭和33年)6月、軽演劇一座「笑う仲間」を旗揚げ、後に「石井均一座」に改組。主に新宿の松竹演芸場を根城にし、座員には戸塚睦夫のほか、石井の弟子の伊東四朗(当時は伊藤証)、財津一郎(当時は財津肇メ)らがいた。