義 英真(よし えいしん、1995年10月13日 - )は、… 義 英真(よし えいしん、1995年10月13日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元騎手。 鹿児島県鹿屋市出身。小学生時代はバレーボール・中学時代はソフトテニスに打ち込むも、母の同級生に出身中学の先輩であった幸英明の姉がいた事から幸と対面したことをきっかけに騎手を志し、「競馬狂走伝ありゃ馬こりゃ馬」「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」といった漫画から競馬の知識を得た。2011年に石川裕紀人、松若風馬らと共に競馬学校30期として入学。入学当時は乗馬未経験ながらも、運動神経が抜群だったこともあり入学後は同期の中でも抜きん出た成長を見せた。 2014年、栗東・崎山博樹厩舎の所属騎手としてデビュー、初騎乗は2014年3月1日の阪神1Rでリスペクトリスに騎乗し7着、翌日阪神1Rでサカジロヴィグラスに騎乗し初勝利、同期の中では一番乗りの白星であった。
幸 英明(みゆき ひであき、1976年1月12日 - )は、… 幸 英明(みゆき ひであき、1976年1月12日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する騎手である。日本騎手クラブ副会長。 1994年に騎手免許を取得し中央競馬の騎手となる。2003年にはスティルインラブに騎乗し桜花賞・優駿牝馬(オークス)・秋華賞の牝馬三冠で勝利を挙げた。2009年には、JRA史上初となる年間騎乗回数1,000回を達成。2022年終了時点におけるJRA年間騎乗回数の最多記録保持者である(1,081回/2012年)。 神奈川県横浜市生、鹿児島県鹿屋市で育つ。実家の近くに競走馬の生産牧場があったものの競馬とはほぼ無縁の生活だったが、中学3年生の時に「体が小さいので」と勧められて騎手を目指す。
小牧 毅(こまき つよし、1971年4月13日 - )は、兵… 小牧 毅(こまき つよし、1971年4月13日 - )は、兵庫県競馬組合の元騎手、調教師である。騎手時代は曾和直榮、花村通春厩舎所属であった。 鹿児島県曽於郡有明町(現・志布志市)出身。 1989年10月31日に初騎乗、同日に初勝利。生涯成績は10328戦1009勝。 兄である小牧太と共に曾和厩舎に所属していたが、有力馬はほとんど太に回されていた。騎乗技術は「小牧おもし」などと呼ばわりされるほどには低くなかったが、曾和の毅に対する評価は低く、曾和厩舎に出戻った当時も騎乗数の少なさは顕著であった。 太の移籍で騎乗数も増えるかと期待されたが、曾和は岩田康誠を主戦騎手に据えたために騎乗数は逆に減少、さらに2006年には川原正一が曾和厩舎の所属騎手となるに至り、同年4月1日付けで花村通春厩舎に所属変更したが、2007年4月1日より曾和厩舎に戻っている。
和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日… 和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。鹿児島県鹿屋市出身。 同郷の騎手である吉永正人(同郷には他に瀬戸口勉の他郷原洋行や梅内忍、現役騎手では幸英明らがいる)に憧れ、騎手になるため競馬学校を3度受験するも全て不合格となり、その後は調教師を目指すことになる。鹿屋農業高校、日本大学農獣医学部畜産学科を卒業し1994年10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学。翌1995年4月に保田隆芳厩舎の厩務員となる。 1996年4月から憧れていた吉永正人厩舎で厩務員となり1997年6月から調教助手を務める。 2006年9月11日に吉永が病死し厩舎解散となったため松山康久厩舎に移籍する。
小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 - )は、兵庫… 小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 - )は、兵庫県競馬組合(兵庫県騎手会)の騎手。1985年に兵庫県競馬組合よりデビューして、2004年に日本中央競馬会(JRA)へ移籍し、2024年8月より兵庫県競馬組合に復帰。弟は兵庫県競馬組合所属調教師の小牧毅。子息の小牧加矢太は2020年の全日本障害飛越選手権を制した馬術競技の元選手で現JRA騎手。 出生は神奈川県横浜市。横浜から移り住んだ鹿児島で競馬とは無縁の環境で育ち、進学先の高校も決まっていたが、乗り役を捜していた近所の牧場が小牧に声を掛けたことから話は進展し、1985年兵庫県競馬組合の曾和直榮厩舎の所属騎手としてデビューとなる。 初騎乗は1985年10月30日の姫路競馬第1競走(タカラヒリユウ)で、初勝利は同年11月3日の姫路競馬第8競走(ビンゴトモエ)。
田島 信行(たじま のぶゆき、1955年2月1日 - )は、… 田島 信行(たじま のぶゆき、1955年2月1日 - )は、京都府出身(鹿児島県姶良郡牧園町生まれ)の元騎手・現調教助手。 同姓の騎手・田島良保の実家が近所にあり、血縁関係は無いが、その活躍に触発されて騎手を志す。中学校在学中に京都に移り、京都・服部正利調教師の内弟子となる。 中学校卒業後は馬事公苑騎手養成長期課程に入所し、修了後の1973年に服部厩舎からデビュー。 1973年3月3日の阪神第5競走4歳200万下・ニホンピロスピードで初騎乗を果たすが、福永洋一のホリタエイカンにアタマ差2着で初騎乗初勝利はならなかった。同31日の阪神第1競走3歳未勝利・ニホンピローヒルで初勝利を挙げ、7月28日の小倉で1日3勝、9月29日・30日の阪神で初の2日連続勝利、11月24日の中京では1日2勝を記録。
鮫島 一歩(さめしま いっぽ、1954年4月12日 - )は… 鮫島 一歩(さめしま いっぽ、1954年4月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。 なお、佐賀競馬所属の元騎手・調教師である鮫島克也、およびその息子でJRA所属の騎手である鮫島良太・克駿兄弟とは血縁関係はない。 父は南日本新聞の記者で、競馬とは無縁の家庭で育つ。鹿児島南高等学校ではサッカー部に入ったが、1年生の夏休みに馬術部が鹿児島国体の強化校として指定され、好奇心で入部すると3年生の時にインターハイ団体で優勝する。監督は鹿児島市で上村乗馬苑を経営し、のちに冠名「トシ」で知られた馬主の上村叶。高校卒業後はブラジルで酪農をやる夢を抱き、北海道江別市の酪農学園大学に進学すると、また馬に乗りたいと再び馬術部に入部。
池添 兼雄(いけぞえ かねお、1952年10月22日 - )… 池添 兼雄(いけぞえ かねお、1952年10月22日 - )は、JRAの・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手、元調教師。長男は騎手の池添謙一、次男は調教師の池添学、謙一のバレットを務める娘(3番目の実子で長女)がいる。 1974年3月、栗東・大久保石松厩舎所属で騎手デビュー。4月大久保正陽厩舎となる。 1979年7月23日、長男・謙一が誕生する。 1981年10月、フリーとなる。 1992年2月、騎手を引退する(通算成績1587戦185勝)。3月、鶴留明雄厩舎の調教助手となる。 1997年、調教師免許を取得する。 1999年3月、厩舎開業。 2023年2月28日をもって調教師を引退した。
湯窪 幸雄(ゆくぼ さちお、1950年11月9日 - 202… 湯窪 幸雄(ゆくぼ さちお、1950年11月9日 - 2026年1月21日)は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身の日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、元調教師。 実家が馬の生産牧場(湯窪牧場)を経営しており、幼いころから多くの馬と共に育ち慣れ親しんできた。そのため湯窪は競馬にも大きな興味を抱いていたが、高校在学中に父親が本人に内密で競馬の馬術の試験を応募しており、これを受験したところ合格したことから競馬界への参入と騎手への道を決めたという[要出典]。 1968年3月、鹿児島県から関西に上京して栗東トレーニングセンター所属であった柏谷富衛調教師に騎手候補生として師事し、1970年3月1日開催の京都競馬場第7レース「5歳以上100万下」にてセブンバンコク(3着)の騎手としてプロデビューを果たし、同年4月18日の京都競馬場第8レース「5歳以上オープン」にリキエイカンで出走して自身初勝利を収める。
吉永 良人(よしなが よしと、1948年9月4日 - )は、… 吉永 良人(よしなが よしと、1948年9月4日 - )は、鹿児島県肝属郡串良町(現・鹿屋市)出身の元騎手・元調教助手。 7歳上の実兄(次男)は元騎手・元調教助手・元調教師の吉永正人。正人の実子である吉永護は甥。 馬生産を営む吉永牧場の四男として生まれる。同場は良人の曾祖父で、薩摩藩の馬術指南役を務めていた吉永新九郎が1890年代後半に興した一帯で最古の馬生産牧場であり、祖父・栄蔵は九州で最初の開業獣医師とされる。家系は平家の臣であった藤原金益という公卿に遡ると伝えられるが、系図は西南戦争の際に焼失したという。長兄の清人は家業を継ぐために高校へ進学したが、良人は7歳上の兄・正人に刺激されて騎手を志す。
田島 良保(たじま よしやす、1947年10月17日 - )… 田島 良保(たじま よしやす、1947年10月17日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・元調教師。騎手時代は数々の名騎乗を残し、「必殺仕事人」と称された。川島信二は娘婿にあたる。 生家の近所には牧場があり、幼少期から馬に親しんで育った。 中学卒業後は馬事公苑騎手養成長期課程に第14期生として入所したが、やんちゃな性格で生意気な生徒であった。同期には小島太、安田富男、平井雄二、池上昌弘などがいる。2年次の厩舎研修の際には、小島と共に勧誘を受けていた東京・高木良三厩舎に入ったが、その後は京都・谷八郎厩舎所属に決まった。谷は勝ち気な性格であった田島の良き理解者となり、少々の批判に耳も貸さず乗せ続けた。
竹園 正繼(たけぞの まさつぐ、1946年1月25日 - )… 竹園 正繼(たけぞの まさつぐ、1946年1月25日 - )は、日本の実業家、馬主。 建築物の耐震補強材を開発・製造するテイエム技研株式会社の創業者。また、「テイエム」の冠名で競走馬を所有する馬主としても知られ、鹿児島県と北海道でテイエム牧場も経営するオーナーブリーダーである。名前は正継とも表記される。 1946年生まれ。鹿児島県肝属郡垂水町(現・垂水市)出身。 高校卒業後に東京へ移った後、1979年に自身が開発した建築補強材の特許を取得し、単身でテイエム技研株式会社を設立。翌年に「ウェブレン」を代表とする特許製品を売り出し、急速に売上げを伸ばした。これ以前から発明家として活動しており、水陸両用車を製作したときに「町の発明家」としてテレビ取材を受けた経験もある。
松若 勲(まつわか いさお、1944年3月1日 - 1977… 松若 勲(まつわか いさお、1944年3月1日 - 1977年11月5日)は、かつて日本中央競馬会に所属していた元騎手。 鹿児島県川内市生まれ。 弟に元装蹄師の松若清人。甥に装蹄師の松若勝。大甥にJRA騎手の松若風馬。 増本勇厩舎に見習騎手として入り、1965年3月にデビューした。デビュー年に14勝を挙げ、2年目には18勝、3年目にも9勝をマークし減量騎手を卒業したが、その後は騎乗馬には恵まれなかった。1976年には規定騎乗数の60回に足りず、騎手免許の更新が危ぶまれたが、関係者の努力と、その真面目な性格を日本中央競馬会が認め、免許更新の許可がおりたということもあり、競馬関係者からは親しまれていた。
郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - 2… 郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - 2020年1月31日)は、鹿児島県鹿屋市出身の元騎手・元調教師。 元騎手の郷原洋司は次男。吉野勇は岳父。 実家は農家。五人兄弟の次男として生まれ、父親に育てられた。幼少期より農耕馬などに乗り馬に親しみ、周囲には普通に馬車が走っていた。馬車のタイヤはまだゴムも巻かれていない時代で、パワーのある馬が引っ張っていた。弁当は日の丸弁当が当たり前で、パンや牛乳を持ってくる子がいれば羨ましがられた。中学時代はマラソンを好きになったこともあったが、日本中央競馬会の騎手講習生募集の広告を見て、東京へ出たい一心で騎手を志す。中学卒業後の1959年に馬事公苑騎手養成長期課程へ入所し、修了後の1961年より騎手候補生として中山・大久保房松厩舎に入門。
領家 政蔵(りょうけ まさぞう、1943年12月29日 - … 領家 政蔵(りょうけ まさぞう、1943年12月29日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元調教師・元騎手。 次女はタレント・評論家の領家華子。 農家の次男として生まれ、少年時代から農耕馬に親しんだ。 当初は将来に獣医師を志していたが、阪神・田中良平厩舎を退職し帰郷した元厩務員と知り合ったことで目標を騎手に改め、中学卒業後に良平の父である阪神・田中好雄厩舎に騎手見習として入門。領家は騎手としては大柄で、周囲からは「帰った方がいい」、「厩務員になれ」などと勧められたという。 見習時代は靴磨き、洗濯は当たり前であり、道具は先輩からのお下がりで、乗馬ズボンの穴の開いた場所からいつも血が滲ませた。 1963年に免許を取得してデビューし、3月16日の阪神第4競走アラブ5歳以上オープン・タマカセン(11頭中10着)で初騎乗を果たす。
吉永 正人(よしなが まさと、1941年10月18日 - 2… 吉永 正人(よしなが まさと、1941年10月18日 - 2006年9月11日)は、鹿児島県肝属郡串良町(現・鹿屋市)出身の元騎手・元調教助手・元調教師。 騎手時代は「吉永スペシャル」と呼ばれた追い込みや逃げなど極端な作戦を取る個性派の騎手として知られ、中央競馬史上3頭目の三冠馬・ミスターシービーや、1982年の春の天皇賞馬・モンテプリンスなどの主戦騎手を務めた。 死別した最初の妻との間には一男二女を授け、長男の吉永護は元騎手・現調教助手。作家の吉永みち子は2番目の妻で、一男を授けた。 実弟の吉永良人は馬事公苑花の15期生の一人で元騎手、調教助手。 馬生産を営む吉永牧場の次男として生まれる。同場は吉永の曾祖父で、薩摩藩の馬術指南役を務めていた吉永新九郎が1890年代後半に興した一帯で最古の馬生産牧場である。
徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿… 徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・現評論家。 騎手出身者として初めてJRA競馬学校騎手課程の教官となった。 同じくJRA騎手であった徳吉孝士は実子。 実家は数頭の馬を飼っており、中学生の時から競馬好きの兄に連れられて公営・鴨池競馬場を訪れ競馬にも親しんだ。中学3年次には小柄であったことから騎手になることを勧められ、中央競馬の騎手養成長期課程を受験。合格後騎手養成所に入り、1958年に東京・森末之助厩舎よりデビューし、同年9月7日にイチツバメで初勝利。 1968年の目黒記念(秋)・メジロタイヨウをはじめ、ヤマブキオーで重賞3勝を挙げるなど、数々の重賞勝利馬に騎乗した。
丸目 敏栄(まるめ としひで、1940年3月12日 - 19… 丸目 敏栄(まるめ としひで、1940年3月12日 - 1980年8月4日)は、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。鹿児島県大口市生まれ。 橋本輝雄厩舎に所属し、1959年3月8日に騎手としてのデビューを迎え、3着。3か月後の6月14日に初勝利を挙げた。デビュー初年度からエドヒメで目黒記念に優勝して重賞勝利を挙げると、2年目には36勝を挙げて全国リーディングで10位に付けるなど、早くから関東若手有力騎手の一人として高く評価されていた。1964年には内臓疾患により長期離脱を余儀なくされたが、復帰後も順調に勝ち星を積み重ねる。1969年には「上がり馬」として知られるアカネテンリュウに騎乗して菊花賞に優勝し、八大競走を初制覇。
瀬戸口 勉(せとぐち つとむ、1936年11月3日 - 20… 瀬戸口 勉(せとぐち つとむ、1936年11月3日 - 2017年11月9日)は日本中央競馬会の元騎手、元調教師。名古屋競馬・弥富トレーニングセンターに所属する調教師瀬戸口悟は実弟。中央競馬の調教師の増本豊は妻の弟。 鹿児島県鹿屋市で8人きょうだいの3人目(次男)として生まれる。1955年、鹿児島県立鹿屋農業高等学校畜産科を卒業後、京都の上田武司厩舎に騎手見習いとして入り、1959年、騎手としてデビューする。1963年にはミスマサコで桜花賞を優勝した。1973年に引退、騎手時代の成績は通算2534戦329勝である。 とくに障害競走での成績は優れたものがあり、145戦55勝。勝率.379、連対率.641という数字を残している。
松山 吉三郎(まつやま きちさぶろう、1917年2月2日 -… 松山 吉三郎(まつやま きちさぶろう、1917年2月2日 - 2006年12月20日)は、元騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、元調教師(国営競馬、日本中央競馬会(JRA))。JRA調教師顕彰者。 妹はバレエダンサーの松山樹子(松山バレエ団)。父の松山徳蔵は戦前の日本競馬会の元調教師。二男の松山康久はJRAの調教師(ミスターシービーやジェニュインを管理、調教師顕彰者)。 鹿児島県姶良郡隼人町(現・霧島市)出身。実家はもとは庄屋であったが、父・徳蔵が上京し目黒競馬場・尾形藤吉厩舎の厩務員となったため、東京へ移り住んだ。 1929年、東京都目黒区立油面尋常小学校卒業とともに尾形藤吉厩舎の見習騎手となる。