岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8… 岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8月3日 - 2025年〈令和7年〉7月25日)は、日本の工学者。工学博士(東北大学・1959年)(学位論文「磁気録音に関する研究」)。東北大学名誉教授。東北工業大学名誉理事長。元電子情報通信学会副会長。文化勲章受章者。福島県福島市生まれ、同県郡山市出身。 専門は電気工学・磁気記録。記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。 1977年頃に、磁気記録の記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。同方式は基礎研究は進められたものの、いくつかの困難があり、物性的にそれに適した磁気テープなどは割と早くに実現したが、広く市販される商品となったものは光磁気ディスク等といった別方式との併用を除けば、主力機器では東芝による2005年のハードディスク商品化が初であった。
星 猛(ほし たけし、1926年7月20日 - 2020年1… 星 猛(ほし たけし、1926年7月20日 - 2020年12月24日)は、日本の医学者(生理学)、医師。勲等は勲二等。学位は医学博士(東北大学・1956年)。東京大学名誉教授、東北大学名誉教授、静岡県立大学名誉教授。 東北大学医学部助手、東京大学医学部助教授、東北大学医学部教授、東京大学医学部教授、静岡県立大学食品栄養科学部教授、静岡県立大学食品栄養科学部学部長(初代)、静岡県立大学大学院生活健康科学研究科研究科長(初代)、静岡県立大学学長(第2代)、静岡県立大学短期大学部学長(第2代)、財団法人しずおか健康長寿財団理事長などを歴任した。 大日本帝国領台湾出身の生理学を専攻する医学者である。上皮膜輸送に関する研究の第一人者とされる。
菊田 昇(きくた のぼる、1926年5月31日 ‐ 1991… 菊田 昇(きくた のぼる、1926年5月31日 ‐ 1991年8月21日)は、日本の産科婦人科医師、医学博士。1970年代に「赤ちゃん斡旋事件」(菊田医師事件)と呼ばれる事件を起こし「実子特例法」を提唱し、現在の特別養子縁組制度の制定に大きな影響を与えた。1991年、世界生命賞を受賞。 宮城県石巻市生まれ。旧制宮城県石巻中学校、東北帝国大学医学部卒業。当初は精神科を志望していたが、最終的には産婦人科を選んだ。大学卒業後は東北大学医学部附属病院などに勤務した。1956年、学位論文「妊娠中毒症眼球結膜血管の顕微鏡撮影による研究」で東北大学より医学博士の学位を取得。市立秋田総合病院産婦人科医長を務めた後、故郷の石巻市で開業。
佐々木 交賢(ささき こうけん、1926年4月24日 - 2… 佐々木 交賢(ささき こうけん、1926年4月24日 - 2005年6月28日)は、日本の社会学者。教育学博士(東北大学・論文博士・1981年)(学位論文「デュルケーム社会学研究 基礎理論と政治社会学」)。 秋田県出身。東北大学文学部社会学科卒、同大学院博士課程中退、1981年「デュルケーム社会学研究 基礎理論と政治社会学」で教育学博士(東北大学)の学位を取得。 宮城学院女子大学助教授、日本福祉大学助教授、1971年創価大学文学部助教授、教授。2005年定年退任、名誉教授。
城戸健一(きど けんいち、1926年(大正15年)4月15日… 城戸健一(きど けんいち、1926年(大正15年)4月15日 - 2015年(平成27年)10月7日)は、日本の学者。専門は建築音響工学・電気音響工学・音声情報処理・情報工学。 1926年4月15日生まれ。1948年3月、東北帝国大学工学部電気工学科卒業。同年4月、東北大学に奉職。1956年3月、同大学工学部助教授。1961年3月、工学博士(東北大学)。1962年4月、東北大学電気通信研究所教授。1976年4月、同大学応用情報科学研究センター長。1990年4月、同大学名誉教授、千葉工業大学教授・音響情報研究所所長。1994年5月、オンテックR&D代表取締役会長。2007年11月、瑞宝中綬章受章。
二宮 康明(にのみや やすあき、1926年4月10日 - 2… 二宮 康明(にのみや やすあき、1926年4月10日 - 2023年11月15日)は、日本の紙飛行機の設計者、日本紙飛行機協会会長、日本インダストリアルデザイナー協会会員、工学博士、自家用飛行機操縦士。ハードSF研究所客員研究員。 紙飛行機設計歴50年の世界的権威、設計したオリジナル機は、競技機から軽飛行機、プロフィール機まで2,600機を超え、素材には紙だけでなくバルサ材やスチレンペーパーも使用して紙飛行機の可能性を追求している。1967年、第1回国際紙飛行機サンフランシスコ大会でグランプリを獲得。1985年シアトルでの第2回大会では元宇宙飛行士マイケル・コリンズらとともに審査委員を務めた。 1967年から、月刊『子供の科学』で紙飛行機の付録を連載。
佐藤 千敬(さとう ちひろ、Raymond Augustin… 佐藤 千敬(さとう ちひろ、Raymond Augustin Chihiro Sato, O.P., 1926年3月31日 - 2002年11月12日)は、日本のカトリック教会聖職者でドミニコ会士。カトリック仙台司教区第5代司教を務めた。洗礼名は「アウグスチノ」で修道名は「ライムンド」。 宮城県仙台市に生まれる。福島県郡山市で幼少期を過ごし、仙台二中、海軍兵学校を経て、東北帝国大学に進学。1948年3月28日、仙台 北五十人町(現 角五郎丁)教会(現 西仙台教会)でドミニコ会の渡辺吉徳神父から受洗。1949年3月に 東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1949年4月にドミニコ会に入会。 1953年にカナダ・オタワ市のドミニコ会神学校に入学し、現地で1959年に初代仙台教区長マリー・ジョゼフ・ルミュー大司教により司祭に叙階。
鈴木 和夫(すずき かずお、1926年(大正15年)3月30… 鈴木 和夫(すずき かずお、1926年(大正15年)3月30日 - 2008年(平成20年)3月28日)は、昭和から平成時代の政治家。宮城県多賀城市長。多賀城市名誉市民。 宮城県宮城郡多賀城村(多賀城町を経て多賀城市)に生まれる。仙台工業専門学校卒業。1963年(昭和38年)5月、多賀城町議会議員に初当選し、以来連続8期、31年3ヵ月の長きにわたり町議会議員、市議会議員を歴任した。1979年(昭和54年)5月から1989年(平成元年)6月までは市議会議長を務めた。 1994年(平成6年)8月、多賀城市長に就任し、2006年(平成18年)8月まで3期12年在職した。水害対策のためのポンプ場の整備や中心市街地の整備、JR仙石線連続立体交差事業の促進などに尽力した。
金子 善一郎(かねこ ぜんいちろう、1926年〈大正15年〉… 金子 善一郎(かねこ ぜんいちろう、1926年〈大正15年〉3月28日 - 1999年〈平成11年〉12月22日)は、日本の経営者。サカタのタネ社長を務めた。福島県白河市出身。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 1951年に東北大学農学部農学科を卒業し、同年に坂田種苗(現在のサカタのタネ)に入社。 1966年に取締役に就任し、1974年7月に専務を経て、1979年7月には社長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1999年12月22日肺炎のために在任中に死去。73歳没。死没日付をもって従五位に叙され、勲四等旭日小綬章を追贈された。
生地竹郎(おいじ たけろう、1926年3月21日-1980年… 生地竹郎(おいじ たけろう、1926年3月21日-1980年7月14日)は、日本の中世英文学者。 広島生まれ。父は陸軍主計少将・生地竹之助。1951年東北大学文学部英文科卒、山形大学講師、東北大学教養部助教授、上智大学文学部教授。1974年『ウィリアムスの見た農夫ビアズの夢』で日本翻訳文化賞受賞。
松岡 修(まつおか おさむ、1926年1月25日 - 199… 松岡 修(まつおか おさむ、1926年1月25日 - 1996年10月17日 )は、日本の経営者、銀行家。千葉興業銀行頭取を務めた。 山形県出身。1949年に東北大学法文学部を卒業し、同年に富士銀行に入行した。1974年11月に取締役に就任し、1975年5月に千葉興業銀行専務を経て、同年12月に副頭取に就任し、1986年6月には頭取に昇格し、1991年6月までに務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章。 1996年10月17日、循環器系疾患のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白橋 宏一郎(しらはし こういちろう、1926年1月23日 … 白橋 宏一郎(しらはし こういちろう、1926年1月23日 - 2009年2月3日)は、日本の医学者、精神科医。専門は児童精神医学。元東北福祉大学教授。医学博士(東北大学・1959年)。 東北児童青年精神医学会を発足し、精神科医として初めて国立総合病院長に就任した。日本における児童精神医学の権威の一人として多くの後輩を教えた。 1926年生まれ。1951年東北大学医学部卒業。1958年国立仙台病院精神科医長。東北大学医学部講師。1959年医学博士(東北大学)。後に東北福祉大学教授。国立仙台病院名誉院長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
岡田 喜秋(おかだ きしゅう、1926年1月2日 - )は、… 岡田 喜秋(おかだ きしゅう、1926年1月2日 - )は、日本の紀行作家。本名は「よしあき」。 東京府出身。旧制芝中学校卒業後、旧制松本高等学校文科乙類、1947年東北大学経済学部卒業。大学時代より紀行文を発表していた。 1947年に日本交通公社へ入社。月刊誌『旅』編集記者を務め、日本各地を取材して数多くの紀行文や記事を執筆した。執筆した記事が河上徹太郎らに認められ、風土・人物観察を取り入れた紀行文を多く残した。1959年から1971年までの12年間は『旅』編集長を務めた。日本交通公社退職後、1983年から1999年まで、横浜商科大学教授を務めた。 2024年10月まで、『交通新聞』の「反射板」というコラム欄に隔月で寄稿していた。
大谷 茂盛(おおたに しげもり、1926年1月1日 - 19… 大谷 茂盛(おおたに しげもり、1926年1月1日 - 1990年10月15日)は、日本の化学工学者。元東北大学総長。従三位勲二等旭日重光章。 1926年、長野県南安曇郡真々部村(現・安曇野市)生まれ。1943年に 旧制長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)を卒業。旧制山梨工業専門学校(現・山梨大学工学部)に進んで1945年に卒業した。戦後、東北大学大学院第1期特別研究員として東北大学大学院工学部機械工学科で学び、1949年に卒業した。 1960年、東北大学工学部助教授に着任。1965年、「粒状物質内における水分移動に関する研究」を提出して、工学博士号を取得。また、同年に東北大学工学部化学工学科教授に昇進。
荒川 泓(あらかわ きよし、1926年 - )は、日本の化学… 荒川 泓(あらかわ きよし、1926年 - )は、日本の化学者、北海道大学名誉教授。 岐阜県生まれ。1952年東北大学理学部化学科卒。1962年「熱可逆性ゲルのレオロジー的性質に関する研究」で東京大学理学博士。富士電機勤務、静岡大学助教授、北海道大学理学部応用電気科助教授、教授、90年定年退官、名誉教授。
新田 健一(にった けんいち、1926年- )は、日本の犯罪… 新田 健一(にった けんいち、1926年- )は、日本の犯罪心理学者。 東京生まれ。東北大学文学部心理学科卒業。法務技官、東京少年鑑別所所長。昭和女子大学大学院特任教授。日本犯罪心理学会会長。
松野 良寅(まつの よしとら、1926年(大正15年) - … 松野 良寅(まつの よしとら、1926年(大正15年) - 2012年(平成24年)3月12日)は、日本の英学者。日本英学史学会第7代会長、我栄記念館館長。豊田實賞、米沢市功績章を受章。 山形県出身。米沢中学から、海軍兵学校入校。松野は海兵75期で、在校中に第二次世界大戦の終結を迎え卒業証書を授与されている。 戦後は東北大学法文学部英文科を卒業し、母校の教員や山形県教育庁主事などを務める。1967年(昭和42年)から山形大学工業短期大学部助教授、同教養部教授、1992年(平成4年)から東北芸術工科大学教授を歴任。 英学者としては『興譲館世紀』で第1回豊田實賞を受賞。また日本英学史学会会長を務めた。
野口 廣(のぐち ひろし、1925年12月26日 - 201… 野口 廣(のぐち ひろし、1925年12月26日 - 2017年5月31日)は、日本の数学者、国際あやとり協会顧問、数学オリンピック財団前理事長、早稲田大学名誉教授。初期は野口宏の筆名を用いた。 東京出身。東北帝国大学理学部数学科卒業、1948年同大学副手、1952年早稲田大学講師、1956~1957年湯川奨学金による大阪大学内地留学、1958年ミシガン大学に留学、1960年大阪大学より理学博士号取得。1965年早稲田大学理工学部教授。1966年~米国National Science Foundationの招待によるイリノイ大学客員教授。1996年早大定年、名誉教授。1991年の数学オリンピック財団設立に尽力。
永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は… 永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は、日本の美術史家、美術評論家。女子美術大学名誉教授。 神戸市生まれ。本籍は群馬県。京城帝国大学予科在学中に敗戦を迎え、引揚後、旧制松本高等学校理科甲類に編入。1948年東北帝国大学文学部東洋芸術史学科卒業後、東北帝国大学助手、1949年女子美術大学芸術学部講師、助教授、教授を歴任。1989年から1991年まで女子美術大学付属高等学校・中学校長(第十代)。1991年に女子美術大学を定年退職し、名誉教授の称号を得る。同年、沖縄県立芸術大学教授に就任し、1999年に沖縄県立芸術大学を退職。
石川 誠(いしかわ まこと、1925年12月6日 - 199… 石川 誠(いしかわ まこと、1925年12月6日 - 1992年2月24日)は、日本の内科医。専門は消化器病学、特に消化吸収。医学博士。 東京出身。第一高等学校 (旧制)から、東北大学医学部卒業。1950年、同大医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。1953-1958年、フルブライト留学生として米国留学。1970年、東北大学医学部助教授。1974年、山形大学医学部教授(内科学第二講座初代教授)。1980年、同大大学病院院長。退官後、寒河江市立病院院長を務めた。1992年2月24日、腹部大動脈瘤破裂のため死去。66歳没。 日本消化器病学会会長、日本胃集団検診学会会長、日本内科学会・日本消化器内視鏡学会・日本消化器集団検診学会・日本臨床栄養学会などの評議員、厚生省特定疾患「消化吸収障害調査研究班」班長などを歴任。
針生 一郎(はりう いちろう、1925年12月1日 - 20… 針生 一郎(はりう いちろう、1925年12月1日 - 2010年5月26日)は、日本の美術評論家、文芸評論家。和光大学名誉教授。映画プロデューサー針生宏は弟。 宮城県仙台市生まれ。旧制第二高等学校卒業、東北大学文学部卒業。東京大学大学院で美学を学ぶ。 大学院在学中、岡本太郎、花田清輝、安部公房らの「夜の会」に参加。1953年、軍国少年だったことへの反省から日本共産党に入党したが、1961年、60年安保闘争時の時の共産党の指導方針を批判して除名される。 反権威的な美術評論・文芸評論で活躍、日本藝術院批判の急先鋒でもあった。1965年、赤瀬川原平の「千円札裁判」で特別弁護人となる。1970年の大阪万博に反対。
出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2… 出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2000年10月30日)は、日本の政治家、官僚、地方公務員。参議院議員(1期、自由民主党)。 秋田県秋田市出身。1949年東北大学法文学部経済学科卒。自治庁に入り、三重県児童課長、青森県広報文書、労政各課長を経て、経済企画庁に出向。福岡県医務、地方各課長、自治大学校教務部長、労働省大臣官房付、大分県企画部長、自治省大臣官房調査官を歴任。1971年に秋田県庁に出向し、総務部長、出納長、副知事を歴任する。1983年の第13回参議院議員通常選挙で秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。落選後は秋田県信用保証協会会長や県交通安全協会会長などを務めた。
後藤 由夫(ごとう よしお、1925年10月3日 - 202… 後藤 由夫(ごとう よしお、1925年10月3日 - 2020年9月3日)は、日本の内科医。東北大学名誉教授。医学博士。専門は、糖尿病学。 山形県松嶺町(現、酒田市)生まれ。1944年旧制第二高等学校卒業。1948年東北帝国大学医学部卒業後、同医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。1955年東北大学医学博士。1958-1960年米国ペンシルベニア大学医学部内科教室に留学。1968年東北大学医学部同内科助教授。1970年弘前大学医学部教授(内科第三講座)。1976年東北大学医学部教授(内科学第三講座)。1988年定年退官、東北大学名誉教授、東北厚生年金病院院長。 日本糖尿病学会会長、日本体質学会会長、日本臨床栄養学会会長、日本膵臓病学会会長、日本老年医学会会長、日本内科学会会頭、日本糖尿病協会理事長、日本臨床内科医会会長、日本動脈硬化学会会長、日本過酸化脂質学会会長、日本自律神経学会会長、日本肥満学会会長などを歴任。
一力 一夫(いちりき かずお、1925年(大正14年)9月8… 一力 一夫(いちりき かずお、1925年(大正14年)9月8日 - 2014年(平成26年)7月20日)は、日本の実業家。ジャーナリスト。河北新報社社主。 河北新報社元社長である一力次郎の長男として宮城県仙台市に生まれる。 1950年(昭和25年)河北新報入社。編集局長時代には自らが隊長となり同行記者3名と共に、「人類初の地球縦断大ドライブ」を敢行。それにより日本新聞協会ボーン・上田記念国際記者賞を受賞する。1970年(昭和45年)には、父の逝去により社長・社主に就任する。その後、東北放送社長就任に伴い、会長・社主に就任した。 好角家としても知られ自宅には大相撲の座布団が多数あったという。日本相撲協会横綱審議委員会委員(1988年-2001年)、第8代の委員長(1999年-2001年)も歴任した。
斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 20… 斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 2017年10月20日)は、日本の宇宙物理学者、宮沢賢治研究家。新潟大学名誉教授。岩手県北上市出身。 岩手県立黒沢尻中学校を経て、東北大学理学部卒業、同大学院で1962年、理学博士の学位を取得。博士論文は「夜光発光機構の研究」。オーロラの研究者として南極観測隊(第5次夏隊、1960年 - 1961年)に加わったのち、新潟大学理学部教授を務める[要出典]。 詩人でもあり、詩誌『歴程』同人。宮沢賢治の研究家としても知られ、宮沢賢治学会イーハトーブセンターの設立発起人(1990年)や宮沢賢治イーハトーブ館の初代館長(1992年-1994年)も務めた。
大堀 誠一(おおほり せいいち、1925年 <大正14年> … 大堀 誠一(おおほり せいいち、1925年 <大正14年> 8月11日 - 2005年 <平成17年> 7月2日)は、日本の検察官。東京地検特捜部長や、東京地検検事正、次長検事、最高裁判所判事等を歴任した。位階は正三位。 東北帝国大学工学部では工業力学を専攻し、戦闘機設計を目指す。しかし、卒業時は敗戦後だったため、やむなく鉱山関係の企業に就職。「法律家になるな」と生前に厳命していた父の残した書物を頼りに1年間独学して、初挑戦で司法試験を突破した。 弁護士を半年経験した後に検事任官。東京地検特捜部では武州鉄道汚職事件などの捜査に加わる。東京地検次席検事在籍時に発覚したダグラス・グラマン事件では異例の捜査開始宣言をした。
坂上 六郎(さかがみ ろくろう、1925年〈大正14年〉8月… 坂上 六郎(さかがみ ろくろう、1925年〈大正14年〉8月5日 - 2001年〈平成13年〉4月20日)は、日本の金属工学者。工学博士。東北大学名誉教授。専門は鉄鋼精錬学。 新潟県加茂市出身。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1948年(昭和23年)3月に東京大学第二工学部冶金学科を卒業、1953年(昭和28年)3月に大学院を修了。 1953年(昭和28年)4月に日曹製鋼に入社、1954年(昭和29年)9月に東京大学生産技術研究所に入所、1958年(昭和33年)7月に東北大学金属材料研究所講師に就任、1959年(昭和34年)5月に東北大学金属材料研究所助教授に就任、1961年(昭和36年)11月に東京大学から工学博士号を取得、1963年(昭和38年)6月から1964年(昭和39年)5月までドイツのマックス・プランク鉄鋼研究所(英語版)に留学、1983年(昭和58年)4月に東北大学金属材料研究所教授に就任、1989年(平成元年)3月に東北大学を定年退官、東北大学名誉教授の称号を受称。
有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 19… 有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 1991年9月27日)は、日本の俳優。本名:有馬 昌(ありま しょう)。 北海道札幌市出身。旧制第二高等学校(東北大学の前身校のひとつ)卒業。テコジャパンエージェンシー、ファミリープロダクションに所属していた。 高校卒業後の1950年、文学座研究所に入所。後に文学座座員に昇格する。1963年、文学座を脱退し、劇団雲の創立に参加。1969年に雲を退団。フリーを経て、1982年に演劇集団 円に入団した。デビュー作品は1951年、三越劇場での『シラノ・ト・ベルジェラック』。 舞台のほか、多くのテレビドラマや映画などにも出演。1966年のテレビドラマ『ウルトラQ』以来、特撮ドラマへの出演もよくあった。
岡 久雄(おか ひさお、1925年6月29日 - )は、日本… 岡 久雄(おか ひさお、1925年6月29日 - )は、日本の電気技術者、工学博士。三菱電機代表取締役副社長や、新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長、日本オペレーションズ・リサーチ学会会長、電気学会会長、日本YMCA同盟委員長等を歴任した。 宮城県仙台市生まれ。1943年宮城県工業学校(現宮城県工業高等学校)電気工学科、1952年東北大学工学部電気工学科卒業、三菱電機入社。半導体デバイスの研究開発に従事し、1962年には東北大学工学博士の学位を取得。1972年北伊丹製作所電力半導体部長。1978年LSI開発センタセンタ長。1980年LSI研究所所長。1983年取締役LSI研究所所長。1985年常務取締役開発本部長。
明間 輝行(あけま てるゆき、1925年(大正14年)5月2… 明間 輝行(あけま てるゆき、1925年(大正14年)5月26日 - 2005年(平成17年)9月3日)は、日本の実業家。東北電力取締役社長や、同社取締役会長、東北経済連合会会長を務めた。 宮城県仙台市出身。1951年東北大学法学部卒業。津本陽は同期生。 東北電力取締役社長や、同社取締役会長、日本原子力発電取締役を務めた。1993年東北経済連合会会長。 1995年仙台フィルハーモニー管弦楽団理事長。1997年、勲一等瑞宝章受章。2001年東北電力相談役。2005年肺炎のため仙台市内の病院で死去。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14… 大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14年)5月1日 - 2005年(平成17年)7月21日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取を務めた。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。医家に生まれ、父・小市は函館市に診療所を開設。のちに病床を20以上備えた函館一の規模を誇る病院となった。 旧制函館中学、旧制弘前高校を経て東北大学法学部を卒業する。弘前高校時代の同期には鈴木清順(映画監督)、一期下にはその弟の鈴木健二(NHKアナウンサー)もいた。 大学卒業当初は、弁護士を目指して司法試験に6度挑戦したとされるが、突破できなかったため、渋々ながら齢32にして当時の弘前相互銀行に入行。
古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月… 古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月26日 )は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。
清水 洋(しみず ひろし、1925年〈大正14年〉4月17日… 清水 洋(しみず ひろし、1925年〈大正14年〉4月17日 - 1991年〈平成3年〉12月13日)は、日本の音響工学者。工学博士(東北大学・1962年)。東北大学名誉教授、日本音響学会名誉会員。専門は電気音響工学、超音波工学。 新潟県新潟市白山浦(現 新潟市中央区白山浦)出身。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1948年(昭和23年)3月に東北大学工学部電気工学科を卒業。 1948年(昭和23年)3月に東北大学電気通信研究所助手に就任、菊池喜充のもとで研究、1955年(昭和30年)11月に同研究所助教授に就任、1962年(昭和37年)12月に東北大学工学部通信工学科第四講座教授に就任。
山畠 正男(やまはた まさお、1925年(大正14年)3月8… 山畠 正男(やまはた まさお、1925年(大正14年)3月8日 - 2016年(平成28年)2月24日)は、日本の法学者・弁護士。専門は民法。学位は、法学博士(東北大学)。北海道大学名誉教授。号は「山畠容童」。2002年勲二等瑞宝章受章。中川善之助門下。 略歴は以下のとおり。 この他、札幌家庭裁判所調停委員、北海道地方労働委員会公益委員・同会長、北海道大学評議員、北海道労働協会理事、学校法人札幌学院大学理事なども務めた。 専門は家族法。特に養子に関する法律や親族法を研究。「札幌身分法研究会」を創設。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
三谷 信(みたに まこと、1925年(大正14年)3月4日 … 三谷 信(みたに まこと、1925年(大正14年)3月4日 - 2000年(平成12年)7月5日)は、日本の実業家。作家・三島由紀夫の幼少・青少年期の無二の親友。『仮面の告白』の草野のモデル。同書の園子のモデルは妹・三谷邦子。 学習院初等科から学習院中等科を経て、1944年(昭和19年)9月に学習院高等科を卒業するまで、14年間にわたり三島の同級生の親友であった。1944年(昭和19年)9月から1945年(昭和20年)9月まで幹部候補生として兵役に就いた。 1948年(昭和23年)3月、東北帝国大学(現・東北大学)法学部を卒業。日本興業銀行を経て、1979年(昭和54年)4月、興和不動産に監査役として1996年(平成8年)まで勤務した。
野口 順一(のぐち じゅんいち、1925年(大正14年)1月… 野口 順一(のぐち じゅんいち、1925年(大正14年)1月28日 - 2018年(平成30年)9月15日)は、日本の医師(皮膚科)。東京都八王子市生まれ。1949年東北大学医学部卒業。同大学院入学・卒業後、東北大学医学部皮膚科講師、東北大学鳴子分院講師を経て、岩手県立中央病院皮膚科長を務めるなどした。 ステロイド剤を使用せず、民間療法として放任されていた、いわゆる湯治を医学分野で研究、その適応、利用方法を研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
日沼 頼夫(ひぬま よりお、1925年(大正14年)1月19… 日沼 頼夫(ひぬま よりお、1925年(大正14年)1月19日 - 2015年(平成27年)2月4日)は、日本の医学者、ウイルス学者。成人T細胞白血病の成因がウイルスであることを指摘した。京都大学・熊本大学名誉教授。秋田県名誉県民。
遠藤 忠夫(えんどう ただお、1925年1月19日 - 20… 遠藤 忠夫(えんどう ただお、1925年1月19日 - 2008年11月24日)は、日本の社会運動家、書店経営者。 宮城県で生まれ、仙台高等工業学校を卒業して国鉄仙台鉄道局で勤務した。退職して日本共産党へ入党し、宮城県委員長などを経て党本部財政部で勤務したが1950年の党分裂時に除名されて離党した。1950年に東京神田でウニタ書舗(ウニタ書店とも)を創業して左翼や新左翼系の出版物を専門的に扱う書店として知られ、1970年代以降は経営が不振で1982年9月20日に閉店した。 ウニタ書舗以降、重信房子と個人的な信頼関係による日本赤軍の連絡役として知られ、北朝鮮と独自の連絡手段を有するとされた。1991年に拉致被害者家族の一部が予定した実名会見を中止するよう働きかけた、と北朝鮮による拉致被害者家族連絡会は公表した。
吉永 正義(よしなが まさよし/せいぎ、1925年 - )は… 吉永 正義(よしなが まさよし/せいぎ、1925年 - )は、日本の神学者。東京府生まれ。東北大学理学部卒、日本ルーテル神学大学卒、立教大学文学部組織神学博士課程、コンコーディア神学大学、ベテル神学校に学び、1973年「バルト神学とその特質」で立教大学神学博士。飯能ルーテル教会牧師、日本ルーテル神学大学教授。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
松田 達郎(まつだ たつろう、1924年12月10日 - 2… 松田 達郎(まつだ たつろう、1924年12月10日 - 2003年1月27日) は、日本の生態学者。元国立極地研究所所長。元南極地域観測隊隊長。 鹿児島県加世田市(現在の南さつま市)生まれ。旧制鹿児島県立川辺中学校(現:鹿児島県立川辺高等学校)出身。1952年、東北大学理学部生物学科卒業。動物生態学加藤陸奥雄教授のもとで、害虫の研究を行い、東北大学理学部助手を経て、1963年に東北大学理学部助教授。同年、国立科学博物館第二研究部極地課研究員。1965年、東北大学理学博士。1968年、第11次南極地域観測隊隊長。1973年、国立極地研究所教授・資料主幹。1981年、国立極地研究所研究主幹。1984年、国立極地研究所所長。
白石 浩一(しらいし こういち、1924年9月9日 - 20… 白石 浩一(しらいし こういち、1924年9月9日 - 2012年5月16日)は、日本の哲学者。昭和女子大学名誉教授、オープンカレッジ初代学院長。 東京都文京区出身。1950年、東北大学文学部哲学科を卒業し、同大学大学院特別研究生となる。1954年、同課程を修了し、東北大学講師となる。1955年、昭和女子大学助教授。1964年、同教授。その後、人文科学科長、一般教育部長、女性文化研究所副所長、生涯学習オープンカレッジ学院長、名誉教授を歴任。並行して、専修大学の講師も11年間勤めていた。2005年、瑞宝中綬章。所属団体は日本哲学会、東北哲学会。テレビ出演者として「クイズダービー」(TBS)の初代1枠解答者、「私は名探偵」(テレビ朝日)のレギュラー解答者も務めた。
砂川 一郎(すながわ いちろう、1924年〈大正13年〉8月… 砂川 一郎(すながわ いちろう、1924年〈大正13年〉8月27日 - 2012年〈平成24年〉12月20日)は、日本の鉱物学者。 東京出身。東北帝国大学卒業。通商産業省地質調査所(現:経済産業省産業技術総合研究所)鉱床部長を経て東北大学理学部教授となる。 鉱物、結晶の成長機構の研究で知られ、日本結晶成長学会会長、日本鉱物学会会長などを歴任した。西永頌らとともに、日本の結晶成長学の黎明期を支え、特にダイヤモンドをはじめとする天然鉱物の成長機構や、溶液中における結晶の成長機構の解明に大きく貢献した。 2002年、勲三等旭日中綬章受章。 2012年12月20日、肺炎のため死去。88歳没。 弟子に、塚本勝男(東北大学理学部教授)、佐崎元(北海道大学低温研教授)、北村雅夫(京都大学理学部教授)らがいる。
小林 清治(こばやし せいじ、1924年8月13日 - 20… 小林 清治(こばやし せいじ、1924年8月13日 - 2007年4月4日)は、日本の歴史学者。福島大学名誉教授。専門は日本近世史。 北海道旭川市出身。東北大学文学部史学科卒、同大学院博士課程満期退学。1972年「奥羽における戦国大名の成立と展開」により東北大学から文学博士の学位を授与される。福島大学学芸学部助教授、教育学部教授。86年定年退官、名誉教授、東北学院大学教授。
亀井 文蔵(文藏、かめい ぶんぞう、1924年(大正13年)… 亀井 文蔵(文藏、かめい ぶんぞう、1924年(大正13年)7月6日 - 2011年(平成23年)6月20日)は、日本の経営者。カメイ社長、会長を務めた。位階は正五位。 宮城県塩釜市出身。1947年に東北大学工学部応用化学科を卒業。東北大学助手を経て、1952年に亀井商店 (のちのカメイ) に転じ、1955年に常務に就任し、1963年に副社長を経て、1979年に社長に就任。1993年に会長に就任し、2003年には名誉会長に就任。宮城テレビ放送社長、仙台トヨペット社長なども歴任。 1990年4月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年6月20日、腎不全のために死去。
佐藤 隆夫(さとう たかお、1924年7月6日 - 2007… 佐藤 隆夫(さとう たかお、1924年7月6日 - 2007年4月23日)は、日本の民法学者。國學院大學名誉教授。 仙台市生まれ。山形県鶴岡市出身。1952年東北大学法学部卒。國學院大學法学部助教授、教授。95年定年、名誉教授。弁護士、横浜家庭裁判所調停委員。
中井 武夫(なかい たけお、1924年6月23日 - 200… 中井 武夫(なかい たけお、1924年6月23日 - 2007年6月22日)は、日本の経営者。日産化学工業社長、会長を務めた。 富山県富山市出身。1947年に東北大学法文学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1972年11月に取締役に就任し、1975年7月に日産化学工業常務、1979年7月に専務、1980年7月に副社長を経て、1986年7月には社長に就任。1992年6月に会長、1996年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1994年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2007年6月22日急性心不全のために死去。82歳没。
武山 斌郎(たけやま としろう、1924年5月23日 - 2… 武山 斌郎(たけやま としろう、1924年5月23日 - 2009年4月21日)は、日本の機械工学者。東北大学名誉教授。石巻専修大学名誉教授。元日本伝熱学会会長。 旧制石巻中学、旧制二高を経て、1946年に東北帝国大学工学部機械工学科を卒業し、東北帝国大学工学部助手。 1949年東北大学工学部講師。1951年東北大学工学部助教授。1959年東北大学工学博士。1964年東北大学工学部教授。1981年東北大学評議員。1983年東北大学工学部長。1984年日本伝熱学会会長。石巻専修大学理工学部教授を経て、石巻専修大学名誉教授。2001年勲二等瑞宝章受章。2009年4月21日、肺炎のため死去、正四位。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
下鶴 大輔(しもづる だいすけ、1924年4月24日 - 2… 下鶴 大輔(しもづる だいすけ、1924年4月24日 - 2014年6月25日)は、日本の火山学者。東京大学名誉教授。 東京出身。東北帝国大学理学部物理学科卒。1960年東京大学より理学博士の学位を取得。東京大学地震研究所助教授、1966年教授、1981年同所長、1985年定年退官、名誉教授。 1986年東京農業大学教授。 1981年から12年間火山噴火予知連絡会会長をつとめた。 1996年 - 勲二等瑞宝章
青野 茂行(あおの しげゆき、1924年4月4日 - 201… 青野 茂行(あおの しげゆき、1924年4月4日 - 2012年7月23日)は、日本の化学者。第7代金沢大学学長。従三位勲二等旭日重光章。 千葉県銚子町(現・銚子市)生まれ。1947年東北大学理学部化学科卒業、千葉県立国府台高等学校着任。千葉県立千葉第一高等学校、千葉大学文理学部助教授、金沢大学大学院自然科学研究科長を経て、1989年学長。1993年に退任後、帰郷し船橋市に定住。1999年勲二等旭日重光章。2012年7月23日、肺炎のため死去し、叙従三位。
竹内 清(たけうち きよし、1924年4月1日 - 2000… 竹内 清(たけうち きよし、1924年4月1日 - 2000年5月22日)は、日本の統計学者。専門は統計学、理論経済学、行政計画など。東北大学名誉教授。元日本統計学会会長。 長野県埴科郡坂城町出身。旧制長野県立上田中学校(現長野県上田高等学校)を経て、1952年東京商科大学(現一橋大学)卒業、同年一橋大学大学院特別研究生。山田雄三ゼミ出身。1955年小樽商科大学専任講師。1959年同助教授。1964年文部省在外研究員及びテキサスA&M大学リサーチ・アシスタント。1986年小樽商科大学教授。1971年東北大学経済学部教授。1973年東北大学評議員。1977年ポーランド科学アカデミー客員教授。1980年東北大学経済学部長・大学院経済学研究科長。