新保 茉良(しんぽ まお、2003年11月29日 - )は、… 新保 茉良(しんぽ まお、2003年11月29日 - )は、大阪府藤井寺市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 広島の瀬戸内高校では甲子園出場経験なし。3年夏の県大会準々決勝では、エース花田侑樹擁する広島新庄高の前に敗れた。同級生には四番打者で外野手の平山功太がいた。 大学は東北福祉大学に進学。4年春から遊撃手のレギュラーをつかみベストナインを獲得。チームの第74回全日本大学野球選手権大会優勝にも貢献した。 2025年のドラフト会議において中日ドラゴンズより5巡目で指名された。背番号は56。 新保3兄弟の次男。兄・利於(りお)は九州国際大学に所属していた野球経験者。なお瀬戸内高校3年春には主将としてセンバツ甲子園 で選手宣誓の大役を務めた。
櫻井 頼之介(さくらい よりのすけ、2003年7月21日 -… 櫻井 頼之介(さくらい よりのすけ、2003年7月21日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 尼崎市立難波小学校1年の時から軟式の野球を始め、尼崎市立中央中学校では尼崎ボーイズに所属。中学時代までは遊撃手として起用されていた。中学の同級生に元AKB48の福留光帆がいる。 聖カタリナ学園高等学校では3年春の第93回選抜高等学校野球大会にエースとして出場。東海大菅生との初戦に先発して8回4失点と粘投したが、試合は敗れた。 高校卒業後は東北福祉大学へ進学。エースとして活躍し、3年春、秋のリーグ戦で敢闘賞、4年春のリーグ戦でMVPを受賞した。第74回全日本大学野球選手権大会では2勝を記録して優勝に貢献し、最優秀投手に輝いた。
堀越 啓太(ほりこし けいた、2003年7月15日 - )は… 堀越 啓太(ほりこし けいた、2003年7月15日 - )は、埼玉県飯能市出身のプロ野球選手(投手)。 埼玉県飯能市出身。加治小学校2年生のときに飯能リトルで野球を始め、加治中学校では硬式野球チームの所沢南シニアでプレーした。 花咲徳栄高等学校では2年秋に背番号1を着け、エースとして期待された。3年夏は背番号10を背負い、埼玉大会5回戦で敗退。高校3年時にプロ志望届を提出したが、ドラフト会議では指名漏れとなった。 高校卒業後は東北福祉大学情報福祉マネジメント学科に進学。1年春から仙台六大学野球リーグ戦に登板し、全日本大学野球選手権で154キロを計測した。大学の同期には新保茉良、櫻井頼之介、1学年上に漁府輝羽、3学年上に入山海斗がいる。
漁府 輝羽(ぎょふ こうは、2002年7月16日 - )は、… 漁府 輝羽(ぎょふ こうは、2002年7月16日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校時代にソフトボールを始め、倉敷市立福田南中学校軟式野球部に所属した。[要出典] おかやま山陽高等学校進学後は堤尚彦監督の指導を受け、野手として高校通算24本塁打を記録。3年次は新型コロナウイルス感染症流行により公式戦は中止となったが、プロ志望届を提出しプロ志望高校生合同練習会に参加。甲子園球場で本塁打を放つもドラフト会議では指名漏れした。中国大会1回戦出場が最高戦績。 高校卒業後は東北福祉大学に進学。4年間で公式戦通算4打席と出場機会は少なかったが、東北地区社会人・大学野球対抗戦の日本製紙石巻戦で本塁打を放つなど大学通算10本塁打の長打力が評価され、2024年度新人選手選択会議において福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト10巡目指名され入団した。
杉澤 龍(すぎさわ りゅう、2000年6月2日 - )は、秋… 杉澤 龍(すぎさわ りゅう、2000年6月2日 - )は、秋田県鹿角郡小坂町出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 小坂町立小坂小学校で野球を始め、小坂町立小坂中学校在学時は硬式野球のクラブチームである大館リトルシニアでプレーしていた。 東北高等学校に進学し、1年春から遊撃手のレギュラーに定着。同年夏に1番打者として第98回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、1回戦で藤平尚真、石川達也、増田珠らを擁する横浜に敗れ、自身も無安打に終わった。以降は宮城県大会準優勝が最高成績で、甲子園大会出場はなし。3年夏は県大会4回戦で古川工業に敗れた。 東北福祉大学に進学後は外野手へ転向し、2年秋からレギュラーに定着した。
入山 海斗(いりやま かいと、2000年5月26日 - )は… 入山 海斗(いりやま かいと、2000年5月26日 - )は、大阪府守口市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 守口市立八雲東小学校3年生から野球を始める。 守口市立第一中学校時代は守口シニアで外野手としてプレーしていた。 和歌山県立日高高等学校中津分校に進学すると、投手へと転向。主に中継ぎを務め、県大会準優勝を果たした。台湾遠征にも参加し、この時は143km/hのストレートを投げ、注目された。 その後、宮城県にある東北福祉大学へと進学。リーグ戦登板は1年生の時に1試合投げたのみであったが、ストレート、ポテンシャルといった部分をスカウト陣に評価される。 2022年10月20日に開催された同年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズより育成ドラフト3位で指名を受けた。
椋木 蓮(むくのき れん、2000年1月22日 - )は、山… 椋木 蓮(むくのき れん、2000年1月22日 - )は、山口県山陽小野田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 山陽小野田市立本山小学校1年の時に本山ベアーズで野球を始め、高川学園中学校では高川学園リトルシニアに所属。 高川学園高等学校では2年夏に控え投手としてベンチ入りし、第98回全国高等学校野球選手権大会に出場したが登板はなく、チームも1回戦で敗れた。同年秋からはエースを務めたが、3年夏は山口県大会準々決勝で下関国際に敗れた。1学年上に山野太一がいた。 その後、山野と同じ東北福祉大学に進学。同大学出身の元プロ野球選手である大塚光二が監督を務め、4年間指導を受けていた。
大竹 風雅(おおたけ ふうが、1999年8月22日 - )は… 大竹 風雅(おおたけ ふうが、1999年8月22日 - )は、福島県白河市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 白河市立五箇小学校1年から五箇イーグルスでソフトボールをはじめ、白河市立五箇中学校では軟式野球部に所属。 福島県立光南高等学校では1年秋からベンチ入りし、2年秋からはレギュラー二塁手と控え投手を兼任。入学時は体重60kgと線が細くブルペンで少し投げただけで右肘が張るほどだったため、監督の方針で投手としては無理をさせず野手メインで育成された。3年夏は県大会ベスト8に終わり甲子園出場経験はなかった。高校時代の同期に松本京志郎。 進学した東北福祉大学では投手に専念したが、仙台六大学野球リーグでの登板は1年秋と2年春(各1試合)の計2試合にとどまった。
元山 飛優(もとやま ひゆう、1998年12月4日 - )は… 元山 飛優(もとやま ひゆう、1998年12月4日 - )は、大阪府東大阪市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 父親が「飛び抜けて優れるように」との期待を込め命名。城東ジュニアコンドルズ(大阪府東大阪市立菱屋西小学校)、生駒ボーイズ(大阪府東大阪市立上小阪中学校)を経て、長野県・佐久長聖高校へ入学。 高校時代には、2014年の1年夏に三塁手、2016年の3年夏に遊撃手・主将として甲子園出場を果たした。 東北福祉大学では2017年の1年春からベンチ入り。2年春には打率.486、12打点の成績でチームを2季ぶりのリーグ優勝に導き、個人としてはリーグMVP、最高打率賞、最多打点賞、ベストナインの4冠に輝いた。
津森 宥紀(つもり ゆうき、1998年1月21日 - )は、… 津森 宥紀(つもり ゆうき、1998年1月21日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 和歌山市立楠見小学校3年から野球を始め、楠見中学時代は硬式野球の和歌山ビクトリーズに所属。2年から投手になり、3年夏には全国大会に出場する。高校は和歌山東高校に進学し、1年秋に上手投げからサイドスローに転向する。2年秋からエースになるものの、高校時代は甲子園出場経験はなかった。 高校卒業後は東北福祉大学に進学し、3年の第67回全日本大学野球選手権大会ではリリーフ投手として同大学の14年ぶりの優勝に貢献し、最優秀選手に輝く。また2年と3年に大学野球日本代表に選出され、ドラフト上位候補に挙がっていたが4年の春にフォームを崩してしまい、第68回全日本大学野球選手権では準々決勝の対佛教大学戦で3点差をリードしている7回に登板するものの、制球難に苦しんだ上にサヨナラスクイズにより敗退した結果、3年連続の大学野球日本代表入りを逃した。
八木 彬(やぎ あきら、1997年5月26日 - )は、和歌… 八木 彬(やぎ あきら、1997年5月26日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 中学時代は、和歌山ボーイズでプレー。 高校時代は、青森県の八戸学院光星高校に進学。同期には呉屋開斗がいた。 大学時代は、東北福祉大学に進学。1年次から登板機会を得たものの、4年次は怪我の影響のためリーグ戦での登板はなかった。 東北福祉大学卒業後は、三菱重工名古屋に入社。1年目から公式戦で登板機会を得る。同年で野球部が統合したため、三菱重工Westに移籍。同い年の森翔平の2枚看板でチームを引っ張った。 2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズから5位指名を受け、12月7日に契約金4000万円、年俸960万円で入団に合意した(金額は推定)。
永谷 真衣(ながや まい、1996年12月14日 - )は、… 永谷 真衣(ながや まい、1996年12月14日 - )は、宮城県出身の女子ソフトボール選手(投手)。東海理化チェリーブロッサムズ所属。 姉の影響で12歳でソフトボールを始めた。東北生活文化大学高等学校、東北福祉大学を卒業後、2019年に日本リーグ2部の東海理化に入団。 2022年のJDリーグ創設以降、2シーズンにわたりレギュラーシーズンにおけるチームの全勝利を挙げた。 球速がない分、キレを意識している。打たせて取るスタイルを基本としているが、追い込んでからは得意のライズボールや変化球で三振を狙いにいく。 2022年のJDリーグ創設以降、2シーズンにわたりレギュラーシーズンにおけるチームの全勝利を挙げた。
笠井 駿(かさい しゅん、1995年4月20日 - )は、東… 笠井 駿(かさい しゅん、1995年4月20日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)、指導者。右投右打。プロでは育成選手であった。 中学時代は武蔵府中シニアに所属。国士舘高時代は、甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は東北福祉大学へ進学し、仙台六大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部。大学時代に、チームは3年次の第65回全日本大学野球選手権大会と4年次の第66回全日本大学野球選手権大会に2年連続で出場している。 2017年10月26日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成選手ドラフト3位指名を受け、入団。 2020年11月2日、戦力外通告が公示された。 2021年よりジャイアンツアカデミーのコーチに就任した。
長坂 拳弥(ながさか けんや、1994年4月28日 - )は… 長坂 拳弥(ながさか けんや、1994年4月28日 - )は、群馬県富岡市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。阪神タイガース所属。 日本プロ野球の(一軍)公式戦史上初めて、「2年越しの2打席連続本塁打」という記録を2019年と2020年に達成している。 富岡市立丹生小学校4年時から「丹生ボーイズ」で野球を始めると、富岡市立西中学校在学中には、校内の軟式野球部に所属していた。 中学校からの卒業後に、群馬県内の高崎健康福祉大学高崎高等学校(健大高崎高校)へ進学。1年時の秋から正捕手に定着すると、2年時の夏に第93回全国高等学校野球選手権大会、3年時には春の第84回選抜高等学校野球大会で阪神甲子園球場の土を踏んだ。
相原 和友(あいはら かずとも、1989年10月27日 - … 相原 和友(あいはら かずとも、1989年10月27日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校3年または4年の時に野球を始め、仙台市立広瀬中学校では軟式野球部に所属していた。高校は東陵高等学校に進学し、1年春からベンチ入り選手として名を連ね、3年春にはチームのエースとして宮城県大会で優勝した。3年夏の宮城県大会は3回戦で古川学園に敗れ、3年間での甲子園出場経験はない。 大学は東北福祉大学に進学し、1年春からベンチ入り選手として名を連ねていた。4年時の全日本大学野球選手権大会の2回戦の愛知学院大学戦では、9回無死満塁のピンチを抑えることができず逆転された。その後、明治神宮野球大会の準々決勝の大阪体育大学戦では、8回1死満塁のピンチを抑えると、続く9回も三者凡退に抑え、チームの勝利に貢献した。
中根 佑二(なかね ゆうじ、1989年9月7日 - )は、宮… 中根 佑二(なかね ゆうじ、1989年9月7日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。従兄弟は元プロ野球選手の中根仁。 小学2年から野球を始める。仙台東リトルで、世界選手権準優勝の経験を持つ。 エース候補として仙台育英高に進学したが、1年時の秋に右肘靭帯を手術。2年時の秋になって復帰するが、3年時の夏も佐藤由規の控えであった。宮城県予選の泉高戦では8回を4安打無失点13奪三振を記録する好投を見せ、チームも第89回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たしたが、甲子園での登板機会はなかった。 高校卒業後は、仙台六大学野球連盟に加盟する東北福祉大学に進学。1年時の春からリーグ戦に登板、秋に初勝利を挙げる。
石田 隆司(いしだ たかし、1989年6月13日 - )は、… 石田 隆司(いしだ たかし、1989年6月13日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手(投手)。
阿部 俊人(あべ としひと、1988年12月23日 - )は… 阿部 俊人(あべ としひと、1988年12月23日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球解説者。右投左打。 両親の地元である仙台市内の病院で出生後に、東京都練馬区で育った。練馬区立田柄中学校時代は、和光シニアに所属。花咲徳栄高校では3年の夏に埼玉県大会準々決勝で赤坂和幸がいた浦和学院高校に敗れた。 東北福祉大学へ進学すると1年春から出場機会を得て、ショートで4度のベストナインに輝き、6度の全国大会出場に貢献。日本代表として国際大会へも出場しており、4年次には主将を務めた。2010年の仙台六大学野球秋季リーグ戦では、打率.424、12盗塁を記録し、東北福祉大学9季連続59度目の優勝に貢献し、最優秀選手賞を受賞した。
石山 泰稚(いしやま たいち、1988年9月1日 - )は、… 石山 泰稚(いしやま たいち、1988年9月1日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 旭北小4年生の時に野球を始めた。 金足農業高3年時の夏は秋田大会準々決勝で、後にプロでチームメイトとなる菊沢竜佑を擁する秋田高に0-2で敗退。甲子園出場経験はなし。 東北福祉大学に進学すると、仙台六大学野球連盟に加盟する野球部に入部する。1年秋から公式戦に登板する。2年時と3年時に全日本大学野球選手権大会、3年時に明治神宮野球大会に出場している。プロ志望届を提出したが指名漏れとなった。同期に阿部俊人がいる。 大学卒業後は、社会人野球のヤマハに入団。1年目から公式戦に出場。
井野 卓(いの すぐる、1983年11月23日 - )は、群… 井野 卓(いの すぐる、1983年11月23日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 小学1年生の時から野球を始め、ポジションはよく入れ替わったが中学3年生の時から捕手一本となる。前橋工業高校3年生の時は2001年夏の群馬大会で優勝し、甲子園に出場。卒業後、東北福祉大学に進学する。仙台六大学リーグで通算64試合166打数56安打・打率.337。2004年には日米大学野球日本代表に選出された。 強肩とチームをまとめる統率力が認められ、2005年度ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから7巡目指名を受けて入団。東北福祉大学の同期である松崎伸吾も楽天から1巡目指名を受けて入団し、チームメイトとなった。
藤原 麻起子(ふじわら まきこ、1983年11月6日 - )… 藤原 麻起子(ふじわら まきこ、1983年11月6日 - )は、岩手県東磐井郡千厩町出身の女子ソフトボール選手(投手)。引退後は吉田麻起子に姓を改めた。 1983年11月6日、岩手県東磐井郡千厩町千厩(現:一関市千厩町千厩)に生まれる。千厩町立千厩小学校に入学後、幼少期より姉のソフトボールの試合を観戦していたことを機に4年生からソフトボールクラブに入団した。練習では姉のプレーを意識していたという。 千厩町立千厩中学校に進学後はソフトボール部に所属し、1998年の全国中学校ソフトボール大会では優勝を果たした。 中学卒業後、埼玉県川越市の星野女子高等学校(現:星野高等学校女子部)に進学した。 高校卒業後、当時日本リーグ1部に所属していた東邦銀行女子ソフトボール部に入団。
松崎 伸吾(まつざき しんご、1983年9月17日 - )は… 松崎 伸吾(まつざき しんご、1983年9月17日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学生時代に実兄の影響で少年野球チームに入ると、中学生時代には軟式野球部で本格的に投手を始めた。 中学校からの卒業後に、青森県の光星学院高等学校へ進学した。2年時の夏まで打撃投手を務めながら、外野手としてレギュラーの座を獲得すると、3年夏の第83回全国高等学校野球選手権大会では4番打者に起用。投手兼右翼手として、チームの準々決勝進出に貢献した(詳細後述)。 高校からの卒業後に進学した東北福祉大学では、1年時の秋からベンチ入りを果たすと、サイドスローの右投手である福田聡志と並んでエースとして活躍。
福田 聡志(ふくだ さとし、1983年9月12日 - )は、… 福田 聡志(ふくだ さとし、1983年9月12日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(投手)。 伊都高等学校時代は3年春の県大会決勝で市和歌山商の田村領平と投げ合って完投勝利、近畿大会では初戦で八幡商の西川純司と投げ合うが敗退。甲子園出場経験なし。東北福祉大学で、高速スライダーを武器に抑えとして活躍。3年次には全日本大学選手権で最高殊勲選手・最優秀投手に輝き、チームを優勝に導いた。4年次には腰痛のため球威・制球力が低下したが、リリーフの補強を図る読売ジャイアンツが希望枠で指名。背番号は「22」になった。 2006年4月2日の横浜ベイスターズ戦でプロ初勝利を挙げた。しかし7月1日に二軍へ降格となりそのまま一軍へ再昇格せず、シーズンを終えた。
根元 俊一(ねもと しゅんいち、1983年7月8日 - )は… 根元 俊一(ねもと しゅんいち、1983年7月8日 - )は、東京都西多摩郡瑞穂町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。 中学時代の根元は、今後の進路について「都立高校に進学して野球は遊び感覚でやれればいいかな」と考えていたが、別の選手を見に来ていた花咲徳栄高校の岩井隆(当時はコーチ)の目に留まり、同校に進学した。 花咲徳栄高校進学後は、当初周りのレベルの高さに愕然としていたものの、3年時には主将としてチームを牽引し、第83回全国高等学校野球選手権大会に出場。生徒会長も務めた。 大学は東北福祉大学へ進学。1学年先輩に塩川達也がいる。1年時から遊撃手の控えとして出場を重ねると、3年時からは二塁手のレギュラーに定着。
塩川 達也(しおかわ たつや、1983年3月15日 - )は… 塩川 達也(しおかわ たつや、1983年3月15日 - )は、元プロ野球選手(内野手)。
岸田 護(きしだ まもる、1981年5月10日 - )は、大… 岸田 護(きしだ まもる、1981年5月10日 - )は、大阪府吹田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はオリックス・バファローズに所属。
中村 公治(なかむら こうじ、1981年5月6日 - )は、… 中村 公治(なかむら こうじ、1981年5月6日 - )は、兵庫県明石市出身の元プロ野球選手(外野手)。
木谷 寿巳(きたに ひさし、1980年10月15日 - )は… 木谷 寿巳(きたに ひさし、1980年10月15日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。
橋本 健太郎(はしもと けんたろう、1980年4月28日 -… 橋本 健太郎(はしもと けんたろう、1980年4月28日 - )は、京都府綴喜郡田辺町(現在の京田辺市)出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、阪神タイガースの打撃投手。
大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、… 大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、栃木県足利市出身の元プロ野球選手(内野手)。 足利市立小俣小学校で野球を始め、足利市大会で優勝。足利市立小俣小学校では県大会に出場した。群馬県立前橋工業高等学校に進学後は2年夏と3年夏に甲子園に出場してともにベスト4。3年夏は準々決勝で三上真司、東出輝裕を擁する敦賀気比高等学校に延長10回サヨナラで勝利。準決勝で川口知哉の平安高等学校に敗退。甲子園通算31打数9安打.290を記録。 在学中は大型内野手として高校通算20本塁打を記録。また高校日本選抜にも選ばれるなど、ドラフト指名も噂されたが東北福祉大学に進学することとなった。 同大学では1年春からレギュラーとして活躍し、その年には日米大学野球代表にも選出された。
山路 哲生(やまじ てつお、1979年10月12日 - )は… 山路 哲生(やまじ てつお、1979年10月12日 - )は、プロ野球審判員。
石原 慶幸(いしはら よしゆき、1979年9月7日 - )は… 石原 慶幸(いしはら よしゆき、1979年9月7日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(捕手)。岐阜県安八郡墨俣町(現・大垣市)出身。2010年からカープの選手会長に就任した。
洗平 竜也(あらいだい たつや、1979年1月9日 - )は… 洗平 竜也(あらいだい たつや、1979年1月9日 - )は、青森県上北郡六戸町出身の元プロ野球選手(投手)。 実家は米とニンニクを栽培する農家で、六戸町立六戸小学校3年生から野球を始める。中学生時代までは軟式野球でのプレーを経験していたが、光星学院高校(現在の八戸学院光星高校)への進学を機に硬式野球部へ入ると、1年時の1994年夏からエースとして活躍。3年間でストレートの球速を20 km/h上げた末に、サイドスローから最速142 km/hのストレートを投げ込む速球派の左投手として、NPB球団のスカウトから注目されるまでに成長した。もっとも、夏の県大会では3年生だった1996年まで3年連続で決勝戦で敗れるなど、在学中は春夏とも甲子園球場の全国大会と無縁であり、「悲運のサウスポー」とも呼ばれた。
髙橋 信二(たかはし しんじ、1978年8月7日 - )は、… 髙橋 信二(たかはし しんじ、1978年8月7日 - )は、岡山県津山市出身の元プロ野球選手(捕手・内野手、右投右打)、コーチ。 高校は地元の岡山県立津山工業高校に進学するも、甲子園大会出場は無く全くの無名選手であった。そのため、東北福祉大学に進学する予定であったが、1996年11月21日に行われたドラフト会議で、日本ハムファイターズから7位指名を受け、捕手として入団した。背番号は62。 1997年から1999年までの3年間は一軍出場機会がなかった。2年目の1998年には、ニューヨーク・ヤンキースの傘下チームに留学し、トレイ・ヒルマンから指導を受けた。 2000年に最終戦でプロ初出場し、初打席で初安打(二塁打)と初打点を記録した。
歌藤 達夫(かとう たつお、1978年6月15日 - )は、… 歌藤 達夫(かとう たつお、1978年6月15日 - )は、奈良県奈良市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 奈良市立飛鳥中学ではボーイズリーグの奈良イーグルスに所属し、正強高校(3年時に奈良大付高に校名変更)に進学。在学中は3年間連続で夏の奈良大会でベスト4に進出。3年の夏の大会には本格派エースとして臨み、右ひざの故障などもあって準決勝で天理高校に5対6で敗れている。高校卒業後は東北福祉大に進み、同期に吉見祐治と洗平竜也がいた。大学では主に中継ぎや抑えを務め、4年の時には大学選手権で準優勝しているが在学中は全国大会で登板なし。 ちなみに、在学中の3学年先輩に鈴木郁洋、1学年先輩に奈良将史、1学年後輩に石原慶幸、2学年後輩に木谷寿巳・橋本健太郎、3学年後輩に岸田護・中村公治などがいる。
吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、… 吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、高知県生まれ、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズのスカウト。 和歌山県立星林高等学校では3年夏にエース・濱中治の南部高に準々決勝で敗れる。東北福祉大学に進学。大学の同期には洗平竜也と歌藤達夫がおり、4年時投手としての位置付けは吉見がエース、洗平が二番手、歌藤は三番手以降だった。2年秋には明治神宮大会の決勝で先発を任されるが敗れた。3年秋には宮城教育大戦で5回コールド参考記録ながらノーヒットノーランを達成、7連続奪三振。仙台地区の選抜チームによるキューバ戦でも5回無失点の好投。2000年に春のリーグ戦では毎回の17奪三振を記録した他、5試合登板のすべて先発完封のシーズン無失点で最優秀選手、ベストナインを受賞し第49回全日本大学野球選手権大会で準優勝、日米大学野球、シドニーオリンピック野球日本代表に選出。
奈良 将史(なら まさし、1977年5月17日 - )は、兵… 奈良 将史(なら まさし、1977年5月17日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。
松 修康(まつ のぶやす、1976年7月23日 - )は、神… 松 修康(まつ のぶやす、1976年7月23日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。 宇都宮学園高校(現:文星芸術大学附属高校)から東北福祉大学へ進み、4年時は大学選手権ベスト8、秋はリーグ戦最優秀選手、ベストナインで明治神宮大会では準決勝で矢野英司(法大)と投げ合って完投勝利すると準優勝。リーグ通算13勝。 1998年のドラフト2位(逆指名)で福岡ダイエーホークスに入団。 3年目となる2001年に背番号を18から、斉藤貢がチームを退団(日本ハムファイターズに移籍)したことで空き番となった12に変更した。これは、ダイエーで18を背負った選手がいずれもトレードに出されたという事実があったこと、および入団当初に松の弱点であったメンタル面について相談に乗ってくれた斉藤の背番号を受け継ぎたいとの希望で変更されたと言われている[要出典]。
柴田 博之(しばた ひろゆき、1976年7月8日 - )は、… 柴田 博之(しばた ひろゆき、1976年7月8日 - )は、滋賀県栗東市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学2年の時に野球を始める。滋賀県立栗東高等学校では3年春県大会優勝、夏はベスト4。東北福祉大学では4年春に首位打者、盗塁王、最優秀選手となり大学選手権ベスト8、また秋の明治神宮大会では準優勝。3年秋から3季連続ベストナイン。1998年のドラフト4位で西武ライオンズに入団。 1年目の1999年は、中堅手として5試合の先発出場を含む26試合に出場し、3盗塁を記録した。2001年は113試合に出場してレギュラーに定着。規定打席到達には惜しくも13打席足りなかったものの、20盗塁・リーグ最多の三塁打8本を記録した。
鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は… 鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。 仙台育英高校時代は、1992年の第64回選抜高等学校野球大会では遊撃手として、第74回全国高等学校野球選手権大会は捕手でそれぞれ出場。卒業後は東北福祉大学へ進学し、4年時は主将で春秋ベストナイン捕手。大学選手権ベスト8、持ち味の俊足を活かして4年秋は盗塁王も獲得している。1年上の捕手に小野公誠がいた、また中日でも先輩となる門倉健、山田貴志の球を受けていた。山岡洋之(オリックス打撃投手として同僚)とは同期でバッテリーを組んだ。1997年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから4位指名を受けて入団。
山岡 洋之(やまおか ひろゆき、1975年4月23日 - … 山岡 洋之(やまおか ひろゆき、1975年4月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元プロ野球選手(投手)。 伊丹北高では3年夏の全国高等学校野球選手権兵庫大会で27回連続無失点を記録。その後進学した東北福祉大学では2年先輩に門倉健、1年上には山田貴志らがおり、上級生になって台頭すると仙台六大学リーグで4年春は3勝、秋に4勝してリーグ最優秀選手を受賞するなど通算10勝0敗の成績を残した。4年時は同期の鈴木郁洋とバッテリーを組んで春秋ベストナイン。1997年のドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団。 スライダーとシュートとサークルチェンジを武器に、1年目の1998年は21試合に登板した。
村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は… 村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム統括本部 2軍マネージャー。 小学校4年から野球を始める。能代高時代は、3年時に第74回全国高等学校野球選手権大会に出場、エースではないが1試合登板している。 東北福祉大では、1年上に門倉健、同期に山田貴志、1年下に山岡洋之らがいて、肩や肘などの故障に悩まされ登板機会はあまりなかったが、潜在能力を評価され1996年のドラフト6位で福岡ダイエーホークスの指名を受け入団した。 しかし、プロ入り後も故障に苦しみ、二軍でも登板数は少なく、1999年に現役を引退。同じ年にダイエーから指名を受けた選手の中では唯一一軍出場がなかった。
小野 公誠(おの こうせい、1974年7月11日 - )は、… 小野 公誠(おの こうせい、1974年7月11日 - )は、東京都東大和市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。 聖望学園高校では、2年夏に1年上のエース門倉健を擁して一塁手で県大会準優勝。 高校通算28本塁打。また、改装後の県営大宮球場初の本塁打を放っている。 門倉と同じく東北福祉大学に進み、バッテリーを組むと3年時には大学選手権準優勝。4年時には正捕手として春季リーグ最優秀選手で大学選手権では延長サヨナラ本塁打の活躍でベスト4、明治神宮大会準優勝して日米大学野球では4番を打った。3年時も春季リーグ戦最優秀選手、3・4年春の首位打者。ベストナイン3年春:三塁手、3年秋~4年秋:捕手。
山田 貴志(やまだ たかし、1974年5月11日 - )は、… 山田 貴志(やまだ たかし、1974年5月11日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)。
門倉 健(かどくら けん、1973年7月29日 - )は、埼… 門倉 健(かどくら けん、1973年7月29日 - )は、埼玉県入間市出身の元プロ野球選手(投手)・元コーチ、野球解説者。愛称は「カド」「アゴクラ」。 入間市立藤沢東小学校・入間市立藤沢中学校出身。中学3年生の時点で身長190 cmに達していたが、中学時代は無名の選手だった。子供のころは原辰徳のファンだった。 高校は県内の聖望学園高校に進学し、野球部のエースとして頭角を表す。城石憲之が主将の春日部共栄高校に対して相性が悪く、高校3年生時の1991年には春季県大会、春季関東大会、夏の県大会のいずれも、決勝戦で対戦すると夏は城石にも本塁打を打たれるなど春日部共栄高に敗れ、甲子園出場はなかった。特に1991年の夏にはエースとして県大会準決勝で延長13回を完投するなどチームを埼玉大会の決勝戦まで導いたが、惜しくも甲子園出場はならなかった。
和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、… 和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、元プロ野球選手。野球解説者。タレント。
関根 裕之(せきね ひろゆき、1971年12月9日 - )は… 関根 裕之(せきね ひろゆき、1971年12月9日 - )は、千葉県松戸市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。2010年から2011年までは北海道日本ハムファイターズの二軍投手コーチ、2012年からはチームスタッフ(プロスカウト)を務める。 小学2年の時に野球を始め、当時は内野手だった。中学時代に投手へ転向した。岩倉高校では3年次の1989年夏の都大会決勝でエース吉岡雄二擁して全国制覇した帝京高校に敗れ準優勝。1990年、東北福祉大学に進学。同大学では2年上に斎藤隆、金本知憲らがいた。2年生になると同期三野勝大より先に頭角を現し、上級生になると日米大学野球にも出場。大学では1年下の和田一浩とバッテリーを組んだ。
野島 正弘(のじま まさひろ、1971年8月13日 - )は… 野島 正弘(のじま まさひろ、1971年8月13日 - )は、日本の社会人野球選手(内野手)。 埼玉県立川越工業高等学校3年夏の県大会ベスト8となり、その後東北福祉大学に進学。2年次の1991年には全日本大学野球選手権大会で優勝した。2学年上の浜名千広の後を受けて遊撃手に定着すると4季連続ベストナイン、4年秋に最優秀選手。 大学の同期に関根裕之、三野勝大、荒木準也がいる。 大学卒業後の1994年に日本石油に入社。1年目からレギュラーの座をつかみ、第50回東京スポニチ大会では新人賞と優秀選手賞を獲得、翌1995年には日本石油の第66回都市対抗野球大会制覇に大きく貢献、同年の社会人ベストナインに選出された。
堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、… 堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、野球指導者。 兵庫県加東市出身。小学校4年次に東京へ転居し世田谷リトルリーグで野球を始める。中学校へ進学すると一転してハンドボール部へ入るという生活を送った。 だが、野球への思いも断ち難く進路に迷っている時に佐藤道輔(当時=東京都立東大和高等学校野球部監督)の著書『甲子園の心を求めて 高校野球の汗と涙とともに』を読んで大いなる感銘を受けたことがきっかけで「都立高校で野球をしよう」と思い立ち、東京都立千歳高等学校(現:東京都立芦花高等学校)へ進学する。 高等学校卒業後は一年浪人して東北地区の大学野球の名門たる東北福祉大学へ入学し、内野手にコンバートされる。
三野 勝大(みの かつひろ、1971年7月6日 - )は、香… 三野 勝大(みの かつひろ、1971年7月6日 - )は、香川県坂出市出身の元プロ野球選手(投手)。