高木 義成(たかぎ よしなり、1979年5月20日 - )は… 高木 義成(たかぎ よしなり、1979年5月20日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 2000年に東京ヴェルディ1969に入団。クラブでは本並健治と菊池新吉が引退した後の2002年よりレギュラーを務めてきたが、2008年はFC東京から移籍してきた土肥洋一にポジションを奪われ、控えに回された。J2に降格して迎えた2009年も7試合の出場に留まり、シーズン終了後に東京Vから戦力外通告を受け、2010年1月7日、名古屋グランパスへの完全移籍が発表された。同年7月の対横浜F・マリノス戦ではベンチ入りの控え選手ながら主審に執拗に抗議したという理由で退場処分を命じられた。
大槻 邦雄(おおつき くにお、1979年4月29日 - )は… 大槻 邦雄(おおつき くにお、1979年4月29日 - )は、東京都新宿区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションはDF/MF。 三菱養和サッカークラブジュニアユース、ユースを経て国士舘大学サッカー部でプレー。2学年上に佐伯直哉と鈴木勝大、1学年上に西村卓朗と木谷公亮、同学年に板橋裕也と山根伸泉、1学年下に白尾秀人、2学年下に相馬崇人がいた。在学中はJSL、JFLに出場。関東大学リーグ、総理大臣杯、インカレなどで優勝を経験。大学卒業後、JFL・横河武蔵野FCでプレー。選手生活と並行して国士舘大学大学院スポーツシステム研究科を修了し修士号を取得。 2013年より三菱養和サッカークラブ巣鴨ジュニアの監督を務め、全日本少年サッカー大会に2度の出場、ダノンネーションズカップ in JAPANにて第3位を獲得するなどジュニア世代の指導に定評がある。
正木 裕史(まさき ひろふみ、1979年1月22日 - )は… 正木 裕史(まさき ひろふみ、1979年1月22日 - )は、広島県廿日市市出身のサッカー指導者。日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。国士舘大学卒。 国士舘大学在学中から指導を始め、高校生以下育成年代の指導を経て、2008年より東京電力女子サッカー部マリーゼのコーチに就く。選手からの信頼は厚く、2012年にはマリーゼの選手と共にベガルタ仙台レディースへ転籍。コーチとして、女子サッカー指導経験の無かった千葉泰伸監督にとって大きな支えになった。2015年、A級ジェネラルライセンス取得。2016年限りで仙台コーチを退任。 2017年、浦和レッドダイヤモンズ・レディースコーチに就任。2018年10月、石原孝尚監督の解任に伴い監督に昇格した。
生方 繁(うぶかた しげる、1978年11月15日 - )は… 生方 繁(うぶかた しげる、1978年11月15日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 国士舘高校から国士舘大学体育学部への推薦入学に失敗したうえ、一般受験でも不合格。そこで留学生制度を利用して1997年にイタリアへ渡り、セリエD2部ACサンジュステーゼと同3部サンベニーニョに合計2シーズン在籍した。 帰国後は柏レイソルなどの入団テストを受験するも不合格が続き、アップルスポーツカレッジFC(現JAPANサッカーカレッジ)に入団。提携していたアルビレックス新潟への入団を目指すこととなった。 主力選手として活躍すると、第80回天皇杯全日本サッカー選手権大会に新潟県代表として同クラブの初出場に貢献する。
木谷 公亮(きたに こうすけ、1978年10月9日 - )は… 木谷 公亮(きたに こうすけ、1978年10月9日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。Jリーグ・サガン鳥栖ヘッドコーチ。 修徳高校、国士舘大学を経て、2001年に大宮アルディージャに入団。4年間プレーするが、2004年に戦力外となり退団。 トライアウトを経て、2005年にベガルタ仙台へ完全移籍。仙台ではセンターバックのレギュラーを獲得。チームの守備の要として確固たる存在感を示す。しかし2009年は渡辺広大と新加入のエリゼウのコンビが定着して出場機会が激減。リーグ戦わずか2試合しか出場できず、同年シーズン終了を以って戦力外となり退団。
小澤 慶二郎(おざわ けいじろう、1978年5月23日 - … 小澤 慶二郎(おざわ けいじろう、1978年5月23日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
望月 隆司(もちづき たかし、1978年4月19日 - )は… 望月 隆司(もちづき たかし、1978年4月19日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 1994年、読売日本SCユースに入団。 1997年、国士舘大学に進学し、男子サッカー部に入部。 1999年10月31日、日本フットボールリーグ(JFL)第7節に本田技研戦でデビューし、2試合に出場した。 2001年、J1・東京ヴェルディ1969に入団ですが、出場機会がないまま退団。 2002年、九州サッカーリーグ・沖縄かりゆしFCに移籍。 2003年、沖縄県社会人サッカーリーグ3部北・FC琉球に移籍。 2008年、シンガポールのSリーグ・アルビレックス新潟シンガポールに移籍。
堤 健吾(つつみ けんご、1978年3月8日 - )は、大分… 堤 健吾(つつみ けんご、1978年3月8日 - )は、大分県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 東福岡高校時代は山下芳輝、小島宏美(同期)、本山雅志(2年後輩)らと共にプレー。国士舘大学卒業後、当時北信越フットボールリーグ所属だったYKKに入団し、長らくセンターバックの一角として活躍した。 2008年に所属チームとアローズ北陸が合併し誕生したカターレ富山に加入し、チーム最年長選手としてJ昇格に貢献。Jリーグ(J2)に舞台を移した2009年も開幕からレギュラーとして起用された。 2010年は25試合に出場し、4月29日にはザスパ草津戦にてJリーグ初ゴールを決めた。 2011年1月14日、現役引退を発表した。
佐伯 直哉(さえき なおや、1977年12月18日 - )は… 佐伯 直哉(さえき なおや、1977年12月18日 - )は、東京都多摩市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。 小学校3年生でサッカーを始める。中学入学時に読売日本サッカークラブジュニアユースに入団し、高校入学時に読売ユースに昇格。1993年にU-17日本代表に招集された経歴も持つ。国士舘大学に進学後、ユニバーシアード代表での活躍などが認められ、2000年にジュビロ磐田に入団。 2001年9月よりヴィッセル神戸に期限付き移籍 してレギュラーの座を掴む。2002年も移籍期間を延長、2003年より神戸に完全移籍。2003年4月6日の京都パープルサンガ戦にて右膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、約1年をリハビリに費やすも復活。
鏑木 豪(かぶらき ごう、1977年8月26日 - )は、東… 鏑木 豪(かぶらき ごう、1977年8月26日 - )は、東京都品川区出身のサッカー選手、サッカー指導者。関東サッカーリーグ2部・tonan前橋サテライト所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 1994年及び1995年には東京都選抜として国体に出場。1996年、国士舘大学に進学。同年の全日本大学選手権で優勝し、ベストGKに選出された。1997年には大学選抜としてユニバーシアードに出場した。 1999年よりプロ入りしたが、Jリーグでは中々活躍の機会を得られず、複数のクラブを渡り歩く。2003年のJ2第1節アビスパ福岡対水戸ホーリーホックでJリーグ初出場。 2005年に加入したJFL・FCホリコシ(後のアルテ高崎)では正GKとして出場を続けたが、クラブの資金難による選手一斉解雇により2006年シーズン途中に退団。
熱田 眞(あつた まこと、1976年9月16日 - )は、東… 熱田 眞(あつた まこと、1976年9月16日 - )は、東京都町田市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 帝京高校では、2学年上に松波正信、阿部敏之、丸山良明、時岡宏昌、小峯隆幸、1学年下には松波和幸(正信の弟)、依田光正、吉成大と江田広(共にペルー人)がいた。日本高校選抜で10番を背負い、国士舘大学時代は伊藤卓、佐藤尽、今野彰、金沢丈などスタメン全員がプロになった。国士館時代日本一を多数経験。1998年のJFLでは学生ながらリーグ日本人得点2位とオールスター戦では2得点でMVPに選出された。 1999年入団後ルーキーながらレギュラーとなるが2年でJ2降格となる。J2ではアシスト王となりJ2優勝J1昇格に貢献。
富永 英明(とみなが ひであき、1976年8月27日 - )… 富永 英明(とみなが ひであき、1976年8月27日 - )は、福井県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワードだが、長身という事もありチーム事情などでディフェンダーやボランチなどもこなす。
金沢 浄(かなざわ じょう、1976年7月9日 - )は、埼… 金沢 浄(かなざわ じょう、1976年7月9日 - )は、埼玉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)及びミッドフィールダー(MF)。
鏑木 享(かぶらぎ とおる、1976年4月18日 - )は、… 鏑木 享(かぶらぎ とおる、1976年4月18日 - )は、茨城県東茨城郡美野里町 (現 小美玉市)出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 小学校2年生の時にサッカーを始める。1992年に水戸短期大学付属高校に入学し、2年生・3年生時に全国高校選手権に出場。1995年、国士舘大学に進学し、サッカー部に所属。同期には熱田眞、金沢浄、小林稔、齋藤誠一、富永英明らがおり、在部中の4年間に関東大学リーグ1部で3度、インカレで2度の優勝を果たした。1998年には新たに参入したJFLで活躍し、同リーグに所属する東京ガスサッカー部監督大熊清の推薦を受けてオールスター戦に出場。この試合で2アシストと結果を残し、プロの舞台でも通用するという手応えを掴んだ。
宮下 真洋(みやした まさひろ、1975年10月10日 - … 宮下 真洋(みやした まさひろ、1975年10月10日 - )は、北海道出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 北海道出身、札幌第一高校、国士舘大学を卒業後、ジャパンフットボールリーグの大宮アルディージャに入団。1999年にJ2リーグに昇格。主にミッドフィールダーとしてプレー、J2リーグで45試合に出場した。プロ引退後は平本大介とともに埼玉サッカークラブでもプレーした。
阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、… 阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、神奈川県高座郡寒川町の元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはゴレイロ。 2010年よりFリーグ湘南ベルマーレGKコーチ。 寒川町立旭小学校2年生からサッカーを始める。寒川町立旭が丘中学校、帝京高校から国士舘大学を経てアルビレックス新潟に練習生として加入。いわばエリートコースである。(本契約には至らず)。佐川急便東京SCに移籍し引退。 その後、esporte藤沢でフットサル転向し、湘南ベルマーレの前身であるP.S.T.C.LONDRINAに入団。別名「ロンドリーナの師範ゴレイロ」と呼ばれ、2003年には全日本フットサル選手権大会優勝に導いた。
佐藤 尽(さとう じん、1974年9月27日 - )は北海道… 佐藤 尽(さとう じん、1974年9月27日 - )は北海道室蘭市出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。日本サッカー協会指導者ライセンス(公認S級)を保有している。 2016年より京都サンガF.C.のトップチームコーチに就任した。2020年には、JFA 公認S級コーチ資格を取得。 2021年よりモンテディオ山形トップチームコーチに就任、同年4月22日、成績不振により監督の石丸清隆が解任されたことを受け、後任決定までの間監督となることが発表された。2022年8月31日、前半11分から再開試合となるJ2・第8節の岡山戦の1試合限定で監督代行を務めた。
今野 章(こんの あきら、1974年9月12日 - )は、日… 今野 章(こんの あきら、1974年9月12日 - )は、日本の元プロサッカー選手、現指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー。 高校は地元の大船渡高校に進学。大学は国士舘大学へ進学。2年次からレギュラーを獲得しチームの攻撃の中心として活躍した。1997年にジュビロ磐田へ入団。同じポジションには当時日本代表だった名波浩、藤田俊哉、奥大介などがいたために、控えに甘んじる日々が続き、右サイドバックなどにも挑戦したが、レギュラー獲得とまではいかなかった。 2000年に川崎フロンターレへ移籍。主にトップ下として出場機会も増え、2003年にはチームのゲームキャプテンを務めるなど長年にわたり中心選手としてチームを支えた。
浦田 尚希(うらた なおき、1974年6月27日 - )は、… 浦田 尚希(うらた なおき、1974年6月27日 - )は、埼玉県出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。現役時代はJリーグの川崎フロンターレ、ヴァンフォーレ甲府に所属した。ポジションはフォワード。
高山 啓義(たかやま ひろよし、1974年3月18日 - )… 高山 啓義(たかやま ひろよし、1974年3月18日 - )は、栃木県出身のサッカー審判員。宇都宮北高校、国士舘大学卒業。
大柴 健二(おおしば けんじ、1973年11月19日 - )… 大柴 健二(おおしば けんじ、1973年11月19日 - )は、山梨県甲府市出身で浦和レッドダイヤモンズ等に所属した元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 1996年に国士舘大学から浦和レッドダイヤモンズに加入。俊足のフォワードで相手DFの裏へ抜け出してボールを受けると、そのまま一気にドリブルで駆け上がりゴールへ流し込むスタイル。浦和時代には、さらさらのロングヘアだったことから、同僚の岡野雅行との2トップの時には「野人コンビ」と呼ばれ、活躍した。1997年のオフに結婚。1998年には豊富な運動量を武器に、14得点でチームの得点王になった。 2001年セレッソ大阪に移籍したが古巣の浦和に非常に強く、2度の対戦で計3得点を挙げた。
深川 友貴(ふかがわ ともたか、1972年7月24日 - )… 深川 友貴(ふかがわ ともたか、1972年7月24日 - )は、北海道室蘭市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代は主にフォワードを務めた。 室蘭市出身。小学校から中学校まで室蘭市で育ち、体格の良さなどサッカーにおいても数々の記録を残し、室蘭に深川ありと有名になる。しかし中学3年に大工だった父の仕事の都合で神奈川県に引っ越すが、その際北海道のサッカー強豪校、室蘭大谷高等学校の監督だった高橋正弘氏の計らいで当時室蘭大谷高校と親交のあった日産自動車サッカー部の監督だった加茂周氏を通じて日産FCジュニアユースに入る。中学卒業後単身で室蘭に戻り室蘭大谷高校へ入学し、サッカー部で1年時よりレギュラーをつかみ、1学年上の京谷和幸と道内敵無しの時代を築いた。
土橋 正樹(つちはし まさき、1972年7月23日 - )は… 土橋 正樹(つちはし まさき、1972年7月23日 - )は神奈川県横浜市出身で浦和レッドダイヤモンズに所属した元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィルダー。 神奈川県出身であるが小学時代は静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で過ごし、6年生の時に清水FCの一員として山田隆裕らと共に全日本少年サッカー大会に出場。高校は宮城県の東北学院高校へ進学、3年次の1990年に高校総体でベスト4進出に貢献すると、日本ユース代表に選出され名波浩、藤田俊哉らと共にAFCユース選手権に出場した。 国士舘大学を経て1995年に浦和レッドダイヤモンズに入団。ホルガー・オジェック監督の下でボランチとしてレギュラーの座を掴むと、前年まで2年連続最下位に終わった浦和の1stステージ3位に貢献、翌1996年には日本代表にも選出された。
安藤 正裕(あんどう まさひろ、1972年4月2日 - )は… 安藤 正裕(あんどう まさひろ、1972年4月2日 - )は、埼玉県坂戸市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー、ディフェンダー。元日本代表。 高校2年生までは無名の存在であったが、3年時の1990年に埼玉県選抜に選出され国民体育大会で優勝した経験を持つ。国士舘大学を経て、1995年に清水エスパルスに加入。2年目の1996年からレギュラーのポジションを射止める。日本代表にも選ばれ、1999年7月2日のコパ・アメリカのパラグアイ戦にフル出場した。同じポジションの市川大祐が台頭した1999年には出番が激減し、10月には同県内のライバル、ジュビロ磐田へと移籍。チャンピオンシップでは古巣の清水と対戦し、第一戦の中山雅史の先制ゴールをアシストすると、守備でも同年のJリーグMVPに輝いたアレックスを抑え込み、磐田に年間優勝のタイトルをもたらした。
千葉 恵二(ちば けいじ、1971年6月19日 - )は、岩… 千葉 恵二(ちば けいじ、1971年6月19日 - )は、岩手県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。
永井 秀樹(ながい ひでき、1971年1月26日 - )は、… 永井 秀樹(ながい ひでき、1971年1月26日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 元サッカー選手、サッカー指導者の永井篤志は実弟である。 三浦知良に抜かれるまでのJFL最年長得点記録を持っていた。 長崎県立国見高校を卒業後、国士舘大学に入学しバルセロナオリンピック最終予選に出場するも、本大会の出場権を取れなかったことで大学を中退し、1992年にヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)に入団。 1995年にジャパンフットボールリーグの福岡ブルックス(現・アビスパ福岡)、1996年に清水エスパルスに期限付き移籍後、翌年にV川崎に復帰。その後翌1998年に横浜フリューゲルスに完全移籍。
山路 嘉人(やまじ よしひと、1971年1月13日 - )は… 山路 嘉人(やまじ よしひと、1971年1月13日 - )は、宮城県東松島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 石巻商業高校を経て、国士舘大学に入学。大学卒業後は東芝(現:北海道コンサドーレ札幌)に入団した。その後、ブランメル仙台およびベガルタ仙台に所属し、2000年に現役を引退した。 2001年より仙台の育成部コーチ、2005年から2006年まで仙台ユース監督を務め、2005年にはチーム史上初のJユースサハラカップ決勝トーナメント進出を果たし、2006年にはチームをJユースサハラカップベスト8へ導いた。2007年はスクールマスター兼ホームタウン担当、2008年は仙台ユース監督に復帰し、チームを史上初の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権に出場させた。
高橋 健二(たかはし けんじ、1970年6月5日 - )は、… 高橋 健二(たかはし けんじ、1970年6月5日 - )は、山形県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。13年間モンテディオ山形(1996年まではNEC山形)に所属し続け、「ミスター・モンテディオ」と呼ばれる。 日大山形高校時代の1987年度高校サッカー選手権では山形県勢初のベスト16入りを果たし、自身も大会優秀選手に選ばれた。 高校卒業後に国士舘大学へ進学。在学時に1年休学してアルゼンチン留学を経験した。 大学卒業後、複数のJリーグチームからオファーを受けるも、「自分にはそれだけの実力がない」といい、1994年に全国地域リーグ決勝大会を突破してジャパンフットボールリーグへの昇格を決めたばかりの地元チームNEC山形(1996年以降、モンテディオ山形)へプロ契約選手として入団した。
新村 泰彦(にいむら やすひこ、1970年5月11日 - )… 新村 泰彦(にいむら やすひこ、1970年5月11日 - )は日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。
石川 健太郎(いしかわ けんたろう、1970年2月12日 -… 石川 健太郎(いしかわ けんたろう、1970年2月12日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 1993年に柏レイソルに入団。ボランチ、センターバック、サイドバックをこなす守備の名手として、Jリーグ昇格前から柏を支えた。
中河 昌彦(なかがわ まさひこ、1969年8月26日 - )… 中河 昌彦(なかがわ まさひこ、1969年8月26日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。サッカー指導者。 現役生活の殆どを控えGKとして過ごし、数クラブを渡り歩いたが、横浜マリノス在籍時の1996年にはアトランタオリンピック予選や骨折のため欠場が多かった川口能活の代役を務め、京都パープルサンガ在籍時の2001年には全44節中29試合に出場し、京都のJ1昇格に貢献した。 引退後は京都ユースのGKコーチに就任し、ナショナルトレセンやU-15日本代表のGKコーチも兼任した。 2009年からは徳島ヴォルティスのGKコーチを務めた。2013年、湘南ベルマーレのGKコーチに就任。 2014年‐2015年は母校である国士舘大学GKコーチを務める傍ら、ビーチサッカー日本代表GKコーチも兼任。
熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - … 熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - )は、東京都出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 東海大一高では、冬の選手権で優勝を経験。国士舘大学、NTT関東を経て、1995年に柏レイソルに加入、1996年にモンテディオ山形。現役引退後に町田FCコーチ、東京農業大学監督
野田 知(のだ さとる、1969年3月19日 - )は、北海… 野田 知(のだ さとる、1969年3月19日 - )は、北海道室蘭市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 室蘭市立向陽中学校、室蘭大谷高、国士舘大学(2年次には自身を除き自身と同い年北澤豪含めて全員本田技研工業フットボールクラブ所属選手たるフットサル日本代表に選出された。1989 FIFAフットサル世界選手権に出場)を経て、1990年に日本サッカーリーグ1部日産自動車(Jリーグ開幕以降は横浜マリノス)に加入。ボランチ、左WBとして活躍。日本代表経験こそないが、主力選手として1990年代の横浜Mの黄金時代を支えた。 1999年にアビスパ福岡に移籍し、2003年から2004年までヴォルカ鹿児島でコーチ兼選手としてプレーした。
鈴木 政紀(すずき まさのり、1968年9月15日 - )は… 鈴木 政紀(すずき まさのり、1968年9月15日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー及びフットサル指導者。 プロ選手時の名前は「鈴木 将方」(読みは同じ)。 国士舘大学から東芝に入社してサッカー部へ。1993年にホルヘ・デリー・バルデスとコンビを組んで活躍したことがきっかけで認められ、1994年にジャパンフットボールリーグからJリーグに昇格したジュビロ磐田に移籍。それを契機に「政紀」から「将方」に改名した。 この年は中山雅史やサルバトーレ・スキラッチらフォワード陣が故障がちだったこともあり、Jリーグ1年目の磐田を引っ張る活躍を見せた。翌年以降は「ゴン・トト」の2トップが定着したため、途中出場やミッドフィールダーでの出場が多くなった。
本街 直樹(ほんまち なおき、1968年7月31日 - )は… 本街 直樹(ほんまち なおき、1968年7月31日 - )は兵庫県出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。ポジションはディフェンダー(センターバック)。現在は山形県の羽黒高等学校で体育教師とサッカー部監督を務める。
杉山 学(すぎやま まなぶ、1968年7月24日 - )は、… 杉山 学(すぎやま まなぶ、1968年7月24日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 静岡北高校、国士舘大学卒。1992年に清水エスパルスへ入団。その後NEC山形(現・モンテディオ山形)を経て、1996年から1998年までアルビレオ新潟FC/アルビレックス新潟でプレーした。 現在も新潟のサッカー界で活動をしており、JAPANサッカーカレッジコーチや監督をつとめた後、2003年に新潟経営大学サッカー部の監督に就任し、総理大臣杯や全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)出場に導いた。また、東口順昭や新井直人筆頭に多くのJリーガーを輩出した。なお、2020年より同部の部長を務めている。
小泉 淳嗣(こいずみ じゅんじ、1968年1月11日 - )… 小泉 淳嗣(こいずみ じゅんじ、1968年1月11日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはDF。 宇都宮学園時代に1学年下の黒崎久志らと共に第64回全国高等学校サッカー選手権大会に出場しベスト4に進出。 横浜マリノス時代は井原正巳とCBのコンビを組んでおり、ハードなマークを得意とした。Jリーグ開幕戦のヴェルディ川崎戦では、前半19分にヘニー・マイヤーに振り切られJリーグ第1号ゴールを許している。 その後、1995年途中に出番を求め横浜フリューゲルスに移籍。1997年に川崎フロンターレに移籍。
森下 仁之(もりした ひとし、1967年12月9日 - 20… 森下 仁之(もりした ひとし、1967年12月9日 - 2025年6月25日)は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 国士舘大学を中退し、1987年に発足したPJMフューチャーズ(1995年に鳥栖フューチャーズへ改称)に入団。チームが解散した1996年に現役を引退した。 1997年より母校の静岡県立浜名高等学校のコーチに就任。2001年よりコンサドーレ札幌U-15コーチに、2002年に札幌U-15監督にそれぞれ就任。2007年に札幌の育成部部長を務めた。2008年、ジュビロ磐田U-15コーチに就任。 2009年、アビスパ福岡トップチームヘッドコーチに就任。同年11月18日から2011年まで福岡のチーム統括部長を務めた。
森下 聖二(もりした せいじ、1964年11月5日 - )は… 森下 聖二(もりした せいじ、1964年11月5日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。広島県豊田郡大崎上島町出身。 元アンジュヴィオレ広島監督。 県立大崎高校(現広島県立大崎海星高等学校)、国士舘大学卒業。大学時代はサッカー部に所属した。 大学を卒業後、フジタに入社し、広島フジタSCに所属する。小滝勇一監督のもと沖野等らとプレーした。 一方で1988年からフジタサッカースクール広島校(フジタSSS)の指導者としても活躍、ジュニアユース監督など各年代指導者を歴任した。 1997年、日本女子サッカーリーグ(当時L・リーグ)所属のフジタSCマーキュリーに転身し、結城治男監督のもとコーチとして活躍した。
東川 昌典(ひがしかわ よしのり、1964年9月30日 - … 東川 昌典(ひがしかわ よしのり、1964年9月30日 - )は石川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 実子はプロサッカー選手の東川続。 高校時代はユース代表としても活躍。Jリーグでは15試合出場。 愛媛FCユース監督を経て、2008年当時、九州サッカーリーグのV・ファーレン長崎の監督に就任。選手にプロとしての意識を植え付け、リーグでは沖縄かりゆしFCに次いで2位に終わったものの、全国地域リーグ決勝大会で決勝ラウンド4チーム中2位となり日本フットボールリーグ昇格を果たした。しかし、昇格した2009年のJFLでは12試合終了時点で12位と低迷し、成績不振を理由に解任されている。その後、6月13日付けでチームの普及・育成部長に就任。
宮澤 ミシェル(みやざわ ミシェル、1963年7月14日 -… 宮澤 ミシェル(みやざわ ミシェル、1963年7月14日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー解説者・指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。千葉県出身。国士舘大学卒。家族は妻と2男1女。長男はサッカー選手・宮澤勇樹。長女はモデル、タレント(元乃木坂46)の宮澤成良。 1963年にフランス人の父親と日本人の母親の元に生まれ、千葉県千葉市で育ち、小学校からサッカーをはじめる。1979年に千葉県立市原緑高校に入学し、本田裕一郎監督のもとでプレー。速いサッカーを目指す本田監督はテクニックのある宮澤をセンターフォワードで起用した。また、1981年にびわ湖国体で、国体史上初の外国籍選手として出場した。
幸谷 秀巳(こうたに ひでみ、1963年5月7日 - )は、… 幸谷 秀巳(こうたに ひでみ、1963年5月7日 - )は、日本のサッカー指導者、および解説者。日本サッカー協会公認S級ライセンス保持者。岡山県出身。 岡山市立平井小学校、岡山市立香和中学校、関西高等学校を経て国士舘大学卒業。中学時代はサッカー部が無かったためテニス部に所属。大学でもサッカー部に所属していたが、怪我のため選手生活を断念した。大学の同期に宮澤ミシェルがいた。卒業後はスポーツ用品メーカーのモルテンに入社するが、6年で退社。一時、地元アパレルメーカーBOBSONに就職するも、サッカー指導者を志し、1992年5月にスペインへ渡った。 1993年、スペインサッカー連盟公認NIVEL I、翌1994年同NIVEL IIを取得。
及川 浩二(おいかわ こうじ、1962年4月3日 - )は、… 及川 浩二(おいかわ こうじ、1962年4月3日 - )は、岩手県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF。 岩手県立遠野高等学校から国士舘大学を経て、1985年、日本サッカーリーグの日本鋼管サッカー部に入る。即戦力の司令塔として、巧みなボールコントロールとスルーパスで期待に応え、リーグ3年連続の2位に大きく貢献。また、天皇杯準優勝(1986年度)やJSLカップ優勝(1987年)など、チーム躍進の中心選手として活躍した。
柱谷 幸一(はしらたに こういち、1961年3月1日 - )… 柱谷 幸一(はしらたに こういち、1961年3月1日 - )は、京都府京都市出身の元日本代表サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションはMF、FW。同じく元日本代表でサッカー指導者の柱谷哲二は実弟。 国士舘大学在学中より日本代表に選ばれ、1979年に日本で開催されたワールドユースで日本代表に選出。ロサンゼルス五輪予選や1986 FIFAワールドカップ・アジア予選にもFWとして出場。 1983年には日本サッカーリーグの日産自動車サッカー部に所属し、当時国内三冠を達成し最強と言われたクラブの主力として木村和司や水沼貴史らと共に活躍。ヘディングでのゴールが多かったことから「ヘッドの(柱谷)兄」と当時のサッカーファンから称された。
山田 松市(やまだ まついち、1961年2月21日 - )は… 山田 松市(やまだ まついち、1961年2月21日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 国士舘大学で教員免許を取得、一時は教員を志したが、本田技研工業サッカー部の練習に参加した事から同サッカー部に入部。攻撃的MFとしてプレーした。 1990年に本田技研のヘッドコーチに就任。1992年にはJリーグ入りを目指すヤマハ発動機(現・ジュビロ磐田)に転じて、10年間にわたって磐田のコーチングスタッフとして活動する。 2002年から湘南ベルマーレのコーチに就任。2003年から就任したサミアが監督を辞任したため、2003年5月に湘南の監督に就任。翌2004年シーズンも引き続き指揮を執ったが低迷し、7月に解任された。
鈴木 康仁(すずき やすひと、1959年12月19日 - )… 鈴木 康仁(すずき やすひと、1959年12月19日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカー選手の鈴木雄斗は実子。 ヤンマーディーゼルサッカー部に所属し、日本ユース代表の正GKとして1979年のワールドユース東京大会に出場。日本代表としても国際Aマッチにも4試合に出場した。 1983年にヤンマーを退社し、国士舘大学へ入学。大学時代は宮澤ミシェルや柱谷哲二らと共に多くのタイトル獲得に貢献した。卒業後はGKコーチとして桐蔭学園高校の指導を長く務めた後、Jリーグを始め各分野の指導を行い、2007年は柏レイソルのスカウト、2008年からはヴィッセル神戸のスカウトを務めている。また同年にJリーグの監督を務めることが可能となるJFA 公認S級コーチを取得している。
高橋 貞洋(たかはし さだひろ、1959年10月7日 - )… 高橋 貞洋(たかはし さだひろ、1959年10月7日 - )は埼玉県出身の元サッカー選手(FW)。元サッカー日本代表。 帝京高校時代は俊足の左ウイングとして活躍。3年時に全日本に選出され、1977年6月1日の1.FCケルン戦で史上最年少の17歳227日でデビューを果たす(ただし国際Aマッチではないため、市川大祐の17歳322日を最年少デビューとする)。帝京高の同級生には宮内聡、金子久、早稲田一男、大園浩一、1学年上には佐々木則夫、2学年下には名取篤がいた。 その後、国士舘大学へ進学し、1979年にはユース代表に選ばれ、日本で行われた第2回FIFAワールドユース選手権に出場した。 卒業後は、フジタ工業(現 湘南ベルマーレ)に入団した。
内山 篤(うちやま あつし、1959年6月29日 - )は、… 内山 篤(うちやま あつし、1959年6月29日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。元ジュビロ磐田監督。ポジションはミッドフィールダー。静岡県出身。実兄の内山勝も元サッカー選手。 国士舘大学サッカー部を経て1983年に日本サッカーリーグ1部のヤマハ発動機(現 ジュビロ磐田)に入部。中心選手として1987-88シーズンに同サッカー部の日本サッカーリーグ初制覇に貢献した。日本代表としてもワールドカップ・メキシコ大会(1986)予選など、国際Aマッチ2試合に出場した。 現役引退後は指導者の道へ進み、2004年から古巣の磐田に復帰し、ユース監督に就任。2004年の高円宮杯で準優勝し、大量6人の選手をトップに昇格させるなど実績を積む。
今井 雅隆(いまい まさたか、1959年4月2日 - )は、… 今井 雅隆(いまい まさたか、1959年4月2日 - )は、静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)出身 の元サッカー選手、サッカー指導者。 興津中学校2年からGKを始め、静岡県自動車工業高校では国体優勝を経験、インターハイ全国大会では主将として出場しベスト8。国士舘大学を経て、本田技研で7年間プレーした。また、1989 FIFAフットサル世界選手権にフットサル日本代表として出場した。 1989年から1992年まで本田技研の監督を務めた後、2年間は本田技研の社員として働きながら日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチを務めた。1995年からは名古屋グランパスエイトのサテライト監督やトップチームのコーチを務める(当時のトップチームの監督の1人にアーセン・ベンゲルがいた)。
山本 昌邦(やまもと まさくに、1958年4月4日 - )は… 山本 昌邦(やまもと まさくに、1958年4月4日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元サムデイ所属。 国士舘大学時代から冷静な判断と鋭いタックルが売り物のディフェンダーとして将来を嘱望された。1977年、ユース代表に選出され、AFCユース選手権1977に出場。大学時代に1979年夏季ユニバーシアードのサッカー競技に代表として出場。1980年には日本代表として1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選に出場した。 1981年にジュビロ磐田の前身、ヤマハ発動機サッカー部に入団。1982年の日本サッカーリーグ2部優勝、1983年の天皇杯優勝に貢献。しかしDFとしては致命的ともいえる肩の脱臼癖が手術をしても完治せず、1987年に29歳で現役を引退した。