村上 由見子(むらかみ ゆみこ、1951年1月28日- )は… 村上 由見子(むらかみ ゆみこ、1951年1月28日- )は、日本のノンフィクション作家・翻訳家。 東京出身。別名ゆみ子。多摩美術大学卒。在米出版社の年刊誌編集のために日米を往復し、日本の各詩誌にアメリカ・レポートを書く。
多摩美術大学:486人
村上 由見子(むらかみ ゆみこ、1951年1月28日- )は… 村上 由見子(むらかみ ゆみこ、1951年1月28日- )は、日本のノンフィクション作家・翻訳家。 東京出身。別名ゆみ子。多摩美術大学卒。在米出版社の年刊誌編集のために日米を往復し、日本の各詩誌にアメリカ・レポートを書く。
海老塚 耕一(えびづか こういち、1951年 - )は、日本… 海老塚 耕一(えびづか こういち、1951年 - )は、日本の現代美術家。彫刻家、版画家。多摩美術大学教授。神奈川県横浜市生まれ。父は画家の海老塚市太郎。 多摩美術大学美術学部建築科卒。多摩美術大学大学院美術研究科修了。 主に木、石、金属を素材とした作品を制作している。 映像作家・鈴木志郎康によるドキュメンタリー映画『極私的にEBIZUKA』(2001年)、『山北作業所』(2002年)が撮られている。 鈴木志郎康の映像作品「極私的にEBIZUKA」が完成・上映される。 鈴木志郎康の映像作品「山北作業所」が完成・上映される。 大阪・梅田ハービスENTに「水の階・風の象I、II」を設置 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
須永 剛司(すなが たけし、1951年 - )は、デザイン教… 須永 剛司(すなが たけし、1951年 - )は、デザイン教育者。研究者。 2015年~ 東京芸術大学美術学部デザイン科 情報・設計研究室教授 (常勤)。2015年~ 京都大学デザイン学大学院連携プログラムデザイン学ユニット 特任教授 (非常勤)。 情報デザインを専門とし、情報とコミュニケーションに形を与え、ソフトウエア・プロダクトとサービスのデザイン領域を 構築している。コミュニティと社会のデザインマインド構築も試みている。横浜出身。 1974年 多摩美術大学美術学部立体デザイン科 卒業。1976年 多摩美術大学大学院美術研究科立体デザイン専攻修士課程修了。 1976年 GKインダストリアルデザイン研究所勤務。
東恩納 裕一(ひがしおんな ゆういち、1951年 - )は日… 東恩納 裕一(ひがしおんな ゆういち、1951年 - )は日本のアーティスト。東京生まれ。 1978年に多摩美術大学を卒業。美大を卒業してしばらくはコマーシャルの世界に身を置いた。20代、30代の頃は、自分がアーティストになれるとは考えていなかった。初めて作品を発表した(初個展)のは1987年。 コム・デ・ギャルソン、メゾンエルメスなど、店舗のアートワークも手がけている。 長年、東京都大田区にスタジオを構え、制作活動を行っている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大久保賢一(、1950年2月13日 - )は、日本の映画評論… 大久保賢一(、1950年2月13日 - )は、日本の映画評論家。多摩美術大学造形表現学部講師。
植月英俊(うえつきひでとし、1950年1月18日 - 201… 植月英俊(うえつきひでとし、1950年1月18日 - 2016年7月3日)は、日本の画家である。岡山県勝央町(旧植月村)出身。2016年に胆管癌で亡くなる。 父親は、広島県御調町出身。父とは離婚により幼児期に生別。 母親は、岡山県勝田郡勝央町出身。母とは中学時代に死別。 大学進学まで親族(植月家)の援助のもとで暮らす。 若くにして両親を失ったことが自身の芸術に大きく影響している。 高校時代から美術に興味を抱き、大学時代はシュールレアリズムに大きく影響を受ける。その後、写実主義・シュールレアリズム的表現・細密模写等にも多く影響を受けることとなる。 教員としての仕事に従事しながらも、画家として数々の展覧会を開く。
浅野 正敏(あさの まさとし、1950年 - )は、日本の建… 浅野 正敏(あさの まさとし、1950年 - )は、日本の建築家・インテリアデザイナー。埼玉県飯能市出身。浅野設計室主宰。2006年から駿河台大学経済学部非常勤講師。
野中 邦子(のなか くにこ 1950年 - )は、日本の翻訳… 野中 邦子(のなか くにこ 1950年 - )は、日本の翻訳家。アースハートの野中邦子、弁護士の野中邦子とは同姓同名の別人。 東京生まれ。多摩美術大学絵画科卒。出版社勤務の後、フリーの編集者を経て、現在は英米ノンフィクションの翻訳に従事。翻訳グループ「牧人舎」所属。夫は翻訳家で「牧人舎」の主催者だった鈴木主税。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
稲川 方人(いながわ まさと、1949年6月1日 - )は、… 稲川 方人(いながわ まさと、1949年6月1日 - )は、日本の詩人、映画監督、映画評論家である。
古川 孝次(ふるかわ こうじ、1949年4月12日 - )は… 古川 孝次(ふるかわ こうじ、1949年4月12日 - )は、日本プロ麻雀連盟に所属する競技麻雀のプロ雀士。 愛知県名古屋市出身、多摩美術大学卒業。日本プロ麻雀連盟1期生、段位は九段。鳳凰戦A1リーグ所属。
冨川 元文(とみかわ もとふみ、1949年2月11日 - )… 冨川 元文(とみかわ もとふみ、1949年2月11日 - )は、愛知県出身の脚本家である。
襟川 恵子(えりかわ けいこ、1949年1月3日 - )は、… 襟川 恵子(えりかわ けいこ、1949年1月3日 - )は、日本の実業家、ゲームデザイナー。株式会社コーエーテクモホールディングス取締役名誉会長。株式会社コーエーテクモコーポレートファイナンス代表取締役社長。ソフトバンクグループ社外取締役。投資家。神奈川県横浜市出身。夫の襟川陽一は同社社長。夫との間に2子あり、長女の襟川芽衣は同社取締役、次女の襟川亜衣は株式会社光優ホールディングス(襟川家の資産管理会社)監査役。 コーエーでは、ゲームデザイナーであり職人気質の夫に対し、総務・経理・人事に目を配り、また他社との交渉の多くを担ってきた。 コーエーテクモゲームスの開発チーム“ルビーパーティー”を立ち上げ、女性向けゲームのシリーズ、ネオロマンスゲームの生みの親でもある。
田窪 恭治(たくぼ きょうじ、1949年 - )は、日本の美… 田窪 恭治(たくぼ きょうじ、1949年 - )は、日本の美術家。愛媛県今治市生まれ。1972年、多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。初期は個人による現代美術的な作品やパフォーマンスが多かったが、建築家や写真家と協力し領域的に広い活動を始め、過去の建造物を修復再生するような活動を行っている。1999年村野藤吾賞受賞。金刀比羅宮文化顧問。京都造形芸術大学客員教授。 学生時代に同級生の実家である金刀比羅宮の書院で伊藤若冲の壁画などを見たことが、美術家になる決意をしたきっかけであると語っている。
田島 照久(たじま てるひさ、1949年 - )は、日本のア… 田島 照久(たじま てるひさ、1949年 - )は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、写真家。デザイン・プロダクション「Thesedays」主宰。 1949年、福岡県に生まれる。多摩美術大学グラフィック・デザイン科卒業。 大学卒業後、CBS・ソニーに入社し、デザイン室に勤務する。矢沢永吉やマイルス・デイヴィスのジャケット・デザインを担当。1980年にCBS・ソニーを退社しフリーランスとなり、自身のデザイン・プロダクション「Thesedays」を設立。 その後、浜田省吾や尾崎豊を始めとする数多くのアーティストのジャケット・デザインを担当。音楽関係以外でも、ポスターや広告、カレンダー、写真集、小説や文庫本の装丁など幅広い分野の仕事を手掛けている。
内田 和孝(うちだ かずたか、1948年10月14日 - )… 内田 和孝(うちだ かずたか、1948年10月14日 - )は、日本の彫刻家。 愛知県豊田市生まれ。石彫をメインとし、木彫、ブロンズ、和紙や光など多岐にわたり制作をした。豊田市にアトリエを持ち主にモニュメントを制作。2017年まで金城学院大学の教授を務める。その後は東京を拠点に日本とアメリカで活動を続け、2024年10月に肺癌にて逝去。
河内 成幸(かわち せいこう(本名は同字でしげゆき)、194… 河内 成幸(かわち せいこう(本名は同字でしげゆき)、1948年9月20日 - )は、日本の版画家。日本美術家連盟版画部委員。名古屋造形大学客員教授。妻の河内美榮子も版画家。 河内が版画を始めたのは浪人時代に通っていた予備校であった。その予備校で吉田穂高、松本旻、山野辺義雄といった版画家たちと出会っている。 大学紛争が最も盛んだった69年多摩美術大学油画科に入学。そこで駒井哲郎から銅版画の指導を受ける。70年にはステンレス板にガイコツのイメージをシルクスクリーンで刷った作品が日本版画協会展新人賞を受賞。このガイコツは鬱屈としていた浪人時代の自分の「死」のイメージであり、奇しくもこの年三島由紀夫が割腹自殺する事件もあった。
木村 裕一(きむら ゆういち、1948年4月14日 - )は… 木村 裕一(きむら ゆういち、1948年4月14日 - )は、日本の絵本作家。漢字での表記の他、ひらがなで表記されることも多い。 東京都生まれ。多摩美術大学卒業。造形教育の指導、テレビ幼児番組のアイディアブレーンなどを経て、絵本・童話作家となる。 絵本・童話創作に加え、戯曲やコミックの原作、小説など多方面で活動。500冊以上の著書を持ち、海外で翻訳出版されているものも多い。中でも『ごあいさつあそび』に始まる「あかちゃんのあそびえほん」シリーズは累計1300万部を突破する大ロングセラーとなっている。 代表作『あらしのよるに』(講談社)で、講談社出版文化賞絵本賞、産経児童出版文化賞、JR賞受賞。舞台脚本「あらしのよるに」で斎田喬戯曲賞、松尾芸能財団研修奨励賞、厚生大臣賞、東京都優秀児童演劇優秀賞を受賞、同作は2005年には映画化もされた(こちらの脚本も自身が担当)。
戸髙 一成(とだか かずしげ、1948年(昭和23年)4月1… 戸髙 一成(とだか かずしげ、1948年(昭和23年)4月10日 - )は、日本の海軍史研究家。呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長、呉市参与。 宮崎県出身。東京都立忍岡高等学校を経て、1973年に多摩美術大学美術学部彫刻科を卒業。友人とデザイン会社を経営するが、5年ほどでやめて海軍の研究を始め、海軍関係者と知合いとなった機縁で財団法人史料調査会に勤め、主任司書となる。1992年、同財団理事。その傍ら、当時戦記物を出版していた今日の話題社の経営に10年程関わり、社長も務めた。1994年、旧厚生省より戦没者追悼平和祈念館設立準備室の立ち上げを依頼され転籍、今日の話題社社長も辞職。1999年に昭和館図書情報部長、2004年に呉市企画部参事補、2005年4月より呉市海事歴史科学館長。
小泉 まさみ(こいずみ まさみ、本名:小泉正美、1948年2… 小泉 まさみ(こいずみ まさみ、本名:小泉正美、1948年2月21日 - )は、神奈川県出身の作曲家・編曲家。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。血液型O型。小泉まさみ&こんがりトーストを経て、作曲家として活動。 ザ・ベンチャーズを知りバンドを始め、加山雄三、ポール・マッカートニーに触発され作曲を始める。 筒美京平、橋本淳に師事し、1972年にコロムビアレコードから「はなくそは空気のかけら」でデビュー。 ヤマハポピュラーソングコンテストで入賞しヤマハ専属になり、ワーナー・パイオニアから小泉まさみとこんがりトースト名義で「おやすみ」をリリース。以後LP「メロディランド」「コットンハウス」、シングル「妹の部屋」「バイバイゲーム」リリース。
石川 源(いしかわ みなと、男性、1948年 - )は、東京… 石川 源(いしかわ みなと、男性、1948年 - )は、東京都出身の日本のクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー、パッケージデザイナー、写真家、アーティスト。 美術大学卒業後、外資系広告代理店のADとして新聞・雑誌広告、TVCFを担当。独立後グラフィックデザインを中心に生活雑貨店のプロデュース、雑誌にインタビューコラム連載、講義講演、自身のアートによる個展、写真撮影・動画制作など多岐に渡って活躍。日本グラフィックデザイナーズ協会会員、日本パッケージデザイン協会会員。日本広告写真家協会正会員
北辻 良央(きたつじ よしひさ、1948年 - )は、日本の… 北辻 良央(きたつじ よしひさ、1948年 - )は、日本の画家・彫刻家。大阪府生まれ。1972年、多摩美術大学デザイン科卒業。1994年、文化庁派遣在外研究員としてイタリアに滞在。1995年、滋賀県立陶芸の森 アーティストインレジデンス招聘。1968年より発表を始める。大阪や東京など、各地で個展やグループ展などの展覧会を開いている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
武田 秀雄(たけだ ひでお、1948年 - )は、日本の漫画… 武田 秀雄(たけだ ひでお、1948年 - )は、日本の漫画家、画家。大阪府出身の漫画家・画家である。風刺やユーモアの効いた1コマ漫画をはじめ、版画や写真などの創作活動でも知られている。 1978年 多摩美術大学大学院彫刻科卒業。 1980年ニューヨークで作品集出版 1993年には、ロンドンの大英博物館では開館以来初めてという漫画展を開催している。 1999年にはトミー・アンゲラーと二人展を開催し、当時のフランスの現地紙(名前不明?)では一面で取り上げられる[要出典]。 2007年 トミー・アンゲラーと二人展を開催
堀 研(ほり けん、1948年-)は、山口県出身の日本の洋画… 堀 研(ほり けん、1948年-)は、山口県出身の日本の洋画家、行動美術協会会員、日本美術家連盟会員、広島市立大学芸術学部名誉教授。 ※本名は、堀 研(ほり みがく) 1948年 山口県豊浦郡豊浦町湯玉(現在 下関市)に生まれる 1973年 多摩美術大学(グラフィックデザイン科)卒業 1974年 宇部女子高等学校美術教諭となる 1975年 第1回西日本新人ビエンナーレで「イスとヤツデ」が大賞受賞(宇部市蔵) 1979年 第34回行動展で「包む―風」が奨励賞受賞 1980年 第35回行動展で「風の中ゆく」が新人賞受賞(豊浦町蔵) 1981年 第13回山口県芸術文化振興奨賞受賞 第36回行動展で行動美術賞受賞 1982年 第25回安井賞展で「風の中ゆく」が佳作賞受賞(下関市立美術館蔵) 第1回小林和作賞を受賞 1983年 第18回昭和会展で「うづくまる」が昭和会賞受賞 1984年 昭和会展受賞記念個展(日動画廊本店、銀座) 1988年 個展「アメリカ、メキシコシリーズ」(日動画廊、東京、大阪、福岡) 1993年 第48回行動展で「風と歩く」が文化庁買い上げ作品となる(東京国立近代美術館蔵) 1994年 宇部市芸術文化奨励賞受賞 1995年 個展「風・樹木シリーズ」(日動画廊、東京、大阪、福岡) 2000年 個展「さくらシリーズ」(日動画廊、銀座、名古屋、大阪) 2004年 広島県立美術館(県民ギャラリー)にて「大地の詩―堀研展」開催 2005年 安芸高田市立八千代の丘美術館にて2年間に渡る個展 個展(日動画廊、銀座、福岡) 2008年 はつかいち美術ギャラリー企画「堀研展―人と木と風と」開催(廿日市市文化センター) 2010年 個展「気を描く」(日動画廊、銀座、福岡) 2011年 「イタリアの風―堀研スケッチ展」を広島市立大学芸術資料館で開催 2012年 安芸高田市立八千代の丘美術館企画「堀研展」開催
米津 知子(よねづ ともこ、1948年 - )は、日本の女性… 米津 知子(よねづ ともこ、1948年 - )は、日本の女性障害当事者として社会運動に取り組んでいる人物である。 東京都生まれ。2歳7ヶ月でポリオに感染し、右足首に麻痺がある。養護学校には通わず、普通学級の中で進学して多摩美術大学デザイン科に入学。学生運動にも参加するが、社会運動内での家父長制及び女性差別を感じて、1970年に女のグループ「思想集団エス・イー・エックス」結成に参加。1972年~1977年ごろまで田中美津らのリブ新宿センターに参加した。 1972年には優生保護法の改正の動きが起こった。米津は障害者団体の全国青い芝の会らとともにこの法改正に反対した。他方で当時の障害者運動は男性障がい者中心の発想が目立った。
松土 隆二(まつど たかじ、1947年12月23日 - )は… 松土 隆二(まつど たかじ、1947年12月23日 - )は、日本のアニメーションプロデューサー。株式会社ベガエンタテイメント代表取締役。 多摩美術大学を卒業後、東京ムービーのスタッフを経て、1973年、同じくアニメ制作会社のズイヨー映像に入社。『山ねずみロッキーチャック』・『アルプスの少女ハイジ』等で制作主任などを務めた後、1975年、日本アニメーションへ移った。 同社へ移籍後はプロデューサーに転身し、『母をたずねて三千里』・『ペリーヌ物語』・『トム・ソーヤーの冒険』・『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』・『ミームいろいろ夢の旅』・『宇宙船サジタリウス』・『私のあしながおじさん』・『トラップ一家物語』等、数多くのテレビアニメのプロデュースを担当。
堀 浩哉(ほり こうさい、1947年9月28日 - )は、日… 堀 浩哉(ほり こうさい、1947年9月28日 - )は、日本の画家。多摩美術大学名誉教授。富山県高岡市生まれ。 主にキャンバスを支持体に、アクリル絵具、油絵具、岩絵具、和紙、オイルスティック、箔などを使った絵画作品を制作している。作家活動を始めた当初より、パフォーマンスも平行して行う。ユニット「堀浩哉+堀えりぜ」で活動するほか、NTTインターコミュニケーション・センター学芸員の畠中実も加わった「ユニット00」名義で活動していた時期もある。 1977年にパリ青年ビエンナーレ、1984年にはベニスビエンナーレの日本代表の1人として参加。 富山県立高岡高等学校卒業。1966年に上京。多摩美術大学の受験に失敗するも1年浪人ののち、1967年に入学。
河合 一慶(かわい かずよし、「かわい いっけい(漢字は左記… 河合 一慶(かわい かずよし、「かわい いっけい(漢字は左記と同一)」名義でも活動、1947年8月31日 - 2012年10月5日、本名:渡辺 功(わたなべ いさお))は、新潟県三島郡寺泊町(現・新潟県長岡市)出身の児童漫画家である。血液型はAB型。多摩美術大学デザイン科中退。 美術大学中退後、1969年に漫画家としてデビュー。デビュー作は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)に掲載された『泣くな!兵吉』。 デビュー当時のペンネームは「手無 功」で、その後「大貫一星」を経て1979年より上記のペンネームを使用していた。 2012年10月5日、逝去。65歳没。
はるき 悦巳(はるき えつみ、1947年5月28日 - )は… はるき 悦巳(はるき えつみ、1947年5月28日 - )は、日本の漫画家。男性。 本名は非公開。元々、ペンネームは春木 悦巳という表記だったが、1977年にデビュー作『政・トラぶっとん音頭』が第1回平凡劇画賞で佳作入選して、その賞状が贈られた時、名前が青木悦巳と誤記されたため、以降ははるき悦巳をペンネームとした。 「自分は生来の怠け者で、面倒くさいことはイヤだ」というのが持論。趣味はジャズレコード鑑賞と映画鑑賞や小説を読むことで、その他にあまりお金の使い道がないという。ヘビースモーカーでタバコは一日に何箱も吸うほどだが、酒は全く飲めない下戸である。パソコンを使わないためインターネットにうとく、携帯電話も苦手である。
山ノ内真理子(やまのうち まりこ、1947年5月18日 - … 山ノ内真理子(やまのうち まりこ、1947年5月18日 - )は、日本の女優・声優。 多摩芸術学園演劇科卒業。劇団青年座に所属していた。 趣味・特技はモダンバレー、三味線。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
宮本 隆司(みやもと りゅうじ、1947年4月24日 - )… 宮本 隆司(みやもと りゅうじ、1947年4月24日 - )は、日本の写真家。東京都世田谷区生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。 建築雑誌『都市住宅』の臨時編集部員を経て『住宅建築』創刊時の編集部員となり、1975年に写真家として独立。 1986年、都市の変容、崩壊の光景を独自の視線で撮影した個展『建築の黙示録』(ヒルサイドギャラリー)を開催。1988年、香港の高層スラムを撮影した個展(INAXギャラリー)作品集『九龍城砦』で高い評価を受ける。1989年、第14回木村伊兵衛写真賞を受賞。 1995年、阪神・淡路大震災直後の神戸を撮影。1996年、第6回ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展、コミッショナー・磯崎新、建築家・石山修武、宮本佳明と日本パヴィリオンに共同展示して金獅子賞を受賞。
石内 都(いしうち みやこ、1947年〈昭和22年〉3月27… 石内 都(いしうち みやこ、1947年〈昭和22年〉3月27日 - )は、日本の写真家。 群馬県桐生市生まれ、横須賀市で育つ。横須賀市立第二高等学校卒業。多摩美術大学デザイン科入学。大学2年より染織専攻するが中退。 1994年、グッゲンハイム美術館での「戦後日本の前衛美術」展に招待された。ヴェネツィア・ビエンナーレの2005年日本代表。2015年、The J. Paul Getty Museumにて個展「Postwar Shadows」を開催。2017年12月9日~2018年3月4日、横浜美術館にて「肌理(きめ)と写真」が開催された。 皮膚や衣類と時間とのかかわりをテーマにした写真を撮り続けており、代表作に広島原爆で被爆した遺品を被写体とした「ひろしま」、フリーダ・カーロの遺品を撮影した「フリーダ 愛と痛み」など。
斎藤 吾朗(さいとう ごろう、1947年3月16日 - )は… 斎藤 吾朗(さいとう ごろう、1947年3月16日 - )は、愛知県幡豆郡寺津町(現・西尾市)出身の画家。独立美術協会会員。「赤絵」と呼ばれる作風で知られる。 大胆に赤色を用いる個性的な色遣いや、鑑賞者の意表を突く構成による絵画で知られている。故郷の愛知県三河地方を活動拠点としており、三河地方の人々・風景・祭礼などを題材とすることが多い。 第43回独立展で独立賞および海老原賞を受賞した1975年(昭和50年)頃から注目を集めるようになり、個性的な作品が「斎藤の赤絵」と呼ばれるようになった。1970年代には強烈な赤色の作品が多く、記念撮影を題材とする作品が多かった。1980年代には自身の子どもを描いた作品が加わり、1990年代には祭礼も題材となった。
十文字美信(じゅうもんじ びしん、1947年3月4日 - )… 十文字美信(じゅうもんじ びしん、1947年3月4日 - )は、日本の写真家、CMクリエイター。元多摩美術大学教授。
楠原 映二(くすはら えいじ、1947年1月2日 - 201… 楠原 映二(くすはら えいじ、1947年1月2日 - 2010年4月23日)は、日本の俳優。長年、イギリスで活動していた。 東京生まれの北海道育ち。北海道岩見沢東高等学校を卒業後、多摩美術大学に入学。「東京キッドブラザース」などでの海外公演の経験をきっかけに、1975年にイギリスへ移住。渡英後は、「Lumiere & Son Theatre Company」の数多くの舞台に出演し、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどでも精力的に活動。 その後、イギリスのテレビ番組にも進出し、BBCの『Tenko』では、レギュラー出演を果たした。ロンドンを本拠地とする日本人俳優の劇団「一座」の一員であった。1990年代には、『HELLO LONDON』『英国生活』というフジテレビ系情報番組(全編ロンドンロケ)でプレゼンターを務め、現地から最新の流行や文化などを日本に発信した。
吉田 光彦(よしだ みつひこ、1946年12月5日 - )は… 吉田 光彦(よしだ みつひこ、1946年12月5日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。岩手県盛岡市出身。盛岡市立高等学校、多摩美術大学卒。 1972年に「黒の手帖」6月号にてイラストレーターとしてデビューし、1975年には「ガロ」8月号から『殴者(ボクサー)』で漫画家としてデビューする。 劇団夜行館、演劇舎蟷螂などのポスターを多数手掛け、演劇舎蟷螂の「銀幕迷宮」や高取英の「少年極光都市」では舞台美術も手掛けた。また、寺山修司に多大な影響を受けており、「週刊大衆」の寺山の連載「誰か夢なき」のイラストを手掛けたことを皮切りに、寺山の著作のイラストを多数手掛けた。 大学時代の同級生には、はるき悦巳がいた。
酒井チエ(さかい ちえ、1946年8月29日- )は、日本の… 酒井チエ(さかい ちえ、1946年8月29日- )は、日本の詩人・作詞家。 本名・酒井千枝。普連土学園高等学校在学中から雑誌に詩やショートストーリーを連載。1969年多摩美術大学デザイン科卒。原田治とは多摩美術大学グラフィックデザイン科の同期生。ファッション誌、ティーン誌、PR誌などの仕事の他に、CMソングやレコードの作詞も手がける。小柳ルミ子「夏に萌えて」、クニ河内「苺の花嫁さん」(みんなのうた)、竹下景子「弟」などを作詞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
井上 雪彦(いのうえ ゆきひこ、1946年8月1日 - 20… 井上 雪彦(いのうえ ゆきひこ、1946年8月1日 - 2006年8月12日)は、日本のアナウンサーで、山口放送に所属し、ラジオ局次長兼務であった。
北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は… 北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 京都府京都市出身。身長172cm。京都府立桃山高等学校、多摩芸術学園(現・多摩美術大学)卒業。 1969年、新国劇に入り俳優となる。 1970年『新網走番外地 大森林の決斗』で準主役に抜擢されて以降、東映の映画やテレビドラマに出演し、テレビでは『特別機動捜査隊』(NET)や『イナズマン』(同)にレギュラー出演した。『イナズマン』では主人公の相棒・丸目豪作を演じ、共演した伴大介は「自分の存在意義をわきまえて、譲るべきところは譲るということがきちんとできる役者だった」と評している。また、当時すでに既婚者であった。 その後は、時代劇などの悪役に転じ、映像作品を中心に活躍。
原田 治(はらだ おさむ、1946年4月27日 - 2016… 原田 治(はらだ おさむ、1946年4月27日 - 2016年11月24日)は、日本のイラストレーター。東京都中央区築地出身。サイレント期の映画監督・二川文太郎は母方の祖父。 幼少の頃から絵画に興味を示し、洋画家で川端玉章の孫にあたる川端実に師事していた。青山学院中等部・高等部を経て多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後渡米し、ここでイラストレーションを学ぶ。ここでの生活が後の作品に「アメリカナイズされたテイスト」として影響を与えることとなる。 帰国後の1970年、創刊したばかりの雑誌「an・an」(マガジンハウス)にイラストを掲載し、イラストレーターとして本格的に始動。1975年、マザー・グースを題材にしたポップで可愛らしいテイストのキャラクターグッズ「OSAMU GOODS」の発売を開始。
奥田 怜子(おくだ れいこ、1945年12月1日 - )は、… 奥田 怜子(おくだ れいこ、1945年12月1日 - )は、日本のイラストレーター、絵本作家。 東京都港区出身。多摩美術大学デザイン科卒業。第9回日本漫画家協会優秀賞受賞。
吉良 敬三(きら けいぞう、1945年4月1日 - )は、日… 吉良 敬三(きら けいぞう、1945年4月1日 - )は、日本の映像作家、アニメーター。香川県観音寺市出身。 アニメーション制作会社、株式会社スリー・ディ代表。「きらけいぞう」名義で活動することもある。 1968年、多摩美術大学日本画科卒業後、鈴木伸一、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫らが設立したアニメーション制作会社「スタジオ・ゼロ」に入社。 1970年12月に解散が決まり、一旦はフリーとなるが、翌1971年10月、赤塚にスカウトされるかたちでフジオ・プロのグループ企業「不二アートフィルム」の設立に参加。 コマーシャルやNHKの音楽番組『みんなのうた』や『おかあさんといっしょ』、フジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』などのための実験的アニメーションやキャラクターデザインに携わる。
古村理(ふるむら おさむ、1945年 - )は京都市出身のグ… 古村理(ふるむら おさむ、1945年 - )は京都市出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、日本を代表するブランディングディレクター。愛称「ロングセラーの古村」と呼ばれている。 1945年京都市嵯峨野に生まれる。1968年多摩美術大学卒。日本デザインセンター入社。 1978年シーソーアソシエイツを設立(2009年、ブランドニュー株式会社に改称)。 グラフィックデザイン この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
三澤 憲司(みさわ けんじ、1945年 - )は、日本の彫刻… 三澤 憲司(みさわ けんじ、1945年 - )は、日本の彫刻家。長野県長野市信州新町生まれ。 1968年、多摩美術大学油絵科卒業(斎藤義重 教室) 1969年、第1回国際彫刻展(箱根彫刻の森美術館)コンクール賞 受賞。 1970年、1年間に渡る、世界23ヶ国放浪の旅から帰国。 1983年、第16回現代美術展で東京美術館賞受賞。 第3回ヘンリー・ムーア大賞展で、総重量45トン以上の7つの作品「ランドスケープ・オールオーバーウァーク・ウツクシガハラ」 を山頂に据え付け(美ヶ原高原美術館賞受賞)、この作品より巨石石彫時代に入る。 1984年、文化庁芸術家在外研修員として、ニューヨーク、イサム・ノグチのスタジオにて研修。
小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )… 小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )は、日本の彫刻家・インスタレーション・アーティスト。京都市立芸術大学名誉教授。 愛媛県生まれ。小清水は1980年から京都市立芸術大学の専任教員であったが、後に、宝塚大学の教員となり、2011年7月末に前任者の西村武が健康を害して学長職を退いたのを受けて学長代行となり、10月には学長となって、2014年までその任にあった。 また、1960年代後半から70年代にかけて台頭した「もの派」 グループの中心メンバーとしても知られている。「もの派」とは、作家の干渉を最大限に排除し、主に石、砂、木、綿、ガラスや鉄といったありのままの物質をそのままの形で配置した彫刻やインスタレーションで主に構成された反モダニズム的な作品を発表していた作家達のゆるやかな集まりのことを指す。
大井 文雄(おおい ふみお、1944年(昭和19年)9月24… 大井 文雄(おおい ふみお、1944年(昭和19年)9月24日 - )は、京都府京都市左京区出身の日本の映像作家、アニメーターである。日本アニメーション協会名誉会員。 1968年、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。1981年、株式会社スリー・ディの設立に参加。以後多くのアニメーション制作やCM制作に携わる。2000年7月よりフリーで活動。 手描きアニメーションの製作に始まり、現在では主にCGディレクターとして活動する。NHKの音楽番組「みんなのうた」や「おかあさんといっしょ」などで数多くの作品を提供している。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2… 五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2025年2月12日)は、日本の彫刻家、デザイナー。多摩美術大学名誉教授。 北海道滝川市生まれ。中学入学時に上京。グラフィック・プロダクトデザイナーとして活動後、1994年以降は本拠をロサンゼルスへ移し彫刻制作に専念、その後2004年6月に帰国した。代表作はニューヨーク近代美術館をはじめ、世界30カ所以上の公立美術館に永久保存され、個人作品集は現在までに、日本、中国、韓国、ドイツ、スイス、英国、米国で出版されている。 おじは建築家の五十嵐正。元新十津川町応援大使。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
菅 木志雄(すが きしお、1944年2月19日 - )は静岡… 菅 木志雄(すが きしお、1944年2月19日 - )は静岡県伊東市在住の現代美術家で、作品は立体やインスタレーションなど多岐にわたっている。妻は作家の富岡多恵子。 1960年代後半から70年代にかけて台頭した「もの派」 グループの中心メンバーである。もの派の作家は、石、鉄板、ガラス、電球、綿、スポンジ、紙、木、鉄線、ワイヤー、ロープ、革、油、水といった、「もの」自身を主題にするとともに、諸要素と空間の相互依存に焦点をあてた。自然的な物質と工業的な物質の出会いを探求し、それらを一過性の静止状態に配置することによって作品とした。 菅木志雄は岩手県盛岡市で生まれ、1964年から1968年まで、東京の多摩美術大学絵画学科で学んだ。
能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )… 能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )は、日本の画家。東京都出身。 東京都浅草に5人兄弟の長男として生まれる。戦争のため母の実家のあった宮城県栗原郡築館町(現栗原市)に疎開し、そのまま移住した。父である能島康明は日展で活躍した日本画家であり、幼少の頃から日本画に触れる機会は多かった。少年時代から絵の才能を見出されており、当時の学校の先生から嫉妬を受け、筆を折るように言われたという話もある。 宮城県築館高等学校を卒業すると、東京に戻り多摩美術大学で日本画を学ぶ、奥田元宋に師事。大学在学中に日展に初入選、なおこれは最年少での入選記録となる。以降、日展特選を2回、日展会員賞、日展文部科学大臣賞、宮城県教育文化功労者、日本芸術院賞などを受賞した。
児玉 英雄(こだま ひでお、1944年 - ) は、日本人カ… 児玉 英雄(こだま ひでお、1944年 - ) は、日本人カーデザイナー。ゼネラルモーターズ(以降、GM)傘下のオペルでデザイナーとして約40年在籍していた経歴を持つ日本以外の自動車メーカーで活動する日本人カーデザイナーの草分け的存在でもある。2012年現在、ドイツ在住。 車と触れ合うきっかけは中学生の頃、父親の仕事の送り迎えで使われていたシトロエンの11CVを見たことであり、この頃からカーデザイナーになりたいという願望を持つようになる。 オペル入社のきっかけは多摩美術大学在籍中にGMに直筆の手紙を送ったことであり、児玉は描きためていたデッサンをGMに送ったところ、あっさりと内定の返事をもらった。
小林 はくどう(こばやし はくどう 1944年〈昭和19年〉… 小林 はくどう(こばやし はくどう 1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の映像作家、造形作家。市民ビデオへの尽力でも知られる。成安造形大学名誉教授。 1944年、宮城県仙台市に生まれる。本名、小林博道(ひろみち)。 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業後、造形作家として活動を始める。機械じかけで動く彫刻「はくどうマシン」を日本現代美術展(1969)、1970年大阪万博などで発表。万博でお祭り広場の演出を手がけたことから映像に興味を持つ。 1972年からビデオ制作を開始。山口勝弘、中谷芙二子、かわなかのぶひろ、松本俊夫、萩原朔美らと共に「ビデオひろば」結成に参加、「鷲づかみの映像」などビデオプロジェクトを行う。