保田 克己(やすだ かつみ、1913年3月28日 - 201… 保田 克己(やすだ かつみ、1913年3月28日 - 2015年8月23日)は、日本の経営者。住友林業社長を務めた。 山口県出身。1936年に東京帝国大学林学科を卒業し、同年に住友本社に入社。 のちに住友林業に転じ、常務を経て、1966年6月に社長に就任し、1974年11月には会長に就任。1976年4月には取締役相談役に就任し、1978年12月からは相談役を務めた。 1981年11月に藍綬褒章を受章。 2015年8月23日、老衰のために死去。102歳没。
山中 宏(やまなか ひろし、1913年3月2日- 2008年… 山中 宏(やまなか ひろし、1913年3月2日- 2008年1月31日 )は、日本の経営者、商学博士。明治生命保険社長、会長を務めた。 東京都出身。1934年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に明治生命保険に入社した。1955年に欧米を視察し、1957年に財務部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1972年4月に副社長に就任し、1974年4月には社長に昇格した。1982年4月に会長に就任し、1990年4月に取締役相談役に就任し、1998年4月から名誉相談役を務めた。 1950年から1958年までに成城大学で講師を務め、1959年から1969年までに東京大学で経済学講師を務めた。 1976年10月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲二等旭日重光章を受章した。
石井 良雄(いしい よしお、1913年2月23日 - 198… 石井 良雄(いしい よしお、1913年2月23日 - 1986年8月27日)は、日本の経営者。東京都出身。 1935年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日清製粉に入社。1962年7月に取締役に就任し、1967年5月に常務、1971年5月に専務を経て、1973年11月には社長に就任した。1981年6月には相談役に就任。 1976年11月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1986年8月27日肺癌のために死去。73歳没。
牧山 公郎(まきやま きみお、1913年2月9日 - 199… 牧山 公郎(まきやま きみお、1913年2月9日 - 1993年11月11日)は、日本の経営者。元第一生命保険社長。東京都出身。 府立一中、旧制府立高等学校を経て、1937年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に第一生命保険に入社。1967年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1975年4月に副社長に就任し、1977年4月には社長に昇格した。1981年4月からは取締役、常任監査役、顧問を歴任。 1978年11月に藍綬褒章を受章した。 1993年11月11日呼吸不全のために死去。80歳没。
公文 茂治(くもん しげはる、1913年〈大正2年〉1月26… 公文 茂治(くもん しげはる、1913年〈大正2年〉1月26日 - 2014年〈平成26年〉5月23日)は日本の実業家、元日本油脂取締役。 1913年高知県生まれ。1936年東京大学法学部卒業。同年、日本油脂に入社。1967年日本油脂取締役に就任した。 2014年5月23日に誤嚥性肺炎のため101歳で死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 19… 広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 1986年1月20日)は、日本の官僚、経営者。運輸事務次官や、日本通運社長、会長を務めた。「日通中興の祖」と呼ばれた。 新潟県柏崎市出身。1938年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に鉄道省に入省し、同期に若狭得治がいた。運輸省鉄道管理局国有鉄道部長、鉄道管理局長などを経て、1964年6月に運輸事務次官に就任した。1968年をもって退官し、地元新潟県選挙区で参議院選挙に自由民主党公認で出馬したが、落選した。1968年11月に日本通運専務に就任し、日通事件で揺れていていた会社の立て直しに尽力していた。1972年に副社長に就任し、1976年に社長に就任した。
藤吉 次英(ふじよし つぐひで、1913年1月24日 - 1… 藤吉 次英(ふじよし つぐひで、1913年1月24日 - 1985年5月20日)は、日本の経営者。福岡県出身。 旧制姫路高校を経て1935年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。1962年1に取締役に就任し、常務、専務を経て、1971年に社長に就任し、1980年6月には会長に就任した。 日本経営者団体連合会常任理事、経済団体連合会常任理事も務めた。 1978年4月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 1985年5月20日心不全のために死去。72歳没。
彌永 恭二郎(いやなが きょうじろう、1913年 <大正2年… 彌永 恭二郎(いやなが きょうじろう、1913年 <大正2年> 1月20日 - 2002年 <平成14年> 1月20日)は、日本の経営者。日本光学工業(現在のニコン)社長、会長を務めた。位階は従四位。 東京出身。銀行家・弥永克己の二男。兄に弥永昌吉、弟に弥永貞三。1934年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に三菱銀行に入行。1965年5月に取締役に就任し、1967年11月には常務に就任。 1969年5月に日本光学工業副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格。1979年6月に会長に就任し、1983年6月から相談役を務めた。 1983年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2002年1月20日心不全のために死去。
原島 保(はらじま たもつ、1913年 <大正2年> 1月1… 原島 保(はらじま たもつ、1913年 <大正2年> 1月1日 - 1989年 <平成元年> 3月31日)は、日本の経営者。日本セメント社長、会長を務めた。東京都出身。位階は正四位。 1936年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に浅野セメント(のちの日本セメント)に入社。1964年12月に取締役に就任し、1969年12月に常務、1972年12月に専務を経て、1974年12月には社長に就任。1982年7月には会長に就任。 1986年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年3月31日脳出血のために死去。76歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
堤 清(つつみ きよし、1913年(大正2年) - 没年不明… 堤 清(つつみ きよし、1913年(大正2年) - 没年不明)は日本の実業家。父は実業家・政治家の堤康次郎。 1913年、当時早稲田大学の学生であった堤康次郎(後の西武グループ創業者)の長男として生まれる。母は、当時康次郎が経営していた日本橋蛎殻町の三等郵便局に勤務していた事務員・岩崎ソノで、康次郎とソノは未入籍であった。 父・康次郎は清を自らの後継者として育てようとしていたが、清は東京帝国大学卒業後に母・ソノの不用意な発言を理由に、廃嫡とされる。廃嫡後、近江鉄道の社長に就任するも一族のもとから去り、その後の経歴については不明な点が多い。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大原 栄一(おおはら えいいち、1912年12月2日 - 1… 大原 栄一(おおはら えいいち、1912年12月2日 - 1998年3月9日)は日本の実業家。富士重工業元社長・元会長。広島県沼隈郡沼隈町田島(現福山市)出身。満州安東育ち。 旧制広島高校を経て1936年東京帝国大学経済学部卒業後、日本興業銀行入社。1957年復興金融金庫に出向、1950年興銀復帰後、1962年取締役常務。1963年富士重工業副社長に転じ、1970年同社社長に就任。三菱重工業、いすゞ自動車との提携破棄、日産自動車との提携強化などを進め自動車業界再編の台風の目となった。この間、スバル1000などの名車を世に出した。1978年会長となり、1985年から名誉会長。1998年3月9日死去。
勝田 正之(しょうだ まさゆき、1912年11月2日 - 1… 勝田 正之(しょうだ まさゆき、1912年11月2日 - 1991年10月20日)は、日本の実業家である。東京府で生まれ、日本電子計算で社長を務めた。 父の久貫(ひさつら)は陸軍大佐で、1982年3月13日に103歳で他界した。弟の恭行は、東大工学部機械工学科卒業後三菱商事で勤務し、安倍源基の三女と結婚した。 大蔵大臣勝田主計は、父の兄で伯父である。日本債券信用銀行頭取勝田龍夫は、主計の四男で正之の従兄である。テレビ朝日アナウンサー勝田和宏は、主計の曾孫で龍夫の甥である。 正之の配偶者寿々子は、三菱財閥岩崎弥太郎の三男である岩崎康弥と、慶應義塾医学所初代校長松山棟庵の四女である松山とし夫妻の四女である。
吉澤 洸(よしざわ たけし、1912年10月26日 - 19… 吉澤 洸(よしざわ たけし、1912年10月26日 - 1997年12月8日)は、日本の経営者。NTN社長、会長を務めた。 東京都出身。1936年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年4月に日本銀行に入行。1967年4月に理事に就任し、同年5月に大阪支店長を経て、1971年4月から1977年4月までに東京銀行顧問を務めた。1975年5月にエヌ・テー・エヌ東洋ベアリング(のちのNTN)監査役に就任し、1977年6月に会長を経て、1978年6月には社長に就任。1987年1月には再び会長に就任し、1989年6月には相談役に就任。 1987年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1997年12月8日急性心筋梗塞のために死去。
田鍋 健(たなべ まさる 1912年 <大正元年> 10月2… 田鍋 健(たなべ まさる 1912年 <大正元年> 10月21日 - 1993年 <平成5年> 8月2日)は、日本の実業家。積水ハウス元会長・社長。 大阪府大阪市出身。東京帝国大学卒業後、1936年に日本窒素肥料株式会社入社。1950年、新日本窒素肥料株式会社(現・チッソ株式会社)熊本営業所長。戦後、積水化学工業株式会社に入社。1955年に同取締役、1957年に同専務取締役就任。1963年に積水ハウス代表取締役社長に就任。累積赤字のふくらんだ同社を合理化と近代化で再建、プレハブ業界トップに育て上げた。1992年同会長就任。1977年 藍綬褒章受章。1984年勲二等瑞宝章 (現 瑞宝重光章)受章。
足立 護(あだち まもる、1912年10月20日 - 199… 足立 護(あだち まもる、1912年10月20日 - 1993年10月21日)は、日本の経営者。川崎汽船社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1937年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に川崎汽船に入社。 1958年5月に取締役に就任し、1961年6月に常務、1964年11月に監査役、1966年11月に再び取締役、1968年5月に専務を経て、1969年5月に副社長に就任し、1970年5月には社長に昇格。1976年5月に相談役に就任。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲二等瑞宝章を受章。。 1993年10月21日心不全のために死去。81歳没。
松下 正治(まつした まさはる、英語:Masaharu Ma… 松下 正治(まつした まさはる、英語:Masaharu Matsushita, 1912年9月17日 - 2012年7月16日)は、日本の実業家。パナソニック(旧・松下電器産業)の代表取締役社長、代表取締役会長、取締役相談役名誉会長を歴任した。位階は従三位。松下幸之助の娘婿。東京府出身。2018年現在、同社の歴代社長8人の中で唯一、関西以外の出身者(他は全て最終学歴まで関西育ち)である。
倉林 育四郎(くらばやし いくしろう、1912年8月14日 … 倉林 育四郎(くらばやし いくしろう、1912年8月14日 - 没年不明 )は、日本の経営者。武田薬品工業社長を務めた。 埼玉県児玉郡児玉町出身。1937年に東京帝国大学医学部薬学科を卒業し、同年に武田薬品工業に入社。1966年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1981年6月には社長に昇格した。武田一族以外では初の社長で、米国への工場進出などの国際化の推進とバイオテクノロジーの研究開発に力を入れた。1986年6月から相談役を務めた。 日本化学工業協会常務理事、関西化学工業協会常任理事、経済団体連合会評議員、関西経済連合会常任理事なども歴任した。 1986年4月には勲二等瑞宝章を受章した。
小野 豊明(おの とよあき、1912年7月29日 - 没年不… 小野 豊明(おの とよあき、1912年7月29日 - 没年不詳)は、日本の実業家、経営学者。 現在の愛媛県新居浜市出身。1936年東京帝国大学法学部法律・政治学科卒。79年「日本企業の組織戦略」で上智大学経済学博士。38年王子製紙入社。49年十条製紙総務部副部長、総務部長、管理部長、小倉工場長、人事室長、取締役、十条キンバリー取締役兼任、常務取締役、フィンレーフォレスト・インダストリーズ取締役兼任、1973年上智大学経済学部経営学科教授。77年経済学部長、1979年産業能率大学経営情報学部教授。カトリック教徒。妻は山路一善の次女。
高木 養根(たかぎ やすもと、1912年7月7日 - 199… 高木 養根(たかぎ やすもと、1912年7月7日 - 1999年1月9日)は、日本の実業家。元日本航空社長。広島県福山市生まれ、岐阜県高山市育ち。 府立四中、一高を経て、1933年京都帝国大学文学部に入学。同年の文部省による滝川幸辰法学部教授の処分(滝川事件)に反対、古谷綱正・花田清輝(のちの文芸評論家)らとともに大学自治を擁護する文学部の運動の中心として活動したが、学内で配ったビラの文面が治安維持法違反に問われ2ヵ月で大学中退を余儀なくされた。1年間の拘置生活の後1935年、東京帝国大学法学部に再入学した。 1940年に大学を卒業し大日本航空に入社したが終戦により解散。1951年、航空活動の再開を見越して設立された日本航空に入社した。
勝本 信之助(かつもと しんのすけ、1912年6月17日 -… 勝本 信之助(かつもと しんのすけ、1912年6月17日 - 1987年12月2日)は、日本の経営者。東京都出身。 1937年に東京帝国大学経済学部を卒業し、ゴム統制会、ブリヂストンでの勤務を経て、1954年に日本合成ゴム(現在のJSR)に入社。1962年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1971年5月に副社長に就任し、1975年5月には社長に昇格。1982年6月には会長に就任。 1987年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1987年12月2日肺炎のために死去。75歳没。
薦田 国雄(こもだ くにお、1912年4月15日 - 19… 薦田 国雄(こもだ くにお、1912年4月15日 - 1997年10月2日)は、日本の経営者。 香川県三豊郡豊浜町出身。1936年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に東邦ガスに入社。1962年8月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1975年3月に社長に就任し、1984年6月には会長に就任。テレビ愛知監査役、中部日本放送取締役、東海旅客鉄道取締役なども歴任。 1973年10月に藍綬褒章を受章し、1986年5月に勲二等旭日重光章を受章。 1997年10月2日急性心不全のために死去。85歳没。
正宗 猪早夫(まさむね いさお、1912年3月30日 - 1… 正宗 猪早夫(まさむね いさお、1912年3月30日 - 1999年9月28日 )は、日本の経営者。日本興業銀行頭取を務めた。 東京都出身。正宗得三郎の長男として生まれ、父が美術教師をしていた成城学園に進学、小原國芳から教え子の中で最も優れた俊才の一人と言われた1933年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行した。日本開発銀行への出向を経て、1957年5月に取締役に就任し、常務を経て、1964年11月に副頭取に就任し、1968年5月には頭取に昇格した。1975年5月に会長に就任し、1984年6月に取締役相談役を経て、1985年6月から相談役を務めた。日本たばこ産業相談役、日本生命保険取締役なども歴任。
石野 信一(いしの しんいち、1912年3月13日 - 19… 石野 信一(いしの しんいち、1912年3月13日 - 1996年1月19日)は、日本の大蔵官僚、実業家。第8代大蔵事務次官、さくら銀行名誉会長。文芸評論家の村上一郎は従兄弟。 神戸三中、大阪高校を経て、1935年、東京帝国大学法学部政治学科卒業後、大蔵省入省。主計局配属。理財局総務課長、大臣官房調査部長、理財局次長の後、1957年6月11日に俗に「森 - 石 ライン」と呼ばれることとなった森永貞一郎の下で官房長を務め、1959年に銀行局長、1961年に主計局長を経て、1963年に大蔵事務次官に就任、池田勇人首相の高度経済成長政策のブレーンとして活躍した。熟慮断行タイプとして知られ、大臣官房財務調査官(大臣官房調査課担当)だった1954年度予算編成では緊縮型予算を主張し貫徹した話は伝説になっている。
菊地 庄次郎(きくち しょうじろう、1912年 <明治45年… 菊地 庄次郎(きくち しょうじろう、1912年 <明治45年> 3月1日 - 1984年 <昭和59年> 8月31日)は、日本の経営者。日本郵船社長、会長を務めた。位階は従三位。 宮城県仙台市出身。1934年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本郵船に入社。1959年に取締役に就任し、1961年に常務、1965年に専務を経て、1967年に副社長に就任し、1971年には社長に昇格した。1978年6月に会長に就任。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1982年4月に勲二等旭日重光章を受章。 1984年8月31日肝不全のために死去。72歳没。死没日付をもって従三位に叙された。
庄司 保親(しょうじ やすちか、明治45年(1912年)3月… 庄司 保親(しょうじ やすちか、明治45年(1912年)3月1日 - 没年不明)は日本の実業家、政治家。元合資会社第弐商会代表社員社長。元鳥取県西伯郡渡村会議員。 女優・司葉子はいとこ。 明治45年(1912年)3月1日、鳥取県西伯郡渡村(現境港市渡町)に庄司廉の長男として生まれる。 昭和11年(1936年)東京帝国大学経済学部卒業。 昭和17年(1942年)鳥取県石炭統制(株)常務取締役。昭和21年(1946年)鳥取地方裁判所調停委員(~1980年)。昭和26年(1951年)合資会社第弐商会代表社員社長。昭和35年(1960年)協和地下工業(株)代表取締役社長。 昭和36年(1961年)鳥取県教育委員(~1969年)昭和37年(1962年)(株)博愛病院取締役社長。
福田 久男(ふくだ ひさお、1912年3月1日 - 1998… 福田 久男(ふくだ ひさお、1912年3月1日 - 1998年5月9日)は、日本の経営者。中央信託銀行社長を務めた。福岡県築上郡吉富町出身。 1936年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に大蔵省に入省。1962年5月に中央信託銀行専務に就任し、1968年11月に副社長を経て、1970年12月に社長に就任。1979年12月に会長に就任し、1983年12月に取締役相談役を経て、1987年3月には相談役に就任。 1982年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1998年5月9日に急性腎不全のために死去。86歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
横山 正克(よこやま まさかつ、1912年〈明治45年〉2月… 横山 正克(よこやま まさかつ、1912年〈明治45年〉2月4日 - 没年不詳)は日本の実業家。島根県安来市出身。 政治家の亀井久興の父親亀井茲建とは中学の同窓、高等学校で同級生だった。また亀井久興の後援会「明るい日本をつくる会」の会長を務めた。また、娘・陽子は亀井久興の妻となった。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
安西 正道(あんざい まさみち、1912年 <大正15年> … 安西 正道(あんざい まさみち、1912年 <大正15年> 2月3日 - 1990年 <平成2年> 9月10日)は、日本の官僚、実業家。元全日本空輸社長。千葉県出身。位階は従三位。
小出 栄一(こいで えいいち、1912年1月23日 - 19… 小出 栄一(こいで えいいち、1912年1月23日 - 1979年5月3日)は、日本の官僚、経営者。共同石油社長を務めた。 福岡県出身。1935年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に商工省に入省。 1958年5月に通商産業省重工業局長を経て、1960年5月から1962年7月までに経済企画事務次官を務めた。1962年9月に九州電力顧問に就任し、1963年5月に常務、1972年5月に副社長を経て、1974年6月には共同石油社長に就任。 1979年5月3日、腹膜炎のために在任中に死去。67歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
吉山 博吉(よしやま ひろきち、1911年(明治44年)12… 吉山 博吉(よしやま ひろきち、1911年(明治44年)12月1日 - 2007年(平成19年)5月2日)は、日本の実業家、第4代日立製作所社長・会長、電気学会会長、環太平洋産業連関分析学会設立発起人等を歴任した。 山口県萩市に生まれた。旧制第一高等学校から東京帝国大学工学部電気工学科に進み、1935年(昭和10年)大学卒業と同時に日立製作所に入社した。入社後は主として重電畑を歩み、1952年(昭和27年)電機事業部技術部長となり、1961年(昭和36年)11月取締役、1964年(昭和39年)11月常務、1968年(昭和43年)5月専務、1969年(昭和44年)11月副社長などを経て1971年(昭和46年)11月社長に就任、1981年(昭和56年)6月に社長退任、会長に就任、1987年(昭和62年)6月に会長退任。
田中 忠雄(たなか ただお 1911年11月20日 - 19… 田中 忠雄(たなか ただお 1911年11月20日 - 1983年10月19日)は、日本の実業家。元日本電気(NEC)社長。秋田県出身。 旧制埼玉県立浦和中学校、旧制浦和高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 1976年6月、小林宏治の後任として日本電気社長に就任。コンピュータトレーニングキットTK-80が発売されたのは、田中の社長就任直後の1976年8月であった。1980年、関本忠弘に譲る形で社長を退任した。1983年10月19日、死去。71歳没。 学生時代はバレーボール部に所属。日本電気女子バレーボール部(現・NECレッドロケッツ川崎)は、田中が社長在任中だった1978年にヤシカバレーボール部からの移籍という形で創部された。
杉浦 敏介(すぎうら びんすけ、1911年11月13日 - … 杉浦 敏介(すぎうら びんすけ、1911年11月13日 - 2006年1月27日)は、日本の実業家。元日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)頭取。日韓経済協会第三代目会長。 東京市下谷区に杉浦倹一・とし夫妻の次男として生まれる。杉浦家は江戸時代、幕臣であった。東京高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業後の1935年、日本勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行。日本勧業銀行の権力闘争に敗れた濱口巌根とともに、1952年に設立された長銀創立に参加。専務、副頭取を経て1971年5月から1978年6月まで頭取。その後は会長、相談役最高顧問などを務めた。 会長時代も含め20年近くも経営トップの座に君臨し、「長銀中興の祖」、「長銀のドン」と呼ばれた。
青木 周吉(あおき しゅうきち、1911年10月14日 - … 青木 周吉(あおき しゅうきち、1911年10月14日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。東京都出身。 1934年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年4月に日本興業銀行に入行。1958年11月に取締役に就任し、1961年11月に常務を経て、1966年11月に東洋曹達工業(現在の東ソー)副社長に就任し、1968年11月には社長に昇格した。1979年6月から会長を務めた。 1981年7月1日心不全のために死去。69歳没。
朝田 静夫(あさだ しずお、1911年10月13日 - 19… 朝田 静夫(あさだ しずお、1911年10月13日 - 1996年11月8日)は、元運輸事務次官および元日本航空社長。大阪府大阪市出身。丸紅社長の朝田照男は長男。 朝田栄治郎・玉夫妻の次男として生まれる。妻の久子は東洋綿花(現・トーメン)元代表取締役・田中彦三郎の長女。弟の朝田能雄は京都大学卒業後、三和銀行本店総務部長を経て、トーヨー・アド取締役社長を務めた。 生野中学、旧制浪速高校を経て、東京帝国大学法学部を卒業し、逓信省(総務省、日本郵政の前身)に入省。本所郵便局に配属。戦後の省庁再編で運輸省に移り、官房長、海運局長を経て、事務方トップの事務次官に就任。海運業界再編などを手掛けた。 退官後、政府の特殊会社だった日本航空に取締役として入社(天下り)、専務、副社長を経て、1971年社長に就任。
建部 仁彦(たけべ まさひこ、1911年(明治44年)10月… 建部 仁彦(たけべ まさひこ、1911年(明治44年)10月8日 - )は日本の建設官僚、実業家。父は社会学者の建部遯吾。 新潟県中蒲原郡横越村横越出身 東京帝国大学卒 1936年 北海道庁に入庁。 1937年 大蔵省、 1942年 陸軍省、 1944年大蔵省に出向。終戦を経て、1947年 経済安定本部、1950年 建設省に出向。1962年 建設省 営繕局長に就任。1964年 住宅金融公庫 理事に就任。退官後は、1967年 三井建設㈱ 常務取締役に就任。1973年 三井建設㈱ 顧問に就任。また同時に 三井プレコン㈱ 顧問、資生堂開発㈱ 取締役を兼務。 建設省営繕局長時代、1964年東京オリンピック開催に向けて国立代々木競技場の建設に係る当時の参議院オリンピック準備促進特別委員会の議場において政府委員として出席答弁した。
安浪 栄基(やすなみ えいき、1911年10月8日 - 19… 安浪 栄基(やすなみ えいき、1911年10月8日 - 1994年9月7日)は、日本の経営者。福岡放送社長を務めた。熊本県出身。 1935年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に九州水力電気(のちの九州電力)に入社した。1966年に取締役に就任し、1969年には福岡放送に転じ、専務に就任し、1974年には社長に昇格。1987年に取締役相談役に就任し、1991年から相談役に就任した。 1994年9月7日胃癌のために死去。82歳没。
植谷 久三(うえたに ひさみつ、1911年9月10日 - 2… 植谷 久三(うえたに ひさみつ、1911年9月10日 - 2004年11月26日)は、日本の経営者。山一證券社長、会長を務めた。三重県出身。 1935年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に山一證券に入社。 1954年に取締役に就任し、1958年に常務、1966年9月に専務を経て、1968年11月に副社長に就任し、1972年5月には社長に昇格。1980年12月に会長に就任し、1987年4月に取締役相談役に就任。 1977年10月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2004年11月26日老衰のために死去。93歳没。
岡 一雄(おか かずお、1911年9月5日 - 1986年8… 岡 一雄(おか かずお、1911年9月5日 - 1986年8月28日)は、日本の経営者、銀行家。足利銀行社長を務めた。島根県平田市出身。 1933年に高等文官試験行政科に合格し、1934年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。 1958年に中小企業金融公庫理事を経て、1960年11月に足利銀行常務に就任し、1961年11月に専務、1972年5月に副頭取を経て、1974年4月には社長に就任。1978年6月から1982年6月までに特別顧問を務めた。 1981年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 1986年8月28日脳梗塞のために死去。74歳没。
田所 太郎(たどころ たろう、1911年8月6日 - 197… 田所 太郎(たどころ たろう、1911年8月6日 - 1975年6月6日)は日本の編集者、新聞経営者。『図書新聞』の創刊者として、その名を知られる。 1911年、東京都に生まれる。京華商業学校から、銀行勤務を経て、旧制松江高等学校に進む。旧制高校時代、花森安治と出会い、校友会雑誌を編集する。花森とは生涯の親友であった。 東京帝国大学に入学し、同じく東京帝国大学に進んだ花森とともに、当時6万部を発行していた「帝国大学新聞」(東京大学の学生新聞「東京大学新聞」の前身)の編集に携わる。当時の編集部員には、他に田宮虎彦、扇谷正造、岡倉古志郎、杉浦明平などがいた。 東京帝国大学仏文科を卒業後、三省堂宣伝部、文部省社会教育局映画課を経て、昭和16年、日本出版文化協会にはいり、機関紙「日本読書新聞」の編集長として書評新聞のスタイルをつくる。
山本 林(やまもと りん、1911年8月3日 - 1995年… 山本 林(やまもと りん、1911年8月3日 - 1995年9月15日)は、日本の経営者。安田倉庫社長を務めた。 愛知県出身。1936年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に富士銀行に入行。1963年5月に取締役に就任し、1965年11月に安田倉庫副社長を経て、1966年7月には社長に就任。1976年1月には相談役に退いた。 1995年9月15日、肺炎のために在任時に死去。84歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
色部 義明(いろべ よしあき、1911年7月18日 - 20… 色部 義明(いろべ よしあき、1911年7月18日 - 2001年8月12日)は、日本の経営者。協和銀行頭取を務めた。東京都出身。 1936年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本銀行に入行。 1966年5月に協和銀行に転じ、1971年5月に頭取に就任し、1980年9月には会長に就任した。1986年9月に相談役を経て、1998年4月から名誉顧問を務めた。 また頭取在任時に安宅産業破綻処理に立ち向かう事となった。 また、1981年から死去するまで全日本学生囲碁連盟会長をつとめた。1986年7月から1987年12月までに日本棋院理事長を務めた。1986年、日本棋院から大倉賞を受賞する。 2001年8月12日気管支喘息のために東京都三鷹市の病院で死去。
権田 次良(ごんだ じろう、1911年6月15日 - 197… 権田 次良(ごんだ じろう、1911年6月15日 - 1973年4月21日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長を務めた。 愛知県常滑市出身。1935年に東京帝国大学法学部法科を卒業。 三井物産での勤務を経て、1947年に三井船舶に転じ、1960年5月に取締役、1962年10月に常務、1970年5月に副社長を経て、1972年5月に社長に就任 1973年4月21日、胃癌のために死去。61歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
今井 栄文(いまい よしふみ、1911年4月16日 - 19… 今井 栄文(いまい よしふみ、1911年4月16日 - 1984年11月19日)は、日本の経営者。山梨県出身。 1937年に高文行政科に合格し、逓信省に入省し、1938年に東京帝国大学法科を卒業。1960年7月に運輸省航空局長、1963年6月に運輸大臣官房長を経て、1964年2月から1965年6月までに海上保安庁長官を務めた。1965年6月に新東京国際空港公団副総裁に就任し、1967年10月から1974年7月までに総裁を務めた。 1981年に勲二等旭日重光章を受章。 1984年11月19日腎不全のために死去。73歳没。
横田 信夫(よこた のぶお、1911年4月13日 - 197… 横田 信夫(よこた のぶお、1911年4月13日 - 1978年1月23日)は、日本の経営者。岡山県出身。 1932年に高等試験行政科に合格し、1933年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。逓信省での勤務を経て、1950年8月に日本電信電話公社理事に就任し、1959年9月から1962年9月までに副総裁を務めた。1963年5月に富士重工業社長に就任し、1970年5月から1971年11月までに会長を務めた。NHK経営委員も務めた。妻は波子(藤岡郊二の長女)である。 1978年5月12日急性心不全のために死去。67歳没。
荒川 政司(あらかわ まさし、1911年4月11日 - 19… 荒川 政司(あらかわ まさし、1911年4月11日 - 1995年2月7日)は、日本の経営者。日野自動車社長を務めた。東京都出身。 1936年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に東京瓦斯電気工業に入社。1951年7月に日野自動車取締役に就任し、常務を経て、1969年11月に専務に就任し、1974年5月に社長に昇格。1983年6月に会長を経て、1985年6月から相談役を務めた。 1975年4月に藍綬褒章を受章し、1985年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 1995年2月7日急性肺炎のために死去。83歳没。
松谷 義範(まつたに よしのり、1911年4月3日 - 19… 松谷 義範(まつたに よしのり、1911年4月3日 - 1996年7月6日)は、日本の実業家、神学者。 山口県出身。1936年東京帝国大学文学部哲学科卒。教師、薬品メーカー勤務をへて、1948年東邦薬品を創設、社長となる。のち会長。神学の著作・翻訳も多く、演劇にも一家言を持つ。墓所は多磨霊園
加藤 僘(かとう ひろし、1911年〈明治44年〉3月21日… 加藤 僘(かとう ひろし、1911年〈明治44年〉3月21日 - 没年不明)は日本の実業家。 兄は元加藤商事社長加藤章。 鳥取県米子市出身。愛知県・豊吉の次男。父豊吉は米子にやって来て煉瓦や土管やセメント屋になり、鉄道工事建設の資材を納める仕事を始めた。 昭和10年(1935年)東大政治学科卒業、安田保善社に入り安田火災海上より昭和15年(1940年)住友金属工業に転じ燃料資材各課長、製鋼所業務部長、航空機器事業部営業部長、参与、調査役を経て昭和34年(1959年)9月住友鋼材工業監査役、11月大阪チタニウム製造取締役営業部長。 其間小倉汽船・尼崎製氷冷蔵各取締役、柏原機械製作所・日東産業・大塚鉄工所・三和金属各監査役を歴任。
志岐 義郎(しき よしろう、1911年3月19日 - 197… 志岐 義郎(しき よしろう、1911年3月19日 - 1973年6月7日)は、日本の経営者。三菱瓦斯化学社長を務めた。 福岡県出身。1931年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。 三菱製紙での勤務を経て、1945年に江戸川化学工業に転じ、1951年に取締役、1956年6月に常務、1966年に専務を経て、1964年には社長に就任し、1971年10月に三菱瓦斯化学社長に就任。 1969年4月に藍綬褒章を受章。 1973年6月7日、心筋梗塞のために死去。62歳没。墓所は鎌倉市の鎌倉霊園。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
榊原 政春(さかきばら まさはる、1911年(明治44年)3… 榊原 政春(さかきばら まさはる、1911年(明治44年)3月15日 - 2002年(平成14年)12月11日)は、昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。 後に子爵・榊原政敬の養子となる榊原政和の二男として生まれる。父の死去に伴い、1927年(昭和2年)3月1日、子爵を襲爵した。 1935年(昭和10年)東京帝国大学法学部を卒業。その後、同学部研究室で国際政治学を研究。1936年、台湾拓殖に入社。1938年(昭和13年)に召集され野砲兵第1連隊に入隊。1940年(昭和15年)陸軍少尉に任官し、1941年(昭和16年)南方軍司令部付となり、1942年(昭和17年)陸軍中尉に昇進。南方軍では、報道部、軍政部員として勤務し、日本陸軍占領地をくまなく視察した。
山口 義夫(やまぐち よしお、1911年2月25日 - 20… 山口 義夫(やまぐち よしお、1911年2月25日 - 2005年8月29日)は、日本の経営者。日立運輸東京モノレール社長、会長を務めた。秋田県出身。 1935年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に日立製作所に入社。1965年11月に理事に就任し、1969年5月に日立運輸東京モノレール副社長に就任し、1970年5月には社長に昇格。1980年6月に相談役、1990年6月に特別顧問を経て、1995年6月には名誉相談役に就任。 1980年6月に運輸大臣表彰を受け、1981年11月に勲四等瑞宝章を受章。 2005年8月29日、急性肺炎のために死去。94歳没。