清水 達雄(しみず たつお、1934年(昭和9年)5月21日… 清水 達雄(しみず たつお、1934年(昭和9年)5月21日 - 2011年(平成23年)6月6日)は、日本の官僚・政治家、元参議院議員。位階は正四位。勲等は旭日重光章。 1957年、東京大学農学部農業経済学科卒。同年、建設省入省。 1957年、建設省九州地方建設局企画部計画検査課 1964年、経済企画庁総合計画局計画官付専門調査員 1967年、鳥取県企画室参事 1970年、鳥取県土木部次長 1972年、経済企画庁総合計画局計画官 1974年、建設省北陸地方建設局総務部長 1975年、建設省計画局不動産業課長 1978年、建設省計画局宅地開発課長 1979年、建設省住宅局住宅総務課長 1980年、建設大臣官房政務課長 1982年、建設大臣官房審議官 1983年、建設省建設経済局長 1984年、国土庁長官官房長 1986年、国土事務次官 1989年、国土庁退官 1990年、地域復興整備公団副総裁に就任。
森田 一(もりた はじめ、1934年〈昭和9年〉5月17日-… 森田 一(もりた はじめ、1934年〈昭和9年〉5月17日- )は、日本の政治家、官僚。 運輸大臣(第77代)、北海道開発庁長官(第71代)、衆議院議員(8期)を歴任。香川県坂出市出身。 香川県坂出市出身。父は内科の開業医で、森田は3人兄弟の長男であった。地元の坂出高校に入学したが、大学受験を考慮し、香川県内では最難関の進学校である高松高校へ転校した。 森田は東京大学理科二類に入学し、法学部に進んだ。 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後の1957年大蔵省に入省(官房文書課配属)。東海財務局、アジア経済研究所出向(1960年-1961年メルボルン大学留学)、外相秘書官、国際金融局課長補佐、主計局主計官補佐、銀行局保険第二課長、理財局資金第二課長などを歴任。
内海 孚(うつみ まこと、1934年(昭和9年)5月17日 … 内海 孚(うつみ まこと、1934年(昭和9年)5月17日 - )は、東京都中央区出身の元大蔵(財務)官僚。現在は、東海東京フィナンシャル・ホールディングス株式会社 グローバル・アドバイザリー・ボード議長、公益財団法人東芝国際交流財団理事などを務める。
塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年… 塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年9月20日)は、日本の造園家、建設(都市計画)官僚、政治家である。位階は正五位勲四等、勲章は旭日小綬章。衆議院議員(1期)。日本造園学会常務理事、日本都市計画学会評議員。 長野県北安曇郡池田町生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京大学農学部入学。1959年(昭和34年)、 大学卒業とともに建設省入省(同期に望月薫雄元建設事務次官)。計画施設課、大阪府土木部、総理府近畿圏整備本部、首都圏整備委員会を経て、1981年(昭和56年)に建設省公園緑地課長を務め、1982年(昭和57年)8月、退官。公園緑地課長の時に、国営アルプスあづみの公園を考案したほか、東京大学・明治大学で講師を務めた。
安原 正(やすはら ただし、1934年(昭和9年)4月3日 … 安原 正(やすはら ただし、1934年(昭和9年)4月3日 - 2015年(平成27年)10月14日)は、日本の大蔵官僚。元環境事務次官。 大蔵省入省後、大臣官房審議官、銀行局検査部長、理財局次長を経て環境庁に転じ、長官官房長、企画調整局長を経て1990年(平成2年)環境事務次官。 退官後は農林漁業金融公庫副総裁や山種証券会長等を務めた。 2015年10月14日に心不全のため死去。81歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
和久田 康雄(わくだ やすお、1934年3月1日 - 201… 和久田 康雄(わくだ やすお、1934年3月1日 - 2017年4月13日)は、日本の鉄道研究家、元官僚。栃木県生まれ。 父親の転勤とともに東京、仙台、広島に移り住む。1957年東京大学法学部卒。在学中に東大鉄道研究会を組織。1984年まで運輸省に勤務。本省の他、福岡陸運局、仙台陸運局等に勤め、その後、2003年まで交通関係の団体に勤務。日本民営鉄道協会常務理事、日本鉄道建設公団理事、JTBトラベルカレッジ校長などを務める。日本交通学会、鉄道史学会、赤門鉄路クラブの各会員。「鉄道ピクトリアル」編集委員を務めた。私鉄を研究対象とした。2017年に死去。83歳没。
千野 忠男(ちの ただお、1934年1月21日 - 2008… 千野 忠男(ちの ただお、1934年1月21日 - 2008年7月17日)は、静岡県藤枝市出身の大蔵(財務)官僚。血液型はO型。国際金融局長、財務官、アジア開発銀行総裁などを歴任。正四位瑞宝重光章。 ざっくばらんで竹を割ったような性格。主計局主計官補佐時代には農林係主査を5年間務め、省内きっての農政通とされていた。 事務次官候補として主計官補佐(主査)、主計局総務課企画官、主計官、大臣官房文書課長、近畿財務局長を経験していたが、大学時代にスタンフォード大学に長期間留学していたため、他の同期より年齢が上で、主計局長→事務次官の順番待ちの最中に定年の壁に引っかかるため、同期の篠沢を主計コースとし、千野は財務官となる国際金融コースへと変更となった。
服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2… 服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2004年1月3日)は運輸官僚。岡山県新見市出身。 国鉄職員の父親の家庭で育つ。1955年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。 1976年に運輸省を舞台としたロッキード事件が発覚し、運輸省でマスコミ対策のために1977年に大臣官房広報室長に抜擢され、渉外力で頭角をあらわす。1981年から1982年にかけて航空局参事官や官房審議官として成田空港問題を担当。 その後、航空局参事官、地域交通局長、官房長を経て1987年6月から運輸事務次官に就任。次官時代に10年以上も棚上げになっていた整備新幹線を軌道に乗せた。1989年6月に運輸事務次官を退官。
河合 修治(かわい しゅうじ、1934年(昭和9年) - )… 河合 修治(かわい しゅうじ、1934年(昭和9年) - )は、元官僚、犯罪研究者、翻訳家。 愛知県豊橋市生まれ。1956年(昭和31年)東京大学法学部卒。自治省に勤め、行政局など。欧米犯罪事件の翻訳、紹介を多く行っている。
長富 祐一郎(ながとみ ゆういちろう、1934年 - 201… 長富 祐一郎(ながとみ ゆういちろう、1934年 - 2013年1月24日)は、兵庫県出身の大蔵官僚。元関税局長。岳父は清宮博(富士通社長)。叙正四位。
柿澤 弘治(かきざわ こうじ、1933年〈昭和8年〉11月2… 柿澤 弘治(かきざわ こうじ、1933年〈昭和8年〉11月26日 - 2009年〈平成21年〉1月27日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)、外務大臣(第117代)、自由党党首、自由連合代表を歴任。長男は元衆議院議員の柿沢未途。 東京府東京市日本橋区小伝馬町(現東京都中央区日本橋小伝馬町)に柿澤常次郎の子として生まれる。生家は江戸時代創業の葛籠屋「柿澤常次郎商店」。東京都立両国高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1958年、大蔵省(現財務省)に入省。本省勤務の他、外務省や経済企画庁への出向やフランス、ベルギーでの海外勤務を経験し、ベルギーに赴任中には長男の未途が誕生した。
甕 滋(もたい しげる、1933年10月20日 - )は日本… 甕 滋(もたい しげる、1933年10月20日 - )は日本の農水官僚。林野庁次長、大臣官房長、食糧庁長官、林野庁長官、農林水産事務次官、農林漁業信用基金理事長、地方競馬全国協会会長、農林水産技術会議会長などを歴任。血液型はA型。 長野県安曇野市出身。長野県上田高等学校、東京大学法学部卒業。日本政治史を専門とする岡義武のゼミで学ぶ。東大時代の同期に内海孚らがいた。自分にとって一番性に合うのは農林省だと考え、1957年に同省に入省。配属先は農政局総務課。1975年5月 畜産局食肉鶏卵課長。1978年7月 農林水産省畜産局食肉鶏卵課長。同年8月 大臣官房参事官。1979年8月 畜産局畜政課長。1981年7月 大臣官房秘書課長。
神馬常郎(じんま つねお、1933年9月27日 - )は日本… 神馬常郎(じんま つねお、1933年9月27日 - )は日本の大蔵官僚。東京税関長、国土庁計画・調整局次長、明光証券経済研究所会長などを務めた。 埼玉県出身。東京都立小山台高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1956年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1957年5月 大臣官房秘書課調査係長心得。1960年7月 主計局総務課企画係長。1962年7月 主計局調査課計画係長。1963年7月 四日市税務署長。この後は富山県に出向。1981年6月 東京税関長。1982年6月 国土庁計画・調整局次長。1983年9月 退官。地域振興整備公団理事。1988年7月 明光証券顧問。1989年 明光証券特別顧問。
浜口 義曠(はまぐち よしひろ、1933年9月2日 - 20… 浜口 義曠(はまぐち よしひろ、1933年9月2日 - 2021年8月31日)は、日本の農林水産官僚。元大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官。コメ行政に携わり、ウルグアイ・ラウンドにおける交渉にはコメ開放に反対する立場で取り組んだ。退官後は日本中央競馬会理事長などを務めた。長崎県出身。東京大学法学部卒業。 1933年、長崎県長崎市生まれ。終戦まで中華人民共和国の上海市で育つ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業後、農林省(現:農林水産省)入省。入省同期には浜口の後任として事務次官を務めることとなる京谷昭夫がいる。 経済局金融課長、大臣官房総務課長、大臣官房秘書課長、農蚕園芸局長、大臣官房長などを経て、1989年食糧庁長官に就任し、コメ行政に中心人物として携わった。
貝原 俊民(かいはら としたみ、1933年8月24日 - 2… 貝原 俊民(かいはら としたみ、1933年8月24日 - 2014年11月13日)は、日本の自治官僚、政治家。位階は従三位。第5代兵庫県知事(在任:1986年11月24日 - 2001年7月31日、4期)。 佐賀県武雄市に生まれる。佐賀県立武雄高等学校、東京都立北園高等学校を経て、東京大学法学部卒業後に旧自治省へ入省。1970年、兵庫県に総務部地方課長として出向して財政課長、農林部長、総務部長などを歴任、1980年から副知事を務める。1986年には知事となり4期15年を務めたが、任期を1年残した2001年に、辞任した。防災士を育成する特定非営利活動法人日本防災士機構会長を経て同機構顧問に就任。 2007年4月29日の春の叙勲で、旭日大綬章を受章する。
山崎 高司(やまざき こうじ、1933年8月10日 - )は… 山崎 高司(やまざき こうじ、1933年8月10日 - )は、日本の大蔵官僚。国際通貨基金(IMF)理事、日本総合研究所副理事長などを務めた。 東京府出身。成城中学校・高等学校から東京大学に入学。同大学法学部を卒業し、1957年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1959年9月からエジンバラ大学で財政学を学び、博士号を修得した。1964年7月 小石川税務署長。 1977年6月 近畿財務局総務部長。1978年6月26日 理財局国庫課長。1980年6月25日 関税局国際第一課長。 1981年5月20日 外務省在英国大使館公使。1984年6月29日 大臣官房審議官(関税局担当)。1986年6月30日 大臣官房付。
林 淳司(はやし じゅんじ、1933年8月4日 - 2000… 林 淳司(はやし じゅんじ、1933年8月4日 - 2000年3月21日)は運輸官僚。元運輸事務次官、元川崎重工業副会長。鳥取県出身。 1957年に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業し、同年に運輸省入省。1979年、大臣官房文書課長。1987年4月、大臣官房国有鉄道改革推進総括審議官。同年10月、航空局長。1989年6月、運輸事務次官。2000年3月21日、呼吸不全のため慶應義塾大学病院で死去。66歳没。
小田原定(おだわら さだむ、1933年8月 - 1985年1… 小田原定(おだわら さだむ、1933年8月 - 1985年10月29日)は、日本の大蔵官僚。 鹿児島県出身。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1957年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1962年6月 主計局地方財政第二係長。1964年5月 岐阜南税務署長。その後は防衛庁経理局会計課予算担当課員、国税庁直税部法人税課長補佐などを務める。1969年8月 主計局主計官補佐(司法・警察係主査)。1977年6月27日 防衛庁経理局会計課長。1981年6月26日 関税局総務課長。1982年6月1日 神戸税関長。1983年6月7日 大臣官房審議官(関税局担当)。1984年6月27日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。
山口健治(やまぐち けんじ、1933年7月19日 - )は、… 山口健治(やまぐち けんじ、1933年7月19日 - )は、日本の大蔵官僚。国際復興開発銀行や国際金融公社日本政府代表理事などを務めた。 山形県上山市出身。東京大学経済学部在学中に国家公務員上級試験を合格。東大経済学部を卒業し、1956年 大蔵省入省(主計局法規課)。予算法規から始まり、大臣官房調査企画課調査主任などを経て、1962年4月 主税局調査課。同年6月1日 同局同課の廃止に伴い、同局総務課総務係長となる。物価調整減税の企画立案に当たった。1963年7月1日 石狩税務署長。 1964年7月 国税庁直税部法人税課長補佐。その後は自治省行政課長補佐、総理府人事局参事官などに就く。 1979年7月10日 理財局国有財産総括課長。
中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1933年7月8日 - … 中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1933年7月8日 - )は、日本の文部官僚、侍従。 新潟県佐渡島生まれ。1958年東京大学文学部哲学科卒業、文部省入省。1977年より同省内各課長、京都国立博物館次長、文化庁文化財保護部長。1986年宮内庁侍従。1989年皇太后宮職参事兼侍従。1991年国立茨城工業高等専門学校長。1997年別府大学学長・教授。2003年杉野服飾大学・同短期大学部学長・教授。2004年学校法人杉野学園理事長。 2004年4月瑞宝中綬章受章。
田中 宏尚(たなか ひろひさ、1933年6月9日 - 201… 田中 宏尚(たなか ひろひさ、1933年6月9日 - 2011年4月17日)は、日本の農林官僚。林野庁長官、水産庁長官、農林水産事務次官を務めた。北海道室蘭市出身。 1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に農林省に入省した。1978年1月に大臣官房予算課長に就任し、1983年7月に大臣官房総務審議官、1984年7月に大臣官房長、1986年9月に林野庁長官、1988年1月に水産庁長官を経て、1989年7月から1990年8月までに農林水産事務次官を務めた。 2011年4月17日敗血症で死去。77歳没。
長尾 立子(ながお りつこ、1933年5月1日 - 2026… 長尾 立子(ながお りつこ、1933年5月1日 - 2026年1月10日)は、日本の政治家、厚生官僚。法務大臣(第62代)、参議院議員(1期)、日本社会事業大学理事長を歴任。 旧制府立第五高等女学校(現在の東京都立富士高等学校・附属中学校)に入学したが、家庭の事情で転校し、1953年に東京都立江北高等学校を卒業(なお、第五高女に在籍したため、その後身である富士高校の同窓会にも在籍。新設都立富士高校第4回卒業生同窓会「よんの会」のメンバーでもある)。 一浪後、東京大学に入学し、文学部社会学科を卒業。1958年、厚生省に入省し、年金局年金課長、厚生省年金局企画課長、社会保険庁年金保険部長、厚生省児童家庭局長、厚生省社会局長などを歴任した。
津田 正(つだ ただし、1933年3月16日 - 2013年… 津田 正(つだ ただし、1933年3月16日 - 2013年6月3日)は自治官僚。 東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後に1955年に自治庁に入る。 自治省で地方債課長、企画課長、財政課長、財政担当審議官、大臣官房長、税務局長、財政局長を歴任。財政畑だが、地方自治体出向時には企画開発に携わり、千葉県で京葉臨海工業地帯の造成、香川県では瀬戸大橋プランニングに関与した。自治省財政局長時代には竹下内閣のふるさと創生事業に関わった。 1989年6月に自治事務次官に就任。1990年7月に退官した。 1990年8月から自治体国際化協会理事長を務める。1991年1月から長野オリンピック組織委員会事務総長に就任したが、1992年9月にクモ膜下出血で体調を崩したため、1993年3月に辞任している。
大堀 太千男(おおほり たちお、1933年〈昭和8年〉3月3… 大堀 太千男(おおほり たちお、1933年〈昭和8年〉3月3日 - 2016年〈平成28年〉7月7日)は、日本の官僚。警視総監、阪神高速道路公団理事長などを務めた。
杉山 弘(すぎやま ひろし、1933年〈昭和8年〉3月2日 … 杉山 弘(すぎやま ひろし、1933年〈昭和8年〉3月2日 - )は、日本の通商産業官僚。通商産業事務次官や、電源開発代表取締役社長、日本原子力発電取締役等を務めた。 東京都江戸川区に生まれる。群馬県立渋川高等学校を経て、1956年(昭和31年)東京大学法学部卒業。同年通商産業省入省。同期に尾身幸次(第6代財務大臣)、野々内隆(資源エネルギー庁長官)、川崎弘(経済企画審議官、東京電力副社長)、守屋一彦(日本化学繊維協会理事長)など。通商産業省貿易局長、通商産業省機械情報産業局長、通商産業省産業政策局長を経て、1988年から89年まで通商産業事務次官を務めた。退官後、電源開発代表取締役社長企業革新推進本部本部長・大間原子力推進本部本部長委嘱兼日本原子力発電取締役を務め、民営化に向け経営改革にあたった。
小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )… 小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )は、日本の厚生官僚。第23代社会保険庁長官。薬害エイズ事件時の厚生省薬務局長。 静岡県静岡市出身。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年、東京大学法学部卒業。同年、厚生省入省。1972年、医務局指導課長、1973年、内閣審議官、1976年、社会保険庁年金保険部計画課長、1977年、保健局企画課長、1979年7月、大臣官房会計課長、1981年8月、社会保険庁年金保険部長、1982年11月、大臣官房総務審議官、1984年8月、薬務局長、1986年6月、社会局長、1989年、社会保険庁長官、1990年6月、退任。同年同月、財団法人厚生年金事業団副理事長。
山田 隆英(やまだ たかひで、1933年2月6日 - )は、… 山田 隆英(やまだ たかひで、1933年2月6日 - )は、日本の国土交通官僚、経営者。海上保安庁長官、エアーニッポン社長・会長を務めた。 東京都出身。1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。1986年11月に航空局長に就任し、1987年10月から1989年6月までに海上保安庁長官を務めた。1989年8月に日本長期信用銀行顧問、1992年にエアーニッポン取締役を経て、1993年5月には社長に就任。1997年6月には会長に就任。 2003年11月に瑞宝重光章を受章。
佐藤 光夫(さとう みつお、1933年2月1日 - 2002… 佐藤 光夫(さとう みつお、1933年2月1日 - 2002年10月20日)は、大蔵官僚。アジア開発銀行総裁(第6代)、東京証券取引所副理事長などを歴任。 群馬県出身。渋川高校、東京大学法学部卒業後の1955年、大蔵省に入省。振り出しは大臣官房日本専売公社監理官室。 1965年ハーバード大学国際租税講座留学、1970年から1973年までIMF財政局租税政策課エコノミスト。国税庁長官官房事務管理課長、大阪国税局直税部長、主税局調査課長、証券局業務課長などを歴任し、1979年7月証券局総務課長、1980年6月福岡国税局長1981年6月に大臣官房審議官(関税局担当)。1983年6月に国際金融局次長。1984年6月に日銀政策委員会大蔵省代表委員。
北村 恭二(きたむら きょうじ、1933年1月18日 - 2… 北村 恭二(きたむら きょうじ、1933年1月18日 - 2023年5月15日)は日本の大蔵官僚。大臣官房総務審議官、証券局長、大阪証券取引所理事長などを歴任。 長野県長野市出身。東京大学法学部卒業。1956年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1956年入省同期に小粥正巳(日本経済研究所会長、初代日本政投銀総裁、日本開銀総裁、公正取引委員会委員長、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、秦郁彦(歴史研究者)らがいた。 1963年7月 館林税務署長。1980年6月 銀行局総務課長。1981年6月 東海財務局長。1982年6月 大臣官房審議官(理財局担当)。1983年6月 銀行局検査部長。1984年6月27日 大臣官房総務審議官。
棚橋泰(たなはし やすし、1933年1月17日 - )は、日… 棚橋泰(たなはし やすし、1933年1月17日 - )は、日本の官僚。
栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月… 栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月10日 - 2016年〈平成28年〉3月2日)は、日本の運輸官僚。第26代海上保安庁長官。 新潟県新潟市出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に東京大学法学部を卒業、4月に運輸省に入省、鉄道監督局総務課に勤務。 1981年(昭和56年)に運輸省航空局飛行場部長に就任、航空局次長、貨物流通局長を歴任、1985年(昭和60年)に運輸政策局長に就任、1986年(昭和61年)に第26代海上保安庁長官に就任。 1989年(平成元年)に日本航空に入社、常務取締役、専務取締役を歴任、1993年(平成5年)に副社長に就任、1997年(平成9年)に日本アジア航空代表取締役会長に就任、2001年(平成13年)に特別顧問に就任。
須藤 良太郎(すどう りょうたろう、1933年〈昭和8年〉1… 須藤 良太郎(すどう りょうたろう、1933年〈昭和8年〉1月1日 - )は、日本の農水官僚、政治家。元参議院議員(2期)。 群馬県安中市の農家の出身で、両親は教員を勤めていた。群馬県立高崎高等学校を経て、1955年(昭和30年)東京大学農学部農業工学科を卒業後、農林省に入省。新潟県農地部農地建設課長、農林省構造改善局建設部整備課長、同部設計課長、同部長を歴任し、構造改善局次長を歴任。農学博士号を取得した後、1987年(昭和62年)に農林省を退官。 1989年(平成元年)、第15回参議院議員通常選挙で自由民主党の後補として比例区から出馬し初当選。竹下派に属した。その後の竹下派分裂騒動では、小渕恵三側につき、小渕派に属した。
愛甲 次郎(あいこう じろう、1933年 - )は、日本の通… 愛甲 次郎(あいこう じろう、1933年 - )は、日本の通商産業官僚。通商産業省出身者としては初めて特命全権大使を務め、クウェート国及びバハレーン国を駐箚した。 神奈川県立横須賀高等学校を経て、1955年東京大学法学部卒業、通商産業省入省。ハーヴァード大学フェロー等を経て、1974年通商産業省貿易局長期輸出保険課長。1976年経済企画庁調整局経済協力第一課長。1978年通商産業省生活産業局総務課長。1980年在アメリカ合衆国日本国大使館公使。 1982年資源エネルギー庁次長。1983年から通商産業省出身者として初めて特命全権大使を務め、クウェイト国、バハレーン国を駐箚した。1986年ソニー取締役。
日吉 章(ひよし あきら、1933年(昭和8年) - )は、… 日吉 章(ひよし あきら、1933年(昭和8年) - )は、日本の大蔵・防衛官僚。元防衛事務次官。和歌山県出身。 和歌山県立田辺高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東大卒業後、大蔵省入省(為替局総務課)。東海財務局長、大蔵省大臣官房審議官(理財局担当)等を経て防衛庁に転じ、経理局長、防衛局長、長官官房長を経て、1991年(平成3年)防衛事務次官に就任。事務次官在職中の1993年(平成5年)に自宅で時限式爆発物が爆発する事件があった。 退官後は全国防衛協会連合会理事長等を務める。2005年(平成17年)には瑞宝重光章を受章した。
武石 章(たけいし あきら、1933年 - )は、日本の運輸… 武石 章(たけいし あきら、1933年 - )は、日本の運輸官僚、実業家。 1933年、新潟県に生まれる。1956年に東京大学法学部を卒業し、運輸省(現:国土交通省)入省。東京陸運局長時代の1981年に安岡正篤の書を岩松茂輔から貰い、人生観が変わるほどの影響を受けた。海上技術安全局船員部長を経て1985年に貨物流通局長に就任し、翌1986年に退官。同年7月1日付で日本鉄道建設公団理事となる。 1989年に京浜急行電鉄に取締役として入り、1991年に常務となる。同年さらに自動車事故対策センター理事長に就き、1994年に公害等調整委員会委員となる。その後、1996年に東京モノレール顧問に就任し、翌1997年に社長となった。
秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日… 秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の歴史家、元大蔵官僚。自身の専門は日本近現代史、軍事史とする。拓殖大学教授、千葉大学教授、日本大学法学部教授を歴任。学位は、法学博士(東京大学・1974年)。 山口県防府市生まれ。父は広島県広島市の出身で、小学生までは郁彦の本籍地も広島の爆心地にあった。このため自身は広島出身でもあると述べている。父は鉄道省の技術官吏で、九州の宮崎県、出水(鹿児島県)、若松(福岡県北九州市)の順で機関区長をしたため、小学校を5回転校。太平洋戦争中に広島市に引っ越し、原爆投下の一年前に母の実家がある山口県防府市に移った。父は戦時中に陸軍司政官としてフィリピン北部のカガヤン州における鉄道建設に従事して終戦の1か月前に戦死した。
秋山雅保(あきやま まさやす、1932年11月27日 - )… 秋山雅保(あきやま まさやす、1932年11月27日 - )は日本の大蔵官僚。中国財務局長、横浜税関長などを務めた。 神奈川県出身。埼玉県立浦和高等学校、東京大学理学部数学科卒業。1955年 大蔵省入省(銀行局保険課)。大蔵省では数年に一度は理数科出身者を募集するが、秋山はその2番目の該当者だった。1962年7月 鹿屋税務署長。 1976年6月25日 理財局国有財産第二課長。1977年6月27日 理財局国有財産第一課長。1979年7月10日 中国財務局長。 1981年6月26日から横浜税関長。1982年6月1日に退官。 その後は協栄生命専務取締役に就いた。
黒田 眞(黒田真、くろだ まこと、1932年10月1日 - … 黒田 眞(黒田真、くろだ まこと、1932年10月1日 - 2026年4月5日)は、日本の通産官僚。通商産業審議官などを歴任。 東京都出身。東京都立小山台高等学校を経て、1955年に東京大学法学部卒業、同年、通商産業省入省。ジュネーブ代表部一等書記官、通商政策局国際経済課長、通商政策局長など通商畑を歩む。 1980年代半ばから半導体をめぐり激化した日米貿易摩擦における日本側当事者の一人。当時の交渉過程で米国側から「タフ・ネゴシエーター」の異名を付けられたことで知られている。 通産審議官在任中の1987年4月17日、日米半導体協定交渉の最終段階における「対日措置」発動の際の、日本側責任者の一人であった。
鈴木 良一(すずき りょういち、1932年〈昭和7年〉9月 … 鈴木 良一(すずき りょういち、1932年〈昭和7年〉9月 - )は、日本の警察官僚。第14代警察庁長官。 東京都出身。私立芝中学校・高等学校を経て、1956年東京大学法学部卒業後、警察庁入庁。 同期入庁に三島健二郎、宮脇磊介、大高時男、飯泉政雄などがいる。警察庁刑事局保安部長、警察庁長官官房長、大阪府警察本部長、警察庁次長などを歴任し、平成2年(1990年)12月7日、警察庁長官に就任。湾岸危機対策室を設置したほか、雲仙普賢岳の噴火に際して陣頭指揮にあたった。また、ライフワークとしての暴力団排除に力を注ぎ、「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」の公布、コカイン情報センターの設置などを強いリーダーシップで推し進めた。
鈴木 良一(すずき りょういち、1932年(昭和7年)9月 … 鈴木 良一(すずき りょういち、1932年(昭和7年)9月 - )は、日本の警察官僚。警察庁長官を務めた。
丸山 高満(まるやま たかみつ、1932年8月26日 - 1… 丸山 高満(まるやま たかみつ、1932年8月26日 - 1989年2月11日)は、日本の自治官僚、税法学者。 佐賀県生まれ。1958年東京大学法学部卒。自治省に入り、1977年地域政策課長。78年税務局市町村税課長、82年府県税課長、企画課長。のち自治大学校副校長、85年福岡大学教授。88年「地方税の一般理論」で関西学院大学経済学博士。
西内彬(にしうち あきら、1932年7月17日 - )は日本… 西内彬(にしうち あきら、1932年7月17日 - )は日本の大蔵官僚。広島国税局長、国税不服審判所次長などを務めてきた。 高知県高知市に生まれ育つ。高知市立城東中学校、高知県立高知小津高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。 1958年 大蔵省入省(理財局資金課)。同期入省者に尾崎護、角谷正彦、安原正、冨金原俊二、大野功統、柿澤弘治らがいた。1963年6月10日 高萩税務署長。 1980年6月17日 国税庁長官官房総務課長。1981年6月26日 広島国税局長。1982年6月1日 国税不服審判所次長。1983年6月7日 退官。 同年 日本下水道事業団理事。1988年から四国銀行代表取締役専務。
丹羽 晟(にわ あきら、1932年7月16日 - )は、日… 丹羽 晟(にわ あきら、1932年7月16日 - )は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官などを務めた。 東京都千代田区出身。1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省した。1989年6月に航空局長を経て、1990年6月から1991年6月までに海上保安庁長官を務め、1991年7月から1995年6月までに国際観光振興会会長を務めた。1996年6月に日本空港ビル副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格。2001年6月に会長を経て、2003年6月に相談役に就任。 2008年11月に瑞宝重光章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柴田 善憲(しばた よしのり、1932年(昭和7年)7月 -… 柴田 善憲(しばた よしのり、1932年(昭和7年)7月 - 2024年(令和6年)8月22日)は、日本の元警察官僚。元警察庁警備局長。富山県出身。東京大学法学部第2類(公法コース)卒。2002年、勲三等旭日中綬章受章。2024年8月22日死去。叙正四位。 現役時代は「公安警察の神様」とまで言われ、後輩の警察キャリアや現場捜査員から尊敬されていた。警察庁退職後に労組内の革マル派対策として1987年に発足直後のJR東日本に請われて幹部となるが、JR東労組への革マル派浸透を否定する情報を後輩の警察首脳部に対して流していた。「マングローブ」の著者の西岡研介によると、「革マル派にスキャンダルを握られた柴田が革マル派に有利になるようにJR東労組への革マル派浸透を否定する虚偽情報を後輩の警察首脳部に対して流していた」「過去のJR革マル派に関する捜査情報が柴田を通じてJR東日本側に流れていた」として「革マル派のガードマンになった」と批判をしている。
藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年(昭和7年)6月24… 藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年(昭和7年)6月24日 - )は、日本の引退した政治家、元大蔵官僚。民主党顧問。
金子 清(かねこ きよし、1932年6月7日 - )は政治家… 金子 清(かねこ きよし、1932年6月7日 - )は政治家、自治官僚。新潟県知事(在任1989年 - 1992年)。
井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24… 井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2010年〈平成22年〉12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。位階は従三位。本名は井上 喜一(いのうえ よしかず)。 衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災)(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、社団法人日米平和・文化交流協会理事などを歴任。 兵庫県加西市玉丘町出身。兵庫県立小野高等学校、東京大学法学部卒業。東大卒業後、農林省へ入省した。 農林水産省では大臣官房審議官、統計情報部長、構造改善局長を歴任。また一時期、農水省の外局にあたる水産庁で海洋漁業部長を務め、対米・対ソ漁業交渉に臨んだ。 1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧兵庫3区から立候補し、初当選。
保田 博(やすだ ひろし、1932年5月14日 - )は、日… 保田 博(やすだ ひろし、1932年5月14日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官、初代国際協力銀行総裁。 広島県呉市(江田島)出身。父は呉海軍工廠技官。呉市立二河国民学校を経て、呉第一中学校(のちの呉三津田高校)入学。高校時代テニス選手で広島県ベスト4だったが、肋膜炎を患い高校3年夏に休学。翌年、留年に直面し下級生の組に編入されるのがイヤで都立日比谷高校の編入学試験に挑戦し合格した。日比谷高へ転校した後、東京大学文一入学。 東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業後、法学部第1類(私法コース)へ内部学士入学し、国家六級職試験を通り、1957年、大蔵省入省。入省同期に、次官候補のライバルだった的場順三(内閣官房副長官、国土事務次官、内閣官房内閣内政審議室長)、内海孚(財務官)、森田一(衆議院議員、運輸大臣)、大山綱明(日本関税協会理事長、全国清涼飲料連合会会長、関税局長)、中田一男(OMCカード会長、北海道開発次官)、亀井敬之(泉州銀行頭取、大臣官房審議官)、山崎高司(日本総研副理事長、IMF理事、駐英公使)など。
吉居時哉(よしい ときや、1932年5月7日 - )は、日本… 吉居時哉(よしい ときや、1932年5月7日 - )は、日本の大蔵官僚。 神奈川県鎌倉市出身。神奈川県立湘南高等学校から東京大学に進学。同大学経済学部を卒業する。1955年 大蔵省に入省(主計局)。国土事務次官を退官後は第二地銀協会長や東日本銀行頭取に就いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
古橋源六郎(ふるはし げんろくろう、1932年4月10日 -… 古橋源六郎(ふるはし げんろくろう、1932年4月10日 - )は日本の大蔵・総務官僚。総務事務次官、 石油公団副総裁、国家公務員共済組合連合会理事長、ソルト・サイエンス研究財団理事長などを務めた。東京都新宿区市谷田町3丁目在住。 愛知県出身。東京大学法学部卒業。1955年4月 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。主計局主査(農林係)、主計局主計官(農林水産担当)などを務める。1978年8月1日 関税局企画課長。1979年7月10日 関税局総務課長兼関税局企画課長。同年8月7日 関税局総務課長。1980年6月17日 関東信越国税局長。1981年5月20日 行政管理庁長官官房審議官(行政管理局担当)。1982年4月6日 行政管理庁長官官房審議官(長官官房担当)。