丸山 浩一(まるやま こういち、1947年(昭和22年)11… 丸山 浩一(まるやま こういち、1947年(昭和22年)11月30日 - )は、日本の政治家、医師。元東京都西東京市長(2期)。 東京都保谷市出身。成蹊高等学校卒業。1973年(昭和48年)、東京慈恵会医科大学卒業。1975年(昭和50年)、東京慈恵会医科大学心臓血管外科に入局。 2013年(平成25年)2月3日執行の西東京市長選挙に無所属で立候補。元西東京市議会議員の森輝雄、共産党西東京市委員長の杉山昭吉ら2人の候補者を破り、初当選。投票率は36.93%。同年2月18日、市長に就任。 2017年(平成29年)、日本共産党新人を破り再選。投票率は32.90%で過去最低を記録した。 2021年の市長選挙には立候補せず2期で退任。
三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27… 三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27日 - )は、日本の政治家、厚生官僚。元長野県佐久市長。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)生まれ。旧制長野県野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)を経て、東京慈恵会医科大学卒業。昭和27年(1952年)医学博士。同28年(1953年)同大学公衆衛生学教室に入り、同29年(1954年)旧厚生省入省。同38年(1963年)富山県厚生部環境課長、同44年(1969年)山形県衛生部長、同47年(1972年)厚生省環境衛生局食品衛生課長、同50年(1975年)保険局医療課長、同53年(1978年)統計情報部長、同54年(1979年)旧環境庁大気保全局長、同56年(1981年)厚生省公衆衛生局長、同58年(1983年)公害等調整委員会委員を歴任した。
助川 弘之(すけがわ ひろゆき、1928年〈昭和3年〉3月2… 助川 弘之(すけがわ ひろゆき、1928年〈昭和3年〉3月22日 - 2013年〈平成25年〉9月8日)は、日本の政治家、教育者、医師、市民運動家。 霞ケ浦の再生を考える会会長でいのちの水・霞ヶ浦を守る市民ネットワーク代表、筑波メディカルセンター病院理事長、第16・17・18・19代茨城県土浦市長、茨城県公安委員長を歴任した。旭日小綬章受章者。 助川喜四郎の三男として、茨城県新治郡土浦町敷島町(現・土浦市桜町)で生まれた。その後、東京大空襲に遭遇したが生き延びる。東京慈恵会医科大学医学部を卒業し、医師免許を取得。長じて政治を志し、箱根宏の死去にともなう1987年の土浦市長選挙に立候補し初当選。以後、1991年・1995年・1999年の市長選にも当選し、4選を果たした。
滝井 義高(たきい よしたか、1915年(大正4年)2月25… 滝井 義高(たきい よしたか、1915年(大正4年)2月25日 - 2005年(平成17年)12月19日)は、日本の政治家、医師。日本社会党衆議院議員、福岡県田川市長を歴任した。 福岡県出身。旧制明治中学校を経て、東京慈恵会医科大学を卒業し、病院を開業する。 1947年(昭和22年)田川市議会議員選挙に立候補し当選する。1951年(昭和26年)福岡県議会議員選挙に立候補し当選する。日本社会党発足に参加するとともに、地元の筑豊炭田などの炭鉱労組の社会労働問題に精通する。 1953年(昭和28年)第26回衆議院議員総選挙に社会党から立候補し当選する。当選回数5回。社会党では、国会対策副委員長、選挙対策委員長などを務め、社会政策、労働政策の論客として活躍した。
白浜 仁吉(白濱 仁吉、しらはま にきち、1908年8月1日… 白浜 仁吉(白濱 仁吉、しらはま にきち、1908年8月1日 - 1985年1月4日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等瑞宝章。 長崎県南松浦郡若松村(のち若松町、現在の新上五島町)に生まれる。旧制海星中学校を経て、東京慈恵会医科大学を卒業。 陸軍軍医として長崎勤務中に長崎市への原子爆弾投下により被爆し、妻と2人の子供を失う。終戦後は実家の五島に戻り漁業に従事する。 1947年より長崎県議会議員を2期務めたのち、1952年の衆議院議員選挙に改進党から立候補し当選、以後当選12回(当選同期に大平正芳・黒金泰美・内田常雄・植木庚子郎・丹羽喬四郎・宇都宮徳馬・灘尾弘吉・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。
朴 権熙(パク・クォニ、朝鮮語: 박권희/朴權熙、1901年… 朴 権熙(パク・クォニ、朝鮮語: 박권희/朴權熙、1901年または1926年4月17日 - 没年不詳)は、在日韓国人の医師、大韓民国の政治家。第5代韓国国会議員。 兄も医師で弟は教授、英文学者の呂石基(朝鮮語版)は姉の夫。性格は穏やかな紳士タイプである。 慶尚南道密陽出身。東京慈恵会医科大学卒。日本での医師活動を経て、1954年の第3代総選挙と1958年の第4代総選挙で落選した後、1960年の第5代総選挙では革新政党の社会大衆党の候補として当選した。その後は金哲らが結成した統一社会党の組織局長や国会国防委員会の委員も務めた。ただし、この当選は彼が地元の名士の子であるためであり、政治環境が比較的に自由な日本にいるうちに革新的な思想を持つようになったが、闘士タイプではないため、それで当選したわけではないと当時朴と親しんだ元政治部記者の南載熙が指摘した。
坂口 登(さかぐち のぼる、1899年(明治32年)1月16… 坂口 登(さかぐち のぼる、1899年(明治32年)1月16日 - 1979年(昭和54年)2月24日)は、日本の政治家。長野県更埴市長。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 長野県埴科郡屋代町(現千曲市)生まれ。東京慈恵会医科大学医学部卒業。同附属病院研修後、東京金杉病院勤務、樺太鵜城での開業、満鉄病院勤務を経て、1932年(昭和7年)帰郷し、家業の医院を承継。1954年(昭和29年)坂口病院を設立し理事長に就任した。この間、1947年(昭和22年)日本社会党から長野県議会議員に当選するが、1949年(昭和24年)1月、任期途中で第24回衆議院議員総選挙(長野県第1区、社会党)に出馬するも落選。 三度目の市長選で当選し、1967年(昭和42年)7月、更埴市長に就任。
大原 博夫(おおはら ひろお、1894年〈明治27年〉3月1… 大原 博夫(おおはら ひろお、1894年〈明治27年〉3月15日 - 1966年〈昭和41年〉1月11日)は日本の政治家、医師。衆議院議員(2期、社会革新党)。広島県会議員、同議長。広島県知事(第48、49、50代)。広島県医師会長、日本医師会理事、 三女は参議院議長を務めた藤田正明の妻。広島県知事を務めた藤田雄山は孫。 広島県豊田郡大河村(後の河内町、現東広島市)出身。医師・大原弥八の長男。1913年、広島県立広島中学校(現広島県立広島国泰寺高等学校)卒業。1920年、東京慈恵会医院医学専門学校(現東京慈恵会医科大学)卒業。父の医業を継ぎ、自宅で開業する。 県会議員を5期務めた。1943年、県医師会長に選出された。
山田 清(やまだ きよし、1890年(明治23年)8月14日… 山田 清(やまだ きよし、1890年(明治23年)8月14日 - 1942年(昭和17年)12月28日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(立憲民政党)を務めた。 千葉県市原郡高滝村(現在の市原市)出身。1915年(大正4年)、東京慈恵会医院医学専門学校(現在の東京慈恵会医科大学)を卒業し、山田病院を開業した。東京市会議員、同参事会員、東京府会議員を歴任した。 1937年(昭和12年)、第20回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回衆議院議員総選挙でも再選された。 その他、日本医師会顧問、東京タクシー運送事業組合顧問、全国自動車業連合会長を務めた。
松本 本松(まつもと もとまつ、1885年(明治18年)11… 松本 本松(まつもと もとまつ、1885年(明治18年)11月19日 - 1961年(昭和36年)4月14日)は、明治から昭和期の医学者、政治家、華族。貴族院男爵議員、医学博士。 陸軍軍医総監・松本順(良順)の八男として生まれる。父の死去に伴い、1907年(明治40年)4月19日、男爵を襲爵した。 1910年(明治43年)東京慈恵会医院医学専門学校を卒業した。1916年(大正5年)からアメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツ帝国、スイスに留学した。1923年(大正12年)2月26日、東京帝国大学から医学博士の学位が授与された。 1911年(明治44年)東京帝国大学医学部嘱託となり、以後、順天堂医院耳鼻咽喉科長、東京医学専門学校教授兼同附属淀橋病院耳鼻咽喉科長、順天堂医学専門学校教授、同理事、女子美術専門学校評議員などを務めた。
岡田 素臣(おかだ そしん、1885年4月26日 - 193… 岡田 素臣(おかだ そしん、1885年4月26日 - 1934年3月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 岐阜県、現在の大垣市出身。1910年、東京慈恵医院医学専門学校(現・東京慈恵会医科大学)卒。東京慈恵病院、東京病院、佐世保海軍共済会病院に勤務する。のち陸軍三等軍医となる。大垣市議、同副議長、岐阜県議、同副議長、同参事会員を歴任し、また大垣市医師会幹事、西濃鉄道、大垣土地各(株)取締役を務めた。 1930年の第17回衆議院議員総選挙において岐阜2区から立憲民政党公認で立候補してトップ当選し、衆議院議員を1期務めた。1932年の第18回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1934年死去。
土屋 清三郎(つちや せいさぶろう、1882年(明治15年)… 土屋 清三郎(つちや せいさぶろう、1882年(明治15年)4月20日 – 1946年(昭和21年)3月3日)は、衆議院議員(立憲政友会→立憲民政党)、医師。旧名・清。 千葉県武射郡山室村(豊岡村、松尾町を経て現山武市)で、土屋清左衛門、たけ の長男として生まれる。1887年(明治20年)清三郎に改名。済生学舎・東京慈恵医院医学専門学校(現在の東京慈恵会医科大学)を卒業。内務省伝染病研究所嘱託、警視庁検疫官、岐阜県衛生技師を歴任し、退官後は開業医となった。そのかたわら日本語雑誌「日本之医界」、英文雑誌「Japan Medical World」、中国語雑誌「東亜医学」の発刊・経営にあたった。 1916年(大正5年)、牛込区会議員に当選。
丸山 五郎(まるやま ごろう、旧姓・横田、1872年6月15… 丸山 五郎(まるやま ごろう、旧姓・横田、1872年6月15日(明治5年5月10日) - 1963年(昭和38年)6月20日)は、日本の医師、埼玉県医師会長、政治家・衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。ダンサーのSAMは曽孫にあたる。 埼玉県北足立郡吹上村(現在の鴻巣市)に生まれた。埼玉県士族・横田半十郎の二男で、丸山家を嗣いだ。1893年(明治26年)、東京慈恵医院医学専門学校を卒業。東京病院に勤務した。1896年(明治29年)、南埼玉郡岩槻町に医院を開業した。南埼玉郡会議員、同参事会員、同議長に選出された。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、南埼玉郡医師会長、埼玉県医師会議員・理事、日本医師会議員、埼玉県医師会長、岩槻自動車株式会社取締役などを務めた。
実吉 安純(さねよし やすずみ、1848年4月23日(嘉永元… 実吉 安純(さねよし やすずみ、1848年4月23日(嘉永元年3月20日) - 1932年(昭和7年)3月1日)は、日本の医学者、海軍軍人、政治家。最終階級は海軍軍医中将。正二位 勲一等 功二級 子爵 医学博士。海軍軍医学校校長、海軍省医務局長、大本営海軍医務部長、東京慈恵会医院専門学校(現、東京慈恵会医科大学)校長、貴族院議員などを歴任した。慈恵医大の創設者である高木兼寛と共に、海軍の脚気撲滅に尽力したことで知られている。 薩摩国阿多郡伊作郷(後の日置郡伊作村、伊作町、吹上町、日置市)生まれ。薩摩藩士・実吉安福の二男として生まれる。戊辰戦争に参戦の後、明治2年(1869年)6月、順天堂に入塾し、のち大学校に移る。