今村 葦子(いまむら あしこ、1947年1月20日 - )は… 今村 葦子(いまむら あしこ、1947年1月20日 - )は、日本の児童文学作家、翻訳家。 熊本県球磨村生まれ。武蔵野美術短期大学卒。 1986年『ふたつの家のちえ子』で野間児童文芸推奨作品賞受賞、作家デビュー。同作で坪田譲治文学賞受賞、芸術選奨新人賞、1988年同作と『良夫とかな子』『あほうどり』で路傍の石幼少年文学賞、1991年『かがりちゃん』で野間児童文芸賞、『ぶな森のキッキ』で絵本にっぽん大賞、1993年『まつぼっくり公園のふるいブランコ』でひろすけ童話賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
桑原 伸之(くわばら のぶゆき、1947年 - )は日本のイ… 桑原 伸之(くわばら のぶゆき、1947年 - )は日本のイラストレーター・絵本作家。 北海道札幌市に生まれる。武蔵野美術短期大学卒業後、第1回読売国際漫画大賞優秀作品賞。1982年ドイツ「世界で最も美しい本のコンクール」優秀賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
村松 誠(むらまつ まこと、1947年 - )は、イラストレ… 村松 誠(むらまつ まこと、1947年 - )は、イラストレーター。 静岡県藤枝市に生まれる。武蔵野美術短期大学卒業。1979年から『ビッグコミックオリジナル』(小学館)の表紙イラストを担当。猫と人間の表情を融合させたような、リアルでコミカルなイラストが特徴とされる。その描かれた猫は「むらまつねこ」とも呼ばれる。第45回(1999年度)小学館漫画賞受賞(表紙画)。その他に審査員特別賞、準朝日広告賞などを受賞している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
榎本 了壱(えのもと りょういち、1947年 - )は、東京… 榎本 了壱(えのもと りょういち、1947年 - )は、東京都出身のアートディレクター。 武蔵野美術大学造形学部商業デザイン学科卒。1969年同校卒業後、1971年に寺山修司の映画「書を捨てよ町へ出よう」の美術を担当し、1974年に萩原朔美と協力して創刊した雑誌『ビックリハウスsuper』の編集長を経て、1986年1月15日に株式会社アタマトテ・インターナショナルを設立し、代表となる。この1970年代から1980年代の一連の活動に対し、美術評論家の椹木野衣は2007年の「榎本了壱コーカイ記」展についての紹介記事で、『渋谷を舞台に現在につながる新しいアートの芽生えと発表の機会を誰よりも早く、かつ大規模に支えた。
福田 千惠(ふくだ せんけい、1946年11月21日 - )… 福田 千惠(ふくだ せんけい、1946年11月21日 - )は、日本画家、日本藝術院会員。東京都葛飾区東立石出身。本名は千恵子。「けい」の字は「恵」ではなく「惠」。 葛飾区立川端小学校、武蔵野美術大学卒。佐藤太清に師事。1981年日展特選、1996年日展会員賞、1999年日展文部大臣賞。2006年「ピアニスト」で日本芸術院賞。日展理事。2009年芸術院会員。2012年葛飾区名誉区民。2024年、旭日中綬章受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
清水 侑子(しみず ゆうこ、1946年11月1日 - )は、… 清水 侑子(しみず ゆうこ、1946年11月1日 - )は、フリーキャラクターデザイナー。初代ハローキティデザイナー。 千葉県出身。武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業。 サンリオ所属時の1974年、ハローキティを生み出す。 出産退職後も、様々なキャラクターを制作発表している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
伊藤 君子(いとう きみこ、1946年7月11日 - )は、… 伊藤 君子(いとう きみこ、1946年7月11日 - )は、ジャズシンガー。香川県小豆島町生まれ。武蔵野美術大学油絵科卒業。 4歳のとき、ラジオ番組から流れる美空ひばりの歌声に魅了され、歌手を志す。19歳の時に上京後、武蔵野美術大学油絵科を卒業。その後アニメ制作会社に入社。「オバケのQ太郎」や「リボンの騎士」等の作品の下請けでトレースや色塗り等を行っていた。会社の専務の知り合いのハワイアンバンドに加入後、1969年、中原 マキの芸名でポップ演歌歌手としてシングル「幸わせにふるえて」でデビューする。5枚ほどシングルを発売し、その後ジャズピアニストとの出会いをきっかけに、ジャズシンガーの道へ進み、1982年、アルバム『BIRDLAND』で伊藤 君子として再デビュー。
柏木 博(かしわぎ ひろし、1946年7月6日 - 2021… 柏木 博(かしわぎ ひろし、1946年7月6日 - 2021年12月13日)は、日本のデザイン評論家、武蔵野美術大学名誉教授。兵庫県神戸市出身。 近代日本デザイン史、広告論、都市論を中心として研究。デザインを通して近代社会を考察した。著書に『日用品のデザイン思想』(1984年)、『「しきり」の文化論』(2004年)、『日記で読む文豪の部屋』(2014年)など。 1970年武蔵野美術大学産業デザイン学科卒。卒業後、自宅アパートでデザイン論・デザイン史を研究し始める。編集者などを経て、1983年東京造形大学助教授。1994年勝見勝賞受賞。文化庁芸術選奨選考委員となる。1996年武蔵野美術大学(近代デザイン史)教授。
渋川 育由(しぶかわ いくよし 1946年6月28日 - )… 渋川 育由(しぶかわ いくよし 1946年6月28日 - )は日本のグラフィック・デザイナー、風景評論家、装幀家。 島根県出身。1969年、武蔵野美術大学産業デザイン学部商業デザイン学科卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
長谷川 義太郎(はせがわ よしたろう、1946年5月18日 … 長谷川 義太郎(はせがわ よしたろう、1946年5月18日 - )は、日本の実業家。1974年から2015 年まで東京の渋谷と原宿で営業した文化屋雑貨店の店主を務めた。 千葉県富里村(現・富里市)に生まれる。東京都墨田区にて外科医の長男として裕福な家庭で育つ。幼いときから銀座のデパートに出かけるなど文化資本に恵まれ、独特の審美眼を身につけることとなった。 千代田区立麹町中学校に進学。同級生には,1987年にシブヤ西武ロフト館を立ち上げた水野誠一(後に西武百貨店社長,参議院議員)やビギグループのデザイナー・小栗壮介などがいる。 1970年、武蔵野美術大学を卒業後デザイン事務所に就職。デザイナーを統括するディレクターであった菊地信義に影響を受ける。
島 次郎(しま じろう、1946年4月6日 - 2019年4… 島 次郎(しま じろう、1946年4月6日 - 2019年4月9日)は、日本の舞台美術家。 北海道生まれ。武蔵野美術大学卒業。当初は油絵に取り組んでいた。 1970年代から、平面・立体の造形作品に取り組みながら、テント劇団「走狗」で舞台美術に関わった後、1980年代半ばから本格的に舞台美術にたずさわる。 2011年には、「島次郎 舞台美術 1986-2010」と題した展覧会が、座・高円寺地下のギャラリー・アソビバで開催された。 晩年は武蔵野美術大学客員教授、日本工学院専門学校非常勤講師として教鞭もとっていた。 2019年4月9日、悪性リンパ腫のため死去。73歳没。
土屋 礼一(つちや れいいち、1946年2月28日 - )は… 土屋 礼一(つちや れいいち、1946年2月28日 - )は、日本画家。本名は土屋 禮一(つちや れいいち)。勲等は旭日中綬章。日本芸術院会員、日展副理事長、金沢美術工芸大学名誉教授・客員教授。 岐阜県養老郡養老町出身。岐阜県立大垣南高等学校、武蔵野美術大学卒業後、加藤東一に師事。 日展理事、武蔵野美術大学客員教授、金沢美術工芸大学教授。代表作『赤い沼』は文化庁に買い取りを受けている。 1998年、師の加藤東一が描く予定だった、瑞龍寺(岐阜市)本堂障壁画を描く。この時より、本名の、土屋禮一名義で、作品を発表。 2007年に「軍鶏」で日本芸術院賞受賞。 2009年、日本芸術院会員。 2011年、隅田川花火大会花火コンクールの審査委員長を歴任。
倉本 龍彦(くらもと たつひこ、1946年2月9日 - )は… 倉本 龍彦(くらもと たつひこ、1946年2月9日 - )は、日本の建築家。北海道出身。 北海道に根ざした建築家。住宅設計を中心に活躍している。 武蔵野美術大学建築学科にて芦原義信に師事。1968年に武蔵野美術大学を卒業。在学中には学業と並行しワンダーフォーゲル部長としても活躍、乗鞍山麓番所にかつて所在した山小屋建設の企画・資金調達の段階から奔走し完成させた。 1971年に倉本GD計画室を設立する。1975年よりネパール王国トリブバン王立大学に講師として招かれる。1979年より道都大学美術学部建築学科講師となり、1982年同美術学部助教授。1984年に倉本たつひこ建築計画室を設立。1990年道都大学美術学部教授を務めた。
平松 利昭(ひらまつ としあき、1946年〈昭和21年〉 -… 平松 利昭(ひらまつ としあき、1946年〈昭和21年〉 - )は、日本の芸術家。日本美術家連盟・臥竜会会員。ブルガリア国立美術館に『緑の太陽』等がナショナルギャラリーとして収蔵されている。高梁市市政アドバイザーも務める。岡山県高梁市出身。 1946年(昭和21年)、岡山県高梁市中原町の平松茂の子として出生する。その後、地元の岡山県立高梁高校へ進学する。同期には、JR北海道社長をつとめた小池明夫、最高裁判所司法研修所教官・電通監査役の濱田俊郎、日本ビクター取締役・アドテック社長の三村益一郎がいる。1965年(昭和40年)同校を卒業し、武蔵野美術大学へ進学する。1970年(昭和45年)同校を卒業し、油絵画家となる。
いわさ ゆうこ(岩佐 祐子、1946年 - )は、日本の絵本… いわさ ゆうこ(岩佐 祐子、1946年 - )は、日本の絵本作家、イラストレーター。宮城県仙台市出身、東京都在住。武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業。 絵本図鑑シリーズなど、植物をテーマにした作品が多い。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
園 基信(その もとのぶ、1945年(昭和20年)9月21日… 園 基信(その もとのぶ、1945年(昭和20年)9月21日 - )は、日本の華道家。園家の第27代当主。青山流第27代家元。武蔵野美術大学卒業。東京都立千歳高等学校卒業。東京都出身。 華道家としては園 楽山(その らくざん)の名前で活動している。 東京都出身。園陽光の長男として生まれ、園家当主である園基久とその妻・テル子の養子となる。武蔵野美術大学卒業後、25歳より華道修行をはじめ、1978年(昭和五53年)に青山御流の28世家元を継承する。 出雲大社や明治神宮ご神前での献花式を行うなど、公家文化の再興に尽力し、1989年(平成元年)に昭和天皇大喪儀祭官、1990年(平成2年)に即位式と大嘗祭に関する諸儀式の委嘱掌典として宮中祭祀に奉仕、現在も委嘱掌典を務めた。
黒鉄 ヒロシ(くろがね ヒロシ、1945年8月3日 - )は… 黒鉄 ヒロシ(くろがね ヒロシ、1945年8月3日 - )は、日本の男性漫画家、コメンテーター。テレ朝チャンネル放送番組審議会委員。高知県高岡郡佐川町出身。本名:竹村 弘(たけむら ひろし)。
佐々木 賢光(ささき けんこう、1945年7月14日 - 2… 佐々木 賢光(ささき けんこう、1945年7月14日 - 2010年4月30日)は、岩手県都南村(現・盛岡市)生まれの画家。血液型はO型。 武蔵野美術大学出身。岩手県を中心に活動し、風景画、南部曲り家、岩手山、その他数々の作品を残した。 右手にパーキンソン病を患い、入院生活の末、64歳で死去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
岡本 颯子(おかもと さつこ, 1945年2月24日 - )… 岡本 颯子(おかもと さつこ, 1945年2月24日 - )は、日本の絵本作家。洋画家・岡本唐貴の娘であり、漫画家の白土三平は実兄である。 戦時疎開先の長野県で生まれ、敗戦により帰京。武蔵野美術大学芸能デザイン科卒。絵本の仕事の他に衣装や舞台装置なども多数手掛ける。カラフルでやわらかい色使いと、こまかく描かれた道具や食べ物が特徴。 注記が無いものはフォア文庫版 なお同一路線の続編として始まった『わかったさん』シリーズは絵が似ているが、永井郁子の挿絵である。
神戸 峰男(かんべ みねお、1944年(昭和19年)8月10… 神戸 峰男(かんべ みねお、1944年(昭和19年)8月10日 - )は、日本の彫刻家。名古屋芸術大学名誉教授。 岐阜県土岐市出身(現在は可児市に住む)。1963年(昭和38年)3月、岐阜県立多治見工業高等学校卒業。同年4月、武蔵野美術大学造形学部に入学。清水多嘉示および木下繁に師事。1967年(昭和42年)3月、同大学彫刻科卒業。 1988年(昭和63年)、名古屋芸術大学教授に就任。同大学美術学部長を経て、同大学名誉教授となる。 1970年(昭和45年)、「裸婦像」で日展中日賞を受賞。1974年(昭和49年)「裸婦」が日本彫塑展日彫賞受賞。1978年(昭和53年)「裸婦―伸びゆく」で日展特選。
神崎 宣武(かんざき のりたけ、1944年6月28日- )は… 神崎 宣武(かんざき のりたけ、1944年6月28日- )は、日本の民俗学者。旅行、陶磁器、食文化の研究を主とする。 岡山県出身。武蔵野美術大学を卒業し、國學院大學文学部で神道研修を修了した。 近畿日本ツーリスト日本観光文化研究所事務局長・所長を務めるとともに、岡山県美星町の宇佐八幡神社の宮司でもある。 このほか、2021年に解散した旅の文化研究所所長、文化庁文化審議専門委員、一般社団法人高梁川流域学校校長、五十鈴塾塾長を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は… 田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は、愛知県出身の洋画家、壁画家。
碇 穹一(いかり きゅういち、1944年 - 2016年11… 碇 穹一(いかり きゅういち、1944年 - 2016年11月20日)は、日本のカーデザイナー。富士重工業(現・SUBARU)のデザイナーとして、スバル・アルシオーネのデザインを手がけた人物として知られる。 1944年(昭和19年)、千葉県に生まれる。幼少期を八日市場(現・匝瑳市)で過ごし、旭市で映画館を経営していた叔父の影響で自動車に関心を持つ。中学生のとき自動車の設計士を志し、千葉県立匝瑳高等学校を卒業後、御茶の水美術学院での浪人生活を経て、スバル・360のデザイナー・佐々木達三が教鞭を振るっていた武蔵野美術大学に進学した。大学では造形学部工芸工業デザイン学科を専攻し、1969年(昭和44年)に卒業。
渡辺 有一(わたなべ ゆういち、1943年(昭和18年)11… 渡辺 有一(わたなべ ゆういち、1943年(昭和18年)11月12日 - )は、日本の絵本作家、イラストレーター。「わたなべゆういち」名義もある。 旧満洲出身。デザイン事務所勤務、武蔵野美術大学美術科通信教育課程卒業。第8回絵本にっぽん賞、第15回日本絵本賞受賞。「かっぱ大さわぎ」「かっぱびっくり旅」(ともに旺文社)など木暮正夫作品を中心に児童文学の挿絵も多い。『ねこざかなシリーズ』の作者でもある。また日本のネット界で「最も怖いクロージング」とされているCBCテレビ(当時、中部日本放送)の1998年まで使われていたクロージングとオープニングの映像を手かげた。 著作の一部はデジタル化され、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
窪田 忠雄(くぼた ただお、1943年9月20日 - )は、… 窪田 忠雄(くぼた ただお、1943年9月20日 - )は、日本のアニメーション美術監督。元ムクオスタジオ所属。北海道出身。 武蔵野美術大学卒業後、アニメーション美術の世界に入る。現代制作集団などに所属し『ルパン三世』などの背景に関わった後、同窓の椋尾篁と出会い、ムクオスタジオに入社。椋尾との共作『銀河鉄道999』『三国志』をはじめ、多数の劇場作品やテレビシリーズの美術監督を務める。特に1980年代後半から1990年代には、東映動画(現東映アニメーション)の代表的な作品(『聖闘士星矢』、『美少女戦士セーラームーン』シリーズ、劇場版『ドラゴンボールZ』シリーズ)の美術統括責任者を長らく務め、ムクオスタジオにとどまらず東映動画の美術スタッフの育成にも貢献した。
井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は… 井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は日本のデザイナー、美術監督。特殊美術GAM主宰。かつて、本名の高橋昭彦名義で活動していた時期もあった。また亜㐂比古というサインも用いている。 長男は映画カメラマンの高橋創。長女はCGデザイナーの高橋玲香。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒業後、武蔵野美術大学で美術を学ぶ。同時期の在校生には、のちに円谷プロ作品などで仕事を共にする池谷仙克がいた。舞台美術の世界を志していたが、大学在学中にTBSテレビの美術スタッフを経て、円谷プロで『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの特撮美術スタッフに加わる。『マイティジャック』よりデザイナーを務める。
丸山 勝三(まるやま かつみ、1943年2月 - 2020年… 丸山 勝三(まるやま かつみ、1943年2月 - 2020年12月)は、島根県安来市出身の洋画家。武蔵野美術大学卒業。
曾宮夕見(そみや ゆみ、1943年 - )は日本の画家。父は… 曾宮夕見(そみや ゆみ、1943年 - )は日本の画家。父は洋画家の曾宮一念。 1943年東京都神田に生まれた。1945年、父曾宮一念と静岡県富士宮市に疎開、1965年、武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業、1976年、東京、大阪、浜松、名古屋で個展を開催、その後、銀座兜屋画廊、静岡松坂屋、名古屋兜屋画廊にて個展。
山田 満郎(やまだ みつろう、1943年(昭和18年) - … 山田 満郎(やまだ みつろう、1943年(昭和18年) - 2016年(平成28年)6月5日)は、美術セットデザイナー。東京都生まれ。武蔵野美術大学芸能デザイン科卒業。 バラエティ番組のセットデザインを数多く担当。特に『8時だョ!全員集合』では1969年10月の第1回放送から第765回放送までほぼ全てのセットデザインを担当した。 1967年、TBSに入社。 1969年10月より放送が始まった『8時だョ!全員集合』にセットデザイナーとして参加。以後、全てのセットデザインを一手に引き受ける。(~第765回放送まで) 1980年、『全員集合』のセットデザインが評価され、バラエティ番組史上初の伊藤熹朔賞を受賞する。
前澤 範(まえざわ のり、1942年12月22日 - )は… 前澤 範(まえざわ のり、1942年12月22日 - )は、日本の造形家、映画美術監督。レインボー造型企画代表取締役(1981年 - 2023年)→代表取締役会長(2024年 - )。 1942年、長野県に生まれる。 武蔵野美術大学在学中からフリーの造形家として舞台美術に携わる。大学卒業後、友人の高橋章からの誘いで映画『大怪獣ガメラ』に参加し、映画美術に携わるようになる。 フリーであるため、大映・東宝・松竹・日活・東映と様々な会社の特撮作品に参加した。このころに造型美術の三上陸男、彫刻家の池田宗弘、特撮の鈴木昶らと知り合う。 1971年に特撮テレビ番組『仮面ライダー』の美術を担当していたエキスプロダクションの三上陸男から参加を要請されるが、他社との契約が残っていたためにこれを断り、高橋章を推薦した。
中尾 彬(なかお あきら、1942年〈昭和17年〉8月11日… 中尾 彬(なかお あきら、1942年〈昭和17年〉8月11日 - 2024年〈令和6年〉5月16日)は、日本の俳優、声優、タレント、コメンテーター。千葉県木更津市出身。最終所属は古舘プロジェクト。 中尾彬は、木更津市にあった実家は酒屋を営んでおり、長男として生まれた。1958年に千葉県立木更津第一高等学校へ入学するとバレーボール部で主将を務め、1960年に油彩画「石の花」が千葉県美術展に入選し、1961年に武蔵野美術大学油絵学科へ入学する。 1961年に日活ニューフェイスの第5期に合格して(正規ではなく編入)「青い芽の素顔」と「どじょっこの歌」にノンクレジットでテスト出演した後に、「真昼の誘拐」で正式にデビューする。
松井 守男(まつい もりお、1942年7月25日 - 202… 松井 守男(まつい もりお、1942年7月25日 - 2022年5月30日)は、愛知県豊橋市出身の画家。フランスを拠点に活動した。 1942年、愛知県豊橋市生まれ。実家は魚屋だった。豊橋市立北部中学校卒業、愛知県立豊橋東高等学校卒業。高校では美術部に所属。二浪して、1963年に武蔵野美術大学造形学部油絵科に入学。1967年、同大を首席で卒業したことで、パリ行きの航空券を獲得した。同年、フランス政府奨学生として渡仏し、パリを拠点に制作活動を始めた。同地ではアカデミー・ジュリアンやパリ国立美術学校でデッサンを学び直した。 サロン・ド・メへの招待、印象派発祥の画廊ギャラリー・ベルネーム=ジュンネでの個展、エールフランスの機内装飾を担当するも、画家としての地位を確立できずに苦悩していた。
佐護 彰(さご あきら、1942年(昭和17年)6月17日 … 佐護 彰(さご あきら、1942年(昭和17年)6月17日 - )は、日本の政治家。元愛知県日進市長(3期)。旭日小綬章。 満洲国奉天市(現:瀋陽市)生まれ。祖父は長崎県の村長を務めた。終戦後、同県に引き揚げる。仕事の関係などで引っ越しは20回を数えた。趣味の油絵では二科展に4回入選した。30歳から武蔵野美術短期大学で学んだ。1960年代後半に日進町(現・日進市)に落ち着く。 日本電信電話公社(現・NTT)に就職し、労組活動に従事。 1983年(昭和58年)4月の日進町議会議員選挙に日本社会党に推されて立候補し初当選した。1991年(平成3年)に3期目の当選。1994年(平成6年)10月1日、日進町は市制施行し日進市となる。
篠原 勝之(しのはら かつゆき、本名同じ、1942年〈昭和1… 篠原 勝之(しのはら かつゆき、本名同じ、1942年〈昭和17年〉4月15日 - )は、日本の芸術家、タレント。自らを「ゲージツ家」と称している。 愛称はクマさんで、「KUMA」名義でも活動する。 タモリやビートたけし、明石家さんまなど、人気芸人とも共演し、独特の話術で茶の間の人気者となるが、その後、テレビ番組から姿を消す。 血液型B型。趣味は剣道。KUMA's FACTORY(クマズファクトリー。1986年設立)所属。 北海道室蘭市出身(札幌市生まれ)。生後すぐにジフテリアにかかり、嗅覚と左耳の聴覚を失った。深沢七郎の『ラブミー農場』に住んでいたことがあり、嵐山光三郎の『桃仙人 小説深沢七郎』(メタローグ)にも「彫刻家のクマちゃん」として登場する。
眞海 恭子(しんかい きょうこ、1942年(昭和17年)3月… 眞海 恭子(しんかい きょうこ、1942年(昭和17年)3月29日)は、日本の作家、画家。 子供時代を長崎県壱岐で過ごし、1965年東京の武蔵野美術学校を卒業後、アカデミー・デ・ボザールに学び、以後パリに住む。1971年、ドイツの演出家Wolfram Mehringと結婚。1990年以来ドイツに住み国立劇場などで舞台装置、衣装を手がけながら現在はフライブルグで小説と絵の制作を続けている。
島 眞一(しま しんいち, Shin-ichi SHIMA,… 島 眞一(しま しんいち, Shin-ichi SHIMA, 1942年 – 2008年11月30日)は、東京都出身の画家。武蔵野美術大学卒業。武蔵野美術大学教授。 1942年に東京都台東区根岸に生まれ、7歳の時に国立市に引っ越した。1966年に武蔵野美術大学造形学部美術科彫刻専攻を卒業。卒業制作は大学に買い上げられている。同1966年に美術科助手に就任し、1971年まで武蔵野美術大学で助手を務めた。 助手の任期を終えた1971年には美術研修を目的としてスペインに渡り、マドリード、クエンカ、バレンシアなどで精力的に作品を制作して個展やグループ展を行った。作品制作に加えて、アルタミラ洞窟壁画からスペインの現代美術に至るまでのスペイン絵画の特質について研究している。
脇田 愛二郎(わきた あいじろう、1942年 - 2006年… 脇田 愛二郎(わきた あいじろう、1942年 - 2006年1月26日)は、日本の彫刻家・造形作家。
タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 -… タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 - 1998年4月17日)は、日本の画家、漫画家、絵本作家、陶芸家。本名、立石紘一(たていし こういち)。 筑豊の伊田町(現福岡県田川市)に生まれる。戦後復興から高度成長期の時代に少年期を過ごし、映画や昭和歌謡などに囲まれて過ごした。武蔵野美術短期大学への進学・上京を期に美術活動を開始する。最初は本名で活動し、1963年の読売アンデパンダン展でデビュー。画家中村宏と「観光芸術協会」を結成、わずか2年で解散するも中村とともにアバンギャルドな作風と活動方針(雑踏の中で自作を掲げて歩く路上歩行展など)で一時代を築いた。この時代の立石は和製ポップアートの先駆けと評される。
木口 敬三(きぐち けいぞう、1941年10月6日-)は、日… 木口 敬三(きぐち けいぞう、1941年10月6日-)は、日本の画家、美術講師。 岡山県倉敷市において、銅版画を中心に制作活動を行うとともに、美術系大学受験を主目的とした画塾「木口美術研究所」で講師活動を行っている。演出家・劇作家の危口統之の父。 岡山県倉敷市出身。岡山県立倉敷青陵高等学校を経て、1966年武蔵野美術大学洋画科主席卒業。フランス政府私費留学試験合格後、1968年から1972年にかけて2度のフランス・ヨーロッパ留学を行う。その後倉敷市に戻り、1970年代前半ごろより地域の専門学校や高校などで美術指導を開始。1984年に画塾「木口美術研究所」を設立。以後銅版画を中心とした作品制作ならびに、美術系大学受験を志す高校生の指導を中心に、地域の芸術・文化活動に尽力している。
大木 あまり(おおき あまり、1941年6月1日 - )は、… 大木 あまり(おおき あまり、1941年6月1日 - )は、日本の俳人。本名は吉本章栄(ふみえ)。 東京府東京市豊島区目白に生まれる。詩人の大木惇夫の三女で、姉は藤井康栄(北九州市立松本清張記念館館長)と宮田毬栄(編集者・エッセイスト)。頌栄女子学院高等学校、武蔵野美術大学洋画科卒業。 1971年、母の勧めで俳誌「河」に入会、角川源義の指導を受ける。源義逝去ののち、1979年、進藤一考主宰の「人」に参加、同人。1983年、「人」を退会。「泉」の「雲の会」に時おり参加し、石田勝彦、綾部仁喜の指導を受ける。1990年、長谷川櫂、千葉皓史と「夏至」を創刊、同人。1994年、長谷川櫂主宰の「古志」に入会。
池谷 孝子(いけや たかこ、1941年 - )は、洋画家。洋… 池谷 孝子(いけや たかこ、1941年 - )は、洋画家。洋画家櫻井慶治に師事。東京都在住。新世紀美術会会員、武蔵野美術大学を修了。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本の… 下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本のノンフィクション作家、画家。沖縄県をテーマとした著作で知られる。 長野県上田市に生まれる。中学1年生の時に上京する。武蔵野美術大学油絵学科を中退。 1975年から約1年間石垣島に妻子とともに移住した。この移住で沖縄の歴史や文化への興味を抱く。 1983年、沖縄県の洞窟「チビチリガマ」の調査を地元住民らとともにおこない、沖縄戦時に壕内で集団自決があったことを明らかにした。下嶋はもともと、アメリカ合衆国施政下でおこなわれた沖縄本島からの移民の調査のために沖縄を訪れ、出会った読谷村出身の女性から聞いた断片的な話をきっかけに関係者への聞き取りを重ねて証言を引き出し、それをもとに壕内の調査で自決を裏付けた。
片山 健(かたやま けん、1940年12月11日 - )は、… 片山 健(かたやま けん、1940年12月11日 - )は、日本の絵本作家。東京都中野区出身。血液型はO型。二人兄弟の長男。武蔵野美術学校商業デザイン学科卒。 『からだっていいな』で日本絵本賞、『きつねにょうぼう』で日本絵本賞大賞、『タンゲくん』で講談社出版文化賞、『でんでんだいこいのち』で小学館児童出版文化賞、『なっちゃんのなつ』で産経児童出版文化賞美術賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11… バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11月11日 -)は、日本の漫画家、画家。本名、吉元 正(よしもとただし)。1960〜1970年代にかけて巻き起こった劇画ブームの全盛期を築いた漫画家のひとり。代表作に『柔俠伝』シリーズ、『どん亀野郎』、『黒い鷲』、『賭博師たち』など。 満洲奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)生まれ、鹿児島県指宿市育ち。鹿児島県立指宿高等学校卒業後、武蔵野美術大学西洋画科へ入学。柔道は黒帯を保有。 公益社団法人日本漫画家協会理事。2005年から2012年までは大阪芸術大学キャラクター造形学科にて教授を務めた。妻は日劇ミュージックホールでトップダンサーとして活躍し、2022年には第25回岡本太郎現代芸術賞で岡本太郎賞を受賞した、刺繍家・吉元れい花。
合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年10月11日 - 2… 合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年10月11日 - 2016年2月19日)は、日本の女性画家。 前夫との間に一女あり。三木富雄は2人目の夫で、その間に生まれたのが合田ノブヨである。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
池谷 仙克(いけや のりよし、1940年8月31日 - 20… 池谷 仙克(いけや のりよし、1940年8月31日 - 2016年10月25日)は、日本映画の美術監督。日本映画・テレビ美術監督協会会員。株式会社コダイ代表。東京都立川市出身。武蔵野美術大学産業デザイン科芸能デザイン専攻卒業。 御茶の水美術学院、桑沢デザイン研究所、武蔵野美術大学で学ぶ。学生時代に助監督のアルバイトを務めたことで映像業界に興味を持ち、テレビドラマ『海の音』で美術監督を務めていた成田亨の誘いで円谷特技プロダクション(現:円谷プロダクション)の作品に参加。舞台美術や『ウルトラマン』(1966年 - 1967年)の特殊美術助手・美術監督・メカニックデザインを経て、『ウルトラセブン』(1967年 - 1968年)では特殊美術デザイナーに昇格。
原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長… 原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長野県諏訪市出身の画家・グラフィックデザイナー。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。
上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7… 上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7日 - 1986年〈昭和61年〉1月11日)は、日本の漫画家・イラストレーター・エッセイスト。 大正の浮世絵師と呼ばれた竹久夢二を連想させる女性像と独特の劇画タッチの画風を確立し、その作風から「昭和の絵師」とも呼ばれた。『ヤングコミック』、『週刊プレイボーイ』、『漫画アクション』、『ビッグコミック』等の雑誌を舞台に多くの連載を手がけ、最盛期には月産400枚という驚異的な執筆量をこなした。『修羅雪姫』、『同棲時代』、『しなの川』、『悪魔のようなあいつ』、『サチコの幸』など、映像化された作品も多い。 神奈川県横須賀市に生まれる。1964年、武蔵野美術大学デザイン科を卒業。
大木 紀元(おおき きげん、1940年 - )はデザイナー。… 大木 紀元(おおき きげん、1940年 - )はデザイナー。創造学園大学教授。群馬県出身。群馬県立高崎高等学校、武蔵野美術大学卒業。 大学在学中にダッコちゃんを手がけ、卒業後に大紀デザインを設立。 日本で初めて週刊誌にピンナップフォトページを導入した。また、電車の中吊りポスターを立体でデザインした。 FM・OZE解説員をつとめる。
石丸 雅通(いしまる まさみち、1940年)は、画家、彫刻家… 石丸 雅通(いしまる まさみち、1940年)は、画家、彫刻家。甥に造形作家の河野甲がいる。 銀座和光や鎌倉ポロ・ラルフローレン店のディスプレイも手がけたレザーアートの第一人者。1980年に日本ディスプレイ大賞を受賞。現在は、石丸美術館として鎌倉の自宅アトリエ「Salon de 酔鯨館」を公開している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。