道端 良秀(みちはた りょうしゅう、1903年 - 没年不明… 道端 良秀(みちはた りょうしゅう、1903年 - 没年不明)は、日本の仏教学者。浄土真宗の僧。 北海道生まれ。1928年大谷大学史学科卒。大谷派宗学院卒、中華民国に学ぶ。1959年「唐代佛教史の研究」で東京教育大学文学博士。大谷専修学院、大谷大学教授、光華女子大学教授、74年定年退任、名誉教授。1988年仏教伝道文化賞功労賞受賞。中国仏教史を研究した。
大谷大学:61人
道端 良秀(みちはた りょうしゅう、1903年 - 没年不明… 道端 良秀(みちはた りょうしゅう、1903年 - 没年不明)は、日本の仏教学者。浄土真宗の僧。 北海道生まれ。1928年大谷大学史学科卒。大谷派宗学院卒、中華民国に学ぶ。1959年「唐代佛教史の研究」で東京教育大学文学博士。大谷専修学院、大谷大学教授、光華女子大学教授、74年定年退任、名誉教授。1988年仏教伝道文化賞功労賞受賞。中国仏教史を研究した。
安田 理深(やすだ りじん、1900年〈明治33年〉9月1日… 安田 理深(やすだ りじん、1900年〈明治33年〉9月1日 - 1982年〈昭和57年〉2月19日)は、日本の仏教学者。真宗大谷派の僧籍を持つ。 インド | 中国 | 日本 天台宗(天台浄土教) | 融通念仏宗 | 浄土宗 | 浄土真宗 | 時宗 釈迦如来 | 阿弥陀如来 観世音菩薩 | 大勢至菩薩 | 薬王菩薩 | 薬上菩薩 | 普賢菩薩 | 法自在王菩薩 | 白象王菩薩 | 獅子吼菩薩 | 陀羅尼菩薩 | 虚空蔵菩薩 | 徳蔵菩薩 | 宝蔵菩薩 | 金蔵菩薩 | 金剛菩薩 | 山海恵菩薩 | 光明王菩薩 | 華厳菩薩 | 衆宝王菩薩 | 月光王菩薩 | 日照王菩薩 | 三昧王菩薩 | 定自在王菩薩 | 大自在王菩薩 | 大威徳王菩薩 | 無辺身菩薩 称名念仏 | 末法思想 「浄土三部経」(『仏説無量寿経』 曹魏康僧鎧訳 / 『仏説観無量寿経』 劉宋畺良耶舎訳 / 『仏説阿弥陀経』 姚秦鳩摩羅什訳)『般舟三昧経』 支婁迦讖訳 【インド】釈尊 | 十大弟子 | 龍樹 | 天親 【中国】廬山の慧遠 | 曇鸞 | 道綽 | 善導 | 懐感 | 少康 | 永明延寿 | 省常【日本】空也 | 良源 | 慶滋保胤 | 源信 | 永観 | 良忍 | 珍海 | 覚鑁 | 源空(法然) | 隆寛 | 弁長 | 親鸞 | 証空 | 一遍 | 覚如 | 蓮如 | 良寛 | 小林一茶 | 清沢満之 | 山崎辨榮 | 鈴木大拙 | 曽我量深 | 金子大栄 | (妙好人) 龍樹『十住毘婆沙論』「易行品」 | 天親『浄土論』(『往生論』) | 曇鸞『浄土論註』(『往生論註』) | 善導『観経疏』 | 源信『往生要集』 | 法然『選択集』 | 親鸞『教行信証』 心王 - 心所 - 煩悩 - 末那識 - 阿頼耶識 - 種子 - 薫習 - 三類境 - 一水四見 - 遍計所執性 - 依他起性 - 円成実性 - 転識得智
大河内 了悟(おおこうち りょうご、1897年5月3日 - … 大河内 了悟(おおこうち りょうご、1897年5月3日 - 1976年10月13日)は、愛知県幡豆郡平坂村(現・西尾市)出身の浄土真宗僧侶・仏教学者。真宗大谷大学教授、岡崎女子短期大学教授。号は虚洞。 1897年(明治30年)5月3日、愛知県幡豆郡平坂村(現・西尾市)の無量寿寺に生まれた。父は無量寿寺第24世住職の了雲。 1926年(大正15年)3月、真宗大谷大学研究科を卒業し、擬講となった。その後無量寿寺の第25世住職となった。1927年(昭和2年)3月には真宗大谷大学の教授に就任した。 1957年(昭和32年)7月、真宗大谷派嗣講師の学階を受けた。1967年(昭和42年)7月、安居本講を命じられて「顕浄土真実行文類ニ」を講じた。
椎名 六郎(しいな ろくろう、1896年10月7日 - 19… 椎名 六郎(しいな ろくろう、1896年10月7日 - 1976年11月30日)は、図書館学者。 香川県出身。大谷大学卒業。明善高等女学校(現英明高等学校)教諭を経て、1943年香川県立図書館長となる。のち国立国会図書館調査員、奥州大学(現富士大学)教授。日本図書館学会の創立に参加した。
山口 益(やまぐち すすむ、1895年1月27日 - 197… 山口 益(やまぐち すすむ、1895年1月27日 - 1976年10月21日)は、日本の仏教学者。大谷大学教授・学長。 1895年、京都府京都市に生まれた。大谷大学で学び、1918年に卒業。1927年から29年にかけてフランスに留学し、シルヴァン・レヴィに師事。欧州における梵語・チベット語研究を学び、チベット大蔵経や大乗仏典などの原典文献の研究を行った。 1933年より大谷大学教授。1943年、京都帝国大学に学位論文『仏教に於ける無と有との対論』を提出して文学博士号を取得。1950年より1958年まで大谷大学学長を務めた。大谷大学を退任後、名誉教授となった。また、京都産業大学教授。1965年、日本学士院会員に選出された。
橋川 正(はしかわ ただす、1894年1月30日 - 193… 橋川 正(はしかわ ただす、1894年1月30日 - 1931年9月6日)は、日本の大正 - 昭和期に活躍した歴史学者・仏教史学者。 京都の真宗大谷派の寺院仏願寺に生まれる。真宗京都中学(現、大谷中学校・高等学校)を経て、1917年に真宗大谷大学(現、大谷大学)を卒業。その後、研究科在籍のまま、京都帝国大学文学部国史学科に依託生として入学。三浦周行・西田直二郎に師事した。1921年、同卒業とともに、真宗大谷大学学部助教授兼予科教授に就任。24年、同教授。この間、1920年には、父恵順の死去により、仏願寺住職および常葉幼稚園長を継職している。 同大学奉職後は、仏教史・真宗史の研究・教育に尽力するとともに、個別寺院史・地域史研究にも従事し、短期間に多くのすぐれた業績を残した。
宮本 正尊(みやもと しょうそん、1893年10月1日 - … 宮本 正尊(みやもと しょうそん、1893年10月1日 - 1983年11月30日)は、仏教学者。号は「香雪」。 1893年(明治26年)、新潟県で生まれた。大谷大学で学び、1918年(大正7年)に卒業。東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科で学び、1921年(大正10年)に卒業。1924年(大正13年)にオックスフォード大学大学院に留学し、1928年(昭和3年)に帰国。1929年(昭和4年)にPh.D.を取得した。 1928年(昭和3年)に帰国し、東京帝国大学助教授に就いた。1942年(昭和17年)に教授昇格。同年、学位論文『中道思想及びその発達』を東京帝大に提出して文学博士号を取得。 戦後の1949年(昭和24年)からは名称変更に伴い東京大学文学部教授。
藤原 猶雪(ふじわら ゆうせつ、1891年(明治24年)1月… 藤原 猶雪(ふじわら ゆうせつ、1891年(明治24年)1月2日 - 1958年(昭和33年)7月3日)は、大正から昭和時代の日本の仏教学者。浄土真宗大谷派の僧侶。 愛知県海部郡津島町(現・津島市)にて生まれる。1911年(明治44年)真宗大谷大学予科を経て、1914年(大正3年)同大を卒業する。 同年より東京帝国大学で図書館学、1923年(大正12年)から国史学を学び、1921年(大正10年)から1924年(大正13年)にかけて同大学図書館司書、史料編纂官補を歴任。1924年(大正13年)東洋大学の教授となり、同図書館長を兼務。ほか大倉精神文化研究所主任、明治仏教史編纂所理事、日本教学研究所評議員、駒澤大学講師、史料編纂官などを兼任。
赤沼 智善(あかぬま ちぜん、1884年(明治17年)8月2… 赤沼 智善(あかぬま ちぜん、1884年(明治17年)8月25日 - 1937年(昭和12年)11月30日)は日本の仏教学者、専攻は原始仏教。大谷大学教授。 1884年(明治17年)、新潟県長岡市上田町の願浄寺で生まれた。真宗大学に入学し、仏教学を学んだ。1909年、同郷の山辺習学と共に浩々洞同人となり、清沢満之の下で学んだ。真宗大学研究科を卒業後、山辺習学と共に仏教研鑽のためにインド、セイロンに留学し、イギリスを経て1919年に帰国。 同1919年9月、真宗大学教授に任じられた。大学では、原始仏教ならびにパーリ語を講じた。在職中は、同大学図書館長なども務めた。1921年、国際的視野をもった鈴木大拙、佐々木月樵らとともに、仏教本来の意義を欧米に伝えることを主な目的として"東方仏教徒協会"(The Eastern Buddhist Society)を設立。
泉 芳璟(いずみ ほうけい、1884年2月23日 - 194… 泉 芳璟(いずみ ほうけい、1884年2月23日 - 1947年12月28日)は、浄土真宗の僧、仏教学・サンスクリット学者。 三重県津市安濃町安部の円称寺(真宗大谷派)に生まれる。1907年真宗大学卒。1918-19年インド、ヨーロッパに学ぶ。真宗大学教授、大谷大学教授、同図書館長。真宗大谷派学僧。
佐々木 月樵(ささき げっしょう、旧姓山田、1875年(明治… 佐々木 月樵(ささき げっしょう、旧姓山田、1875年(明治8年)4月13日 - 1926年(大正15年)3月6日)は、日本の仏教学者・教育者。大谷大学教授、第3代大谷大学学長。大谷大学の組織と研究方針を確立させた人物として知られる。清沢満之門下。著作に『親鸞聖人伝』、『支那浄土教史』などがある。 1875年(明治8年)、愛知県碧海郡古井村(現・愛知県安城市)にある真宗大谷派の願力寺に生まれた。乳は山田才相、母はつやまであり、次男だった。 幼少時、大分県日田郡日田町の咸宜園(大谷派長福寺の学寮を起源とする)に学び、1888年(明治21年)、東本願寺が設置した三河育英教校に入学。その後、1893年(明治26年)、実質的に東本願寺の運営だった京都府立尋常中学校に編入し、翌年には東本願寺設置の京都第一中学寮に入学した。