斎藤 偕子(さいとう ともこ、1935年4月27日 -202… 斎藤 偕子(さいとう ともこ、1935年4月27日 -2021年12月23日 )は、日本のアメリカ演劇学者、演劇評論家、慶應義塾大学名誉教授。本姓・楠原。 東京(現中野区)生まれ。1958年同志社大学文学部英文科卒。62年同大学院退学。劇団俳優座舞台部勤務、64年白水社『新劇』編集部勤務。1968年ニューヨーク大学大学院修士課程修了。1969年東洋英和女学院短期大学専任講師、71年助教授、1970年菊田賞受賞。1977年慶大文学部助教授、81年教授、2000年退任、名誉教授、日本橋学館大学教授。2011年『19世紀アメリカのポピュラー・シアター』で日本演劇学会河竹賞受賞。演劇評論は斎藤偕子の名で、学術雑誌には楠原偕子の名で執筆。
井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )… 井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )は、日本の実業家。ダイキン工業代表取締役会長兼社長を経て、同社取締役会長兼グローバルグループ代表執行役員、関西フィルハーモニー管弦楽団理事長。ダイキン工業で1994年の社長就任時に3千億円台だった売上高を4兆円超に育てた。 京都市生まれ。同志社中学校・高等学校を経て、1957年同志社大学経済学部卒業、大阪金属工業(現ダイキン工業)入社、淀川製作所総務部配属。人事部長等を経て、1979年取締役に昇格。1985年常務取締役。1989年専務取締役。 1994年から代表取締役社長を務め、経営危機にあったダイキン工業を世界トップクラスの空調機メーカーに成長させ、同社中興の祖とされる。
大島 寅夫(おおしま とらお、1935年2月7日 - )は、… 大島 寅夫(おおしま とらお、1935年2月7日 - )は、日本の実業家。中日新聞社元社長。岐阜県出身。 1935年(昭和10年)、岐阜県海津郡東江村(海津町を経て現在の海津市)で安田順時の四男として出生、1960年(昭和35年)に同志社大学法学部を卒業。同年に中部日本新聞社へ入社し、常務の大島一芳から養嗣子に迎えられる。 広告局次長を経て1991年(平成3年)に取締役となり、1997年(平成9年)に常務、2001年(平成13年)に名古屋本社代表。2003年(平成15年)6月から2011年(平成25年)6月まで社長を務め、その間には2007年から横綱審議委員会委員に就任している。2011年を以て社長職を小出宣昭に譲って退任し、副会長に就任した。
浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10… 浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10日 - )は、日本の司会者、タレント、パーソナリティ、映画評論家。本名は塩濱 眞(しおはま まこと)。既婚者で、妻もかつてタレントとして活動していた。 京都府京都市の出身。家庭の事情(両親が上海に渡った)から2歳で養子に出されたため、本名の苗字(塩濱)は子供がいなかった母方の伯母夫妻にあたる養父母の苗字でもある。 京都市立旭丘中学校、京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部を卒業。俳優の田村高廣、小説家で弁護士の和久峻三、元阪神タイガース監督の吉田義男は高校の先輩、俳優の山城新伍、元サッカー選手(日本代表)の釜本邦茂、元毎日放送アナウンサーの野村啓司、シンガーソングライターの尾崎亜美は、高校の後輩である。
杉田 博明(すぎた ひろあき、1935年1月9日ー2017年… 杉田 博明(すぎた ひろあき、1935年1月9日ー2017年12月13日)は、日本のジャーナリスト、随筆家。 京都府出身。同志社大学卒。京都新聞社に入り、編集委員を務めた。京都の文学・美術などについての著作がある。
五代目 片岡 我當(ごだいめ かたおか がとう、1935年1… 五代目 片岡 我當(ごだいめ かたおか がとう、1935年1月7日 - 2025年5月11日)は上方の歌舞伎役者。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割丸に二引、替紋は五枚銀杏。俳名に壽蘭。本名は片岡 秀公(かたおか ひできみ)。 十三代目片岡仁左衛門の長男として、東京に生まれる。同志社大学工学部卒業。 1940年10月、大阪歌舞伎座で片岡秀公の名で『堀川』のおつる役で初舞台。戦後は父、兄弟と共に関西に本拠地を移し、「七人の会」、「仁左衛門歌舞伎」に参加。 1971年、大阪新歌舞伎座で『桜時雨』の三郎兵衛、『二月堂』の良弁で、五代目片岡我當を襲名。その後、父、弟や三代目實川延若、三代目中村鴈治郎らとともに関西歌舞伎の復興に活躍、大阪府民劇場賞を受賞する。
中谷 猛(なかたに たけし、1935年 - )は、日本の政治… 中谷 猛(なかたに たけし、1935年 - )は、日本の政治学者。専門は、フランス政治思想。立命館大学名誉教授。 京都市生まれ。同志社大学文学部卒業(1961年)。同大学院文学研究科修士課程、法学研究科博士課程修了。長崎総合科学大学、立命館大学で教鞭をとる。
嶋 雅二(しま まさじ、1934年12月29日 - 2014… 嶋 雅二(しま まさじ、1934年12月29日 - 2014年11月11日)は日本の実業家。ホーネンコーポレーション代表取締役会長兼CEO、J-オイルミルズ代表取締役社長、日本植物油協会会長などを務めた。 大阪府出身。京都市立川岡国民学校(現在の京都市立川岡小学校)、同志社中学校・高等学校を経て、同志社大学経済学部卒業後、豊年製油(のちのホーネンコーポレーション)に入社。1989年からホーネンコーポレーション代表取締役社長を務めた。その後、ホーネンコーポレーション代表取締役会長兼CEOとして、味の素代表取締役社長・江頭邦雄との交渉などにあたり味の素製油との経営統合を行い、2002年に持株会社として設立された豊年味の素製油(現在のJ-オイルミルズ)の初代代表取締役社長に就任した。
田中 辰郎(たなか たつろう、1934年11月22日 - 2… 田中 辰郎(たなか たつろう、1934年11月22日 - 2017年7月26日)は、日本の経営者。髙島屋社長を務めた。京都府京都市出身。 1961年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、同年に髙島屋に入社した。1991年5月に取締役に就任し、1993年5月に常務を経て、1996年7月に社長に就任。2001年3月から相談役を務めた。 2017年7月26日に呼吸不全のために死去。82歳没。
奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28… 奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28日 - )は、日本の児童文学作家・評論家・翻訳家。 大阪府出身。大阪府立住吉中学校(旧制)進学、同級生には眉村卓がいた。卒業後、同志社大学文学部国文科に進学。在学中に乙骨淑子、柴田道子、山下明生、掛川恭子らと同人誌「こだま」に参加、卒業後に創作活動に専念する。 1968年、自らの太平洋戦争中の集団疎開の体験をもとに書いた処女作『ボクちゃんの戦場』(理論社)にてデビューした。この作品は1985年大澤豊の監督、前田吟や藤田弓子ら出演で映画化された。 1988年『この心さわぐ冒険、愛』(ほるぷ出版)が第35回産経児童出版文化賞の「推薦」に選ばれた。
大谷 實(おおや みのる、1934年10月25日 - )は、… 大谷 實(おおや みのる、1934年10月25日 - )は、日本の法学者。専門は刑事法。法学博士(同志社大学、1972年)(学位論文「人格責任論の研究」)。同志社大学名誉教授。茨城県出身。
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24… 筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24日 - )は、日本の小説家、劇作家、俳優。ホリプロ所属。身長166cm。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市に生まれた。天王寺動物園長だった父の影響を受け、幼い頃から博物的な世界に憧れを持つ。同志社大学に入学し、美学・美術史を専攻。 1965年に東京に転居し、本格的な作家活動を展開、第一短編集『東海道戦争』(1965年)を刊行した。同年、『時をかける少女』『48億の妄想』では、現実と非現実をつなぐ幻想のリアリズムによる、無気味なナンセンスSFのジャンルを開拓。『ベトナム観光会社』(1967年)と『アフリカの爆弾』(1968年)で直木賞候補となる。
国松 彰(くにまつ あきら、1934年9月14日 - )は、… 国松 彰(くにまつ あきら、1934年9月14日 - )は、元プロ野球選手(外野手)。現在は亀屋万年堂の代表取締役会長。
林 彰太郎(はやし しょうたろう、1934年6月21日 - … 林 彰太郎(はやし しょうたろう、1934年6月21日 - 2000年代)は、日本の俳優。京都府京都市北区出身。本名は高橋 徹(たかはし とおる)。別名は池 徹(いけ とおる)。 京都府立山城高校卒業後、同志社大学経済学部に進学するが1958年に中退し、松竹俳優養成所に入る。同年、池 徹の芸名で『七人若衆大いに売り出す』で映画初出演。1960年に東映へ移籍し、林 彰太郎と改名。東映京都撮影所を拠点に活動した。 嶋田景一郎・坂口祐三郎と共に三野郎として売り出されていた。身長180cmの体格を活かし、時代劇・アクション映画・ヤクザ映画などの脇役を演じてきた。晩年は東映太秦映画村の俳優養成所で講師として後進の育成に当たった。
笠井 昌昭(かさい まさあき、1934年5月21日 - 20… 笠井 昌昭(かさい まさあき、1934年5月21日 - 2013年3月9日)は、日本の歴史学者。同志社大学名誉教授。専門は日本文化史。 1934年、山梨県都留市で生まれた。1953年、同志社大学文学部文化学科に入学し、石田一良の下で学んだ。1957年に卒業し、同大学大学院文学研究科に進んだ。1967年に博士課程を退学。 1962年、同志社大学文学部助手に採用された。1964年に講師、1967年に助教授に昇格。1970年、学位論文『信貴山縁起絵巻の研究』を同志社大学に提出して 文学博士号を取得。1972年、同志社大学文学部教授に昇格。2005年に同志社大学を退職して名誉教授となった。 専門は日本文化史。
上田 勝美(うえだ かつみ、1934年5月16日 - )は、… 上田 勝美(うえだ かつみ、1934年5月16日 - )は、日本の法学者。龍谷大学名誉教授、憲法研究所代表委員、京都憲法会議代表幹事。専門は憲法学。
伊香 輝男(いこう てるお、1934年4月9日 - 2009… 伊香 輝男(いこう てるお、1934年4月9日 - 2009年6月1日)は、大阪府寝屋川市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ。 同志社香里高校ではエースとして活躍。同志社大学に進学し、2年生から一塁手、外野手も兼ねる。関西六大学野球リーグでは、中心打者として1955年春季リーグで優勝を経験。同年の全日本大学野球選手権大会では準決勝で日大に延長10回惜敗。リーグ通算72試合に出場し、243打数73安打、打率.300、1本塁打の成績を残した。大学同期に青木稔、国松彰(いずれも中退)がいる。 1957年に近鉄パールスへ入団。強肩好打の外野手と期待され、1年目から一軍に定着。2年目の1958年には主に中堅手として65試合に先発出場、翌1959年は主に左翼手として71試合に先発する。
岡崎 康雄(おかざき やすお、1934年3月31日 - 20… 岡崎 康雄(おかざき やすお、1934年3月31日 - 2005年5月12日)は、日本の経営者。森下仁丹社長を務めた。和歌山県西牟婁郡日置川町(現在の白浜町)出身。 1957年に同志社大学商学部経営学科を卒業した。同郷の代議士の早川崇の秘書を務めた後の1959年、森下仁丹に入社した。1986年6月、専務に就任し、1987年6月に社長代行、1989年2月に取締役、1990年6月に専務を経て、1999年6月には社長に就任した。2005年4月、会長に就任した。 2005年5月12日肝不全のために死去した。71歳没。
正木 久司(まさき ひさし、1934年3月7日 - 1995… 正木 久司(まさき ひさし、1934年3月7日 - 1995年6月17日)は、日本の経営学者。 兵庫県高砂市出身。1967年同志社大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1983年「日本の株式会社金融」で立教大学経済学博士。同志社大学商学部助教授、1975年教授となる。1995年6月17日、肝不全のため61歳で死去。
加藤 充(かとう みつる、1934年3月3日 - )は 東京… 加藤 充(かとう みつる、1934年3月3日 - )は 東京都生まれ、京都府育ちのベーシスト。通称「カッペちゃん」。サンズ・オブ・ウェストやザ・スパイダースのメンバーとして活動を行った。 マンドリンを嗜む母の影響でギター教室に通うも単調な練習に耐えられず挫折、その後独学で古賀メロディーなどを習得する。 その後ウェスタンミュージックに憧れて、同志社高校時代には同志社大学のカントリーバンド「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」に欠員要員として参加、ギター・ベース・アコーディオンを担当し、米軍キャンプ廻りなどで鍛えられる。同志社で賛美歌に慣れ親しんでいたため、曲の構成やコードが似ているウェスタンミュージックの習得は容易だったという。
武山 栄造(たけやま えいぞう、1934年1月29日 - )… 武山 栄造(たけやま えいぞう、1934年1月29日 - )は、日本の経営者。愛知県出身。 1957年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に豊田通商に入社。 1975年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1995年6月に社長に昇格した。1999年6月に会長に就任した。 2005年4月に旭日中綬章を受章した。
石黒 昭博(いしぐろ てるひろ、1934年1月7日 - 20… 石黒 昭博(いしぐろ てるひろ、1934年1月7日 - 2013年6月12日)は、日本の英語学者。同志社大学名誉教授・徳島文理大学名誉教授。 生成文法の研究者であり、英語教育の教科書も多い。 1956年、同志社大学文学部英文学科卒業、大阪市立高校英語教師に就任。1961年、同志社大学大学院に入り、1964年に修士課程修了、文学部助手就任。 1966年、オハイオ州立大学で修士号取得。1992年、「近代英語における主語の概念」で同志社大学より英文学博士の学位を取得。その後、同大学助教授、教授を経て2003年に定年退職し名誉教授に就任。その後、徳島文理大学文学部長に就任し2008年に退職。
金田 弘光(かねだ ひろみつ、1934年 - )は、経済学者… 金田 弘光(かねだ ひろみつ、1934年 - )は、経済学者。カリフォルニア大学デービス校名誉教授。大阪市生まれ。 1934年に大阪市に生まれる。同志社大学、アーモスト大学を卒業後、スタンフォード大学に進学し1963年に博士号を取得。同年にカリフォルニア大学デービス校に助教授として着任し、1968年に准教授(準教授)に、1973年に教授に昇任する。1994年に同校を定年退職となり、名誉教授となる。その間、イェール大学、パキスタン開発経済研究所、オーストラリア国立大学RSPS経済学部、アジア経済研究所、世界銀行で在外研究等を行う。1996年から同志社大学大学院アメリカ研究科教授を務めた。開発経済学が専門で、発展途上国の農業開発と経済発展の分野で貢献した。
武 邦保(たけ くにやす、1933年〈昭和8年〉12月5日 … 武 邦保(たけ くにやす、1933年〈昭和8年〉12月5日 - 2002年〈平成14年〉7月23日)は、日本の宗教学者。元同志社女子大学教授。神学修士、法学修士。 群馬県伊勢崎市出身。群馬県立前橋高等学校卒。1965年(昭和40年)同志社大学大学院神学研究科卒。 四国学院大学を経て、同志社女子大学に1969年に着任。 2002年7月23日、肝不全のため死去。
奥田 博之(おくだ ひろゆき、1933年10月16日 - )… 奥田 博之(おくだ ひろゆき、1933年10月16日 - )は、フリーアナウンサーで、元ラジオ神戸(現在のラジオ関西)アナウンサー。 京都府京都市出身。同志社大学法学部時代は放送部に所属。大学在学中(採用決定後)からラジオ神戸で仕事をしていたという。 卒業後の1958年(昭和33年)にラジオ神戸に入社。ラジオ関西時代は、「電話リクエスト」でマリア・リグレステイ、「ラジオ関西のナマナマ大放送」では笑福亭鶴光と担当するなど看板アナウンサーとなり、また、阪神タイガース戦をメインにプロ野球中継も担当、日本シリーズ中継ではラジオ関東(現在のラジオ日本)でもその放送は流れた。 1979(昭和54)年頃ラジオ関西を退職しフリーアナとなり、読売テレビ「2時のワイドショー」やサンテレビ「サンテレビボックス席」の中継で活躍した。
長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2… 長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2019年4月27日)は、日本の実業家。キューサイの創業者。京都府京都市出身。 1957年に同志社大学商学部を卒業し、同年に大沢商会に入社。1963年に退社し、煎餅の製造・販売事業を開始し、1965年10月には福岡市で菓子製造販売会社長老製菓(のちのキューサイ)を創業し、2006年5月までに社長を務めた。1982年にはのちの主力商品となる「青汁」を製造・販売を開始。らでぃっしゅぼーや会長も務めた。 2019年4月27日、死去。85歳没。
池坊 専永(いけのぼう せんえい、1933年7月21日 - … 池坊 専永(いけのぼう せんえい、1933年7月21日 - )は、京都府出身の華道家である。池坊の45代目家元。華道家元四十四世池坊専威の長男。妻は元公明党所属衆議院議員の池坊保子、長女は次期家元の四代目 池坊専好、次女は華道家の池坊美佳である。 現在は個展、国内・海外の普及活動だけでなく執筆、講演会を行っている。
笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、… 笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、日本の政治家、法学者。元参議院議員(2期)、京都創政塾理事長。 北海道函館市出身。北海道釧路江南高等学校、同志社大学法学部卒業。1962年、同志社大学大学院法学研究科修士課程修了。その後、堺女子短期大学教授などを務め、憲法学を教えた。 1978年から毎日放送『スタジオ2時』に出演。1980年、京都府明るい選挙推進協議会長に就任。 1989年、第15回参議院議員通常選挙に向けて、日本労働組合総連合会を支持母体とする「連合の会」(日本社会党・公明党・民社党・社会民主連合推薦)が結成され、全国で多数候補者が擁立される。笹野は連合の会公認で立候補し、長年、「自共指定席」と呼ばれた京都府選挙区で自民党新人西田吉宏や日本共産党現職佐藤昭夫を凌ぎトップで初当選した。
松本 益弘(まつもと ますひろ、1933年4月21日 - 2… 松本 益弘(まつもと ますひろ、1933年4月21日 - 2025年11月17日)。日本の商学者。元・北海商科大学(北海学園北見大学から改称)教授。兵庫県神戸市出身。 専門は、観光学(観光政策論・国際観光論・観光産業経営論、観光マーケティング・地域観光振興論)。 このほか数多くの国土交通省、観光団体、北海道、北見市に関する公職を務める 日本観光研究学会、総合観光学会、北海道経済学会などに所属 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
岩山 太次郎(いわやま たじろう、1933年(昭和8年)1月… 岩山 太次郎(いわやま たじろう、1933年(昭和8年)1月10日 - )は、日本のアメリカ文学者、同志社大学名誉教授。元学長。 京都府出身。同志社中学校、高校卒、1955年同志社大学文学部英文科卒、58年同大学院修士課程修了、助手。 1960年代初頭にケニオン大学とアイオワ州立大学に留学。 1962年アイオワ大学英文科Master of Fine Arts(修士)修了、63年同志社大学文学部専任講師、65年助教授、71年文学部教授、86年文学部長、92年学長。2003年退任、名誉教授。 専門は19世紀アメリカ・リアリズム文学論、モダニズム以降のアメリカ詩、ユダヤ系作家の小説群。 修士論文の対象としてヘンリー・ジェイムズを選択。
栂井 丈治(とがい じょうじ、1933年 - )は、日本のプ… 栂井 丈治(とがい じょうじ、1933年 - )は、日本のプロデューサー。 大阪府堺市堺市浜寺出身、堺市南区高倉台在住。 大阪府立泉陽高等学校卒業後、同志社大学に進学し、グリークラブ『クローバークラブ』のメンバーに入部。大学時代からグリークラブの指揮を担当していた。大学卒業後は1958年に関西テレビ一期生として入社し、『パンチDEデート』をプロデュース。 演出家としても活躍。1990年に、地元大阪で結成されたイタリアオペラのサークル『ポコ ア ポコ リリカ・クラブ』が出演した、『大阪府立労働センター』で行われたオペラ『椿姫』では演出を手掛けた。2006年に公演された劇音楽『さやま池物語』では脚本・演出の両方を担当。
児玉 実英(こだま さねひで、児玉 實英、1932年12月1… 児玉 実英(こだま さねひで、児玉 實英、1932年12月14日 - )は、日本のアメリカ文学・比較文学者。同志社女子大学名誉教授。 京都府に、同志社大学名誉教授・児玉実用の長男として生まれる。1955年に同志社大学英文科卒、1956年に同大学院中退。同年、フルブライト奨学金を得てアメリカ合衆国のアマースト大学に留学。1958年同英文科卒業。1959年ワシントン州立大学修士課程修了。1960年に同志社女子大学助手、1961年に同大学専任講師、1964年に同大学助教授、1970年に同大学教授。1984年、「アメリカ詩と日本文化」により同志社大文学博士。93年から同志社女子大学長を務めた後、2001年に広島女学院大学教授。
小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2… 小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2001年1月20日)は、日本の実業家で、オリコンの創業者。
山本 明(やまもと あきら、1932年10月9日 - 199… 山本 明(やまもと あきら、1932年10月9日 - 1999年9月28日)は、日本の社会学者。専攻は都市文化論。 大阪市出身。1955年同志社大学文学部卒業、57年同大学院法学研究科修了。1972年同志社大学文学部教授となる。
奥田 昌道(おくだ まさみち、1932年9月28日 - )は… 奥田 昌道(おくだ まさみち、1932年9月28日 - )は、日本の法学者。専門は民法。裁判官。勲等は旭日大綬章。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1980年)。京都大学名誉教授、鈴鹿国際大学名誉教授、日本学士院会員。於保不二雄門下。 京都大学法学部教授、京都大学法学部学部長、京都大学大学院法学研究科教授、鈴鹿国際大学国際関係学部教授、最高裁判所判事、同志社大学大学院司法研究科教授などを歴任した。 東京府出身の法学者であり、民法を専攻していた。学位論文「請求権概念の生成と展開」により、京都大学より法学博士の学位を授与された。京都大学、鈴鹿国際大学、同志社大学で教鞭を執り、最高裁判所の判事も務めた。
尾崎 睦(おざき むつみ、1932年8月5日 - 2008年… 尾崎 睦(おざき むつみ、1932年8月5日 - 2008年12月9日)は、国際港運連盟会長。株式会社上組代表取締役会長兼CEOなどの要職を歴任した人物。 兵庫県揖保郡越部村(現・たつの市)に生まれ、同志社大学商学部卒業。日本の港湾行政の実力者として活躍。 2002年ベルギーのアントウェルペンで開催された国際港運連盟第6回総会で会長に選出された。 ほかに、社団法人日本港運協会会長、社団法人国際港湾貨物物流協会会長、財団法人港湾近代化促進協議会会長、財団法人港湾運送近代化基金理事、社団法人日本港湾福利厚生協会顧問、財団法人港湾労働安定協会顧問、兵庫県港湾協会会長、財団法人神戸港湾福利厚生協会理事長、神戸商工会議所海運港湾部会長、兵庫県港運協会最高顧問、財団法人海上保安協会非常勤理事、財団法人日本海事広報協会非常勤理事などの要職を歴任し、日本の港湾行政の発達に大きな役割を果たした。
駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は… 駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は元任天堂部長、元セガ・エンタープライゼス副社長、元トムス・エンタテインメント会長。大阪市出身。 1954年に任天堂に入社し、長く営業を担当した。 任天堂レジャーシステムは1975年に『EVRレース』を発売し、メダルゲームに参入。関東における『EVRレース』の販売は、主にエスコ貿易が担当し、それにより駒井はエスコ貿易社長の中山隼雄と知り合う。任天堂のアーケード事業が苦しい時期も、中山はハードの販売を一手に引き受け、ほとんどエスコ貿易の独占に近い状態になることもあった。駒井はそれらの取引を通じて中山と信頼関係を築いた。 苦しい状態が続いた任天堂のアーケード事業は、『スペースフィーバー』(1979年)の大当たりによって一気に息を吹き返した。
井植 敏(いうえ さとし、1932年(昭和7年)2月28日 … 井植 敏(いうえ さとし、1932年(昭和7年)2月28日 - )は、日本の実業家。 三洋電機元社長。三洋電機創業者の井植歳男の長男。 兵庫県出身(東京芝生まれ)。 1956年同志社大学工学部電気学科卒業後、三洋電機入社。1959年に東京三洋電機の設立とともに転籍し、27歳で取締役に就任する。1961年に三洋電機の取締役となり、常務、専務を経て1985年に副社長となる。 1986年、三洋電機の石油ファンヒーターにより、一酸化炭素中毒で4人が死亡するという事件が起きた。叔父で社長の井植薫は、自身を責め立て、遂にはノイローゼになり、株主総会の議事進行中に昏倒してしまう。急遽、副社長の敏が議事を務め、どうにか乗り切った。
今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 20… 今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 2015年3月20日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。
谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2… 谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2017年2月21日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 岡山県高梁市出身。1954年同志社大学経済学部卒。新聞記者、岡山市議会議員を経て、1967年より岡山県議会議員を6期務める。1990年の総選挙で旧岡山1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。 2017年2月21日、多臓器不全のため、死去した。85歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5… 井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5日 - 2025年〈令和7年〉8月25日)は、日本の元政治家、元大学教授。位階は従三位、勲等は勲一等。大阪府摂津市長、衆議院議員、衆議院運輸委員会委員長、日本社会党副委員長、郵政大臣を歴任した。 大阪府三島郡鳥飼村(現在の摂津市鳥飼野々)で農家の長男として生まれる。1950年(昭和25年)に大阪府立茨木高等学校、1954年(昭和29年)に同志社大学経済学部卒業。 1968年(昭和43年)、地元摂津市の市制施行後最初の市長選挙に36歳で当選し、前身である三島町の成立以来町長・市長を12年務めた深田丈夫に代わって市長に就任した(当時の史上最年少市長)。
廣瀬 久也(ひろせ ひさや、[1932年 -2021年])は… 廣瀬 久也(ひろせ ひさや、[1932年 -2021年])は、日本の広告学者。 1955年同志社大学法学部政治学科卒。神戸芸術工科大学教授、日本広告学会常任理事、財団法人日本民芸文化普及協会理事を務めた。
三塚 武男(みつか たけお、1932年 - 2011年3月1… 三塚 武男(みつか たけお、1932年 - 2011年3月12日)は、日本の社会福祉学者。同志社大学名誉教授、熊本学園大学教授。社会福祉学の分野においての研究で地域社会における福祉制度の在り方を問い地域住民が積極的に参加し自治を促進する方法を探る研究をしてきた。 1932年(昭和7年)宮城県に生まれる。1950年(昭和25年)に宮城県古川高等学校卒業後、同志社大学に進学、大学では社会福祉学を学び、地域社会の福祉制度に関する専門的な知識を学んだ。同志社大学文学研究科の教授として、社会福祉学を専門に教育活動を行い、地域福祉や住民自治に関する研究を重ねた。福祉学の理論だけではなく、実践的な問題解決にも重点を置いて研究を進め、地域社会での実践的な福祉制度の改善に貢献してきた。
仲村研(なかむら けん、1931年12月24日 - 1990… 仲村研(なかむら けん、1931年12月24日 - 1990年3月13日)は日本の歴史学者。専門は日本中世史。文学博士(佛教大学、1985年)。 鳥取県境港市生まれ。1955年、同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業。1963年、同志社大学大学院文学研究科文化史学専攻博士課程退学。1963年、同志社大学人文科学研究所専任研究員(助手待遇)に就任。1964年に専任研究員(専任講師待遇)、1967年に専任研究員(助教授待遇)、1975年に専任研究員(教授待遇)を経て、1978年、同志社大学人文科学研究所教授。1990年、死去。58歳没。 同志社大学で赤松俊秀に古文書学を学び、大学院では三品彰英・秋山国三らに学ぶ。
有馬 敲(ありま たかし、1931年12月17日 - 202… 有馬 敲(ありま たかし、1931年12月17日 - 2022年9月24日)は、昭和・平成期の詩人、作家。本名は西田 綽宏(にしだ のぶひろ)。日本文藝家協会、日本ペンクラブ所属。 関西詩人協会代表。京都文学研究所代表。全国生活語詩の会代表。日本国際詩人協会理事。元日本モンゴル協会会長。 1931年12月17日生まれ。京都府亀岡市出身。同志社大学経済学部卒業。同志社大学経済学部在学中に「同志社文学」を発行、実存主義の影響を受ける。卒業後、京都銀行に勤めながら詩作を続け、詩誌「ノッポとチビ」「ゲリラ」などを発行する。昭和40年代に盛んになったフォークソング運動では、高石友也、岡林信康らと交流、創作わらべうたなどがフォークシンガーたちによって歌われ、〝オーラル派〝と呼ばれる。
山内 雅夫(やまのうち まさお、1931年11月27日 - … 山内 雅夫(やまのうち まさお、1931年11月27日 - 2011年11月17日)は、占星術家であり、NHKの経済番組ディレクターであった。 1931年11月27日(昭和6年)京都府生まれ。射手座。A型。同志社大学経済学部卒業後、NHK入局。ニューヨーク特派員、経済番組担当ディレクターなどを歴任。 在職中52歳で、『占星術の世界』(中央公論社)出版。その後、『超占星術』『世界を操る黒魔術(こくまじゅつ)の呪い』などを出版。 2011年11月17日(平成23年)東京都千代田区にある神田の仕事場にて死去。死因は大動脈解離。
浜田 雄史(はまだ ゆうし、1931年11月25日 - 20… 浜田 雄史(はまだ ゆうし、1931年11月25日 - 2011年11月14日)は、日本の俳優。本名は奥村俊雄。晩年は鳥プロに所属していた。姉は松竹の女優、牧千草。 京都に生まれる。同志社大学の出身。進藤健二の紹介で大映京都の助監督の試験を受けるが、1954年(昭和29年)俳優として入社。芸名は父親の名前(浜吉)から取ったという。 1954年(昭和29年)『花の白虎隊』でデビュー(ノンクレジット)。同作では主演の市川雷蔵を始め、勝新太郎、花柳武始などの新人俳優が同時デビューしている(勝新太郎の本名は、奇しくも浜田の本名と読みが全く同じ「奥村利夫」。1931年11月29日生まれと、生年月日も浜田と近い)。
渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6… 渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6日 - 1996年〈平成8年〉4月1日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。岡山県倉敷市長。 倉敷市出身。1954年(昭和29年)同志社大学経済学部卒業。百十四銀行勤務を経て、1975年(昭和50年)以来、岡山県議会議員に4選し、1987年(昭和62年)同副議長に就任する。1991年(平成3年)倉敷市長に当選し、2期目在任中に死去した。ほか、水島ゴム工業用品社長を務めた。 市長在任中は、倉敷チボリ公園、くらしき作陽大学、倉敷芸術科学大学の誘致、下水の倍増計画に尽力した。
伊達 弘(だて ひろし、1931年8月22日 - 2021年… 伊達 弘(だて ひろし、1931年8月22日 - 2021年11月20日)は、日本の俳優、殺陣師。本名:和田 弘。 京都府出身。同志社大学中退。ダテ企画に所属していた。 1954年、東映ニューフェイス2期生としてデビュー。 俳優として活動以外にキャスティングマネージャーとしても活動している。 身長168cm。体重67kg。血液型AB型。 趣味はゴルフ、歌唱、博打。特技は日本舞踊、殺陣(指導)、カーアクション、乗馬、手本引、盃の指導。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日… 伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日本の都市計画家。早稲田大学特命教授、慶應義塾大学大学院客員教授、東京大学名誉教授。学位は工学博士(東京大学)。専門は、都市防災論、国土及び都市計画。 伊藤滋都市計画事務所主宰。一般財団法人日本地域開発センター理事長、NPO法人日本都市計画家協会会長、アジア防災センター・センター長、内閣官房都市再生戦略チーム座長、国土審議会、都市計画中央審議会委員を歴任。2030年の東京都心市街地像研究会座長。さいたま新都心計画チーフプロデューサー。環長崎港地域アーバンデザイン専門家会議座長。 東京都杉並区生まれ。父は評論家・詩人・小説家の伊藤整。成蹊学園を経て、旧制成蹊高校(理科甲類)卒業。