三保 幹太郎(みほ かんたろう、1890年8月 - 1947… 三保 幹太郎(みほ かんたろう、1890年8月 - 1947年12月12日)は、日本の実業家。広島県安芸郡仁保島村(現在の広島市南区仁保)出身。神戸第一中学校を経て神戸高等商業学校を卒業。ジャズミュージシャンでカーレーサーの三保敬太郎の父親。 日産コンツェルンの創始者鮎川義介の懐刀として、満州重工業開発理事や日本コロムビア社長、日産自動車専務などを歴任した。 1941年に建築された品川区西大井の私邸は志高荘と呼ばれ戦後は東芝会館として使われた。戦後に公職追放を受け、脳溢血で死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
上塚 司(うえつか つかさ、1890年(明治23年)5月1日… 上塚 司(うえつか つかさ、1890年(明治23年)5月1日 - 1978年10月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。
藤原 米造(ふじわら よねぞう、1890年〈明治23年〉3月… 藤原 米造(ふじわら よねぞう、1890年〈明治23年〉3月11日 - 1930年〈昭和5年〉1月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 現在の兵庫県神戸市で生まれた。1912年、神戸高等商業学校(現・神戸大学)卒。東京海上火災保険会社大阪支店に入る。のち神戸久原商事に入り、船舶部社員となる。その後、独立して海運業を営む。 1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙において兵庫1区から無所属で立候補して落選。1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙において兵庫1区から中立系で立候補して当選した。衆議院議員を1期務めた。所属会派は明政会から第一控室会となった。1930年1月、現職のまま死去した。
加藤 外松(かとう そとまつ、1890年(明治23年)3月1… 加藤 外松(かとう そとまつ、1890年(明治23年)3月1日 - 1942年(昭和17年)2月12日)は、日本の外交官。元駐フランス特命全権大使。 富山県高岡市木町出身。1911年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。高等文官試験外交官及領事官試験に合格し、1914年ニューヨーク領事官補。在フランス外交官補、外務省欧米局第二課長、在中華民国公使館一等書記官、天津総領事等を経て、1935年駐カナダ特命全権公使。1941年から駐フランス特命全権大使を務め、ヴィシー政府のフランソワ・ダルラン副首相と会談するなどして、南部仏印進駐の承認を得た。1942年2月11日深夜、パリの日本大使館で呼吸困難になり、窓を開けて外気に触れようとした際に眩暈を起こして庭に転落、病院に搬送されたが間もなく死去した。
中橋 武一(なかはし ぶいち、1890年2月27日 - 19… 中橋 武一(なかはし ぶいち、1890年2月27日 - 1963年7月8日)は、昭和期の実業家。大阪建物元社長・会長。大阪府出身。父は政治家の中橋徳五郎。 1912年に官立神戸高等商業学校(現:神戸大学)卒業後、ロンドン留学。帰国してからは大阪商船(現商船三井)へ入社し、その後は大阪住友海上火災保険、大丸の各監査役を務めた。1947年から4年間、関西経済連合会会長を務めた。大阪建物の社長、会長を歴任するほかに毎日放送、日本電気、大阪スタヂアム興業、大丸、関西電力の各取締役、住友信託銀行監査役、関西経済連合会、大阪商工会議所各顧問をそれぞれ務めた。
高垣 寅次郎(たかがき とらじろう、1890年2月26日 -… 高垣 寅次郎(たかがき とらじろう、1890年2月26日 - 1985年8月25日)は、日本の経済学者。 1890年(明治23年)、広島県尾道市生まれ。1911年(明治44年)、神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。 続いて東京高等商業学校(後の東京商科大学、一橋大学)において佐野善作に師事。同じ門下に塩野谷九十九、鬼頭仁三郎、高橋泰蔵、新庄博、岡田俊平などがいた。彰化商業銀行董事長を務めた呉金川なども高垣ゼミ出身。1913年、東京高等商業学校を卒業。 卒業後、1913年(大正2年)に三井銀行に入行。しかし1915年(大正4年)には母校の東京高等商業学校へ戻り、助教授となり、1924年(大正13年)より同校教授。
石井 光次郎(いしい みつじろう、1889年〈明治22年〉8… 石井 光次郎(いしい みつじろう、1889年〈明治22年〉8月18日 - 1981年〈昭和56年〉9月20日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等、勲章は旭日桐花大綬章。衆議院議長(第54代)、副総理、法務大臣、通商産業大臣、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、運輸大臣、商工大臣、朝日放送社長を歴任した。久留米市名誉市民。 福岡県久留米市出身。石井百次の四男として生まれ、1897年(明治30年)家督を相続。久留米商業学校(現・久留米市立久留米商業高等学校)、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、1914年(大正3年)東京高等商業学校(現・一橋大学)専攻部を卒業する。 1913年(大正2年)に高等文官試験に合格し、東京高商専攻部卒業後に警視庁警部、台湾総督府秘書課長兼外事課長などを経て1922年(大正11年)に朝日新聞社入社。
村上 義温(むらかみ よしあつ、1889年(明治22年)4月… 村上 義温(むらかみ よしあつ、1889年(明治22年)4月22日 - 1954年(昭和29年)10月20日)は、日本の外交官。駐ペルー公使。 石川県出身。1910年(明治43年)、神戸商業高等学校(現在の神戸大学)を卒業し、翌年に外交官及領事官試験に合格した。上海に領事官補として赴任し、以後大使館三等書記官、領事・関東都督府事務官、外務事務官・帝都復興院書記官などを歴任し、その間、長春、南京、ニューヨーク、イギリスに勤務した。1924年(大正13年)より香港総領事、ハンブルク総領事を務め、1931年(昭和6年)からはトルコ大使館参事官となった。1933年(昭和8年)に駐ペルー公使に任命され、1935年(昭和10年)からは駐エクアドル公使を、1936年(昭和11年)からは駐ボリビア公使を兼ねた。
大西 猪之介(おおにし いのすけ、1888年(明治21年)1… 大西 猪之介(おおにし いのすけ、1888年(明治21年)12月28日 - 1922年(大正11年)2月8日)は日本の経済学者。専攻は経済哲学・経済思想史。 京都市上京区に生まれる。1905年、京都市立商業学校を卒業し神戸高等商業学校(現・神戸大学)に入学。津村秀松に師事し、1909年、500頁に及ぶ卒業論文「帝国主義論」を提出(のち刊行)して卒業し東京高等商業学校専攻科(現・一橋大学)に入学。關一の指導を受け、關の退官後は福田徳三の指導を受けた。1911年には卒論「社会主義に関する研究」を提出し卒業し、同年小樽高等商業学校(小樽商科大学の前身)講師、小樽高等商業学校図書館主幹に就任。 1913年、同校の教授に昇任し、同年1月から1917年8月まで「経済学及商業学研究」のためヨーロッパに留学した。
沢田 豊(さわだ ゆたか、1888年10月11日 - 198… 沢田 豊(さわだ ゆたか、1888年10月11日 - 1987年3月9日)は、日本の経営者。福井県出身。 1913年に神戸高等商業学校を卒業。岩井商店での勤務を経て、1942年に関西ペイント取締役に就任し、常務を経て、1948年9月から1955年4月までに社長を務めた。 1987年3月9日、急性肺炎のために死去。98歳没。
和田 恒輔(わだ つねすけ、1887年11月3日 - 197… 和田 恒輔(わだ つねすけ、1887年11月3日 - 1979年12月2日)は、日本の実業家。山口県出身。富士電機製造(現在の富士電機)社長、富士通信機製造(現在の富士通)社長、日本原子力研究所顧問、原子力委員会参与等を務めた。正四位勲二等瑞宝章。ドイツ連邦共和国功労勲章大十字章、藍綬褒章受章。 神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。同期の高畑誠一、永井幸太郎、出光佐三と親しかった。古河鉱業入社後、1923年富士電機製造に転籍。1931年富士電機製造取締役。1945年から富士電機製造社長を務め、シーメンスとの提携や、多角経営を進めた。1953年日本ポリドール取締役。1954年富士通信機製造社長。1958年藍綬褒章受章。
丸谷 喜市(まるや きいち、1887年(明治20年)10月3… 丸谷 喜市(まるや きいち、1887年(明治20年)10月3日 - 1974年(昭和49年)7月10日)は、日本の経済学者。神戸経済大学(現・神戸大学)初代学長、神戸大学名誉教授、甲陽学院中学校・高等学校第四代校長。 北海道函館区(現・函館市)出身。北海道庁立函館商業学校(現・北海道函館商業高等学校)では宮崎郁雨と同級であった。 同校卒業後、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に進み、1910年に卒業。続いて東京高等商業学校(現・一橋大学)に進学する。東京高商在学中に石川啄木との交友が始まる。1912年に東京高等商業学校専攻部を卒業。同年4月13日に啄木が死去し、丸谷はその葬儀(4月15日)に参列後、徴兵検査のために帰郷、甲種合格となり、旭川の歩兵連隊で1年間軍務に就いた。
鈴木 祥枝 (すずき さかえ、1887年(明治20年)8月6… 鈴木 祥枝 (すずき さかえ、1887年(明治20年)8月6日- 1957年(昭和32年)2月11日)は、日本の実業家、商学博士。東京海上火災保険社長を務めた。 香川県出身。1903年(明治36年)香川県立商業学校(現香川県立高松商業高等学校)卒業。1907年(明治40年)神戸高等商業学校(現神戸大学)を第一期生として卒業。1907年(明治40年)、東京海上保険(1918年に東京海上火災保険に改称)に入社。ロンドン駐在時、鈴木商店ロンドン支店長高畑誠一、台湾銀行ロンドン支配人佐々木義彦などと親交を結ぶ。鈴木商店破綻後、日本商業(日商、現在の双日の前身企業の一つ)の創立に当たり高畑に大きな援助を与えた。
永井 幸太郎(ながい こうたろう、1887年4月4日 - 1… 永井 幸太郎(ながい こうたろう、1887年4月4日 - 1983年1月23日)は、日本の実業家。高畑誠一とともに日商を設立し、同社代表取締役社長や、貿易庁長官、学校法人甲南学園理事長、日本発条代表取締役社長等を歴任した。藍綬褒章受章。 兵庫県氷上郡(現丹波市)山南町下滝出身。柏原中学校(現兵庫県立柏原高等学校)首席卒業を経て、1909年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。同期には高畑誠一や出光佐三、和田恒輔がいた。卒業後スタンダード石油入社。その後高畑の誘いを受け鈴木商店に入社。本店穀肥主任、取締役本店総支配人等を経て、日本商業に出向。鈴木商店破綻後、台湾銀行の森広蔵頭取や三菱財閥の各務鎌吉などの支援を得て、高畑らとともに日本商業を分離して日商を設立し取締役に就任した。
高畑 誠一(たかはた せいいち、1887年(明治20年)3月… 高畑 誠一(たかはた せいいち、1887年(明治20年)3月21日 - 1978年(昭和53年)9月19日)は、日本の実業家。日商株式会社(後の日商岩井、現・双日)の元会長。 愛媛県喜多郡内子町出身。父・宗次郎、母・タキセの長男。生家は内子町ではかなり古い家系で、誠一で14代目になる。呉服、食料品、日用雑貨までなんでも扱う小売店をやっていた。いわゆる“よろずや”だったが、誠一が小学校にあがる頃この“よろずや”を廃業し、生糸と木蝋の製造業を始めた。 旧制西条中学校(現・愛媛県立西条高等学校)を経て神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業。同期に永井幸太郎、出光佐三、和田恒輔。神戸高商在学中は三井物産への入社を志望していたが、尊敬する同校校長の水島銕也の推薦ということで鈴木商店に入社する。
高井 商二(たかい しょうじ、1886年(明治19年)6月4… 高井 商二(たかい しょうじ、1886年(明治19年)6月4日 - 1931年(昭和6年)3月14日)は、日本の醸造家、政治家。衆議院議員(滋賀県第四区選出、当選1回)。 滋賀県蒲生郡日野町出身。1909年、神戸高等商業学校卒業。陸軍に入り、三等主計となる。醤油醸造業を営み、日野町教育会理事、学務委員、日野実科高等女学校(現・滋賀県立日野高等学校)商議員、蒲生郡議、日野町主事となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において滋賀4区から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務めた。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1931年死去。
星島 義兵衛(ほしじま ぎへえ、1885年(明治18年)12… 星島 義兵衛(ほしじま ぎへえ、1885年(明治18年)12月17日 - 1968年(昭和43年)7月25日)は、日本の実業家。元岡山県農工銀行頭取。岡山商工会議所設立者・初代会頭。 岡山県児島郡藤戸村生まれ。1905年岡山県立岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)卒業。1909年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。1913年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部銀行科卒業。 星島銀行入行後、1925年岡山県農工銀行取締役。1928年岡山県農工銀行頭取。1934年初代岡山ロータリークラブ会長。1936年日本赤十字社評議員。 1943年岡山県商工経済会会頭。1944年日本勧業銀行顧問。1946年岡山商工会議所発起人総代・初代会頭。
出光 佐三(いでみつ さぞう、1885年〈明治18年〉8月2… 出光 佐三(いでみつ さぞう、1885年〈明治18年〉8月22日 - 1981年〈昭和56年〉3月7日)は、明治から戦後にかけての日本の実業家・石油エンジニア・海事実業家・慈善家。石油元売会社出光興産の創業者。貴族院多額納税者議員。フランス共和国文化勲章コマンドール受章。 神戸高等商業学校(現・神戸大学)卒業。同校で水島銕也校長に師事し「士魂商才」の理念に感化を受ける。同期に高畑誠一、永井幸太郎、和田恒輔。内池廉吉教授の「商業概論」の講義で受けた「商売は金儲けではない」との教えから、1940年に出光興産創業後、大地域小売業を展開した。 弟(六男)・出光計助は1966年10月から1972年1月まで第2代社長。
伊藤 述史(いとう のぶふみ、1885年〈明治18年〉8月1… 伊藤 述史(いとう のぶふみ、1885年〈明治18年〉8月19日 - 1960年〈昭和35年〉4月3日)は、日本の外交官。情報局総裁、貴族院議員等を務めた後、戦後GHQにより公職追放された。 愛媛県新居郡宇高村(高津村を経て現新居浜市)で、医師・伊藤道冲の長男として生まれた。東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後外務省入省。その後リヨン大学に留学。各赴任先で英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語などを次々と習得し語学の天才と評された。法学博士。妻はフランス人。 満州事変前後を通じ国際連盟政府代表代理を務め日本の国際連盟脱退を実現。1937年から支那欧米諸国歴訪特命全権公使を務め、日独伊三国同盟推進派だった大島浩駐ドイツ大使や白鳥敏夫駐イタリア大使の説得にあたったのち、1940年からは内閣情報部長や初代内閣情報局総裁を務め情報統制を行った。
阿部 嘉七(あべ かしち、1885年(明治18年)3月16日… 阿部 嘉七(あべ かしち、1885年(明治18年)3月16日 - 1952年(昭和27年)6月7日)は、日本の内務・警察官僚。民政党系官選県知事、門司市長。 熊本県熊本区小幡町で、阿部嘉平の三男として生まれる。壷川小学校、熊本県立商業学校を経て、1910年3月、神戸高等商業学校(現神戸大学)を卒業。1912年7月、東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、逓信省に入省し郵便貯金局書記となる。 1913年2月、内務省に転じ石川県属に就任。1915年12月、台湾総督府に転じ、同府事務官・民政部殖産局庶務課長に就任し、さらに財務局会計課長を務めた。
中馬 猪之吉(ちゅうまん / ちゅうま いのきち、1885年… 中馬 猪之吉(ちゅうまん / ちゅうま いのきち、1885年(明治18年)1月31日 - 1971年(昭和46年)1月23日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。参議院議員(1期)、鹿児島県国分市長(第2代)、鹿児島県会議長。 鹿児島県囎唹郡国分郷(現・霧島市)で、中馬猪之助の長男として生まれる。1906年(明治39年)12月、神戸高等商業学校(現神戸大学)を中退した。1922年(大正11年)父の隠居に伴い家督を相続し農業を営む。 青年団長などを務め、1923年(大正12年)9月、鹿児島県会議員に選出され1947年(昭和22年)まで連続5期在任した。この間、副議長、議長、東国分村長、大政翼賛会鹿児島県支部常務委員などを務めた。
前田 房之助(まえだ ふさのすけ、1884年〈明治17年〉9… 前田 房之助(まえだ ふさのすけ、1884年〈明治17年〉9月15日 - 1965年〈昭和40年〉2月18日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 衆議院議員(8期)。 兵庫県武庫郡大社村生まれ。前田四郎兵衛の三男。先代の四郎兵衛は大社村長を務めた。1907年(明治40年)、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業。1909年(明治42年)、家督を相続した。 武庫郡会議員、大社村長等に挙げられる。1924年(大正13年)の第15回総選挙に政友本党公認で立候補し初当選。1927年(昭和2年)に政友本党が憲政会と合同して立憲民政党を結党したため、前田も民政党に所属し同党の総務、政調会長を務めた。 西宮土地、宝塚尼崎電気鉄道各社長を務めた。
豊田 利三郎(とよだ りさぶろう、1884年(明治17年)3… 豊田 利三郎(とよだ りさぶろう、1884年(明治17年)3月5日 - 1952年(昭和27年)6月3日)は、日本の実業家。位階は従五位。勲等は勲四等。 株式会社豊田自動織機製作所社長(初代)、豊田紡織株式会社社長(第3代)、トヨタ自動車工業株式会社社長(初代)、豊田工機株式会社社長(初代)などを歴任した。 豊田佐吉の婿養子(長女愛子の夫)で、豊田自動織機製作所及びトヨタ自動車工業の初代社長である。ただし、トヨタ自動車工業の実質的な創業者は、佐吉の実子で利三郎の義弟にあたる豊田喜一郎であるとされる。利三郎は元々は車作りに反対していたが、喜一郎の細かい計画や上海自動縫の西川からの資金援助で豊田自動車(後のトヨタ自動車)を設立した。
小曽根 貞松(おぞね さだまつ、1879年4月18日 - 1… 小曽根 貞松(おぞね さだまつ、1879年4月18日 - 1951年11月4日)は、日本の実業家。阪神鉄工所、神戸瓦斯、オリエンタルホテル各社長。 神戸の資産家・小曽根喜一郎の長男として生まれる。兵庫県神戸市出身。神戸高等商業学校を卒業。 神戸市会議員を経て、1918年に阪神鉄工所社長に、1927年に神戸瓦斯社長に、1940年にオリエンタルホテル社長にそれぞれ就任した。 阪神電鉄では、1932年に監査役に就任し、取締役を経て、1946年10月に社長に就任した。1950年4月に体調不良により、社長を辞任。神戸商工会議所常議員や大阪タイガースオーナーも務めた。 1932年に紺綬褒章を受章した。
原口 亮平(はらぐち りょうへい、1878年(明治11年)4… 原口 亮平(はらぐち りょうへい、1878年(明治11年)4月14日 - 1951年(昭和26年)1月29日)は、日本の会計学者。神戸大学名誉教授。元兵庫県立神戸高等商業学校校長、元神戸商業大学学長事務代理。 兵庫県三原郡榎列村(現南あわじ市)で原口家八代目として生まれる。旧制姫路中学校(現兵庫県立姫路西高等学校)を経て、1900年高等商業学校(現一橋大学)卒業。神戸商業大学(現神戸大学)教授となり、同大学学長事務代理も務めた。1938年に名誉教授の称号を受け、普通試験委員長も退任し、従三位に叙された。同年兵庫県立神戸高等商業学校校長に就任。1941年依願退官。また、勲二等瑞宝章も受章した。
津村 秀松(つむら ひでまつ、1876年6月14日 - 19… 津村 秀松(つむら ひでまつ、1876年6月14日 - 1939年12月23日)は日本の経済学者、実業家。神戸高等商業学校(現・神戸大学)教授、大阪鐵工所(現・日立造船)取締役会長等を歴任した。 1876年、和歌山県日高郡御坊村(現・御坊市)生まれ。旧制和歌山県立和歌山中学校(現・和歌山県立桐蔭高等学校)を経て、1899年東京高等商業学校 (現・一橋大学)専攻部を卒業。東京高等商業学校校長だった小山健三の娘と結婚した。 1900年から1903年まで欧米に留学し、留学中に石川巌・石川文吾・神田乃武・瀧本美夫・志田鉀太郎・福田徳三・関一とともに「商業大学の必要」を建議し、東京高商の大学昇格運動を始めた。
田崎 慎治(たざき しんじ、1872年5月6日(明治5年3月… 田崎 慎治(たざき しんじ、1872年5月6日(明治5年3月29日) - 1954年(昭和29年)4月3日)は、日本の商学者。村瀬春雄門下で、専門は海運論、海上保険論。神戸大学名誉教授、神戸商業大学(現神戸大学)初代学長。パルモア学院学院長(1944年-1947年)。正三位勲一等。 長崎県西彼杵郡三重村(現長崎市三重)出身。田崎慶治の三男、同周三郎の弟、同武男の兄として生まれ、1910年(明治43年)分家する。 長崎商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)を経て、1901年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部保険科を卒業。日本における保険学の祖である村瀬春雄の最初の門下生となった。村田省蔵は友人。
福井 久蔵(ふくい きゅうぞう、1867年12月13日(慶応… 福井 久蔵(ふくい きゅうぞう、1867年12月13日(慶応3年11月18日) - 1951年(昭和26年)10月23日)は、日本の国語学者・国文学者。号は白陽子、楽山、小松園など。 但馬国二方郡熊谷村(後に兵庫県温泉村、現在の新温泉町熊谷)に生まれる。1890年、兵庫尋常師範学校を卒業し、神戸小学校教諭となる。1893年、上京して上田萬年の指導を受ける。1895年、中等学校国語科教員検定試験に合格し、山口中学校教諭となる。1898年、東京府立第一中学校教諭へ転任。1905年、学習院教授。1912年12月18日、勲六等瑞宝章。1925年、駒澤大学教授。1936年「連歌の史的研究」で京都帝国大学より文学博士号を授与される。
水島 銕也(みずしま てつや、元治元年6月29日(1864年… 水島 銕也(みずしま てつや、元治元年6月29日(1864年8月1日) - 昭和3年(1928年)11月2日)は、神戸高等商業学校(神戸大学の前身)の創立者、初代校長。雅号「愛庵」。 豊前国中津藩藩士の長男として生まれる。幼少期に両親が離婚。さらに14歳のときに叔父が西南戦争で西郷軍に味方し、鹿児島で戦死。そのことに衝撃を受けた父が急死する。そのため姫路の伯父の家に引き取られた。 城東小学校から旧制姫路中学校(現兵庫県立姫路西高等学校)に入学。野口ゆからとともに姫路中学の1期生の1人だった。同校卒業後、工部大学(現東京大学工学部)への進学を希望していたが、伯父の「同郷の中津出身者が多い学校の方が良いだろう」という言葉に影響を受け、1881年に神戸商業講習所(現兵庫県立神戸商業高等学校)へ入学した。
小橋 勝之助(こばし かつのすけ、1863年4月12日〈文久… 小橋 勝之助(こばし かつのすけ、1863年4月12日〈文久3年2月25日〉 - 1893年3月12日)は、明治時代の社会事業家。日本で最も古い児童施設の一つである博愛社(現・社会福祉法人博愛社)を創設し、小野田鉄弥、弟・小橋実之助、林歌子らと孤児の養育に尽力した。 1863年(文久3年)、播磨国赤穂郡瓜生(現・兵庫県相生市)に庄屋(地主)の小橋亀次郎の長男として生まれる。 竜野中学に入学し、儒学者の矢野真吾に学ぶ。神戸医学校予科(現・神戸大学医学部)を卒業後に上京し、高瀬真郷の心学や感化事業に影響を受ける。 1887年(明治20年)、東京での修学中に結核にかかり、英国の実践者J.ミューラーとの出会いをきっかけに洗礼を受けて聖公会の信徒となり、チャニング・ウィリアムズ主教(立教大学創設者)から薫陶を受けた。
高井 利一郎(たかい りいちろう、1859年6月17日〈安政… 高井 利一郎(たかい りいちろう、1859年6月17日〈安政6年5月17日〉 - 没年不明)は、日本の政治家(姫路市会議員)、名望家、実業家。高井織物取締役社長。高井綿ネル工場主。万里銀行取締役。姫路足袋相談役。中播織物同業組合長。族籍は兵庫県平民。 兵庫県平民・中山治三郎の弟。1883年6月、先代高井つねの入夫となり、家督を相続した。初め県立師範学校を卒業し教鞭を執ったが、のち染木綿染手拭製造を創めた。経営は思うようにならなかったので方法を改め新たに海外より諸機械を購入し、原料を精選し製品が精良になるように努めた結果声価が高まった。 年産額32万円に達し直接国税954余円を納める盛況を見た。1916年、株式組織に変更し社長となった。
藤野 辰次郎(ふじの たつじろう、1858年1月23日(安政… 藤野 辰次郎(ふじの たつじろう、1858年1月23日(安政4年12月9日)- 1909年(明治42年)7月29日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 近江国愛知郡下枝村(滋賀県愛知郡下枝村、日枝村大字下枝、犬上郡豊郷村を経て現豊郷町)で、豪農・7代藤野四郎兵衛良久の二男として生まれた。神戸高等商業学校、東京高等商業学校専攻部を卒業した。他店で経験を積み、その後、藤野店を担当した。 1876年(明治9年)6月、大阪第三区大区二等戸長兼学区取締に就任。その後、大阪府会議員に選出された。1885年(明治18年)滋賀県会議員にも選ばれた。その他、破産管財人、神崎愛知郡所得税調査委員、愛知郡所得税取調委員なども務めた。
植木 致一(うえき ちいち、1849年5月5日(嘉永2年4月… 植木 致一(うえき ちいち、1849年5月5日(嘉永2年4月13日) - 1906年(明治39年)8月16日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 丹波国氷上郡和田村(のち兵庫県氷上郡和田村、山南町を経て現丹波市)生まれ。1872年、豊岡県教員伝習所(のち兵庫県師範学校、現・神戸大学教育学部)卒。農業を営み、和田村成章小学校教員兼校長、兵庫県会議員、氷上郡蚕糸業組合長、兵庫県茶業組合会議員、和田村長、同村会議員、町村組合会議員となる。 1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙において兵庫県第3区から自由党公認で立候補したが38票差で落選。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では兵庫県第3区から憲政党公認で立候補して当選した。
松宮 利佳(まつみや りか、8月6日 - )は、福井放送 (… 松宮 利佳(まつみや りか、8月6日 - )は、福井放送 (FBC) の元社員。 福井県鯖江市出身。血液型はO型。鯖江市鯖江中学校卒業。福井大学教育地域科学部音楽教育コースを卒業し、神戸大学大学院総合人間科学研究科人間行動・表現学コースを修了後福井放送(FBC)に入社。学生時代は、県の観光宣伝隊やスポレク福井2004のキャンペーンガールに選ばれた。FBCではラジオセンターのディレクターとして活躍し、2008年10月から2009年3月までは『夜はここからムジカ・ノート』のパーソナリティを務めた。
秦 萌(はた めぐみ、6月3日 - )は、テレビ宮崎の報道記… 秦 萌(はた めぐみ、6月3日 - )は、テレビ宮崎の報道記者で、同局の元アナウンサー。 大阪府吹田市出身。大阪府立北野高等学校、神戸大学国際文化学部卒業。 大学を卒業後、2020年にテレビ宮崎に入社。アナウンサーになり、同年6月に初鳴きを果たした。
山下 絵里香(やました えりか、4月12日 - )は、日本の… 山下 絵里香(やました えりか、4月12日 - )は、日本のナレーター、女性声優。石川県出身。愛称は、エッカ。 石川県立金沢泉丘高等学校卒業、神戸大学発達科学部卒業、青二塾大阪校19期生。
谷村政樹(たにむら まさき)はフジテレビドラマ制作センター所… 谷村政樹(たにむら まさき)はフジテレビドラマ制作センター所属のテレビドラマ演出家。
岩前 篤 は、日本の工学者・建築学者。ウムヴェルト建築総合研… 岩前 篤 は、日本の工学者・建築学者。ウムヴェルト建築総合研究所 主宰。一般社団法人 みらい 建築・住宅研究機構(HEAT20) 理事。一般社団法人 き塾 理事。一般社団法人 住まいの屋根換気壁通気研究会 理事。一般社団法人 日本人の健康をつくる住宅断熱リフォーム推進協議会 代表理事。元 近畿大学副学長・建築学部教授。研究分野は社会基盤(土木・建築・防災)、建築環境、建築設備。
上野 晶子(うえの あきこ)は、チェンバロ奏者。兵庫県出身。… 上野 晶子(うえの あきこ)は、チェンバロ奏者。兵庫県出身。ソリストおよび室内楽奏者として幅広い演奏活動を行う一方、相愛大学音楽学部にて後進の指導にあたる。 アメリカにおけるチェンバロの第一人者で、ニューヨーク・フィルハーモニックのチェンバロ奏者をも務めるライオネル・パーティーのもとで研鑽を積む。室内楽をキャロル・ウインセンクに師事。
上原 みなみ は、日本の気象予報士、タレント、政治家。現神戸… 上原 みなみ は、日本の気象予報士、タレント、政治家。現神戸市会議員(3期目)。
浴野 真志(えきの まさし)は日本の実業家。株式会社Groo… 浴野 真志(えきの まさし)は日本の実業家。株式会社Groovement 代表取締役。「プロフェッショナルが挑戦し続けられる社会」を掲げ、単なる労働力の提供ではなく、自律した人材が主体的にキャリアを築ける環境作りを重視している。 幼少期より5年間、オーストラリアで過ごす。海外生活を通じて日本のものづくりの高い評価を実感したことから、神戸大学経済学部卒業後、国内大手精密機器メーカーに入社。 その後、より高い熱量を持って仕事に打ち込む環境を求め、コンサルティング業界へ転身する。 デロイト トーマツ コンサルティング、およびフィールドマネージメント(現:FIELD MANAGEMENT STRATEGY)にて、主にB2C領域(グルメサイト、エンタメ、化粧品通販など)のマーケティング戦略立案、新規事業検討、実行支援に従事。
鎌倉 昭雄(かまくら あきお)は、日本の実業家。吉富製薬(の… 鎌倉 昭雄(かまくら あきお)は、日本の実業家。吉富製薬(のちのウェルファイド。現・田辺ファーマ代表取締役社長、同社代表取締役会長を務めた。
川畑 亜紀(かわばた あき)は、日本の司会者、フリーアナウン… 川畑 亜紀(かわばた あき)は、日本の司会者、フリーアナウンサー、ナレーター。元静岡エフエム放送(K-MIX)のアナウンサー。 ※登壇歴は公表されているものの一部を掲載
具 英成(グ・ヨンソン、ぐ えいせい)は、日本の医師、医学者… 具 英成(グ・ヨンソン、ぐ えいせい)は、日本の医師、医学者。公益財団法人甲南会理事長、甲南医療センター院長。日本消化器外科学会名誉会長、日本癌治療学会名誉会員、日本消化器病学会功労会員、日本外科学会特別会員、日本肝胆膵外科学会特別会員などを歴任。 島根県に林業を営む父を持ち、10人兄弟の8番目として生まれる。在日2世であったため、露骨な民族差別を受けたものの、両親や兄弟に守られ、さほどダメージはなかった。長兄が今なら助かる事故で亡くなり、母が深い悲しみを抱いていたことや、医療の重要さを思い知ったこと、医者になることを兄弟から強く勧められたことがきっかけで医学に興味を持つ。高校2年生のとき医者になる決意を固める。
小西 雅子 は、世界自然保護基金(WWF)ジャパン 気候変動… 小西 雅子 は、世界自然保護基金(WWF)ジャパン 気候変動オフィサー、気象予報士(日本気象予報士会副会長)。
清水 陽子(しみず ようこ)は、日本の現代芸術家、芸術監督、… 清水 陽子(しみず ようこ)は、日本の現代芸術家、芸術監督、バイオテクノロジー開発者。先端科学を取り入れた芸術作品やデザイン、技術開発を手がける。 科学と芸術の融合をテーマに、生物や生命、自然現象を活かした作品や技術のプロトタイプを研究・開発し、世界各地で制作・展示を行っている。 その作品は、東京都現代美術館(MOT)、今日美術館(TAM)、デザイン・アトランタ美術館(MODA)、アルス・エレクトロニカ・センター(オーストリア)など、国内外の美術館で展示されている。また、BBC(イギリス)や日本テレビなどのメディアでも取り上げられている。 日本で生まれ、アメリカ合衆国で育つ。芸術と科学に興味を持ち、大学では生化学を専攻していた(神戸大学)。
末包 伸吾(すえかね しんご)は、神戸大学大学院工学研究科建… 末包 伸吾(すえかね しんご)は、神戸大学大学院工学研究科建築学専攻・教授・博士(工学)、一級建築士。
高橋 永 は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。
武市 昌久(たけいち まさひさ)は、徳島県出身の作曲家、編曲… 武市 昌久(たけいち まさひさ)は、徳島県出身の作曲家、編曲家。神戸大学経済学部卒業。本名・武市正久(読み方は同じ)。 ☆は、作曲も手掛けた楽曲。無印は編曲を担当したもの。OP=主題歌、ED=副主題歌、IN=挿入歌。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
諫早 庸一(いさはや よういち)は、日本の東洋史学者。北海道… 諫早 庸一(いさはや よういち)は、日本の東洋史学者。北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター特任准教授。専門はモンゴル帝国史。 HANEDA Masashi(担当:共著, 範囲:Vicissitudes of Nourūz: Islam, Zoroastrianism, and Historical Time Scales)UTCP 清水 和裕, 清水 和裕(担当:共訳, 範囲:第9章「東方におけるイスラーム」、第11章「オスマン帝国の勃興」)(原著:デヴッド・ニコル, 清水 和裕, 岡本恵, 諫早庸一, 大東敬典, 濱崎睦)明石書店 (ISBN: 4750339628) 斎藤 憲, 三浦 伸夫, 三宅 克哉(担当:共訳, 範囲:スィヤーク――ペルシャ語文化圏における数字表記と計算能力――)(原著:Eleanor Robson, Jacqueline Stedall)共立出版 (ISBN: 4320110889) 吉川 浩満, 稲葉 振一郎, 木島 泰三, 粥川 準二, ベンジャミン クリッツアー, 山本貴光, 飯島 和樹, 片岡 雅知, 柴田 英里, 井上 智洋, 平野 徳恵, 諫早 庸一, 國分 功一郎, 朴 沙羅, 栗原 康, 岩沢 蘭(担当:共著, 範囲:歴史の未来 歴史学の明日——「歴史の終わり」から間主観性の歴史叙述へ——)太田出版 (ISBN: 4778315766) Nathan SIDOLI, Yoichi ISAHAYA(担当:共著)Springer (ISBN: 9783319946603) Yoichi ISAHAYA(担当:分担執筆, 範囲:Sino-Iranica in Pax Mongolica: The Elusive Participation of Syriac-Rite Christians in the Ilkhanid Translation Project)北京大学出版社 (ISBN: 9787301303283)