野尻 武敏(のじり たけとし、1924年10月16日 - 2… 野尻 武敏(のじり たけとし、1924年10月16日 - 2018年10月29日[要出典])は、日本の経済学者、神戸大学・大阪学院大学名誉教授。専門分野は経済政策論、比較経済体制論。 1924年、大分県生まれ。1949年に神戸経済大学(現神戸大学)を卒業。大学では、五百籏頭眞治郎に師事した。 1950年に神戸大学経済学部助手として採用される。1952年に講師、1954年に助教授、1964年に教授昇進。1966年に学位論文『一般経済政策論の動向と基本問題』を神戸大学に提出して経済学博士号を取得。1988年に神戸大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大阪学院大学経済学部教授として教鞭をとった。
百々 和(どど かず、1919年7月5日 - 2011年2月… 百々 和(どど かず、1919年7月5日 - 2011年2月18日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。 兵庫県武庫郡須磨町(現神戸市須磨区)出身。1943年満州建国大学卒。入営し、敗戦後残留日本軍として中国共産党軍と戦い(中国山西省日本軍残留問題)、1949年中華人民共和国に抑留され、1956年帰国、神戸大学経済学部大学院に入り、1962年博士課程満期退学。1960年龍谷大学助手、1964年神戸大学教養部講師、1964年助教授、1970年神戸大学より経済学博士の学位を取得、1972年教授となり、1983年定年退官、名誉教授となり、神戸学院大学教授、広島経済大学教授を務め、1996年退職。中国での体験をめぐり「蟻の兵隊」にも出演している。
名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 20… 名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 2002年1月8日)は、日本の経済学者。 福岡県出身。神戸商業大学(現・神戸大学)卒。彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)講師、広島大学経済学部講師、助教授、1961年教授。1982年定年退官、名誉教授、日本大学経済学部教授、1974年「資金流通分析の基礎理論」で日大経済学博士。1990年東京国際大学教授、九州保健福祉大学学長。産業総論、経営学、財政学、税制論、地下経済などを研究し、生活者経済学を提唱した。
矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月2… 矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月24日 - 1990年 <平成2年> 3月3日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 1916年、福井県福井市生まれ。福井市立福井商業学校(現福井県立福井商業高等学校)を経て、1937年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)を卒業。商業学校では、赤松要ゼミで学んだ。その後は神戸商業大学(現神戸大学)に進み、1940年に卒業、田中金司ゼミで学んだ。 卒業後、指導教官田中の推薦で、1940年に神戸商業大学助手に採用。1944年より神戸商業大学大東亜研究所調査員。1944年に神戸経済大学助手、1946年に同助教授、1952年に同教授に昇進。
渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1… 渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1998年12月8日)は、日本の経済学者で、特にフランソワ・ケネーなど、アダム・スミス以前の初期経済学説史を専門とした。 前身の大倉経済専門学校の時代を含め、東京経済大学に長く勤め、経済学部長や学長(1976年 - 1984年)などを歴任した。 大倉財閥が創設した大倉高等商業学校(東京経済大学の前身校)に学び、1934年に卒業して、神戸商業大学に進み、1937年に同大学を卒業して母校である大倉高商の専任講師となり、1939年には教授に昇任した。早くから大倉高商~大倉経専の大学への昇格を唱え、戦後の大学昇格運動において中心的役割を担った。 1949年、新制大学として東京経済大学が発足すると、教授として経済原理、経済学史を担当した。
宮下 忠雄(みやした ただお、1909年2月7日 - 199… 宮下 忠雄(みやした ただお、1909年2月7日 - 1990年9月27日)は、日本の中国経済学者。 1909年、長野県上田市で生まれた。名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)に入学し、田中金司に師事した。1929年にに卒業。神戸商業大学(現・神戸大学)に進み、1932年に卒業。 卒業後は東亜同文書院教授に就いた。1941年、母校の神戸商業大学助教授に任命された。同大学が1944年10月に神戸経済大学に改称となったことから、以降同大学助教授。 1947年に教授昇格。1949年、新制大学発足にともない神戸経済大学が神戸大学に包摂となったため、1952年以降は神戸大学経済学部教授。同1952年、学位論文『近代中国銀両制度の研究』を神戸大学に提出して経済学博士の学位を取得。
宮川 武雄(みやかわ たけお、1909年1月24日 - 19… 宮川 武雄(みやかわ たけお、1909年1月24日 - 1988年6月12日)は、日本の経済学者。 1909年(明治42年)大阪市船場生まれ。1929年(昭和4年)名古屋高等商業学校卒、1932年(昭和7年)神戸商業大学卒、1934年(昭和9年)同研究科修了、浪速高等学校教授、1937年(昭和12年)大阪商工会議所調査課長、1941年(昭和16年)横浜専門学校教授、1950年(昭和25年)校名変更で神奈川大学助教授、1953年(昭和28年)教授。1969年(昭和44年)から経済学部長を二度務める。1979年(昭和54年)定年退任、名誉教授、創価大学教授。1962年 名古屋大学にて経済学博士取得。
藤井 茂(ふじい しげる、1908年6月13日 - 2000… 藤井 茂(ふじい しげる、1908年6月13日 - 2000年6月30日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。専門は国際経済学、特に国際貿易論。 1908年、兵庫県加東郡滝野町(現・加東市)で生まれた。小野中学校(現・兵庫県立小野高等学校)を経て、神戸商業大学(現・神戸大学)に進んだ。在学中は瀧谷善一に師事し、1932年に卒業。 1940年、神戸商業大学助教授に就いた。1946年に神戸経済大学教授に昇格。1949年、学位論文『国際貿易論』を神戸経済大学(現・神戸大学)に提出して経済学博士号を取得。1953年に神戸大学経済学部教授となった。1960年から1962年まで経済学部長を務めた。1972年に神戸大学を定年退官し、名誉教授となった。
家本 秀太郎(いえもと ひでたろう 1908年 - 1979… 家本 秀太郎(いえもと ひでたろう 1908年 - 1979年)は経済学者。神戸大学経済学部名誉教授。正四位勲三等瑞宝章。産業連関表で有名な米国経済学者のワシリー・レオンチェフの主著「アメリカ経済の構造」を訳した。クララオンラインの創業者である家本賢太郎は孫。
野村 寅三郎 (のむら とらさぶろう、1902年 <明治35… 野村 寅三郎 (のむら とらさぶろう、1902年 <明治35年> 11月30日 - 1985年 <昭和60年> 1月22日)は、日本の交通経済学者。神戸大学名誉教授。元日本海運経済学会副会長。位階は正四位。 京都市下京区四条通室町東入函谷鉾町生まれ。1921年京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校)卒業。級友に新庄博神戸大学名誉教授がいた。 1924年神戸高等商業学校(現神戸大学)本科第二学年修了。1927年東京商科大学(現一橋大学)卒業。内池廉吉ゼミ出身で、専門は交通論。同年同大学補手。1928年中央気象台附属測候技術官養成所(現気象大学校)講師。1929年神戸商業大学助手。 1930年から文部省留学生として、ドイツやウィーン、イタリア、アメリカ合衆国に留学し、レオポルト・マイヤーに師事するなどした。
生島 広治郎(生島 廣治郎、いくしま ひろじろう、1897年… 生島 広治郎(生島 廣治郎、いくしま ひろじろう、1897年(明治30年)7月4日 - 1983年(昭和58年)10月2日)は、日本の経済学者。経済学博士。近畿大学名誉教授。 兵庫県神戸市元町通1丁目、生島藤吉の二男。1920年、神戸高等商業学校卒業。1922年、東京商科大学専攻部卒業(商学士)、同年に神戸高等商業学校商業研究所調査員。1923年、神戸高等商業学校講師。1926年、神戸高等商業学校教授。 1930年、神戸商業大学助教授。1933年、神戸商業大学教授。1944年、神戸経済大学教授となる。1945年、神戸経済大学より「世界経済学ノ根本問題」で経済学博士の学位を授与され、同大学を退官する。
宮田 喜代蔵 (みやた きよぞう、1896年1月23日 - … 宮田 喜代蔵 (みやた きよぞう、1896年1月23日 - 1977年7月7日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 1896年、岡山市で生まれた。1914年に金川中学校(現・岡山県立金川高等学校)を卒業し、神戸高等商業学校(現・神戸大学)本科に進んだ。在学中は坂西由蔵に師事した。1918年に卒業。その後は東京商科大学(現・一橋大学)専攻部領事科に進み、1921年に卒業。福田徳三ゼミに所属し、福田ゼミの同期には赤松要、大熊信行、梅田政勝がいた。 卒業後は名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)教授となった。1922年から2年間欧州留学を命じられ、イギリス、ドイツ、アメリカに留学。
坂本 彌三郎(さかもと やさぶろう、1894年4月 - 19… 坂本 彌三郎(さかもと やさぶろう、1894年4月 - 1981年2月20日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。神戸大学名誉教授。初代神戸大学経済学部長や、初代神戸学院大学経済学部長を務めた。 1894年、広島県尾道市で生まれた。尾道商業学校(現・広島県立尾道商業高等学校)、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、東京高等商業学校(現・一橋大学)専攻部貿易科に進んだ。1917年に卒業。 1919年、神戸高等商業学校教授に就いた。1929年より神戸商業大学(現・神戸大学)助教授兼神戸商業大学附属商学専門部教授。1930年に神戸商業大学教授に昇格。 新制大学への包摂に伴い、1949年からは神戸大学教授兼神戸大学神戸経済大学教授。
五百籏頭 眞治郎(いおきべ しんじろう、1894年(明治27… 五百籏頭 眞治郎(いおきべ しんじろう、1894年(明治27年) - 1958年(昭和33年)10月1日)は日本の経済学者。専門は経済政策、経済思想史、イタリア経済学。神戸大学名誉教授、経済学博士。敬虔なクリスチャンであり、キリスト教所有権思想の研究などを行った。イタリア政府より聖マウリッツィオ・ラザロ勲章コンメンダトーレ章を、ローマ教皇庁より大聖グレゴリウス勲章コンメンダトーレ章をそれぞれ受章。
大塚 金之助(おおつか きんのすけ、1892年5月15日 -… 大塚 金之助(おおつか きんのすけ、1892年5月15日 - 1977年5月9日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。 近代経済学から始め、ベルリン大学留学後、マルクス経済学者となり、治安維持法で検挙された。日本の降伏後復帰し、日本学士院会員、日本ドイツ民主共和国友好協会会長等を務めた。フンボルト大学名誉哲学博士。 1892年、東京府神田で生まれた。旧制神戸第一中学校(現兵庫県立神戸高等学校)を経て、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に進学。在学中は授業料免除特待生であり、坂西由蔵ゼミで学んだ。その後東京高等商業学校(現・一橋大学)専攻部に進み、坂西の師にあたる福田徳三ゼミで指導を受けた。1916年に卒業。
高垣 寅次郎(たかがき とらじろう、1890年2月26日 -… 高垣 寅次郎(たかがき とらじろう、1890年2月26日 - 1985年8月25日)は、日本の経済学者。 1890年(明治23年)、広島県尾道市生まれ。1911年(明治44年)、神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。 続いて東京高等商業学校(後の東京商科大学、一橋大学)において佐野善作に師事。同じ門下に塩野谷九十九、鬼頭仁三郎、高橋泰蔵、新庄博、岡田俊平などがいた。彰化商業銀行董事長を務めた呉金川なども高垣ゼミ出身。1913年、東京高等商業学校を卒業。 卒業後、1913年(大正2年)に三井銀行に入行。しかし1915年(大正4年)には母校の東京高等商業学校へ戻り、助教授となり、1924年(大正13年)より同校教授。
大西 猪之介(おおにし いのすけ、1888年(明治21年)1… 大西 猪之介(おおにし いのすけ、1888年(明治21年)12月28日 - 1922年(大正11年)2月8日)は日本の経済学者。専攻は経済哲学・経済思想史。 京都市上京区に生まれる。1905年、京都市立商業学校を卒業し神戸高等商業学校(現・神戸大学)に入学。津村秀松に師事し、1909年、500頁に及ぶ卒業論文「帝国主義論」を提出(のち刊行)して卒業し東京高等商業学校専攻科(現・一橋大学)に入学。關一の指導を受け、關の退官後は福田徳三の指導を受けた。1911年には卒論「社会主義に関する研究」を提出し卒業し、同年小樽高等商業学校(小樽商科大学の前身)講師、小樽高等商業学校図書館主幹に就任。 1913年、同校の教授に昇任し、同年1月から1917年8月まで「経済学及商業学研究」のためヨーロッパに留学した。
丸谷 喜市(まるや きいち、1887年(明治20年)10月3… 丸谷 喜市(まるや きいち、1887年(明治20年)10月3日 - 1974年(昭和49年)7月10日)は、日本の経済学者。神戸経済大学(現・神戸大学)初代学長、神戸大学名誉教授、甲陽学院中学校・高等学校第四代校長。 北海道函館区(現・函館市)出身。北海道庁立函館商業学校(現・北海道函館商業高等学校)では宮崎郁雨と同級であった。 同校卒業後、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に進み、1910年に卒業。続いて東京高等商業学校(現・一橋大学)に進学する。東京高商在学中に石川啄木との交友が始まる。1912年に東京高等商業学校専攻部を卒業。同年4月13日に啄木が死去し、丸谷はその葬儀(4月15日)に参列後、徴兵検査のために帰郷、甲種合格となり、旭川の歩兵連隊で1年間軍務に就いた。
津村 秀松(つむら ひでまつ、1876年6月14日 - 19… 津村 秀松(つむら ひでまつ、1876年6月14日 - 1939年12月23日)は日本の経済学者、実業家。神戸高等商業学校(現・神戸大学)教授、大阪鐵工所(現・日立造船)取締役会長等を歴任した。 1876年、和歌山県日高郡御坊村(現・御坊市)生まれ。旧制和歌山県立和歌山中学校(現・和歌山県立桐蔭高等学校)を経て、1899年東京高等商業学校 (現・一橋大学)専攻部を卒業。東京高等商業学校校長だった小山健三の娘と結婚した。 1900年から1903年まで欧米に留学し、留学中に石川巌・石川文吾・神田乃武・瀧本美夫・志田鉀太郎・福田徳三・関一とともに「商業大学の必要」を建議し、東京高商の大学昇格運動を始めた。
井澤 秀記(いざわ ひでき)は、日本の経済学者。神戸大学経済… 井澤 秀記(いざわ ひでき)は、日本の経済学者。神戸大学経済経営研究所元教授。専門は地域金融協力。現在の研究課題は、欧州通貨統合および拡大EUに関する理論的・実証的・制度的研究、中国人民元に関する実証研究。 『金融政策の国際協調-国際通貨・金融システムの改革』(勁草書房 1995年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
千田 純一(せんだ じゅんいち)は、日本の経済学者。学位は、… 千田 純一(せんだ じゅんいち)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(名古屋大学・1971年)(学位論文「現代金融政策の研究」)。名古屋大学名誉教授。名古屋大学国際経済動態センター長、日本金融学会会長、生活経済学会会長など歴任。 1959年神戸大学経済学部卒業後、神戸大学大学院経済学研究科修了。新庄博らの指導を受けた。1964年名古屋学院大学講師。1968年名古屋大学経済学部助教授。1971年「現代金融政策の研究」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。1983年名古屋大学経済学部教授。1996~2000年名古屋大学国際経済動態センター長。1999~2001年生活経済学会会長。2000年名古屋大学定年退職。