濵本 建(はまもと けん、2002年11月24日 - )は、… 濵本 建(はまもと けん、2002年11月24日 - )は、福岡県出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 福岡県立八幡南高等学校では2年秋よりエースとして出場した。1学年上に武内夏暉がいた。 九州産業大学では出場機会を得られなかった。 前年よりウエスタン・リーグに参入したハヤテベンチャーズ静岡のトライアウトに参加し、2024年12月16日に入団が発表された。背番号は22。2025年は公式戦26試合に登板し、0勝1敗1セーブ、防御率11.47の成績に終わった。
浦田 俊輔(うらた しゅんすけ、2002年8月30日 - )… 浦田 俊輔(うらた しゅんすけ、2002年8月30日 - )は、長崎県西彼杵郡時津町出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 海星高等学校では2年夏の第101回全国高等学校野球選手権大会に遊撃手のレギュラーとして出場。3回戦で武岡龍世らを擁する八戸学院光星に敗れた。 高校卒業後は九州産業大学へ進学。遊撃手のレギュラーとして4季連続のリーグ優勝、2季連続の最優秀選手賞、5季連続のベストナインを受賞するなど活躍した。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから2位指名を受けた。11月18日、契約金7000万円、年俸1200万円で入団に合意した(金額は推定)。
武内 夏暉(たけうち なつき、2001年7月21日 - )は… 武内 夏暉(たけうち なつき、2001年7月21日 - )は、福岡県北九州市八幡西区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 北九州市立折尾東小学校で3年生の時に東筑ファイターズで野球を始める。当時のチームメイトには武藤敦貴がいた。折尾愛真中学校では軟式野球部に所属していた。 福岡県立八幡南高等学校に進学し、1年秋から一塁手でベンチ入り。2年春から投手に転向し、同年秋からエースを務めた。高校時代は甲子園大会への出場はなく、3年夏は福岡大会3回戦で敗退した。 高校卒業後は國學院大學に進学。2年秋に出場した明治神宮野球大会にて、九州産業大学との2回戦で公式戦初先発登板すると、8回二死までパーフェクトに抑える好投で無四球完封勝利を記録し、注目を集めた。
渡辺 翔太(わたなべ しょうた、2000年10月29日 - … 渡辺 翔太(わたなべ しょうた、2000年10月29日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 北九州市立桜丘小学校3年生の時からソフトボールを始めた。 北九州市立富野中学校時代は八幡東ボーイズ(硬式野球のクラブ)に所属し、遊撃手、投手を務めていた。中学校2年生の時からパームボールを投げるようになった。 福岡県立北九州高等学校では2年生の秋からエースとなった。3年夏の全国高等学校野球選手権福岡大会(北福岡大会)では、福岡県立東筑高等学校や自由ケ丘高等学校などに勝利し、ノーシードからベスト4まで進出する立役者となった。 九州産業大学に進学。
大津 亮介(おおつ りょうすけ、1999年1月13日 - )… 大津 亮介(おおつ りょうすけ、1999年1月13日 - )は、福岡県糟屋郡志免町出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 志免町立志免中央小学校4年生のときに志免ブラザーズで野球を始め、6年時はキャプテンを務め、主にショートを守っていた。志免町立志免中学校では硬式野球の宇美スターズに所属し、主にセカンドとショートを守っていた。 九州産業大学付属九州高校では2年春のセンバツに背番号13でベンチ入りしたが、チームは近江との1回戦に敗れ、出場機会は無かった。高校時代はセカンドとファーストをメインに、高校からは投手も始め、キャッチャー以外の全ポジションを守った。ただ、公式戦登板は2年時の1イニングのみであり、最速は139km/hであった。
福森 耀真(ふくもり ようま、1997年9月27日 - )は… 福森 耀真(ふくもり ようま、1997年9月27日 - )は、千葉県市川市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 柏市立豊小学校1年時に野球を始め、4年時に福岡県北九州市に転居し、北九州市立守恒中学校で野球を続けた。 福岡県立北九州高等学校では1年夏からベンチ入りし秋からエースとなるも、3年夏は県大会4回戦で敗退し甲子園出場はなかった。 九州産業大学では1年春からベンチ入りし、4年次は福岡六大学リーグ戦の春夏連覇に貢献。4年秋はMVPとベストナインを獲得した。リーグ戦の通算成績は、27試合に登板し、11勝1敗、防御率2.15。 2019年10月17日に行われたドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルスから5位指名を受け、11月18日に契約金3500万円、年俸700万円で仮契約した。
石田 駿(いしだ しゅん、1997年5月27日 - )は、神… 石田 駿(いしだ しゅん、1997年5月27日 - )は、神奈川県川崎市宮前区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学2年生から野球を始め、中学では軟式のクラブチーム、高津クラブドジャースでプレーした。 静清高校では、1年秋の新人戦に出場したが、その後は制球難に苦しみ、公式戦の登板機会が無かった。制球力向上のため、2年秋に横手投げに投球フォームを変更したが、それでもベンチ外が続いた。さらに、3年春には右足首を骨折したため、新人戦以降は公式戦の登板が無く卒業した。 九州産業大学進学後も、同学年の福森耀真や1学年後輩の岩田将貴など投手陣を擁し、石田自身も左肘を骨折したこともあり、公式戦では1度も登板機会が無く4年間を過ごした。
井手 亮太郎(いで りょうたろう、1996年3月20日 - … 井手 亮太郎(いで りょうたろう、1996年3月20日 - )は、福岡県古賀市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。プロ野球では、育成選手として東北楽天ゴールデンイーグルスに2年間在籍していた。 古賀市立小野小学校の2年時から軟式野球を始めると、古賀市立古賀東中学校への在学中に硬式野球チームの福岡ライナーズへ所属。中学1年時まではオーバースローで投げていたが、制球力を高めるべく、中学2年時にサイドスローへ転向した。転向のきっかけは、当時のコーチから「サイドスローで投げれば、手首の柔らかさやスナップスローのうまさを生かせる」とのアドバイスを受けたことによる。 さらに、九州産業大学付属九州高等学校3年時の春からアンダースローに転向したところ、投球フォームが安定。
高山 竜太朗(たかやま りゅうたろう、1995年2月21日 … 高山 竜太朗(たかやま りゅうたろう、1995年2月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 鹿児島工業高等学校では、7番・捕手で出場した2年生の夏の第93回全国高等学校野球選手権鹿児島大会、5番・捕手で出場した3年生の夏の第94回全国高等学校野球選手権鹿児島大会において準々決勝に進出した。 高校卒業後は、福岡県福岡市の九州産業大学に進学し硬式野球部に入部。高良一輝とバッテリーを組み、3・4年生時には全日本大学野球選手権に2年連続の出場を果たす。 2016年10月20日、プロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから育成選手ドラフト6巡目指名され、11月19日、支度金300万円、年俸240万円(金額は推定)で契約合意に達し、同月23日に東京ドームで新入団選手発表が行われた。
浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は… 浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 「チーム内に(濱田達郎と)浜田が2人いる」という事で、「九州の浜田」という理由から、現役時代のニックネームは「ハマ九(ハマキュウ)」だった。 宮崎工業高等学校では3年の選抜大会で甲子園に出場。1回戦では前橋工業を相手に2安打完封勝利。2回戦では広陵高等学校の有原航平と投げ合い、0-1でサヨナラ負けを喫した。 九州産業大学に進学後、3年春の九州工業大学戦で無安打無得点試合を達成。4年春の全日本大学野球選手権大会ではベスト8入りし、秋には明治神宮野球大会にも出場した。大学通算24勝8敗。
榎下 陽大(えのした ようだい、1988年7月21日 - )… 榎下 陽大(えのした ようだい、1988年7月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 伊敷台小学校1年時に野球を始め、6年時には県選抜のメンバー入りし、全国大会で優勝。伊敷台中学校時代は軟式野球部でプレー。 鹿児島工業高では1年生大会でエースとして鹿児島城西高校を破り優勝。1年秋の鹿児島県大会ではエースとして準優勝に貢献し、九州大会でベスト8。2005年春のセンバツ高校野球大会に、鹿児島県の推薦校として選ばれるがセンバツ大会出場は落選。2年春の九州大会にもエースとして出場しベスト4入り。3年夏の鹿児島県大会決勝で鹿屋高校を破り、甲子園(2006年・第88回選手権大会)に出場。
森 倫太郎(もり りんたろう、1985年6月24日 - )は… 森 倫太郎(もり りんたろう、1985年6月24日 - )は、福岡県福岡市東区出身の元プロ野球選手(投手)。 中学生時代からボーイズリーグの福岡ニュースターズ(現・福岡中央ボーイズ)で硬式野球を始める。外野手として在籍中に3度の全国大会出場を経験している。福岡県内の沖学園高等学校に進学。2年生までは主に外野手としてプレーし、その後は遠投120メートルの強肩を活かし投手に転向。最後の夏は県大会進出直前の3回戦で筑陽学園に敗退した[要出典]。 高校卒業後は九州産業大学に進学するも1年で中退し渡米。野球学校に入学した。[要出典] 帰国後の2006年、プロ野球独立リーグ・四国アイランドリーグ(2008年より四国・九州アイランドリーグ、現・四国アイランドリーグplus)の徳島インディゴソックスに入団。
武藤 幸司(むとう こうじ、1972年12月6日 - )は、… 武藤 幸司(むとう こうじ、1972年12月6日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手(投手)。 枚方市立第三中学校卒業後、長崎県の島原中央高等学校に野球留学。2年生からエースとなった。同校卒業後、社会人野球の西濃運輸に進んだものの3年で退部。藤田宗一は高校、社会人を通じて同期。 その後は社業に専念していたが、高校野球の指導者を目指すべく九州産業大学に入学。福岡六大学野球連盟に所属する野球部に入部すると、3年時の秋には最優秀防御率、4年時の春には最優秀選手、最優秀防御率を獲得、1999年には日米大学野球選手権大会に出場するなど、主戦投手として大活躍。一躍ドラフト候補になる。 しかし当時27歳という年齢からか指名はなく、台湾大聯盟・台中金剛に入団。
有隅 昭二(ありすみ しょうじ、1968年5月26日 -)は… 有隅 昭二(ありすみ しょうじ、1968年5月26日 -)は、福岡県糟屋郡須恵町出身の元プロ野球選手(投手)。現在はプロ野球審判員である。審判員袖番号は37。 小学校5年生から野球を始め、九産大九州高校から九州産業大学に進学するが2年で中退。その後、ヤクルトスワローズの練習生となり、1989年のシーズンオフにドラフト外入団した。 一軍公式戦への出場のないまま、1991年は主に打撃投手を務め、この限りで退団。 1992年よりセントラル・リーグ審判部に入局した。 2009年6月17日に通算1,000試合出場を達成。 2014年よりクルーチーフに昇任し、同年9月3日に史上87人目の通算1,500試合出場を、2019年10月7日には史上68人目の通算2,000試合出場を達成した。
大久保 勝也(おおくぼ かつや、1967年6月4日 - )は… 大久保 勝也(おおくぼ かつや、1967年6月4日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 兄は九州産業大学野球部監督、大学野球日本代表監督の大久保哲也。 長崎・海星高から、1985年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから投手として6位指名を受け入団。 入団直後に野手としてのセンスを買われて内野手に転向する。プロ2年目の1987年は、MLBのテキサス・レンジャーズ傘下(当時)のルーキー級ビュート・カッパーキングスに野球留学した。しかし、全体的に非力で、ファームでもレギュラーがとれず、一軍出場のないまま1990年のオフに戦力外通告を受け、現役を引退。 引退後は横浜球団に残り、チームのマネージャーに転進。
福澤 洋一(ふくざわ よういち、1967年5月26日 - )… 福澤 洋一(ふくざわ よういち、1967年5月26日 - )は、福岡県飯塚市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。 直方学園高では、1984年秋季県北部大会準々決勝に進むが、西田川高に敗退した。 大学は九州産業大学に進学。福岡六大学野球リーグでは2年生までに3回の優勝を経験した。1987年秋季リーグではベストナインを受賞、明治神宮大会では初戦でコールド負け。その後に中退。有藤通世監督に「キャッチャーがいないんだ」と見込まれて、ロッテオリオンズの練習生となり、1988年オフにドラフト外で入団した。 1989年から袴田英利に替わる正捕手として期待され、開幕2戦目となった4月11日のオリックス戦(川崎球場)では斉藤巧に代わり捕手として初出場した。
広瀬 真二(ひろせ しんじ、1965年3月17日 - )は、… 広瀬 真二(ひろせ しんじ、1965年3月17日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 臼杵高から、九州産業大学へ進むも中退し社会人野球のあけぼの通商入りするが、解散し九州三菱自動車を経て、1988年オフにドラフト外で福岡ダイエーホークスへテスト入団。 一軍公式戦への出場がないまま、1990年限りで現役を引退。引退後は、球団に残り打撃投手を務めた。 2005年に大分ソーリンズ野球倶楽部のテストに合格し、最年長選手となった。2006年に酒気帯び運転などの罪で逮捕。
坂田 和隆(さかた かずたか、1963年8月6日 - )は、… 坂田 和隆(さかた かずたか、1963年8月6日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
渡辺 弘(わたなべ ひろむ、1963年7月25日 - )は愛… 渡辺 弘(わたなべ ひろむ、1963年7月25日 - )は愛媛県今治市出身の元プロ野球選手。
坂口 千仙(さかぐち ちせん、1963年3月10日 - )は… 坂口 千仙(さかぐち ちせん、1963年3月10日 - )は、熊本県菊池市出身の元プロ野球選手(内野手)。 菊池高から九州産業大学に進む。大畑徹、福地経人らの投手陣を擁し、福岡六大学野球リーグでは在学中7回優勝。1984年秋季リーグ戦では打率.432で首位打者を獲得、ベストナイン2回。 1984年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから6位指名を受け入団。 プロ2年目の1986年に一軍初出場を果たし、1987年のシーズン前半には遊撃手として16試合に先発するが、打撃面で結果を出せず。1989年の日本ハムファイターズとの開幕戦では三塁手で先発出場を果たすが、2回裏に本塁への悪送球で先制点を許し、5回にチャンスを迎えたところで代打(広永益隆)を送られ交代。
福地 経人(ふくち つねと、1963年1月29日 - )は、… 福地 経人(ふくち つねと、1963年1月29日 - )は、佐賀県多久市出身の元プロ野球選手(投手)。 小城高では2年夏の県大会ベスト4、九州産業大学に進学。福岡六大学野球リーグ戦で通算27勝6敗。80回連続無失点のリーグ記録を樹立。3年秋の九州歯科大戦でノーヒットノーランを達成した。大学選手権、明治神宮大会にも出場した。3年春秋ベストナイン。 1985年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受けて入団。 プロ1年目の1986年は、アメリカルーキーリーグに野球留学した。プロ2年目の1987年7月13日のロッテ戦で一軍初登板を果たすが、一軍登板はこの1試合のみで1990年限りで現役を引退。
大久保 哲也(おおくぼ てつや、1962年9月1日 - )は… 大久保 哲也(おおくぼ てつや、1962年9月1日 - )は、長崎県諫早市出身の元アマチュア野球選手(捕手)、野球指導者。 弟に元プロ野球選手の大久保勝也がいる。 海星高等学校卒業後に九州産業大学に進学して硬式野球部に所属し、福岡六大学野球リーグでは、捕手として活躍し、ベストナインに2度選ばれ、1984年の秋季リーグでは最優秀選手賞を受賞した。 大学卒業後は、社会人野球の三菱重工長崎のチームに入団し、コーチを兼任した時期も含めて14年間プレーした。 2002年秋からは母校の九州産業大学の監督に就任。2005年の明治神宮野球大会ではチームを日本一に導いた。大学日本代表のコーチを経て、2019年からは監督を務め、2023年に開催された第44回日米大学野球選手権大会ではアメリカ開催では16年ぶり2回目の優勝に導いた。
村井 一男(むらい かずお、1961年3月12日 - )は、… 村井 一男(むらい かずお、1961年3月12日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 福岡県の筑紫工業高等学校(現・筑紫台高等学校)から九州産業大学に進む。1年上に高校の先輩である中原朝日、同期に左腕エースの大畑徹がおり、登板機会は多くなかったが、タイプの異なるサイドスローとして要所で活躍。福岡六大学リーグでは在学中7季連続優勝。武器はスライダー、カーブ、シンカー。 将来性を買われ、1982年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズに4位指名され入団。1985年にアメリカ1A・サンノゼ・ビーズに野球留学した。 1987年3月、川本智徳と共に栗岡英智との交換で中日ドラゴンズへ移籍。
松浦 英信(まつうら ひでのぶ、1961年2月15日 - )… 松浦 英信(まつうら ひでのぶ、1961年2月15日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
大畑 徹(おおはた とおる、1961年1月10日 - )は、… 大畑 徹(おおはた とおる、1961年1月10日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。
中原 朝日(なかはら のぼる、1959年6月1日 - )は、… 中原 朝日(なかはら のぼる、1959年6月1日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 筑紫工業高から九州産業大学へ進学。福岡六大学リーグでは通算28試合に登板し13勝2敗、1981年春季のリーグ戦では九州工業大戦でノーヒットノーランを達成した。 1981年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団。1981年のドラフトでは日ハムの「隠れ一位候補」だった。 3年目の1984年に一軍登板を果たすが結果を残せず、1986年限りで現役を引退した。 ダイナミックなオーバースローで、踏み出す足を軸足よりも極端に三塁側へクロスさせるインステップ投法であった。この投法はボールが高めにいく傾向がありメッタ打ちにあう危険もはらんでいた。
増本 宏(ますもと ひろし、1956年9月10日 - )は、… 増本 宏(ますもと ひろし、1956年9月10日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 宇久高は軟式野球部しかなく、3年時に全国大会に出場し準優勝。この時、県大会、北九州地区大会から全国の決勝戦までは無失点であった。誘いのあった九州産業大学に進み福岡六大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部する。在学中はリーグ戦で5回優勝。1978年の全日本大学野球選手権大会では1回戦で専修大学に敗退。最優秀選手1回、ベストナイン5回。大学時代の同級生には長渕剛がいる。 1978年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから4位指名を受け入団。 1979年から一軍登板を果たす。1年先輩で仲の良い遠藤一彦と同様に別当薫一軍監督からサイドスロー転向を要請される。
西浦 秋夫(にしうら あきお、1950年6月24日 - )は… 西浦 秋夫(にしうら あきお、1950年6月24日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 宮崎県立日南工業高等学校では中堅手、主将として活躍。1967年の秋季九州大会準々決勝に進むが、福岡県立小倉高等学校の圓川龍之・楠城徹のバッテリーに完封を喫し春の選抜出場を逃した。翌1968年の夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、宮崎県立延岡商業高等学校に敗退し甲子園出場はならなかった。 同年秋のドラフトで南海ホークスから7位で指名され入団。一軍公式戦に出場することはなく、1年で自由契約となり引退した。 引退後は、九州産業大学で教員の資格を取得。宮崎県立宮崎工業高等学校の野球部監督となる。
古屋 哲美(ふるや てつみ、1945年1月7日 - )は、福… 古屋 哲美(ふるや てつみ、1945年1月7日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 博多工業高では1964年、2年生の時にエース橋本孝志の控えとして春の甲子園に出場。準決勝まで進出するが、尾道商の小川邦和に抑えられ完封負け。同年6月の新潟国体では、決勝で尾道商を降し初優勝を飾る。いずれも自らの登板はなかった。高校同期に倉田晃がいる。 卒業後は九州産業大学に進学。九州地区大学野球選手権大会では福岡工大の後塵を拝し、優勝には届かなかった。 1969年にドラフト外で西鉄ライオンズへテスト入団。1年目の1970年には8試合に中継ぎとして登板。5月10日には乗替寿好をリリーフし3回から登板するが、5回に打ち込まれ敗戦投手となる。