高原 駿雄(たかはら としお、1923年〈大正12年〉5月1… 高原 駿雄(たかはら としお、1923年〈大正12年〉5月1日 - 2000年〈平成11年〉2月26日)は、日本の俳優。本名、高瀬 勲(たかせ いさお)。 東京府東京市(現:東京都区部)出身。明治大学専門部文科(文芸科)卒業。文学座に所属していた。 明大在学中の1941年に文学座研究所に入所し、1943年の舞台『田園』でデビュー。1966年のプロフィールでは、両親の知り合いである漫談家で俳優の徳川夢声に弟子入りし、徳川の勧めで文学座入りしたと紹介されている。また、芸名の高原 駿雄は、徳川の本名である福原 駿雄から採ったものである。 1953年に文学座を退座すると、岡田英次、木村功らと共に劇団青俳を結成。
白羽 大介(しらば だいすけ、1923年1月23日 - 20… 白羽 大介(しらば だいすけ、1923年1月23日 - 2005年12月26日)は、日本の喜劇俳優。本名:勝俣定彦(かつまた さだひこ)。神奈川県足柄下郡箱根町出身。 明治大学卒業後、上宮高校教諭の傍ら、アルバイトで歌謡ショウの司会などしていた。 うめだ花月が開場した1959年、吉本興業に入社し吉本新喜劇の旗揚げに参加、一時は座長も務めた。 1965年、吉本首脳陣との対立から千土地興行に集団移籍。ルーキー新一、森信とのトリオを中心にルーキー爆笑劇団を結成しルーキーと漫才を組んだこともある、その後、マスコミを賑わせるような事件を起こし、人気低迷、千日劇場閉鎖などが重なり、劇団活動は頓挫、解散。 映画の端役、脇役を経て、1974年以降は松竹新喜劇に移り、主に脇役として活躍。
佐伯 秀男(さえき ひでお、1912年1月9日 - 2003… 佐伯 秀男(さえき ひでお、1912年1月9日 - 2003年11月1日)は、日本の俳優、ファッションモデル、ボディビルダーである[4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]。本名は鬼武 秀治(おにたけ ひではる)[4][5]、1956年 - 1959年の一時期、三原 秀夫(みはら ひでお)と名のった時期があり[7][8][9][10][12][14][17]、佐伯 泰輔(さえき たいすけ)の別名も持つ[9][10][12][18]。
藤尾 純(ふじお じゅん、1911年11月3日 - 1987… 藤尾 純(ふじお じゅん、1911年11月3日 - 1987年3月12日)は、日本の俳優。大阪府大阪市南区心斎橋筋(現在の同市中央区)出身。本名:藤尾 徳二(ふじお とくじ)。女優の中原早苗は長女だが、早苗が幼少の頃に家を出たため、藤尾の妻・南部雪絵が1人で育てた。娘婿は映画監督の深作欣二で、孫の深作健太も映画監督である。 中外商業高等学校(現在の兵庫県立尼崎北高等学校)中退。1927年、諸口十九一座に入団し、京都座で初舞台を踏む。その後、榎本健一らの浅草カジノ・フォーリー、ムーランルージュ新宿座などで活躍した。 戦後、新風ショウを結成。喜劇の脇役として親しまれた。また、戦前から東宝の映画を中心に数多くの作品に出演していたが、1965年、東京映画製作の映画『大勝負』を最後に映画界を離れ、舞台に専念した。
巖 金四郎(いわお きんしろう、1911年9月24日 - 1… 巖 金四郎(いわお きんしろう、1911年9月24日 - 1994年12月30日)は、日本の男性俳優、声優、朗読家。東京府東京市(現・東京都文京区)出身。明治大学商学部中退。本名同じ。 プロダクション・タンクに所属していた。日本における声優の草分け的な存在とされる。全国芸能団運営会会長、元東京放送劇団代表、プロダクションTHG代表。 中学在学中から映画と演劇を好んでおり、学校を休んで浅草の劇場に通っていたとされる。 大学在学中は演劇部に所属。1936年、上二証券に入社。1941年、30歳の時にNHK東京放送劇団発足と同時に第1期研究生として入団。同期生には富田仲次郎、加藤道子らがいた。 以来俳優、声優として活躍。
笠原 恒彦(かさはら つねひこ、1911年7月18日 - 1… 笠原 恒彦(かさはら つねひこ、1911年7月18日 - 1989年4月17日)は、日本の元ラグビー選手、俳優。本名同じ。東京市小石川区(現在の東京都文京区)生まれ、北海道育ち。 ラグビー選手として現役時代の主なポジションはフルバック(FB)及びファイブエイス(FE)。 北海中等学校(現 北海高等学校)を経て、明治大学(以下、明大)に進学。明大ではラグビー部で活動し、1930年度シーズンから1935年度シーズンまで、6年連続で明早戦に出場した他、同部在籍時代は全ての公式戦(全45試合)に出場した経験を持つ。トライゲッターであるとともに、キッカーとしても明大の得点源選手として活躍した。 また、1932年のカナダ代表来日試合を手始めに、ラグビー日本代表(以下、代表)としてキャップ6を獲得。
宇佐美 淳(うさみ じゅん、1910年9月1日 - 1980… 宇佐美 淳(うさみ じゅん、1910年9月1日 - 1980年5月9日)は、日本の俳優。宇佐美 淳也、宇佐美 諄の芸名でも活躍した。本名:駒木 五郎。 岩手県二戸郡姉帯村出身。東京農業大学中退後に明治大学を卒業。その後は松尾自動車会社に就職。1937年、親類である作家の北村小松の紹介で新興キネマに入社。映画役者として端役からキャリアを積み、二枚目スターとしての地位を確立。 新興太泉への入社時に付けた芸名「宇佐美諄」は宇佐美が理想の青年像と考えていた菊池寛の小説「心の日月」の登場人物「宇佐美慎介」にあやかったものだが、これをそのまま拝借しようとしたところ新興の宣伝部長に「慎介という名前は現代青年らしくない」と反対されたため、一字名の「諄」にしたという。
清水 将夫(、1908年〈明治41年〉10月5日 - 197… 清水 将夫(、1908年〈明治41年〉10月5日 - 1975年〈昭和50年〉10月5日)は、日本の俳優。旧字体: 淸水將夫。 明治大学中退後、滝沢修や宇野重吉らと共に劇団民藝を結成し、死去するまで劇団の代表的俳優として活躍した。また、映画俳優として戦前期から松竹キネマ・新興キネマの作品に出演し、戦後も舞台活動の傍らバイプレーヤーとして数多くの作品に出演した。黒澤明監督作品の常連でもあり、出演本数は300本以上にのぼる。 妻は女優の高野由美。 1908年(明治41年)10月5日、東京府東京市牛込区に生まれる。明治中学在学中から、キリスト教青年会の演劇サークルに入り、新劇に興味を抱く。1926年(大正15年)、明治大学文科に入学後、新劇俳優を目指す。
東野 英治郎(とうの えいじろう、1907年(明治40年)9… 東野 英治郎(とうの えいじろう、1907年(明治40年)9月17日 - 1994年(平成6年)9月8日)は、日本の俳優、随筆家。戦前期の芸名は本庄 克二。身長159cm。 新築地劇団を経て小沢栄太郎、千田是也らと俳優座を創設し、その中心として活躍。戦中からは映画にも出演し、個性的な名脇役として330本以上の作品に出演した。主な出演映画に『東京物語』『用心棒』『秋刀魚の味』『白い巨塔』など。テレビドラマ『水戸黄門』の初代黄門役でも知られる。著書に『私の俳優修業』など。長男は俳優の東野英心。 1907年(明治40年)9月17日(火曜日)、群馬県富岡市七日市の造り酒屋の家に生まれる。父は江州の山村から単身で関東に移り、辛苦して酒造家となった人で、根っからの日野商人(近江商人)だった[要文献特定詳細情報]。
山口 勇(やまぐち いさむ、1904年3月4日 - 1982… 山口 勇(やまぐち いさむ、1904年3月4日 - 1982年)は、日本の俳優である。本名同じ。成瀬巳喜男の現存する最古の監督作『腰辨頑張れ』の主演俳優であり、戦後も東映京都撮影所の脇役俳優として知られる。 1904年(明治37年)3月4日、東京府東京市麻布区麻生竹谷町(現在の東京都港区南麻布)に生まれる。小林信彦によれば、赤坂区青山(現在の港区青山1丁目付近)出身の小林の母は、山口の従姉妹にあたるといい、つまり山口からみて小林は従甥にあたる。 麻布区内の東京市立南山尋常小学校(現在の港区立南山小学校)を卒業し、旧制・高輪中学校(かつての第一仏教中学校、現在の高輪高等学校)に進学する。2学年上にのちの俳優の江川宇礼雄がいた。
鈴木 傳明(すずき でんめい、1900年3月1日 - 198… 鈴木 傳明(すずき でんめい、1900年3月1日 - 1985年5月13日)は、日本の映画俳優、水泳選手。本名は同じ鈴木傳明だが、読みはつぐあきら。 無声映画時代に活躍した現代劇の映画スターで、学生時代は水泳選手として活躍。明治大学在学中に『路上の霊魂』で映画デビューした。その後日活を経て松竹蒲田撮影所に入社、牛原虚彦監督とのコンビで『彼と東京』『陸の王者』『彼と人生』などの明朗な青春映画に主演し、スポーツマンタイプの二枚目スターとして人気を得た。戦後は実業界に転じた。 1900年(明治33年)3月1日、東京府東京市下谷区上野桜木町(現在の東京都台東区上野桜木)に、父・康正と母・和喜の1男3女の長男として生まれる。
浅利 鶴雄(あさり つるお、1899年10月29日 - 19… 浅利 鶴雄(あさり つるお、1899年10月29日 - 1980年4月15日)は、東京府出身の演劇プロデューサー、俳優である。 明治中学を経て、1922年(大正11年)、慶應義塾大学部理財科(現・経済学部)卒業。1924年(大正13年)、小山内薫、友田恭助、和田精、汐見洋、土方与志とともに新劇の専門劇場である築地小劇場を創立。後に松竹に移り、俳優として「三田英児」の名でサイレント映画に出演。松竹では社長秘書などの他、プロデューサーを務め、2代目左団次が行った歌舞伎界初のソ連公演には秘書として参加。また、戦前・戦後を通し一時代を築いた浅草国際劇場の初代支配人に就任し、こけら落としではチャップリンを招聘。
徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 19… 徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 1971年8月1日)は、日本の弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。
欧陽 予倩(おうよう よせん、1889年5月12日—1962… 欧陽 予倩(おうよう よせん、1889年5月12日—1962年9月21日)は、中華民国·中華人民共和国の劇作家、俳優。湖南省瀏陽県出身。 1889年5月12日、湖南省瀏陽県に生まれた。東京振武学校·明治大学·早稲田大学卒業。1907年日本滞在中に春柳社に加わる。辛亥革命後帰国し、引き続き春柳社に参加。春柳社解散後は、広東戯劇研究所(広州)、広西芸術館(桂林)などで演劇(話劇)活動を続ける。また京劇俳優としても活躍する。1920年代後半からは映画監督、脚本家としても活動した。 中華人民共和国建国後1950年4月、中央戯劇学院院長(逝去まで)。中国文学芸術界連合会副主席。中国戯劇家協会副主席。中国舞踏家協会主席。
康 すおん(かん すおん)は、日本の俳優。大阪府出身。
今西 正男 は、日本の男性俳優、声優。京都府出身。最終所属は… 今西 正男 は、日本の男性俳優、声優。京都府出身。最終所属は東京俳優生活協同組合。
梶 哲也 は、日本の男性俳優、声優。東京府(現・東京都)出身… 梶 哲也 は、日本の男性俳優、声優。東京府(現・東京都)出身。元テアトル・エコー劇団代表・常務取締役。妻は女優の渡辺みどり。
茶花 健太 は、日本の男性俳優、声優。広島県出身。身長186… 茶花 健太 は、日本の男性俳優、声優。広島県出身。身長186cm。演劇集団 円所属。明治大学卒業。
濱 正悟 は、日本の俳優。東京都出身。エイベックス・マネジメ… 濱 正悟 は、日本の俳優。東京都出身。エイベックス・マネジメント・エージェンシー所属。明治大学卒業。
水月 さくら(みづき さくら)は、日本の舞台俳優。神奈川県出… 水月 さくら(みづき さくら)は、日本の舞台俳優。神奈川県出身。身長166cm、 血液型はO型。明治大学文学部演劇専攻卒業。
八代 駿 は、日本の俳優、声優。岡山県津山市出身。テアトル・… 八代 駿 は、日本の俳優、声優。岡山県津山市出身。テアトル・エコーに所属していた。
家中 宏 は、日本の俳優、声優、ナレーター。東京都出身。アプ… 家中 宏 は、日本の俳優、声優、ナレーター。東京都出身。アプトプロ所属。
篠原 大作 は、日本の男性俳優、声優。北海道出身。妻は声優の… 篠原 大作 は、日本の男性俳優、声優。北海道出身。妻は声優の花形恵子(2015年死別)。