蜂谷 薫(はちや かおる、1945年10月30日 - )は、… 蜂谷 薫(はちや かおる、1945年10月30日 - )は、日本のフリーアナウンサーである。元毎日放送のアナウンサーで、MBSラジオを初めとする中央競馬中継の実況で知られる。 北海道函館市で誕生後、神奈川県横須賀市に転居。早稲田大学政治経済学部卒業後の1969年に、毎日放送へ入社した。同期入社のアナウンサーに、緒方憲吾などがいる。 入社直後からスポーツアナウンサーとして活動。1970年7月に中京競馬場にて競馬実況デビュー。1980年代以降は、2005年10月30日に定年で退職するまで、もっぱらMBSラジオの競馬・競艇中継で実況を務めていた。ミスターシービー・シンボリルドルフ・ナリタブライアンの三冠達成の瞬間などを実況したことから、「競馬実況のスペシャリスト」というイメージが強いが、1984年まではプロ野球など競馬以外のスポーツ中継でも実況に携わっていた。
相馬 宏男(そうま・ひろお、1945年10月16日 - )は… 相馬 宏男(そうま・ひろお、1945年10月16日 - )は、NHKの元アナウンサー。 青森市生まれ、青森県立青森高等学校卒業、早稲田大学法学部卒業、1969年入局。定年退職後、シニアスタッフとして76歳までNHK仙台放送局で勤務。
逸見 政孝(いつみ まさたか、1945年〈昭和20年〉2月1… 逸見 政孝(いつみ まさたか、1945年〈昭和20年〉2月16日 - 1993年〈平成5年〉12月25日)は、日本のフリーアナウンサー、テレビ司会者、タレント。 元フジテレビアナウンサー。フジテレビ退社後は、三木プロダクションと業務提携する個人事務所「オフィスいっつみい(逸見の死後オフィスいつみに名称変更)」に所属していた。大阪府大阪市阿倍野区出身。 妻はエッセイストで所属事務所社長だった逸見晴恵。長男はタレントの逸見太郎、長女は元女優の逸見愛。 父親は広島県尾道市の出身で旧姓は毛利、菓子問屋を営んでいた逸見家に養子として入った。父親は長く福徳相互銀行(現:関西みらい銀行)に勤務した。母親は大阪の出身。
松平 定知(まつだいら さだとも 1944年11月7日 - … 松平 定知(まつだいら さだとも 1944年11月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)、京都造形芸術大学芸術学部通信教育部教授、早稲田大学専門職大学院公共経営研究科客員教授、國學院大學文学部客員教授、立教大学21世紀社会デザイン研究科客員教授。
松永 邦久(まつなが くにひさ、1944年9月25日 - )… 松永 邦久(まつなが くにひさ、1944年9月25日 - )は、日本の男性アナウンサー。
原 國雄(はら くにお、1944年9月18日 - )は、東京… 原 國雄(はら くにお、1944年9月18日 - )は、東京都日野市出身の元俳優・元アナウンサー。 1950年代まで子役、1960年代後期から2000年代までアナウンサーとして活躍。 父は東映プロデューサーであったことから、小学3年次の1954年に子役として芸能界デビュー。『母水仙』『少年探偵団』『月光仮面』などに出演するが、中学時の1959年に芸能界を引退。 1964年に早稲田大学政治経済学部へ進学し、アナウンス研究会にも所属。同研究会ではフジテレビに入社した逸見政孝・松倉悦郎、毎日放送に入社した板倉俊彦、政治学者・大学教授の福岡政行と同期であった。 卒業後の1968年に福島テレビへ入社(同期には鈴木孝之、玉盛孝江、増子慶子)。
小口 勝彦(おぐち かつひこ、1944年7月28日 - )は… 小口 勝彦(おぐち かつひこ、1944年7月28日 - )は、日本のアナウンサー、報道記者、テレビディレクター。 大阪府出身、早稲田大学文学部卒業。 早稲田大学文学部卒業後、1967年4月にTBSにアナウンサー12期生として入社(同期アナウンサーには青木靖雄、石森勝之、河野通太郎、久米宏、林美雄、宮内鎮雄、米沢光規)。11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。主にニュース・報道系を担当。 映画が好きで、ラジオ『朝のひととき』では日本映画を紹介。試写会にデンスケを持ち込んで音声をテープ録音したものを映画音楽・内容を紹介した。 その後、報道局ラジオニュース部に所属後、アナウンス職を離れディレクターに転身する。
久米 宏(くめ ひろし、1944年〈昭和19年〉7月14日 … 久米 宏(くめ ひろし、1944年〈昭和19年〉7月14日 - 2026年〈令和8年〉1月1日)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ラジオパーソナリティ、ニュースキャスター。ドイツ親善大使も務める。オフィス・トゥー・ワン所属。 国鉄と東芝に勤務していたエンジニアを父に、両親が疎開していた埼玉県浦和市(後のさいたま市浦和区)で誕生。姉3人の下の末っ子。戦時中は同児玉郡に疎開。戦後は、東京都品川区北品川で幼少時代を過ごす。 なお、父親は仕事で留守がちだったため、姉のスカートを縫い直した半ズボンを履いて「女の館に育った」と自身語っており、幼少時から女性の性(さが)を知っていた環境が、久米の感性に影響を与えたことは間違いないという。
柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月… 柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。「木へんにホワイト、柏村武昭です」のキャッチフレーズで知られている。 婚姻歴は2回で、現在の妻は、元「はしだのりひことエンドレス」のヴォーカル・林竹洋子。洋子との間に授かった娘の柏村星良も、タレントとして活動している。 広島県三次市出身。広島県立三次高等学校(演劇部に所属)を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に入学。在学中は露木茂(のちのフジテレビアナウンサー)などが所属していた早稲田大学放送研究会に所属。ナレオハワイアンズの司会などで活動。
林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日 - 2002… 林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日 - 2002年7月13日)は、日本のアナウンサー。 東京府深川区(現在の東京都江東区)出身。TBS編成局アナウンス部副理事。 東京都立第三商業高等学校卒業後、三菱地所に入社。退職後、早稲田大学に入学。卒業後、1967年4月、TBSにアナウンサーとして入社。ラジオ『パックインミュージック』のDJを担当。デビュー前の荒井由実(後の松任谷由実)や、おすぎとピーコを紹介し、若者たちの人気を得る。その後『夜はともだち』『夜はこれから』などを担当。1994年社会情報局アナウンスセンター専任部長を経て、2001年編成局アナウンス部副理事。TBSの放送終了時に流れる「こちらはTBS、東京放送です」とのステーションコールを担当するなどTBSを代表するアナウンサーとして知られた。
加藤 昌男(かとう まさお、1943年2月25日 - )は、… 加藤 昌男(かとう まさお、1943年2月25日 - )は、元NHKアナウンサー。現在は日本語センター専属。 長野県出身。長野県長野高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業後、1966年入局。初任地は鳥取。FMリクエストアワーを担当。その後東京アナウンス室、札幌、福岡、名古屋などでニュース、報道番組、教育問題、ことば番組などを担当。1996年徳島放送局長、1998年アナウンス室エグゼクティブアナウンサー、1999年7月日本語センターエグゼクティブアナウンサー。2006年日本語センター専門委員。日本国語教育学会会員。
舛方 勝宏(ますかた かつひろ、1943年2月16日 - )… 舛方 勝宏(ますかた かつひろ、1943年2月16日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。日本テレビ放送網(NTV)でアナウンサーを皮切りに、グループ各社で管理職や役員職を歴任した。富山県魚津市出身。富山県立魚津高等学校、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。 ※特記なき限り、日本テレビアナウンサー当時のもの。
行宗 蒼一(ゆきむね そういち、1943年 - )は、マルチ… 行宗 蒼一(ゆきむね そういち、1943年 - )は、マルチジャーナリスト、元NHKアナウンサー。1980年代にNHKを退職し内部告発した著作『NHKはもういらない!』を出版したことで知られる。 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、1966年に日本放送協会(NHK)へ入局。 NHKではアナウンサーとして、初任地の下関放送局(現:下関支局)を皮切りに、釧路局を経て前橋局に赴任。前橋局ではNHK-FMのローカル番組『TPリクエストアワー』でディスクジョッキーを務め、NHKらしからぬDJぶりを披露して話題となった。1981年、山形局に転勤。 翌1982年8月にNHKを退職してフリーとなる。同年10月1日に『NHKはもういらない!』を刊行、1984年4月22日に雑誌『話の特集』臨時増刊『さよなら さんかく NHK』を編集し、NHK批判を展開する。
小川 哲哉(おがわ てつや、1942年2月24日 - )は、… 小川 哲哉(おがわ てつや、1942年2月24日 - )は、日本のアナウンサー、司会者、ナレーター。 東京府(現東京都)出身。早稲田大学政経学部卒業。声質は重厚感のあるバリトン。 1965年4月、TBSにアナウンサー第10期生として入社(同期には今村稔・車尾具昭・五味陸仁・多田護・奈良陽・桐本幸子・手塚俊子・本田綾子)。また、一年先輩の石川顕・宇野淑子は同学年の同僚。ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部に勤務(1966年1月)。アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部に勤務(1967年11月15日)。その後、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付(1968年6月)、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1970年7月)にそれぞれ在籍。
永島 信道(ながしま のぶみち、1942年2月9日 - )は… 永島 信道(ながしま のぶみち、1942年2月9日 - )は、共同テレビジョン所属のフリーアナウンサー兼アナウンス講師。東京都出身。星座は水瓶座。血液型はB型。趣味・特技はゴルフ、旅行、音楽鑑賞。
小堀 豊子(こぼり とよこ、1941年8月22日 - )は元… 小堀 豊子(こぼり とよこ、1941年8月22日 - )は元毎日放送アナウンサー・大阪芸術大学教授。愛称は「小堀のおばちゃま」。 東京都出身。1964年に早稲田大学教育学部を卒業後、毎日放送(MBS)に入社。入社後は、テレビ・ラジオのニュース番組や、『MBSイブニングレーダー』(MBSラジオ)などの報道番組を主に担当していた。 アナウンサー時代には、後輩の吉田智子と同じく、ニュースや『あどりぶランド』(MBSテレビで放送されていた同局アナウンサー総出演の深夜番組)以外にテレビ番組で露出する機会は非常に少なかった。その一方で、テレビ番組のナレーションや(全国ネット番組を中心に)提供クレジットの読み上げを数多く担当。
石川 顯(いしかわ あきら、1941年8月3日 - )は、日… 石川 顯(いしかわ あきら、1941年8月3日 - )は、日本のアナウンサー、スポーツ評論家。石川 顕とも表記。 神奈川県横須賀市出身。TBSアナウンサーを経て、フリーアナウンサーとなる。キックボクシング選手の沢村忠の決め技「真空とびひざげり」の命名者。 横須賀市立田浦小学校卒業。鎌倉学園高等学校卒業。元々は教員志望だったが、早稲田大学教育学部卒業後、1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・桝井貞之・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。ラジオ編成局放送実施部(1964年5月)、報道局ニュース部(1965年6月)、ニュース取材部(1965年12月)、報道局運動部兼ニュース取材部(1966年7月)、報道局運動部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道局運動部(1970年7月)、アナウンス室兼テレビ本部第二制作局スポーツ部(1979年12月)、アナウンスセンター兼スポーツ局(1991年5月)に配属される。
長谷川 勝彦(はせがわ・かつひこ、1941年7月15日 - … 長谷川 勝彦(はせがわ・かつひこ、1941年7月15日 - )は、フリーのナレーターで、元NHKエグゼクティブアナウンサー、のちアナウンス室専門委員。 都立小石川高等学校を経て、早稲田大学卒業。1966年入局。現役時代は徳島、長崎、京都、山口、鳥取、東京アナウンス室などで勤務。主にラジオ第1を中心にニュースやナレーションで活躍し、朗読の第一人者と言われた。NHKを定年退職後も番組のナレーションを行っているほか、各地の講演会や朗読教室などで活躍している。2009年、ドキュメンタリーのナレーションで放送文化基金賞受賞。
島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )… 島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )は、スポーツジャーナリスト、フリーアナウンサー。 個人事務所である有限会社「ニューヴォイス嶋村プロ」所属で、代表取締役。元NHKエグゼクティブアナウンサー。 東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業後、1964年にNHKにアナウンサーとして入局。 音楽好きであることや高校・大学時代に合唱をしていた経験もあって、NHK入局時にもアナウンサーではなくミュージカルを担当する音楽ディレクターを志望していたが、米子支局(現在は鳥取放送局のエリア)在籍時代に、高校野球秋季中国大会での岡山東商・平松政次と関西・森安敏明の投手戦の実況を務めて感動し、スポーツアナウンサーを目指すことになった。
中村 昇(なかむら のぼる、1941年3月31日 - )は、… 中村 昇(なかむら のぼる、1941年3月31日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。 富山県出身。1963年に入局。松山放送局や東京アナウンス室などで勤務していた。1976年7月27日、ロッキード事件の第1報を伝えた。
大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月1… 大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月11日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)の出身で、1964年(昭和39年)4月1日にTBSアナウンサー第9期生として入社。1991年2月に50歳でTBSを退社してからは、個人事務所「大沢企画」を拠点に活動している。 ※TBSラジオでのCMをメインに担当している。 第二次世界大戦の最中に浅草で出生すると、4歳の頃まで浅草で暮らした。当時からラジオ番組を聴いていた影響で、ラジオから流れる「東部軍管区情報」(大本営発表)を真似ながら実家の近所を触れ回っていたことから、「大本営」との異名を取ったという。
吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )… 吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )は、日本の演歌歌手、エッセイスト、アナウンサー、司会者。東京都大田区出身。クオレ・ア・ドマーニ所属。
吉村 功(よしむら いさお、1941年1月25日 - )は、… 吉村 功(よしむら いさお、1941年1月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元東海テレビ放送アナウンサー。 東京都中野区出身。東京都立大泉高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。現在は岐阜県に在住。岐阜経済大学経営学部情報メディア学科非常勤講師。 少年時代、当時の自宅の近くにあった上井草球場にプロ野球の試合を観に行っていたことがあるが、ある日東急フライヤーズが来た時に、本人曰く大下弘が捨てた鼻紙を目指して吉村を含む大勢の子供たちが殺到、結局他の子に取られてしまったことで、「プロ野球に係われる仕事に就く。それなら、いつか選手と親しくなれる」とこの時子供心に誓ったという。元々アナウンサーに強い憧れを持っていたわけではなかったが、なぜアナウンサーになったのかを振り返ると「これが大きな意味を持っていたのではないか」と感じていると話している。
月岡 逸弥(つきおか いつや、1941年1月13日 - )は… 月岡 逸弥(つきおか いつや、1941年1月13日 - )は元文化放送アナウンサー。 東京都台東区出身。早稲田大学法学部卒業。 1964年、文化放送入社。1965年、「歌謡リクエスト〜東芝レコードアワー」が初担当番組。スポーツ中継(文化放送ホームランナイター、大相撲熱戦十番、近代オリンピック他)の実況を中心に担当し、野球からテニスまで16種類のスポーツ実況をこなした。報道番組「ニュース・パレード」のキャスターも担当した。後に、アナウンス部長として、後進の指導に当たる。退職後も、東京アナウンスセミナーでスポーツ中継担当アナウンサー養成のコースでの講師を務めている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
倉持 隆夫(くらもち たかお 1941年1月2日 - )は、… 倉持 隆夫(くらもち たかお 1941年1月2日 - )は、日本テレビ放送網の元アナウンサー。 東京都三鷹市出身。東京都立豊多摩高等学校、早稲田大学法学部卒業。早大在籍時には笹沢左保の書生を務めている。1964年4月、アナウンサーとして日本テレビに入社。徳光和夫の薦めで『全日本プロレス中継』の実況アナウンサーの一員となる。特に1976年頃からは清水一郎、徳光の後を受けたメインアナウンサーとなる。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ミル・マスカラス、ザ・ファンクスらの数々の名勝負を18年間にわたり実況。独特の「倉持節」でプロレスファンを熱狂させ、1990年の実況最後の日には試合会場でウェーブが沸き起こるほどの支持を得た。
浪久 圭司(なみひさ けいじ、1941年(昭和16年) - … 浪久 圭司(なみひさ けいじ、1941年(昭和16年) - )は、日本のアナウンサー、朗読者、実業家。東京都出身。 生家は海苔店。早稲田高等学院を経て1964年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。その後、制作部門、管理部門、フジテレビ常務取締役、BSフジ社長、BSフジ代表取締役会長(2009年まで)を歴任。2010年、フジテレビの同僚に誘われて朗読への道へ。2010年、公益財団法人多摩市文化振興財団(パルテノン多摩)代表理事。2018年11月、公益財団法人多摩市文化振興財団(パルテノン多摩)代表理事を退任。 1文化放送グループのうち、文化放送とその子会社のみがフジサンケイグループに属している。
小林 達彦(こばやし たつひこ、1940年6月23日 - )… 小林 達彦(こばやし たつひこ、1940年6月23日 - )は、日本のアナウンサー。株式会社オフィス・コバヤシ代表取締役社長。神奈川県出身。サッカーネームは「ペレコバ」。 1963年に早稲田大学教育学部を卒業後、RKB毎日放送へ入社。1969年にニッポン放送(LF)へ移籍。野球やサッカーを中心に各種スポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍した。 2000年の定年退社後は引き続きLFの契約アナウンサーとして活動し、2004年よりフリーアナウンサーとなる。2007年に株式会社オフィス・コバヤシを設立。 サンケイスポーツに記事を出稿することもある。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
岡野 忠元(1940年 - )は元テレビ東京アナウンサー。 … 岡野 忠元(1940年 - )は元テレビ東京アナウンサー。 早稲田大学文学部卒業後、1965年テレビ東京に入社。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
松田 輝雄(まつだ てるお、1940年 - 2025年5月9… 松田 輝雄(まつだ てるお、1940年 - 2025年5月9日)は、東京都出身のアナウンサー・樹木医。 高校時代まで東京都杉並区で育ち、早稲田大学卒業後、1963年NHK入局。宮崎局から高松局・名古屋局を経て1979年に放送センターアナウンス室に勤務。総合テレビ「にっぽん列島朝いちばん」「趣味の園芸」などの司会や、キャスターを担当した。 1996年以降はフリーランスとなり、NHK「私のガーデニング」「バロックの森」(土日のリクエストコーナーの案内役)やTBSテレビの「TBS特集『定年』」などの司会を務め、NHKで国際放送を含むラジオニュース・気象通報などを担当。また、芸能プロダクション『松田輝雄事務所』を設立した。
名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日… 名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日 - )は、日本の男性声優、アナウンサー。81プロデュース所属。長野県富士見町出身。 1958年、長野県諏訪清陵高等学校卒業。 1962年に早稲田大学卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。 1999年、NHKを定年退職。声優活動を開始。 主にニュース番組で活躍。また、よど号ハイジャック事件、ドイツ日航機爆破事件、三菱重工爆破事件、クアラルンプール・アメリカ大使館占拠事件、あさま山荘事件、小櫃川(千葉)集中豪雨、エリザベス女王訪日、昭和天皇訪米、原子力船「むつ」放射能もれ洋上漂流、佐世保修理入港、ドイツ・ベルリンの壁崩壊の国内外重要中継リポートを担当。
田仲 清司(たなか きよし、1939年3月5日 - )は、元… 田仲 清司(たなか きよし、1939年3月5日 - )は、元NHKアナウンサー。元放送総局アナウンス室長。 福岡県出身。早稲田大学教育学部卒業後、1962年入局。放送総局アナウンス室副部長、広島放送局放送センター長、広島放送局副局長を経て1993年編成局アナウンス室長。その後日本語センター専門委員。
小泉 正昭(こいずみ まさあき、1939年2月8日 - )は… 小泉 正昭(こいずみ まさあき、1939年2月8日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、ニュースキャスター。 神奈川県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 1962年4月、TBSにアナウンサー8期生として入社(同期入社には清水将夫・鈴木史朗・梅田早苗・古村朋子・佐藤紀子・塩田光代・清水恵子・富田幸子・山口紘子)。 主にニュースや報道番組を担当し、1963年11月1日に報道局ニュース部アナウンサー。1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴い報道局ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付に。その後、テレビ本部報道局ラジオニュース部(1970年7月)、テレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部(1972年11月)、報道局報道センターに在籍し、中でも1966年2月に起きた全日空羽田沖墜落事故、1972年9月の日中国交回復などの取材、中継リポートに携わった。
桂 竜也(けい たつや、1939年〈昭和14年〉2月7日 -… 桂 竜也(けい たつや、1939年〈昭和14年〉2月7日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、元文化放送アナウンサー。 本名は永峰 康雄(ながみね やすお)。千葉県市川市出身。O型。 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1961年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。 1972年10月9日から10年間 パーソナリティを務めた『桂竜也の夕焼けワイド』は「ベルベットボイス」と称する落ち着いた語りで人気を博した。担当番組で用いたマイクネームの「桂」は桂文楽 (8代目)から。「竜也」は黒岩重吾の小説に出てくる人物からもらったという。 2004年9月、同社を定年退職。その後はアルツハイマー型認知症を発症。
樋口 忠正(ひぐち ただまさ、1938年2月20日 - )は… 樋口 忠正(ひぐち ただまさ、1938年2月20日 - )は、元ラジオ日本アナウンサーであり、現在はフリーアナウンサーである。東京都杉並区出身。早稲田大学商学部卒業。 1961年に当時のラジオ関東に入社。当初はプロ野球中継の担当が中心だった。その翌年には早くもプロ野球中継の実況を担当することになり、「史上最年少のプロ野球実況アナが誕生」ということで話題となる。しかし、自分の声質やテンポはスポーツに向いていないと感じ、わずか3年で自らプロ野球の実況から離れた。その後、競馬人気の高まりと共に1968年頃から競馬関連の番組を手伝うようになり、1970年から『ラジオ日本 土曜・日曜競馬実況中継』の司会進行および実況を担当。
鈴木 史朗(すずき しろう、1938年〈昭和13年〉2月10… 鈴木 史朗(すずき しろう、1938年〈昭和13年〉2月10日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元TBSアナウンサー。 本名は同じだが、TBS在職当時より冒頭表記と「鈴木 史郎」表記の両方が見られる。 京都府京都市北区、上賀茂神社の社家、神社を守護する武士の家系の出身。父親が日中貿易会社を設立し、幼少期は仕事関係から中国大陸で暮らす。第二次世界大戦の終戦後は、父親が無実のスパイ容疑をかけられ中国政府に拘束、強権的に財産没収を受ける。そのため母親と妹2人の4人で日本へ引き揚げることとなり、北京から天津の港まで約120kmを徒歩で移動したという。佐世保に着いた時、黄砂で空も空気も黄色く濁っていた中国に比べて、日本は「こんなにもきれいな国があるのか。
舟橋 慶一(ふなばし けいいち、1938年(昭和13年)2月… 舟橋 慶一(ふなばし けいいち、1938年(昭和13年)2月6日 - )は、元日本教育テレビ・テレビ朝日のアナウンサー。特定非営利活動法人エコです環境応援団副理事長。環境省認定環境カウンセラー。現在「自然との共生塾」「伝承の会・語り部塾」「伝承の会・闘魂語り部塾(燃える闘魂アントニオ猪木を語り継ぐために)」を主宰。 東京都出身。早稲田大学第一商学部卒業。 1962年、日本教育テレビ(NET)に入社。テレビアナウンサーとしてスポーツ中継、報道番組、ドキュメンタリーなどを担当。 スポーツ放送ではアマチュアスポーツからプロスポーツの実況まで幅広く活躍した。特にプロレスリング実況では、解説の桜井康雄(東京スポーツ)とコンビを組み、日本プロレス~草創期の新日本プロレスの激戦の語り部としてその名を知られている。
浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 -… 浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 - 2024年6月)は、日本テレビ放送網、アール・エフ・ラジオ日本(RFラジオ日本)アナウンサー。東京プロ野球記者OBクラブ会員。東京都出身。都立西高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。 1962年(昭和37年)に早大を卒業し、日本テレビへ入社。日本テレビ時代には主としてプロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)戦を中心としたスポーツ放送を担当。プロ野球では、1977年9月3日の巨人対ヤクルトスワローズ戦で、王貞治選手(巨人)が放った通算756号本塁打(当時世界新記録)の実況を担当した(但し、生放送できず)。この他にも実況した名シーンは数多く、以下に挙げる試合にも立ち会っている。
古屋 明信(ふるや あきのぶ 、1937年11月3日 - )… 古屋 明信(ふるや あきのぶ 、1937年11月3日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサー。現在はNHK放送研修センター・日本語センター所属。 出生地は中国・上海。東京都立千歳高等学校、早稲田大学卒業。1962年にアナウンサーとしてNHKに入局。宮崎→金沢→福岡→名古屋の各局を歴任し、1982年から東京放送センター勤務。現役時代は主にスポーツ中継を担当、落ち着いたトーンで今の絶叫型アナウンサーの対極にある名アナウンサーだった。また、NHKテレビ最初のスポーツニュース番組を担当したアナウンサーのひとりである。 定年後はBS・ラジオのニュース番組(ラジオ放送の場合、深夜帯ではラジオ深夜便内の定時ニュース。
太田 真一(おおた しんいち、1937年9月 - )は、元日… 太田 真一(おおた しんいち、1937年9月 - )は、元日本放送協会(NHK)、テレビ朝日のアナウンサーである。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。アメリカ野球学会会員。日本スポーツ経営学会会員。東京都出身。
秋山 隆(あきやま たかし、1937年7月4日 - 2025… 秋山 隆(あきやま たかし、1937年7月4日 - 2025年12月29日)は、元NHKアナウンサー。 東京府出身。東京都立小山台高等学校、早稲田大学卒業。1962年にNHKへ入局。 現職時代は佐賀、名古屋、東京アナウンス室などで勤務した。佐賀時代は放送部アナウンス担当副部長として、山本哲也を指導。鉄道好きらしく(鉄道ピクトリアルに執筆経験有り)、ラジオ深夜便では自身の担当回に放送されるコーナー「深夜便アーカイブス」において駅の様子や車両の走行音を取り上げたり、リスナーから寄せられた鉄道に関する投稿を紹介したこともある。後年は日本語センターに所属して後進の育成に努め、朗読講座などを受け持っていた。
後藤 紀夫(ごとう のりお、1937年(昭和12年)1月22… 後藤 紀夫(ごとう のりお、1937年(昭和12年)1月22日 - )は、中部日本放送の元アナウンサー。 神奈川県出身で神奈川県立横浜翠嵐高等学校から早稲田大学卒業。主に1960年代〜1990年代にかけて、スポーツ中継を中心に活躍した。 『伝説の野球ティーム バンクーバー朝日物語』 岩波書店、2010年3月 ISBN 4000244558
日野 直子(ひの なおこ、1937年(昭和12年)-)は元N… 日野 直子(ひの なおこ、1937年(昭和12年)-)は元NHKのアナウンサー、現在は特定非営利活動法人おおいた豊後ルネサンス理事長。大分県出身。早稲田大学卒業。 NHK時代は『夢のハーモニー』など音楽番組を中心に担当。また1971年にNHK退職後もフリーアナウンサーとして『ラジオ深夜便』のアンカーのほか、FM放送の長寿番組『あさのバロック(現古楽の楽しみ)』のMCを1990年から10年間担当した。 2006年、フランシスコ・ザビエル生誕500年を記念して、日野の故郷であり日本の西洋音楽発祥の地である大分でグレゴリオ聖歌隊のスコラ・アンティカなどを招き開催する音楽祭のプロデューサーを務めた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
小六 英介(ころく えいすけ、1936年(昭和11年)8月2… 小六 英介(ころく えいすけ、1936年(昭和11年)8月21日 - 2012年(平成24年))は、元NHKアナウンサー、元愛知学泉大学教授。 大阪府出身、父は大相撲の元関脇であった磐石熊太郎(本名は小六熊雄)。早稲田大学教育学部を卒業後、1960年(昭和35年)にNHK入局。『FMリクエストアワー』を担当時のニックネームは「お馬さん」。アナウンサーとして各地の放送局を歴任する傍ら、看護に興味を持つ。NHKを離れた後は、愛知学泉大学の教授を2006年(平成18年)まで務めた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
久保 晴生(くぼ はるお、1936年7月18日 - )は、日… 久保 晴生(くぼ はるお、1936年7月18日 - )は、日本テレビ放送網の元アナウンサー、日テレ学院スーパーバイザー。旧・満洲奉天市出身。愛称は、晴さん。 早稲田大学卒業後、1960年、日本テレビにアナウンサーとして入社。同期は久能靖らがいる。 元NHKでフリーアナウンサーの久保純子は長女。 バラエティ・中継担当番組・その他 金原二郎1969年以前-1982以後 / 赤木孝男1985前後 / 久保晴生1987-1990 / 今井昌彦1990-1992 / 長浜幸郎1992-1993 / 舛方勝宏1993-1997.5 / 石川牧子1997.6-2001.6 / 倉増吉継2001.5-2003.5 / 笹尾光2003.6-? / 福田泰久?-2007.3 / 大澤雅彦2007.4-2010.6 / 鷹西美佳2010.7-2010.11 / 木村優子2010.12-2014.5 / 鈴木雅人2014.6-2015.5 / 村山喜彦2015.6-2019.5/伊東修2019.6-2022.6/今井田彩2022.7-
及川 甲子男(おいかわ きねお、1936年6月29日 - 2… 及川 甲子男(おいかわ きねお、1936年6月29日 - 2012年6月9日 )は、日本のアナウンサー。元NHKアナウンサー。1970年代の初頭、当時まだ日本国内で知る人が少なかったオーストラリアについて紹介した『メルボルン・ノート』の著者としても知られる。 千葉県香取市(旧佐原市)生まれ。野球と真空管ラジオ製作に夢中で、お祭りが大好きな子供だった。高校時代には、当時英語の教師であった猿谷要(東京女子大名誉教授・アメリカ史)と出会い、生涯交流を続けた。 1959年3月早稲田大学政治経済学部卒、早稲田大学大学院商学研究科中退の後、1959年7月にNHK(日本放送協会)に入局し、以後、鳥取(1959年11月〜62年8月)、福岡(1962年8月〜66年2月)、東京(1966年2月〜71年2月)において、報道、ドキュメンタリー、科学の番組に出演した。
山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日… 山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー。
山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日… 山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー。 東京府東京市浅草区駒形町(後の東京都台東区)出身。浪曲師の広沢虎造(2代目)の次男。趣味はゴルフ。早稲田大学第一文学部 卒業。 1959年、NHKにアナウンサーとして入局。元々は落語家を志望しており、大学卒業後に弟子入りする師匠が決まっていたが、当時 所属していた放送研究会の仲間と試しに受けたNHKの試験に合格。師匠からも安定した職に就くことを勧められたため、アナウンサーの道へ進んだ。 NHK佐賀放送局で勤務の後、1960年3月、ラジオ東京(後の東京放送 → 東京放送ホールディングス → TBSホールディングス、以下TBS)に中途経験者採用により移籍。
深澤 弘(ふかさわ ひろし、1936年1月2日 - 2021… 深澤 弘(ふかさわ ひろし、1936年1月2日 - 2021年9月8日)は、日本のフリーアナウンサー、スポーツコメンテーター。 元ニッポン放送アナウンサーで、ディレクTV取締役、新潟県民エフエム放送(FM PORT)東京支社長、音響芸術専門学校講師を務めた。 神奈川県川崎市出身。 高輪高等学校を経て早稲田大学卒業後、1958年東北放送にアナウンサーとして入社。1964年の東京オリンピック開催にともないスポーツ実況アナウンサーが不足することからニッポン放送にスカウトされ、同年移籍した。 プロ野球中継は1970年代後半から1990年代にかけて、『ニッポン放送ショウアップナイター』のメイン実況アナウンサーとして1,600試合以上実況アナウンスを担当した他、各種スポーツ中継(中央競馬、ボクシングなど)も実況を担当した。
田原 節子(たはら せつこ、1936年 - 2004年8月1… 田原 節子(たはら せつこ、1936年 - 2004年8月13日)は、日本のアナウンサー、随筆家。旧姓:古賀・村上(むらかみ)。 田原総一朗の2番目の妻。ウーマンリブ運動家でもあった。歌手の古賀さと子は実妹。 東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、日本テレビに入社。アナウンサーとして17年、その後はCMプロデューサーとして10年勤務した。その間、一度目の結婚と出産を経験するが、1976年、「容色が衰えた」としてアナウンス室からの配置転換命令を受ける。しかし、納得できずに提訴。勝訴する。総一朗との共著『私たちの愛』(講談社)によれば、局内ではもともとウーマンリブに関わっていた事が問題となっていたとのこと。
角田 明夫(つのだ あきお、1935年〈昭和10年〉12月1… 角田 明夫(つのだ あきお、1935年〈昭和10年〉12月19日 - )は、日本放送協会 (NHK) の元アナウンサー。 1935年(昭和10年)12月19日、当時の東京府に生まれる。現在の杉並区立第六小学校・杉並区立阿佐ヶ谷中学校・東京都立西高等学校を経て、早稲田大学第一文学部美術史学科を卒業。1959年(昭和34年)から日本放送協会 (NHK) のアナウンサーとなり、1996年(平成8年)に退くまで35年あまり同職にあった。1997年(平成9年)からはフリーアナウンサーとなり、2000年(平成12年)に引退。配偶者と2子がある。 NHK在職時は、テレビの報道ニュース、司会、スポーツ、ラジオパーソナリティ等を担当。