伊藤 和衛(いとう かずえ、1911年4月28日 - 198… 伊藤 和衛(いとう かずえ、1911年4月28日 - 1989年6月4日)は、日本の教育学者、東京教育大学名誉教授。 福島県いわき市生まれ。1941年、東京文理科大学卒業。東京都教育研究所を経て、1964年から東京教育大学教育学部(教育行財政講座)教授。1961年、「教育の機会均等」により、東京文理科大学文学博士。1975年、定年退官、名誉教授、山梨英和短期大学教授。1989年6月4日、急性腎不全のため死去。 日本教育行政学会の創設に携わり、1974年から3年間会長を務めた。
山口 久太(やまぐち ひさた、1911年4月26日 - 19… 山口 久太(やまぐち ひさた、1911年4月26日 - 1993年7月12日)は、日本の教育者。元日本体育協会副会長、名誉副会長。東海大学体育学部長。 1911年、、佐賀県東松浦郡相知町(現唐津市)に生まれる。下村湖人の薫陶を受け、旧制唐津中学(現在の佐賀県立唐津東高等学校)卒業後、周囲が旧制高等学校の進学を薦める中、日本一の体育教師を目指して、東京高等師範学校(現・筑波大学)体育科に進学する。1934年3月、東京高等師範学校体育科を卒業。体育教諭として、旧制甲府中(現・山梨県立甲府第一高等学校)、旧制広島一中(現・広島県立国泰寺高等学校)に奉職。戦後千葉県に体育担当地方事務官として招かれて、千葉県立佐原高等女学校校長、千葉県立船橋高等学校校長を務める。
唐澤 富太郎(からさわ とみたろう、1911年4月7日 - … 唐澤 富太郎(からさわ とみたろう、1911年4月7日 - 2004年8月11日)は、日本の教育学者、東京教育大学名誉教授。日本教育史を研究。 新潟県出身。東京文理科大学卒。奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)教授、東京高等師範学校教授、1949年(昭和24年)に東京教育大学教授。1953年(昭和28年)「中世初期仏教々育思想の研究」で東京教育大文学博士。定年退職後、日本女子大学教授。1980年(昭和55年)に日本女子大退職。1993年(平成5年)、教育史の資料を展示した「唐澤博物館」を自宅敷地内(東京都練馬区豊玉北)に開設。 新潟県出雲崎で尋常小学校・尋常高等小学校時代を送る。成績は優秀で「操行並びに学業優秀に付きこれを賞す」の賞状が残されている。
宮崎 健三(みやざき けんぞう、1911年3月8日 - 19… 宮崎 健三(みやざき けんぞう、1911年3月8日 - 1987年12月)は、日本の詩人。東京教育大学教授、和光大学教授を歴任。 富山県生まれ。東京文理科大学卒業。東京教育大学助教授、教授、1966年和光大学教授。国語科教育を担当するほか詩人として活動し、1983年『類語』で日本詩人クラブ賞を受賞した。 富山県師範学校在学中、詩作活動に励んだが、進学のため中断された。富山県師範学校の寄宿舎では、後に理科教育学者となる丸本喜一や動物学者となる大塚外次らと同じ部屋で暮らした。
喜多村 俊夫(きたむら としお、1911年2月6日 - 19… 喜多村 俊夫(きたむら としお、1911年2月6日 - 1993年10月24日)は、日本の地理学者。 滋賀県滋賀郡堅田町(現・大津市)生まれ。滋賀県師範学校、東京高等師範学校文科卒、1933年東京文理科大学地理学科卒。滋賀県立小学校訓導、滋賀県師範学校教員、1936年日本経済史研究所研究員、1939年京都帝国大学人文科学研究所助手、1949年助教授、1949年「日本灌漑水利慣行の史的研究」で京大農学博士。同年岡山大学法文学部教授、のち名古屋大学文学部教授となり、1974年定年退官、名誉教授、大阪経済大学教授、1975年大阪学院大学教授を務め、1985年退職。1951年日本農学会賞(日本農学賞)受賞。
兼岩 正夫(かねいわ まさお、1911年2月 - 1984年… 兼岩 正夫(かねいわ まさお、1911年2月 - 1984年12月23日)は、日本の歴史学者、東京教育大学名誉教授。専門は西洋中世史。 静岡県庵原郡興津町生まれ。静岡県立静岡中学校に学ぶ。旧制静岡高等学校を経て、1941年、京都帝国大学文学部卒業。旧制静岡高等学校で教えた後、東京教育大学助教授。1958年、同教授。1962年、「中世歴史意識のリアリズム」で京都大学より文学博士の学位を取得、1975年、定年退官、名誉教授。1984年、勲三等瑞宝章受勲。
飯田 利行(いいだ りぎょう、1911年1月7日 - 200… 飯田 利行(いいだ りぎょう、1911年1月7日 - 2004年)は、曹洞宗の僧、仏教学者、音韻学者。 群馬県佐波郡赤堀村(現伊勢崎市)生まれ。1936年東京文理科大学漢文学科卒、駒澤大学専任講師。1940年京都東方文化研究所(東方文化研究所?東方文化学院京都研究所?)助手。1941年駒澤大学教授。1954年「日本仏典の表白諷誦に残存せる中国近世音の研究」で東京教育大学文学博士。1966年専修大学文学部教授。1980年二松学舎大学教授。1985年『定本湛然居士文集訳』で日本翻訳文化賞受賞、1995年仏教伝道文化賞受賞。全長寺住職、總持寺顧問。
今井 宇三郎(いまい うさぶろう、1911年 - 2005年… 今井 宇三郎(いまい うさぶろう、1911年 - 2005年)は、日本の中国思想史学者。学位は、文学博士(東京教育大学・論文博士・1961年)(学位論文「宋代易学の研究」)。大東文化大学教授を経て、追手門学院大学教授。 1939年東京文理科大学卒、筑波大学教授、筑波大学哲学思想学系初代学系長。1961年「宋代易学の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1975年定年退官。 大東文化大学教授を経て、追手門学院大学教授。 易学が専門だが、『菜根譚』の注釈でも知られる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
東 一夫(ひがし いちお、1911年(明治44年) - 没年… 東 一夫(ひがし いちお、1911年(明治44年) - 没年不詳)は、日本の中国史学者、東京学芸大学名誉教授。 1911年、鹿児島県で生まれた。東京文理科大学東洋史学科で学び、卒業。 東京学芸大学助教授に就き、後に教授昇格。また、東京学芸大学附属高等学校副校長も務めた。1971年、学位論文『王安石新法の研究』を東京教育大学に提出して文学博士の学位を取得。1975年に東京学芸大学を定年退官し、名誉教授となった。
川口 久雄(かわぐち ひさお、1910年12月14日 - 1… 川口 久雄(かわぐち ひさお、1910年12月14日 - 1993年5月4日)は、日本の国文学者、比較文学者。文学博士。専門は平安朝漢文学、日中比較文学。 1937年、東京文理科大学国文科卒。陸軍予科士官学校教授、金沢高等師範教授を経て、金沢大学法文学部教授を務めた。1969年、任期満了の助手を一方的に履免しようとしたことで、金沢大学法文学部に大学紛争のきっかけを作った。当時、金沢大学法文学部文学科に在籍していた木越治によれば、履免理由は助手が「学生に好意的すぎるという理由」だったという。木越は、川口を「学者としてはとても優秀な人。ただし、私は当時から今に至るまで大嫌いです」と評している。金沢大学定年後、大東文化大学東洋研究所教授。
磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月… 磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月29日 - 2004年〈平成16年〉)は、日本の法学者。民法、法社会学を専攻し、東京教育大学文学部教授などを歴任した。 1910年、東京に生まれる。旧制武蔵高校を経て東京帝国大学法学部に進む。1934年に卒業後同大学院に進学し民法を専攻、1939年に修了した。大学院修了後、地租改正資料整備会委員になり、同年10月から、国際文化振興会で、『英文日本百科事典』の編集に携わる。1941年に社会事業研究所に入所し、1943年から日本敗戦まで、北京近郊河北口の西北研究所員として、モンゴルで調査研究をした。敗戦のためウランバートルで抑留生活を送る。
白井 常(しらい つね、女性、1910年10月31日 - 1… 白井 常(しらい つね、女性、1910年10月31日 - 1999年7月27日)は、日本の心理学者、東京女子大学名誉教授。動物や幼児の認知発達を中心に研究。筆名は白井常子。 東京生まれ。東京女子大学卒、東京文理科大学卒、1949年東京女子大学助教授、同年 トロント大学に学び、1954年 Ph.D. を取得、同年東京女子大学教授、1976年定年 (名誉教授)、聖心女子大学教授。 1961年 東京教育大学文学博士、1983年 日本心理学会名誉会員、1983年 勲四等瑞宝章を受章。
浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 199… 浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 1994年7月24日)は、日本の地理学者。学位は、理学博士(東北大学)。東京教育大学名誉教授。 富山県高岡市出身。1932年東京高等師範学校卒、陸軍士官候補生、1936年東京文理科大学地理学科卒。 1953年「近世期の集落発達に関する地理学的研究」で、東北大学より理学博士の学位を取得(主査:富田芳郎教授)、東京市立第二中学校(現東京都立上野高等学校)教諭、朝鮮水原の高等農林学校の地理博物教員養成所教員、1944年東京高等師範学校教授、1949年至徳専門学校(現国士舘大学)地理科教授(兼任)、東京教育大学教授。74年定年退官、名誉教授、専修大学教授、1981年北陸工業専門学校教授、富山県教育委員会長。
小沢 栄一(おざわ えいいち、1910年4月1日 - 198… 小沢 栄一(おざわ えいいち、1910年4月1日 - 1986年1月6日)は、日本史学者。東京学芸大学名誉教授。 1938年東京文理科大学卒。1959年「十九世紀日本啓蒙史学の研究」で東京教育大学文学博士。東京学芸大学助教授、教授、75年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。
河本 春男(かわもと はるお、1910年3月28日 - 20… 河本 春男(かわもと はるお、1910年3月28日 - 2004年1月27日)は、愛知県出身の実業家、サッカー選手・指導者。 愛知県の出身。1923年に入学した愛知県立刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)時代よりサッカーを始める。1928年に入学した東京高等師範学校(現・筑波大学)でも蹴球部(現在の筑波大学蹴球部)に所属した。1932年に同校を卒業後は兵庫県立第一神戸中学校の体育教諭となり、同校サッカー部の部長も務め、同年に開催された全国中等学校蹴球選手権大会で優勝に導いた。 1941年に第二次世界大戦に伴って従軍するが、1943年に除隊した。1947年より実業界に進んで、1958年に「アルプスバター神戸直売所」を創業。
西村 朝日太郎(にしむら あさひたろう、1909年12月21… 西村 朝日太郎(にしむら あさひたろう、1909年12月21日 - 1997年10月27日)は、日本の文化人類学者、海洋民族学者。早稲田大学文学部教授。実父は、歴史学者、考古学者、文化人類学者、民俗学者の西村眞次。雅号は、跳白亭濤如。 東京府牛込区(現東京都新宿区)新小川町に生まれる。長男として出生当時、父眞次が朝日新聞社に勤務していたことから、「朝日太郎」と命名される。早稲田大学で人類学を修めた後、1939年に同大学文学部西洋史学科を優等賞で卒業。東亜研究所所員、日本民族学会附属研究所研究員を経て、1946年から母校の早稲田大学にて教鞭を執る。1956年8月、東京教育大学(現筑波大学)にて文学博士号を取得。
湯浅 年子(ゆあさ としこ、1909年12月11日 - 19… 湯浅 年子(ゆあさ としこ、1909年12月11日 - 1980年2月1日)は、日本出身の物理学者である。パリのコレージュ・ド・フランス原子核化学研究所、CNRS(フランス国立中央化学研究所)などで研究した。日本国外で活動した初の日本人女性物理学者といわれる。 東京都上野に生まれる。7人兄弟の6番目で、生家には両親や兄弟の他に、乳母や数名の女中、書生がおり、多人数で暮らしていた。年子の父は福井県出身で、帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)機械工学科を卒業し、農商務省の特許局に勤務していた湯浅藤市郎で、退職後に自宅で自動製糸機の発明に没頭し、世界で初めて「完全自動製糸機」を完成させたことで知られる。
関根 慶子(せきね よしこ、1909年10月4日 - 199… 関根 慶子(せきね よしこ、1909年10月4日 - 1998年9月12日)は、日本の国文学者。文学博士(東京教育大学・論文博士・1962年)。お茶の水女子大学名誉教授。 国文学者・関根正直の娘で、仏文学者の関根秀雄は実兄、旧約聖書学者の関根正雄は実弟。経済学者の関根友彦や、倫理学者関根清三は甥。 東京生まれ。1927年、内村鑑三の聖書講義を聞いて入信し、1930年、塚本虎二の丸の内聖書研究会の会員となる。1931年、東京女子高等師範学校卒、1939年、東京文理科大学国文科卒業、副手となる。1940年、実践女子専門学校教授。1949年、お茶の水女子大学専任講師、1953年、助教授。1962年、「中古私家集の研究」で東京教育大学文学博士。
位野木 寿一(いのき(いのぎ) かずいち、1909年(明治4… 位野木 寿一(いのき(いのぎ) かずいち、1909年(明治42年)9月8日 - 2006年(平成18年)7月16日)は、日本の地理学者。学位は、理学博士(東京教育大学)。大阪教育大学名誉教授。 香川県生まれ。1935年東京文理科大学地理学科卒、1935年静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)教諭、1936年大阪府天王寺師範学校教諭、1949年大阪学芸大学助教授、校名変更で大阪教育大学教授、1966年附属図書館長、1975年定年退官、名誉教授。1961年「戦後における戦災衛星都市堺の変貌」で、理学博士(東京教育大学)。 2006年7月16日、心不全のため死去。
竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 … 竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 - 1988年3月20日)は、日本の体育学者。東京教育大学(現筑波大学)名誉教授。体育社会学を研究した。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1932年に東京高等師範学校体育科を卒業した後、1936年に東京文理科大学教育学科を卒業(東京高等師範、東京文理科大ともに東京教育大学の前身)。1937年、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)助教授に就任し、その後、神戸商業大学(現神戸大学)予科教授、東京体育専門学校(東京教育大学体育学部の前身)教授を経て、1947年に文部省事務官となる。後に文部省大学学術局視学となり、1949年、学校体育指導要綱、学習指導要領体育編の作成で中心的な役割を果たす。
上武 正二(かみたけ まさじ、1909年 - 1983年7月… 上武 正二(かみたけ まさじ、1909年 - 1983年7月28日)は、日本の心理学者。 1935年に東京文理科大学心理学科を卒業後、ベルリン大学に学んだ。東京教育大学助教授、教授、教育学部長を歴任。1962年「双生児法による心的遺伝の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1965年に定年退官し名誉教授となり、明星大学教授に就任。1980年11月 勲三等旭日中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松下 忠(まつした ただし、1908年12月10日 - 19… 松下 忠(まつした ただし、1908年12月10日 - 1994年8月9日)は、日本の漢文学者。 熊本県出身。1938年東京文理科大学漢文学科卒。諸橋轍次に師事。1962年「江戸時代の詩風及び詩論の研究」で東京教育大学文学博士。和歌山大学教授、72年定年退官、名誉教授、日本大学教授。1972年「江戸時代の詩風詩論―明清の詩論とその摂取」で日本学士院賞・恩賜賞受賞。同年和歌山県文化賞、1980年勲二等瑞宝章受章。和歌山大学名誉教授の生駒道弘は女婿
岸本 実、ないし、岸本 實(きしもと みのる、1908年8月… 岸本 実、ないし、岸本 實(きしもと みのる、1908年8月25日 - 1992年2月17日)は、人口地理学を専門とする日本の地理学者。徳島大学、立正大学などで教え、立正大学名誉教授となった、日本地理学会会長も務めた。 徳島県徳島市沖浜町大木に生まれた。 徳島師範学校本科第1部に学び、東京高等師範学校文科第4部(歴史地理科)に進んだ。 1939年に東京文理科大学地学科地理学専攻を卒業した。 千葉県師範学校在職中に応召し、陸軍中尉として中国大陸に従軍した。1943年11月には、千葉師範学校教授となった。 戦後は、両親の求めに応じて1946年7月に帰郷し、徳島師範学校教授となり、学制改革を経て徳島大学教育学部教授となった。
重松 鷹泰(しげまつ たかやす、1908年〈明治41年〉8月… 重松 鷹泰(しげまつ たかやす、1908年〈明治41年〉8月7日 - 1995年〈平成7年〉8月7日)は、日本の教育学者。名古屋大学名誉教授。専攻は教育方法論。授業分析を行った。 東京生まれ。旧制第一高等学校理科卒後、1928年徳島県大津東小学校の代用教員となる。1932年東京文理科大学教育学科教育学専攻卒、東京府豊島師範学校講師。1937年教育科学研究会生活教育研究部会に参加し、教育指導部幹事に就任した。1941年東京府学務部勤務。1944年応召、中支に出征。1946年文部省教科書局小学校社会科担当となり、小学校社会科創設及び学習指導要領に関与する。1947年奈良女子高等師範学校附属小学校主事、1952年名古屋大学教育学部教授、1972年定年退官、のちに名誉教授。
三宅 泰雄(みやけ やすお、1908年4月17日 - 199… 三宅 泰雄(みやけ やすお、1908年4月17日 - 1990年10月16日)は、日本の地球化学者。東京教育大学教授。 岡山県岡山市にて誕生。岡山県立岡山中学校、静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1931年東京大学理学部化学科を卒業。 北海道大学理学部助手、中央気象台、同台研究部(戦後はそのまま気象庁・同庁気象研究所に改称)勤務。1940年 東京大学にて、「西部北太平洋の海洋科学」の論文で理学博士号を取得。 1957年、東京教育大学教授。 1954年のビキニ事件を発端にビキニ周辺海域・大気の放射能汚染を調査、研究し、高い評価を得た。以後、海洋や大気の放射能汚染の危険性を訴えつづけた。第五福竜丸の船体の保存にも尽力。
芳賀 幸四郎(はが こうしろう、1908年1月25日 - 1… 芳賀 幸四郎(はが こうしろう、1908年1月25日 - 1996年8月6日)は、日本史学者。東京教育大学名誉教授。東山文化研究の第一人者。また、禅を極め、臨済宗妙心寺派系の法を嗣ぐ老師でもあった。庵号を「如々庵」(にょにょあん)、道号を「洞然」(とうねん)。 1908年、山形県寒河江に生まれた。1926年、東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)に合格したが、翌1927年に山形の連隊に入隊。除隊後に小学校の訓導となり、山形県女子師範を卒業したばかりの藤田洋子と知り合い、キリスト教会に通った。 1928年、東京高等師範学校に入学。1930年、藤田洋子と結婚するが、マルクス主義に染まり、1931年2月、検挙される。
矢嶋 仁吉(やじま にきち、1907年12月19日 - 19… 矢嶋 仁吉(やじま にきち、1907年12月19日 - 1992年5月21日)は、日本の地理学者。理学博士(東京教育大学・論文博士・1953年)(学位論文「武蔵野台地の新田集落立地に関する地理学的研究」)。正四位。 東京府豊多摩郡井荻村(現在の東京都杉並区)に生まれる。荻窪に育つ。井伏鱒二の「荻窪風土記」の執筆に協力し、『荻窪の今昔と商店街之変遷』(1976年)、『荻窪の古老矢嶋又次が遺した「記憶画」 : 平成23年度杉並区立郷土博物館分館企画展 : 図版集』の作者である、荻窪の古老と呼ばれた矢嶋又次は実兄。荻窪駅北口前にかつて存在した矢嶋洋品店が実家。 1936年東京文理科大学地理学卒、1953年「武蔵野台地の新田集落立地に関する地理学的研究」で東京教育大学より理学博士の学位を取得。
成田 成寿(成田 成壽、なりた しげひさ、1907年11月1… 成田 成寿(成田 成壽、なりた しげひさ、1907年11月18日 - 1986年9月24日)は、日本の英文学者、東京教育大学名誉教授。文学博士。 新潟県出身。1932年東京文理科大学国文科卒業、福原麟太郎に師事。東京高等師範学校教授、東京文理科大教授、東京教育大学教授、定年退官し名誉教授、大妻女子大学教授。批評文学を提唱し、新しい英米文学を紹介した。
宮崎 正雄(みやざき まさお、1907年6月13日 - 19… 宮崎 正雄(みやざき まさお、1907年6月13日 - 1994年3月13日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。日本海新聞社長。 鳥取県出身。1941年東京文理科大学卒。東京高等師範学校講師、同助教授、石川県地方事務官、鳥取県立鳥取図書館長、同県教育長の他、日本海新聞社長、会長を歴任する。1959年の第5回参議院議員通常選挙で自由民主党公認で鳥取県から立候補したが、日本社会党公認で現職の中田吉雄に39票差で敗れて落選した。6年後の1965年の第7回参議院議員通常選挙で立候補して初当選。連続2期務めた。この間、第3次佐藤内閣農林政務次官、参議院運輸、文教の各委員長を歴任、1977年に引退した。
四方 実一(しかた じつかず、1907年5月25日 - 19… 四方 実一(しかた じつかず、1907年5月25日 - 1997年1月22日)は、日本の教育心理学者。 京都府出身。東京文理科大学心理学科卒、1961年「算数問題解決の教育心理学的研究」で東京教育大学文学博士。京都学芸大学助教授、教授。1966年校名変更で京都教育大学教授。71年定年退官、名誉教授。
長坂 端午(ながさか たんご、1907年5月5日 - 197… 長坂 端午(ながさか たんご、1907年5月5日 - 1977年4月9日)は、日本の教育学者、文部官僚。東京教育大学名誉教授。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、第一高等学校卒業。 1928年下諏訪尋常高等小学校(現・下諏訪町立下諏訪南小学校)代用教員。東京文理科大学(現・筑波大学)教育科卒業。1932年山梨県女子師範学校教諭。1936年和歌山師範学校教諭。1941年静岡師範学校教諭、同附属国民学校(現・静岡大学教育学部附属静岡小学校)主事。1945年応召により中国へ出征。 1947年文部省(現・文部科学省)教科書局に入省、同局小学校社会科主任、文部事務官 。
小出 武(こいで たけし、1907年4月24日 - 2007… 小出 武(こいで たけし、1907年4月24日 - 2007年1月6日)は日本の地理学者。 旧制東京文理科大学卒業。信濃教育会研究所主任、長野県立高校教諭、本州大学(現・長野大学)教授、1969年から1972年まで学長代行を務めた。理学博士(東京教育大学)。元長野県地理学会会長。勲四等旭日小綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高島 春雄(たかしま はるお、1907年(明治40年)3月2… 高島 春雄(たかしま はるお、1907年(明治40年)3月20日- 1962年(昭和37年)5月31日)は、日本の動物学者。 高島春雄は、東京生まれの動物学者である。 1960年にコビトカバが上野動物園に導入された際、オカピ、ジャイアントパンダ、コビトカバの3種を世界三大珍獣として選抜したことで知られる。
岩田 孝三(いわた こうぞう、1907年1月30日-1994… 岩田 孝三(いわた こうぞう、1907年1月30日-1994年2月21日)は、日本の地理学者。専門は地政学。 新潟市出身。本籍は埼玉県浦和市。1930年東京高等師範学校文科第一部卒業、1933年東京文理科大学地理学科卒業。1934年同大学院退学、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)教諭、1936年陸軍経理学校教授、1937年陸軍教授。1945年敗戦により解雇、1951年東京学芸大学教授。1952年「わが国、国界、藩界についての政治地理学的研究」で東北大学理学博士(主査 富田芳郎教授)。1970年東京学芸大学定年退官、名誉教授、国士舘大学文学部地理学専攻教授。
徳田 進(とくだ すすむ、1907年〈明治40年〉1月7日 … 徳田 進(とくだ すすむ、1907年〈明治40年〉1月7日 - 1998年〈平成10年〉4月23日)は、日本の国文学者。高崎経済大学第4代学長、同名誉教授。 群馬県高崎市宮元町生まれ。高崎中学校(群馬県立高崎高等学校の前身)卒、群馬師範学校専攻科卒。 1939年(昭和14年)東京女子高等師範学校助教授。1941年(昭和16年)、東京文理科大学国文科選科修了。1945年(昭和20年)9月、群馬師範学校教授。1953年(昭和28年)、高崎市立短期大学教授。 1956年(昭和31年)、「二十四孝の研究 特に近古近世の日本文学との交渉を中心として」で、東洋大学より文学博士。1957年(昭和32年)、高崎市立短期大学からの改組により高崎経済大学教授。
小林 信明(こばやし しんめい、1906年(明治39年)11… 小林 信明(こばやし しんめい、1906年(明治39年)11月25日 - 2003年(平成15年)3月5日)は、日本の漢文学・中国哲学者。東京教育大学名誉教授。 愛知県出身。東京文理科大学文学部漢文学科卒業。1955年(昭和30年)「古文尚書伝流考」で京都大学文学博士。東京都立北野高等学校教諭、東京教育大学助教授を経て、教授。1970年(昭和45年)定年退官、名誉教授となる。
鈴木 清(すずき きよし、1906年10月15日 - 198… 鈴木 清(すずき きよし、1906年10月15日 - 1982年9月2日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授、元東京女子体育大学学長。元日本心理学会会長。静岡県出身。 1936年、東京文理科大学心理学科卒業。1961年、「自我意識の発達に関する研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。横浜国立大学教授を経て、東京教育大学教授。1970年、定年退官、名誉教授。東京女子体育大学教授・学長(在任期間: 1970年 - 1980年)。1974年、東京都立高等学校入学者選抜研究協議会会長に就任し、学校群制度廃止・新学区制導入などを推進したことでも知られる。1977年、勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
山田 欽一(やまだ きんいち、1906年(明治39年)9月2… 山田 欽一(やまだ きんいち、1906年(明治39年)9月25日 - 1974年(昭和49年)11月25日)は、日本の数学者。一橋大学名誉教授。「一橋の数学」の育成に尽力し、今日の一橋大学における数学教育の基盤を築いた。東京市出身。 東京市日本橋区で生れる。旧・永田町小学校(現・麹町小学校)などを経て、府立四中(現・東京都立戸山高等学校)を卒業。1930年に東京商科大学、1933年には東京文理科大学数学科をそれぞれ卒業し、東京商科大学予科数学講師となる。1936年に予科教授、1949年一橋大学が新制大学として発足するとともに経済学部教授として、数理経済学やゼミナールを担当。大学時代からブール代数に関心をもち、現代数学の社会科学への応用に尽力した。
大場 俊助(おおば しゅんすけ、1906年5月13日 - 1… 大場 俊助(おおば しゅんすけ、1906年5月13日 - 1970年11月30日)は、日本の日本文学研究者。 静岡県出身。東京文理科大学国文科卒。1936年中央大学予科教授、1939年中央大学文学部教授。国語教育が専門だが、近世文学などに業績があり、小林一茶のセックスについて研究したことで知られる。
朝永 振一郎(ともなが しんいちろう、1906年(明治39年… 朝永 振一郎(ともなが しんいちろう、1906年(明治39年)3月31日 - 1979年(昭和54年)7月8日)は、日本の理論物理学者。東京教育大学名誉教授。学位は理学博士(東京帝国大学・1939年)。位階は従二位。 京都帝国大学理学部物理学科卒。東京帝国大学にて博士号取得。相対論的に共変でなかった場の量子論を超多時間論で共変な形にして場の演算子を形成し、場の量子論を一新した。超多時間論を基に繰り込み理論の手法を発明、量子電磁力学の発展に寄与した功績によりノーベル物理学賞を受賞した。東京生まれで、少年時代以降は京都育ち。なお、朝永家自体は長崎県の出身。武蔵野市名誉市民。 1906年、東京市小石川区小日向三軒町(現:文京区小日向)に、父・朝永三十郎(祖父は肥前大村藩の重臣であった朝長氏)と母(埼玉県出身)の第二子(2男2女)で出生。
福井 英一郎(ふくい えいいちろう、1905年9月9日 - … 福井 英一郎(ふくい えいいちろう、1905年9月9日 - 2000年11月3日)は、日本の気候学者・自然地理学者。東京教育大学名誉教授。門下から多数の気候学者を輩出した「日本の気候学の父」。 1905年、福岡県福岡市に生まれ育った。旧制福岡高等学校を経て、東京帝国大学理学部地理学科で学んだ。1928年に卒業。 卒業後は、日本大学、立正大学、東京府立第一中学校(東京都立日比谷高等学校の前身)などで教鞭を執った。1930年4月、東京文理科大学の助手に採用。1933年、学位論文『日本気候論』を東京帝国大学に提出して理学博士の学位を取得。 1939年1月、大日本帝国陸軍気象部嘱託を兼ねるようになり、同年4月には東京文理科大学専任講師に昇任した。
梶浦 善次(かじうら ぜんじ、1905年8月30日 - 19… 梶浦 善次(かじうら ぜんじ、1905年8月30日 - 1993年8月4日)は、日本の哲学者・教育者。専門は教育哲学・ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルに関する研究。北海道における学校経営者。 北海道留萌市出身。1925年札幌師範学校卒業。卒業後、北海道小樽市の小学校訓導として奉職するも、1926年に東京高等師範学校文科第三部に入学。1930年同学校卒業、北海道庁立札幌第一中学校(後の北海道札幌南高等学校)英語教諭。1938年北海道庁立小樽中学校(後の北海道小樽潮陵高等学校)英語教諭に転任。1942年東京文理科大学哲学科に入学、1944年同大学卒業。同年9月、北海道第一師範学校講師、同年12月教授。
阪本 一郎(さかもと いちろう、1904年7月1日 - 19… 阪本 一郎(さかもと いちろう、1904年7月1日 - 1987年8月2日)は、日本の教育心理学者。東京第一師範学校・東京学芸大学・日本女子大学・立正女子大学短大・文教大学女子短大部の教授を歴任。勲三等瑞宝章受章者。 東京文理科大学教育学部心理学科卒。同研究科博士課程修了。1961年「語彙の教育心理学的研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。東京府青山師範学校教諭、同付属小学校主事、東京第一師範学校教授、同教育研究所主事、東京学芸大学教授、同付属図書館長、1970年定年、日本女子大学教授、立正女子大学短大教授、文教大学女子短大部教授。 日本読書学会会長、名誉会長、76年国際読書功労賞。児童心理学、教育心理学、児童文化専攻。
内野 熊一郎(うちの くまいちろう、1904年6月17日 -… 内野 熊一郎(うちの くまいちろう、1904年6月17日 - 2002年11月14日)は、漢文学者。別名、能朗(のうろう/たいろう)。 1904年、香川県三豊郡二ノ宮村で藤川家に生まれた。1929年に東京高等師範学校を卒業し、東京文理科大学漢文学科に入学。同大学を1932年に卒業した。 卒業後は、1933年より東方文化学院東京研究所研究員。1934年に内野台嶺の長女道子と結婚し、内野家の養嗣子となった。1941年に陸軍経理学校教官となり、陸軍教授。 戦後は、1951年に母校である東京文理科大学・東京教育大学助教授となった。1950年、東京文理科大学に学位論文『今古文源流型の研究』を提出して文学博士号を取得。
本間 茂雄(ほんま しげお、1904年(明治37年)4月19… 本間 茂雄(ほんま しげお、1904年(明治37年)4月19日 - 1974年(昭和49年)11月3日)は、日本の体操競技選手、指導者で、体育学者。 1932年ロサンゼルスオリンピック日本代表で、日本では最初の体操競技オリンピック選手の一人である。 新潟県の佐渡島出身。旧畑野町(現・佐渡市)の畑野尋常小学校から東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区牛込)の牛込尋常小学校高等科(現在の新宿区立牛込仲之小学校)、府立四中、東京高等師範学校を経て、1933年(昭和8年)東京文理科大学教育学科を卒業した。大学在学中に主将として1932年ロサンゼルスオリンピックに体操競技初の日本代表メンバーとして出場したが、チームは最下位だった。
斎藤 武雄(さいとう たけお、1904年1月25日 - 19… 斎藤 武雄(さいとう たけお、1904年1月25日 - 1995年1月28日)は、日本の哲学研究者。弘前大学名誉教授。 秋田県生まれ。1933年東京文理科大学哲学科卒。1949年弘前大学文理学部教授、人文学部長。1960年「ヤスパースにおける絶対的意識の構造と展開」で東京教育大学文学博士。1962年文部省在外研究員として西独、スイス、米国に滞在。1968年定年退官、名誉教授、弘前学院大学学長。
宮島 肇(みやじま はじめ、1904年1月15日 - 199… 宮島 肇(みやじま はじめ、1904年1月15日 - 1991年2月25日)は、日本の哲学・教育学者。横浜国立大学名誉教授。 鹿児島県出身。東京文理科大学卒。1951年「文化哲学の基礎研究」で東京教育大学文学博士。横浜国立大学教授。1969年定年退官、名誉教授、関東学院大学教授。1969年横浜文化賞受賞。1981年から1984年まで神奈川県教育文化研究所の初代所長をつとめる。 息子は社会学者の宮島喬、経済学者の宮島洋、政治学者の宮島泉。
幸田 清喜(こうだ きよき、1904年(明治37年) - 1… 幸田 清喜(こうだ きよき、1904年(明治37年) - 1992年(平成4年)12月2日)は、日本の地理学者。東京文理科大学卒、第四高等学校教授、1953年「北陸工業地域の実証的研究」で東京教育大学より理学博士の学位を取得。東京教育大学教授、1967年定年退官、名誉教授、千葉敬愛経済大学教授。
今村嘉雄(いまむら よしお、1903年12月20日 - 19… 今村嘉雄(いまむら よしお、1903年12月20日 - 1997年11月19日)は、日本の体育史・剣術研究家。 高知県出身。号は雨嶽、抱川。1932年東京文理科大学教育学科卒、1961年「十九世紀における日本体育の研究」で東京教育大学文学博士。1942年東京高等師範学校教授、1949年東京教育大学教授、のち体育学部長、63年名誉教授。専修大学教授、日本体育指導者連盟理事長、日本武道学会会長、日本学校体育研究連合会会長などを務めた。この間、東京体育専門学校長を兼任。1974年勲三等旭日中綬章受勲。 柳生家の剣術についても研究した。
溝上 泰子(みぞうえ やすこ、1903年11月11日 - 1… 溝上 泰子(みぞうえ やすこ、1903年11月11日 - 1990年10月11日)は、日本の教育者、人類生活者。 広島県御調郡市村生まれ。広島県三原女子師範学校、奈良女子高等師範学校、東京文理科大学卒業。 実践女子専門学校教授、東京家庭学園教授、京都女子大学教授を経て、1951年島根大学教育学部教授。1958年に「日本の底辺―山陰農村婦人の生活」を刊行し、「底辺」の生活に光をあてる。1967年に島根大学を退官後は、全国の小学6年生に「生きる・生活する」と題する授業をつづけた。聖カタリナ女子短期大学教授、本州大学教授、上田女子短期大学教授を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。