東 一夫(ひがし いちお、1911年(明治44年) - 没年… 東 一夫(ひがし いちお、1911年(明治44年) - 没年不詳)は、日本の中国史学者、東京学芸大学名誉教授。 1911年、鹿児島県で生まれた。東京文理科大学東洋史学科で学び、卒業。 東京学芸大学助教授に就き、後に教授昇格。また、東京学芸大学附属高等学校副校長も務めた。1971年、学位論文『王安石新法の研究』を東京教育大学に提出して文学博士の学位を取得。1975年に東京学芸大学を定年退官し、名誉教授となった。
磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月… 磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月29日 - 2004年〈平成16年〉)は、日本の法学者。民法、法社会学を専攻し、東京教育大学文学部教授などを歴任した。 1910年、東京に生まれる。旧制武蔵高校を経て東京帝国大学法学部に進む。1934年に卒業後同大学院に進学し民法を専攻、1939年に修了した。大学院修了後、地租改正資料整備会委員になり、同年10月から、国際文化振興会で、『英文日本百科事典』の編集に携わる。1941年に社会事業研究所に入所し、1943年から日本敗戦まで、北京近郊河北口の西北研究所員として、モンゴルで調査研究をした。敗戦のためウランバートルで抑留生活を送る。
白井 常(しらい つね、女性、1910年10月31日 - 1… 白井 常(しらい つね、女性、1910年10月31日 - 1999年7月27日)は、日本の心理学者、東京女子大学名誉教授。動物や幼児の認知発達を中心に研究。筆名は白井常子。 東京生まれ。東京女子大学卒、東京文理科大学卒、1949年東京女子大学助教授、同年 トロント大学に学び、1954年 Ph.D. を取得、同年東京女子大学教授、1976年定年 (名誉教授)、聖心女子大学教授。 1961年 東京教育大学文学博士、1983年 日本心理学会名誉会員、1983年 勲四等瑞宝章を受章。
浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 199… 浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 1994年7月24日)は、日本の地理学者。学位は、理学博士(東北大学)。東京教育大学名誉教授。 富山県高岡市出身。1932年東京高等師範学校卒、陸軍士官候補生、1936年東京文理科大学地理学科卒。 1953年「近世期の集落発達に関する地理学的研究」で、東北大学より理学博士の学位を取得(主査:富田芳郎教授)、東京市立第二中学校(現東京都立上野高等学校)教諭、朝鮮水原の高等農林学校の地理博物教員養成所教員、1944年東京高等師範学校教授、1949年至徳専門学校(現国士舘大学)地理科教授(兼任)、東京教育大学教授。74年定年退官、名誉教授、専修大学教授、1981年北陸工業専門学校教授、富山県教育委員会長。
小沢 栄一(おざわ えいいち、1910年4月1日 - 198… 小沢 栄一(おざわ えいいち、1910年4月1日 - 1986年1月6日)は、日本史学者。東京学芸大学名誉教授。 1938年東京文理科大学卒。1959年「十九世紀日本啓蒙史学の研究」で東京教育大学文学博士。東京学芸大学助教授、教授、75年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。
西村 朝日太郎(にしむら あさひたろう、1909年12月21… 西村 朝日太郎(にしむら あさひたろう、1909年12月21日 - 1997年10月27日)は、日本の文化人類学者、海洋民族学者。早稲田大学文学部教授。実父は、歴史学者、考古学者、文化人類学者、民俗学者の西村眞次。雅号は、跳白亭濤如。 東京府牛込区(現東京都新宿区)新小川町に生まれる。長男として出生当時、父眞次が朝日新聞社に勤務していたことから、「朝日太郎」と命名される。早稲田大学で人類学を修めた後、1939年に同大学文学部西洋史学科を優等賞で卒業。東亜研究所所員、日本民族学会附属研究所研究員を経て、1946年から母校の早稲田大学にて教鞭を執る。1956年8月、東京教育大学(現筑波大学)にて文学博士号を取得。
湯浅 年子(ゆあさ としこ、1909年12月11日 - 19… 湯浅 年子(ゆあさ としこ、1909年12月11日 - 1980年2月1日)は、日本出身の物理学者である。パリのコレージュ・ド・フランス原子核化学研究所、CNRS(フランス国立中央化学研究所)などで研究した。日本国外で活動した初の日本人女性物理学者といわれる。 東京都上野に生まれる。7人兄弟の6番目で、生家には両親や兄弟の他に、乳母や数名の女中、書生がおり、多人数で暮らしていた。年子の父は福井県出身で、帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)機械工学科を卒業し、農商務省の特許局に勤務していた湯浅藤市郎で、退職後に自宅で自動製糸機の発明に没頭し、世界で初めて「完全自動製糸機」を完成させたことで知られる。
位野木 寿一(いのき(いのぎ) かずいち、1909年(明治4… 位野木 寿一(いのき(いのぎ) かずいち、1909年(明治42年)9月8日 - 2006年(平成18年)7月16日)は、日本の地理学者。学位は、理学博士(東京教育大学)。大阪教育大学名誉教授。 香川県生まれ。1935年東京文理科大学地理学科卒、1935年静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)教諭、1936年大阪府天王寺師範学校教諭、1949年大阪学芸大学助教授、校名変更で大阪教育大学教授、1966年附属図書館長、1975年定年退官、名誉教授。1961年「戦後における戦災衛星都市堺の変貌」で、理学博士(東京教育大学)。 2006年7月16日、心不全のため死去。
竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 … 竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 - 1988年3月20日)は、日本の体育学者。東京教育大学(現筑波大学)名誉教授。体育社会学を研究した。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1932年に東京高等師範学校体育科を卒業した後、1936年に東京文理科大学教育学科を卒業(東京高等師範、東京文理科大ともに東京教育大学の前身)。1937年、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)助教授に就任し、その後、神戸商業大学(現神戸大学)予科教授、東京体育専門学校(東京教育大学体育学部の前身)教授を経て、1947年に文部省事務官となる。後に文部省大学学術局視学となり、1949年、学校体育指導要綱、学習指導要領体育編の作成で中心的な役割を果たす。
上武 正二(かみたけ まさじ、1909年 - 1983年7月… 上武 正二(かみたけ まさじ、1909年 - 1983年7月28日)は、日本の心理学者。 1935年に東京文理科大学心理学科を卒業後、ベルリン大学に学んだ。東京教育大学助教授、教授、教育学部長を歴任。1962年「双生児法による心的遺伝の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1965年に定年退官し名誉教授となり、明星大学教授に就任。1980年11月 勲三等旭日中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岸本 実、ないし、岸本 實(きしもと みのる、1908年8月… 岸本 実、ないし、岸本 實(きしもと みのる、1908年8月25日 - 1992年2月17日)は、人口地理学を専門とする日本の地理学者。徳島大学、立正大学などで教え、立正大学名誉教授となった、日本地理学会会長も務めた。 徳島県徳島市沖浜町大木に生まれた。 徳島師範学校本科第1部に学び、東京高等師範学校文科第4部(歴史地理科)に進んだ。 1939年に東京文理科大学地学科地理学専攻を卒業した。 千葉県師範学校在職中に応召し、陸軍中尉として中国大陸に従軍した。1943年11月には、千葉師範学校教授となった。 戦後は、両親の求めに応じて1946年7月に帰郷し、徳島師範学校教授となり、学制改革を経て徳島大学教育学部教授となった。
重松 鷹泰(しげまつ たかやす、1908年〈明治41年〉8月… 重松 鷹泰(しげまつ たかやす、1908年〈明治41年〉8月7日 - 1995年〈平成7年〉8月7日)は、日本の教育学者。名古屋大学名誉教授。専攻は教育方法論。授業分析を行った。 東京生まれ。旧制第一高等学校理科卒後、1928年徳島県大津東小学校の代用教員となる。1932年東京文理科大学教育学科教育学専攻卒、東京府豊島師範学校講師。1937年教育科学研究会生活教育研究部会に参加し、教育指導部幹事に就任した。1941年東京府学務部勤務。1944年応召、中支に出征。1946年文部省教科書局小学校社会科担当となり、小学校社会科創設及び学習指導要領に関与する。1947年奈良女子高等師範学校附属小学校主事、1952年名古屋大学教育学部教授、1972年定年退官、のちに名誉教授。
三宅 泰雄(みやけ やすお、1908年4月17日 - 199… 三宅 泰雄(みやけ やすお、1908年4月17日 - 1990年10月16日)は、日本の地球化学者。東京教育大学教授。 岡山県岡山市にて誕生。岡山県立岡山中学校、静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1931年東京大学理学部化学科を卒業。 北海道大学理学部助手、中央気象台、同台研究部(戦後はそのまま気象庁・同庁気象研究所に改称)勤務。1940年 東京大学にて、「西部北太平洋の海洋科学」の論文で理学博士号を取得。 1957年、東京教育大学教授。 1954年のビキニ事件を発端にビキニ周辺海域・大気の放射能汚染を調査、研究し、高い評価を得た。以後、海洋や大気の放射能汚染の危険性を訴えつづけた。第五福竜丸の船体の保存にも尽力。
芳賀 幸四郎(はが こうしろう、1908年1月25日 - 1… 芳賀 幸四郎(はが こうしろう、1908年1月25日 - 1996年8月6日)は、日本史学者。東京教育大学名誉教授。東山文化研究の第一人者。また、禅を極め、臨済宗妙心寺派系の法を嗣ぐ老師でもあった。庵号を「如々庵」(にょにょあん)、道号を「洞然」(とうねん)。 1908年、山形県寒河江に生まれた。1926年、東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)に合格したが、翌1927年に山形の連隊に入隊。除隊後に小学校の訓導となり、山形県女子師範を卒業したばかりの藤田洋子と知り合い、キリスト教会に通った。 1928年、東京高等師範学校に入学。1930年、藤田洋子と結婚するが、マルクス主義に染まり、1931年2月、検挙される。
矢嶋 仁吉(やじま にきち、1907年12月19日 - 19… 矢嶋 仁吉(やじま にきち、1907年12月19日 - 1992年5月21日)は、日本の地理学者。理学博士(東京教育大学・論文博士・1953年)(学位論文「武蔵野台地の新田集落立地に関する地理学的研究」)。正四位。 東京府豊多摩郡井荻村(現在の東京都杉並区)に生まれる。荻窪に育つ。井伏鱒二の「荻窪風土記」の執筆に協力し、『荻窪の今昔と商店街之変遷』(1976年)、『荻窪の古老矢嶋又次が遺した「記憶画」 : 平成23年度杉並区立郷土博物館分館企画展 : 図版集』の作者である、荻窪の古老と呼ばれた矢嶋又次は実兄。荻窪駅北口前にかつて存在した矢嶋洋品店が実家。 1936年東京文理科大学地理学卒、1953年「武蔵野台地の新田集落立地に関する地理学的研究」で東京教育大学より理学博士の学位を取得。
成田 成寿(成田 成壽、なりた しげひさ、1907年11月1… 成田 成寿(成田 成壽、なりた しげひさ、1907年11月18日 - 1986年9月24日)は、日本の英文学者、東京教育大学名誉教授。文学博士。 新潟県出身。1932年東京文理科大学国文科卒業、福原麟太郎に師事。東京高等師範学校教授、東京文理科大教授、東京教育大学教授、定年退官し名誉教授、大妻女子大学教授。批評文学を提唱し、新しい英米文学を紹介した。
四方 実一(しかた じつかず、1907年5月25日 - 19… 四方 実一(しかた じつかず、1907年5月25日 - 1997年1月22日)は、日本の教育心理学者。 京都府出身。東京文理科大学心理学科卒、1961年「算数問題解決の教育心理学的研究」で東京教育大学文学博士。京都学芸大学助教授、教授。1966年校名変更で京都教育大学教授。71年定年退官、名誉教授。
長坂 端午(ながさか たんご、1907年5月5日 - 197… 長坂 端午(ながさか たんご、1907年5月5日 - 1977年4月9日)は、日本の教育学者、文部官僚。東京教育大学名誉教授。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、第一高等学校卒業。 1928年下諏訪尋常高等小学校(現・下諏訪町立下諏訪南小学校)代用教員。東京文理科大学(現・筑波大学)教育科卒業。1932年山梨県女子師範学校教諭。1936年和歌山師範学校教諭。1941年静岡師範学校教諭、同附属国民学校(現・静岡大学教育学部附属静岡小学校)主事。1945年応召により中国へ出征。 1947年文部省(現・文部科学省)教科書局に入省、同局小学校社会科主任、文部事務官 。
小出 武(こいで たけし、1907年4月24日 - 2007… 小出 武(こいで たけし、1907年4月24日 - 2007年1月6日)は日本の地理学者。 旧制東京文理科大学卒業。信濃教育会研究所主任、長野県立高校教諭、本州大学(現・長野大学)教授、1969年から1972年まで学長代行を務めた。理学博士(東京教育大学)。元長野県地理学会会長。勲四等旭日小綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高島 春雄(たかしま はるお、1907年(明治40年)3月2… 高島 春雄(たかしま はるお、1907年(明治40年)3月20日- 1962年(昭和37年)5月31日)は、日本の動物学者。 高島春雄は、東京生まれの動物学者である。 1960年にコビトカバが上野動物園に導入された際、オカピ、ジャイアントパンダ、コビトカバの3種を世界三大珍獣として選抜したことで知られる。
岩田 孝三(いわた こうぞう、1907年1月30日-1994… 岩田 孝三(いわた こうぞう、1907年1月30日-1994年2月21日)は、日本の地理学者。専門は地政学。 新潟市出身。本籍は埼玉県浦和市。1930年東京高等師範学校文科第一部卒業、1933年東京文理科大学地理学科卒業。1934年同大学院退学、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)教諭、1936年陸軍経理学校教授、1937年陸軍教授。1945年敗戦により解雇、1951年東京学芸大学教授。1952年「わが国、国界、藩界についての政治地理学的研究」で東北大学理学博士(主査 富田芳郎教授)。1970年東京学芸大学定年退官、名誉教授、国士舘大学文学部地理学専攻教授。
小林 信明(こばやし しんめい、1906年(明治39年)11… 小林 信明(こばやし しんめい、1906年(明治39年)11月25日 - 2003年(平成15年)3月5日)は、日本の漢文学・中国哲学者。東京教育大学名誉教授。 愛知県出身。東京文理科大学文学部漢文学科卒業。1955年(昭和30年)「古文尚書伝流考」で京都大学文学博士。東京都立北野高等学校教諭、東京教育大学助教授を経て、教授。1970年(昭和45年)定年退官、名誉教授となる。
鈴木 清(すずき きよし、1906年10月15日 - 198… 鈴木 清(すずき きよし、1906年10月15日 - 1982年9月2日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授、元東京女子体育大学学長。元日本心理学会会長。静岡県出身。 1936年、東京文理科大学心理学科卒業。1961年、「自我意識の発達に関する研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。横浜国立大学教授を経て、東京教育大学教授。1970年、定年退官、名誉教授。東京女子体育大学教授・学長(在任期間: 1970年 - 1980年)。1974年、東京都立高等学校入学者選抜研究協議会会長に就任し、学校群制度廃止・新学区制導入などを推進したことでも知られる。1977年、勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
朝永 振一郎(ともなが しんいちろう、1906年(明治39年… 朝永 振一郎(ともなが しんいちろう、1906年(明治39年)3月31日 - 1979年(昭和54年)7月8日)は、日本の理論物理学者。東京教育大学名誉教授。学位は理学博士(東京帝国大学・1939年)。位階は従二位。 京都帝国大学理学部物理学科卒。東京帝国大学にて博士号取得。相対論的に共変でなかった場の量子論を超多時間論で共変な形にして場の演算子を形成し、場の量子論を一新した。超多時間論を基に繰り込み理論の手法を発明、量子電磁力学の発展に寄与した功績によりノーベル物理学賞を受賞した。東京生まれで、少年時代以降は京都育ち。なお、朝永家自体は長崎県の出身。武蔵野市名誉市民。 1906年、東京市小石川区小日向三軒町(現:文京区小日向)に、父・朝永三十郎(祖父は肥前大村藩の重臣であった朝長氏)と母(埼玉県出身)の第二子(2男2女)で出生。
福井 英一郎(ふくい えいいちろう、1905年9月9日 - … 福井 英一郎(ふくい えいいちろう、1905年9月9日 - 2000年11月3日)は、日本の気候学者・自然地理学者。東京教育大学名誉教授。門下から多数の気候学者を輩出した「日本の気候学の父」。 1905年、福岡県福岡市に生まれ育った。旧制福岡高等学校を経て、東京帝国大学理学部地理学科で学んだ。1928年に卒業。 卒業後は、日本大学、立正大学、東京府立第一中学校(東京都立日比谷高等学校の前身)などで教鞭を執った。1930年4月、東京文理科大学の助手に採用。1933年、学位論文『日本気候論』を東京帝国大学に提出して理学博士の学位を取得。 1939年1月、大日本帝国陸軍気象部嘱託を兼ねるようになり、同年4月には東京文理科大学専任講師に昇任した。
梶浦 善次(かじうら ぜんじ、1905年8月30日 - 19… 梶浦 善次(かじうら ぜんじ、1905年8月30日 - 1993年8月4日)は、日本の哲学者・教育者。専門は教育哲学・ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルに関する研究。北海道における学校経営者。 北海道留萌市出身。1925年札幌師範学校卒業。卒業後、北海道小樽市の小学校訓導として奉職するも、1926年に東京高等師範学校文科第三部に入学。1930年同学校卒業、北海道庁立札幌第一中学校(後の北海道札幌南高等学校)英語教諭。1938年北海道庁立小樽中学校(後の北海道小樽潮陵高等学校)英語教諭に転任。1942年東京文理科大学哲学科に入学、1944年同大学卒業。同年9月、北海道第一師範学校講師、同年12月教授。
阪本 一郎(さかもと いちろう、1904年7月1日 - 19… 阪本 一郎(さかもと いちろう、1904年7月1日 - 1987年8月2日)は、日本の教育心理学者。東京第一師範学校・東京学芸大学・日本女子大学・立正女子大学短大・文教大学女子短大部の教授を歴任。勲三等瑞宝章受章者。 東京文理科大学教育学部心理学科卒。同研究科博士課程修了。1961年「語彙の教育心理学的研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。東京府青山師範学校教諭、同付属小学校主事、東京第一師範学校教授、同教育研究所主事、東京学芸大学教授、同付属図書館長、1970年定年、日本女子大学教授、立正女子大学短大教授、文教大学女子短大部教授。 日本読書学会会長、名誉会長、76年国際読書功労賞。児童心理学、教育心理学、児童文化専攻。
本間 茂雄(ほんま しげお、1904年(明治37年)4月19… 本間 茂雄(ほんま しげお、1904年(明治37年)4月19日 - 1974年(昭和49年)11月3日)は、日本の体操競技選手、指導者で、体育学者。 1932年ロサンゼルスオリンピック日本代表で、日本では最初の体操競技オリンピック選手の一人である。 新潟県の佐渡島出身。旧畑野町(現・佐渡市)の畑野尋常小学校から東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区牛込)の牛込尋常小学校高等科(現在の新宿区立牛込仲之小学校)、府立四中、東京高等師範学校を経て、1933年(昭和8年)東京文理科大学教育学科を卒業した。大学在学中に主将として1932年ロサンゼルスオリンピックに体操競技初の日本代表メンバーとして出場したが、チームは最下位だった。
宮島 肇(みやじま はじめ、1904年1月15日 - 199… 宮島 肇(みやじま はじめ、1904年1月15日 - 1991年2月25日)は、日本の哲学・教育学者。横浜国立大学名誉教授。 鹿児島県出身。東京文理科大学卒。1951年「文化哲学の基礎研究」で東京教育大学文学博士。横浜国立大学教授。1969年定年退官、名誉教授、関東学院大学教授。1969年横浜文化賞受賞。1981年から1984年まで神奈川県教育文化研究所の初代所長をつとめる。 息子は社会学者の宮島喬、経済学者の宮島洋、政治学者の宮島泉。
幸田 清喜(こうだ きよき、1904年(明治37年) - 1… 幸田 清喜(こうだ きよき、1904年(明治37年) - 1992年(平成4年)12月2日)は、日本の地理学者。東京文理科大学卒、第四高等学校教授、1953年「北陸工業地域の実証的研究」で東京教育大学より理学博士の学位を取得。東京教育大学教授、1967年定年退官、名誉教授、千葉敬愛経済大学教授。
梅根 悟(うめね さとる、1903年9月12日 - 1980… 梅根 悟(うめね さとる、1903年9月12日 - 1980年3月13日)は、日本の教育学者。専門は西洋教育史。東京教育大学名誉教授・和光大学初代学長。 福岡県生まれ。東京高等師範学校を経て、(旧制)東京文理科大学卒業。1936年から埼玉県内の中学校に数校勤務し、1946年埼玉県川口市助役。1948年、東京文理科大学助教授、翌年東京教育大学教授。1966年定年退官、名誉教授[要出典]、和光大学を創設して初代学長に就く。 戦後、石山脩平とともにコアカリキュラム連盟(現、日本生活教育連盟)を主宰し、和光学園を実験校とした。1951年に日教組の教研集会講師を務めて以来、長年にわたって日教組の教育研究運動に協力した。
千々和 実(ちぢわ みのる、千々和實、1903年9月2日 -… 千々和 実(ちぢわ みのる、千々和實、1903年9月2日 - 1985年9月5日)は、日本史学者。東京学芸大学名誉教授。 福岡県鞍手郡木屋瀬町(現・北九州市八幡西区)生まれ。1927年広島高等師範学校卒業。1927年から1929年まで長崎県立長崎高等女学校教諭。1932年東京文理科大学卒業。卒業論文は「中世新宗教発展の過程と遁世者の意義」。 群馬県師範学校教諭を務めたのち、1942年東京府青山師範学校教諭、1949年東京学芸大学教授。在職中の1961年から1963年には同大学附属図書館長も務めた。1967年に定年退官し、名誉教授。同年に都留文科大学教授、1968年に上武大学教授となり、1972年に退職。
酒井 恒(さかい つね、1903年5月19日 - 1986年… 酒井 恒(さかい つね、1903年5月19日 - 1986年2月22日)は、日本の動物学者。蟹の研究で知られる。 神奈川県足柄上郡大井町金手出身。1924年(大正13年)神奈川師範学校卒。1929年(昭和4年)東京高等師範学校理科三部卒。1932年(昭和7年)東京文理科大学文理学部動物学科卒。1939年(昭和14年)「日本産蟹類の研究」で京都帝国大学理学博士。1932年(昭和7年)東京文理科大学附属下田臨海実験所助手、1938年(昭和13年)岐阜県女子師範学校教諭、1943年(昭和18年)神奈川師範学校教授、1949年(昭和24年)横浜国立大学学芸学部教授。1954年(昭和29年)から翌1955年までと1960年(昭和35年)から1961年(昭和36年)まで学芸学部長を二度務め、1954年(昭和29年)から翌1955年(昭和30年)まで横浜国立大学学芸学部理科教育岩実験所(真鶴理科教育実験所の前身)所長を務め、69年定年退官。
山崎 宏(やまざき ひろし、1903年4月16日 - 199… 山崎 宏(やまざき ひろし、1903年4月16日 - 1992年11月12日)は、日本の東洋史学者。東京教育大学名誉教授。宏の字はムの部分がヒとなる。 1903年、新潟県で生まれた。新潟師範学校、東京高等師範学校を経て、東京文理科大学を卒業。 修了後は、東京高等師範学校に勤務。後に東京文理科大学、1949年に同大学が新制大学として東京教育大学となると、同大学教授として教鞭をとった。1950年、学位論文『隋朝仏教政策の研究』を東京文理科大学に提出して文学博士号を取得。1967年に東京教育大学を定年退官して名誉教授となった。その後は立正大学の教授を務めた。1976年に同大学を退職。1992年に死去。
荒木 源太郎(あらき げんたろう、1902年5月27日 - … 荒木 源太郎(あらき げんたろう、1902年5月27日 - 1980年8月6日)は、日本の物理学者。京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授。 1902年、京都府何鹿郡山家村和木で生まれた。京都府師範学校、東京高等師範学校を経て、東京文理科大学に入学。1932年3月に同大学を卒業。 卒業後は、三重師範学校、次いで鹿児島師範学校の教諭を務めたを経て、1934年3月に母校である文理科大学の副手に就いた。1936年3月に同大学講師、1941年5月に同大学助教授に昇格。この後、京都帝国大学の喜多源逸、児玉信次郎の後押しがあり、1943年2月に京都帝国大学助教授に転じた。1944年4月、同大学教授に昇格(1947年10月大学名変更のため京都大学教授)。
中野 佐三(なかの すけぞう、1902年(明治35年)2月2… 中野 佐三(なかの すけぞう、1902年(明治35年)2月25日 - 1969年(昭和44年)8月22日)は、日本の心理学者。香川県出身。東京文理科大学卒業。戦後、東京教育大学教授、1954年「児童の思考についての実験的研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1965年定年退官、名誉教授、和洋女子大学教授。児童心理学、教育心理学。
石川 与吉(いしかわ よきち、1902年2月25日 - 19… 石川 与吉(いしかわ よきち、1902年2月25日 - 1984年6月4日)は、日本の地理学者。旧姓では三野 与吉(みの よきち)。東京教育大学名誉教授。日本地理学会会長(1964年 - 1965年)。理学博士(東京大学)。 地形学・水文学などを研究しつつ、地理学・地理教育のあり方を論じた指導的自然地理学者である。地形学など自然地理学の分野に多くの研究者を輩出し、東京教育大学では地形営力論を中心とした学風が作られ、「三野スクール」と呼ばれていた。 香川県三豊郡桑山村(現・三豊市)の三野家に農家として生まれる。3歳のとき、同郡常磐村(現・観音寺市)に一家転住した後、常磐村尋常小学校(現・観音寺市立常磐小学校)と、辻村高等小学校(現・三豊市立辻小学校)を卒業する。
青野寿郎(靑野壽郎、あおの ひさお、1901年11月25日 … 青野寿郎(靑野壽郎、あおの ひさお、1901年11月25日 - 1991年7月16日)は、人文地理学者。東京教育大学名誉教授。 愛媛県越智郡桜井村(現・今治市)出身。1932年、東京文理科大学卒(第1回卒業生)。1947年東京文理大助教授、1949年「本邦鰹釣遠洋漁村の地理学的研究」で東京大学理学博士、東京教育大学教授。1965年定年退官・名誉教授、立正大学教授、1976年退職。日本の漁村・漁業地理学を研究、日本地誌研究所を創設し『日本地誌』全21巻を日本全国から460名を動員して編集。日本地理学会会長(在任:1962年 - 1963年)、名誉会員。 日本における水産地理学の開拓者であり、青野自身、「地誌学的研究の論文が多いのはオリジナルな研究の結果によるものが多いため当然のことではあるが,これらの研究成果から漁村水産地理学の科学的体系を樹立したいという意欲が強められたことも,ここで述べておきたい.」と著書の冒頭で述べている。
下泉 重吉(しもいずみ じゅうきち、1901年1月25日 -… 下泉 重吉(しもいずみ じゅうきち、1901年1月25日 - 1975年12月21日)は、日本の動物学者。東京教育大学教授、都留文科大学学長を務めた。理学博士。 主として動物の冬眠について研究をおこなった。またヤマネの生態について明らかにし飼育に成功する。日本生物教育学会を創設し、理科教育や環境教育、自然保護思想についての振興につとめた。後に同会名誉会長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
入来 重盛(いりき しげもり、1900年12月10日 - 1… 入来 重盛(いりき しげもり、1900年12月10日 - 1984年2月9日)は、日本の生物学者・動物学者。東京教育大学名誉教授。専門は動物細胞学・細胞生物学。理学博士。 現在の鹿児島県鹿児島市谷山地区出身。(旧制)鹿児島県立第二鹿児島中学校、東京高等師範学校、京都帝国大学理学部卒業。「両棲類の染色体、とくに性染色体に関する研究」の論文で理学博士号取得。 東京高等師範学校および東京文理科大学の教授から学制改革によって東京教育大学理学部教授となり、1964年に定年退官。著書に『動物の解剖』(地球出版、1966年)などがあり、生物学や理科の教科書・参考書の共著をしているほか、児童向け図鑑の編著・共著が多数ある。
尾形 亀吉(おがた かめきち、1900年6月8日- 1971… 尾形 亀吉(おがた かめきち、1900年6月8日- 1971年10月1日)は日本文化史学者。尾形裕康(早稲田大学教授・日本教育史)は兄。 福島県出身、東京文理科大学国史科卒。日本大学経済学部教授、1948年「近世奢侈の社会経済史的研究」で日大経済学博士、1956年「日本中世芸能史研究」で日大文学博士。日本大学芸術学部長、同理事などを経て、本州大学・本州女子短期大学初代学長に就任。1968年病気療養のため辞任。 1965年、長野県塩田町(現在の上田市)の要請を受け、同地での大学設置に尽力し、1967年に文部省からの認可を得た。この当時、地方の町村が大学を招致したのは画期的として全国の注目を集めた。
高階 順治(たかしな じゅんじ、1899年〈明治32年〉10… 高階 順治(たかしな じゅんじ、1899年〈明治32年〉10月22日 - 1989年〈平成元年〉7月13日)は、日本の哲学者。 1899年、秋田県仙北郡千屋村(現美郷町)で生まれた。1915年に仙北郡千屋尋常高等小学校補習科を卒業し、代用教員となった。その後秋田県師範学校で学び、1921年に卒業、東京高等師範学校に進み、1925年に卒業。1929年に東京文理科大学に入学した。佐々木秀一の長女・信と結婚する。 卒業後は、1935年から高松高等商業学校教授。1941年から東京高等師範学校教授を務めた。1947年に公職追放の対象となり、その後は金子書房に勤務。 1953年、国士舘短期大学助教授となり、拓殖大学助教授を兼ねた。
武田 一郎(たけだ いちろう、1899年9月21日 - 19… 武田 一郎(たけだ いちろう、1899年9月21日 - 1973年12月23日)は、日本の教育学者、教育行政家。 北海道出身。東京文理科大学卒。奈良女子高等師範学校教授、戦後は文部省視学官となり教育行政に携わる。のちお茶の水女子大学附属小学校長、1964年定年退官、お茶の水女子大学名誉教授、北海道学芸大学学長、十文字学園女子短期大学学長。
石井 頼三(いしい らいぞう、1899年(明治32年)3月1… 石井 頼三(いしい らいぞう、1899年(明治32年)3月1日 - 1974年(昭和49年)5月12日)は日本の商品学者。理化学研究所所員、一橋大学小平分校教授を経て、千葉商科大学学長(第3代)。京都大学理学博士。商品学の研究者として著名である。 弟子に中野紘一(日本大学商学部元教授)等がいる。 1899年(明治32年)3月1日、鳥取県八頭郡若桜村(現・若桜町)に生まれた。 鳥取県師範学校卒業後、地元の鳥取県八頭郡若桜小学校訓導に就任。 その後東京高等師範学校理科を卒業し和歌山県立海南中学校教諭に就任。 1932年(昭和7年)に東京文理科大学化学科を第一回卒業生として卒業し理化学研究所入所。 1944年京都大学で理学博士の学位を取得した。
鍋島信太郎(なべしま のぶたろう、1892年3月28日 - … 鍋島信太郎(なべしま のぶたろう、1892年3月28日 - 1973年8月22日)は、日本の数学者・数学教育学者。 和歌山県橋本市出身。和歌山県師範学校予備科卒、東京高等師範学校卒、東京高等師範学校教授、1949年東京教育大学教授。1956年定年退官、日本数学教育学会名誉会員。
古家 聡(ふるや さとる)は、日本の人文科学者。武蔵野大学グ… 古家 聡(ふるや さとる)は、日本の人文科学者。武蔵野大学グローバル学部教授。専門は、英語教育と異文化コミュニケーション学。 東京教育大学文学部英語学英文学専攻卒業。立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科修了。異文化コミュニケーション学博士。大正大学や東京家政大学などの非常勤講師も務める。元 『時事英語研究』(研究社出版)編集長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野中 郁江(のなか いくえ、12月13日 - )は、日本の会… 野中 郁江(のなか いくえ、12月13日 - )は、日本の会計学者、明治大学名誉教授。明治大学では商学部教授を長く務めた。 学校法人の会計制度に詳しい。 1975年、東京教育大学文学部東洋史学科を卒業、明治大学大学院商学研究科修士課程に進み、1977年に商学修士を取得、1984年に博士課程を単位取得退学した。 2005年、「会計制度の構図に関する一考察」で明治大学より博士(商学) を取得。 2008年には著書『国有林会計論』が、会計理論学会学会賞を受賞した。 泡瀬干潟埋立裁判では、事業に経済合理性がないとする証言を行なった。 この間、労働運動にも取り組み、東京地区私立大学教職員組合連合(東京私大教連)では書記長を経て、中央執行委員長も務め、日本私立大学教職員組合連合(日本私大教連)では中央執行委員、副委員長などを歴任した。
本間 二三雄(ほんま ふみお)は、日本の元体操競技選手で、ス… 本間 二三雄(ほんま ふみお)は、日本の元体操競技選手で、スポーツ科学者。 1932年ロサンゼルスオリンピックに体操競技初の日本代表として出場した本間茂雄の四男として生まれる。 桐朋高校、東京教育大学出身。 東京教育大学在学中、1972年ミュンヘンオリンピックの国内予選であん馬に「一腕上向き正全転向」という技法を用い、これは長らく「一腕全転向技群」と呼ばれる技法では唯一の実施例となり「幻の技」と称された。1972年ミュンヘンオリンピック日本代表となるが、補欠のため本番の試合には出場せず、団体総合の金メダリストとはならなかった。 リュブリャナ(ユーゴスラビア、連邦構成国のスロベニア内)で開催された1970年世界体操競技選手権とヴァルナ(ブルガリア)で開催された1974年世界体操競技選手権の団体総合で金メダルを獲得した。
西脇 常記(にしわき つねき、1943年 - )は、中国学者… 西脇 常記(にしわき つねき、1943年 - )は、中国学者、京都大学名誉教授。 上海生まれ。1968年に東京教育大学文学部を卒業、1975年に京都大学大学院中国哲学専攻博士課程を修了中退。 1999年「唐代の思想と文化」で文学博士。新潟大学、京都大学教養部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科・総合人間学部教授を歴任。2009年定年退任、名誉教授。同志社大学教授も務めた。
濱 健夫(はま たけお)は、日本の環境学者。 長野県茅野市出… 濱 健夫(はま たけお)は、日本の環境学者。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1976年東京教育大学理学部卒業。1978年名古屋大学大学院理学研究科修士課程修了。1980年同大学同大学院博士課程修了。同大学助手を経て、1998年筑波大学助教授。2007年同大学大学院教授。筑波大学生命環境学群生物学類長。退官後、同大学名誉教授。獨協大学特任教授。父は教育者の濱栄助。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。