北村 肇(きたむら はじめ、1952年3月14日 - 201… 北村 肇(きたむら はじめ、1952年3月14日 - 2019年12月23日)は、日本のジャーナリスト・編集者・会社経営者。毎日新聞記者、サンデー毎日編集長、週刊金曜日編集長、「株式会社金曜日」発行人を歴任。 東京都生まれ。青葉中学校、墨田高校、東京教育大学文学部日本史学科卒業。高校時代、生徒会で「学生服、学帽の廃止運動」に取り組み、2年かけて「自由化」を勝ち取る。 1974年、毎日新聞社に入社し、社会部デスク、サンデー毎日の編集長、社長室委員を歴任。 1995年8月から2年間にわたり日本新聞労働組合連合の委員長(日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)議長兼任)を務め、「新聞労連ジャーナリスト大賞」を創設、「新聞人の良心宣言」をまとめた。
黒川 茂(くろかわ しげる、1951年9月1日 - )は、日… 黒川 茂(くろかわ しげる、1951年9月1日 - )は、日本のシステムエンジニア、実業家。生え抜きとしては初となる日本ユニシス代表取締役社長を務めた。 東京都生まれ。東京都立国立高等学校を経て、1974年東京教育大学理学部数学科卒業。もともとは教員志望だったが、電子計算機の講義を受講したのをきっかけに、コンピュータの時代の到来を予感し、大学卒業後は、日本ユニバック(のちの日本ユニシス)に入社。金融部門のシステムエンジニアとなり、客先常駐等を経て、2003年金融第一事業部システム統括部システム二部長。2008年執行役員兼SW&サービス本部長。2009年執行役員兼経営企画部長。2010年常務執行役員兼システム統括部門長兼USOLホールディングス代表取締役社長。
村里 敏彰(むらさと としあき、1951年1月11日 - )… 村里 敏彰(むらさと としあき、1951年1月11日 - )は、日本の実業家。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会国際渉外スポーツ局長、国際スキー連盟副会長。 岩手県盛岡市生まれ。渋谷区立松濤中学校、東京都立駒場高等学校、オーストリア・チロル州インスブルック大学、東京教育大学体育学部を経て、1976年オーストリア連邦体育大学ウィーン校にて国家検定体育教師修了。オーストリア国家検定スキー教師、同アルペンコーチ、岩手県スキー連盟副会長、JOC日本オリンピック委員会理事、SAJ理事、JADA日本アンチドーピング機構評議員等を歴任。1980年(株)スポーツユニティ設立、インターアルペンスキースクール雫石校、1988年(株)ユニティスポーツワールド設立 2008年の全日本スキー連盟役員改選に関し、理事の一部が村里理事らに理事の地位にないことの確認を求めた訴訟がなされ、2010年に東京高等裁判所(都築弘裁判長)で理事を辞任する内容で和解が成立した。
大森 進(おおもり すすむ、1951年 - )は、日本の実業… 大森 進(おおもり すすむ、1951年 - )は、日本の実業家、UBS証券社長。
松井 清人(まつい きよんど、1950年(昭和25年)11月… 松井 清人(まつい きよんど、1950年(昭和25年)11月19日 - 2021年(令和3年)8月15日)は、日本の編集者、実業家。文藝春秋社元社長。 東京都品川区生まれ。 1974年(昭和49年)、東京教育大学(現・筑波大学)文学部アメリカ文学科卒業後、文藝春秋入社。 『週刊文春』、『文藝春秋』の編集部を経て、『諸君!』、週刊文春、文藝春秋の編集長を務め、第一編集局長などを歴任した。『朝日ジャーナル』で霊感商法批判キャンペーンを展開していた有田芳生は、同誌が休刊したため、江川紹子から松井を紹介され、週刊文春で統一教会に関する取材を再開した。有田は松井を同志と呼んでいる。 2013年(平成25年)専務、14年社長に昇格し、18年6月社長から退いた。
松井 忠三(まつい ただみつ、1949年5月13日 - )は… 松井 忠三(まつい ただみつ、1949年5月13日 - )は日本の実業家。良品計画代表取締役社長や、同社代表取締役会長、りそなホールディングス取締役指名委員会委員長、日本取締役協会副会長などを務めた。 静岡県韮山町(現伊豆の国市)の韮山反射炉近くの農家の長男として生まれた。1968年静岡県立韮山高等学校卒業。1973年東京教育大学体育学部卒業。大学在学中は日本の学生運動で中核派に所属し、1969年には沖縄返還を求めて警視庁機動隊と衝突し、新橋駅高架上で逮捕され高輪警察署に勾留された。教員志望で静岡県立高等学校教員の採用試験を受験したが、二次試験の面接で不合格となる。 大学卒業後は、唯一受かった西友ストアー(現西友)に入社し、富士見ヶ丘店家庭用品売り場に配属された。
井口 武雄(いのくち たけお、1942年4月9日 - )は、… 井口 武雄(いのくち たけお、1942年4月9日 - )は、日本の経営者。三井海上火災保険社長を務めた。 長野県上伊那郡南箕輪村出身。1965年に東京教育大学法律政治学科を卒業し、同年に大正海上火災保険に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務を経て、1996年4月には社長に就任した。2000年6月に最高執行責任者を経て、2001年10月から2006年6月までに三井住友海上火災保険会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
坂田 信久(さかた のぶひさ、1941年2月20日 - )は… 坂田 信久(さかた のぶひさ、1941年2月20日 - )は、富山県出身の元テレビディレクター、サッカー選手、実業家。 日本テレビ放送網のスポーツ局次長、東京ヴェルディ1969(現・東京ヴェルディ)社長、国士舘大学大学院教授を歴任した。 富山県立富山中部高等学校時代はサッカー部に所属し、全国高等学校サッカー選手権大会に3年連続で出場した。1959年に入学した東京教育大学(現:筑波大学)でも蹴球部に入り1年生でレギュラーとなった。同期が今西和男、3学年上に上田亮三郎、1学年上に勝澤要、1学年下に松本光弘がいる。 当初は大学卒業後教師になるつもりであったが、1961年に当時サッカー日本代表の指導のため来日していたデットマール・クラマーの講演を聴き、その講演の中でクラマーが指導者の重要性と共に報道機関の重要性を説いたことでマスメディアへの興味がわいたという。
舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は… 舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は、日本の実業家、JTB元代表取締役会長、元社長、立教大学観光学部元教授、日本ワーキング・ホリデー協会元会長、公益財団法人日本交通公社評議員。 1940年2月6日、山形県山形市生まれ。山形東高卒業。1962年3月、東京教育大学(現・筑波大学)理学部卒業。同年4月、日本交通公社(現JTB)入社。 国際旅行事業からその経歴をスタートさせ、海外旅行のルック販売部販売課長、国内旅行のエース課長などを歴任。経営企画室長、取締役九州営業本部長、常務人事部長などを経て1996年に代表取締役社長就任。2002年から代表取締役会長を務めた。 JTB会長と兼任して立教大学観光学部教授を務め、ツーリズム産業の発展のために後進の育成を行うとともに、日本旅行業協会(JATA)では副会長、海外旅行委員長などの要職を務め、初の大使が誕生したスロバキアには旅行会社5社とJALの協力を得て初のチャーター便を飛ばすなどの活動を行った。
佐藤 孝(さとう たかし、1939年〈昭和14年〉9月14日… 佐藤 孝(さとう たかし、1939年〈昭和14年〉9月14日 - 2022年〈令和4年〉2月19日)は、日本のコピーライター、実業家。初代博報堂DYメディアパートナーズ代表取締役社長。神奈川県出身。 1962年(昭和37年)、東京教育大学卒業、博報堂入社。 1994年(平成6年)、取締役に昇格。 1998年(平成10年)、常務取締役。 2000年(平成12年)、専務取締役。 2003年(平成15年)12月から初代博報堂DYメディアパートナーズ代表取締役社長を務め、東芝エンタテインメントの買収などを行った。 2010年(平成22年)6月、博報堂DYメディアパートナー取締役会長。 2011年(平成23年)6月、博報堂DYメディアパートナーズ相談役。
尾澤 達也(おざわ たつや、1933年9月 - )は、日本の… 尾澤 達也(おざわ たつや、1933年9月 - )は、日本の技術者、実業家。学位は薬学博士(明治薬科大学・1986年)。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、新字体で尾沢 達也(おざわ たつや)とも表記される。 株式会社資生堂化学研究所での勤務を経て、株式会社資生堂製品研究所所長、皮膚科学研究所副所長、株式会社資生堂研究開発本部本部長、株式会社資生堂専務などを歴任した。 1933年(昭和8年)9月に生まれ、奈良県にて育つ。太平洋戦争終結後、筑波大学の前身である東京教育大学に進学し、理学部化学科にて学んだ。1957年(昭和32年)3月、東京教育大学理学部化学科を卒業。同年4月、資生堂化学研究所に入社。
西野 虎之介(にしの とらのすけ、1930年5月16日 - … 西野 虎之介(にしの とらのすけ、1930年5月16日 - 2022年11月29日)は、日本の経営者、銀行家。常陽銀行頭取を務めた。 茨城県出身。1953年に東京教育大学農学部農村経済科を卒業し、同年に常陽銀行に入行した。1981年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1999年6月には会長に就任。 2011年11月に旭日中綬章を受章。 2022年11月29日、老衰のために死去。92歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
飯島 一郎(いいじま いちろう、1916年11月14日 - … 飯島 一郎(いいじま いちろう、1916年11月14日 - 2007年10月7日)は、山崎製パン第2代社長。東京府北多摩郡三鷹村(現:三鷹市)生まれ。 同社初代社長の飯島藤十郎は兄。3代目社長の飯島延浩は甥。 1938年、東京府豊島師範学校(現在の東京学芸大学)卒業、1944年、東京体育専門学校(後の東京教育大学)卒業。母校の東京第二師範学校教員となる。 1948年、兄が創業した山崎製パンに参画し取締役となる。以降は生産部門を担当する。 兄の藤十郎を含め、兄弟3人でキリスト教の洗礼を受けてクリスチャンになる。 1969年から病気の兄に代わって経営責任者となり、兄と対立するようになる。1977年、山崎製パン社長に就任。
河本 春男(かわもと はるお、1910年3月28日 - 20… 河本 春男(かわもと はるお、1910年3月28日 - 2004年1月27日)は、愛知県出身の実業家、サッカー選手・指導者。 愛知県の出身。1923年に入学した愛知県立刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)時代よりサッカーを始める。1928年に入学した東京高等師範学校(現・筑波大学)でも蹴球部(現在の筑波大学蹴球部)に所属した。1932年に同校を卒業後は兵庫県立第一神戸中学校の体育教諭となり、同校サッカー部の部長も務め、同年に開催された全国中等学校蹴球選手権大会で優勝に導いた。 1941年に第二次世界大戦に伴って従軍するが、1943年に除隊した。1947年より実業界に進んで、1958年に「アルプスバター神戸直売所」を創業。
五島 慶太(ごとう けいた、旧姓・小林、1882年〈明治15… 五島 慶太(ごとう けいた、旧姓・小林、1882年〈明治15年〉4月18日 - 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、日本の実業家、政治家、官僚。東急及びその子会社の東急電鉄といった東急グループの事実上の創業者である。正三位勲一等。長野県青木村名誉村民。 長野県の農家に生まれ、東京帝国大学卒業後、官僚を9年務めた後に現在の東急東横線の前身である武蔵電気鉄道常務に就任。実質的な経営権を獲得し、池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川電気鉄道(後の東急玉川線)をはじめとする数々の競合企業をM&Aを用いて次々と買収し、「強盗慶太」の異名を取った。一方、実業家としては優れた経営を行い、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の小林一三と並び、「西の小林・東の五島」と称された。