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村木 汀(むらき なぎさ、2000年〈平成12年〉2月14日… 村木 汀(むらき なぎさ、2000年〈平成12年〉2月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。父は北海道議会議員の村木中。 2000年に岩見沢市で生まれ、北海高等学校卒業後は北海学園大学法学部に進学。大学在学時に自民党北海道連青年局学生部長を経験して卒業後は、北海道信用農業協同組合連合会(JA北海道信連)や岩見沢市の訪問介護会社に勤務した。 2026年2月に第51回衆議院議員総選挙で自民党公認を得て比例北海道ブロックから立候補し、比例単独名簿登載順位第14位で当選した。 “立候補は「比例票の積み増し」のためで、選挙中も自身のたすきは付けずに小選挙区候補の応援に徹して「当選は完全に想定外」だった”と、本人は後日に語った。
島崎 圭介(しまざき けいすけ、1971年6月18日 - )… 島崎 圭介(しまざき けいすけ、1971年6月18日 - )は、北海道北広島市出身(札幌市生まれ)の大学野球指導者、政治家。北広島市議会議員(3期)。 北海道札幌市白石区にて生まれ、3歳の時に札幌郡広島町(現在の北広島市)へ転居。 広島町立若葉小学校(現在の北広島市立双葉小学校)、広島町立広葉中学校(現在の北広島市立広葉中学校)を経て北海高等学校に入学し、野球部に入部。同期に平川敦(現在の北海高等学校監督)、松浦吉仁(日本製紙石巻元監督、松浦慶斗の父)。野球部では投手として大西昌美監督の指導の下で甲子園を目指し、練習に打ち込む。1989年、高校3年次の第71回全国高等学校野球選手権大会(1989年)に出場、初戦(2回戦)の山口県桜ヶ丘高等学校戦でリリーフ登板し、憧れの阪神甲子園球場のマウンドに立ったが、試合は2-6で敗れる。
田岡 克介(たおか かつすけ、1945年10月11日 - )… 田岡 克介(たおか かつすけ、1945年10月11日 - )は、日本の政治家。北海道石狩市元市長(5期)。 北海道石狩郡石狩町(現石狩市)出身。北海高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、國學院大學文学部卒業。同年4月、石狩町役場に就職。1978年(昭和53年)4月、同町民生部課長。1980年(昭和55年)6月、同町総務部参事。途中、石狩湾新港管理組合課長に出向し、1995年(平成7年)に同町企画調整部長を経て、1996年(平成8年)3月、石狩町助役就任。1996年市制に移行後も、石狩市助役として斉藤英二市長を支えた。 斉藤市長が急病で倒れ辞職。1999年(平成11年)6月27日に行われた石狩市長選挙に出馬し、初当選。
三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月2… 三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月24日 ‐ 2021年〈令和3年〉4月2日)は、日本の政治家、実業家、薬剤師。 衆議院議員(4期)、国土交通副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、厚生労働大臣(第15代)などを歴任し、青山会(樽床伸二グループ)代表世話人を務めた。報道等では新字体で三井 弁雄(みつい わきお)の表記も用いられる。 北海道札幌市生まれ。札幌市立柏中学校、北海高等学校、昭和薬科大学薬学部卒業。薬剤師免許を取得し、1967年登録。1975年、三井薬品株式会社を設立し、同社代表取締役に就任。その後医療法人交雄会の理事長に就任し、北海道内に3病院・2介護福祉施設を開設。
岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月1… 岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月15日 - 2014年(平成26年)7月5日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(自民党)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)生まれ。北海中学校を経て北海道大学工学部土木科を卒業した。学生時代からスキーの製作を手がけ、そのまま実業界へと入る。1960年(昭和35年)にタクシー業の東洋交通を設立した。父・政一の選挙活動を手伝ううちに、政界を志すようになる。北海道議会議員を2期務めたのち、1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙で自民党から立候補、初当選を果たし参議院議員を2期務めた。 1990年(平成2年)にクモ膜下出血で倒れた。
岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2… 岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2月22日)は、日本の政治家。江別市長(1983年 - 1995年)。北海道江別市出身。 北海中学校卒業後、1943年志願兵として海軍土佐航空隊で飛行兵となり、復員後江別町役場に入庁。1952年に結婚し3児をもうける。同市の総務課長、財政課長、経済建設部長を経て、1970年から1982年まで助役の後1983年に江別市市長選にて江別市長に初当選。以後連続3期を務める。1995年に4期目を目指すも新人候補者小川公人に敗れ、落選。1996年には江別市から市政功労者に選ばれた。2009年2月22日、急性呼吸不全のため死去、82歳。死没日をもって従五位に叙される。
小柄 義信(こづか よしのぶ、1926年 - )は、日本の政… 小柄 義信(こづか よしのぶ、1926年 - )は、日本の政治家。北海道余市郡余市町出身。北海中学校卒。北海道余市町町長(1971年-1986年)。 1946年余市町役場に入る。同町財務課長補佐を経て、1971年無所属で余市町長選挙に立候補、初当選。以後連続4期16年を町政を担い、北海道町村会副会長や後志町村会会長も務めた。1987年に落選。間もなく、町内の病院の入院患者などの票を現金買収した容疑(公職選挙法違反)で同年8月19日に逮捕された。 なお、町政では、1982年に余市町総合計画を掲げ、テーマは『豊かなる海と緑、経済と生活が調和した活力にあふれる北後志の拠点都市』とする計画を打ち立てた。
北村 暢(きたむら みつる、1915年4月22日 - 199… 北村 暢(きたむら みつる、1915年4月22日 - 1995年2月3日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 北海道出身。旧制北海中学校を経て、1938年(昭和13年)北海道帝国大学農学部卒。大学卒業後、北海道庁に入庁。林野庁旭川営林局本庁を経て、1951年(昭和26年)全農林労働組合中央執行委員長に就任。1956年(昭和31年)、第4回参議院議員通常選挙全国区に日本社会党から出馬し当選、以後3期務めた。社会党内では左派に属した。1963年(昭和38年)参議院建設委員会委員長、1970年(昭和45年)参議院災害対策特別委員長を歴任した。引退後は、全国高齢者退職者連絡協議会会長などを務める。 1985年(昭和60年)勲二等瑞宝章受章(勲六等からの昇叙)。
大泉 源郎(おおいずみ げんろう、1910年(明治43年)1… 大泉 源郎(おおいずみ げんろう、1910年(明治43年)12月20日 - 2005年(平成17年)12月28日)は、日本の政治家。北海道苫小牧市2代目市長(1963年5月~1983年4月)。苫小牧市名誉市民。 勇払郡苫小牧村(現・苫小牧市)に質屋の三男として生まれる。室蘭商業学校に進学して程無く旧制北海中学校に編入し(同級生として坊屋三郎がいる)、同校卒業後に苫小牧へ戻るが職が見つからず、当時の苫小牧町役場に臨時職員として入庁し徴税課員を経て常勤に。1947年(昭和22年)町長の田中正太郎に36歳で助役に抜擢され、1948年(昭和23年)の市制を迎える。 1963年(昭和38年)に引退する田中市長の後継を決める市長選で、北海道衛生部長を務めた稲垣是成らを破って初当選。
小林 進(こばやし すすむ、1910年(明治43年)9月9日… 小林 進(こばやし すすむ、1910年(明治43年)9月9日 - 1997年(平成9年)8月6日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 新潟県三島郡寺泊町(現・長岡市)に生まれる。1928年(昭和3年)北海中学校卒業。1935年(昭和10年)中央大学法学部卒業。 中央大学卒業後、東京倉庫運輸株式会社入社。その後、幹部候補生の教育を受けて、陸軍主計大尉として終戦を迎えた。 第二次世界大戦敗戦のショックを経て「これからは余生だ」「人の役に立ちたい」と立候補を決意。1946年(昭和21年)平野力三の自宅を訪れ政治への熱意を語るが、当時新潟には戦前からの有力社会党派閥が既存しており、実績のない小林の入党は断わられる。
上杉 武雄(うえすぎ たけお、1906年(明治39年) - … 上杉 武雄(うえすぎ たけお、1906年(明治39年) - 1984年(昭和59年))は、日本の政治家。岩手県盛岡市出身。北海道常呂町長(1961年5月~1981年4月)。常呂町名誉町民。 この他、常呂町森林組合長なども歴任した。
稲村 隆一(稻村隆一、いなむら りゅういち、1898年3月7… 稲村 隆一(稻村隆一、いなむら りゅういち、1898年3月7日 - 1990年11月20日)は、日本の農民運動家、政治家、衆議院議員(4期)。政治家の稲村順三は弟、稲村稔夫は甥。 北海道虻田郡喜茂別町出身。 1918年北海中学校(旧制)、1923年早稲田大学政治経済学部卒業。 早稲田大学在学中から建設者同盟に参加、その後農民運動に入った。その間日本共産党に入党し、1926年に労働農民党に入党。 1928年の三・一五事件で検挙された後、社会大衆党に移った。 1937年に新潟県日本農民連盟を結成し、皇国農民連盟と連携を図った。 1940年に東方会、石原莞爾の東亜連盟運動にも参加。戦後、日本社会党に入ったが、公職追放を受けた。
岩田 徳治(いわた とくじ、1894年12月15日 - 19… 岩田 徳治(いわた とくじ、1894年12月15日 - 1982年2月20日)は、日本の実業家、政治家。岩田建設の創業者。北海道議会議員(4期)。 札幌村(現在の札幌市東区)出身。岩田家は富山県で江戸時代から続く瓦工場であったが、徳治の両親は西南戦争後の不況により土地家屋を手放し、1890年(明治23年)北海道に渡り現在の丘珠町に入植した。丘珠尋常小学校(現・札幌市立丘珠小学校)卒業後、家業の農業の手伝いに励む。14歳のときに苗穂町(現在の本町)に居を移し、長兄が早逝したため18歳で家督を相続する。北海中学校(現・北海高等学校)卒業。 大星組などを経て1912年から義兄・村上六松が営む合資会社村上組で帳場を担当。
戸津 高知(とつ たかとも、明治5年1月13日(1872年2… 戸津 高知(とつ たかとも、明治5年1月13日(1872年2月21日) - 1959年12月30日)は、日本の政治家、教育者。学校法人北海学園元理事長であり、札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)の創設者。 1872年、伊達藩士の長男として仙台に生まれた。北海英語学校を経て、1890年に札幌農学校に進学。 卒業後は、札幌尋常中学校に教諭として勤務。1901年、浅羽靖に望まれて北海英語学校中等部教頭に就いた。1915年、北海中学校校長に就任。また同1915年からは財団法人北海中学校理事(1923年まで)。 1920年、札幌商業学校(戦時中、札幌豊陵工業学校と改名)が創設となると、初代校長に就任。
浅羽 靖(あさば しづか、安政元年1月8日(1854年2月5… 浅羽 靖(あさば しづか、安政元年1月8日(1854年2月5日) - 大正3年(1914年)10月22日)は、政治家・官僚で北海英語学校創設者。北海学園の父とも称されている。 大坂に生まれる。大阪城定番与力の3男という。1875年大蔵省に入省後、根室県や、北海道理事官、1886年には札幌区長を経て、1887年現在の北海高等学校の前身にあたる夜間私立学校北海英語学校の校長に就任。1891年北海道庁会計主務官を最後に退官。札幌製糖社長となる。1893年からは同学校の校主も兼任している。校長在任中も、1901年の中学校令に伴い北海英語学校中等部を創設している。1904年の第9回衆議院議員総選挙にて札幌選挙区から出馬して当選、1914年まで衆議院議員(立憲同志会に所属)を務めた。