スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西海 和久(にしがい かずひさ、1950年(昭和25年)7月… 西海 和久(にしがい かずひさ、1950年(昭和25年)7月29日 - )は、日本の実業家。ブリヂストンエクスターナルアドバイザー。三井海洋開発取締役。山形県鶴岡市出身。 1994年に飯塚周平と共同で発明した特許、「高分子複合材料とその製造方法および使用方法」が公開されている。 2012年5月25日、津谷正明CEOと共にロシアにタイヤ工場を新設することを発表した。
國井 英夫(くにい ひでお、1950年(昭和25年)5月18… 國井 英夫(くにい ひでお、1950年(昭和25年)5月18日 - )は、日本の銀行家、実業家。荘内銀行頭取、庄交コーポレーション社長などを務めた。 山形県余目町(現:庄内町)出身。山形県立鶴岡南高等学校を経て明治大学農学部を卒業。1974年に荘内銀行に入行。ブリヂストンCOOを務めた西海和久は高校の同級生。 1994年5月、町田睿が荘銀副頭取就任を前提に顧問として着任する。それから程なくして、かねてから銀行の現状に危機感を覚えていた國井は、町田宅に赴き、「同じ時期に設立された七十七銀行は東北一の銀行になっている。それより早く設立された当行は、なぜこれほど差をつけられてしまったのか」と嘆いた。すると町田は「地域経済の違いは行政だけではなく、銀行にこそ責任がある。
斎藤 志直(さいとう しなお、1950年 - )は、会社経営… 斎藤 志直(さいとう しなお、1950年 - )は、会社経営者、経営コンサルタント、(株)CSC代表取締役社長。
酒井 忠久(さかい ただひさ、昭和21年(1946年)5月3… 酒井 忠久(さかい ただひさ、昭和21年(1946年)5月3日 - )は、酒井左衛門尉家22代当主、公益財団法人致道博物館名誉館長。公益財団法人日本美術刀剣保存協会会長。 妻は酒井天美、長女は大沼賀世、長男は酒井忠順、父は酒井忠明、祖父は酒井忠良、叔父は酒井忠治、曾祖父は酒井忠篤、高祖父は酒井忠発。 旧庄内藩主 酒井家21代当主・酒井忠明の長男として生まれる。成蹊大学卒業後、帰郷。地元企業に会社員として勤務する。 1980年代初頭、父から松ヶ岡開墾場内に「先人を顕彰する記念館をつくってくれ」と懇願され、連日、羽黒町松ヶ岡(現:鶴岡市)の現地に出向き、老朽化した大蚕室の修復整備に取り組み、一番蚕室に記念館をオープンさせた。
早坂 剛(はやさか つよし、1939年(昭和14年) - )… 早坂 剛(はやさか つよし、1939年(昭和14年) - )は、日本の実業家。(株)エル・サン代表取締役会長。鶴岡市アイスホッケー協会会長。 山形県鶴岡市の商家に生まれる。小学・中学時代は加藤紘一とクラスメートとして過ごし、加藤の乱直後から11年間にわたり、鶴岡地区における後援会長を歴任した。 山形県立鶴岡南高等学校を経て、慶應義塾大学文学部に入学。同大時代ににはアイスホッケー部に所属。ゴールキーパーを担う。 大学卒業後、外資系企業、ホテルニューオータニに勤務。その後、東京生まれの妻と1児を連れ、徒手空拳ながら港の観光化を夢見て帰郷。鼠ヶ関で旅館業に携わり、1971年エル・サンを設立。1978年には、当時田園地帯が広がっていた市郊外の苗津に「ソーシャルプラザ グランド エル・サン」を開業する。
田中 正佐(たなか しょうすけ、1908年(明治41年)11… 田中 正佐(たなか しょうすけ、1908年(明治41年)11月2日 - 2000年(平成12年)1月8日)は、日本の実業家。大丸副社長を経て、東急グループの総帥である五島昇に招かれ、東急百貨店社長に就き、東光ストア(現・東急ストア)や東急エージェンシー社長も兼任し、グループの流通事業の発展に力を尽くした。 山形県鶴岡市出身。父正造、母こえだのもと7人兄弟の次男として生まれる。田中家は庄内藩の家臣で、母方は家老の家柄だった。 鶴岡中学校、新潟高等学校、京都帝国大学経済学部を卒業。山添直(小田急不動産社長)は幼友達。 満鉄への入社を希望していたが、知人のすすめもあって1933年、大丸に入社。入社5年後の1938年、大丸が進出していた中国の蘇州店支配人を任される。
氏家 彦太郎(うじいえ ひこたろう、明治30年(1897年)… 氏家 彦太郎(うじいえ ひこたろう、明治30年(1897年)2月14日- 昭和57年(1982年)11月30日)は、日本の刀剣鑑定家、(株)松ヶ岡製作所社長、致道博物館理事、日本美術刀剣保存協会評議員、山形県銃砲刀剣登録審査員。栄典は勲五等・瑞宝章。
石黒 慶蔵(いしぐろ けいぞう、1888年9月18日 - 1… 石黒 慶蔵(いしぐろ けいぞう、1888年9月18日 - 1963年3月1日)は、日本の歯科医師、歯科医療器具発明家、歯科医院経営者。(社)鶴岡歯科医師会会長、(社)山形県歯科医師会理事。 23歳年上の従兄弟に発明家・斎藤外市がいた事が影響したのか、歯科医師を務める傍ら、歯科医療器具の発明に熱心に取り組んで、数多くの新案特許を収得している。玄人の域に達していたと云われる、ラジオ受信機の組立てや芸術写真が趣味であった。また、当時の地元では、歯学士の学位を収得した歯科医師は珍しく関心を持たれた。
諏訪 尚太郎(すわ しょうたろう、1886年(明治19年)8… 諏訪 尚太郎(すわ しょうたろう、1886年(明治19年)8月4日) - 1957年(昭和32年)10月17日は、日本の実業家。 豪農の家に生まれ、大学卒業後、肥料商店を営み芸能に興味をもって鶴岡劇場(株)を設立した。 『庄内音頭』の作詞・作曲者でもある。 庄内電気鉄道(現・庄内交通)、羽前織物信用組合、鶴岡米穀取引所、鶴岡織物、鶴岡日報社、などの役員も務めた。
西川 速水(にしかわ はやみ、1886年(明治19年) - … 西川 速水(にしかわ はやみ、1886年(明治19年) - 1982年(昭和57年)3月2日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍大佐。駆逐隊司令、山形造船(株)常務、(株)山形県舶用木工品製作所・社長、水交会・常務理事、(財)荘内館・監事、功四級金鵄勲章、藤島町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。
池田 亀三郎(いけだ かめさぶろう、1884年(明治17年)… 池田 亀三郎(いけだ かめさぶろう、1884年(明治17年)5月2日 - 1977年(昭和52年)4月2日)は、日本の技術者、実業家。旭硝子(現AGC)社長や、石油化学工業協会会長を務めた。従三位勲一等瑞宝章。 山形県酒田市出身。荘内中学校、第三高等学校を経て、1909年東京帝国大学工科大学採鉱冶金科卒業、三菱合資入社。三菱鉱業技師長や、三菱鉱業取締役を経て、1939年に山田三次郎が死去すると後任の日本化成工業社長に就任。1943年からは旭硝子社長も務め、1944年には旭硝子と日本化成工業の合併による三菱化成工業の設立にあたった。1944年旭化学工業奨励会理事長。第二次世界大戦後は公職追放対象者となるが、1950年10月に解除。
久村 清太(くむら せいた、1880年(明治13年)10月3… 久村 清太(くむら せいた、1880年(明治13年)10月3日 - 1951年(昭和26年)9月1日)は、日本の実業家、科学技術者である。帝人の創業者の一人として知られる。 山形県酒田市に生まれる。父の名は金蔵で、名匠といわれた表具師だった。琢成小学校から旧制荘内中学、旧制二高を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学工科大学(現在の東京大学大学院工学系研究科・工学部)応用化学科に入学する。在学中に太陽レザー製造所でヴィスコースのレザークロスの試作研究にあたり、1907年(明治40年)につや消しレザーの特許取得やヴィスコース製造法の開発に専念するため中退した。その後はその出資によって、東京レザー合資会社の設立に携わる。
渋谷 米太郎(しぶや よねたろう、1877年(明治10年)1… 渋谷 米太郎(しぶや よねたろう、1877年(明治10年)12月20日 - 1971年(昭和46年)9月28日)は、日本の実業家。三菱ふそう自動車初代会長などを務めた。妻・ミサは山口鋭之助の長女。長女・光子は井上薫の妻。 渋谷家は、山形県東田川郡藤島町西川原(現・鶴岡市)の代々地主農であった。米太郎は渋谷五右衛門の4男として生まれる。 1903年(明治36年)、東京帝国大学英法科卒業後、三菱合資会社入社。門司副支店長、香港、神戸各支店長を歴任。 その後、三菱商事に移り、金属部長を経て取締役に選任され、常務に進み、かたわら北洋漁業常務を兼任し、三菱内燃機、三菱航空各常務を務めた。 戦後は、三菱重工業、理研金属各監査役、国際電気通信取締役、三菱ふそう自動車を発足させると初代会長、太平興業相談役、第一貨物顧問を歴任したほか、庄内地方出身者の男子学生寮を運営する荘内館の理事を務めた。
奥山 亀蔵(旧字体: 奧山 龜藏、おくやま かめぞう、187… 奥山 亀蔵(旧字体: 奧山 龜藏、おくやま かめぞう、1876年(明治9年)9月10日 - 1941年(昭和16年)5月17日)は、日本の土木技術者、内務技官、実業家、政治家。衆議院議員。 1876年(明治9年)9月10日、山形県田川郡古関村(東田川郡大和村、余目町を経て現庄内町)において、豪農・奥山重右衛門の三男として生まれた。 22歳の時に荘内中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)を卒業し、翌年に石川県金沢市の第四高等学校大学予科二部に入学した。1年間の旧額なども経て、1902年(明治35年)7月に第四高等学校を卒業した。その後は東京府土木課の雇員として、多摩川工区や墨田川工区の現場監督を務めた。
中澤 一(なかざわ はじめ Hajime Nakazawa)… 中澤 一(なかざわ はじめ Hajime Nakazawa)は、日本の実業家。山形県立鶴岡南高校とDelta High School (UT, USA)を卒業。上智大学外国語学部比較文化学科(現国際教養学部)卒業。アメリカ合衆国フラー神学大学院修了。東京地区を中心に展開するMSAマスタードシードアカデミー主宰として活躍(株式会社マスタードシードアカデミー代表取締役)。2014年、IFU国際大学連合と提携し、英国国立大学、アイルランド国立大学、アメリカ私立大学へ、正規留学生を送り出す。MSAマスタードシードアカデミーの在籍生は、早稲田慶應上智などに加え、特に2016年以降は、5〜8割が学位取得海外正規留学をしている。