村上 隆夫(むらかみ たかお、1947年12月 - )は、日… 村上 隆夫(むらかみ たかお、1947年12月 - )は、日本の倫理学者、群馬大学名誉教授。専門は倫理学(模倣論・身体論・人格論)。
埼玉県立浦和高等学校:232人
村上 隆夫(むらかみ たかお、1947年12月 - )は、日… 村上 隆夫(むらかみ たかお、1947年12月 - )は、日本の倫理学者、群馬大学名誉教授。専門は倫理学(模倣論・身体論・人格論)。
本間正史(ほんま まさし、1947年9月22日 - 2016… 本間正史(ほんま まさし、1947年9月22日 - 2016年2月16日)は、日本のオーボエ奏者、音楽教育者、楽器製作者。モダン・オーケストラと古楽オーケストラ双方の第一線で長年にわたって活躍した。父は美術評論家の本間正義。 幼少からヴァイオリンを学び、浦和高校在学中にデューク・エリントンのビッグバンドを聞いて管楽器の道に進む決意をする。1966年東洋音楽大学(現東京音楽大学)に入学、梅原美男にオーボエを手ほどきされ、1968年に桐朋学園大学に入学、オーボエを鈴木清三、室内楽を北爪利世と齋藤秀雄に師事。1972年桐朋学園大学を首席卒業。同年5月に東京都交響楽団に入団、同時期にバロック・オーボエの奏法と制作の研究を独学で始める。
本宮 ひろ志(もとみや ひろし、本名: 本宮 博(読み同じ)… 本宮 ひろ志(もとみや ひろし、本名: 本宮 博(読み同じ)、1947年6月25日 - )は、日本の漫画家。千葉県千葉市出身。葛飾区立小松中学校卒業。埼玉県立浦和高等学校(通信制)中退。代表作は、『男一匹ガキ大将』、『俺の空』、『サラリーマン金太郎』など多数。妻は、漫画家のもりたじゅん。「菅直人元首相の復活に期待する会」の発起人の一人。
小峰 隆夫(こみね たかお、1947年〈昭和22年〉3月6日… 小峰 隆夫(こみね たかお、1947年〈昭和22年〉3月6日 - )は、日本のエコノミスト、経済企画庁官僚。経済企画庁調査局長、国土交通省国土計画局長などを歴任した。 大正大学地域創生学部地域創生学科任期制教授、法政大学名誉教授。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校出身。東京大学経済学部卒業後、経済企画庁に入庁。総合計画局担当審議官、経済企画庁経済研究所長を経て、1998年(平成10年)物価局長、1999年(平成11年)調査局長。2001年(平成13年)国土交通省国土計画局長に転じ、2002年(平成14年)に退官。 退官後は法政大学教授や大正大学教授。2017年4月、瑞宝中綬章を受章。2020年『平成の経済』で読売・吉野作造賞受賞。
木村 恵司(きむら けいじ、1947年(昭和22年)2月21… 木村 恵司(きむら けいじ、1947年(昭和22年)2月21日 - )は、日本の実業家。三菱地所社長。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、東京大学経済学部経営学科卒業。 1970年に三菱地所に入社。2005年から社長に、2011年から2017年まで会長を務めた。
加瀬 豊(かせ ゆたか、1947年2月19日 - )は、日本… 加瀬 豊(かせ ゆたか、1947年2月19日 - )は、日本の総合商社・双日株式会社の元代表取締役会長。アステラス製薬社外取締役、積水化学工業社外取締役。 千葉県出身。埼玉県立浦和高等学校、東京大学経済学部卒業。 2007年4月に双日代表取締役社長就任。2012年4月1日付で代表取締役会長に就任。2017年6月に代表取締役会長を退任。 日商岩井時代に、アメリカ合衆国ワシントン州ベルビューでの勤務を経て1986年に人事部に異動し、縁故採用を原則廃止するなどの改革を実行、実力主義の人材登用を行ってきたことで知られている。その後ニュージーランド支社長などを経験。 ナイキのフィリップ・ナイト会長とアメリカ時代に人脈を持ち、個人的にも親しい仲である。
内田 和彦(うちだ かずひこ、1947年2月18日 - )は… 内田 和彦(うちだ かずひこ、1947年2月18日 - )は、日本の福音派牧師、新約聖書学者、神学校教師、哲学博士 (Ph.D.)、新改訳聖書刊行会編集委員。2008年4月より前橋キリスト教会牧師。 埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。埼玉県立浦和高等学校在学時、浦和福音自由教会で洗礼を受ける。 東京大学文学部、聖書神学舎(現聖書宣教会)を卒業。埼玉県大宮市(現さいたま市)の片柳福音自由教会で牧師をした後、1975年から1980年までアメリカのトリニティ神学校とイギリスに留学する。 福音書の研究で、スコットランドのアバディーン大学よりPh.D.を取得した。 帰国後、埼玉県草加市で牧師を10年間務めた後、聖書宣教会の教師会議長(校長)を2005年3月まで務める。
杜澤 泰文(とざわ たいぶん、本名:とざわ やすのり、194… 杜澤 泰文(とざわ たいぶん、本名:とざわ やすのり、1947年2月8日 - )は、日本の俳優。1970年代までの表記は杜沢 泰文。埼玉県出身。オフィスBen所属。以前は宝映テレビプロダクションに所属していた。 埼玉県立浦和高等学校卒。劇団青俳出身。少年向けテレビドラマ『走れ!ケー100』ではペテン師役でレギュラー出演し、ケー100の人気を利用して金儲けを企むが失敗を繰り返すコミックリリーフを演じた。 狂気を帯びた悪役も多く、1970年代から1980年代にかけては刑事ドラマのチンピラ役・犯人役などでも活躍し、サスペンスドラマにも数多く出演した。近年は「杜澤たいぶん」の名義を用い、時代劇作品では悪家老・悪奉行・悪徳商人役などで貫禄のある演技を見せている。
柴﨑 正勝(しばさき まさかつ、1947年1月25日 - )… 柴﨑 正勝(しばさき まさかつ、1947年1月25日 - )は、日本の有機化学者。学位は、薬学博士(東京大学・1974年)(学位論文「α-amino acidを用いる光学活性テルペン類の合成に関する研究」)。北海道大学名誉教授、東京大学名誉教授。財団法人微生物化学研究会微生物化学研究センター化学研究センター長、同常務理事(2010-)。2006年度日本薬学会会頭。埼玉県鴻巣市出身。 ビナフトール (BINOL) 骨格を有するものを中心に多数の不斉触媒を開発。それまで難しいとされてきたヘンリー反応、シアノヒドリン化、ストレッカー反応、ヘック反応、マイケル反応など多くの反応を、高い不斉収率で不斉化することに成功した。
柴﨑 正勝(しばさき まさかつ、1947年1月25日 - )… 柴﨑 正勝(しばさき まさかつ、1947年1月25日 - )は日本の有機化学者。財団法人微生物化学研究会微生物化学研究センター化学研究センター長、同常務理事(2010–)。2006年度日本薬学会会頭。埼玉県鴻巣市出身。
松尾 信之(まつお のぶゆき、1947年 - )は、日本のフ… 松尾 信之(まつお のぶゆき、1947年 - )は、日本のフリージャーナリスト。よろず便利屋。マスコミ就職塾「高田塾」の講師を務める一方、各地で「DIYリフォーム」「定年後の生き方」などの講演をしている。 埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)生まれ。実父(松尾武)が経営する私立・双恵幼稚園、双恵学園小学校、同中学校を経て、埼玉県立浦和高等学校、明治学院大学法学部を卒業。 「埼玉産経広告社」で1年弱、広告営業マンをした後、4年間、小学館『週刊ポスト』の取材をメインとするフリーランスの雑誌記者となる。 1975年10月27日に創刊された講談社系夕刊紙『日刊ゲンダイ』の創刊スタッフとなり、以後18年間、ニュース報道一筋で第一編集局ニュース部長などを務める。
大庭 健(おおば たけし、1946年(昭和21年)5月18日… 大庭 健(おおば たけし、1946年(昭和21年)5月18日 - 2018年(平成30年)10月12日)は、日本の哲学者(倫理学)。専修大学名誉教授。日本倫理学会会長。専攻は英米哲学・分析哲学。 専門の倫理学・分析哲学を駆使し、人間存在、善と悪、責任などの問題を追究。根本原理を平易に解説する著書も多い。著書に『他者とは誰のことか』(1989年)、『いのちの倫理』(2012年)などがある。 埼玉県浦和市(現・さいたま市)生まれ。埼玉県立浦和高等学校を経て、1971年(昭和46年)に東京大学文学部倫理学専修課程を卒業。1978年(昭和53年)同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。 1979年(昭和54年)、専修大学文学部助教授を経て教授。
芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日… 芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家、舞踏家、詩人、音楽プロデューサー。劇団ホモフィクタス主宰者。本名、斎藤正彦。学生時代、東大全共闘随一の論客と呼ばれていた。 東京都に生まれる。埼玉県立浦和高等学校卒業後、1年間の浪人生活を経て1965年に東京大学文科III類に入学。在学中に全学共闘会議(全共闘)のオーガナイザーとして活躍する傍ら、劇団駒場で夏際敏生と共にアングラ演劇運動を指導。在学中、東大美学科4年の女子学生と結婚。 「彗星のように(寺山修司)」、「危険な男(土方巽)」、「砂漠の住人(三島由紀夫)」と言われる。 《パフォーマンスの時代》を築く。
根本 崇(ねもと たかし、1945年(昭和20年)9月22日… 根本 崇(ねもと たかし、1945年(昭和20年)9月22日 - )は、日本の政治家、官僚。元千葉県野田市長(6期)。 千葉県野田市出身。埼玉県立浦和高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。 1970年(昭和45年)4月、建設省に入省。1978年(昭和53年)4月、千葉県企画部水政課長に就任。1985年(昭和60年)7月、静岡県島田市助役に就任。1989年(平成元年)7月、建設省大臣官房政策企画官に就任。1991年(平成3年)6月、千葉県野田市助役に就任。 1992年(平成4年)の野田市長選挙で初当選。7月4日、市長就任。以後、2012年(平成24年)の市長選まで6選を重ねる。 2016年(平成28年)3月2日、市議会3月定例会の本会議で、6月に行われる市長選に出馬しない考えを表明した。
田中 暄二(たなか けんじ、1945年6月18日 - )は、… 田中 暄二(たなか けんじ、1945年6月18日 - )は、日本の政治家。元・久喜市長(新市2期、旧市4期。通算6期在任)、元埼玉県議会議員(2期)、元久喜市議会議員(1期)。 1997年(平成9年)からの4期と2010年(平成22年)の合併による新・久喜市での2期市長を務め、通算6期連続で久喜市長を在任した。元埼玉県市長会会長、埼玉県防犯協会連合会会長。 ※当日有権者数:128,490人 最終投票率:50.03%(前回比:-2.56pts) 2024年(令和6年)11月の秋の叙勲において、旭日中綬章を受章した。
藤野 寿一(ふじの としかず、1945年4月12日 - )は… 藤野 寿一(ふじの としかず、1945年4月12日 - )は、元NHKアナウンサー。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。埼玉県立浦和高校、北里大学卒業後の1970年入局。津→山形→浦和→函館→帯広→青森→山形→北見→仙台→山形と全国各地に勤務した。東京勤務はなく津局以外は東日本での勤務だった。定年後も山形でニュースを担当。山形を気に入り定住。
相良 朋紀(さがら とものり、1945年2月22日 - 20… 相良 朋紀(さがら とものり、1945年2月22日 - 2021年4月4日)は、日本の弁護士、裁判官。位階は正三位。 広島高等裁判所長官を最後に定年退官。東京大学法学部卒業。
関 誠夫(せき のぶお、1944年9月21日 - )は、日本… 関 誠夫(せき のぶお、1944年9月21日 - )は、日本の技術者、実業家。千代田化工建設代表取締役社長や、同社取締役会長、エンジニアリング振興協会理事長、日本プロジェクトマネジメント協会会長などを歴任した。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1968年東京工業大学工学部生産機械学科卒業。1970年同大学大学院工学研究科修士課程修了、千代田化工建設入社。米国千代田インターナショナル・コーポレーション副社長を経て、1997年千代田化工建設取締役に昇格。1998年常務取締役。2000年代表取締役専務。2001年から代表取締役社長を務め、新たに筆頭株主となった三菱商事の下、再建にあたった。 2005年エンジニアリング振興協会理事長。
岡本 圀衞(おかもと くにえ、1944年〈昭和19年〉9月1… 岡本 圀衞(おかもと くにえ、1944年〈昭和19年〉9月11日 - )は、日本の実業家。日本生命保険第9代社長。 埼玉県北本市出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1969年に東京大学法学部を卒業し、日本生命保険に入社した。 1995年7月に取締役に就任し、1999年3月に常務、2002年3月に専務を経て、2005年4月から社長を務め、2011年4月から会長を務めた。 三菱UFJフィナンシャルグループ社外取締役、近鉄グループホールディングス取締役、東京急行電鉄監査役、ダイセル監査役を歴任し、2018年6月26日からは東日本高速道路取締役会長を務めている(~2024年6月25日)。 日本経済団体連合会副会長などを歴任した。
石川 亨(いしかわ とおる、1944年〈昭和19年〉9月10… 石川 亨(いしかわ とおる、1944年〈昭和19年〉9月10日 - )は、日本の海上自衛官。主として対潜哨戒機の戦術航空士として、航空隊等に勤務。第25代海上幕僚長を経て、第25代統合幕僚会議議長。埼玉県加須市出身。
滝村 隆一(たきむら りゅういち、1944年〈昭和19年〉 … 滝村 隆一(たきむら りゅういち、1944年〈昭和19年〉 - 2016年)は在野にして独学の政治学徒。 1944年岡山県倉敷市生まれ。埼玉県立浦和高等学校、1970年法政大学社会学部応用経済学科卒業。 1967年「二重権力論」(『試行』21号)を発表。吉本隆明主宰の不定期雑誌『試行』を主要な論文発表の舞台とする。1969年『革命とコンミューン』(イザラ書房1976年新版)、1971年『マルクス主義国家論』(三一書房1974年増補版)、1973年『北一輝』日本の国家社会主義(ISBN 4326150203 勁草書房)出版。 その後、実証史学の業績を踏まえた歴史理論的研究へと進み、「アジア的国家の論理構造」(『展望』1976年3月号)などの歴史理論的諸論文を発表。
矢部 達三(やべ たつぞう、1943年11月23日 - )は… 矢部 達三(やべ たつぞう、1943年11月23日 - )は、埼玉県出身の元ラグビー選手。
長谷川 憲正(はせがわ けんせい、1943年1月1日 - )… 長谷川 憲正(はせがわ けんせい、1943年1月1日 - )は、日本の政治家、郵政官僚。 参議院議員(1期)、総務大臣政務官、駐フィンランド特命全権大使などを歴任した。 郵政省官僚、駐フィンランド大使を経て、2004年に自由民主党から参議院に出馬し、初当選。 2005年に自由民主党を離党。国民新党旗揚げメンバーの一人として名を連ねるが、同年8月24日友党であった新党日本に同党の政党条件を満たすために期間限定で移籍。9月11日、新党日本へ離党届を提出し、国民新党へ復党した。この政党移籍はレンタル移籍と揶揄され、選挙互助会という批判があった。 全国郵便局長会顧問。政党代表者が招かれない定期総会に総務大臣と共に招かれた。
梓澤 和幸(あずさわ かずゆき、1943年 - )は、日本の… 梓澤 和幸(あずさわ かずゆき、1943年 - )は、日本の弁護士、人権擁護委員。青年法律家協会議長、国際法曹協会人権協会共同副議長、News for the People in Japan代表、共同通信社監事等を務める。 群馬県桐生市生まれ。埼玉県立浦和高等学校を経て、一橋大学法学部卒業。1986年から88年まで青年法律家協会議長。人権派弁護士としてNHK受信料不払い訴訟、石に泳ぐ魚事件、西山事件情報公開請求訴訟、生活ほっとモーニング訂正放送請求事件などに携わり、築地市場移転問題裁判原告団長、神田駅超高架化差止訴訟弁護団代表等を務めたほか、広島大学大学院国際協力研究科兼任講師、上智大学新聞学部兼任講師、東京経済大学兼任講師等を経て、2004年から山梨学院大学大学院法務研究科で教授や特任教授として教鞭を執った。
犬飼 基昭(いぬかい もとあき、1942年7月5日 - )は… 犬飼 基昭(いぬかい もとあき、1942年7月5日 - )は、日本の元サッカー選手。第11代日本サッカー協会会長。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。 埼玉県立浦和高等学校時代の1961年に日本ユース代表に選出されAFCユース選手権に出場した経験を持つ。卒業後に慶應義塾大学商学部に進学し、体育会サッカー部へ入部。4年時に主将を務める。 1965年に三菱重工業に入社し、選手として日本サッカーリーグの三菱重工業サッカー部でプレー。日本リーグ通算27試合出場4得点1アシスト、天皇杯通算1試合出場の記録を残し、1968年に現役を引退した。犬飼は、現役時代の自身のポジションについて、「今で言うトップ下。4-3-3の真ん中で前めのポジションをやっていました」と述べている。
川野 幸夫(かわの ゆきお、1942年4月25日 - )は、… 川野 幸夫(かわの ゆきお、1942年4月25日 - )は、埼玉県比企郡小川町出身の実業家。ヤオコー会長。日本スーパーマーケット協会会長。ヤオコー川越美術館館長。 母は川野トモ。首都圏でスーパーマーケットを展開するヤオコーを創業し、社長・会長を歴任した。埼玉県立浦和高等学校同窓会元会長。 元々は弁護士になるため浦和高校に進み東京大学に進学した。しかし、小売業が頑張らないと国民の生活が豊かにならないと感じ、大学卒業後浦和市(現・さいたま市浦和区)のマルエツで4年間修業、その後実家のヤオコーに入社した。 1982年(昭和57年)の夏、幸夫の長男・正登(まさのり)が夏風邪によるウイルス性脳炎により夭折。
沼田 哲(ぬまた さとし、1942年4月11日 - 2004… 沼田 哲(ぬまた さとし、1942年4月11日 - 2004年6月19日)は、日本の歴史学者。元青山学院大学教授。専門は近世・近代日本の儒学思想史。元田永孚研究の第一人者。 1942年、沼田次郎の長男として熊本県熊本市に生まれる。父の東京大学史料編纂所勤務にともない埼玉県浦和市(現さいたま市)にうつり、埼玉県立浦和高等学校を経て、1966年東京大学文学部国史学科卒業。1969年、同大学大学院人文科学研究科国史学専門課程 修士課程修了。1973年、弘前大学専任講師、1975年同助教授。1978年、青山学院大学文学部助教授。1987年、同教授。 2004年6月19日、現職のまま呼吸器不全のため死去。
土橋 陸夫(どばし みちお、1942年- 2022年[要出典… 土橋 陸夫(どばし みちお、1942年- 2022年[要出典])は、日本の医学者、民俗学者。専門分野とは別に、草木塔に関する資料の収集もおこなった。 埼玉県白岡町出身[要出典]。1961年埼玉県立浦和高等学校卒業。1966年宇都宮大学農学部農芸化学科卒業。翌1967年から1976年まで福島県立医科大学に勤務。 山形大学より医学博士の学位を取得。山形大学医学部で助手となり、1998年7月から同大学環境保全センターに勤務、のちに講師となり、2008年3月に退職した。 山形大学が独立行政法人化された際、当時の学長だった仙道富士郎が実施した「自然と人間の共生」をテーマとしたプロジェクト募集(対象は学外も含む)に「草木塔ネットワークの設立と調査・研究・利用の推進」で最優秀賞(学長賞)を獲得し、最優秀賞に対して実施されるプロジェクトに従事した。
杉田 和博(すぎた かずひろ、1941年〈昭和16年〉4月2… 杉田 和博(すぎた かずひろ、1941年〈昭和16年〉4月22日 - 2025年〈令和7年〉12月21日)は、日本の警察官僚。位階は正三位。神奈川県警察本部長、内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監、内閣官房副長官兼内閣人事局長などを歴任した。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校卒業、東京大学法学部卒業。地下鉄サリン事件、國松孝次警察庁長官狙撃事件、在ペルー日本大使公邸占拠事件当時の警察庁警備局長。性格は温和で、高い調整能力で知られる一方、「諜報のプロ」と呼ばれるなど「危機管理には通じているが、社会福祉や経済といった国民生活全体を見渡す視野の広さに欠けている」との評価もある。警察ではほぼ一貫して警備・公安畑を歩み、警備局長を経て内閣官房にて内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監として政権中枢で公安と危機管理を担った。
伊藤 庸夫(いとう つねお、1941年 - )は、東京都出身… 伊藤 庸夫(いとう つねお、1941年 - )は、東京都出身の実業家。TM ITO Ltd.代表取締役。主にスポーツにおけるマネージメントやコンサルティング業務を行っている。 東京都生まれ。中学までは東京の学校で過ごしている。また中学からサッカーを始める。 高校は埼玉県立浦和高等学校へ進学する。所属したサッカー部では福原黎三に指導を受けフォワード(ウイング)として活躍、犬飼基昭、竹嶋住夫(日立/JFA海外国際委員)、松本光弘(筑波大学名誉教授/サッカー部監督)らとプレーした。 大学は京都大学法学部へ進み、京都大学蹴球部でプレーした。 1966年、大学を卒業し、三菱重工業へ入社。三菱重工業サッカー部にはFWとして2年間在籍した。
篠塚 勝正(しのづか かつまさ、1940年11月28日 -)… 篠塚 勝正(しのづか かつまさ、1940年11月28日 -)は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の実業家。沖電気工業元会長。 1998年(平成10年)に社長に就任し、フェニックス21計画として経営再建に尽力した。再び業績が悪化し、社長を退任、会長・相談役を歴任した。
関根 賢司(せきね けんじ、1940年5月26日 - )は、… 関根 賢司(せきね けんじ、1940年5月26日 - )は、日本の日本古典学者。静岡大学教授等を歴任。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1964年國學院大學文学科卒業、1970年同大学院博士課程中退、昭和学院短期大学専任講師、1974年助教授、1975年琉球大学法文学部助教授、1993年樟蔭女子短期大学教授、2000年静岡大学教授、2006年定年退任。物語研究会創設メンバーのひとり。
浅野 純次(あさの じゅんじ、1940年 - )は、日本の編… 浅野 純次(あさの じゅんじ、1940年 - )は、日本の編集者、実業家。東洋経済新報社代表取締役社長や、日本雑誌協会理事長を務めた。 東京都世田谷区生まれ。小田原市、浦和市育ち。1958年埼玉県立浦和高等学校卒業。1962年横浜国立大学経済学部卒業、東洋経済新報社入社。同期に矢吹晋がいる。会社四季報編集長、週刊東洋経済編集長を経て、1989年取締役に昇格。常務取締役を経て、1995年社長、石橋湛山記念財団評議員。2001年会長。2002年日本雑誌協会理事長。2004年経済倶楽部理事長。2007年富丘経済研究会会長。2011年東京日本橋ロータリークラブ会長。2013年出版企業年金基金理事長。2016年高橋松之助記念顕彰財団理事長。
岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )… 岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )は、日本の児童文学研究者・作家、京都女子大学名誉教授。 埼玉県立浦和高等学校卒業、立教大学卒、同大学院、米国パシフィック・ウェスタン大学(ディプロマ・ミル)で学術博士。京都女子大学児童学科教授。附属小学校長を兼務。2010年定年、名誉教授。湯布院こども童話館館長。日本児童文芸家協会監事。日本児童図書評議会会員。
神本 武征(かみもと たけゆき、1939年1月8日 - 20… 神本 武征(かみもと たけゆき、1939年1月8日 - 2018年8月28日)は、日本の工学者。専門は内燃機関工学。東京工業大学名誉教授。東京工業大学工学部長、ロンドン大学シティ校客員教授、ウィスコンシン大学マディソン校客員教授、ものつくり大学学長、自動車技術会会長等を歴任した。 静岡県沼津市生まれ。1958年埼玉県立浦和高等学校卒業。1963年東京工業大学理工学部機械工学科卒業。1965年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、東京工業大学助手。1976年東京工業大学工学博士。1981年東京工業大学助教授。1987年東京工業大学教授。 1990年航空宇宙技術研究所客員研究員。1997年東京工業大学工学部長。
上田 惇生(うえだ あつお、1938年11月9日 - 201… 上田 惇生(うえだ あつお、1938年11月9日 - 2019年1月10日)は、日本の経営学者。ものつくり大学名誉教授、立命館大学客員教授、ドラッカー学会代表。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1964年慶應義塾大学経済学部卒。経団連会長秘書、国際経済部次長、広報部長、ものつくり大学教授(マネジメント、社会論)を経て、同大学名誉教授。立命館大学客員教授。ピーター・ドラッカー自身からもっとも親しい友人、日本での分身とされてきた。ドラッカー学会代表のほかに、渋沢栄一賞選考委員、埼玉ちゃれんじ企業経営者選考委員会代表も務める。ドラッカー経営思想の普及によりベスト・リスクマネジャー・オブ・ザ・イヤー2001(リスクマネジメント協会)受賞。
根岸 右司(ねぎし ゆうじ、1938年3月20日 - 202… 根岸 右司(ねぎし ゆうじ、1938年3月20日 - 2021年5月26日)は、埼玉県出身の洋画家。日展副理事長。「雪の画家」と呼ばれる。 埼玉県に生まれる。1960年、光風会展初出品・入選。1961年、新日展初出品・入選、埼玉大学教育学部美術科卒業、渡辺武夫に師事する。1964年、光風会展50回記念賞。 1969年、光風会会員。1978年、光風会展会員賞。1983年、光風会展寺内萬治郎賞。1987年、日展特選「鉱山寥乎」、埼玉県立浦和高等学校において教鞭をとる。1990年、光風会展寺内萬治郎賞。1992年、光風会展つばき賞、日展特選「雪の選炭工場」、現代美術選抜展(文化庁)。1993年、画家の旅から 美しき東日本展(東京ステーションギャラリー)。
高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 20… 高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 2006年1月23日)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 浦和高校時代はサッカーをしていたこともあった。捕手として1954年秋季関東大会県予選決勝に進むが、浦和商に惜敗。高校卒業後は日本大学へ進学し、東都大学リーグでは在学中3度の優勝を経験。宮田征典とバッテリーを組み、1959年秋季リーグの優勝に貢献。リーグ通算31試合出場、73打数20安打、打率.274、0本塁打、6打点、ベストナイン1回受賞。大学同期に会田豊彦・黒木基康(大洋)・笹木士朗(日本鋼管)らがいた。大学卒業後は富士製鐵釜石に入社し、1961年に常磐炭砿の補強選手として都市対抗に出場。
緒方 謙二郎(おがた けんじろう、1936年9月8日 - )… 緒方 謙二郎(おがた けんじろう、1936年9月8日 - )は日本の通産官僚。血液型はB型。資源エネルギー庁長官、川崎重工業副社長、日中経済協会理事長、東京浦高会会長などを歴任。兄は国立国会図書館元館長の緒方信一郎[要出典]。 埼玉県浦和市出身(父は福井県、母は和歌山県)。埼玉県立浦和高等学校、東京大学法学部卒業。1960年 通商産業省入省。配属先は大臣官房調査統計部管理課。1975年 通商産業省生活産業局住宅産業課長。1978年 資源エネルギー庁ガス事業課長。1981年 通商産業省基礎産業局鉄鋼業務課長。1984年 通商産業省大臣官房会計課長。1988年 科学技術庁科学技術振興局長。1989年 科学技術庁原子力局長。
轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 20… 轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 2022年8月31日)は、日本のジャーナリスト、サッカー選手。元朝日新聞論説委員、日本ペンクラブ正会員。父の轡田三男(旧姓・横村)もサッカー選手および報知新聞記者であり、学生時代にサッカー日本代表に選出された経験を持つ。 東京府の出身だが太平洋戦争の戦火を逃れるため、従軍記者としてフィリピンへ赴いていた父の帰国と共に一家で埼玉県北足立郡与野町(与野市を経て、現在のさいたま市中央区)へ疎開をした。戦後に埼玉師範学校附属小学校から埼玉師範学校附属中学校へ進学すると中学1年時にサッカーを始め、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学政治経済学部へ進学後もサッカー選手としてプレーをした。
吉田 康彦 (よしだ やすひこ、1936年2月4日 - )は… 吉田 康彦 (よしだ やすひこ、1936年2月4日 - )は、日本の国際問題評論家、元埼玉大学教授。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員教授。
二見 伸明(ふたみ のぶあき、1935年(昭和10年)2月1… 二見 伸明(ふたみ のぶあき、1935年(昭和10年)2月10日 - )は、日本の政治家。 運輸大臣(第68代)、衆議院議員(8期)、公明党副委員長を歴任。 東京都台東区出身。埼玉県立浦和高等学校卒業、早稲田大学大学院修了。政治団体霞見會代表。日本戦略研究フォーラム政策提言委員。創価学会出身の公明党副委員長で、1994年の羽田内閣で運輸大臣を務めた後、新進党結党に参加して小沢一郎に接近し、小沢の自由党(後の民主党)に留まった。 公明新聞政治部長・第1編成局長を経て、1969年12月の衆院選に公明党公認で茨城3区から出馬し当選。いわゆる落下傘候補であった。以後衆院議員を計8期務め、1970年から1993年まで中央執行委員。
栃木 孝惟(とちぎ よしただ、1935年2月3日 - )は、… 栃木 孝惟(とちぎ よしただ、1935年2月3日 - )は、日本の国文学者。専門は日本中世文学、特に軍記物語。千葉大学名誉教授。 東京府下谷区生まれ。埼玉県立浦和高等学校を経て、1959年東京大学文学部国文科卒業、1966年、同大学院博士課程単位取得満期退学。1968年千葉大学講師、1970年同助教授、1980年同教授。1998年、定年の1年前に退官、名誉教授、清泉女子大学教授。2005年、清泉女子大学を退職。
村上 淑郎(むらかみ としお、1935年 - 2011年4月… 村上 淑郎(むらかみ としお、1935年 - 2011年4月)は、英文学者。 大阪生まれ。上海、南京、東京、熊本などで育ち、埼玉県立浦和高等学校卒、1960年東京大学文学部英文科卒。共同通信記者、開成学園教諭を経て東京大学大学院でシェイクスピアを学ぶ。 國學院大學助教授、法政大学教養部教授、立教大学文学部教授。2001年定年。法政大で柄谷行人と親しかった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
松本 暁司(まつもと ぎょうじ、1934年8月13日 - )… 松本 暁司(まつもと ぎょうじ、1934年8月13日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。
小金井 道宏(こがねい みちひろ、1934年7月6日 - 1… 小金井 道宏(こがねい みちひろ、1934年7月6日 - 1998年12月3日)は、徳間書店顧問、日本雑誌協会広告委員会委員。埼玉県浦和市(現在のさいたま市)出身。 埼玉県立浦和高等学校から早稲田大学経済学部に進み、卒業後、徳間書店に入社。1978年創刊のアニメージュで発行人を務めた。1990年に同社の常務取締役に就任。1998年12月3日午後2時、脳梗塞の為死去。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
浅見 俊雄(あさみ としお、1933年10月3日 - )は、… 浅見 俊雄(あさみ としお、1933年10月3日 - )は、日本の元サッカー審判員、元サッカー選手、元サッカー指導者。東京大学・日本体育大学名誉教授。元国立スポーツ科学センター長、日本サッカー協会顧問、アジアサッカー連盟規律委員会副委員長。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。東京大学教育学部体育学科卒業。選手時代のポジションはハーフバック。埼玉県立浦和高等学校2年次の1950年に国民体育大会準優勝、3年次の1951年に高校選手権、国体、関東大会の三冠に貢献した。また同年には公式戦28試合、練習試合24試合の合計52試合無敗の記録を残した。その後、東京大学に進学し運動会ア式蹴球部に所属。1952年度(1953年1月)第1回大学選手権にて優勝。
村上 淳一(むらかみ じゅんいち、1933年3月31日 - … 村上 淳一(むらかみ じゅんいち、1933年3月31日 - )は日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は比較法、ドイツ法。京都府生まれ。日本におけるドイツ法研究の第一人者。日本学士院会員。東京高等裁判所長官や最高裁判所長官を歴任した村上朝一の長男。
吉原 泰助(よしはら たいすけ、1933年2月14日 - 2… 吉原 泰助(よしはら たいすけ、1933年2月14日 - 2022年1月21日)は、日本のマルクス経済学・フランス古典派経済学研究者、護憲論者、反戦主義者。福島大学名誉教授、元学長。福島県九条の会代表。九条の会全国講師団メンバー。専門は経済理論・経済理論史。 茨城県古河市生まれ。1951年埼玉県立浦和高等学校卒、東京大学教養学部文科一類に入学。教養学部の同級に井上喜一、小和田恒、栗山尚一、黒井千次がいる。東大教養学部在籍中は三鷹寮に入り、4期と6期の寮委員長を務め、初代都寮連委員長。その後、東京大学法学部三類(政治学)に進学、1955年に卒業し同大学経済学部に学士入学、1957年同学部卒業。同大学院社会科学研究科(博)に進学、1962年単位取得満期修了。
秋山雅保(あきやま まさやす、1932年11月27日 - )… 秋山雅保(あきやま まさやす、1932年11月27日 - )は日本の大蔵官僚。中国財務局長、横浜税関長などを務めた。 神奈川県出身。埼玉県立浦和高等学校、東京大学理学部数学科卒業。1955年 大蔵省入省(銀行局保険課)。大蔵省では数年に一度は理数科出身者を募集するが、秋山はその2番目の該当者だった。1962年7月 鹿屋税務署長。 1976年6月25日 理財局国有財産第二課長。1977年6月27日 理財局国有財産第一課長。1979年7月10日 中国財務局長。 1981年6月26日から横浜税関長。1982年6月1日に退官。 その後は協栄生命専務取締役に就いた。