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清野 和彦(きよの かずひこ、1983年(昭和58年)5月6… 清野 和彦(きよの かずひこ、1983年(昭和58年)5月6日 - )は、日本の政治家。埼玉県秩父市長(1期)。秩父市議会議員(3期)を務めた。 埼玉県秩父市熊木町生まれ。秩父幼稚園、秩父市立南小学校、秩父市立秩父第二中学校、埼玉県立熊谷高校を経て、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。早大在学中にケニアに渡航し、森林管理政策について学ぶ。 2008年、実践自然保護団体・日本熊森協会に就職。2011年退職。2013年、石巻市に拠点を置く一般社団法人OPEN JAPANに所属し、福島第一原子力発電所事故により故郷から避難しなければならなくなった人々の暮らしについて執筆する。 2014年4月の秩父市議会議員選挙で初当選を果たした。
森田 俊和(もりた としかず、1974年(昭和49年)9月1… 森田 俊和(もりた としかず、1974年(昭和49年)9月19日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、埼玉県議会議員(2期)を歴任した。 埼玉県熊谷市生まれ。熊谷市立玉井小学校、熊谷市立玉井中学校、埼玉県立熊谷高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科を経て、1999年3月に早稲田大学大学院政治学研究科博士前期課程修了。同年4月に同博士課程後期(憲法専修)に進み、2005年3月に単位取得退学。9月からカナダ・マギル大学に1年間留学。 2003年4月、埼玉県議会議員選挙に北第7区(熊谷市、大里町、妻沼町)から無所属で立候補したが、23票の僅差で及ばず落選。2005年6月、介護事業を始め、訪問看護ステーションを開設。
富田 能成(とみた よしなり、1965年11月4日 - )は… 富田 能成(とみた よしなり、1965年11月4日 - )は、日本の政治家。埼玉県横瀬町長(3期)。元横瀬町町議会議員。 埼玉県横瀬町生まれ。父は元横瀬町長の富田孝。1978年 横瀬町立横瀬小学校卒業。1981年 横瀬町立横瀬中学校卒業。1984年 埼玉県立熊谷高等学校卒業。 1990年 国際基督教大学教養学部教育学科卒業。1990年〜2009年日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)にて勤務。海外勤務、従業員組合副委員長、企業再生案件を担当。 2010年3月横瀬町で宅建業を企業。2011年4月より横瀬町町議会議員。2015年1月19日、横瀬町長選にて横瀬町長に当選。2019年1月15日、横瀬町長選にて横瀬町長に再選。
ミルクおやじ(本名:村川 徳浩(むらかわ のりひろ)、196… ミルクおやじ(本名:村川 徳浩(むらかわ のりひろ)、1960年4月12日 - )は、日本の政治家、シンガーソングライター、元酪農家。前埼玉県深谷市議会議員(4期)。通称名で立候補し当選・活動している議員の一人として知られる。 1960年、埼玉県深谷市の酪農家の長男として生まれる。深谷市立幡羅小学校、幡羅中学校を卒業後、埼玉県立熊谷高等学校を経て、学習院大学理学部物理学科に入学するが中退。その後、立正大学短期大学部社会福祉学科二部を卒業。 1986年、26歳で家業の酪農を継ぐ。 2000年(平成12年)、雪印乳業の集団食中毒事件が発生。村川は生産者の一人として怒りを感じる一方、消費者の牛乳離れが進むのではないかと先行きの不安を抱くようになった。
新井 家光(あらい いえみつ、1955年5月5日 - )は、… 新井 家光(あらい いえみつ、1955年5月5日 - )は、日本の政治家、医師。勲等は旭日小綬章。 元埼玉県深谷市長。現在、深谷中央病院院長を務める。また、学校法人葵学園および埼玉医療福祉専門学校の理事長も務める。 弟は自由民主党元衆議院議員の新井悦二。 埼玉県深谷市出身。埼玉県立熊谷高等学校、帝京大学医学部卒業。大学卒業後、深谷中央病院を開業。 1995年に埼玉県議会議員(自由民主党公認)に当選。1999年に深谷市長に当選。以後深谷市長を2期務める。 2006年、いわゆる「平成の市町村合併」で、深谷市は近隣の3町(岡部町、川本町、花園町)と合併。新生深谷市の初代市長に選出される。 2010年、市長選挙において、前県議会議員小島進に敗れる。
富岡 清(とみおか きよし、1953年(昭和28年)3月13… 富岡 清(とみおか きよし、1953年(昭和28年)3月13日 - )は、日本の政治家。元埼玉県熊谷市長。元埼玉県ラグビーフットボール協会会長。 熊谷市立奈良中学校、埼玉県立熊谷高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業後、熊谷市農業協同組合に勤務。熊谷市議会議員(2期)、埼玉県議会議員(3期)を経て、2002年(平成14年)(旧)熊谷市長就任。2005年(平成17年)11月、新設合併に伴う熊谷市長選で当選。特例市への移行に尽力した。 市長職と兼任して、埼玉県ラグビーフットボール協会会長、熊谷市体育協会会長、熊谷市観光協会会長を務めた。市長・県ラグビーフットボール協会会長の両方の立場から、県と連携し、ラグビーワールドカップ2019の会場誘致、埼玉パナソニックワイルドナイツの本拠地誘致を実現した。
森田 光一(もりた こういち、1952年12月21日 - )… 森田 光一(もりた こういち、1952年12月21日 - )は、日本の政治家。埼玉県東松山市長(4期)。 埼玉県東松山市高坂に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校、埼玉大学教育学部、中央工学校測量科卒業。 森田光一測量登記事務所を開業。1995年(平成7年)4月、東松山市議会議員に初当選。 2003年(平成15年)4月、埼玉県議会議員選挙に無所属で立候補し、自民党現職ら2候補を破り初当選した。2007年の県議選は自民党公認で立候補し無投票で再選。 2010年(平成22年)8月1日に行われた東松山市長選挙に立候補し、元市議の松坂喜浩ら4候補を破り初当選した。※当日有権者数:71,475人 最終投票率:52.58%(前回比:pts) 2014年(平成26年)、松坂喜浩(連合埼玉推薦)との一騎打ちを制し再選。
工藤 正司(くどう まさじ、1950年(昭和25年)6月25… 工藤 正司(くどう まさじ、1950年(昭和25年)6月25日 - )は、日本の政治家。元埼玉県行田市長(3期)。 埼玉県行田市出身。埼玉県立熊谷高等学校定時制を経て、1974年(昭和49年)3月、拓殖大学政経学部政治学科卒業。同年4月1日、行田市役所に入庁。2005年(平成17年)4月1日、上下水道部長に就任。2006年(平成18年)1月1日、市民生活部長に就任。同年4月1日、消防長に就任。 2007年(平成19年)4月22日に行われた行田市長選挙に立候補し3候補を破り初当選。 2011年(平成23年)、無投票により再選。2015年(平成27年)、無投票により3選。 2018年(平成30年)9月、4選出馬を表明。
松本 恒夫(まつもと つねお、1947年5月18日 - )は… 松本 恒夫(まつもと つねお、1947年5月18日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。 埼玉県比企郡小川町長(2期)、埼玉県議会副議長、埼玉県議会議員(3期、自由民主党)、小川町議会議員(3期)を歴任。 埼玉県比企郡小川町出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、中央大学理工学部中退。 1970年、小川石油株式会社に入社。1998年、小川町議会議員に就任。同年、株式会社武州めんに勤務。その後1999年と2003年にも当選。小川町議を3期務める。2004年の埼玉県議会議員補欠選挙に立候補し、初当選(西15区)。2007年と2011年(無投票当選)の3期にわたって当選した。2013年、埼玉県議会副議長に就任。
藤原 弘(ふじわら ひろし、1936年 <昭和11年> 11… 藤原 弘(ふじわら ひろし、1936年 <昭和11年> 11月16日 - 2009年 <平成21年> 6月6日)は、日本の政治家、元地方公務員。北海道根室市市長(1998年-2006年)。旭日小綬章受章者。位階は正六位。 埼玉県出身、埼玉県立熊谷高等学校卒、北海道大学水産学部卒。 1959年(昭和34年)- 北海道庁に入庁する。1980年(昭和55年)- 同庁後志支庁水産課長に就任する。 1985年(昭和60年)- 同庁水産部漁政課長就任にする。1988年(昭和63年)- 同庁水産部技監に就任する。 1989年(平成元年)- 同庁根室支庁長に就任する。1991年(平成3年)- 同庁水産部長に昇格する。
島田 博(しまだ ひろし、1933年(昭和8年)2月6日 -… 島田 博(しまだ ひろし、1933年(昭和8年)2月6日 - 1998年(平成10年)2月28日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県鴻巣市長。埼玉県議会議長。 埼玉県北足立郡鴻巣町(現鴻巣市)出身。1951年(昭和26年)埼玉県立熊谷高等学校卒業。1963年(昭和38年)鴻巣市議会議員に当選し、1965年(昭和40年)議長となる。1967年(昭和42年)埼玉県議会議員に当選し5期務めた。その間、1977年(昭和52年)3月から翌年3月まで副議長、1982年(昭和57年)3月から翌年4月まで議長を歴任した。1986年(昭和61年)7月、鴻巣市長に当選し1期務めた。
田並 胤明(たなみ たねあき、1932年〈昭和7年〉10月3… 田並 胤明(たなみ たねあき、1932年〈昭和7年〉10月31日 - 2026年〈令和8年〉3月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)、埼玉県議会議員(通算3期)を務めた。 次男は立憲民主党埼玉県議会議員の田並尚明。 埼玉県熊谷市出身。埼玉県立熊谷高等学校卒業後、郵政省に入省。郵便局に勤務するかたわら、全逓信労働組合に加入し、活動。専従役員となる。 1975年、埼玉県議会議員選挙に北7区選挙区より立候補し初当選。以後3期連続当選。1983年の第37回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧埼玉3区より立候補し当選。以後3期連続当選。 1993年の第40回衆議院議員総選挙では社会党退潮のあおりを受け落選。
内田 全一(うちだ ぜんいち、1930年(昭和5年)3月6日… 内田 全一(うちだ ぜんいち、1930年(昭和5年)3月6日 - 2012年(平成24年)7月25日)は、昭和から平成時代前期の政治家。精神科医。埼玉県秩父市長。秩父市名誉市民。位階は正五位。 埼玉県秩父郡秩父町(現秩父市)出身。1947年 (昭和18年) 埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)、1954年(昭和29年)日本医科大学医学部を卒業。卒業後、精神科医となる。秩父中央病院院長を務めた。1987年(昭和62年)5月、秩父市長に就任し、2003年(平成15年)4月まで務めた。在任中は西武鉄道の秩父乗り入れ、秩父公園橋の架橋、国道や県道の改良、国道140号雁坂トンネル、皆野寄居バイパスの開通などに尽力した。
鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月… 鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月17日 - 1985年(昭和60年)1月16日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期、自由民主党)。 埼玉県熊谷市出身。父は熊谷市長と衆議院議員を務めた鴨田宗一。1950年(昭和25年)3月、拓殖大学政経学部卒業。1952年(昭和27年)3月、早稲田大学教育学部卒業。1979年(昭和54年)2月、熊谷商工信用組合理事長となった。同年、宗一の後継者として第35回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から自民党で立候補し当選した。1980年(昭和55年)、第36回衆議院議員総選挙でも再選した。しかし、1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙には3回目の立候補したものの、加藤卓二と糸山英太郎(無所属)と議席を争ったが落選した。
増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日… 増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、熊谷市長(2期)を歴任した。 埼玉県熊谷市出身で埼玉県立熊谷高等学校を中退。 1959年5月、熊谷市議会議員に初当選する。 1967年4月、埼玉県議会議員に当選。 1981年3月、第82代埼玉県議会議長に就任した。 1982年5月、熊谷市長に初当選したが、1986年6月、熊谷市長を辞職。同7月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で落選。 1990年2月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で初当選。同3月、衆議院地方行政委員会理事となる。 1993年8月、国土政務次官に就任し、1996年1月、衆議院農林水産委員会理事となる。
松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2… 松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2005年5月22日)は、日本の政治家。元埼玉県副知事。元桶川町長。旭日中綬章受章。位階は従四位。 埼玉県に生まれる。1938年、軍記章を受賞(歩兵二等兵)。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1943年、中央大学法学部卒業。1947年4月に桶川町(現・桶川市)長に就任。その後、埼玉会館会長、埼玉県労働部長、埼玉県民生部長、埼玉県企画財政部長を歴任する。1976年~1984年の間埼玉県副知事となる。1993年、旭日中綬章受章。副知事を退任後、株式会社エコ企画顧問、社団法人北海道野生生物保護公社理事長、一般社団法人日本資材管理協会第四代会長となる。
中川 直木(なかがわ なおき、1913年(大正2年)9月20… 中川 直木(なかがわ なおき、1913年(大正2年)9月20日 - 2000年(平成12年)1月16日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県行田市長。行田市名誉市民。位階は正五位。 埼玉県北埼玉郡忍町(現行田市)出身。1931年(昭和6年)熊谷中学校を卒業し、忍町役場に奉職。行田市助役を経て、1959年(昭和34年)以来行田市長に8選。1975年(昭和50年)埼玉県市長会長、1983年(昭和58年)全国市長会副会長などを歴任し、1991年(平成3年)引退した。ほか、行田市農業委員会会長、行田市開発協会理事長を歴任した。2000年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
黒田 海之助(くろだ うみのすけ、1911年〈明治44年〉5… 黒田 海之助(くろだ うみのすけ、1911年〈明治44年〉5月18日 - 1995年〈平成7年〉10月4日)は、日本の政治家。埼玉県熊谷市長。位階は従五位。 旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制松本高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業。卒業後は教員を経て、住友金属工業(現・日本製鉄)に勤務した。1950年(昭和25年)、熊谷市職員となる。1957年(昭和32年)に収入役となり、1961年(昭和36年)に第一助役となった。 1962年(昭和37年)5月19日に10代目熊谷市長に就任した。 1982年(昭和57年)の市長選挙に6選を目指して立候補したが、増田敏男ら2人に敗れて落選した。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年5月18日に市長を退任した。
鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月1… 鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月17日 - 1979年(昭和54年)2月8日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位勲一等。衆議院議員(7期)、熊谷市長(3期)。熊谷市名誉市民。1953年3月熊谷商工信用組合を設立し、初代理事長に就任。その後、自由民主党より国政へ進出し、商工部会長、中小企業調査会長、政調審議委員、副幹事長、池田内閣建設省政務次官、佐藤内閣経済企画政務次官、衆議院大蔵委員長などを歴任。専門は中小企業問題、経済企画。地元、熊谷駅への新幹線開通を実現した。衆議院議員の鴨田利太郎は息子。
井形 卓三(いがた たくぞう、1904年(明治37年)3月1… 井形 卓三(いがた たくぞう、1904年(明治37年)3月13日 - 1991年(平成3年)3月13日)は、昭和時代の政治家。位階は正五位。東京都本郷区長、文京区長。文京区名誉区民。 埼玉県に生まれる。旧制熊谷中学、第八高校を経て、東京帝国大学経済学部卒業。1945年(昭和20年)12月、本郷区長に就任。1947年(昭和22年)4月、文京区初代区長に就任し、1967年(昭和42年)9月16日の任期満了まで5期20年にわたり区長を務めた。在任中は文京区庁舎と公会堂を建設し、第2庁舎を設置する。1958年には日本国際連合協会を代表して東京都議会副議長の浦部武夫と共にブラッセル(ベルギー)を視察。1965年に東京都の区長会会長に選ばれた。
松崎 朝治(まつざき あさじ、1903年〈明治36年〉9月1… 松崎 朝治(まつざき あさじ、1903年〈明治36年〉9月10日 - 1964年〈昭和39年〉3月31日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県大里郡熊谷町(現:熊谷市)で生まれる。旧制熊谷中学を経て、1925年(大正14年)、早稲田大学政治経済科を卒業した。 その後、松崎製糸社長、埼玉繊維工業社長、丸佐生糸取締役、日本輸出生糸保管監査役、日本製糸協会常任幹事、ジャパン・シルク・アソシエーション理事などを務めた。 1933年(昭和8年)5月、1937年(昭和12年)5月、1942年(昭和17年)7月の3回、熊谷市会議員に選出されている。またこの間、1939年(昭和14年)5月15日から1942年(昭和17年)7月20日まで第3代同副議長を、1944年(昭和19年)6月1日から1945年(昭和20年)4月25日まで第5代同議長を務めた。
馬場 秀夫(ばば ひでお、1901年(明治34年)9月9日 … 馬場 秀夫(ばば ひでお、1901年(明治34年)9月9日 - 1979年(昭和54年)6月4日)は、日本の政治家・日本社会党衆議院議員(1期)。行田市長。 埼玉県出身。旧制熊谷中学を経て、1922年東京外国語学校(現・東京外国語大学)ロシア語科卒。卒業後は東京日日新聞の記者となり、モスクワ特派員、外国通信部副部長、ロシア課長、出版局編集部長、毎日新聞社出版局長などを歴任した。1946年の第22回衆議院議員総選挙で埼玉県から日本社会党公認で立候補するが、次点となった。同年5月に鴻巣町長に就任する。翌1947年町長を辞任し、4月の第1回埼玉県知事選挙に社会党公認で立候補したが落選。同月末の第23回衆議院議員総選挙で埼玉4区から社会党公認で立候補して当選した。
松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7… 松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7日 - 1944年〈昭和19年〉9月4日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、星河村長、忍町長。 埼玉県北埼玉郡星河村(現行田市)で、醤油醸造業・松岡三五郎の長男として生まれる。1915年、埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)。1920年、東京帝国大学農学部農学実科を卒業した。1923年から1931年まで忍高等女学校で理科・実業科嘱託教師を務めた。 また、星河村農会長、蚕業組合長、忍貯蓄銀行取締役頭取、忍商業銀行(現・りそな銀行・埼玉りそな銀行)取締役頭取、星河村会議員、同村長、忍町会議員、同議長、同町長、埼玉県会議員、帝国在郷軍人会北埼玉郡連合分会長などを歴任。
今村 延雄(いまむら のぶお、1895年〈明治28年〉12月… 今村 延雄(いまむら のぶお、1895年〈明治28年〉12月18日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県北埼玉郡南河原村長、同村農業委員会長。 埼玉県北埼玉郡南河原村(現・行田市)出身。熊谷中学校に学ぶ。 1925年5月、南河原村会議員に当選。1929年5月、同村会議員に再選。1930年2月から1940年11月まで同村助役。1940年11月、同村長に就任。1946年11月、公職追放により辞職する。 1951年7月、埼玉県農業委員に当選。1955年8月、南河原村長に当選。 地方自治の発展に寄与した。住所は埼玉県北埼玉郡南河原村大字南河原。
綾川 武治(あやかわ たけじ、1891年(明治24年)4月2… 綾川 武治(あやかわ たけじ、1891年(明治24年)4月23日 - 1966年(昭和41年)12月7日)は、日本の国家主義者、弁護士、政治家。衆議院議員。 埼玉県幡羅郡長井村字善ヶ島(のち大里郡長井村、現:熊谷市)で、小作農・綾川幸太郎、せん夫妻の長男として生まれる。江波学校(長井尋常小学校)、幡羅高等小学校を経て、1904年4月、埼玉県立熊谷中学校に入学。実家の家計悪化のため、1907年3月、中学を休学して、父の職場であった磐城炭鉱 (株) 越賀炭鉱(福島県石城郡内郷村)で一年余り働き、熊谷中四年に復学し1910年3月に卒業した。 無試験検定で合格し、1910年9月、第七高等学校造士館第一部甲(英法科)に入学。
石川 一衛(一衞、いしかわ かずえ、1886年(明治19年)… 石川 一衛(一衞、いしかわ かずえ、1886年(明治19年)9月30日 - 1960年(昭和35年)9月1日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員。 埼玉県榛沢郡新戒村(のち大里郡新会村、現:深谷市)で生まれる。埼玉県立熊谷中学校を卒業した。 日本蹄鉄社長、釜渕木材工業取締役、釜渕産業取締役、日米工業会長などを務めた。 政界では、民主党埼玉県副支部長を務め、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙で埼玉県地方区から立候補して当選(任期3年)し、その後、国民民主党に所属して参議院議員を一期務めた。議員退任後、埼玉県モーターボート競走会長を務めた。1957年3月、埼玉県大里郡豊里村(新会村の後継自治体)育英資金として10万円寄付より同年9月28日に紺綬褒章受章する。
高田 良平(たかだ りょうへい、1886年(明治19年)6月… 高田 良平(たかだ りょうへい、1886年(明治19年)6月30日 - 1972年(昭和47年)9月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県榛沢郡、のちの大里郡深谷町(現:深谷市)で、高田惣五郎、ひこ夫妻の二男として生まれる。旧制熊谷中学卒業。 深谷物産専務取締役、深谷商業銀行取締役、深谷製材社長、武蔵土地証券社長、富岡製織取締役、大里郡織物同業組合織物研究会長、深谷商工会副会長、関東商事社長などを務め、商工業の振興に尽力した。 1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で埼玉県第三区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
石坂 養平(いしざか ようへい、1885年(明治18年)11… 石坂 養平(いしざか ようへい、1885年(明治18年)11月26日 – 1969年(昭和44年)8月16日)は、日本の文芸評論家、政治家。衆議院議員、埼玉県議会議員(いずれも立憲政友会)。父の石坂金一郎も政治家で、郡会議員、県会議員を務めた。 埼玉県大里郡中奈良村(後の奈良村、現在の熊谷市)に大地主の家の長男として生まれる。幡羅尋常小学校、熊谷中学校を経て1902年(明治35年)に第二高等学校に進学。1906年(明治39年)に東京帝国大学理学部に進学したが中退して、1910年(明治43年)に同文科大学哲学科に再入学した。帝大在学時から文芸評論家として活動を始め、「新自然主義の誕生」や「鈴木三重吉論」などの文学論を発表して中央文壇に認められた。
斎藤 茂八(齋藤 茂八、さいとう もはち、1885年〈明治1… 斎藤 茂八(齋藤 茂八、さいとう もはち、1885年〈明治18年〉9月18日 - 1964年〈昭和39年〉8月19日)は、日本の地方政治家、薬剤師、俳人。埼玉県熊谷町長・熊谷市長を務めた。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 幼名は清治、俳号は「紫石」。 埼玉県大里郡熊谷町鎌倉町(現・熊谷市)で斎藤今助の長男として生まれた。実家は薬種商だった。 旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校、1902年卒業)を経て、旧制千葉医学専門学校薬学科(現・千葉大学薬学部薬学科)を卒業し家業を継いだ。 1912年(明治45年)青年組織壬子倶楽部を結成し政治活動を始めた。1913年(大正2年)から熊谷町会議員に2期在任。
宮城 音五郎(みやぎ おとごろう、1883年8月3日 - 1… 宮城 音五郎(みやぎ おとごろう、1883年8月3日 - 1967年9月14日)は、日本の工学者、政治家。 東北帝國大学教授、宮城県知事、東北工業大学学長などを歴任した。 1883年(明治16年)埼玉県出身。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1908年(明治41年)東京帝國大学卒業。 仙台高等工業学校(現・東北大学工学部)教授となった後、1917年(大正6年)から翌年にかけてアメリカ合衆国に留学した。帰国後は東北帝國大学の工学部長などを務めて1945年(昭和20年)に退官、1946年から1950年までは宮城県仙台第一中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)の校長を務めた。1952年(昭和27年)から1956年(昭和31年)まで宮城県知事を一期務めた。
清水 藤左衛門(しみず とうざえもん、1880年 - 195… 清水 藤左衛門(しみず とうざえもん、1880年 - 1952年)は、日本の実業家、政治家。埼玉無尽株式会社(現・三井住友銀行)創業者。 中山道熊谷宿の宿屋「清水屋」(現・大盛商店)で生まれる。第15代当主。1900年、旧制埼玉県第二中学卒業。1907年、熊谷駅前に客待ちの茶店を出し、駅売り弁当や熊谷五家宝の駅売りを初めて行った。1915年、熊谷町選出で、大里郡会議員となる。1933年、熊谷市市政施行後議員に当選し2期務め、初代市会議長に就任する。1936年、熊谷市第一土地区画整理組合が設立されると、同組合長に就任。東京諸新聞販売、埼玉無尽株式会社(現・三井住友銀行)を創業する。