スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
澤井 良輔(さわい りょうすけ、1978年3月9日 - )は… 澤井 良輔(さわい りょうすけ、1978年3月9日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学生の頃は運動が苦手だったが、仲間はずれになりたくないとの理由で4年から野球を始める。元々は右打ちだったが、中学3年の時に左打ちを試したところ右打ちより飛んだという。憧れだった篠塚利夫と同じ銚子商業高に進学し主軸として大活躍。3年生時に春夏連続甲子園出場。第67回選抜では準優勝、第77回全国選手権は3回戦敗退。そのパワーとスター性はプロ級と評判になり、「西の福留・東の澤井」とまで言われた。福留孝介とは交友関係があったが、2人をライバルとして扱うマスコミには不快感を覚えていた。 1995年度ドラフト会議では福留のハズレ1位としてロッテから指名を受けた。
八木 政義(やぎ まさよし、1969年4月14日 - )は、… 八木 政義(やぎ まさよし、1969年4月14日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)。 銚子商業高では1年春からベンチ入り、3年春は県大会で2試合連続14奪三振、ベスト4。3年夏は5回戦で優勝した習志野高に敗れた。住友金属鹿島に内定していたが1987年のプロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから3位指名を受け入団。武器はカーブ、フォーク。 1年目の1988年に2試合に登板しただけで、その後は一軍登板がなく1991年に現役を引退。 背番号51は、入団前は福良淳一(八木入団時に1に変更)が着用し、八木の引退後はイチローに引き継がれた。
片平 哲也(かたひら てつや、1967年10月3日 - )は… 片平 哲也(かたひら てつや、1967年10月3日 - )は、福島県会津若松市 出身の元プロ野球選手(外野手、投手)。 銚子商業高では、3年次の1985年に同期の大川隆と投の二本柱を組み、春は関東大会で全イニングを投げてベスト4。続けて夏の甲子園に出場する。本戦の1回戦では、自身が先発を務め、大川は1番・中堅手として出場するが、この大会で準優勝した宇部商業高の田上昌徳(新日本製鐵光)に抑えられ敗退した。真上から投げ下ろす速球は威力があり、前評判は高かったが制球難が災いした。またこの試合で着用したキャップのサイズが全く合わず、投球のたびにマウンドに落下。これを見かねた球審の西大立目永から「ゴムひもでも付けときなさい!」と叱責される場面もあった。
大川 隆(おおかわ たかし、1967年8月2日 - )は、茨… 大川 隆(おおかわ たかし、1967年8月2日 - )は、茨城県行方郡麻生町(現:行方市)出身 の元プロ野球選手(外野手、内野手、投手)。本名は「大川 隆哉」(読み方は「おおかわ りゅうさい」)。 銚子商業高では、3年次の1985年に同期の片平哲也と投の二本柱を組み、同年の夏の選手権に出場する。千葉県大会の決勝では、先発を務め7回を無失点で片平に繋いで市立柏高に圧勝した。本大会の1回戦では、片平が先発を務め、自身は1番・中堅手として出場、途中から救援登板したがこの大会で準優勝した宇部商業高の田上昌徳(新日本製鐵光)に抑えられ敗退した。 1985年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから投手として3位指名を受け入団する。
尾上 旭(おのうえ あきら、1959年4月22日 - 202… 尾上 旭(おのうえ あきら、1959年4月22日 - 2022年11月20日)は、千葉県旭市出身のプロ野球選手(内野手)。 小学4年から野球を始め、飯岡中学時代に投手から内野手に転向。 銚子商業高では1976年に中堅手として夏の甲子園に出場、準々決勝に進むが桜美林高に敗れる。チームメートに1年先輩の宇野勝がいた。1977年には遊撃手として春の選抜に出場、2回戦で智辯学園高の山口哲治に抑えられ敗退 。 卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは1979年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で早大を降し優勝する。1981年の日米大学野球選手権日本代表に選出された。リーグ通算108試合出場、394打数105安打、打率.266、14本塁打、43打点。
宇野 勝(うの まさる、1958年5月30日 - )は、千葉… 宇野 勝(うの まさる、1958年5月30日 - )は、千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)・コーチ・野球解説者・YouTuber。愛称はうーやん。 NPBにおける、史上初(現在まで唯一)の遊撃手としての本塁打王獲得者。 銚子商業高校では遊撃手、3番打者として活躍。1975年秋季関東大会県予選決勝に進むが、習志野高の鵜野稔に完封を喫し春の選抜出場を逸する。1976年の夏の甲子園に出場。エース佐藤斉(住金鹿島)の投打にわたる活躍もあり準々決勝に進むが、この大会に優勝した桜美林高の松本吉啓(明大 - 明治生命)に抑えられ敗退。2学年上に土屋正勝、1学年上に篠塚利夫、1学年下にプロで同僚となる中堅手の尾上旭がいた。
篠塚 和典(しのづか かずのり、本名・旧登録名:篠塚 利夫〈… 篠塚 和典(しのづか かずのり、本名・旧登録名:篠塚 利夫〈しのづか としお〉、1957年7月16日 - )は、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球解説者・野球評論家。 愛称は「シノ」「シノさん」。 銚子商業校2年次に3年生エースの土屋正勝を擁し、春夏の甲子園大会では「4番・三塁手」として連続出場。春は準々決勝で報徳学園に1-2で惜敗。夏は全試合勝ち進み、8月19日の決勝で防府商を7-0で降し同校初の夏の大会優勝を飾った。この大会から金属バットが導入されたが篠塚はプロ野球の道に進んだ時に適応できるように木製バットで打席に入り、2本塁打を放った。1学年後輩に宇野勝がいた。
土屋 正勝(つちや まさかつ、1956年11月6日 - )は… 土屋 正勝(つちや まさかつ、1956年11月6日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球投手。 叔父は千葉県立銚子商業高等学校が1965年に木樽正明を擁して夏の甲子園で準優勝した際の左翼手で、その祝賀パレードを見たことが野球を始めるきっかけとなった。そのときの憧れから土屋も銚子商に進学し1973年春から4期連続で甲子園に出場を果たす。1年秋の県大会では木更津中央高の古屋英夫と投げ合うと、古屋は途中降板したが延長14回を投げて完投勝利で優勝。関東大会では準決勝で江川卓が先発した作新学院を相手に2番手で登板したが完封負け。2年春の選抜は控え投手として出場。1回戦で報徳学園に大敗するが、この試合でリリーフに立ち甲子園初登板。
岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日… 岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日本のアマチュア野球指導者、体育学者(国際武道大学教授)である。 1955年4月6日、千葉県銚子市出身。 1971年に千葉県立銚子商業高等学校に入学。銚子商時代には斎藤一之の指導を受け、3年生だった1973年の第55回全国高等学校野球選手権大会では六番・一塁手として出場。大会2回戦では江川卓擁する作新学院高等学校と対戦して、雨中の熱戦の末に延長戦で勝利した試合にフル出場した選手でもあった。 高校卒業と同時に東海大学に進学し、硬式野球部に入部。同期には遠藤一彦、石井昭男がいた。大学3年及び4年時には首都大学野球リーグ戦の2年連続春秋連覇を経験した。
岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日… 岩井 美樹(いわい よしき、1955年4月6日 - )は、日本の体育学者(国際武道大学教授)、アマチュア野球指導者である。
根本 隆(ねもと たかし、1954年6月14日 - )は、千… 根本 隆(ねもと たかし、1954年6月14日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)。大洋ホエールズ、西武ライオンズに所属した。引退後は西武の打撃投手、スコアラーを務める。 銚子商では1971年、2年の時にエースとして夏の甲子園に出場。1回戦で竹内広明投手を擁する深谷商、2回戦で鶴崎茂樹投手を擁する筑紫工を、いずれも延長10回サヨナラ勝ちで降し準々決勝に進むが、郡山高に9回サヨナラ負け。この大会の県予選準決勝(東関東大会県代表決定戦)では、勝浦高を相手にノーヒットノーランを記録。 秋の県大会準決勝では成東高の鈴木孝政と投げ合って完封勝利すると決勝も延長12回を完封して優勝。続く関東大会でも全3試合を投げ切って1失点で優勝に貢献した。
渡辺 進(わたなべ すすむ、1952年8月25日 - )は、… 渡辺 進(わたなべ すすむ、1952年8月25日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、コーチ。 銚子商業では1970年、四番打者、遊撃手として夏の甲子園予選東関東大会に進出。準決勝で鉾田一高の、後にプロで同僚となる梶間健一を打ち崩し、決勝ではエース鵜沢達雄を擁する成東高に9回サヨナラ勝ち。夏の甲子園に出場し、高知商を破って2回戦に進出するが、この大会に準優勝したPL学園の新美敏に完封負け。 1971年のドラフト4位でヤクルトアトムズに入団。 1976年には開幕から遊撃手として起用され、69試合に先発出場。その後も水谷新太郎、永尾泰憲とレギュラーを争う。 1978年の阪急ブレーブスとの日本シリーズは2試合に出場した。
町田 公雄(まちだ きみお、1951年3月5日 - )は、千… 町田 公雄(まちだ きみお、1951年3月5日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。 銚子商では1968年の春の甲子園に出場、準々決勝に進出するが倉敷工に敗退。同年夏の県大会でも決勝に進むが、千葉商に敗れ甲子園出場を逸する。高校の同期生に市原明、杉山茂がいる。 卒業後は日本石油に進み、1969年から都市対抗野球大会の常連として活躍。1971年の同大会ではチームの準々決勝進出に貢献。1972年の日本産業対抗野球大会は五月女豊の好投もあって勝ち進み、決勝で鐘淵化学を降しチームの初優勝に貢献、優秀選手に選出された。この時のチームメイトに秋元国武、磯部史雄らがいた。1973年の産業対抗は準決勝で熊谷組に敗退。
杉山 茂(すぎやま しげる、1950年4月23日 - )は、… 杉山 茂(すぎやま しげる、1950年4月23日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(捕手)。 銚子商では捕手として1968年の春の甲子園に出場、準々決勝に進出するが倉敷工に敗退。同年夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、千葉商に敗れ甲子園出場を逸する。高校の同期生に市原明、町田公雄がいる。 同年のドラフト6位で読売ジャイアンツ入団。1971年にはジュニアオールスターに出場する。しかし一軍では森昌彦、吉田孝司ら捕手陣の層が厚く、活躍の機会は少なかった。1977年にはシーズン終盤に吉田が欠場したこともあり、15試合に先発マスクを被る。同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズでも3試合に出場した。翌1978年には福島知春の台頭、山倉和博の入団により出場機会が激減し、1982年限りで現役を引退。
阿天坊 俊明(あてんぼう としあき、1948年1月27日 -… 阿天坊 俊明(あてんぼう としあき、1948年1月27日 - )は、千葉県銚子市出身の元社会人野球の選手(内野手)。 銚子商業高校では、1965年夏の甲子園に三番打者、遊撃手として出場。同期の木樽正明の好投で順調に勝ち進み、準決勝ではエース牧憲二郎を擁する高鍋高に9回裏2-1でサヨナラ勝ち。決勝では三池工と対戦するが、上田卓三に0-2で完封を喫し準優勝にとどまった。同年の岐阜国体では、決勝で岐阜短大付の淵上澄雄を打ち崩し優勝。同年秋の第1回プロ野球ドラフト会議で南海ホークスより2位指名を受けるも入団を拒否。 立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは、入学直後の1966年春季リーグから二番打者として起用され、同季は槌田誠、谷木恭平、秋山重雄らとともに7年ぶりの優勝を飾る。
木樽 正明(きたる まさあき、1947年6月13日 - )は… 木樽 正明(きたる まさあき、1947年6月13日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 銚子商業1年次の1963年、夏の甲子園に一塁手として出場し、準々決勝に進むが今治西高に敗退。2年上のチームメートに三塁手の田中達彦がいた。2年次の1964年は夏の県予選は3回戦で東金商に敗れ、秋季関東大会県予選では決勝に進むが市銚子高に完封負け。3年次の1965年には夏の甲子園でエース・4番打者として順調に勝ち進み、準決勝で高鍋高の牧憲二郎と投げ合い2-1で逆転勝ち。決勝では三池工と対戦するが上田卓三に0-2で完封を喫し、準優勝にとどまった。同年の岐阜国体では、決勝で岐阜短大付の淵上澄雄に投げ勝ち優勝。
古川 明(ふるかわ あきら、1946年9月14日 - )は、… 古川 明(ふるかわ あきら、1946年9月14日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(内野手)。 銚子商業高校では野球部に所属せず、卒業後は軟式野球をしていたところ1967年にドラフト外でサンケイアトムズにテスト入団するも、2か月で退団。 1969年は、中南米に設立されたグローバルリーグの東京ドラゴンズに参加するが、現地に赴く前に退団した。投手として大洋ホエールズのテストを受けたが失敗。下手投げであった古川をロッテオリオンズが打撃投手として採用する。 1970年は投手としてプレー、1971年には、二軍監督の大沢啓二が俊足や守備力を評価して野手に転向するとジュニアオールスターに出場し、一軍でも俊足を活かした代走として起用される。
田中 達彦(たなか たつひこ、1945年8月27日 - )は… 田中 達彦(たなか たつひこ、1945年8月27日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 銚子商では1年生の時、1961年夏の甲子園に控え内野手として出場するが、2回戦で浪商に敗退する。最上級生となった1963年には、三塁手、四番打者として夏の甲子園に再び出場。1回戦では柳川商に12-1で大勝、大会第1号本塁打を放つ。2回戦では静岡高に勝利、この試合では2年生エース勝浦完(サッポロビール)をリリーフし甲子園初登板を果たす。準々決勝に進出するが今治西高に0-3で完封負けを喫した。2年下のチームメートに、この大会では一塁手として出場した木樽正明がいる。8月末からは全日本高校選抜の一員としてハワイ遠征に参加した。
関根 知雄(せきね ともお、1944年3月12日 - )は、… 関根 知雄(せきね ともお、1944年3月12日 - )は、千葉県銚子市愛宕町出身の元プロ野球選手、(内野手)。 銚子商業高校では1961年、遊撃手、一番打者として夏の甲子園に出場。1回戦は矢島勝彦のいた法政一高を、延長12回、柴武利の夏の大会史上初のサヨナラ本塁打で降す。しかし2回戦では、この大会に優勝した浪商の尾崎行雄に抑えられ、1-2で惜敗。チームメートに控え内野手の田中達彦がいた。 卒業後は日本ビールに進む。1962年の都市対抗に出場し、1回戦では電電近畿と対決。日本ビールは小川健太郎(立正佼成会から補強)から五代友和、角谷隆に継投、電電近畿はエース永易将之が好投して共に無得点のまま進む。
新井 彰(あらい あきら、1939年9月19日 - )は、千… 新井 彰(あらい あきら、1939年9月19日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。 銚子商業高校から昭和鉄管を経て、1962年に大毎オリオンズへ入団。1964年に引退。
花沢 英雄(はなざわ ひでお、1937年4月20日 - )は… 花沢 英雄(はなざわ ひでお、1937年4月20日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉県立銚子商業高等学校から1956年に大映スターズへ入団。1957年まで在籍したが制球に難があり1勝もできなかった。