スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
堀田 正昭(ほった まさあき、1883年(明治16年)7月1… 堀田 正昭(ほった まさあき、1883年(明治16年)7月1日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の外交官。駐チェコスロバキア公使、駐スイス公使、駐イタリア大使。 検事・法学者堀田正忠の長男として東京府に生まれる。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業し、翌年に外交官及領事官試験に合格した。外交官補としてフランス、中華民国に勤務した。公使館三等書記官、大使館二等書記官、同一等書記官、外務書記官・大臣官房人事課長などを歴任し、その間に中国・ドイツ・イタリアに勤務した。1926年(大正15年)、外務省欧米局長に就任。1931年(昭和6年)、駐チェコスロバキア公使となり、1934年(昭和9年)に駐スイス公使に転じた。
志賀 直哉(しが なおや、1883年〈明治16年〉2月20日… 志賀 直哉(しが なおや、1883年〈明治16年〉2月20日 - 1971年〈昭和46年〉10月21日)は、日本の小説家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 宮城県石巻生まれ、東京府育ち。明治から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「城の崎にて」「小僧の神様」など。 志賀直哉は1883年(明治16年)2月20日、宮城県牡鹿郡石巻町に、父・志賀直温と母・銀の次男として生まれた。父・直温は当時第一銀行石巻支店に勤務していた。明治期の財界で重きをなした人物である。母・銀は、伊勢亀山藩の家臣・佐本源吾の娘であった。
滋野 清武(しげの きよたけ、1882年10月6日 - 19… 滋野 清武(しげの きよたけ、1882年10月6日 - 1924年10月13日)は、明治・大正期の飛行家である。父・滋野清彦の男爵を襲爵。「欧州の空で戦った侍飛行家」とも評され、フランス陸軍航空隊のエース部隊のパイロットとして活躍しレジオン・ドヌール勲章、クロワ・ドゥ・ゲール勲章を受勲。通称をバロン滋野。 1882年10月6日、男爵滋野清彦の三男として名古屋に生まれた(東京生まれとも)。1896年に父を亡くし13歳で襲爵。父の軍功に応えるべく、学習院を中退して広島陸軍地方幼年学校に入学するが、生来芸術家肌であったために神経衰弱を患って中退する。千葉県安房郡館山町上須賀の別荘で遊興したのち、家庭教師だった山田耕筰の勧めで上野の東京音楽学校予科に入学し、本科器楽科でコルネットを習得した。
竹田宮恒久王(たけだのみや つねひさおう、1882年〈明治1… 竹田宮恒久王(たけだのみや つねひさおう、1882年〈明治15年〉9月22日 - 1919年〈大正8年〉4月23日)は、日本の皇族・陸軍軍人。竹田宮初代当主。 北白川宮能久親王の第1王子(庶長子)。妃は明治天皇の第6皇女昌子内親王。官位は陸軍少将大勲位功五級に昇る。 1906年(明治39年)、竹田宮の称号を賜り、宮家を創設。近衛騎兵連隊に属し、日露戦争に従軍した。井口嶺の戦いですぐ隣を進んでいた伯爵南部利祥騎兵中尉(奥州南部家第42代当主)が敵弾に当たり戦死したという挿話を伝えているが、実際には南部中尉が戦死した3月4日には王は日本に帰国しており、ありえない話である。1919年(大正8年)4月23日、当時全世界で大流行していたスペインかぜのため薨去。
兒玉 友雄(こだま ともお、1881年10月23日 - 19… 兒玉 友雄(こだま ともお、1881年10月23日 - 1961年5月9日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 本籍山口県。児玉源太郎の三男として生れる。学習院中等科を経て、1902年11月、陸軍士官学校(14期)を卒業、翌年6月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第2連隊付となり、1904年2月、日露戦争に出征。1910年11月、陸軍大学校(22期)を卒業した。 参謀本部員兼軍務局課員、近衛師団参謀、参謀本部員などを経て、1914年5月、イギリスに私費留学し、翌年、イギリス軍に従軍した。帰国後、参謀本部員、陸軍省軍務局課員、兼航空部事務官、兵器局課員、軍務局課員(軍事課)、近衛歩兵第3連隊付、歩兵第34連隊長、参謀本部課長などを歴任し、1929年8月、陸軍少将に進級。
正親町 公和(おおぎまち きんかず、1881年(明治14年)… 正親町 公和(おおぎまち きんかず、1881年(明治14年)10月14日 - 1960年(昭和35年)12月7日)は、日本の華族、実業家、『白樺』初期の文学者。その文業は『明治文学全集 初期白樺派文学集』に収められている。 伯爵正親町実正の長男として東京に生まれた。弟の実慶も『白樺』の作家で、日下諗(くさか しん)の筆名を持った。学習院初等科に入り、高等科の時に志賀直哉、武者小路実篤、木下利玄と知り合う。『学習院輔仁会雑誌』の編輯委員となり小品を発表。1906年に高等科を卒業して東京帝国大学英文科に入るが中退。1908年、志賀らと回覧雑誌『望野』を始め、1910年には『白樺』創刊に参画、ほかに里見弴・園池公致・児島喜久雄らと交わる。
西園寺 八郎(さいおんじ はちろう、1881年〈明治14年〉… 西園寺 八郎(さいおんじ はちろう、1881年〈明治14年〉4月22日 - 1946年〈昭和21年〉7月1日)は、日本の宮内官僚、政治家。位階・勲等・爵位は従二位勲一等公爵。 旧長州藩主・公爵毛利元徳の八男として誕生する。1899年(明治32年)7月、学習院中等科を卒業。同年、伊藤博文、井上馨らの仲介により、公爵西園寺公望の養子となった。西園寺家と毛利家には、西園寺実輔の生母が長州藩主・毛利秀就の娘であったり、西園寺賞季の娘が長府藩主・毛利匡芳に嫁いだなどの関係があった。その後、ドイツのボン大学に留学した。ドイツではヨハネス・ユストゥス・ライン家に寄宿した。1906年(明治39年)公望の長女・新子と結婚した。
甘露寺 受長(かんろじ おさなが、1880年〈明治23年〉1… 甘露寺 受長(かんろじ おさなが、1880年〈明治23年〉10月5日 - 1977年〈昭和52年〉6月20日)は、日本の華族(伯爵)。甘露寺家第35代当主。東宮侍従、侍従、侍従次長、明治神宮宮司を歴任した。官位は従二位勲一等。 1880年(明治23年)、甘露寺義長の長男として生まれる。母は子爵勘解由小路資生の四女・立子(たつこ)。 学習院初等科、中等科、高等科を経て東京帝国大学法科卒業。法学博士。学習院初等科在学中より皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の御学友として、宮中出仕した。 1910年(明治43年)12月、東宮侍従に任じられ、大正天皇践祚の後も東宮侍従として裕仁親王(のちの昭和天皇)に仕えた。
大河内 正敏(おおこうち まさとし、1878年(明治11年)… 大河内 正敏(おおこうち まさとし、1878年(明治11年)12月6日 - 1952年(昭和27年)8月29日)は、日本の物理学者、実業家。 東京府出身。子爵。理化学研究所(理研)の3代目所長、貴族院議員。身長は180cmと長身だった。妻は大河内信古の娘で、婿養子となった。息子は大河内信威、大河内信定、大河内信敬。孫の一人に女優の河内桃子がいる。無名時代の田中角栄を引き立てたことでも知られる。 旧上総大多喜藩主で、子爵大河内正質の長男として東京浜松町に生まれた。のち旧三河吉田藩の子爵大河内家(江戸時代前期に活躍し、「知恵伊豆」と呼ばれた老中松平伊豆守信綱の子孫の家系で、大多喜藩主家の遠縁)の養子となり、最後の藩主・大河内信古の娘を妻に迎える。
東久世 秀雄(ひがしくぜ ひでお、1878年(明治11年)7… 東久世 秀雄(ひがしくぜ ひでお、1878年(明治11年)7月19日 - 1951年(昭和26年)11月18日)は、日本の農商務・宮内官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。 東京府出身。伯爵・東久世通禧の四男として生まれる。1897年(明治30年)12月6日、分家に際し父・通禧の功により男爵を叙爵した。 第一高等学校を経て、1905年(明治38年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年、農商務省に入省し農商務属となる。 以後、農商務省山林局書記、山林局事務官、宮内事務官、帝室林野局事務官、貴族院書記官、同書記官長代理、農商務書記官兼同参事官、皇后宮主事、内匠頭などを歴任。
有島 武郎(ありしま たけお、1878年3月4日 - 192… 有島 武郎(ありしま たけお、1878年3月4日 - 1923年6月9日)は、日本の小説家。 学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学、洗礼を受ける。1903年に渡米。ハバフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、経済学を学ぶ。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加する。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。 代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜しみなく愛は奪ふ』がある。 東京・小石川(現:文京区)に旧薩摩藩郷士で大蔵官僚、実業家の有島武の長男として生まれる。母は幸子。祖父の宇兵衛も同じく郷士であった。武郎4歳の時、父の横浜税関長就任を機に一家で横浜に移る。
松平 恆雄(まつだいら つねお、1877年(明治10年)4月… 松平 恆雄(まつだいら つねお、1877年(明治10年)4月17日 - 1949年(昭和24年)11月14日)は、日本の外交官、政治家。
肥田 金一郎(ひだ きんいちろう、1874年7月2日 - 1… 肥田 金一郎(ひだ きんいちろう、1874年7月2日 - 1936年8月11日)は、日本の実業家。父・肥田昭作が採掘権を獲得した福島県高玉鉱山を経営する傍ら、福島県馬産の要職に携わる。日本中央競馬会(JRA)福島競馬場に連なる福島競馬倶楽部の公認開催権取得に功績を残し、また後には1908年の馬券禁止以来苦境に陥っていた千葉県中山競馬倶楽部の地位向上に尽くし、日本の最高障害競走・中山大障害を創設するなど、のちに中央競馬の主要場となる中山競馬場の礎を築いた。政治面では、安達郡高川村長や安達郡会議員を務めた。住所は牛込区市谷甲良町41であった。 1874年、東京市に生まれる。1892年、旧制学習院中等科を卒業し、福島県高玉鉱山に入社、1919年まで経営に携わった。
梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう、1874年〈明治… 梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう、1874年〈明治7年〉3月9日 - 1951年〈昭和26年〉1月1日)、または梨本 守正(なしもと もりまさ)は、日本の旧皇族、陸軍軍人。梨本宮家第3代当主。官位は元帥陸軍大将。栄典は大勲位功四級。明仁上皇の大叔父にあたる。また、娘の方子は、大韓帝国最後の皇太子で日本の王公族だった李王垠に嫁いでいる。 久邇宮朝彦親王の第4王子として1874年に誕生。当初は多田と名付けられたが、梨本宮家相続にあたり、守正と改名した。梨本宮家は初代守脩親王のあと、山階宮家出身の菊麿王が後継者となったが、のちに実家を継ぐことになったため梨本宮家を離れ、代わって守正王が相続したものである。
久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年〈明治6年… 久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年〈明治6年〉7月23日 - 1929年〈昭和4年〉1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級および位階勲等は軍事参議官、元帥陸軍大将、大勲位、功四級。久邇宮朝彦親王の第3王子。久邇宮第2代当主。香淳皇后(昭和天皇后)の父。上皇の外祖父、今上天皇の曽祖父にあたる。 1887年(明治20年)、父・朝彦親王の継嗣と定められ、京都府立中学(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)、学習院を経て東京の成城学校(現:成城中学校・高等学校)に入学する。1891年(明治24年)、朝彦親王薨去を受けて久邇宮を継承する。 1896年(明治29年)、陸軍士官学校を卒業し陸軍士官として勤務し、1902年(明治35年)に陸軍大学校卒業。
田中 銀之助(たなか ぎんのすけ、1873年〈明治6年〉1月… 田中 銀之助(たなか ぎんのすけ、1873年〈明治6年〉1月20日 - 1935年〈昭和10年〉8月27日)は「天下の糸平」と呼ばれた相場師・田中平八の孫。英国ケンブリッジ大学に留学し、帰国後ラグビーを日本に伝えた。 生糸や洋銀の相場で巨額の富を得た田中平八。その長女・登羅(とら)と、婿であり糸平不動産や田中鉱山を興した田中菊次郎(北村菊次郎)の間に長男として生まれた。 当時の進学予備校であった神田淡路町の共立学校(現・開成中学)に一時在籍し、学習院尋常中等科(現・学習院中等科)へ入学。1887年(明治20年)に留学準備のため横浜のヴィクトリア・パブリックスクールに入学。ここで後に共にラグビーを日本に伝えるエドワード・B・クラークと出会う。
德川 賴倫(とくがわ よりみち、1872年7月28日〈明治5… 德川 賴倫(とくがわ よりみち、1872年7月28日〈明治5年6月23日〉 - 1925年〈大正14年〉5月19日)は、日本の政治家、実業家。紀州徳川家第15代当主。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は侯爵。諱は「らいりん」と音読みすることもある。新字体での表記は徳川 頼倫。 貴族院議員、貴族院仮議長(2回)、宗秩寮総裁、南葵文庫総裁、南葵育英会総裁、日本図書館協会総裁、史蹟名勝天然紀念物保存協会会長、十五銀行取締役、日本赤十字社常議員、華族会館評議員、帝国海事協会評議員などを歴任した。 明治5年6月23日(1872年7月28日)、田安徳川家第8代当主・徳川慶頼の六男として東京府下本所横網町(現在の東京都墨田区横網一丁目)の田安邸で生まれる。
仙石 政敬(せんごく まさゆき、1872年5月26日〈明治5… 仙石 政敬(せんごく まさゆき、1872年5月26日〈明治5年4月20日〉- 1935年〈昭和10年〉9月16日)は、明治時代から昭和初期にかけての官僚・政治家。子爵。 1872年(明治5年)、旧出石藩主・仙石政固の長男として生まれる。1891年(明治24年)7月、学習院高等学科を卒業。1893年(明治26年)、久邇宮朝彦親王の六女・素子女王と結婚した。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科を卒業。1899年(明治32年)11月、高等文官試験に合格。その後、一時志願兵として近衛師団に入営したが、1900年(明治33年)、足疾のために現役を免除された。 宮内省諸陵頭などを務めたのち、1923年(大正12年)賞勲局総裁、1925年(大正14年)宗秩寮総裁を歴任した。
石橋 思案(いしばし しあん、1867年7月3日(慶応3年6… 石橋 思案(いしばし しあん、1867年7月3日(慶応3年6月2日) – 1927年(昭和2年)1月28日)は、日本の小説家。本名、助三郎。横浜弁天町生れ。東京帝国大学中退。 尾崎紅葉らとともに硯友社を創設し「我楽多文庫」を発行。「乙女心」「わが恋」「京鹿子」などを発表したが振るわず、後に博文館に入社し、『文芸倶楽部』を編集した。「雨香」とも号し、また都々逸では「自劣亭」の号を用いて活躍した。 1867年(慶応3年)6月2日、横浜の弁天町に石橋政方の長男として生れる。父・政方は外務省官吏。祖父は長崎の通詞で、石橋助左衛門といった。幼少時に上京し神田に住む。お茶の水の師範学校附属小学校に通い、1878年(明治11年)、学習院に入学。
福田 貞男 は、日本の経営者。サッポロビール社長を務めた。
大正天皇 は、日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)、御… 大正天皇 は、日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)、御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。
竹田 恒徳 、または竹田宮恒徳王 は、日本の旧皇族(竹田宮第… 竹田 恒徳 、または竹田宮恒徳王 は、日本の旧皇族(竹田宮第2代当主)、陸軍軍人。竹田宮恒久王の第1男子。母は常宮昌子内親王。最終階級は陸軍中佐。勲等は大勲位。1947年(昭和22年)10月に皇籍離脱し、株式会社竹田編織(埼玉県飯能市)の社長。
三島 由紀夫 は、日本の小説家、劇作家、随筆家、評論家、政治… 三島 由紀夫 は、日本の小説家、劇作家、随筆家、評論家、政治活動家。本名は平岡 公威。戦後の日本の文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、日本国外においても広く認められた作家である。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたテレビ番組に初めて出演した日本人でもある。
鳩山 紀一郎 は、日本の政治家、工学者(交通工学、都市工学)… 鳩山 紀一郎 は、日本の政治家、工学者(交通工学、都市工学)。博士(工学)(東京大学、2007年)。政治団体日本先進会代表。
竜田 理史(たつた まさし)は、NHKのアナウンサー。 学習… 竜田 理史(たつた まさし)は、NHKのアナウンサー。 学習院高等科、慶應義塾大学卒業後、2018年入局。初任地は沖縄放送局。2021年4月に京都放送局、2024年9月に広島放送局へ異動。 ☆印は現在出演(担当)中。