スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
鶴木 眞(つるき まこと、1942年11月2日 - 2015… 鶴木 眞(つるき まこと、1942年11月2日 - 2015年7月15日)は、日本の国際政治学者。東京大学名誉教授。 東京生まれ。武蔵中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学院法学研究科博士課程満期退学。1967年慶應義塾大学法学部助手、1970年同専任講師、1973年同助教授、1979年同教授。1992年東京大学社会情報研究所教授、2002年『情報政治学』で法学博士(慶應義塾大学)。 2003年、東京大学を定年退官、名誉教授。同年、十文字学園女子大学・同短期大学学長。2007年、同大学学長を退任。2007年から松山大学教授(2013年まで)。 1979年から1981年まで外務省在イスラエル大使館専門調査員。
日紫喜 勝也(ひしき かつなり、1941年9月 - )は、日… 日紫喜 勝也(ひしき かつなり、1941年9月 - )は、日本の建築家である。西日本工業大学工学部建築学科教授。 福岡県生まれ。武蔵高等学校、西日本工業大学工学部建築学科を卒業、同大学大学院工学系研究科建築学専攻を修了。 2000年、妻で料理家の前田直子と共にマスキオフィス(MO)を設立。 若材令から乾燥を受けるセメント硬化体中の水分移動、それに対応する水和進行問題、各種強度問題、乾燥収縮応力問題、クリープ問題、ひびわれ発生問題等に関する総合的な研究。 多種多様のコンクリート用細骨材出現に対しての現行のJISによる細骨材表乾判定方法適用はかなりの問題を呈しているが、『乾燥速度法』なる新概念の表乾状態判定法を提案し、多面からその妥当性を検討した一連の研究。
榎本 日出夫(えのもと ひでお、1941年7月7日 - )は… 榎本 日出夫(えのもと ひでお、1941年7月7日 - )は、東京都中野区出身のバスケットボール指導者。日本バスケットボール界初のプロコーチである。 武蔵中学校・高等学校・大学出身。 中3でバスケを始め、高校では3年連続でインターハイに出場。優勝も経験する。 大学卒業後、光文社に入社。そこで杉野女子短大の学生と出会い、これを機にバスケットボールのコーチに転じる。 後に日立戸塚女子バスケットボール部に移り、プロコーチ宣言。25年間指揮を執り、1976・77年の2年連続でオールジャパン・日本リーグ2冠に導く。 その間全日本女子のコーチとなり、1982年には監督を務める。 その後、日立本社男子(現・サンロッカーズ渋谷)のヘッドコーチに就任。
法華津 寛(ほけつ ひろし、1941年3月28日 - )は、… 法華津 寛(ほけつ ひろし、1941年3月28日 - )は、東京府出身の日本の馬術選手、実業家。アバロン・ヒルサイドファーム所属。 武蔵中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本石油に入社。 学生時代から選手として数々の大会に出場した。1964年に開催された東京オリンピックに出場し、障害飛越個人40位、同団体12位の成績だった。 東京オリンピック後に日本石油を退職し、デューク大学大学院へ留学し経済学専攻修士課程を修了。その後は外資系製薬会社エフ・ホフマン・ラ・ロシュ、ジョンソン・エンド・ジョンソンを経て1981年から同社傘下のオーソ・クリニカル・ダイアグノスティックス(Ortho-Clinical Diagnostics)に勤務した。
渡部芳紀(わたべ よしのり、1940年9月12日- )は、日… 渡部芳紀(わたべ よしのり、1940年9月12日- )は、日本文学研究者、中央大学名誉教授。宮沢賢治、太宰治、石川啄木など日本近代文学を専門とする。2020年瑞宝中綬章受章。 東京生まれ。東京大学文学部卒業、1971年同大学院人文科学研究科博士課程満期退学。1967年武蔵高等学校教諭、1971年立正大学教養部専任講師、1975年助教授、1976年中央大学文学部助教授、1984年教授。1986年日本近代文学会評議員。2011年定年退任、名誉教授。退任後は岩手県下閉伊郡山田町に移住した。2020年春、瑞宝中綬章受章。 妻の渡部紀子は芹沢光治良の研究者。
田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19… 田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19日 - )は、日本の政治家、実業家。越後交通代表取締役会長。 外務政務次官(宇野内閣、第1次海部内閣)、農林水産副大臣(初代)、防衛大臣(第10代)、参議院議員(3期)、衆議院議員(3期)を歴任した。旧姓は鈴木。父は、内務官僚、自由党衆議院議員であった鈴木直人。妻は越後交通グループ前会長で現相談役である田中眞紀子。 石川県金沢市生まれ。現在は新潟県在住。武蔵高等学校中学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後は日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社。1969年に田中角栄元総理の長女・田中眞紀子と結婚して田中家に婿入りし、姓を田中に改める。
原島 文雄(はらしま ふみお、1940年2月3日 - )は、… 原島 文雄(はらしま ふみお、1940年2月3日 - )は、電気工学、制御工学、ロボット工学を専門とする日本の教育研究者。東京大学工学博士。東京大学生産技術研究所で所長を務め、東京都立科学技術大学、東京電機大学、首都大学東京では学長を務めた。学会活動では多くの国際会議を主導し、IEEE総務副会長、電気学会会長なども歴任。複数の「Harashima Award」に名を残す。 東京大学、東京都立科学技術大学、東京電機大学の名誉教授、2015年瑞宝重光章受勲。 原島は1967年頃からパワーエレクトロニクスや制御工学、メカトロニクスに関する研究を実施、学生の興味から1980年頃よりロボット工学にも発展する。
菊地 康典(きくち やすのり、1939年8月10日 -)は、… 菊地 康典(きくち やすのり、1939年8月10日 -)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官、メルボルン総領事等を経て、1993年から駐フィジー特命全権大使を務めた。 武蔵高等学校を経て、1963年一橋大学法学部卒業、外務省入省、在アメリカ合衆国日本国大使館外交官補。インディアナ大学でソ連を専攻し、1966年在ソビエト連邦日本国大使館三等書記官。1973年在オーストラリア日本国大使館二等書記官。1974年同一等書記官。1976年在ケニア日本国大使館一等書記官。 1978年外務省国際連合局軍縮課長。1981年国防会議事務局参事官。1982年在ユーゴスラヴィア日本国大使館参事官。1983年在ブラジル日本国大使館参事官。
長岡 一也(ながおか かずや、1939年1月2日 - )は、… 長岡 一也(ながおか かずや、1939年1月2日 - )は、フリーアナウンサー・競馬ジャーナリスト。 旧満州東北部・奉天生まれ。父は飛行機のエンジン設計のエンジニアで、満州飛行機に勤務していた。日本へ脱出するための船が停泊する上海に向かう途中の列車の中で、終戦を迎えた。小学4年から6年にNHKラジオの番組で、児童合唱団の一員として3年間活動した。武蔵中学校・高等学校、千葉大学文理学部を経て、1961年に日本短波放送(現在の日経ラジオ社、愛称はラジオNIKKEI)へ入社した。当初はプロ野球志望であったが、アナウンサーとして主に中央競馬実況中継を担当し、1962年1月の東京開催でデビューした。GI級レース・八大競走初実況は1963年の桜花賞(勝馬:ミスマサコ)で、実況中に解説の大川慶次郎は「ミスマサコ!ミスマサコ!」と叫んだ。
鈴木 守(すずき まもる、1938年11月30日 - )は、… 鈴木 守(すずき まもる、1938年11月30日 - )は、日本の医学者・教育者。元群馬大学学長、医学部長、上武大学学長、医学博士。 専門は寄生虫学。特に、マラリア対策研究、熱帯医学。 静岡県出身。私立武蔵高校卒業後、1964年千葉大学医学部卒業。1969年千葉大学大学院医学研究科博士課程修了。学位論文名は「トキソプラズマ色素試験Acessory Faetorの研究マウス細胞溶解因子の意義」。同年、東京大学医科学研究所細菌感染研究部を経て、1972年WHO上級研究者としてイギリスおよびアメリカに留学。 1974年東海大学助教授。1976年群馬大学教授となる。1998年、群馬大学医学部長。2001年、群馬大学副学長を経て、2003年より群馬大学長。
青山 太郎(あおやま たろう、1938年9月5日 - 202… 青山 太郎(あおやま たろう、1938年9月5日 - 2024年1月)は、日本のロシア文学者。 1938年、東京で生まれた。私立武蔵高校を卒業後、早稲田大学に進学。文学部ロシア文学科を卒業し、同大学院修士課程修了。 卒業後は九州大学教養部助教授となり、同言語文化部教授を務めた。2002年に九州大学を定年退官した。
豊田 有恒(とよた ありつね、1938年〈昭和13年〉5月2… 豊田 有恒(とよた ありつね、1938年〈昭和13年〉5月25日 - 2023年〈令和5年〉11月28日)は、日本の作家。SF作家、推理作家、翻訳家、脚本家、評論家。島根県立大学総合政策学部名誉教授。 日本SF作家クラブ会員、日本推理作家協会会員、宇宙作家クラブ会員。本名の表記は同一だが、豊田の読みが「とよだ」と濁る(ただし、著者名に「とよだ」とルビがふられた著作もある)。 いわゆる日本のSF作家第一世代にあたる。 群馬県前橋市の医家の生まれ。父親は京都帝国大学医学部出身であったが、在学中は短歌会で若山牧水と交際があり、卒業後は『創作』誌に小説を発表し、開業医になってからは自宅に高浜虚子を逗留させるなど、文学に理解のある人物だったという。
武藤 徹一郎(むとう てついちろう、1938年〈昭和13年〉… 武藤 徹一郎(むとう てついちろう、1938年〈昭和13年〉4月16日 - 2024年〈令和6年〉2月16日)は、日本の医学者。東京大学名誉教授。癌研有明病院名誉院長。医学博士。専門は消化器外科学。台北生まれ。 1959年 武蔵中学校・高等学校卒業、1963年3月 東京大学医学部医学科卒業。1968年 同大学院第三臨床医学課程を修了し、医学博士の学位を取得、学位論文の題は「胃ポリープの病理組織学的研究 - とくに所謂腺腫性ポリープの形態発生とその癌化について」。同大学医学部第一外科教授、同附属病院長等を歴任。 1999年 癌研究会附属病院副院長に就任。2002年 同院長。2005年 癌研有明病院院長。
西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2… 西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2015年6月14日)は、日本の文化人類学者、言語学者。アフリカ諸語・文化研究が専門。 東京都出身。桑沢デザイン研究所ゼミマスター、東京外国語大学助教授、早稲田大学文学部教授を歴任。アフリカ諸語やピジン・クレオール語の研究の先駆者。23歳のとき日本で初めてスワヒリ語文法を発表した。東アフリカ、インド洋諸島、カリブ海領域の現地調査・研究に勤しんだ。著書に『ことばを追って』(1989年)、『異郷日記』(2008年)、『食べる』(2010年)など。 西江定(のち早稲田大学英語英文学科教授となる)の三男として東京市本郷区駒込林町(現:東京都文京区千駄木)に生まれる。
島田 精一(しまだ せいいち、1937年10月21日 - )… 島田 精一(しまだ せいいち、1937年10月21日 - )は、日本の実業家。日本ユニシス株式会社特別顧問。前住宅金融支援機構理事長。元三井物産株式会社副社長。元日本ユニシス株式会社社長。 東京都出身。1961年3月に東京大学法学部を卒業。ハーバード大学経営大学院 (AMP) 修了。大学卒業後、三井物産株式会社に入社。2000年、情報産業本部長等を歴任し、代表取締役副社長に就任。2001年、日本ユニシス株式会社社長就任。2007年から2011年3月まで、住宅金融支援機構理事長を務める。2007年イタリア政府より「グランデ・ウッフィチャーレ勲章」を受章。津田塾大学理事長、あゆみトラスト・ホールディングス株式会社特別顧問、スルガ銀行監査役、東京二期会理事等を歴任した。
畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 199… 畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 1995年6月1日)は、日本の大蔵官僚。防衛事務次官。血液型はO型。兄は通産審議官などを務めた畠山襄、甥は資源エネルギー庁次長や産業技術環境局長を歴任した畠山陽二郎。 東京都出身(父は東京都、母は鹿児島県)。武蔵高等学校中学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1961年 大蔵省入省(主計局法規課)。1966年9月 厚生省薬務局企業課企画係長。1967年10月 厚生省環境衛生局環境衛生課。課長補佐時代は主に主計局を中心に勤務。1977年6月 熊本県企画開発部長。主計局主計官(防衛担当)、主計局調査課長などを経て、1985年6月 大臣官房調査企画課長。
阿部 勤(あべ つとむ、1936年7月7日 - 2023年1… 阿部 勤(あべ つとむ、1936年7月7日 - 2023年1月10日)は、日本の建築家。日本大学芸術学部非常勤講師。 1960年 早稲田大学理工学部建築学科卒業後、坂倉準三建築研究所勤務。その間にタイにて、農業工業学校25校の設計管理でタイ国中を歩き廻り東南アジアや南の島の風土がすっかり好きになる。1975年にアルテック設立。1995年から屋久島に手造りで小屋を建て始め、現在まだ完成していない。時々行って少しずつ造ることを楽しんでいる。 2004年 「私の家」第5回日本建築家協会25年賞受賞。 2008年「賀川豊彦記念松澤資料館」第8回日本建築家協会25年賞受賞。 2011年「スタンレー電気技術研究所本棟」第11回日本建築家協会25年賞受賞。
畠山 襄(はたけやま のぼる、1936年 (昭和11年)2月… 畠山 襄(はたけやま のぼる、1936年 (昭和11年)2月17日 - 2021年(令和3年)3月13日)は、日本の通産官僚。通商産業審議官、JETRO理事長などを歴任。 1958年に通産省入省。ジャパン・バッシングが最高潮に達していた日米貿易摩擦を経て、バブル崩壊が始まる1990年代前後に通商政策局長から通産審議官を務めた。通産省で1期上の鈴木直道(通産審議官)や棚橋祐治(産業政策局長、通産次官)らと共に日米構造協議に関わり、二国間通商対話で引き続き対米輸出自主規制枠を設けることで合意譲歩した。弟は大蔵官僚の畠山蕃、息子は経産官僚の畠山陽二郎。
西室 泰三(にしむろ たいぞう、1935年(昭和10年)12… 西室 泰三(にしむろ たいぞう、1935年(昭和10年)12月19日 - )は、日本の実業家。東芝名誉顧問。
丸山 匠(まるやま たくみ、1935年5月31日 - 200… 丸山 匠(まるやま たくみ、1935年5月31日 - 2009年11月5日)は、日本のドイツ文学者。旧・東京都立大学名誉教授。 東京生まれ。父は作家の丸山義二、兄に丸山工作がいる。私立武蔵中学高校卒。1959年東京大学文学部独文科卒、1961年同大学院修士課程修了、東京大学助手、1963年埼玉大学講師、1965年助教授、1973年旧・東京都立大学助教授、1987年教授、1999年定年退官、名誉教授。
坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 -… 坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は西洋近代史、ドイツ史。 千葉県生まれ。1955年武蔵中学校・高等学校卒業、1959年東京大学文学部西洋史学科卒業、1962年-65年西ドイツのマールブルク大学に留学。67年東京大学教養学部助教授(ドイツ語)、教授、85年定年退官、名誉教授、聖心女子大学教授。
坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 -… 坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は西洋近代史、ドイツ史。
柴田 翔(しばた しょう、男性、1935年1月19日 - )… 柴田 翔(しばた しょう、男性、1935年1月19日 - )は、日本の小説家、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。 東京府東京市足立区栗原町生まれ。幼少期に東京都板橋区常盤台に転居して育つ。板橋区立上板橋第一中学校に入学した後、武蔵中学校・高等学校へ転校。1953年、東京大学教養学部理科一類に入学。工学部応用化学科から文転して文学部独文科を卒業。 1959年、同人雑誌『象』を創刊。1960年、同大学院独文科修士課程修了、助手となる。同年、同人誌『象』に発表した小説「ロクタル管の話」が「同人雑誌優秀作」として『文學界』に転載され、芥川賞候補となる。1961年「『親和力』研究―西欧近代の人間像の追求とその崩壊の認識―」で日本ゲーテ協会ゲーテ賞を受賞。
西崎 義展(にしざき よしのぶ、正式には「西﨑義展」、193… 西崎 義展(にしざき よしのぶ、正式には「西﨑義展」、1934年〈昭和9年〉12月18日 - 2010年〈平成22年〉11月7日)は、日本のプロデューサー、アニメーション監督。本名:西崎 弘文(にしざき ひろふみ)。 アニメ作品『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーであり、『海のトリトン』、『ワンサくん』『宇宙空母ブルーノア』、『オーディーン 光子帆船スターライト』、『超神伝説うろつき童子シリーズ』などを企画製作した。 東京府東京市小石川区原町(現・東京都文京区白山)に西崎正・秋子のもと、姉と弟がいる3人きょうだいの長男として生まれる。 父親は東京大学法学部卒で、企画院、日本興業銀行勤務ののち、日本曹達などの重役を務め、不振企業の"再建屋"として知られた実業家・西崎正。
志村 建世(しむら たけよ、1933年5月18日 - )は、… 志村 建世(しむら たけよ、1933年5月18日 - )は、日本の著作家。父は野ばら社の社主だった志村文蔵。 武蔵高等学校(旧制の尋常科に入学し新制で卒業)を経て、1956年に学習院大学英文科を卒業。レジナルド・ブライス教授から禅の思想を学んだ。 卒業後に家業の野ばら社で編集を担当するが、結婚を機に独立した。 1959年から1965年までNHKに在職し、初期の『みんなのうた』を担当して「線路は続くよどこまでも」の作詞などにも参加した。 その後、映像・音楽制作の日教研株式会社を創業し、次いで家庭教育ビデオ教材のにっく映像株式会社を1988年に設立した。 2005年に最初の著書『おじいちゃんの書き置き』を出版し、この年からインターネット上で「志村建世のブログ」の執筆を開始し、以後、社会的発言とともに、歌の訳詞・作詞を含む創作発表の場としても利用している。
渡辺 岳夫(わたなべ たけお、1933年4月16日 - 19… 渡辺 岳夫(わたなべ たけお、1933年4月16日 - 1989年6月2日)は、日本の作曲家、音楽家、詩人。東京都出身。愛称は「ナベタケ」。アニメ・テレビドラマ・時代劇映画などの主題歌や劇伴を数多く手がけた。 作品によっては「渡邊岳夫」と表記する場合もある。 作曲家である渡辺浦人の長男として生まれ、武蔵高校、武蔵大学経済学部を卒業した。 23歳の時にフランス・パリへ留学してクラシックを学び、スコラ・カントルム音楽院卒業。その後ラジオ東京(現在のTBSホールディングス)へ入社し、演出部でテレビドラマの制作をするうちに音楽に対する想いが強くなり、同社を退社して音楽家に転身した。 様々なジャンルの作曲を手がけており、特に時代劇やアニメーション作品で印象に残る曲を残している。
蓮見 音彦(はすみ おとひこ、1933年1月29日 -202… 蓮見 音彦(はすみ おとひこ、1933年1月29日 -2022年 )は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。瑞宝重光章受章。 東京出身。父は海後宗臣東京大学名誉教授。祖父である蓮見義隆の養子となる。私立武蔵高校卒業、1955年東京大学文学部社会学科卒、1960年同大学院博士課程単位取得満期退学、東京女子大学専任講師、1963年助教授、1966年東京学芸大学助教授、1979年教授、1986年東京大学文学部教授、1991年定年前に退官、東京学芸大学学長、1998年和洋女子大学教授、2003年特任教授、2004年学長。1990年宮崎賞受章、1993年福武直賞受賞。2008年瑞宝重光章受勲。 福武直の衣鉢を継いで農村研究を行い、これを地域社会論へと広げ実証研究に成果をあげた。
福田 秀一(ふくだ ひでいち、1932年11月19日 - 2… 福田 秀一(ふくだ ひでいち、1932年11月19日 - 2006年4月23日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(論文博士・1975年)(学位論文「中世和歌史の基礎的研究」)。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市出身。生理学者の福田邦三は父。言語学者の田村すず子は妹。1945年に東京都立第一中学校を卒業し、旧制武蔵高等学校に入学した。1951年に旧制武蔵高校を卒業し、東京大学教養学部理科に入学した。1955年に文学部国文科を卒業し、1960年に東京大学大学院を満期退学した。1975年に「中世和歌史の基礎的研究」で文学博士を授与された。 成城大学助教授を経て、1970年に武蔵大学人文学部助教授となった。
佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002… 佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002年7月10日)は、日本の考古学者。国立歴史民俗博物館名誉教授。 1932年、大阪府大阪市上本町で佐原忠雄・香代の次男として生まれた。父方の祖父は備後福山藩(広島県福山市)の家老のいえであったという。 幼稚園児のときに公園で拾った土器片に興味を持ったことが考古学を志す契機となった。国民学校初等科4年生の時の担任教師の影響で、浜田青陵『博物誌』を読んだ。国民学校初等科5年生の時、東京へ転居。1947年、日本人類学会が主催した「中学生の為の人類学講座」へ参加して、縄文学の創設者山内清男に感銘を受け、東大の山内研究室に出入するようになった。山内から個人指導を受け、縄文土器の文様の研究に没入するようになった。
桜井 毅(さくらい つよし、1931年7月13日 - )は、… 桜井 毅(さくらい つよし、1931年7月13日 - )は、日本の経済学者・マルクス経済学研究者。武蔵大学名誉教授。経済学博士。「櫻井毅」とも表記することがある。 1931年7月13日生まれ、東京市(現・東京都)出身。武蔵中学校・高等学校、武蔵大学経済学部卒業。東京大学大学院社会科学研究科博士課程修了。1961年、武蔵大学助手。1967年、博士論文「生産価格論研究」により、東京大学から経済学博士の学位を受ける。1968年、武蔵大学経済学部教授。1992年、武蔵大学長に就任し2000年まで勤めた。2000年、同大学名誉教授の称号を受ける。 日本の代表的なマルクス経済学者である宇野弘蔵に師事し、桜井の生産価格の理論は、宇野経済学の原理論と呼ばれる分野に大きな影響を与えた。
由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日… 由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日 - )は、日本の経営史学者。学位は、経済学博士。明治大学名誉教授。専門は日本経営史・日本経済史。 長野県南佐久郡青沼村(現・佐久穂町)生まれ。与志本代表・由井七郎右衛門の息子、由井定右衛門の甥。 旧制武蔵高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。1960年、東京大学大学院社会科学研究科経済史学博士課程修了。明治大学経済学部講師。1963年、助教授。1965年、「中小工業政策の史的研究」で東京大学より経済学博士の学位を取得。1968年、明治大学経営学部教授、日本経営史研究所専務理事に就任し、文部省大学設置審議会委員を務める。1998年に退官、名誉教授。
中村 たかを(中村 俊亀智 なかむら たかお・しゅんきち 1… 中村 たかを(中村 俊亀智 なかむら たかお・しゅんきち 1931年4月26日 - 2012年10月2日)は、日本の民俗学者・文化人類学者。国立民族学博物館・明海大学名誉教授。 東京生まれ。武蔵高等学校(旧制)卒、1954年武蔵大学経済学部卒、1957年東京都立大学大学院社会学研究科経済政策修士課程修了。1957年民族学協会附属民族学博物館研究員、1962年文部省史料館文部事務官、1972年国文学研究資料館助手、1973年国立民族学博物館創設準備室助手を併任、1974年同助教授、1976年教授。1988年辞職し名誉教授、明海大学経済学部教授。2002年退職、名誉教授。
中根 晃(なかね あきら、1931年(昭和6年)3月26日 … 中根 晃(なかね あきら、1931年(昭和6年)3月26日 - 2013年(平成25年)11月11日)は、日本の精神科医。東京都立梅ヶ丘病院院長、実践女子大学教授、日本自閉症スペクトラム学会初代会長、交通遺児育英会理事長を務めた。 1931年(昭和6年)3月26日、神奈川県横浜市に生まれる。旧制武蔵高等学校を経て、1957年に東京医科歯科大学医学部を卒業。卒業後は同大学の神経精神医学教室に入局し、島崎敏樹のもとで幻覚・妄想など精神病理学の研究に従事した。 1961年には東京医科歯科大学医学部で文部教官助手に就任。1969年、東京都立梅ヶ丘病院に転じ、精神科医長、副院長を歴任した後、1986年に同病院院長に就任。
松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11… 松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)1月1日)は、日本の学者、実業家、作曲家。学位は社会科学博士(ストラスブール大学)。放送史、音楽史を専門とした。学校法人東海大学副理事長、東海大学平和戦略国際研究所所長、同松前記念館館長、同文明研究所長、同総合教育センター教授などをそれぞれ歴任した。東京都出身。 父は松前重義、妻澄子方の義父は池田清就。松前国際友好財団理事長や日本衛星放送取締役、エフエム東京取締役、札幌コンサートホールKitara館長なども務め、東海大学及び東海大学系列小・中・高等学校の校歌を作曲している。
木村 翔(きむら しょう、1931年- )は、日本の建築音響… 木村 翔(きむら しょう、1931年- )は、日本の建築音響工学者。日本大学名誉教授。日本騒音制御工学会認定技士。日大では理工学部建築学科で建築音響工学の木村研究室を主宰。出身者に杉山知之など。日本建築学会では学術理事(1984~1985)学会評議員(9期)学会音環境運営委員、学会環境工学委員会委員長(1988~1989)関東支部長(1990~1991)副会長(1992~1993)を歴任。他、日本建築センター遮音構造評定委員会委員長、日本音響学会評議員(第4期)等も務めた。工学博士。東京都生まれ。 1954年3月 日本大学旧工学部建築学科卒業。1956年3月 東京大学大学院数物系研究科建築学専攻修士課程(現・東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程)修了。
小野 茂(おの しげる、1930年11月15日 - 2014… 小野 茂(おの しげる、1930年11月15日 - 2014年9月10日)は、日本の英語学者、東京都立大学名誉教授。 東京府生まれ。父は官僚・政治家の小野哲。旧制武蔵高等学校卒、1953年東京大学文学部英文科卒業。同年学習院大学助手、1955年専任講師、1959年一橋大学専任講師、1962年東京都立大学助教授、1974年教授。1969年から1970年までペンシルヴェニア大学留学。1971年「英語法助動詞の発達」で文学博士(東京大学)。東京都立大学名誉教授、1988年昭和女子大学教授。2000年退職。中世英語英文学会会長、国際アングロサクソニスト学会(ISAS)名誉会員。妻は小野恭子(1930年 - )津田塾大学名誉教授[要出典](ジョイス研究)。
南原 實(なんばら みのる、1930年11月12日 - 2… 南原 實(なんばら みのる、1930年11月12日 - 2013年11月12日)は、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。 1930年、東京府で生まれた。武蔵高等学校を経て、東京大学文学部独文科に進学。同大学を卒業後、同大学大学院へ進んだ。 1969年に東京大学教養学部助教授に就任し、ドイツ語を講じた。後に教授昇進。1991年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。 2013年11月12日に膵臓がんのため死去。82歳没。 「青樹簗一」の名でレイチェル・カーソンの『沈黙の春』を訳した。
丸山 工作(まるやま こうさく、1930年6月16日 - 2… 丸山 工作(まるやま こうさく、1930年6月16日 - 2003年11月19日)は、日本の生化学者。千葉大学名誉教授。 東京府生まれ。父は作家の丸山義二、弟にドイツ文学者の丸山匠がいる。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)から武蔵高等学校 (旧制)を経て、1953年東京大学理学部動物学科卒業、1956年同大学院博士課程中退。 東京大学教養学部助手、1962年理学部助手、1965年教養学部助教授、1972年京都大学理学部教授、1977年千葉大学理学部教授、1994 - 1998年学長。1998年千葉大学で全国で初めて高校からの「飛び入学」制度を導入した。1999年大学入試センター所長、2001年理事長。
西山 茂夫(にしやま しげお、1930年1月1日 - )は、… 西山 茂夫(にしやま しげお、1930年1月1日 - )は、日本の医学者、皮膚科医。専門は血管炎、膠原病、全身疾患と皮膚。東京生まれ。
矢橋 謙一郎(やばし けんいちろう、1929年〈昭和4年〉1… 矢橋 謙一郎(やばし けんいちろう、1929年〈昭和4年〉12月13日 - 2001年〈平成13年〉3月21日)は、日本の実業家。関ヶ原石材株式会社取締役社長・取締役会長。 岐阜県立大垣中学校(現・岐阜県立大垣北高等学校)、旧制武蔵高等学校卒業。1950年(昭和25年)に東京大学理学部地理学科に入学し、1953年に東京大学を卒業すると大学院に進学した。大学院在籍時には暁星高等学校講師、学習院中等科講師などを務めている。 1958年(昭和33年)に東京大学大学院を修了し、成城大学経済学部講師に就任した。1962年(昭和37年)には父親の矢橋五郎が創業した関ヶ原石材株式会社に入社し、取締役兼海外部長に就任した。
上田 誠也(うえだ せいや、1929年11月28日 - 20… 上田 誠也(うえだ せいや、1929年11月28日 - 2023年1月19日)は、日本の地球科学者。専門は地球物理学。東京大学名誉教授。理学博士。 東京府(現・東京都)出身。父の上田誠一は青森、山口両県の官選知事や警視庁特別高等警察部長等を歴任した内務官僚で、兄の上田誠吉は自由法曹団等で活動していた弁護士。 麹町小学校などを経て、旧制武蔵高等学校尋常科・高等科を卒業。1952年、東京大学理学部地球物理学科を卒業。1953年、東京大学地震研究所助手。1958年 東京大学理学博士「古地磁気学の手段としての熱残留磁気、特に反転熱残留磁気について」。 1963年、東京大学理学部助教授。1969年、東京大学地震研究所教授。
平井 聖(ひらい きよし、1929年7月10日 - )は、日… 平井 聖(ひらい きよし、1929年7月10日 - )は、日本の建築史家。専門は、日本建築史、特に住宅史。東京工業大学名誉教授。第7代昭和女子大学学長。 東京都生まれ。1952年、東京工業大学工学部建築学科卒業、同大学助手。1962年、「日本近世住宅に於ける殿舎平面と配置に関する研究」で工学博士。1963年、助教授、1974年、教授。1993年、定年退官、名誉教授。1969年多摩美術大学建築科で教えた。 昭和女子大学教授。2002-2020年、冬夏会会長。2003-2007年、昭和女子大学学長兼大学院委員長。福井県立歴史博物館館長。NHK大河ドラマの建築考証を1993年『炎立つ』から現在まで務めている。
正田 彬(しょうだ あきら、1929年(昭和4年)1月13日… 正田 彬(しょうだ あきら、1929年(昭和4年)1月13日 - 2009年(平成21年)6月1日)は、日本の法学者。専門は経済法。学位は、法学博士(慶應義塾大学・論文博士・1968年)。慶應義塾大学名誉教授。カトリック信徒(洗礼名アロイジオ)。 正田彬は数学者・正田建次郎の長男としてベルリンで生まれる。父方の祖父は日清製粉グループ本社創業者の正田貞一郎、母方の祖父は天文学者の平山信。元日清製粉(現・日清製粉グループ本社)社長の正田英三郎は父方の叔父で、建築家の平山嵩は母方の伯父。また父方の従弟に医師・政治家の水島裕と日清製粉グループ本社名誉会長相談役の正田修が、父方の従妹に上皇后美智子が、母方の従兄に物理化学者の坪井正道がおり、父方の義理の伯父に化学者の水島三一郎が、母方の義理の伯父に地球科学者の坪井誠太郎が、母方の義理の叔父に元東洋製作所社長の佐竹義利がいる。
小林 賢齊(こばやし まさなり、1929年 - )は、マルク… 小林 賢齊(こばやし まさなり、1929年 - )は、マルクス経済学者。武蔵大学名誉教授。専攻は理論経済学、現代資本主義論。 東京生まれ。長野県出身。武蔵高等学校卒業(21期)。1953年東京大学経済学部(旧制)卒業。東京大学特別研究生(旧制)。東大大学院の山田盛太郎のゼミに所属。1959年武蔵大学専任講師、1964年教授。大学院教授、第13代経済学部長(1980-1981年)も務め、2000年退職。1978年「再生産論の基本問題」で経済学博士(東京大学)。 山田盛太郎の直系の弟子で『山田盛太郎著作集』の刊行に尽力した。東大で横山正彦からも指導を受けた。土地制度史学会評議員。1963年に山田が土地制度史学会のメンバーを母体に発足させた「再生産構造研究会」に参加した。
大河内一雄(おおこうち かずお、1928年(昭和3年)10月… 大河内一雄(おおこうち かずお、1928年(昭和3年)10月8日 - 2007年(平成19年)10月10日)は、日本の医学者、ウイルス学者 血清学者。九州大学名誉教授。 専門は輸血による感染症。 1963年にバルーク・サミュエル・ブランバーグが発見したオーストラリア抗原を肝炎患者の血液から分離し、B型肝炎ウイルスの発見につながった。この研究は輸血によるB型ウイルス性肝炎感染防止に応用され、輸血の安全性を高めることに大きく貢献した。その後も成人T細胞白血病ウイルスや、エイズウイルスの輸血による感染の研究に尽力した。
水島 恵一(みずしま けいいち、1928年8月3日 - 20… 水島 恵一(みずしま けいいち、1928年8月3日 - 2015年7月27日)は、日本の心理学者、文教大学名誉教授。 東京生まれ。父は東京大学名誉教授で学士院会員の化学者である水島三一郎。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学法学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科心理学専攻修了。1965年「自己疎外理論による非行性仮説設定とその臨床的検討」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。横浜少年鑑別所技官、立正女子大学助教授、校名変更で文教大学人間科学部教授。文教大学学長(1996-2001)、2000年定年退任、名誉教授。2012年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。墓所は多磨霊園。 次弟水島昭二は元東大教授、三弟水島裕は元参議院議員。
今井 俊満(いまい としみつ、1928年5月6日 - 200… 今井 俊満(いまい としみつ、1928年5月6日 - 2002年3月3日)は、日本の画家。アンフォルメルの画家として、日本とパリを拠点に活動した。息子の今井アレクサンドル、今井龍満(りゅうま)も画家。 父俊雄と母綾野の次男。京都市に生まれ、幼い時に大阪市の船場安土町に転居。大阪市立船場尋常小学校を卒業すると、1941年に上京して旧制武蔵高等学校尋常科に入学した。武蔵高校在学中から絵を描き始め、荻太郎、梅原龍三郎、安井曾太郎などに師事。1948年に武蔵高校を卒業した。 高校卒業後の1948年10月には第12回新制作派協会展で入賞。1950年には東京藝術大学美術学部油絵科で1年間派遣学生として学び、1952年にはフランスに私費留学し、ソルボンヌ大学文学部に学ぶ。
宮腰 太郎(みやこし たろう、1928年4月13日 - 20… 宮腰 太郎(みやこし たろう、1928年4月13日 - 2009年5月6日)は、日本の文筆家、放送作家。東京府生まれ。本名:裕(ゆたか)。 生年を昭和4年(1929年)とするプロフィールもある。 (旧制)武蔵高等学校卒業、東京教育大学文学部中退。その後、雑誌編集者、映画脚本家(または映画監督)、コピーライターを経て、フリーライターとなる。1979年から2009年1月まで、TBSラジオの番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』の構成作家(筋書き作家)を務めた。担当番組については、パーソナリティ(口演)・小沢昭一との共著という形で書籍化された。 2009年5月6日、気管支肺炎のため、東京都町田市の病院で死去。
大鷹 弘(おおたか ひろし、1928年2月25日 – 200… 大鷹 弘(おおたか ひろし、1928年2月25日 – 2001年4月21日)は、日本の外交官。駐ビルマ(ミャンマー)大使、法務省入国管理局長などを務めた。父は外交官の大鷹正次郎、妻は女優で参議院議員を務めた大鷹淑子。双子の弟、大鷹正、正の子である大鷹正人も外交官である。 東京府出身。父親の転勤で青島第二小学校を5年終了で東京に移り、東京市立番町尋常小学校に転校する。旧制武蔵高等学校を経て、1950年東京大学法学部卒業後、1951年に外務省に入省する。ベルギー公使、フィジー、スリランカ各大使などを歴任し、1987年から1990年まで駐ビルマ(ミャンマー)大使を務めた。 2001年4月21日午前11時21分、肺炎のため、東京都足立区の病院で死去。
長谷部 楽爾(はせべ がくじ、1928年 - )は、日本の陶… 長谷部 楽爾(はせべ がくじ、1928年 - )は、日本の陶磁器研究家。父は人類学者の長谷部言人。 仙台市生まれ。1948年私立武蔵高等学校卒業後、1953年東京大学文学部美学美術史卒。 1954年、文化財保護委員会美術工芸課。1958年、東京国立博物館学芸部工芸課。のち東洋課長、学芸部長、次長を経て、1988年、退官。文化財保護審議会専門委員、恵泉女学園大学教授、東京国立博物館名誉館員、日本貿易陶磁研究会会長。