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戸田 盛和(とだ もりかず、1917年10月20日 – 20… 戸田 盛和(とだ もりかず、1917年10月20日 – 2010年11月6日)は、日本の物理学者。 専門は、統計力学・凝縮系物理学・数理物理学・可積分系。特に戸田が導入した格子模型は完全可積分系の典型として有名で、「戸田格子」の名を得ている。東京教育大学名誉教授。 東京府生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、1940年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業、京城帝国大学、旧制東京文理科大学で助教授を務めたのち、1951年に東京文理科大学教授に昇格した。そして東京教育大学(東京文理科大学の後身)を定年前に退職したのち、千葉大学、横浜国立大学、放送大学の教授を歴任した。 まず東京大学の卒業研究として液体の構造を研究し、その成果を後に「液体構造論」(共立出版、1947年)、「液体理論」(河出書房、1947年)として出版した。
岩澤 健吉(いわさわ けんきち、1917年〈大正6年〉9月1… 岩澤 健吉(いわさわ けんきち、1917年〈大正6年〉9月11日 - 1998年〈平成10年〉10月26日)は、日本の数学者。理学博士(東京大学)。プリンストン大学名誉教授。専門は整数論。 群馬県桐生市新宿に生まれる。旧制武蔵高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学理学部数学科卒業。1949年(昭和24年)東京大学助教授となり、1950年に米国渡航。プリンストン高等研究所、マサチューセッツ工科大学教授、1967年プリンストン大学教授を経て1987年帰国。プリンストン大学名誉教授。 1945年理学博士(東京大学)の学位を取得、学位論文の題は「有限群とその部分群の束について」。 講義、講演の名手としても有名である。
町村 鉄雄(まちむら てつお、1917年9月8日 - 199… 町村 鉄雄(まちむら てつお、1917年9月8日 - 1992年6月10日)は、日本の実業家。 1917年(大正6年)9月8日、北海道石狩町樽川にて、町村農場創業者の町村敬貴三男として誕生する。11歳の1928年(昭和3年)に東京の大久保町立戸山尋常小学校に転校した。旧制武蔵高等学校(入学は尋常科)から東京帝国大学に進み、1941年(昭和16年)に東京帝国大学法学部を卒業した。 1942年(昭和17年)住友銀行に入行するも、軍隊への入営のため休職となり、短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年(昭和18年)11月、海軍主計大尉に昇進した。
田村 三郎(たむら さぶろう、1917年〈大正6年〉1月8日… 田村 三郎(たむら さぶろう、1917年〈大正6年〉1月8日 - 2015年〈平成27年〉12月4日)は、日本の農芸化学者(生物有機化学)。位階は従三位。勲等は文化勲章。学位は農学博士(東京大学・1954年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 満州国大陸科学院での勤務を経て、東京帝国大学農学部副手、東京大学農学部教授、富山県立技術短期大学学長、東京農業大学教授などを歴任した。 1917年(大正6年)、群馬県吾妻郡沢田村(現・中之条町)四万温泉で旅館業を営む田村茂三郎の三男として生まれる。1929年(昭和4年)上京し、旧制武蔵高等学校を卒業。1939年(昭和14年)東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。
高野 雄一(たかの ゆういち、1916年11月3日 - 20… 高野 雄一(たかの ゆういち、1916年11月3日 - 2004年3月25日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。著書『国際組織法』(初版1961年)はこの分野の代表的な著作として知られる。 弁護士・高野弦雄の長男。1941年東京帝国大学法学部卒業、同助手。指導教官は横田喜三郎。1944年より外務省条約局勤務。1948年、法政大学教授。1949年、東京大学法学部助教授、1956年に教授。1977年定年退官後、上智大学法学部教授、1988年より八千代国際大学政治経済学部教授を務めた。1992年勲三等旭日中綬章受章。日本のポツダム宣言受諾を無条件降伏とする説に反対し、江藤淳を支持した。
小林 昇(こばやし のぼる、1916年〈大正5年〉11月1日… 小林 昇(こばやし のぼる、1916年〈大正5年〉11月1日 - 2010年〈平成22年〉6月3日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。学位は、経済学博士(東京大学・論文博士・1955年)。福島大学名誉教授、立教大学名誉教授。日本学士院会員。 東京海上保険会社での勤務を経て、福島高等商業学校教授・福島大学経済学部教授・立教大学経済学部教授・立教大学経済学部学部長・大東文化大学教授などを歴任。 経済学史を専攻する京都市出身の経済学者である。東京帝国大学卒。1940年、福島高等商業学校講師。途中3年間の兵役を挟み、福島大学経済学部の設立などに尽力する。1955年から82年まで立教大学経済学部教授。ドイツ経済学史に新地平を開き、特にフリードリッヒ・リストの研究で名高い。
梅澤 邦臣(うめざわ くにおみ、1916年7月30日 - 2… 梅澤 邦臣(うめざわ くにおみ、1916年7月30日 - 2006年1月23日)は、日本の通商産業技官。科学技術事務次官を経て、原子力安全技術センター理事長、海洋科学技術センター理事長、ライフサイエンス振興財団理事長等を歴任した。 東京都生まれ。1938年武蔵高等学校理科卒業。1941年北海道帝国大学理学部地質学鉱物学科卒業。1944年商工省地質調査所技師。1953年通商産業省大阪通商産業局総務部技術課長。1956年工業技術院調整部業務課長。 1962年科学技術庁計画局科学調査官。1963年科学技術庁原子力局次長。1964年科学技術庁計画局長。1967年科学技術庁研究調整局長。1968年科学技術庁原子力局長、造船技術審議会委員。
浜口 隆一(はまぐち りゅういち、1916年3月26日 - … 浜口 隆一(はまぐち りゅういち、1916年3月26日 - 1995年1月2日)は、日本の建築評論家・建築史家。東京大学助教授等を経て、日本大学理工学部教授に就任。 東京生まれ。1938年東京帝国大学工学部建築学科卒業。丹下健三と共に前川國男建築設計事務所に入所。その後東京帝国大学大学院岸田研究室に進み、1943年に大学院修士課程修了。建築史の講師任用になるがいったん辞し、1948年東京大学助教授となるが、のち退官して評論家。1966年から1977年まで日本大学理工学部建築学科教授。
辻 昶(つじ とおる、1916年3月22日 - 2000年5… 辻 昶(つじ とおる、1916年3月22日 - 2000年5月15日)は、日本のフランス文学者。東京教育大学名誉教授。ヴィクトル・ユゴーを専門とし多くの翻訳を行った。 画家・辻永の長男として東京に生まれる。ドイツ文学者の辻瑆は弟。旧制武蔵高等学校卒、東京帝国大学仏文科卒、東京教育大学教授、1980年定年退官、名誉教授、白百合女子大学教授。 2000年、急性リンパ性白血病のため死去。
梶井 健一(かじい けんいち、1916年(大正5年)3月1日… 梶井 健一(かじい けんいち、1916年(大正5年)3月1日 - 2011年(平成23年)7月16日 )は、日本の実業家。名古屋鉄道の元社長。梶井剛の長男。位階は正四位。 東京都出身。武蔵高等学校を経て、1940年(昭和15年)に東京帝国大学経済学部卒業とともに日本銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。1941年(昭和16年)1月に経理学校を卒業。衣笠に配属され、以後、厦門警備隊勤務、岩国海軍航空隊副官兼海兵教官を歴任。1942年(昭和17年)5月、主計大尉に昇進。出水海軍航空隊主計長、兼国分海軍航空隊主計長、光州海軍航空隊主計長を務め、1945年(昭和20年)4月、光海軍工廠会計部に転任し、同年5月、主計少佐に進み終戦を迎えた。
景山 二郎(かげやま じろう、1916年〈大正5年〉1月13… 景山 二郎(かげやま じろう、1916年〈大正5年〉1月13日 - 1999年〈平成11年〉6月26日)は、日本の警察官僚、剣道家。位階は正四位。景山民夫の父。 広島県三次市で生まれ、小学生の時に祖母の実家である広島市内の景山家の養子となる。旧制武蔵高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省する。 1942年に警部補を拝命し、原爆投下時には徳島県で警察官をしていた。特高に席を置いていたため、敗戦後公職追放となる。 警視庁神田警察署長、刑事部鑑識課長、総務課長、第五方面部長、第一方面部長を務め、山梨県警察、秋田県警察、熊本県警察、埼玉県警察、神奈川県警察の各本部長を歴任。関東管区警察局長を最後に退官した。
新関 欽哉(にいぜき きんや、1916年 <大正5年> 1月… 新関 欽哉(にいぜき きんや、1916年 <大正5年> 1月4日 - 2003年 <平成15年> 8月11日)は、日本の外交官。印章の研究者でもあった。位階は正三位。 東京都出身。武蔵高等学校を卒業後、1938年東京大学法学部政治学科卒業。 外務省に入省し、1938年外務省在外研究員、1951年欧米局第5課長(ソ連課長)、1956年在ソ大使館参事官(代理大使)、1958年欧亜局参事官、1963年大臣官房国際資料部長(初代)、在香港総領事、1966年情報文化局長、1968年在オーストリア特命全権大使、1971年在ソ連特命全権大使、1972年在モンゴル大使兼任、1973年在インド特命全権大使。その後、日本国際問題研究所理事長、ソ連研究センター所長、原子力委員会委員を務める。
前田 直典(まえだ なおのり、1915年11月18日 - 1… 前田 直典(まえだ なおのり、1915年11月18日 - 1949年9月18日)は、日本の東洋史学者(モンゴル史・元朝史を研究)。京都市上京区生まれ。闘病・夭逝のため研究生活は短いものであったが、鈔法を始めとする元朝に関する実証的な研究、また中国史における新たな時代区分論を提唱したことで知られる。
常松 之典(つねまつ ゆきのり、1915年11月14日 - … 常松 之典(つねまつ ゆきのり、1915年11月14日 - 1980年5月10日)は、日本の微生物学者。東京大学医科学研究所の教授として、主にトキソプラズマの研究で知られている。医学博士。東京大学名誉教授。 1915年11月14日東京に生まれる。父は東京帝国大学を卒業し三菱重工で活躍した造船技師の常松四郎である。武蔵高等学校に学び、水泳部に所属していた。東京帝国大学医学部を卒業し整形外科に入局するが、胸を患ったことで予防を志し伝染病研究所で研究の道に就いた。 もともと伝染病研究所の第7研究部において髄膜炎菌や淋菌の研究に携わっていたが、1952年ごろから部長である長谷川秀治が着手したトキソプラズマの研究の中核を担った。
吉野 俊彦(よしの としひこ、1915年7月4日 - 200… 吉野 俊彦(よしの としひこ、1915年7月4日 - 2005年8月12日)は、日本銀行理事。父は逓信官僚の吉野圭三。 千葉県生まれ。武蔵高等学校を経て、1938年に東京帝国大学法学部を卒業し、日本銀行に入行する。日銀では調査局に勤め、内国調査課長、局次長、局長を経て1970年に理事に就任した。 1974年に山一證券経済研究所理事長に転じ、1984年に会長、1985年に特別顧問となり1998年まで務めた。また1978年1月に前川春雄副総裁を委員長とする日本銀行百年史編纂委員会が発足すると、呉文二、西川元彦と共に日本銀行百年史編纂委員会の委嘱委員を務めた。 神武景気以降、岩戸景気前夜の1950年代後半から1960年代初頭にかけて、戦後復興が一段落し、多くのエコノミストが「復興の勢いは終わり、これからは安定成長に移行する」と見通していた時期に、日本経済は依然として高い成長を維持できるか、それとも成熟・安定化すべきか、高度経済成長の是非と、日本経済の潜在能力をどのように評価するかを巡り、高度成長論者である下村治と安定成長論者の吉野の間で論争をおこなった。
尚 明(しょう あきら、1915年4月5日 - 1991年6… 尚 明(しょう あきら、1915年4月5日 - 1991年6月11日)は、日本の官僚。元日本住宅公団副総裁。 琉球王国最後の国王・尚泰王の六男・尚光の息子として東京都に生まれる。1933年旧制武蔵高等学校卒業後、1938年に東京帝国大学を卒業し、大蔵省営繕管財局へ入省。1964年、建設省住宅局長を経て、1966年には日本住宅公団理事となり、1971年には日本住宅公団の副総裁に就任。その後も日本住宅リフォームセンター(現在の住宅リフォーム・紛争処理支援センター)初代理事長をはじめ住宅産業情報サービス、性能保証住宅登録機構などの理事長を務めた。 また、日本におけるダイニングキッチンの発明者としても知られている。
大塚 全一(おおつか ぜんいち、1915年3月6日 - 19… 大塚 全一(おおつか ぜんいち、1915年3月6日 - 1996年4月21日)は、日本の土木系都市計画家。都市計画研究者。早稲田大学理工学部教授。 東京出身。旧制武蔵高等学校から東京帝国大学工学部土木科に進学し1939年に卒業後、内務省都市計画地方委員会に入省し山口県に赴任。山口地方委員会に勤め都市計画を担当。その後1943年に海軍に勤務した。戦後は短期間武蔵工業専門学校講師を経て戦災復興で再び都市計画を担当することになり, 京都府や大阪府の都市計画課, 奈良県の道路課に足掛け11年奉職し, 1957年に建設省 (現国土交通省)に移る。途中2年ほど首都高速道路公団に出向したが, 技術審議官や都市局技術参事官を歴任し、1966年に中国地方建設局長(現中国地方整備局長)で退官するまで、都市計画と道路の分野で活躍した。
高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1… 高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1985年6月30日)は、日本の物理学者。日本のコンピュータのパイオニア。理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。文化功労者。正四位勲二等旭日重光章に叙される。東京府豊多摩郡代々幡村(現・東京都渋谷区代々木)生まれ。 父の高橋穣は、心理学者・倫理学者で東北帝国大学教授や学習院大学教授を務めた。心理学者・元良勇次郎の孫。船舶工学者・元良誠三の従兄。 1937年に東京帝国大学(現・東京大学)理学部物理学科を卒業し、助手に就任。1942年に助教授に、1957年に教授に昇任した。 早くから電磁気学、特に回路論的思考を深く身につけ、分野にとらわれない自由な発想で数多の卓越した研究を行った。
梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 19… 梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 1986年12月25日)は、日本の医学者、細菌学者、文化勲章受章者。 福井県小浜市生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学医学部卒業。卒業後、当時の東京帝国大学医学部細菌学教室、東京帝国大学付属伝染病研究所に勤務。1947年国立予防衛生研究所設立とともに初代抗生物質部長に就任。1954年以降は、東京大学応用微生物研究所教授(兼務)となる。 ペニシリンの国産化に尽力し、1956年、国産初の抗生物質カナマイシンを発見、精製。カナマイシンは、ストレプトマイシンの効きにくい耐性菌にも効果のある抗生物質として世界的に用いられた。当時の厚生大臣橋本龍伍の計らいにより、このカナマイシンの特許料を基金として、1959年財団法人微生物化学研究会を設立、理事長に就任。
三浦 一郎(みうら いちろう、1914年6月6日 - 200… 三浦 一郎(みうら いちろう、1914年6月6日 - 2006年3月13日)は、日本の西洋史学者・エッセイスト。元茨城大学教授、上智大学名誉教授。 東京府豊島師範学校附属小学校、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学西洋史卒業。 戦後新制成蹊高等学校教諭を経て、茨城大学助教授、1966年同大学教授、1970年上智大学教授、1980年同大学特別待遇教授、1985年退職、同大学名誉教授。ギリシア古代西洋史を専門とするが、『世界史こぼれ話』が角川文庫に収められて人気を博した。 没年91。葬儀は日本基督教団高輪教会、喪主は長男の三浦久利夫(くりお)。
杉本 俊朗(すぎもと としろう、1913年10月1日 - 2… 杉本 俊朗(すぎもと としろう、1913年10月1日 - 2012年9月27日)は、マルクス経済学者。横浜国立大学名誉教授。専門は国際経済学、経済書誌学。経済学者の平田喜彦は娘婿。 神戸市生まれ。1934年武蔵高等学校高等科文科乙類卒業。東京帝国大学経済学部に入学。大内兵衛ゼミで学ぶ。東京学生消費組合赤門支部の委員として活動。1937年に大学を卒業し、東洋経済新報社編集局に勤務。1940年に東洋経済記者の禰屋不二夫が石橋湛山主幹の京城支局への転勤命令を断り、9月9日付で退社。同僚若手記者らは石橋のワンマンぶりに反発し、杉本俊朗、細野宰男(のち細野武男に改名)、遊部久蔵、中野正の4名が9月13日付で退社した(のちに国松藤一も退社。
2代目根津 嘉一郎(2だいめ ねづ かいちろう、1913年(… 2代目根津 嘉一郎(2だいめ ねづ かいちろう、1913年(大正2年)9月29日 - 2002年(平成14年)2月15日)は、日本の実業家。根津財閥の二代目総帥。東武鉄道社長。日本陶磁協会第6代理事長。戦前から平成にかけて東武鉄道の社長を約53年務め、会長になった後も同社の経営を指揮してきた。「東武鉄道中興の祖」と称される。 初代根津嘉一郎の長男。初代嘉一郎が数え54の年に生まれた初の男子で唯一の実子である。出生名は根津 藤太郎(ねづ とうたろう)。 山梨県に生まれ、青南小学校から父の設立した武蔵高等学校へ進学。在学中は剣道部に在籍し、同期に佐々木陽信、広瀬真一がいた。その後東京帝国大学に進学、1936年(昭和11年)3月に経済学部を卒業した。
薬師寺 厚(やくしじ ひろし、1913年7月2日 - 199… 薬師寺 厚(やくしじ ひろし、1913年7月2日 - 1998年12月8日)は、日本の建築家。佐野利器の女婿。 岡山県出身。父の薬師寺主計は大原美術館などを設計した建築家である。1932年(昭和7年)私立武蔵高等学校卒業後、1937年(昭和12年)、東京帝国大学工学部建築学科を卒業(同期に丹下健三らがいる)。 逓信省(当時)に入省し山田守に薫陶を受ける。郵政省(当時)の建築部長を経て1964年(昭和39年)退官した。その後藤田建設に入社し、1965年常務、1971年専務、1979年顧問、1982年監査役を務めた。1983年、勲三等瑞宝章受章。
大堀 弘(おおほり ひろむ、1913年5月3日 - 1985… 大堀 弘(おおほり ひろむ、1913年5月3日 - 1985年5月12日)は、日本の商工官僚。電源開発総裁、共同石油社長。大堀孝の長男。 和歌山市出身。高輪尋常小学校、旧制武蔵高校を経て、1936年に東京帝国大学法学部卒業、同年、商工省入省。貿易局属。同期に小室恒夫(通商局長、新日鉄化学社長)、村田恒、皆川良三(札幌通産局長)、永野量、佐藤清一(共に東京通産局長)など。 戦後の1948年兵器処理委員会に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。のち商工省から新制通産省と改称の後もしばらくは、吉田茂や白洲次郎、初代通産省官房長の永山時雄らの「外交派」・「通商派」らが実権を握っていたが、その後の朝鮮特需によりジョゼフ・ドッジらの自由経済から方向転換、主流の「産業派」もしくは「統制派」の復権後は、永山が東京通産局に、大堀も中小企業庁長官ののち経済企画庁に出された。
太田 博太郎(おおた ひろたろう、1912年11月5日 - … 太田 博太郎(おおた ひろたろう、1912年11月5日 - 2007年1月19日)は、日本の建築史家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。九州芸術工科大学学長等をつとめた。 1912年、東京生まれ。誠之小学校を経て、1932年旧制武蔵高等学校を卒業。この頃から建築史に関心を深め、奈良・京都の古建築に親しんだ。1935年、卒業論文「東大寺南大門の研究」を提出して、東京帝国大学工学部建築学科を卒業した。 1937年、妙成寺国宝建造物修理事務所助手となり、1939年、法隆寺国宝保存工事事務所助手となる。1943年、東京帝国大学助教授に就任。1960年、東京大学教授。1957年、学位論文『中世建築の基礎的研究』を東京大学に提出して工学博士の学位を取得。
亀井 孝(かめい たかし、1912年6月3日 - 1995年… 亀井 孝(かめい たかし、1912年6月3日 - 1995年1月7日)は、日本の国語学者、言語学者。一橋大学名誉教授。 東京府生まれ。ユーラシア史学者・亀井高孝の長男。哲学者・亀井裕は弟 慶應義塾幼稚舎、武蔵高等学校 (旧制)を経て、1935年東京帝国大学文学部卒業。1938年同大学大学院を中退し、同大助手に就任。東京商科大学(のちの一橋大学)予科非常勤講師、同教授を経て、戦後、一橋大学助教授を経て教授。1977年定年退官し、名誉教授になる。成城大学教授、1984年に東洋文庫研究員となる。 「国語学よ、死して生れよ」をテーゼとし、方法論それ自体に対する手厳しい批判精神に満ちていた。いわば「学問の在り方を問う立場の飽くなき提示」という知的運動こそが、亀井の学問の真骨頂であった。
久保 正幡(くぼ まさはた、1911年11月26日 - 20… 久保 正幡(くぼ まさはた、1911年11月26日 - 2010年1月20日)は、日本の法制史学者。東京大学名誉教授。西洋法制史専攻。 栃木県出身。1931年に武蔵高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部入学。1934年に法律学科を卒業。助手を経て、1936年に助教授、1946年教授。1951年「サリカ法典」で日本学士院賞受賞。1954年「フランク時代におけるゲルマン法とローマ法」で東京大学法学博士。1965年東大法学部長。1972年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。1982年退職。日本学術会議会員、宗教法人審議会委員。
藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997… 藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997年1月31日)は、日本のドイツ語学者、東京外国語大学名誉教授。 東京都生まれ。1931年武蔵高等学校卒業、東京帝国大学法学部入学、1935年同文学部独文科卒業、大学院進学、副手、1936年武蔵高校教授、1938年広島高等学校教授、1942年東京外国語学校教授、東京外国語大学助教授、1956年教授、1973年定年退官、麗澤大学教授、1982年退職。
磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月… 磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月29日 - 2004年〈平成16年〉)は、日本の法学者。民法、法社会学を専攻し、東京教育大学文学部教授などを歴任した。 1910年、東京に生まれる。旧制武蔵高校を経て東京帝国大学法学部に進む。1934年に卒業後同大学院に進学し民法を専攻、1939年に修了した。大学院修了後、地租改正資料整備会委員になり、同年10月から、国際文化振興会で、『英文日本百科事典』の編集に携わる。1941年に社会事業研究所に入所し、1943年から日本敗戦まで、北京近郊河北口の西北研究所員として、モンゴルで調査研究をした。敗戦のためウランバートルで抑留生活を送る。
黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月… 黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月25日 - 1986年〈昭和61年〉10月11日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、内閣官房長官。1981年勲一等瑞宝章受章。父親は戦前の立憲民政党代議士の黒金泰義。 山形県米沢市出身(北海道生まれ)。旧制武蔵高校を経て、東京帝国大学法学部に入学。肺結核に罹患し4年間、病床で過ごしたため、ひとの倍をかけ大学を卒業する。 高等文官試験に一番で合格し、1935年に大蔵省に入省。理財局属。戦後、津島寿一、池田勇人両蔵相の秘書官を務める。父の死後は、米沢に近い赤湯町(現・南陽市)出身の結城豊太郎が後見役を担ったほか、郷里の偉材である池田成彬とも接する機会が多かった。
梅澤 純夫(うめざわ すみお、1909年11月22日 - 2… 梅澤 純夫(うめざわ すみお、1909年11月22日 - 2000年3月30日)は、日本の有機合成化学者。専門は抗生物質。慶應義塾大学名誉教授。 東京都生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、北海道帝国大学理学部卒業。北海道帝国大学助教授、藤原工業大学助教授を経て、1944年慶應義塾大学工学部(現理工学部)教授となる。 1944年「ペニシリン委員会」のメンバーとして、次弟の梅澤濱夫博士と共同で研究にあたり、日本初のペニシリン採取に成功。ペニシリン、ストレプトマイシン等の抗生物質の研究で世界的に知られる。また、梅澤濱夫らが発見した国産初の本格的抗生物質カナマイシンの化学構造の決定に寄与した。世界に先駆け、ストレプトマイシン(1974年)その他の数多くの抗生物質の全合成を達成し、日本の有機合成化学、抗生物質の研究をリードした。
岡本 舜三(おかもと しゅんぞう、1909年11月3日 - … 岡本 舜三(おかもと しゅんぞう、1909年11月3日 - 2004年4月14日)は、日本の応用力学者、文化功労者。埼玉大学第5代学長(1974年 - 1980年)。埼玉大学名誉教授。耐震工学の専門家。東京府出身。
太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 19… 太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 1996年11月15日)は、昭和・平成期の歌人、漢文学者、法政大学名誉教授。専門は中国詩学。文学博士。歌誌『潮音』主宰。妻(後妻)は歌人の太田絢子。青丘の娘は京都大学国語国文科卒の木村雅子(生母は満喜子)で『潮音』現主宰。 長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)生まれ。本名・兵三郎(ひょうざぶろう)。太田水穂の兄・嘉曾次の三男で、父の没後に水穂・四賀光子夫妻の養子となる。当初は漢詩の創作から始まり、1928年(昭和3年)水穂の歌誌『潮音』に入会。旧制武蔵高等学校を経て、1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部中国文学科卒。東大大学院をへて文部省国民精神文化研究所所員。
宇野 利泰(うの としやす、1909年4月21日 - 199… 宇野 利泰(うの としやす、1909年4月21日 - 1997年1月6日)は、日本の翻訳家。日本文芸家協会、日本推理作家協会、各会員。 本名、太田 稔治(おおた としじ)。ペンネームは、江戸川乱歩の土曜会で知り合った翻訳家阿部主計が、タバコの「Union Leader」をもじって命名したもの。書籍によっては、太田 稔(おおた みのる)、多田 雄二(ただ ゆうじ)などの別名義を用いることもあった。 東京市神田区生まれ。実家は太田鉄工所を経営し、裕福な一家に生まれ育つも、宇野の代で工場は人手に渡っている。旧制武蔵高等学校を経て、1932年東京帝国大学独文科卒。 田園調布(4の70)の自宅の隣人は石坂洋次郎であり、海外推理小説に詳しかったことから江戸川乱歩の知遇を得、雑誌『宝石』(岩谷書店)の創刊に貢献。
武蔵会(むさしかい)とは、旧制武蔵高等学校および新制武蔵高等… 武蔵会(むさしかい)とは、旧制武蔵高等学校および新制武蔵高等学校の卒業者を普通会員、教職員を特別会員とする同窓会組織。 正式名称は武蔵高等学校同窓会。武蔵会は、武蔵高等学校中学校の教育活動支援および会員の一層の社会的地位向上を目的とした組織である。現存する会員数は1万人余り。年1回の総会(会場:学士会館)をはじめ、職域別・地域別に分かれた諸会合が設置されており、政界・財界・学界など幅広い分野で社会的影響力を持つ。なお例年、会報および名簿の発行を行っている。
荻野 晴朗 は、日本の男性声優。東京都出身。賢プロダクション… 荻野 晴朗 は、日本の男性声優。東京都出身。賢プロダクション所属。東京声優・国際アカデミー講師で、アニメアフレコ実習を担当。
ささき いさお は、日本の男性歌手、俳優、声優、ナレーター、… ささき いさお は、日本の男性歌手、俳優、声優、ナレーター、ラジオパーソナリティ、司会者。
松尾 明弘 は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)を務… 松尾 明弘 は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)を務めた。
四方 浩 は、日本の経営者。群馬銀行頭取を務めた。
大塚 紀男 は、日本の経営者。日本精工社長、会長を務めた。
田中 千秋 は江戸時代後期の佐渡奉行所地役人。佐渡田中家12… 田中 千秋 は江戸時代後期の佐渡奉行所地役人。佐渡田中家12代。
清水 アキラ は、日本のものまねタレント、お笑いタレント。本… 清水 アキラ は、日本のものまねタレント、お笑いタレント。本名は清水 章(読み同じ)。清水エイジェンシー所属。
黒河内 豊 は、日本の実業家。元新聞記者。