スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
福嶋 伸洋(ふくしま のぶひろ、1978年 - )は、日本の… 福嶋 伸洋(ふくしま のぶひろ、1978年 - )は、日本のブラジル文学者、共立女子大学准教授。 新潟県生まれ。新潟県立長岡高等学校卒業、2001年東京大学文学部西洋近代語・近代文学科卒業、東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程単位取得退学。2009年「魔法使いの国の掟 リオデジャネイロの詩と時」で博士(学術)。共立女子大学文芸学部専任講師を経て、准教授。NHKポルトガル語入門、ポルトガル語ステップアップの講師を務めた。2018年8月『群像』に小説「永遠のあとに来る最初の一日」を発表した。2022年、クラリッセ・リスペクトール『星の時』の翻訳で第8回日本翻訳大賞を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
依田 高典(いだ たかのり、1965年7月29日 - )は、… 依田 高典(いだ たかのり、1965年7月29日 - )は、日本の経済学者、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は応用経済学。新潟県生まれ。
安達 栄司(あだち えいじ、1965年 - )は、日本の法学… 安達 栄司(あだち えいじ、1965年 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。立教大学法学部教授。新潟県長岡市出身。 1983年、新潟県立長岡高等学校卒業、1987年、立命館大学法学部法学科卒業。1989年、早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了、1995年、早稲田大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。在学中にドイツのケルンに留学した。1995年、静岡大学人文学部法学科助教授、2002年4月 成城大学法学部助教授、2004年、同教授。同年、弁護士登録(第二東京弁護士会)。2010年、立教大学大学院法務研究科教授。
中静 透(なかしずか とおる、1956年3月8日 - )は、… 中静 透(なかしずか とおる、1956年3月8日 - )は、日本の森林生態学者。京都大学生態学研究センター教授、東北大学学術資源研究公開センター植物園長等を経て、国立研究開発法人森林研究・整備機構理事長。第一回みどりの学術賞受賞者。本名は、浅野 透。
斎藤 馨(さいとう かおる、1955年5月 - )は、日本の… 斎藤 馨(さいとう かおる、1955年5月 - )は、日本の造園学者、環境学者。東京大学名誉教授。東京農業大学教授。 新潟県長岡市生まれ。新潟県立長岡高等学校を経て、1981年千葉大学園芸学部造園学科卒業。1983年東京大学大学院農学系研究科林学専攻修士課程修了。1986年同博士課程単位取得退学、プレック研究所研究員。1987年同主任研究員。1989年東京大学農学部附属演習林助手。1994年東京大学農学部附属演習林講師、農学博士。1995年東京大学農学生命科学研究科森林科学専攻助教授。1999年東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻助教授。2010年同教授。東京大学秩父演習林の記録を続け、発信システムの開発などを行い、2011年には本多静六賞を受賞した。
山本 健兒(やまもと けんじ、1952年 - )は、日本の経… 山本 健兒(やまもと けんじ、1952年 - )は、日本の経済地理学者。九州大学経済学研究院特任研究者、名誉教授。専門分野は、産業配置論、経済地理、社会地理。名は「健児」と表記されることもある。 新潟県生まれ。新潟県立長岡高等学校を経て1974年、一橋大学社会学部卒業。1980年、東京大学大学院理学系研究科博士課程退学。この間、1977年から1979年にかけて、ドイツ学術交流会 (DAAD) 奨学生としてミュンヘン工科大学に学ぶ。 高知大学人文学部を経て、法政大学経済学部の教員となり、経済地理などを担当。 1988年から1990年にかけて、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団研究員として、ミュンヘン工科大学で研究に従事する。
石積 勝(いしづみ まさる、1950年7月11日 - )は、… 石積 勝(いしづみ まさる、1950年7月11日 - )は、日本の政治学者。元神奈川大学学長。専門は政治学、国際関係論。 1950年7月新潟県生まれ、新潟県立長岡高等学校卒業。上智大学外国語学部英語学科を卒業後、トロント大学政治学研究科修士課程進学、政治学修士。丸紅株式会社、国際連合本部事務局職員、国際大学専任講師、東洋女子短期大学助教授を経て、1989年神奈川大学経営学部助教授赴任後、1992年教授。国際交流センター所長、経営学部長、副学長などを歴任。その間、2002年に実施された第42回衆議院議員補欠選挙において、新潟5区から無所属(民・由・社推薦)で立候補するも落選。2013年4月に神奈川大学学長に就任(任期:2013年4月1日~2016年3月31日)。
丸山 久一(まるやま きゅういち、1948年(昭和23年) … 丸山 久一(まるやま きゅういち、1948年(昭和23年) - )は、日本の土木工学者。 新潟県小千谷市に生まれる。新潟県立長岡高等学校を経て、1972年(昭和47年)東京大学工学部土木工学科を卒業し、1974年(昭和49年)東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻修士課程を修了する。ついで1979年(昭和54年)テキサス大学大学院博士課程を修了し、同年長岡技術科学大学工学部講師となり、同助教授、マニトバ大学客員准教授を経て、1994年(平成6年)長岡技術科学大学工学部教授となった。その後、2004年(平成16年)同大理事・副学長に就任した。 そのほか、2016年(平成28年)から2年間にわたり第27代日本コンクリート工学会会長を務めた。
北原 和夫(きたはら かずお、1946年5月4日 - )は、… 北原 和夫(きたはら かずお、1946年5月4日 - )は、日本の物理学者、牧師。専門は熱力学、統計物理学、科学教育。東京理科大学教授。東京工業大学名誉教授。国際基督教大学名誉教授。第58期日本物理学会会長。 1946年5月4日に、新潟県長岡市に生まれた。新潟県立長岡高等学校卒業。 1969年に東京大学理学部物理学科を卒業した後、同大学大学院理学研究科の修士課程を修了した。その後、同大学院の博士課程を中途退学し、1971年からベルギー政府給費生として、ブリュッセル自由大学に留学した。1974年にそこで理学博士号を取得した。 マサチューセッツ工科大学で研究員を経験した後、1976年に東京大学理学部の助手に着任した。
宮本 久雄(みやもと ひさお、1945年2月23日 - )は… 宮本 久雄(みやもと ひさお、1945年2月23日 - )は、日本の神学者・哲学者。東京大学名誉教授。東京大学教養学部教授・上智大学教授を経て、東京純心大学教授。カトリック教会司祭ドミニコ会修道士。 新潟県生まれ。新潟県立長岡高等学校卒。1970年東京大学文学部哲学科卒、1972年東京大学大学院修士課程修了。カナダ・オンタリオ州立哲学神学大学で学び1980年神学修士。1981年仏立エルサレム聖書学研究所名誉学士。パリ第4大学及びパリ・カトリック神学院においてスタニスラス・ブルトンに学び、1982年東京大学教養学部助教授。1991年東京大学大学院総合文化研究科教授。2001年『他者の原トポス 存在と他者をめぐるヘブライ・教父・中世の思索から』により翌2002年博士(学術)(東京大学)の学位を取得。
高橋 実(たかはし みのる、1940年7月4日 - 2023… 高橋 実(たかはし みのる、1940年7月4日 - 2023年9月26日)は、日本の郷土史家、小説家。『北方文学』同人。 新潟県刈羽郡上小国村楢沢生まれ。長岡高等学校卒、1963年新潟大学教育学部卒。「北越雪譜」の著者・鈴木牧之を在学中から研究し、1964年牧之を題材とした「雪残る村」(『文学北都』)で第52回芥川賞候補。新潟県内の中学校教諭、新潟県立小千谷西高等学校、新潟県立小千谷高等学校教諭を長年務め、2001年定年退職。新潟県の地方文化人として、新潟県民俗学会常任理事、『十日町市史』調査員や県立新潟女子短期大学非常勤講師を歴任する。
古城 利明(ふるき としあき、1939年1月10日 - )は… 古城 利明(ふるき としあき、1939年1月10日 - )は、日本の社会学者、中央大学名誉教授。専門分野は政治社会学、地域社会学である。新潟県生まれ。 1957年新潟県立長岡高等学校卒業。1962年東京大学文学部社会学科卒業、1965年3月東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。同年4月東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。1965年4月東京大学文学部助手、1967年中央大学法学部講師、1969年同法学部助教授を経て、1975年より中央大学法学部教授。東京大学・一橋大学・東京都立大学 (1949-2011)・立教大学・成蹊大学・北海道大学・名古屋大学・東京女子大学・新潟大学で講師も務めた。1994年中央大学社会科学研究所長。
青柳 卓雄(あおやぎ たくお、1936年2月14日 - 20… 青柳 卓雄(あおやぎ たくお、1936年2月14日 - 2020年4月18日)は、日本の医用工学者。新潟県新発田市生まれ、同県三島町(現・長岡市三島地区)育ち。日本光電工業でのパルスオキシメーターの原理の発見と装置の発明で知られる。 1936年2月14日、新潟県新発田市にて、数学および電気工学の教師の父・紋七と専業主婦だった母・タツのもとに生まれ、2男2女の4人の兄弟姉妹の次男である。 1954年に新潟県立長岡高等学校を、1958年に新潟大学工学部電気工学科を卒業。 卒業研究担当の恩師(淀川寛)の推薦で島津製作所に入社した。当初は中央研究所の電子工学研究室に配属され、特に半導体応用電子機器の開発に従事した。
廣川 洋一(ひろかわ よういち、1935年1月19日 - 2… 廣川 洋一(ひろかわ よういち、1935年1月19日 - 2019年11月8日)は、日本の哲学者。筑波大学名誉教授。専攻は西洋哲学。古代ギリシア哲学が専門。 新潟県出身。1954年新潟県立長岡高等学校卒業。1958年東京教育大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。田中美知太郎、松平千秋、藤沢令夫らに学ぶ。1977年京都大学で博士号を取得。同年から翌年までロンドン大学研究員。 東海大学文学部助教授、教授を経て、1988年筑波大学哲学・思想学系教授、1999年定年退官、名誉教授。龍谷大学文学部教授。2005年退任。 2019年11月8日、前立腺がんのため死去。83歳没。
大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 202… 大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 2020年1月20日)は、日本の英文学者、早稲田大学名誉教授。位階は正五位。 新潟県長岡市生まれ。1954年新潟県立長岡高等学校卒、1959年早大文学部英文科卒、1964年同大学院博士課程満期退学。早稲田大学文学部助教授を経て教授。2003年定年、名誉教授。2014年、瑞宝中綬章受章。正五位。 シェイクスピア、エリザベス朝演劇が専門。 2020年1月20日死去。86歳没。没後に正五位に追叙された。
伊東 多三郎(いとう たさぶろう、1909年2月10日 - … 伊東 多三郎(いとう たさぶろう、1909年2月10日 - 1984年10月29日)は、日本史学者、東京大学名誉教授。専門は日本近世史。研究分野は、近世の文化史・社会史から政治史に、そして経済史にまで及ぶ広範囲なものであった。この他、自治体史編纂にも積極的に取り組み、『水戸市史』『小千谷市史』『新潟県史』の編纂に関わった。 新潟県古志郡富曽亀村亀貝(のち長岡市亀貝町)に伊東三次郎の長男として生まれた。1921年旧制長岡中学入学、1925年旧制新潟高等学校文科乙類入学、1928年卒業。1931年東京帝国大学文学部国史科卒業、大倉精神文化研究所の嘱託となる。翌1932年に卒業論文『国学の史的考察』(大岡山書店、1932年)を刊行し、東京帝国大学文学部史料編纂所嘱託。
矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2… 矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2001年2月22日)は、日本の社会政策学者。中央大学名誉教授。中央大学経済学部長や、社会政策学会代表幹事を務めた。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)を経て、1931年東京商科大学(現一橋大学)学部卒業。井藤半彌ゼミ出身。1958年から1960年まで第5期社会政策学会代表幹事。1963年から1967年まで中央大学経済学部長。1970年から1972年まで第11期社会政策学会代表幹事。中央大学バドミントン部部長なども務めた。中央大学定年後、1986年まで亜細亜大学教授。2001年2月22日、急性肺炎のため死去。
熊谷 洋(くまがい ひろし、1904年10月17日 - 19… 熊谷 洋(くまがい ひろし、1904年10月17日 - 1992年11月11日)は、昭和・平成期の医師、薬理学者。 東京大学医学部教授。東京大学医学部長。日本医師会副会長。日本医学界会長。東京大学薬学科薬品作用学教室の初代教授。医学界や薬理学界の多くの人材を育てた。旧姓 瀬水。 新潟県長岡市出身。旧制新潟県立長岡中学校卒。旧制新潟高校卒業。1930年(昭和5年)東京帝国大学医学部医学科卒業。1943年(昭和18年)薬理学教室講師のままジャカルタに赴任し、日本占領下のオランダ領東インド・ジャカルタの医科大学(ジャワ高等医学校)で医学の教授にあたる。1946年(昭和21年)復員、同年から1957年(昭和32年)まで東京大学医学部薬学科薬品作用学教室の初代教授を兼任。
黒田 亮(くろだ りょう、1890年1月30日 - 1947… 黒田 亮(くろだ りょう、1890年1月30日 - 1947年1月5日)は、大正-昭和前半の日本の心理学者。動物心理学のほか、勘、禅、中国思想などの幅広い研究がある。 1890年(明治23年)1月30日新潟県南魚沼郡石打村(現南魚沼市)生まれ。旧制長岡中学、旧制第一高等学校を経て1815年(大正4年)東京帝国大学文科大学哲学科(心理学専修)卒業。旧制新潟高等学校教授などを経て1926年(昭和元年)京城帝国大学助教授、1928年(昭和3年)教授となり1942年(昭和17年)まで務める。退官後は著述活動に専念。1947年(昭和22年)岐阜県にて死去。 京城帝大時代には、『勘の研究』(1933(昭和8)年、『続・勘の研究』1938(昭和13)年)、『心理学概論』(1935(昭和10)年)、『動物心理学』(1936(昭和11)年)などの著作や論文を書くかたわら、随想なども著した。
谷口 腆二(たにぐち てんじ、1889年〈明治22年〉2月1… 谷口 腆二(たにぐち てんじ、1889年〈明治22年〉2月15日 ‐ 1961年〈昭和36年〉2月12日)は、日本の医師、細菌学者。 新潟県長岡市出身。旧姓、藤田。医学博士(1923年) 大阪大学微生物研究所の設立に尽力し、第3代所長となった。設立においては、関西を代表する実業家、山口玄洞(やまぐち げんどう)の支援を受けた。「喧嘩谷口」というあだ名で呼ばれた大阪大学医学部の昭和初期の「名物」研究者で、微生物病研究所の設立など大阪大学の研究機関としての地位向上に貢献した。山村雄一元大阪大学総長もその免疫学の授業について「体が震えるくらい興奮した」「斬新で魅力的であった」と記している。 1906年に新潟県立長岡中学校(旧制)を卒業。
鶴見 一之(つるみ かずゆき 1881年(明治14年)11月… 鶴見 一之(つるみ かずゆき 1881年(明治14年)11月 - 1959年(昭和34年)10月12日)は、日本の土木工学者。仙台高等工業学校(東北大学工学部の前身)と東北帝国大学で教授、仙台高等工業学校・仙台工業専門学校では校長を務めた。 東北土木学会の設立等に尽力し、仙台工専の後継となる東北大学工学部土木工学科の礎を築いた。 新潟県士族、鶴見保四郞の長男として生まれ、1900年(明治33年)3月古志郡立長岡中学校(現在の新潟県立長岡高等学校を卒業した。1906年(明治39年)東京帝国大学工科大学土木科を卒業し、仙台高等工業学校教授となる[要出典]。 長岡市の下水道整備事業や、仙台市の上下水道事業[要出典]に携わった。
森 総之助/森 總之助(もり そうのすけ、1876年5月11… 森 総之助/森 總之助(もり そうのすけ、1876年5月11日-1953年4月23日)は、明治-昭和期の物理学者・教育者。 高知県香美郡野市村(現在の香南市)出身。1892年高知尋常中学校を卒業後、第三高等学校・第二高等学校を経て1899年に東京帝国大学理科大学を卒業する。 卒業後、新潟県立長岡中学校教諭になるが、1901年に第三高等学校教授に迎えられる。 「森総」の愛称を持ち、多くの物理学の著書を著したことから、その著書は”森総の物理学"の異名を得た。また、教育者としても湯川秀樹や朝永振一郎などを物理を教えて彼らに大きな影響を与えたとされる。 1935年、同じ高知県出身でもある前任の校長・溝淵進馬の急逝を受けて第三高等学校校長に就任する。
日比 忠彦(ひび ただひこ、1873年(明治6年)1月20日… 日比 忠彦(ひび ただひこ、1873年(明治6年)1月20日 - 1921年(大正10年)6月1日)は、日本の構造家、建築系構造工学者、京都帝国大学工学部教授。 専門は建築材料学・構造建築学・材料強弱学などで、鉄筋コンクリート建築の権威と呼ばれた。 福井県士族日比登の二男として生まれる。磯部尚は実弟である。明治18年、長岡学校(現在の新潟県立長岡高等学校)に入学。明治30年、帝国大学工科大学土木科を卒業し工学士となり、京都帝国大学理工科大学助教授となる。 明治35年土木工学硏究のためドイツに留学、明治37年帰国し工学博士の学位を取得。大正3年7月京都帝国大学工学部工科大学教授。 京都大学旧工学部建築学教室本館(総合研究15号館)等の構造設計を手がける。
小野塚 喜平次(おのづか きへいじ、1871年2月10日〈明… 小野塚 喜平次(おのづか きへいじ、1871年2月10日〈明治3年12月21日〉 - 1944年〈昭和19年〉11月27日)は、明治後期から昭和前期の政治学者。日本初の政治学者の一人とされる。東京帝国大学総長。 1871年、柏崎県古志郡長岡城下上田町(現:新潟県長岡市上田町)に生まれる。級友の身代わりに校長排斥事件の責任をとって長岡中学校を中途退学後に上京し、共立学校から一高を経て、1895年(明治28年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進んだ。 1897年(明治30年)文部省から在外研究を命ぜられ、ヨーロッパに留学。1901年(明治34年)帰国後に日本初となる政治学講座の教授となる。
井上 円了(旧字体: 井上 圓了、いのうえ えんりょう、18… 井上 円了(旧字体: 井上 圓了、いのうえ えんりょう、1858年3月18日(安政5年2月4日) - 1919年(大正8年)6月6日)は、日本の哲学者、教育者。 明治日本に哲学を広めた人物の一人。哲学館(現、東洋大学)や哲学堂公園を設立した。仏教哲学や妖怪学にも業績がある。 1858年(安政5年)、越後長岡藩領の三島郡浦村(現・新潟県長岡市浦)にある慈光寺に生まれる。幼名、岸丸。父は円悟、母はイク。 16歳で長岡洋学校に入学し、洋学を学んだ。1877年(明治10年)、東本願寺の教師学校に入学する。1878年(明治11年)東本願寺の国内留学生に選ばれ上京し、東京大学予備門に入学する。その後東京大学に入学し、文学部哲学科に進んだ。