スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
谷山 洋三(たにやま ようぞう、1972年 - )は、日本の… 谷山 洋三(たにやま ようぞう、1972年 - )は、日本の宗教学者、東北大学准教授。 金沢市生まれ。金沢泉丘高等学校卒業、1994年東北大学文学部哲学科(印度学仏教史専攻)卒業。2000年同大学院博士課程修了、「バルアの仏教と社会 バングラデシュの仏教徒の現状」で文学博士。長岡西病院ビハーラ病棟ビハーラ僧、2003年四天王寺国際仏教大学専任講師、08年四天王寺大学(校名変更)准教授、2009年聖トマス大学准教授、2010年上智大学特任准教授・グリーフケア研究所主任研究員、2012年東北大学文学研究科実践宗教学寄附講座准教授。
山本 量一(やまもと りょういち、1965年 - )は、日本… 山本 量一(やまもと りょういち、1965年 - )は、日本の化学工学者。京都大学大学院工学研究科化学工学専攻教授。 石川県金沢市生まれ。1984年石川県立金沢泉丘高等学校卒業。1988年神戸大学工学部化学工学科卒業。神戸大学体育会サッカー部出身。同年本田技研工業和光研究所所員。1989年退社。 1992年神戸大学大学院工学研究科修士課程化学工学専攻修了。1994年京都大学大学院工学研究科博士後期課程分子工学専攻中退、神戸大学大学院自然科学研究科物質科学専攻助手。 1996年京都大学より博士(工学)の学位を取得。1996年京都大学大学院理学研究科物理学・宇宙物理学専攻助手。 2000年京都大学大学院理学研究科物理学・宇宙物理学専攻講師。
山野 之義(やまの ゆきよし、1962年〈昭和37年〉3月3… 山野 之義(やまの ゆきよし、1962年〈昭和37年〉3月30日 - )は、日本の政治家、金沢大学客員教授。公選第21代石川県知事。金沢市長(3期)、金沢市議会議員(4期)を歴任した。 石川県金沢市生まれ。金沢市立中央小学校、金沢市立野田中学校卒業。1980年3月、石川県立金沢泉丘高等学校卒業。1987年3月、慶應義塾大学文学部仏文科を卒業。1990年4月、ソフトバンクに入社。1994年8月31日、ソフトバンクを退社。 1995年4月の金沢市議会議員選挙に立候補し初当選。以後連続4選。市議時代は自民党に所属した。 2010年11月9日に市議を辞職。自民党を離党した上で自民党金沢支部・日本創新党の推薦を受けて金沢市長選挙に立候補。
玉野 和志(たまの かずし、1960年 - )は、日本の社会… 玉野 和志(たまの かずし、1960年 - )は、日本の社会学者。放送大学教授。専攻は地域社会学・都市社会学。 1960年、石川県金沢市に生まれる。1979年、石川県立金沢泉丘高等学校卒業。1983年、東京都立大学人文学部人文学科社会学専攻卒業。1985年、東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。2005年、東京都立大学より博士(社会学)の学位を取得。 流通経済大学講師、同助教授、東京都立大学助教授を経て、2008年首都大学東京教授。2023年より放送大学教授。 2007年、日本都市社会学会賞を受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松野 博明(まつの ひろあき、1958年11月8日 - )は… 松野 博明(まつの ひろあき、1958年11月8日 - )は、日本の医学者、リウマチ専門医・指導医、整形外科医。2010年に日本臨床リウマチ学会の理事に就任し、2011年には富山市において日本リウマチ実地医会会長を務める。 米国整形外科学会トラベリングフェローとしてカルフォルニア大学、ハーバード大学、レノックス病院整形外科を訪問文部省短期在外研究員・日本リウマチ財団交換留学生として英国ロンドン大学リウマチ科留学
藤田 英典(ふじた ひでのり、1944年5月6日 - )は、… 藤田 英典(ふじた ひでのり、1944年5月6日 - )は、日本の教育学者。第14代都留文科大学学長(2020年 - 2023年)。東京大学名誉教授。共栄大学名誉教授。専門は教育社会学。 東京都生まれ、石川県金沢市育ち。1964年に石川県立金沢泉丘高等学校(椎間板ヘルニアによる入院で1年留年)、1969年に早稲田大学政治経済学部を卒業。大手銀行勤務を経て、1975年に東京大学大学院教育学研究科(教育学専攻)修士課程修了、1978年にスタンフォード大学(教育系大学院)でPh.Dの学位を取得。 1976年度から名古屋大学教育学部助手、1979年度から助教授、1986年度から東京大学教育学部助教授、1992年から教授(2000年 - 2001年度 教育学部長)、2003年から2009年まで国際基督教大学教養学部教育学科教授、2009年立教大学文学部教授を経て、2011年より共栄大学教育学部教授(2011年 - 2014年度 教育学部長、2015年 - 2016年度 副学長)。
進村 武男(しんむら たけお、1943年 - )は、日本の工… 進村 武男(しんむら たけお、1943年 - )は、日本の工学者。宇都宮大学第18代学長、工学博士。研究分野は生産工学・精密加工・砥粒加工・磁気加工で、磁気研磨法の基礎と応用・強力磁気加工技術の研究開発・電気磁気複合精密加工法(ローレンツ力の利用,フレミングの左手の法則の利用)が研究テーマである。
川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018… 川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018年12月9日)は、日本の公認会計士、税理士、不動産鑑定士、司法書士、会計学者(監査論)。階級は陸軍少尉。学位は博士(会計学)(中央大学・2000年)。 公認会計士・税理士川北事務所代表、山梨学院大学教授、日本公認会計士協会会長、アジア太平洋会計士連盟会長、サンワ・等松青木監査法人会長、監査法人トーマツ会長、デロイトトウシュトーマツインターナショナル代表者会議議長、公認会計士川北・徳永事務所代表社員、東亜大学大学院総合学術研究科教授、日本内部統制研究学会会長、有限責任中間法人日本IPO実務検定協会理事長、宗和税理士法人代表社員などを歴任した。
溪内 謙(たにうち ゆずる、1923年9月2日 - 2004… 溪内 謙(たにうち ゆずる、1923年9月2日 - 2004年2月13日)は、日本の歴史学者、政治学者。専門はロシア/ソ連政治史。東京大学名誉教授。 石川県生まれ。金沢一中、四高を経て、1942年、東京帝国大学入学。約1年在学後の1943年12月、学徒出陣により、徴兵検査を受け、合格。大学を休学し、海軍の舞鶴海兵団へ入営し海軍二等水兵任官。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進む。同年10月に予備役編入・復員。その後、東京大学へ復学する。 復学から1年半後、1947年春に東京大学法学部を卒業し、大学院へ入学。
二木 秀雄(ふたき ひでお、1908年 - 1992年9月1… 二木 秀雄(ふたき ひでお、1908年 - 1992年9月18日)は、日本の細菌学者、医師、実業家、宗教家。 石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)卒業(34期)。 1936年3月から1937年12月まで、金沢医科大学 (旧制)(現金沢大学医学部)細菌学教室講師を務めた。1938年11月18日、金沢医科大学 (旧制)より医学博士号を取得。 のち大日本帝国陸軍技師となり、731部隊(関東軍防疫給水部本部)に所属、第一部第十一課結核班(二木班)班長。 1945年頃、金沢市で与論社を創設し、雑誌『パブリックオピニオン』を発行。1946年上京し、雑誌『日本与論』を発行した。同年、ジープ社社長として、右翼系政界誌『政界ジープ』を創刊。
高柳 真三(たかやなぎ しんぞう、1902年(明治35年)5… 高柳 真三(たかやなぎ しんぞう、1902年(明治35年)5月12日 - 1990年(平成2年)1月4日)は、日本の法制史学者、東北大学名誉教授。「高柳眞三」とも表記される。 石川県金沢市出身。1919年石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)卒業。1922年旧制第四高等学校、1925年東京帝国大学法学部卒業(恩師:中田薫 )。1925年東北帝国大学法文学部助手、1927年同助教授、1941年、東北帝国大学法文学部教授。1949年宮城県女子専門学校 (旧制)校長。1951年東北大学教養部長。1952年9月「明治家族法史」にて東北大学にて法学博士受く。1958年、東北大学法学部長。1966年、定年退官、名誉教授、岩手県立大学盛岡短期大学部学長。
中川 善之助(なかがわ ぜんのすけ、1897年〈明治30年〉… 中川 善之助(なかがわ ぜんのすけ、1897年〈明治30年〉11月18日 - 1975年〈昭和50年〉3月20日 )は、日本の法学者。東北大学名誉教授、金沢大学名誉教授。正三位勲一等。日本の家族法の権威である。 1897年、東京府(現・東京都)神田で生まれた。金沢第一中学校、第四高等学校を経て、東京帝国大学に進学。穂積重遠門下で法学を学び、1921年に東京帝国大学法学部を卒業。 1922年9月、東北帝国大学法文学部助教授に就任し、民法学第一講座を担当した。1927年、東北帝国大学法文学部教授に昇格。1940年、第2代仙台法経専門学校校長に任命された。以後、死去するまで同校校長を務めた。 1961年、東北大学を定年退官し、名誉教授となった。
神保 成吉(じんぼ せいきち、明治29年(1896年)2月2… 神保 成吉(じんぼ せいきち、明治29年(1896年)2月29日 - 昭和40年(1965年)11月7日)は、日本の電気工学者。 明治29年(1896年)、石川県金沢市にて、実業家・神保八十吉の長男として生まれる。金沢第一中学校、第四高等学校を経て、大正8年(1919年)、京都帝国大学電気工学科を卒業。 逓信省に入省し、同省電気試験所技師兼逓信局技師となる。昭和3年(1928年)、ドイツ、アメリカ、カナダへ留学。昭和4年(1929年)、電気試験所第1部長となり、陸軍技術本部嘱託を兼任。昭和7年(1932年)、誘導型積算電力計の研究で工学博士の学位を得る。昭和8年(1933年)10月、パリで開催された第8回万国度量衡総会に帝国委員(日本代表)として出席。
飯本 信之(いいもと のぶゆき、1895年3月14日 - 1… 飯本 信之(いいもと のぶゆき、1895年3月14日 - 1989年6月12日)は、日本の地理学者。お茶の水女子大学名誉教授。日本地理学会会長(1956年 - 1958年)。勲三等旭日中綬章(1969年)、従三位(1989年)。 昭和前期に政治地理学と地政学を開拓し、その研究を先導した。特に自然地理学中心の日本の地理学界を批判し、国内にドイツ地政学を導入・紹介して、その学問の制度的基礎をつくった。日本で初めて「地政学」という言葉を使用した人物である。 1895年3月14日、石川県金沢市大浦町で生まれる。大浦尋常小学校(後の金沢市立大浦小学校)、石川県立金沢一中(後の石川県立金沢泉丘高等学校)、帝国大学予科第四高等学校(後の金沢大学)を経た後、遊学の地を東京とし、1917年に東京帝国大学理科大学鉱物学科へ入学した。
畠山 一清(はたけやま いっせい、1881年(明治14年)4… 畠山 一清(はたけやま いっせい、1881年(明治14年)4月20日 - 1971年(昭和46年)11月17日)は、日本の実業家・機械工学者。株式会社荏原製作所の創立者。石川県金沢市出身。機械工学者・井口在屋の「渦巻ポンプに関する理論」をもとに「うずまきポンプ」を発明した。 1881年(明治14年)、金沢で能登の守護大名・能登畠山氏の血筋を引く家系に生まれる。東京帝国大学機械工学科を卒業後、1912年に恩師の井口在屋と共同でゐのくち式機械事務所を創業した。1920年(大正9年)にはポンプ販売の事業を発展させて荏原製作所を設立した。 畠山の発明は渦巻ポンプにとどまらず、発電用車、送風機、水中モーターポンプなど数十種の製品に及ぶ。
逢坂 元吉郎(おうさか もときちろう、1880年6月25日 … 逢坂 元吉郎(おうさか もときちろう、1880年6月25日 - 1945年6月10日)は、日本の牧師、神学者である。既存の教会に限界を感じ、民衆教会を提唱した。 1880年(明治13年)、石川県江沼郡大聖寺町字番場町(現加賀市)に、父 平塚鎌吉、母 きしのの五男として生まれた。後に、逢坂家の養子となる。石川県尋常中学校および第四高等学校に在学中に西田幾多郎の感化を受けて、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学政治学科へ入学した。上京後の1904年(明治37年)、植村正久から洗礼を受けた。一時的に、植村が創立した東京神学社にも籍を置いた。 東京帝国大学を中退し、1908年(明治41年)に渡米。
柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 19… 柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 1940年4月20日)は、日本の郷土史家、教育者、神官。 『岡崎市史』全8巻(1926年~1930年)とその別巻である『徳川家康と其周囲』全3巻(1934年~1935年)を半生を傾けて完成させた。正式には「柴田顯正」と表記。 愛知県額田郡伊賀村(現・岡崎市伊賀町)に伊賀八幡宮社司の柴田顯光の長男として生まれる。額田郡第十六番小学八幡学校(現・岡崎市立広幡小学校)を出たのち上京。1893年(明治26年)7月、國學院大學第一回生として同校を卒業後、史学者の三上参次のもとで教科書編集の仕事に携わった。 その後、1895年(明治28年) 石川県尋常中学校七尾分校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)の教諭を経て、1897年(明治30年)9月から1901年(明治34年)8月まで、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に勤務。
西川 正純(にしかわ まさずみ) は、日本の水産学者。公立大… 西川 正純(にしかわ まさずみ) は、日本の水産学者。公立大学法人宮城大学理事・副学長、日本学術会議会員。日本脂質栄養学会ランズ賞受賞。 石川県生まれ。1978年石川県立金沢泉丘高等学校卒業。1982年東北大学農学部卒業。同年大洋漁業に入社し、中央研究所で食品素材や医薬品素材の研究開発に従事し、また化成食品事業部で営業にも従事した。1988年から東北大学医学部に研究生として留学し、1997年に東北大学博士(薬学)の学位を取得した。2001年九州大学博士(医学)。 2005年宮城大学食産業学部教授。2009年宮城大学地域連携センター長。2012年仙台市食品安全対策協議会会長。2016年宮城大学食産業学群長。