スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
久保田 有一(くぼた ゆういち、1973年 - )は、日本の… 久保田 有一(くぼた ゆういち、1973年 - )は、日本の脳神経外科医。医学博士(東京女子医科大学)。 留学時の経験から、NCSE(非痙攣性てんかん重積状態)の診断・治療の普及に努めている[要出典]。 東京女子医科大学附属足立医療センター 副院長 脳神経外科教授・診療部長 1973年静岡県生まれ。山形大学医学部卒業後、東京女子医科大学脳神経センター脳神経外科に入局。国立精神・神経センター 武蔵病院(現・国立精神・神経医療センター)にて、てんかん学・てんかん外科について習得、その後アメリカ・クリーブランド病院てんかんセンターに留学し、翌年、卒業。その後フランス、マルセイユにあるティモン病院神経生理部門客員研究員として深部電極の研究を行った。
荒井 千暁(あらい ちあき、1959年 - )は、日本の医師… 荒井 千暁(あらい ちあき、1959年 - )は、日本の医師、文筆家。労働評論家。 千暁は著作に限定したペンネーム。 静岡県静岡市生まれ。新潟大学医学部卒業。東京大学大学院医学系研究科修了。医学博士。専門は内科呼吸器病学、心療内科/臨床心理学、労働衛生。
山田 浩(やまだ ひろし、1956年8月 - )は、日本の医… 山田 浩(やまだ ひろし、1956年8月 - )は、日本の医師、医学者・薬学者(応用薬理学)。学位は博士(医学)(自治医科大学・1994年)。静岡県立大学健康支援センターセンター長・薬学部教授・大学院薬学研究院教授。
白川 太郎(しらかわ たろう、1955年6月18日 - )は… 白川 太郎(しらかわ たろう、1955年6月18日 - )は、日本の医師・医学者。
寺﨑 浩子(てらさき ひろこ、1954年 - )は、日本の医… 寺﨑 浩子(てらさき ひろこ、1954年 - )は、日本の医師、医学者。名古屋大学未来社会創造機構特任教授。名古屋大学第11代眼科学教授。名古屋大学名誉教授。前日本眼科学会理事長。医学博士(名古屋大学)。1999年に、名古屋大学医学部初の女性教授となる。寺崎浩子と表記されることがある。 静岡市生まれ。1973年、静岡県立静岡高等学校卒業。1980年、金沢大学医学部卒業。1984年、名古屋大学大学院医学研究科修了。静岡済生会総合病院勤務。1997年、ハーバード大学網膜硝子体メディカルフェローシップ修了。ハーバード大学客員講師。1998年、名古屋大学医学部眼科学助教授。1999年、名古屋大学大学院医学系研究科 頭頸部・感覚器外科学講座 感覚器障害制御学教授。
姫野 友美(ひめの ともみ、1954年〈昭和29年〉 - )… 姫野 友美(ひめの ともみ、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の医師、著述家。医学博士。 静岡市生まれ。静岡県立静岡高等学校卒業。高校時代は女子バレー部主将。東京医科歯科大学医学部卒業。九州大学医学部付属病院心療内科、北九州市立小倉病院、麻生飯塚病院、愛風会さく病院、Mayo clinic Emergency Room(U.S.A) Visiting Clinician、東京都立広尾病院麻酔科、東邦大学大橋病院、木原病院、東京顕微鏡院附属診療所、テーオーシービル診療所、女性のための生涯医療センターViVi勤務を経て、2005年、ひめのともみクリニック開設。2006年〜2021年 日本薬科大学漢方薬学科教授。
春日 武彦(かすが たけひこ、1951年(昭和26年)9月2… 春日 武彦(かすが たけひこ、1951年(昭和26年)9月25日 - )は、日本の精神科医。 京都府生まれ。父も医師であり、厚生省の技官を務めていた時期もあった。1968年都立秋川高校入学、その後静岡県立静岡高等学校に転校卒業、日本医科大学医学部卒業、同大学院衛生学科修了。1986年医学博士。産婦人科医を6年務めた後、精神科医に転向、東京都立松沢病院勤務、東京都立墨東病院神経科部長などを経て、2007年東京未来大学教授。2009年から2010年まで社団聖美会多摩中央病院 院長を務める。2010年から成仁病院に顧問として勤務している。
宮地 良樹(みやち よしき、1951年 - )は、日本の医師… 宮地 良樹(みやち よしき、1951年 - )は、日本の医師、医学者。京都大学名誉教授、静岡社会健康医学大学院大学初代学長・社会健康医学研究科教授、公立大学法人静岡社会健康医学大学院大学初代理事長などを歴任。専門は皮膚科学。医学博士(京都大学・1985年)。 天理よろづ相談所病院皮膚科部長、群馬大学医学部教授、京都大学大学院医学研究科教授、京都大学医学部附属病院副院長(経営担当)、滋賀県立成人病センター総長、滋賀県立総合病院初代総長、静岡県立総合病院参与、特定非営利活動法人皮膚の健康研究機構理事長などを歴任した。 1951年(昭和26年)、静岡県出身。1970年(昭和45年)、静岡県立静岡高等学校卒業。
岩﨑 甫(いわさき まさる、1947年5月3日 - )は、… 岩﨑 甫(いわさき まさる、1947年5月3日 - )は、日本の医師・医学者。専門は先進的医療技術開発、医薬品開発、消化器外科。山梨大学副学長。山梨大学融合研究臨床応用推進センター センター長・特任教授。 東京大学医学部卒後10年、同大附属病院第2外科で研鑽を積んだのち、山梨医科大学附属病院で10年間消化器外科医として腕を振るった。当時世界的な隆盛を見せていた拡大根治手術に情熱を傾けたが大きな成績向上を果たせず、限界を感じていたところに、外資系医薬品開発会社から声がかかり、民間へ転出。18年間開発者として過ごしたのち、再び山梨大学に戻り、副学長(融合研究臨床応用推進センター、先端応用医学講座特任教授を兼務)として先進的医療技術開発、医薬品開発を牽引する。
山本 勇夫(やまもと いさお、1943年 - )は、日本の… 山本 勇夫(やまもと いさお、1943年 - )は、日本の医師・医学者。専門は脳神経外科。横浜市立大学名誉教授。 特に、脳腫瘍、脳血管障害、脊髄・脊椎疾患や機能的脳神経外科(てんかん、パーキンソン病など)を扱う。 1962年3月、静岡県立静岡高等学校卒業。1969年3月、名古屋大学医学部卒業。同年4月、名古屋第一赤十字病院研修医。1973年7月、シンシナティ大学脳神経外科レジデント。1976年9月、名古屋第一赤十字病院脳神経外科副部長。1979年11月、フロリダ大学脳神経外科リサーチフェロー。1980年9月、名古屋大学医学部脳神経外科医員。1981年1月、一宮市立市民病院脳神経外科医長。1982年4月、東海大学医学部脳神経外科講師、助教授。
大久保 満男(おおくぼ みつお、1942年2月24日 - )… 大久保 満男(おおくぼ みつお、1942年2月24日 - )は、日本の歯科医師。元日本歯科医師会会長。NPO法人ハート・リング運動 特別顧問。 1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、日本大学歯学部卒業。1967年、歯科大久保医院を開設。1980年、静岡県立静岡北養護学校医。1985年~1988年、静岡市歯科医師会会長、1991年~1994年日本歯科医師会公衆衛生委員会委員、2000年~2006年、静岡県歯科医師会会長。2000年~2003年、日本歯科医師会理事を経て、2006年~2015年、同会長。日本歯科医師連盟会長、財団法人8020推進財団 理事長など要職を歴任。2009年、経済危機克服のための「有識者会合」メンバー。
杉山 貢(すぎやま みつぎ、1941年 - )は、日本の医… 杉山 貢(すぎやま みつぎ、1941年 - )は、日本の医師・医学者。専門は救急医学、消化器外科。元横浜市立大学教授・横浜市立大学医学部附属市民総合医療センター病院長。 1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1968年、横浜市立大学医学部卒業。同年、同大学第二外科入局、同大はじめ横浜赤十字病院、国立台湾大学医学部で勤務。1989年、横浜市立大学医学部助教授、1990年、同大学救命救急センター長、1999年年、救命救急医学教授、2000年、横浜市立大学医学部附属市民総合医療センター副病院長。2002年、同センター病院長。 同大学医学部救急医学教授、高度救命救急センター長まで務め、2007年、定年退職と同時に名誉教授となったが、2009年、架空請求によって業者に多額の金をプールしていたことなど不祥事が判明、大学の信用を失墜させ多大な損害を与えたとして、名誉教授の称号を取り消された。
永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 20… 永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 2010年9月6日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。元順天堂大学医学部教授。学位は、医学博士。 1965年、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室に入局し、島崎敏樹教授、宮本忠雄助教授のもとで学んだ。村上靖彦、市橋秀夫、中安信夫らと共に日本の精神病理学第3世代を代表する人物である。主として統合失調症の研究を行った。 1937年12月5日、静岡市生まれ。1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東京医科歯科大学医学部卒業。1965年4月、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室入局、1965年10月、関東労災病院神経科勤務、1967年1月、私立多摩湖病院勤務、1972年7月、成増厚生病院勤務、1975年1月、同愛記念病院神経科勤務。
篠田 達明(しのだ たつあき、1937年10月7日 - )は… 篠田 達明(しのだ たつあき、1937年10月7日 - )は、日本の作家、医師。医学博士。愛知県心身障害者コロニー名誉総長。 愛知県一宮市生まれ。静岡県立静岡高等学校卒業。名古屋大学医学部卒業。心身障害児医療を専門とし医師として愛知県心身障害者コロニー中央病院に勤務、1983年、45歳の時に「にわか産婆・漱石」で歴史文学賞受賞。以後、歴史小説、医事小説、エッセイなどを執筆。荻野久作を描いた「法王庁の避妊法」は飯島早苗により劇化され、自転車キンクリートが上演して話題を呼んだ。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
林 典夫(はやし のりお、1936年12月4日 - )は、日… 林 典夫(はやし のりお、1936年12月4日 - )は、日本の医師、生化学者。東北大学名誉教授。医学博士(東北大学)。 1936年、千葉県生まれ。本籍地、静岡県。1955年、静岡県立静岡高等学校卒業。1961年、東北大学医学部医学科卒業。1966年、東北大学大学院医学研究科生理系専攻博士課程修了。 1966年、日本学術振興会奨励研究員。1967年、東北大学医学部医化学第一講座助手。1971年、ノースウェスタン大学客員助教授(1973年年7月まで)。1973年年8月、東北大学医学部医化学第一講座講師。1977年2月、東北大学医学部医化学第一講座助教授。1985年8月、東北大学医学部医化学第二講座教授。
加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月… 加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月28日 - )は、日本の医師。内科医。専門は循環器内科。旧姓、山田。元宮内庁皇太后宮侍医長。医学博士(東京大学)。 侍医、また侍医長として昭和天皇や香淳皇后の治療に当たった。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1948年(昭和23年)、東京大学医学部卒業。1949年(昭和24年)、東京大学医学部左々、美甘内科教室勤務。1952年(昭和27年)、東京大学助手。1955年(昭和30年)、関東逓信病院内科勤務。1957年(昭和32年)、医学博士(東京大学)。1964年(昭和39年)、佐々木研究所附属杏雲堂病院内科勤務。1976年(昭和51年)、銀座菊池病院内科勤務。
磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 20… 磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 2015年(平成27年))は、日本の医師。内科医。駒込病院副院長。医学博士。 静岡県立静岡中学校を経て、静岡高等学校 (旧制)卒業。1942年(昭和17年)、東京帝国大学医学部卒業。直ちに海軍短期現役軍医として従軍。朝鮮・元山駐在。1943年(昭和18年)1月、海軍軍医学校入学、4月卒業。海南島特別陸戦隊附、9月、第三航空艦隊附(八丈島)。1945年(昭和20年)8月、復員。上京して都立駒込病院(内山圭梧院長)に入局。伝染病患者の診療に従事。1962年(昭和37年)、アメリカ、ボルチモアのメリーランド大学ボルチモア校(英語版)に半年間海外研修。
朝比奈 一男(あさひな かずお、1908年(明治41年)12… 朝比奈 一男(あさひな かずお、1908年(明治41年)12月2日 - 1986年(昭和61年)10月23日)は日本の内科医、生理学者。元東邦大学医学部長、生理学第一講座初代教授。東邦大学名誉教授。日本で初めて脳波を記録した。旧名倭男。東京府東京市小石川区白山御殿町(現・東京都文京区白山)出身。 1934年(昭和9年)、名古屋医科大学卒業。第一内科入局(勝沼精蔵)。勝沼とともに訪独。1937年(昭和12年)10月、医学博士を授与される。1938年(昭和13年)6月、哈爾浜医科大学助教授(内科)。1941年(昭和16年)7月、名古屋帝国大学助教授(航空医学研究所・第一航空医学 勝沼精蔵)。1945年(昭和20年)12月(環境医学研究所・第4部門職業性疾患学方面 勝沼精蔵)。
勝沼 六郎(かつぬま ろくろう、 1898年(明治31年)6… 勝沼 六郎(かつぬま ろくろう、 1898年(明治31年)6月26日 - 1989年(平成元年)9月3日)は、日本の医師。内科医。国立療養所中部病院長。医学博士。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校を経て、1927年(昭和2年)、長崎医科大学卒業、助手。台湾総督府技師、愛知・西尾病院長。1933年(昭和8年)、名古屋帝国大学講師、1934年(昭和9年)、欧米出張。1938年(昭和13年)、勝沼病院長。1947年(昭和22年)4月、国立療養所大府荘長。1966年(昭和41年)4月、国立療養所中部病院長(初代)。1969年(昭和44年)、定年退官。
原 栄作(榮作、はら えいさく、1879年(明治12年)11… 原 栄作(榮作、はら えいさく、1879年(明治12年)11月2日 - 1958年(昭和33年)4月4日)は、明治後期から昭和期の医師、政治家。衆議院議員。位階は従五位。勲五等双光旭日章。 静岡県庵原郡町屋原村(由比町を経て現静岡市清水区)で、豪農・原茂左衛門の二男として生まれる。静岡中学校(現静岡県立静岡高等学校)を経て、1903年(明治36年)千葉医学専門学校(現千葉大学)を卒業。その後、内務省永楽病院助手となり、臨床学を研鑽した。 1905年(明治38年)に帰郷して由比町北田で医院を開業した。由比町消防組頭に就任し、組員の意識の向上、防災思想の町民への啓発に尽力した。その他、由比町青年団長、庵原郡学校衛生会長、由比町森林組合長、同漁業協同組合長、同農業会長、静岡県森林組合連合会長、同医師会長、同学校衛生会副会長、同水産業会顧問、静岡県保健婦学校長などを務めた。
遠藤 繁清(えんどう しげきよ、1884年(明治17年) -… 遠藤 繁清(えんどう しげきよ、1884年(明治17年) - 1965年(昭和40年)は、日本の医師。病理医、内科医。医家に生まれる。旧姓、槇(遠藤家に婿入り)。結核病学を専門とし、自身の結核療養の経験をもとに医学書を執筆し、診療にあたった。サナトリウム療法の第一人者と称される。秩父宮雍仁親王の主治医の一人。医学博士。 静岡県立静岡中学校に学ぶ。1908年(明治41年)、東京帝国大学医科大学卒業。病理学教室を経て、1911年(明治44年)、青山内科へ移り、同年夏に自らの痰の検鏡を行い結核菌を見た。肋膜炎を発症、1ヶ月の入院を含む療養を経て、翌、1912年(明治45年)春より復職。1914年(大正3年)、伝染病研究所へ異動後、病状悪化、辞職。
小澤 勝男(おざわ かつお、 - )は、日本の医学者、医師。… 小澤 勝男(おざわ かつお、 - )は、日本の医学者、医師。専門は心臓血管外科学。静岡済生会総合病院第4代院長。医学博士(名古屋大学)。 1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1967年、名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部第1外科、米国オハイオ州クリーブランド・クリニック人工臓器部門を経て、1981年、名古屋保険衛生大学医学部外科学助教授。1993年、静岡済生会総合病院第1医療部部長兼心臓血管外科医長。1998年、同院副院長。2001年、静岡済生会総合病院院長兼心臓血管外科科長(〜2009年)。2004年、静岡済生会看護専門学校第5代校長。東海医療工学専門学校校長などを勤めた。東海医療工学専門学校非常勤講師。
寺田 典生(てらだ よしお、 - )は、日本の医師、医学者。… 寺田 典生(てらだ よしお、 - )は、日本の医師、医学者。高知大学医学部教授。専門は腎臓内科。医学博士(東京医科歯科大学)。 1978年、静岡県立静岡高等学校卒業。1984年、東京医科歯科大学医学部卒業。同年、東京医科歯科大学第2内科医員。1988年、米国国立衛生研究所(NIH)研究員。2002年、東京医科歯科大学大学院腎臓内科助教授。2008年、高知大学医学部内分泌代謝・腎臓内科学講座教授。2010年、高知大学医学部付属病院栄養管理部長。2012年、高知大学医学部附属病院副病院長(~2016年)。2016年、高知大学医学部臨床医学部門・部門長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
三浦 克敏(みうら かつとし、 - )は、日本の医師、医学者… 三浦 克敏(みうら かつとし、 - )は、日本の医師、医学者。浜松医科大学名誉教授。専門は病理学。医学博士(浜松医科大学)。浜松医科大学1期性・初代同窓会長。静岡市出身。 1974年、静岡県立静岡高等学校卒業。1980年、浜松医科大学医学部卒業。1984年、浜松医科大学医学研究科修了。2006年、浜松医科大学附属病院病理部長から浜松医科大学看護学科基礎看護学講座教授に就任。解剖学、病理学、医療概論の授業を担当した。2021年、浜松医科大学退職。名誉教授。 1980年〜1981年、浜松医科大学同窓会初代会長を務めた。浜松医科大学非常勤講師。本多電子技術顧問。 心臓の弁に沈着するアミロイドの分析。「超音波顕微鏡」を用いた組織の観察を行い Laboratory Investigation、Scientific Reportsなどに論文を発表。