スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
辻本 祐介(つじもと ゆうすけ、1977年- )は、日本の企… 辻本 祐介(つじもと ゆうすけ、1977年- )は、日本の企業家。株式会社ワンブロック代表取締役。株式会社tomoru取締役、株式会社BEARS取締役。日本大学まちづくり工学科非常勤講師、一級建築士。 1977年、三重県生まれ。津高等学校、東北大学工学部建築学科卒業後、株式会社リクルートコスモス(現 コスモスイニシア)、UDS株式会社を経て、2015年に株式会社ワンブロックを創業。京都・東京を中心に、建築・不動産を活用したまちづくり事業を手がける。中学から大学まではバレーボール部、現在はキックボクシング、ゴルフと囲碁。特に囲碁は吉原由香里と共に若者への囲碁普及団体IGO AMIGOを立上げ、現在は短期集中オンライン囲碁初段プログラム「GO ONLINE」を万波佳奈等と主催。
池村 和也(いけむら かずや、1962年9月6日 - )は、… 池村 和也(いけむら かずや、1962年9月6日 - )は、日本の実業家。三重県出身。エスビー食品株式会社代表取締役社長。 三重県出身。1981年三重県立津高等学校、1986年上智大学文学部卒業後、エスビー食品株式会社に入社。2013年同社執行役員、2016年同社取締役執行役員、2017年同社取締役常務執行役員、2018年同社常務取締役常務執行役員マーケティング企画室担当、2021年同社常務取締役首席執行役員海外事業部担当を経て、2022年同社代表取締役社長に就任。
馬瀬 紀夫(ませ のりお、1953年12月26日 - )は、… 馬瀬 紀夫(ませ のりお、1953年12月26日 - )は、日本の実業家。ハーゲンダッツジャパン株式会社代表取締役社長を経て、同社取締役会長。 三重県津市出身。三重県立津高等学校を経て、1976年大阪大学経済学部卒業、サントリー入社。2005年に取締役に昇格し、以降健康食品や海外事業などを担当した。2009年サントリーホールディングス執行役員。 2011年からハーゲンダッツジャパン代表取締役社長を務め、新商品の展開や、基幹商品「ミニカップ」の供給能力強化のための設備投資などを進めた。2018年ハーゲンダッツジャパン取締役会長。
服部 重彦(はっとり しげひこ、1941年8月21日- )は… 服部 重彦(はっとり しげひこ、1941年8月21日- )は、日本の技術者、実業家。島津製作所代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、日本航空宇宙工業会副会長、京都工業会会長等を歴任した。
奥田 務(おくだ つとむ、1939年(昭和14年)10月14… 奥田 務(おくだ つとむ、1939年(昭和14年)10月14日 - )は、日本の実業家。J.フロント リテイリング特別顧問。大丸社長を務め、松坂屋との経営統合にあっては主導的役割を担った。 三重県津市で7人兄弟の5人目として生まれる。祖父奥田喜一郎は明治末期に奥田証券を津市に創業。気性が荒く、芦屋市にも別邸を構えた相場師であった。奥田証券は大正期に入ると、大阪にも拠点を構え、三重県で最大の証券会社に成長した。父は慶應義塾大学経済学部の出身で、歌舞伎鑑賞が趣味の温和な性格だった。6人兄弟であるが、当時としては珍しく、父を含めてほとんどが東京六大学を出ていた。戦争によって母方の祖母が住んでいた飯南郡上蛸路(現・松阪市)に疎開し、祖母の家の近くで借家住まいを続けた。
田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日… 田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日 - 2021年〈令和3年〉10月11日)は、日本の実業家。日本土建名誉会長。ZTV代表取締役社長。津商工会議所会頭、三重県商工会議所連合会会長。三重県建設業協会顧問。TBSテレビアナウンサーの田村真子は孫。 三重県出身。弁護士で衆議院議員田村秢の二男。旧制津中学校を経て、1953年、中央大学法学部卒業。中外炉工業に入社。父親の勧めで日本土建に入社。 1960年、日本土建専務取締役。1966年、代表取締役社長。2007年、代表取締役会長。2016年、取締役名誉会長。 1990年、ZTV代表取締役社長。1991年、社団法人三重県建設業協会長として、三重建設図書館の設置を提案、実現する(2006年に休館。
高山 成雄(たかやま しげお、髙山 成雄、1916年5月27… 高山 成雄(たかやま しげお、髙山 成雄、1916年5月27日 - 2010年7月25日)は、日本の実業家・篤志家。伯東株式会社創業者・代表取締役会長。香良洲町名誉町民。 1953年(昭和28年)にエレクトロニクス専門商社の伯東株式会社を設立して代表取締役社長・会長を務め、東証一部上場企業に育て上げた。 香良洲町に対して、浜っ子幼児園の建設費用の寄付、めぐみの広場の用地取得費用及び整備費用の寄付、高山元気づくり事業寄付などを行い、郷土の発展に貢献した。香良洲町が津市に編入された後も多額の寄付を行い、魅力ある津市政の推進に貢献した。浜っ子幼児園には高山の銅像(胸像)が設置されている。2011年(平成23年)8月18日にはサンデルタ香良洲に顕彰コーナーが設置された。
小津 正次郎(おづ しょうじろう、1915年1月29日 - … 小津 正次郎(おづ しょうじろう、1915年1月29日 - 1997年11月25日)は、日本の実業家、プロ野球球団経営者。三重県出身。 阪神電気鉄道の取締役、専務取締役を歴任し、プロ野球阪神タイガースの球団社長に転じた。 球団社長時代、阪神球団のチーム改革を断行した手腕やドラフト会議でのクジ運の強さから、「オヅの魔法使い(オズの魔法使いのパロディ)」、「オヅワルド(ジョン・F・ケネディ射殺犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドのパロディ)」「コンピューター付ブルドーザー(田中角栄もこう呼ばれた)」等の異名をとった。 旧制津中学校(現在の三重県立津高等学校)から旧制高松高等商業学校(現在の香川大学経済学部)に進む。
小野 耕一郎(おの こういちろう、1883年(明治16年)4… 小野 耕一郎(おの こういちろう、1883年(明治16年)4月1日 - 1945年(昭和20年)1月21日)は、明治末から昭和前期の農業経営者・政治家。衆議院議員、三重県一志郡下之川村長、同郡久居町長。 三重県一志郡下ノ川村(下之川村大字下之川、美杉村大字下之川を経て現津市美杉町下之川)で、豪農・小野耕平の長男として生まれ、1902年(明治35年)三重県立津中学校(現三重県立津高等学校)を卒業し、同年に家督を相続し農業を営む。 下之川村産業組合長、地方森林会議員、一志郡木炭同業組合長、三重県木炭同業組合連合会評議員、産業組合中央会三重支部理事、三重県海外協会理事、同海外移住組合理事などを務め、農事の改善、産業振興に尽力した。
川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年(明治11年… 川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年(明治11年)11月6日 - 1963年(昭和38年)10月26日)は、日本の陶芸家・実業家・政治家。川喜田久太夫16代目。「東の魯山人、西の半泥子」、「昭和の光悦」などと称される。本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)、幼名は「善太郎」。号は「半泥子」の他に、「無茶法師」「其飯(そのまま)」等。実業家としては、河芸銀行、一志銀行、三重共同貯蓄銀行、百五銀行各頭取等を務めた。 大阪市東区本町で生まれ、津市の川喜田家の本宅で育つ。15代続く伊勢の豪商の家に生まれる。裕福な家庭で育ったが、祖父や父は半泥子の生後まもなく他界し、1歳で川喜田家16代当主となり、久太夫(政令)を襲名。
熊澤 一衛(くまざわ いちえ) 1877年(明治10年)11… 熊澤 一衛(くまざわ いちえ) 1877年(明治10年)11月1日-1940年(昭和15年)2月14日は、三重県四日市市出身の大正時代から昭和時代の戦前期の実業家。歌人。伊勢電鉄社長。『校本萬葉集』刊行を支援した伊勢生まれの実業家である。 1877年(明治10年)11月1日に現在の三重県四日市市河原田地区に生まれる。父が熊澤市兵衛、母が熊澤かと子の長男として生まれている。熊澤家は農家で河原田の旧家で地主であり、代々藤堂氏の津藩の御金御用達の役を務めていた。熊澤市兵衛は幕末に庄屋などを務めており、戊辰戦争で『撒隊士』という身分で東征に従っている。明治になって四日市に帰郷したが、明治時代に若くして三重県会議員になり、河原田村の村長などの名誉職となった。