スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 202… 吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 2025年2月3日)は、京都府京都市中京区出身のプロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者、野球評論家、タレント、甲子園歴史館の運営会議顧問であった。 現役時代は「今牛若丸」と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。引退後は3度にわたって阪神タイガースの監督を務めた。阪神を初めて日本一に導き、また阪神の監督を3度経験した唯一の人物である。 ニックネームは「よっさん」。1989年から1996年まで野球フランス代表監督を務め、「ムッシュ」とも呼ばれる。甥の谷真一も近鉄バファローズの元プロ野球選手。 1946年、旧制中等学校の京都市立第二商業学校に入学。
川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は… 川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手。 山城高校から関西学院大学を経て1955年に大映スターズへ入団。1957年に退団。
高橋 たか子(たかはし たかこ、1932年(昭和7年)3月2… 高橋 たか子(たかはし たかこ、1932年(昭和7年)3月2日 - 2013年(平成25年)7月12日)は、日本の小説家。旧姓岡本、本名和子(たかこ)。夫の高橋和巳の死後本格的に作家活動に入り、『空の果てまで』『誘惑者』などを発表。愛憎を超えた不可解な心理の深層を描き続けた。カトリックに入信、渡仏して観想修道生活を送った(のち還俗して帰国)。 京都府京都市下京区醒ヶ井通仏光寺下ル荒神町で、父・岡本正次郎、母・達子の長女として生まれる。父親は旧制名古屋高等工業学校建築科を卒業し、京都府警察部建築課に勤めていた。尋常小学校時代に等持院北町に転居し、京都府立嵯峨野高等女学校から京都府立山城高等学校を経て、1954年(昭和29年)、京都大学文学部フランス文学科卒。
種谷 春洋(たねや はるみ、1931年3月3日 - 1987… 種谷 春洋(たねや はるみ、1931年3月3日 - 1987年9月19日)は、日本の憲法学者。とりわけ、幸福追求権や基本的人権の歴史研究で知られる。 1931年、京都市に生まれる。京都府立山城高等学校を卒業後、京都大学文学部に入学。その後、法学部に転じ、1954年3月に同学部を卒業。同年、京都大学大学院法学研究科に進学し、公法学を専攻。杉村敏正に師事する。1956年、岡山大学法文学部に赴任し、助手、講師、助教授を歴任。1968年、大阪市立大学法学部に教授として就任(憲法)。1987年、心不全のため死去。享年56。 種谷は日本で初めて、日本国憲法13条の「幸福追求権」を、包括的な基本権(主観的権利)として捉え、独自の意味を見出す学説を提唱した。
遠藤 晃(えんどう あきら、1931年1月29日 - 200… 遠藤 晃(えんどう あきら、1931年1月29日 - 2003年6月18日)は、昭和から平成時代の行政学者。立命館大学名誉教授。専門は地方行政学。 京都市生まれ。1948年京都府立第三中学校(現京都府立福知山高等学校)卒業。1948~1970年京都市役所に勤務。この間、1949年京都府立山城高等学校定時制卒業。1953年立命館大学二部経済学部卒業。1954~1967年京都市職員労働組合専従。1970年立命館大学産業社会学部助教授。1976年同産業社会学部教授。1996年退職、名誉教授。2003年6月18日、肺炎のため京都市東山区の病院で死去。72歳。 自治体問題の研究者。1963年の設立以来、自治体問題研究所の研究活動に参加。
小針 晛宏(こはり あきひろ、1931年1月1日 - 197… 小針 晛宏(こはり あきひろ、1931年1月1日 - 1971年11月21日)は日本の数学者。 京都府生まれ。京都府立山城高等学校を経て京都大学理学部卒業。在学中は広中平祐らと共に機関紙『EOUS』の編集に携わる。『数学セミナー』、『大学への数学』等に投稿を重ねた。1960年、京都大学大学院理学研究科博士課程修了。京都大学理学部助手を経て、同大学教養部助教授。在任中の1971年没。 京大全共闘の支持者で、以下のような詩を書き残している。全共闘=過激派系の京大新聞六九年四月七日号に掲載された「学問とは何かーハレンチな真実の叫び」と題する記事の一節である。 ―ある自由の女神の独白―教養部は大学の下半身ね。
和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 20… 和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 2018年10月10日)は、日本の推理作家・弁護士。本名は古屋峻三。別名として夏目 大介(なつめ だいすけ)。写真家としての顔も持ち、日本図書館協会選定図書の写真集『日本の原風景』(1993年)も発表している。 大阪府大阪市出身。1955年(昭和30年)に京都大学法学部を卒業し中部日本新聞の記者となるが、友人から月刊文芸誌『宝石』を見せられ推理小説の魅力にとりつかれる。1960年(昭和35年)に同誌の宝石賞に応募し候補作に選ばれる。応募作『紅い月』は本名の滝井峻三名義で『宝石』に掲載され作家としてデビューした。「生まれて初めて書いた小説が雑誌に掲載されたときの私の感動は、一生涯、忘れることができないものとなりました」と和久は語っている。
川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)… 川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)、1929年12月11日 - 2013年9月7日)は、日本の腹話術師、声帯模写師。 寄席芸としての腹話術を確立した第一人者と評される。日本腹話術師協会名誉会長を歴任した。 京都市出身。日本画家の川上拙以の次男(兄は東映の美術監督やCFディレクターを務めた川上晃、弟は陶芸家の川上徹)。 芸事好きの父が2代目渋谷天外や2代目桂春團治らと親交があったため、幼少時から芝居小屋や寄席の楽屋に出入りする。少年時代からチャップリンやヒトラーのモノマネを得意とし、その芸の腕を買った2代目天外に「養子に欲しい」と言わしめたほどだったという。 旧制中学5年の時、腹話術師エドガー・バーゲン(英語版)の出演する映画に感激し、ぬいぐるみを用いた見よう見まねの腹話術を、学校の文化祭で披露した。
田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31… 田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31日 - 2006年〈平成18年〉5月16日)は、日本の俳優、田村高広と表記されることもある。阪東妻三郎の長男。弟は田村俊磨(元マネージャー、株式会社タムサプライヤ元社長)、俳優の田村正和、田村亮、田村兄弟の長男である。夫人は日本舞踊家の花柳駒。異母弟に俳優の水上保広がいる。京都府京都市出身。身長170cm。後年は世田谷区三宿に住んでいた。 京都府京都市出生、東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。京都府立京都第三中学校(現・京都府立山城高等学校)、同志社大学経済学部卒業。京都三中在学中に、動員学徒として愛知県の中島飛行機半田製作所で働いた経歴を持つ。
渡辺 一雄(わたなべ かずお、1928年7月3日 - 201… 渡辺 一雄(わたなべ かずお、1928年7月3日 - 2014年12月8日)は、日本の作家・評論家。 本姓・小川。大丸に勤めて1976年、デパートの内幕を描いた『野望の椅子』で日本作家クラブ賞を受賞。企業小説、経営評論を多く執筆した。 1928年(昭和3年)7月3日、京都市中京区西ノ京冷泉町で生まれる。父親は岐阜県から小学校卒業と共に上洛して京都市電の運転士をしており、母親は小さな雑貨商をしていた。長男の一雄の2年下に妹、5歳下に弟がいたほか、祖父母も同居し、7人で暮らしていた。 西ノ京冷泉町や朱雀第六小学校の付近は京都市役所、繁華街の四条河原町と同じ中京区にもかかわらず、行政に忘れられたような寂しいエリアであった。
鈴木 茂(すずき しげる、1928年3月20日 - 1987… 鈴木 茂(すずき しげる、1928年3月20日 - 1987年9月21日)は、日本の哲学者。 横浜市生まれ。1945年3月東海海運局勤務、48年宮城県坂元村立坂元中学校助教諭、1949年京都大学文学部哲学科選科入学、50年横浜市立神橋小学校助教諭、54年京都大学文学部哲学科卒、57年同大学院修士課程修了。59年京都府立山城高等学校教諭、60年京大博士課程満期退学、63年京都府立桂高等学校教諭、1974年松山商科大学経済学部助教授、教授。1986年立命館大学経営学部教授。見田石介に傾倒していた。鈴木茂は妻に先立たれた寂しさを酒で紛らせ入浴中シャワーの下で絶命し数日後に発見された。
伊谷 純一郎 (いたに じゅんいちろう、1926年(大正15… 伊谷 純一郎 (いたに じゅんいちろう、1926年(大正15年)5月9日 - 2001年(平成13年)8月19日)は、日本の生態学者、人類学者、霊長類学者。京都大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。 1926年、鳥取県鳥取市西町で、画家・伊谷賢蔵の長男として生まれた。生後約1ヵ月で両親の居宅があった京都市日ノ岡に移り、以後は京都市で育つ。1939年、旧制京都府立京都第三中学校(現・京都府立山城高等学校)に入学。1944年、京都第三中学校を卒業し、旧制鳥取農林専門学校獣医畜産学科に入学。1945年、学徒動員令により兵庫県川西市の陸軍獣医資材支廠で働く。1947年、鳥取農林専門学校を卒業。京都大学理学部動物学科を受験したが不合格。
大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23… 大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23日 - 1998年(平成10年)8月20日)は、日本の法学者・官僚・公務員。北海学園大学元学長。福岡県遠賀郡戸畑町(現・北九州市)出身。 学内ではこの他、北海学園大学学生部長などを、学外では、北海道地方労働委員会公益委員(1968-1977年)や北海道人事委員会委員(1982-1990年)、公共企業体等労働委員会調停委員など多くの公職を歴任。
店村 新次(たなむら しんじ、1919年3月3日 - 199… 店村 新次(たなむら しんじ、1919年3月3日 - 1991年8月20日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。同志社大学名誉教授。 フランス文学のほか、音楽関係の翻訳が多い。 満洲奉天生まれ。1941年東京外国語学校フランス語科卒。大日本航空に入りシンガポールで終戦を迎え抑留ののち復員。京都府立第三中学校(のち京都府立山城高等学校)教諭) 1950年天理大学助教授) 1953年同志社大学商学部助教授、教授。1983年「ロジェ・マルタン・デュ・ガール研究」で京都大学文学博士。1985年定年退任、聖隷学園聖泉短期大学教授。1991年8月20日、大腸癌のため死去。
宇野 収(うの おさむ、1917年5月29日 - 2000年… 宇野 収(うの おさむ、1917年5月29日 - 2000年11月12日)は、日本の実業家。東洋紡績社長や関経連会長を務めた。 1917年、京都市上京区(現・左京区)東丸太町の野村家で3人兄妹の次男として生まれる。2歳の時に妹の出産時の産褥熱が原因で母が亡くなり、錦林小学校4年生の時に銀行員だった父も逝去した。その後は父の遺産の貸家で生計を立てた継母に育てられ、京都三中に進学。成績は校内で上位だったが受験の直前に肺尖カタルにかかって一年間浪人し、旧制三高に入学した。 自宅から三高までは徒歩20分程度の距離だったが兄の勧めで学生寮に入り、水泳部で選手やマネージャーを務めた。北村久寿雄と一緒に泳いだ事もあったという。
藤林 益三(ふじばやし えきぞう、1907年〈明治40年〉8… 藤林 益三(ふじばやし えきぞう、1907年〈明治40年〉8月26日 - 2007年〈平成19年〉4月24日)は、日本の弁護士(第一東京弁護士会所属)、裁判官。第7代最高裁判所長官。夫人は明治の文豪、巖谷小波の末娘。 企業法務の弁護士として活躍した後に最高裁判事となり、その後最高裁長官となる。現在に至るも、唯一の「弁護士出身の最高裁長官」であり、68歳9ヶ月での最高裁長官就任は歴代最高齢である。熱心な「無教会主義キリスト教」の信徒であり、毎週日曜に聖書研究会を続けていた。その信仰は、いわゆる「津地鎮祭訴訟」判決における、異例の「長官の反対意見・補足反対意見」(津市による地鎮祭主催は政教分離を定める憲法違反との立場。
尾崎 亜美 は、日本のシンガーソングライター。夫はミュージシ… 尾崎 亜美 は、日本のシンガーソングライター。夫はミュージシャンの小原礼。