スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
影井 秀(かげい しゅう、1983年5月6日 - )は、日本… 影井 秀(かげい しゅう、1983年5月6日 - )は、日本の事業家、著作家及びタレント。東大コーチ株式会社代表。 大学受験における自伝的小説を掲載したホームページ「東大コーチ」を持つ。コーチングを受験勉強に応用したと自称するプログラムを開発し、ドラゴン桜に象徴される東大受験ブームに乗り、2005年、尾関茂雄と共同で東大コーチ株式会社を設立。 鳥取県鳥取市出身。1999年鳥取市立湖東中学校卒業、2002年鳥取県立鳥取西高等学校卒業。東京大学理科一類に現役合格し、同大学工学部都市工学科に進学。2003年度準ミスター東大。 NPOクーピーファッションアートグループ元代表。
岡島 礼奈(おかじま れな、1979年2月19日 - )は、… 岡島 礼奈(おかじま れな、1979年2月19日 - )は、日本の実業家、株式会社ALE創業者・代表取締役社長。 1979年2月19日、鳥取県鳥取市に生まれる。鳥取市立修立小学校、鳥取大学附属中学校、鳥取県立鳥取西高等学校を経て、東京大学理学部天文学科を卒業。2008年東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程修了、博士(理学)の学位を取得。 大学在学中にReveal Labを設立し、代表取締役に就任。ゲーム、産学連携などのサービスを立ち上げる。博士課程修了後、ゴールドマン・サックス証券戦略投資部に入社する。 2009年より、新興国ビジネスコンサルティング会社を設立し、取締役に就任する。 その後、2011年9月に世界で初となる宇宙エンターテインメント会社、株式会社ALEを設立(ALEという社名には、自身がエールビールが大好きで、人工流れ星が実現した暁には、多くの人がビールを片手に家族や友人と流れ星を楽しむ機会にしたい、という思いが込められている)。
田村 耕太郎(たむら こうたろう、1963年7月23日 - … 田村 耕太郎(たむら こうたろう、1963年7月23日 - )は、日本の経営者、元政治家。元参議院議員(2期)。一橋大学ビジネス・スクール(国際企業戦略専攻(ICS)、英語プログラム)の客員教授を2023年から2026年に努める。 義父は新日本海新聞社社主、グッドヒル社長を務めた吉岡利固。 鳥取市立遷喬小学校、鳥取市立北中学校、鳥取県立鳥取西高等学校、早稲田大学商学部卒業、慶應義塾大学大学院経営管理研究科経営管理専攻修士課程修了(MBA課程)。在学中にフランス高等経営大学院(HEC-ISA)に交換留学。 山一證券に新入社員として入社すると、企業買収・合併担当に抜擢され、1990年から1991年に全社で営業成績第1位となった。
森 昌行(もり まさゆき、1953年1月7日 - )は、日本… 森 昌行(もり まさゆき、1953年1月7日 - )は、日本の実業家・芸能プロモーター。 オフィス北野(現・TAP)元代表取締役社長で、社長退任以降も同社取締役を務めた。 高校卒業まで鳥取県鳥取市で過ごす。鳥取県立鳥取西高等学校を経て、1976年に青山学院大学法学部を卒業。テレビ番組制作会社スーパープロデュースに入社し、ADやリサーチスタッフとして『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(テレビ朝日)や『クイズ!!マガジン』(テレビ朝日)などの制作に携わる。 1980年に『クイズ!!マガジン』でADとしてビートたけしと出会うが、当時は単なる司会者とスタッフの関係だった。1981年に『アイドルパンチ』(テレビ朝日)でチーフAD、ディレクターを務め、主要なスタッフとして企画立案に参画するようになる。
山根 維隨(やまね いずみ、1948年(昭和23年) - )… 山根 維隨(やまね いずみ、1948年(昭和23年) - )は、風水統計家{伴天風水}創始者であり日本の実業家。株式会社アンジコア代表取締役会長。特定非営利活動団体(NPO法人)幸せな家づくりの研究会理事長。本名は、山根 一純(やまね いずみ)。 鳥取市吉岡温泉町生まれ。鳥取西高校卒業後、防衛大学校応用物理学科専攻に進学。卒論テーマはEL素子の研究。 1988年に西野バレエ団の西野晧三氏から西野流呼吸法を学ぶため、西野塾に入塾、気や生命エネルギーを学ぶ中で、目に見えない力という物の凄さを知り、同時期に統計学を用いた風水にも着目。 独自に研究を重ねて行く中で、3.11の東日本大震災がおき、現地を視察の際に、研究通りの結果を目の当たりにする。
鉄永 幸紀(てつなが ゆきのり、男性、1947年11月21日… 鉄永 幸紀(てつなが ゆきのり、男性、1947年11月21日 - 2015年12月8日)は、日本の政治家・実業家。青谷町議会議員(4期)、鳥取県議会議員(6期)。社会福祉法人青谷福祉会理事長。有限会社鉄永商店代表取締役。 鳥取県気高郡青谷町(現・鳥取市)生まれ。 1966年3月、鳥取県立鳥取西高等学校卒業。大阪大学理学部在学中の1969年1月、父を交通事故で亡くし、家業「鉄永商店」を継ぐため中退。その後、鉄永商店の経営再建を成功させた。 1973年7月、25歳で青谷町議会議員に初当選。1985年7月、青谷町議会議長。1988年7月、鳥取県町村議会議長会議長。 1991年4月、鳥取県議会議員で初当選。
米濵 和英(よねはま かずひで、1943年12月1日 - )… 米濵 和英(よねはま かずひで、1943年12月1日 - )は、日本の実業家。リンガーハット創業者で、同社代表取締役会長兼最高経営責任者。元日本フードサービス協会会長。 中華民国山東省煙台生まれ。日本の降伏後、鳥取県鳥取市賀露町に引き揚げ、1962年鳥取県立鳥取西高等学校卒業。家業の魚屋が倒産しため一家で長崎県に転居し、1964年に兄米濵豪と浜かつ(現リンガーハット)を設立。1965年浜かつ取締役。1976年浜勝代表取締役社長に就任。1982年リンガーハット代表取締役社長。2001年リンガーハット開発代表取締役会長。2005年リンガーハット代表取締役会長、リンガーハット開発取締役。2006年リンガーハット取締役会長、日本フードサービス協会会長。
金子 亮太郎 (かねこ りょうたろう、1941年6月20日 … 金子 亮太郎 (かねこ りょうたろう、1941年6月20日 - )は、日本の実業家。明治生命と安田生命の合併を実現し、明治安田生命の初代社長や、生命保険協会会長を務めた。 鳥取県鳥取市出身。鳥取県立鳥取西高等学校を経て、1965年一橋大学経済学部卒業、明治生命保険入社。 1991年取締役首都圏業務部長、常務、1997年専務。 1998年明治生命保険社長就任。宮本三喜彦(安田生命社長)とともに、相互会社形式をとったまま安田生命と合併することを決定 2004年明治安田生命保険社長就任。 この間、2000年三菱東京フィナンシャル・グループ取締役。2001年生命保険協会会長。
山田 憲典(やまだ けんすけ、1935年6月7日 - )は、… 山田 憲典(やまだ けんすけ、1935年6月7日 - )は、日本の実業家。 鳥取県出身。鳥取県立鳥取西高等学校卒業。明治大学法学部卒業。 日本最大、世界でも第二位の規模の製パン業者でありながら、同族経営企業でもある山崎製パンに於いて、38年間に亘り役員を務め、2018年に同社最高顧問に就任した。 1960年、山崎製パン入社。1980年取締役、1981年常務取締役、1990年専務取締役、1999年取締役副社長。2000年、デイリーヤマザキ代表取締役会長兼社長。2007年不二家代表取締役会長、不二家フードサービス代表取締役会長。2018年、山崎製パン最高顧問。2019年、ダロワイヨジャポン代表取締役会長。
吉田 忠明(よしだ ただあき、1933年12月9日 - 20… 吉田 忠明(よしだ ただあき、1933年12月9日 - 2018年2月19日)は、日本の大蔵官僚、実業家。東京国税局長を経て、トマト銀行社長、会長を務めた。 鳥取県八頭郡用瀬町出身。旧制鳥取県立鳥取第一中学校(現鳥取県立鳥取西高等学校)、鳥取県立八頭高等学校を経て、一橋大学経済学部を卒業し、1957年大蔵省(現:財務省)に入省(大臣官房文書課)。 1959年6月近畿財務局理財部。1960年6月東京国税局調査査察部。1961年6月銀行局金融制度調査官付。1964年7月広島国税局米子税務署長。1966年6月関東信越国税局総務部総務課長。1972年5月外務省在香港日本国総領事館領事。1979年6月東京国税局総務部長。
鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5… 鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5月29日 - 2007年〈平成19年〉9月29日)は、日本の実業家で、アシックスの前身のひとつである鬼塚商会の創業者、アシックス社長。 鳥取県気高郡明治村大字松上(現・鳥取市松上)に農業・坂口伝太郎 かめの3男2女の末子として生まれた。喜八郎の名は、大倉財閥を興した大倉喜八郎にちなむという。 坂口家は、もとは小作人だったが祖父・伝十郎の代に地主となった。祖父は農業の傍ら和紙、因幡紙の仲買人なども行っていたという。長兄の坂口伝三郎は後に明治村村長を務めている。 1936年(昭和11年)に鳥取県立鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業。
米原 穣(よねはら みのる、1907年〈明治40年〉9月21… 米原 穣(よねはら みのる、1907年〈明治40年〉9月21日 - 1994年〈平成6年〉)は、日本の実業家。日本海テレビ、日ノ丸自動車各社長。鳥取商工会議所会頭。 鳥取県八頭郡智頭村(現・智頭町)出身。米原章三の長男。1925年、鳥取県立鳥取第一中学校を卒業する。1928年、第六高等学校を卒業する。1931年、東京帝国大学文学部独逸文学科を卒業する。文部省嘱託拝命。 1936年、高知高校教授。1943年に文部省教学官、1946年に文部省学校教育局専門教育課長に就任する。1949年、鳥取大学教授に任ぜられ、学芸学部長を拝命する。1954年、退官する。以降日ノ丸自動車、鳥取大丸の社長(のち共に会長)、その他各社役員を兼ねる。
須崎 潔(すざき きよし、1902年3月27日 - 1973… 須崎 潔(すざき きよし、1902年3月27日 - 1973年8月15日)は、昭和期の日本の実業家。揖斐川電気工業(現・イビデン)社長。大垣市名誉市民。鳥取県出身。 因幡銀行取締役の須崎幾蔵の長男として生まれる。鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を経て、1924年慶應義塾大学経済学部を卒業。同年大同電力に入社。その後、大阪電力、因幡銀行取締役、大同化学(現 信越化学工業)を経て、1940年3月揖斐川電気工業(現 イビデン)に移る。1947年1月にイビデン取締役、同年8月に常務取締役(営業部長)となる。 取締役副社長(1959年11月)を経て、宮寺敏雄の後任として1962年5月に代表取締役社長に就任した。
池内 新蔵(いけうち しんぞう、1895年〈明治28年〉6月… 池内 新蔵(いけうち しんぞう、1895年〈明治28年〉6月6日 - 没年不明)は、日本の実業家、鳥取県多額納税者、地主。池内綿糸店社長。鳥取商工会議所顧問。 鳥取県鳥取市出身。池内新蔵の長男。1913年、旧制鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業する。家業の綿糸商を継承する。池内綿糸店、とりせんビル、丸興綿業各社長、鳥取大丸、鳥取瓦斯、日ノ丸証券、日ノ丸金属、日本海テレビ各取締役をつとめる。 鳥取市の豪商である。趣味は刀剣、読書。宗教は真宗。住所は鳥取市元大工町。 池内家は、藩政時代に主として酒造業により繁栄し、「高砂屋十家」と称された高砂屋一族のうちの一家である。「高砂屋十家」はいずれも高砂の郷士・池内氏を祖とし、本町四丁目にあった沢氏(初代高砂屋惣兵衛)と川端二丁目にあった小川氏(初代高砂屋六兵衛)を高砂屋両本家としていた。
由谷 正太郎(ゆたに しょうたろう、1893年〈明治26年〉… 由谷 正太郎(ゆたに しょうたろう、1893年〈明治26年〉2月3日 - 1965年〈昭和40年〉)は、日本の実業家。丸由百貨店専務取締役。由谷家4代目。 鳥取県鳥取市川端の呉服商・由谷節の長男。鳥取市立遷喬小学校を経て旧制鳥取県立鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)卒業。呉服太物洋反物卸商を営む。1935年、家督を相続する。 1937年、米原章三と提携し、鳥取駅前にターミナルデパートとして丸由百貨店を設立し、由谷は専務に就任する。 趣味は野球、釣り。宗教は日蓮宗。住所は鳥取市川端4丁目。
中尾 脩(なかお おさむ、1889年〈明治22年〉10月14… 中尾 脩(なかお おさむ、1889年〈明治22年〉10月14日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家、地主、鳥取県多額納税者。族籍は鳥取県平民。 鳥取県八東郡若桜村(のち八頭郡若桜村、現・若桜町)出身。中尾徳雄の二男。長兄の夭折により、鳥取中学校を中途退学する。山林業、農業、貸付業を営む。 1916年(大正5年)、若桜町会議員となる。協立銀行若桜支店長、若桜運送社長、八頭木材取締役、八頭銀行取締役をつとめる。 若桜の山林素封家である。名聞利欲に恬淡であり、県会その他実業団体等に乗り出す機会は幾度もあったが、常に固辞してうけず、時流に超然たる態度をとり、自から長者の風格を持していた。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。
稲田 直道(稻田 直道、いなだ なおみち、1889年(明治2… 稲田 直道(稻田 直道、いなだ なおみち、1889年(明治22年)7月7日 - 1979年(昭和54年)4月29日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(4期)。 鳥取県邑美郡古市村(岩美郡美保村古市を経て現鳥取市古市)で、稲田益造、ちせ夫妻の長男として生まれる。1908年(明治41年)鳥取県第一中学校(現鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業。在学中、日露戦争後の満韓の視察を行った。1908年、第六高等学校に入学したが中退し、1909年(明治42年)早稲田大学に転じた。在学中、雄弁会幹事を務め、南極探検事業、理想選挙、憲政擁護運動の遊説を全国各地で行った。1915年(大正4年)同大政治経済科を卒業。
田中 信義(たなか のぶよし、明治22年(1889年)3月8… 田中 信義(たなか のぶよし、明治22年(1889年)3月8日 - 昭和35年(1960年)4月11日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)。旧姓下田。信儀と表記される場合がある。 衆議院議員下田勘次、鳥取大学長下田光造の弟。 鳥取県八頭郡佐貫村和奈見(現・鳥取市河原町和奈見)に生まれた。下田弥平の三男。 旧制鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を経て1907年、東京帝国大学農科大学に入学。卒業後帰郷し、八頭郡国英村三谷の田中嘉十郎の養子となる。農業を営む。 早くから郡会議員、郡農会長、県会議員を歴任し、1941年には県会議長に就任するなど地方政界において民政系に属して活躍した。
由谷 義治(ゆたに よしはる、明治21年(1888年)3月1… 由谷 義治(ゆたに よしはる、明治21年(1888年)3月1日 - 昭和33年(1958年)10月8日)は、日本の政治家、実業家。鳥取県多額納税者。鳥取市会議員、鳥取県会議員、衆議院議員。鳥取電機製造社長。 鳥取市川端四丁目、鹿野街道の呉服商で地主の由谷喜八郎の長男に生まれる。油谷家は県内屈指の資産家。 旧制鳥取県第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校卒業。在校中に同級生の橋浦時雄らと社会主義グループを結成。早稲田大学中退。父・喜八郎が創業した運送業に従事。1912年家督を相続する。二十代はもっぱら運送屋の若主人として、厚司と前垂れ姿でよく働いた。 1919年(大正8年)5月に市会議員、9月に県会議員となり、1924年に第15回衆議院議員総選挙で衆議院議員に当選して以来、太平洋戦争終結まで政治家として活躍した。
木島 可恵(きしま よしえ、1883年〈明治16年〉12月2… 木島 可恵(きしま よしえ、1883年〈明治16年〉12月2日 - 1973年〈昭和48年〉1月22日)は、日本の会社役員、地主、鳥取県多額納税者、銀行家、政治家。木島合名会社代表社員。鳥取県会議員。鳥取大丸相談役。 鳥取県八頭郡若桜村大字若桜(現・若桜町)出身。木島七次郎の二男。1901年に鳥取中学校を卒業し、第一高等学校に入学したが、父親の死のため中途退学する。 農業、山林業を営む。家業に従事するとともに若桜町会議員となる。さらに森林開発が県産業発達上急務であることに着眼し、常に意をここに注ぎ、地方森林会、県山林会等に関与する。 1910年11月、若桜銀行頭取に就任する。1921年、八頭木材取締役になる。
谷口 源十郎(たにぐち げんじゅうろう、1883年〈明治16… 谷口 源十郎(たにぐち げんじゅうろう、1883年〈明治16年〉5月7日 - 1979年〈昭和54年〉11月21日)は、日本の実業家、政治家、鳥取県多額納税者。衆議院議員(当選2回)。鳥取銀行取締・相談役。 鳥取県岩美郡大路村(のち岩美郡米里村東大路、現・鳥取市東大路)の豪農の家に生まれた。谷口竫晃の長男。1902年、鳥取県立鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)卒業。農業を営む。 鳥取税務署管内所得調査委員、広島税務署監督局管内所得審査委員、鳥取県議、米里村議、岩美郡農会長、鳥取県農会議員となる。因伯産業社長、大正鳥取銀行取締役、鳥取新報社監査役、鳥取県米穀会副会長、鳥取銀行頭取、鳥取大丸取締役となる。
石谷 源十郎(いしたに げんじゅうろう、1876年〈明治9年… 石谷 源十郎(いしたに げんじゅうろう、1876年〈明治9年〉11月30日 - 1951年〈昭和26年〉)は、日本の実業家、政治家、鳥取県多額納税者、地主。鳥取県会議員。鳥取県八頭郡智頭町会議員。八頭銀行頭取。因幡木材会社社長。因伯時報社取締役。 鳥取県八頭郡智頭町大字智頭出身。石谷源蔵の長男。1896年、鳥取中学校を卒業する。1905年、家督を相続する。父祖の家業である農業、林業の経営に従事する。 1911年、鳥取県会議員に当選し1期間をつとめ政友会鳥取県支部の幹部として活躍し、1919年、政友会鳥取県支部幹事長に挙げられる。 政友会に属し、地方名望家としてその名を知られる。政友会系統の政治家として智頭町を二分してアンチ米原民政派の勢力の中心だった。
磯野 長蔵(いその ちょうぞう、旧姓・三島、1874年〈明治… 磯野 長蔵(いその ちょうぞう、旧姓・三島、1874年〈明治7年〉3月12日 - 1967年〈昭和42年〉6月25日)は日本の実業家。明治屋社長、会長を務めたほか、キリンビール設立発起人となり、キリンビール社長や会長を歴任。同社をビール業界トップとした。 鳥取県倉吉市河原町の呉服屋、三島久平・なをの次男として生まれる。勉強がよくでき、1883年、9歳のときに倉吉の戸長を務めた松本家を継ぐため松本仁平の養子となる。 鳥取県尋常中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)の授業料免除優待生を経て上京。高等商業学校予備門(現・日本大学第三中学校・高等学校)で1年間の浪人生活を送り、高等商業学校(現・一橋大学)入学。
足立 荘(あだち そう、明治3年4月8日(1870年5月8日… 足立 荘(あだち そう、明治3年4月8日(1870年5月8日) - 昭和22年(1947年)11月15日)は日本の実業家。日本徴兵保険社長(1936-1941)。教育者足立正の弟。 鳥取県上道村(現在の境港市上道町)に足立国五郎の次男として生まれる。父・国五郎は村の助役、収入役、村会議員等を歴任した人物。 旧制鳥取県尋常中学校(現在の鳥取県立鳥取西高等学校)を経て、明治25年(1892年)慶應義塾大学部文学科を卒業し時事新報社に入社。主として翻訳小説を同紙上に掲載する。後政治部に転じ、専ら外交、政治方面に活動し伊藤博文、陸奥宗光等の知遇を得た。日清戦争では大本営付き主任記者となり、後政治部長に栄進、明治34年(1901年)編集長となる。