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伊藤 三樹三(いとう みきぞう、1888年〈明治21年〉3月… 伊藤 三樹三(いとう みきぞう、1888年〈明治21年〉3月13日 - 1961年〈昭和36年〉1月29日)は、山口県出身の政治家。衆議院議員、山口県会議長、徳地町長などを務めた。 山口県佐波郡柚野村(現・山口市)生まれ。1907年(明治40年)広島市の修道中学校(現:修道中学校・高等学校)卒業。柚野村長、佐波郡会議長、山口県会議員、山口県会副議長、山口県会議長、徳地町長を歴任した。1942年(昭和17年)4月30日の第21回衆議院議員総選挙に山口県2区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け、立候補し当選。衆議院議員を一期務めた。 戦後は公職追放となった。
国崎 登(くにさき のぼる、1886年(明治19年)8月20… 国崎 登(くにさき のぼる、1886年(明治19年)8月20日 - 1960年(昭和35年)11月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
村瀬 武男(むらせ たけお、1879年(明治12年)5月11… 村瀬 武男(むらせ たけお、1879年(明治12年)5月11日 - 1959年(昭和34年)2月3日)は、愛媛県出身の政治家。衆議院議員、愛媛県会議長などを務めた。
江藤 栄吉(えとう えいきち、1876年(明治9年)12月 … 江藤 栄吉(えとう えいきち、1876年(明治9年)12月 - 1928年(昭和3年)4月27日)は、広島県出身の教育者、政治家。衆議院議員。
重村 義一(しげむら ぎいち、1875年(明治8年)2月14… 重村 義一(しげむら ぎいち、1875年(明治8年)2月14日 - 1938年(昭和13年)3月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍機関少将。広島県出身。
池田 岩三郎(いけだ いわさぶろう、1874年(明治7年)8… 池田 岩三郎(いけだ いわさぶろう、1874年(明治7年)8月23日 - 1937年(昭和12年)2月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。広島県出身。
吉田 賢龍(よしだ けんりゅう、1870年2月5日 - 19… 吉田 賢龍(よしだ けんりゅう、1870年2月5日 - 1943年1月5日)は、日本の教育者、元広島文理科大学学長。
手島 兵次郎(てしま へいじろう、1868年10月22日(明… 手島 兵次郎(てしま へいじろう、1868年10月22日(明治元年9月7日) - 1918年(大正7年))は、日本の検察官、官僚。台湾総督府法務部長、覆審法院検察官長を歴任した。また台湾法制起草委員なども務め、台湾の法制度整備に尽くした。
花井 卓蔵(はない たくぞう、1868年7月31日〈慶応4年… 花井 卓蔵(はない たくぞう、1868年7月31日〈慶応4年6月12日〉- 1931年〈昭和6年〉12月3日)は、明治・大正に活躍した弁護士・政治家。第3代検事総長・中央大学教授を務めた花井忠の岳父。 1868年(慶応4年)、備後国御調郡三原町(現:広島県三原市)に士族・立原四郎右衛門の四男として生まれ、その後、分家により花井姓を名乗った。幼年期から神童と謳われ、10歳の時に進学のため上京するが、経済的に困窮し3年後に帰郷し、広島市の修道学校(現:修道中学校・高等学校)で学ぶ。その後、小学校の代用教員として勤務する傍ら、長谷川桜南の門下生となり、高楠順次郎らと桜南舎で学ぶ。その後3年間ほど教員を務めるが、高楠とともに自由民権運動に参加し、これが原因で教員を免職される。
山香 二郎吉(やまが じろきち、1867年3月31日(慶応3… 山香 二郎吉(やまが じろきち、1867年3月31日(慶応3年2月26日)- 1936年(昭和11年)1月21日)は、日本の裁判官、検察官。大審院(現最高裁判所)判事などを務めた。
橋本 又吉郎(はしもと またきちろう、1866年1月31日(… 橋本 又吉郎(はしもと またきちろう、1866年1月31日(慶応元年12月15日) - 1928年(昭和3年)6月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。現在の広島県出身。
加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久… 加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久元年2月22日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将、没後 元帥海軍大将。日露戦争で連合艦隊参謀長(日本海海戦時、第一艦隊参謀長兼任)、ワシントン会議で日本首席全権委員を務める。海軍大臣(第20-24代)、内閣総理大臣(第21代)を歴任し、山梨軍縮やシベリア出兵撤兵を成し遂げた。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。
山田 一郎(やまだ いちろう、1860年7月16日(安政7年… 山田 一郎(やまだ いちろう、1860年7月16日(安政7年5月28日) - 1905年(明治38年)5月27日)は、明治時代の日本のジャーナリスト。号は愛川。 1860年(万延元年)、安芸国安芸郡府中村(現在の広島県府中町)に生まれる。藩校修道館(現・修道中学校・修道高等学校)、広島外国語学校で学ぶ。1876年(明治9年)に上京し、東京開成学校に入学。東京開成学校時代の同級生には、高田早苗・三宅雪嶺・有賀長雄・田中舘愛橘らがいる。1878年9月、東京大学文学部に入学。高田早苗・市島謙吉らとともに小野梓が主宰する鷗渡会に加わり、さらに立憲改進党の結党に参加。1882年7月、東京大学を卒業。同年10月、東京専門学校創立に参加し講師に就任、「政治学原論」の初代担当者を務める。
田口 謙吉(たぐち けんきち、1858年(安政5年)8月23… 田口 謙吉(たぐち けんきち、1858年(安政5年)8月23日 - 1928年(昭和3年)10月18日)は、日本の実業家。参天製薬創業者。
金尾 稜厳(かなお りょうごん、1854年7月8日(嘉永7年… 金尾 稜厳(かなお りょうごん、1854年7月8日(嘉永7年6月14日) - 1921年(大正10年)3月23日[3])は、幕末から大正期の僧侶、政治家。衆議院議員(通算8期)、官選県知事。旧名・楞厳。
村上 敬次郎(むらかみ けいじろう、嘉永6年9月4日(185… 村上 敬次郎(むらかみ けいじろう、嘉永6年9月4日(1853年10月6日) - 昭和4年(1929年)2月15日)は、安芸国(現広島県)出身の官僚、大日本帝国海軍軍人。貴族院議員、男爵、勲一等旭日大綬章。
香川 富太郎(かがわ とみたろう、1853年9月25日(嘉永… 香川 富太郎(かがわ とみたろう、1853年9月25日(嘉永6年8月23日) - 1937年(昭和12年)12月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。安芸国(現・広島県)出身。
本多 錦吉郎(ほんだ きんきちろう、嘉永3年12月2日(18… 本多 錦吉郎(ほんだ きんきちろう、嘉永3年12月2日(1851年1月3日) - 大正10年(1921年)5月26日)は、明治初期からの洋画家。画家としては寡作であったが、多くの著書を書き、画塾で後進を育てた。趣味で始めた造園もプロ級だった。号は契山。
佐藤 正(さとう ただし、嘉永2年6月1日(1849年7月2… 佐藤 正(さとう ただし、嘉永2年6月1日(1849年7月20日) - 大正9年(1920年)4月27日)は、明治時代の陸軍軍人。階級は陸軍少将、位階は従二位功四級。広島県広島市出身。広島県平民。歩兵第18連隊長、第3代広島市長、宮中顧問官等を歴任する。
木原 章六(きはら しょうろく、嘉永元年2月17日(1848… 木原 章六(きはら しょうろく、嘉永元年2月17日(1848年3月21日) - 1889年(明治22年)9月30日)は明治時代の日本の裁判官。諱は祐之。従五位勲六等。旧広島藩士。兵庫裁判所検事、東京控訴裁判所検事、宮城控訴裁判所検事長、大阪控訴裁判所検事、函館控訴裁判所判事、東京重罪裁判所長、東京控訴院評定官等を歴任。
高間 省三(たかま しょうぞう、嘉永元年(1848年) - … 高間 省三(たかま しょうぞう、嘉永元年(1848年) - 慶応4年8月1日(1868年9月16日))は、江戸時代末期(幕末)の広島藩士。戊辰戦争で活躍。名は正忠。
船越 衛(ふなこし まもる、天保11年6月15日(1840年… 船越 衛(ふなこし まもる、天保11年6月15日(1840年7月13日) - 大正2年(1913年)12月23日)は、広島藩出身の明治期の官僚・貴族院議員。男爵。父は広島藩の財務官僚として名高かった船越昌隆(八百十郎)。幼名は洋之助。号は松窓(松操、しょうそう)。子に船越光之丞、弟に加藤隆義がいる。
渡 正元(わたり まさもと、1839年3月8日(天保10年1… 渡 正元(わたり まさもと、1839年3月8日(天保10年1月23日 ) - 1924年(大正13年)1月29日)は、日本の官僚、政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、正三位・勲二等、錦鶏間祗候。旧姓・田中[3]、諱・正範、旧名・六之助、六之介[4]。安芸国(現広島県)出身。
野村文夫(のむら ふみお、天保7年4月5日(1836年5月1… 野村文夫(のむら ふみお、天保7年4月5日(1836年5月19日) - 明治24年(1891年)10月27日)は、幕末の広島藩の武士、のち明治政府の官僚、のちジャーナリスト、自由民権活動家。戯画入り風刺雑誌『団団珍聞』・『驥尾団子』を発行した。幼名虎吉、通称文夫・文機。1842年から1872年まで、村田家の養子でいた。号に雨荘・簾雨・秋野人。
伴 資健(ばん すけゆき、1835年12月31日(天保6年1… 伴 資健(ばん すけゆき、1835年12月31日(天保6年11月12日) - 1913年(大正2年)1月28日)は、安芸国(現広島県)出身の政治家。広島市長を3期務めた。幼名保之丞、のちに後十郎兵衛、資知と改名。
星野文平(ほしの ぶんぺい、天保6年(1835年) - 文久… 星野文平(ほしの ぶんぺい、天保6年(1835年) - 文久3年2月10日(1863年3月28日))は、江戸時代末期に活躍した武士。広島藩士。現在の広島県呉市(大崎下島に所在していた旧御手洗町)出身。名は文。字は公質。号は蓍山(きざん)。
山田 十竹(やまだ じっちく、天保4年12月9日(1834年… 山田 十竹(やまだ じっちく、天保4年12月9日(1834年1月18日) - 明治34年(1901年)8月26日)は、江戸時代末期から明治時代の儒学者、漢学者、教育者。名は浩(ひろし)、字は養吉(ようきち)。号の「十竹」は広島城郭内の自宅に十数本の竹が植えられていたことによる。墓は広島市の比治山共同墓地(現・南区)。
阪谷 朗廬(さかたに ろうろ、1822年12月29日(文政5… 阪谷 朗廬(さかたに ろうろ、1822年12月29日(文政5年11月17日) - 1881年(明治14年)1月15日)は、日本の漢学者、儒学者。江戸時代末期は教育者として、明治維新後は官吏としても活動した。東京学士会院議員。
木原 桑宅(きはら そうたく、文化13年2月30日(1816… 木原 桑宅(きはら そうたく、文化13年2月30日(1816年3月28日) - 明治14年(1881年)8月23日)は、江戸時代末期から明治時代初期の儒者。広島藩士。名は籍之。字(あざな)は君茅。通称は慎斎、慎一郎。別号に撚白老人。
頼 聿庵(らい いつあん、享和元年2月20日(1801年4月… 頼 聿庵(らい いつあん、享和元年2月20日(1801年4月3日) - 安政3年8月30日(1856年9月28日))は、江戸時代の儒学者。広島藩儒。名は元協、字は承緒。幼名は津具雄、通称は餘一。別号に春嶂・鶴年・迂娯軒(うごけん)・鯉城僲史(りじょうせんし)・三十六鱗魚城退士(さんじゅうろくりんぎょじょうたいし)。
坂井 虎山(さかい こざん、寛政10年(1798年) - 嘉… 坂井 虎山(さかい こざん、寛政10年(1798年) - 嘉永3年9月6日〈1850年10月11日〉)は、江戸時代末期の儒学者。名は華、字は公実、通称は百太郎。号は虎山または臥虎山人。門人たちによる諡は、文成先生である。墓は広島の本照寺。
吉村 秋陽(よしむら しゅうよう、寛政9年2月4日(1797… 吉村 秋陽(よしむら しゅうよう、寛政9年2月4日(1797年3月2日) - 慶応2年11月15日(1866年12月21日))は、江戸時代後期の安芸広島藩出身の儒学者。広島藩筆頭家老の三原浅野家の儒者。朱子学からのち陽明学を重んじた。諱は晋、字は麗明。通称は重介、秋陽と号した。
加藤 棕盧(かとう そうろ、1790年(寛政2年) - 18… 加藤 棕盧(かとう そうろ、1790年(寛政2年) - 1851年9月18日(嘉永4年8月23日))は、江戸時代後期の儒学者。安芸国(現広島県)出身。名は景纉(かげより)。字は君緒。太郎三、太郎助、株鷹とも称する。別号は肯堂。
頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1… 頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。贈正四位。
頼 杏坪(らい きょうへい、宝暦6年(1756年)7月 - … 頼 杏坪(らい きょうへい、宝暦6年(1756年)7月 - 天保5年7月23日(1834年8月27日))は江戸時代の儒学者、広島藩士。名は惟柔(ただなご)、字は千祺(せんき)・季立、号は春草堂、通称は万四郎、別号に春草、杏翁。
寺田 臨川(てらだ りんせん、延宝6年7月8日(1678年8… 寺田 臨川(てらだ りんせん、延宝6年7月8日(1678年8月24日) - 延享元年11月24日(1744年12月27日))は江戸時代中期の儒学者。本姓は源氏、通称は立革、半蔵、諱は高通、字は鳳翼、士豹。
レ・ロマネスクTOBI(レ・ロマネスクトビー、3月1日 - … レ・ロマネスクTOBI(レ・ロマネスクトビー、3月1日 - )は、日本のミュージシャン、俳優、クリエーター、振付師。 レ・ロマネスクのメインボーカル。カタカナで表記する場合は「トビー」とのばす。 広島県比婆郡(現:庄原市)出身。キューブ所属。 修道高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒業。大学在学中は落語研究会所属。落研時代の高座名は八代目朝寝坊夜楽。大学卒業後サラリーマンをするが入社する会社が次々倒産。サラリーマンを辞めフランスへ渡る。理由は「一番興味のない国で人生をリセットするため」。それまでパスポートも持っておらず、初の海外旅行であった。当初の音楽活動でのステージ衣装は、頭に乗せた王冠とティアラはクイーンとプリンス、メイクはマイケル・ジャクソン、衣装はビートルズのサージェント・ペパーズ、黄色の巻き毛はマーク・ボランとタカラヅカへのリスペクトをそれぞれ表していた。
浅野 吉長(あさの よしなが)は、安芸広島藩の第5代藩主。浅… 浅野 吉長(あさの よしなが)は、安芸広島藩の第5代藩主。浅野家宗家6代。
浅野 重晟(あさの しげあきら)は、江戸時代の大名で安芸広島… 浅野 重晟(あさの しげあきら)は、江戸時代の大名で安芸広島藩第7代藩主。浅野家宗家8代。第6代藩主・浅野宗恒の長男。将軍徳川家重から賜った偏諱(「重」の字)と、初代長晟・2代光晟・3代綱晟の3名が用いた「晟」の字とにより重晟と名乗る。
浅野 長勲(あさの ながこと)は、日本の江戸時代末から昭和初… 浅野 長勲(あさの ながこと)は、日本の江戸時代末から昭和初期の大名、政治家、外交官、実業家、社会事業家。
滝口 季彦 は、日本の政治家。元広島県庄原市市長。
村井 政也 は、日本の政治家、元広島県三次市長(1期)。
木倉 敬之(きくら よしゆき)は、広島県出身の厚生労働官僚。
重田 雅史 は、日本の国土交通官僚。国土交通省大臣官房物流審… 重田 雅史 は、日本の国土交通官僚。国土交通省大臣官房物流審議官や、内閣府総合海洋政策推進事務局長等を経て、全日本トラック協会理事長。
平垣内 久隆 は、日本の国土交通官僚。国土交通省大臣官房危機… 平垣内 久隆 は、日本の国土交通官僚。国土交通省大臣官房危機管理・運輸安全政策審議官等を経て、内閣府総合海洋政策推進事務局長。
阿部 伸一 は、日本の歯科医師・歯学者・解剖学者。東京歯科大… 阿部 伸一 は、日本の歯科医師・歯学者・解剖学者。東京歯科大学解剖学講座教授。
金井 宏一郎 は、日本の経営者。中国放送の社長を務めた。
岡谷 義則 は、日本の経営者。中国新聞社社長を務めた。広島県… 岡谷 義則 は、日本の経営者。中国新聞社社長を務めた。広島県廿日市市出身。
三島 豊 は、日本の医学者、皮膚科医、米国Wayne大学 で… 三島 豊 は、日本の医学者、皮膚科医、米国Wayne大学 で助教授・准教授、和歌山医科大学と神戸大学で皮膚科教授を勤めた。神戸大学名誉教授。その後、神戸海星病院皮膚科部長、三島皮膚科学研究所長をつとめている。メラニン色素の研究、悪性黒色腫、白斑など色素異常症の研究を行った。電子顕微鏡的、組織学的基礎的研究、また、治療を目的とした臨床的研究で知られる。
七田 厚 は、日本の教育研究家、七田式教育の教育者。七田式創… 七田 厚 は、日本の教育研究家、七田式教育の教育者。七田式創始者七田眞の次男。株式会社しちだ・教育研究所元代表取締役社長。元七田式主宰。島根県江津市出身。