スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
田丸 雅智(たまる まさとも、1987年12月22日 - )… 田丸 雅智(たまる まさとも、1987年12月22日 - )は、日本の小説家、ショートショート作家。 愛媛県松山市生まれ。3歳下の弟との2人兄弟。松山市立みどり小学校、松山市立三津浜中学校、愛媛県立松山東高等学校、東京大学工学部システム創成学科卒業。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。大学院では材料力学を専攻した。 星新一が「唯一の後継者」とした江坂遊が認めた作家である。ただし、作風は星新一とは大きく異なり、江坂遊の流れを汲む。 現代ショートショートの第一人者で、お笑い芸人のピース・又吉直樹や女優の中嶋朋子らが絶賛していることでも知られる。 自分の作家としてのルーツは故郷の三津浜にあると語っており、代表作の「海酒」(『海色の壜』収録)は三津浜が舞台になっている。
星野 彼方(ほしの かなた、男性、1986年12月16日 -… 星野 彼方(ほしの かなた、男性、1986年12月16日 - )は、日本の小説家(ライトノベル作家)、漫画原作者、編集者、脚本家、シナリオディレクター。 愛媛県出身。愛媛県立松山東高等学校、愛媛大学法文学部を卒業。 第2回ノベルジャパン大賞(ホビージャパン主催、2007年開催)にて、19歳で執筆した「超常現象交渉人」が特別賞を受賞し、同作を改題し改稿を加えた『クロス・リンク~残響少女』でHJ文庫よりライトノベル作家デビュー。その後、2作目となるHJ文庫『魔天世界<テンペスタス>の聖銃使い』を刊行した。 当初は、地方テレビ局「愛媛朝日テレビ」におけるカメラアシスタントや、ゲームメディア「インサイド」での仕事などを兼業していたが、専業化してシナリオ制作会社「Re,AER()」に所属。
佐藤 文香(さとう あやか、1985年6月3日 - )は、日… 佐藤 文香(さとう あやか、1985年6月3日 - )は、日本の俳人、詩人、作家。 兵庫県神戸市生まれ。父は日本語学者の佐藤栄作。1997年、愛媛県松山市に転居。1998年より句作を開始。2002年、愛媛県立松山東高等学校在学中に第五回俳句甲子園にて団体準優勝、「夕立の一粒源氏物語」が最優秀句に選ばれる。2004年、早稲田大学に入学、早大俳句研究会に入会。また2006年1月より月刊俳句同人誌「里」に参加。2005年、上田信治、谷雄介とともに俳句ユニット「ハイクマシーン」を結成(2007年に谷が抜け、2012年に解散)。2006年、第二回芝不器男俳句新人賞にて対馬康子審査員奨励賞を受賞。 2008年、早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業。
岩城 一平(いわき いっぺい、1973年5月18日 - )は… 岩城 一平(いわき いっぺい、1973年5月18日 - )は、日本の映像作家・監督。愛媛県伊予郡砥部町出身。 日本民間放送連盟賞・全国優秀賞 日本民間放送連盟賞・中四国最優秀賞 日本民間放送連盟賞・全国優秀賞
柏木 伸介(かしわぎ しんすけ、1969年 -)は、日本の小… 柏木 伸介(かしわぎ しんすけ、1969年 -)は、日本の小説家。第15回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞。 愛媛県松山市出身・在住。愛媛県立松山東高等学校、横浜国立大学教育学部卒業。愛媛県庁勤務(受賞当時。2019年退職)。 2016年、『県警外事課クルス機関』で第15回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞。応募時のペンネームは森岡伸介。
敷村 良子(しきむら よしこ、1961年 - )は、日本の小… 敷村 良子(しきむら よしこ、1961年 - )は、日本の小説家・随筆家。新潟県在住。夫は新潟国際情報大学学長の越智敏夫。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山東高等学校、放送大学卒業。 1995年『がんばっていきまっしょい』で松山市主催の坊っちゃん文学賞を受賞。著作は映画化、テレビドラマ化、劇場アニメ化された。 漫画家、オペラ歌手の五島傅明は高校の先輩で、『がんばっていきまっしょい』に登場する生徒会長のモデルだという。
山岡 淳一郎(やまおか じゅんいちろう、1959年 - )は… 山岡 淳一郎(やまおか じゅんいちろう、1959年 - )は、日本のノンフィクション作家。
香川 元太郎(かがわ げんたろう、1959年 - 2024年… 香川 元太郎(かがわ げんたろう、1959年 - 2024年12月12日)は、日本画家、イラストレーター、絵本作家。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山東高等学校を経て、武蔵野美術大学卒業、同大学院修士課程修了。 大学3年の時、日本画公募展の創画展に入選。以後、創画展6回、春季創画展7回入選。 東宝舞台に勤務し東京宝塚劇場等の舞台背景を描く。のちフリー。 日本画、歴史考証画、装画、絵本の制作のほか、郵便切手や絵入りはがきの原画などを手がける。日本画教室の講師も務める。 迷路やかくし絵を盛り込んだ学習絵本の『迷路絵本』シリーズは、累計で300万部を超えるミリオンセラーとなっている。 2024年12月12日、心室細動により死去。
大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935年〈昭和10年〉… 大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935年〈昭和10年〉1月31日 - 2023年〈令和5年〉3月3日)は、日本の小説家。昭和中期から平成後期にかけて活躍した現代日本文学を代表する小説家の一人。愛媛県喜多郡大瀬村(現:内子町)出身。 東京大学文学部仏文科卒。学生小説家としてデビューして、大学在学中の1958年、短編小説「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。新進小説家として脚光を浴びた。 新しい文学の旗手として、豊かな想像力と独特の文体で、現代に深く根ざした作品を次々と発表していく。1967年、代表作とされる『万延元年のフットボール』により歴代最年少で谷崎潤一郎賞を受賞した。 1973年に『洪水はわが魂に及び』により野間文芸賞、1983年に『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』により読売文学賞(小説賞)など多数の文学賞を受賞。
石川 喬司(いしかわ たかし、1930年9月17日 - 20… 石川 喬司(いしかわ たかし、1930年9月17日 - 2023年7月9日)は日本の作家、評論家。愛媛県出身。 愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身。曾祖父は松山藩主の剣道御指南番。幼稚園から中学時代までを新居浜市で過ごす。戦時中は、住友の化学工場に学徒動員していた。旧制愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を経て旧制第六高等学校に進み、旧制高校時代は織田作之助や太宰治に傾倒し、詩やエッセイを発表。東京大学文学部仏文学科に進み、渡辺一夫や鈴木信太郎に師事し、飯島耕一や東野芳明、村松剛、栗田勇らと同人誌『カイエ』を作る。 1953年大学を卒業し、同年、毎日新聞社に入社。新聞記者・『サンデー毎日』編集者の傍ら文筆生活に入る。
早坂 暁(はやさか あきら、1929年〈昭和4年〉8月11日… 早坂 暁(はやさか あきら、1929年〈昭和4年〉8月11日 - 2017年〈平成29年〉12月16日)は、日本の脚本家、小説家。 本名、富田 祥資(とみた よしすけ)。 愛媛県温泉郡北条町(現松山市)生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒業。 戦後の日本を代表する脚本家のひとりである。 愛媛県温泉郡北条町(後の愛媛県北条市、現在の松山市北条)で、遍路道の大商家に生まれ育ち、幼少の頃からお遍路さんに接した。 旧制松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)を経て、海軍兵学校在学中に終戦。海軍兵学校からの復員途中に広島で一夜を明かし、被爆直後の広島の惨状を目撃した。旧制松山高等学校(現在の愛媛大学文理学部の構成母体)卒業後、東京大学医学部に合格するも、医業に疑問を持ち入学せず[信頼性要検証]、日本大学芸術学部演劇学科に進学し同校卒業。
馬野 周二(うまの しゅうじ、1921年- )は、日本の技術… 馬野 周二(うまの しゅうじ、1921年- )は、日本の技術者、著作家。工学博士、技術士。 専門分野(化学)の論文、報告書の他、国際政治や国際経済についての著書を多数執筆した。 父親は内務省官僚であり、朝鮮総督府の高官であった。 山口県に生まれる。1931年、小学校4年生の時に父親の退官に伴い、朝鮮半島より内地(愛媛県松山)に戻る。旧制松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を経て、1946年、慶應義塾大学工学部応用化学科卒業。慶應義塾大学大学院工学研究科在学兼東京大学第一工学部付属試験所嘱託。1949年、通商産業省に技官として入省。1961年、通商産業省(課長)を退任後、創立間もないニューヨーク工科大学教授に就任。
星田 三平(ほしだ さんぺい、1913年2月2日 - 196… 星田 三平(ほしだ さんぺい、1913年2月2日 - 1963年5月31日)は日本の探偵小説家。『新青年』などの雑誌に短編を発表した。代表作に「せんとらる地球市建設記録」「エル・ベチョオ」など。本名は飯尾 傳(いいお つとう)。 1930年(昭和5年)に『新青年』の懸賞小説に3等入選した「せんとらる地球市建設記録」を、改稿の後に『新青年』夏期増刊号で発表しデビュー。以後、短編を散発的に発表するが、1933年(昭和8年)発表の「もだん・しんごう」を最後に沈黙。その後、太平洋戦争時の空襲で蔵書や草稿を失ったこともあり、小説界からは完全に離れた生活を送った。 1963年(昭和38年)5月31日に死去。
洲之内 徹(すのうち とおる、1913年1月17日 - 19… 洲之内 徹(すのうち とおる、1913年1月17日 - 1987年10月28日)は、日本の美術エッセイスト、小説家、画廊主・画商。美術エッセイ「気まぐれ美術館」の筆者として名高い。愛媛県出身。 松山生まれ。松山中学(現愛媛県立松山東高等学校)を経て、1930年に東京美術学校建築科に入学。在学中にプロレタリア運動に参加、1932年に検挙され、学校は退校処分となって帰郷した。そして松山でも運動をつづけ、1933年、徴兵検査後に検挙・収監されたが、後に「転向」して釈放された。その後1938年に軍の宣撫班員となって中国大陸へ渡り、対共工作と情報収集に携わった。そして終戦を迎え、1946年春に帰国した。 戦後、郷里松山に引き揚げて古本屋を開業。
曽我 鍛(そが きたう/きとう、1879年(明治12年)7月… 曽我 鍛(そが きたう/きとう、1879年(明治12年)7月15日 - 1959年(昭和34年)12月28日)は、日本の編集者、作家、記者。通称はきたえ。号は正堂、黄塔、鬼塔、青銅散士など。 1879年7月15日、愛媛県西宇和郡布喜川村(現在の西予市三瓶町鴫山)に生まれる。1901年旧制松山中学校卒業、1905年7月早稲田大学文学部卒業。同年9月に帝国大学史料編纂係となる。1906年帝国大学編纂係を依願退職、同年3月に三井家史料編纂の嘱託となる。1911年、病気療養のため三井家史料編纂嘱託を依願退職、帰郷する。帰郷後、療養中に双岩村の委嘱により村誌編集にあたる。 1913年4月、伊予日々新聞(柳原極堂経営)の主筆となる。
櫻井 忠温(さくらい ただよし、1879年(明治12年)6月… 櫻井 忠温(さくらい ただよし、1879年(明治12年)6月11日 - 1965年(昭和40年)9月17日)は、日本陸軍軍人、作家。最終階級は陸軍少将。翻訳家、教育者の櫻井鴎村は実兄。木村駿吉の娘婿で海軍中将の櫻井忠武は実弟。 1879年(明治12年)6月11日、愛媛県松山城下の小唐人町(現・松山市大街道1丁目)に士族の3男として生まれる。1899年(明治32年)、松山中学校を卒業し、神戸税関に勤務。1901年(明治34年)11月、陸軍士官学校卒業(13期)。 松山の歩兵第22連隊旗手として日露戦争に出征。乃木将軍配下、旅順攻囲戦で体に8発の弾丸と無数の刀傷を受け(全身蜂巣銃創)、右手首を吹き飛ばされる重傷を負う。
高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体: 高濱 虛子、1874… 高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体: 高濱 虛子、1874年〈明治7年〉2月22日 - 1959年〈昭和34年〉4月8日)は、明治・大正・昭和の日本の俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体: 高濱 淸)。旧姓は池内。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。 愛媛県温泉郡長町新町(現:松山市湊町)に旧松山藩士・池内 政忠(いけのうち まさただ)の五男として生まれた。9歳の時に祖母の実家の高浜家を継ぐ。この時、清に次男を得られたら池内家に戻す約束があり、次男の友次郎には約束通り、池内姓を継がせた。兄の池内信嘉は能楽研究家である。