山川 丈平(やまかわ じょうへい、1911年10月14日 -… 山川 丈平(やまかわ じょうへい、1911年10月14日 - 1983年11月17日)は、日本のドイツ文学者。 福岡県生まれ。1935年東京帝国大学文学部独文科卒。福岡県立修猷館高等学校教諭、九州大学教養部助教授、教授、75年定年退官、名誉教授、福岡歯科大学教授。
福岡県立修猷館高等学校:689人
山川 丈平(やまかわ じょうへい、1911年10月14日 -… 山川 丈平(やまかわ じょうへい、1911年10月14日 - 1983年11月17日)は、日本のドイツ文学者。 福岡県生まれ。1935年東京帝国大学文学部独文科卒。福岡県立修猷館高等学校教諭、九州大学教養部助教授、教授、75年定年退官、名誉教授、福岡歯科大学教授。
足達 襄(あだち じょう、1911年 - 1999年)は、日… 足達 襄(あだち じょう、1911年 - 1999年)は、日本の洋画家。独立美術協会会員。 福岡市に生まれる。1928年福岡県中学修猷館を卒業。上京して、1930年帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。 1931年独立美術協会が主催する第1回独立展に初入選。以後連続入選を重ね、1943年の第13回独立展において独立賞を受賞し、1948年に独立美術協会会員となる。この間、福岡独立作家協会結成にも参加している。 戦後帰郷し、郷里に近い太宰府のアトリエで36年間創作活動を行い、以降も毎年福岡から出品を続け、精力的な芸術活動を行う。地域の美術振興にも力をそそぎ、福岡県美術協会再興や筑紫芸術院結成に尽力。
高木 健太郎(たかぎ けんたろう、1910年3月17日 - … 高木 健太郎(たかぎ けんたろう、1910年3月17日 - 1990年9月24日)は、日本の医学者で参議院任期中に亡くなった。生理学の世界的権威。名古屋大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授。参議院議員 1980年-1990年 (2期)。
野上 寿(のがみ ひさし、1910年 - 1990年10月1… 野上 寿(のがみ ひさし、1910年 - 1990年10月10日)は日本の薬学者。野上壽 の名前もある。東京大学名誉教授。専門は製剤学。
淺野 五郎(あさの ごろう、1909年6月29日 - 196… 淺野 五郎(あさの ごろう、1909年6月29日 - 1966年3月19日)は、日本の地球科学者。専門は応用地質学・鉱床学。福岡県福岡市生まれ。 1927年福岡県中学修猷館、1930年旧制福岡高等学校理科乙類を経て、1933年3月に東京帝国大学理学部地質学科を卒業。大学院に進むが、同年9月より南満州鉄道嘱託となる。1938年4月より満州国大陸科学院に所属。1946年5月古河鉱業の職員となり、配下の鉱山の調査・探鉱などを行う。1951年4月、東京大学より理学博士の学位を取得。論文表題は「満洲産縞状鉄鉱の造進変成」。1956年3月古河鉱業を退社、4月より国際基督教大学教授となる。1960年4月、木下亀城教授の後任として九州大学工学部教授(採鉱学科応用地質学講座)に就任。
菅 忠道(かん ただみち、1909年4月18日-1979年1… 菅 忠道(かん ただみち、1909年4月18日-1979年11月20日)は、児童文学研究家。 東京生まれ。父は陸軍軍人。1927年福岡県中学修猷館、1930年第五高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部教育学科中退。学生時代から東大セツルメントなどの児童文化運動に関わり、1936年保育問題研究会に参加し、事務局長格の仕事をする。1936-42年岩波書店の雑誌『教育』の編集に参加。1937年からは教育科学研究会生活教育研究部会に所属、その傍ら同じ頃から同研究会の校外教育研究会に参加し、児童文学に取り組む立場から校外の子どもの生活や教育活動を研究した。幼児教育を研究対象とすることから、保育問題研究会と教育科学研究会の双方をつなぐ役割を果たす。
坪井 与(與)(つぼい あたえ、1909年3月23日 - 1… 坪井 与(與)(つぼい あたえ、1909年3月23日 - 1992年3月31日)は、日本の映画プロデューサー。満映娯民映画所長、東映専務取締役、東映化学工業社長。
木村 健康(きむら たけやす、1909年2月26日 - 19… 木村 健康(きむら たけやす、1909年2月26日 - 1973年12月7日)は、日本の経済学者、東京大学名誉教授、成蹊大学経済学部初代学部長。
寺田 竹雄(てらだ たけお、1908年4月27日 - 199… 寺田 竹雄(てらだ たけお、1908年4月27日 - 1993年9月10日)は、洋画家。日本芸術院会員。
安松 京三(やすまつ けいぞう、1908年(明治41年)3月… 安松 京三(やすまつ けいぞう、1908年(明治41年)3月1日 - 1983年(昭和58年)1月25日)は、日本の昆虫学者。九州大学名誉教授。日本における天敵による害虫防除の草分け。
牛島 信義(うしじま のぶよし、1908年2月6日 - 19… 牛島 信義(うしじま のぶよし、1908年2月6日 - 1991年4月14日)は、日本の地質学者。専門は石油鉱床学。 牛島惣太郎の四男として長崎県長崎市に生まれる。教育心理学者の牛島義友は兄。1925年福岡県立中学修猷館、1927年3月旧制福岡高等学校理科甲類を経て、1930年3月に東京帝国大学理学部地質学科を卒業した。 1930年4月、北樺太石油に入社。1944年に北樺太石油が吸収合併された帝国石油において、1953年1月探鉱部副部長、1954年5月生産部長、1956年3月参事、1957年地質探査部長、1958年11月中央技術研究所所長を最後に、1959年12月に退社し、1960年1月に東北大学理学部教授に就任した。
川津 尚彦(かわづ なおひこ、1907年5月11日 - 19… 川津 尚彦(かわづ なおひこ、1907年5月11日 - 1962年11月10日)は、日本のラグビー選手・功労者。福岡県のラグビー先駆者の一人。 東京都に生まれる。1925年福岡県中学修猷館、1927年旧制福岡高等学校文科甲類を経て、慶應義塾大学法学部へ進学し、ラグビー部において全日本東西対抗選手として活躍した。 1930年慶應義塾大学を卒業し、東邦電力福岡支店に入社。東邦電力ラグビーチームの主力として、福岡県ラグビーの普及とレベルアップに貢献した。 戦後は、山本太郎、松隈保、安武一道、速見伝吉らと共に、九州ラグビーフットボール協会設立に尽力し、九州ラグビーフットボール協会の理事長から会長、日本ラグビーフットボール協会専務理事を務めた。
伊藤 研之(いとう けんし、1907年4月6日 - 1978… 伊藤 研之(いとう けんし、1907年4月6日 - 1978年9月17日)は、日本の洋画家。二科会福岡支部長。福岡文化連盟初代理事長。 福岡市大名町(現・中央区大名)に生まれる。大名尋常小学校、福岡県中学修猷館を経て、1927年、早稲田商業学院に進学。1929年、早稲田大学文学部仏文科に入学する。 早大在学中、二科会の酒本博示に洋画を学び、1930年協会研究所にも通う。1930年、第5回1930年協会展に入選。1931年、第18回二科展に『風景』が入選し、洋画家を志し二科展に出品を続ける。1933年、早大を卒業して福岡に帰郷し、前衛美術グループ「ソシエテ・イルフ」に参加。1938年、二科会の中での前衛的な画家による九室会の創立に参加する。
広瀬 正雄(ひろせ まさお、戸籍上では「廣瀨 正雄」、190… 広瀬 正雄(ひろせ まさお、戸籍上では「廣瀨 正雄」、1906年7月3日 - 1980年12月3日)は、日本の政治家。日田市長、衆議院議員(自由民主党所属)。 佐藤内閣郵政大臣。
牛島 義友(うしじま よしとも、1906年 <明治39年> … 牛島 義友(うしじま よしとも、1906年 <明治39年> 1月19日- 1999年 <平成11年> 8月20日)は、日本の教育心理学者。学位は、文学博士(日本大学・論文博士・1953年)(学位論文「精神発達の規準に関する研究」)。九州大学名誉教授。位階は正四位。 長崎県長崎市生まれ。1923年福岡県立中学修猷館、1925年旧制福岡高等学校文科乙類を経て、1928年東京帝国大学文学部心理学科を卒業。 卒業後、東京帝国大学文学部副手となり、立教大学助手も兼務。1929年立教大学文学部教授、1945年10月東京女子高等師範学校教授、1949年6月校名変更でお茶の水女子大学教授、1949年愛育幼稚園園長、1950年九州大学教育学部教授を兼務、恩賜財団母子愛育会愛育研究所教養部長、1953年「精神発達の規準に関する研究」で日本大学より文学博士の学位を取得。
足達 左京(あだち さきょう、1905年 - 1988年1月… 足達 左京(あだち さきょう、1905年 - 1988年1月30日)は、日本の気象技術者。海軍技術中佐。 福岡県柳川市出身。1923年福岡県立中学修猷館、1927年第五高等学校理科甲類を経て、1930年京都帝国大学理学部地球物理学科卒業。 1931年神戸高等商船学校教授に就任するが、1939年海軍水路部に転じ、気象予報を担当する。1943年海軍の要請により、海軍気象部において、特殊兵器「風船爆弾」の気球の開発に従事した。最終階級は海軍技術中佐。 1954年日本電建に入社。1964年に退職し、戦史の研究に従事。1976年渡米し、アメリカ本土の風船爆弾の攻撃の跡を訪ねている。
馬場 菊太郎(ばば きくたろう、1905年 - 2001年1… 馬場 菊太郎(ばば きくたろう、1905年 - 2001年11月30日)は、日本の後鰓類学者。福岡県糸島郡波多江村(現・糸島市波多江)出身。
石橋 英樹(いしばし ひでき、1904年10月13日 - 没… 石橋 英樹(いしばし ひでき、1904年10月13日 - 没年不詳)は、日本の実業家、電気技術者。 石橋茂樹の長男として、福岡県に生まれる。1922年福岡県立中学修猷館、1925年3月旧制福岡高等学校理科甲類を経て、1928年九州帝国大学工学部電気工学科を卒業。 1928年三菱電機神戸製作所に入社。同年から1930年まで米国ウェスティングハウス社に留学。1954年技術部長、1958年神戸製作所長を経て、1960年11月取締役となる。1963年11月電子事業部長を委嘱される。1966年11月退任。 1967年5月三菱プレシジョン副社長を経て、1969年5月社長に就任。
岩尾 精一(いわお せいいち、1904年(明治37年)9月2… 岩尾 精一(いわお せいいち、1904年(明治37年)9月20日 - 1981年(昭和56年)10月15日)は、日本の政治家。日田市長を務めた。 大分県日田郡日田町(現・日田市)に生まれる。1922年福岡県立中学修猷館、1929年3月第七高等学校造士館理科甲類を経て、1932年3月東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。さらに満洲国の大同学院に学び、同年10月に卒業。 卒業後、満洲国において、奉天省洮南県属官となり、同県参事官に進み、1935年9月浜江省綏梭県参事官に転じ、同省庶務科長、総務庁人事課長、牡丹江省開拓庁長を歴任した。 戦後、日田漆器社長を経て、1952年10月日田市長に当選。以後1968年10月まで4期16年を務め、日田市発展の基礎を築いた。
平岡 昇(ひらおか のぼる、1904年9月19日 - 198… 平岡 昇(ひらおか のぼる、1904年9月19日 - 1985年12月3日)は、日本のフランス文学者。東京大学教養学部名誉教授。
八田 秋(はった おさむ、1904年 - 1986年)は、日… 八田 秋(はった おさむ、1904年 - 1986年)は、日本の外科学者。九州大学名誉教授。専門は温泉治療学。
中村 能三(なかむら よしみ、1903年9月30日 - 19… 中村 能三(なかむら よしみ、1903年9月30日 - 1981年3月5日)は、日本の翻訳家(英米文学)。福岡県生まれ。日本における初期の職業翻訳家の一人。
大蔵 栄一(おおくら えいいち、1903年(明治36年)9月… 大蔵 栄一(おおくら えいいち、1903年(明治36年)9月11日 - 1979年(昭和54年)1月29日)は、日本の陸軍軍人。二・二六事件当時の革新派青年将校の中心的人物。 大分県日田市に生まれる。福岡県立中学修猷館に入学するが、修学半ばの1918年(大正7年)に、軍人の道を志して熊本陸軍地方幼年学校に進学(22期)。熊本幼年学校の同期には、後の同志となる菅波三郎・香田清貞・朝山小二郎がいる。1923年(大正12年)、陸軍士官学校予科を卒業。士官候補生として朝鮮羅南の歩兵第73連隊に配属され、同年9月に陸軍士官学校本科に入学。1925年(大正14年)7月、陸軍士官学校を卒業(37期)し、同年8月、歩兵少尉として歩兵第73連隊に復帰。
辛島 驍(からしま たけし、1903年8月16日 - 196… 辛島 驍(からしま たけし、1903年8月16日 - 1967年4月27日)は、日本の中国文学研究者。 1903年、福岡県博多市で生まれた。1921年に福岡県立中学修猷館を卒業し、山口高等学校を卒業した。1928年、東京帝国大学文学部支那文学科を卒業。同年、京城帝国大学に赴任し、支那語学・支那文学講座を担当した。その後、助教授を経て、1939年に教授昇格。同年、博士論文『支那現代文学の研究』を東京大学に提出したが、太平洋戦争下の混乱の中で文学博士号授与は1946年となった。朝鮮半島赴任時には、延禧専門学校(現・延世大学校)校長も務めた。 戦後は昭和女子大学、相模女子大学教授などをつとめた。また、鎌倉文士とのつきあいもあり、鎌倉市図書館館長を務めた。
葛西 泰二郎(かさい たいじろう、1903年4月17日 - … 葛西 泰二郎(かさい たいじろう、1903年4月17日 - 1974年2月9日)は、日本の機械工学者。工学博士。九州大学名誉教授。ラグビー日本代表監督。 福岡市大名町(現・福岡市中央区大名)に生まれる。1921年福岡県立中学修猷館、1924年第五高等学校理科甲類を経て、1927年九州帝国大学工学部を卒業する。 1930年九州帝国大学助教授、1936年工学博士、1941年同教授と進み、流体機械、ポンプ、水車などを研究、送風機、圧縮機に主力を注いだが、太平洋戦争とともにその才能を買われ軍に奉仕させられることになる。1942年広海軍工廠における研究業務を委嘱され、1944年3月第2陸軍航空技術研究所に配属。
釜瀬 冨士雄(かませ ふじお、1903年4月9日 - 198… 釜瀬 冨士雄(かませ ふじお、1903年4月9日 - 1985年[要出典])は、日本の教育者。学校法人九州学園理事長。 九州学園創立者釜瀬新平の長男として福岡市に生まれる。1921年福岡県立中学修猷館を経て、1926年東京帝国大学文学部心理学科を卒業。 1928年6月旧制松本高等学校教授となり、1950年2月福岡県教育委員会に転じ、1955年4月久留米大学商学部教授に就任。 1960年6月九州学園理事長および九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)校長に就任。1966年4月福岡女子短期大学を創設し学長を兼ねる。
清澤 又四郎(きよさわ またしろう、1903年1月20日 -… 清澤 又四郎(きよさわ またしろう、1903年1月20日 - 2001年7月4日)は、日本の眼科医。日本医師会副会長、福岡県医師会会長。
安永 良徳(やすなが よしのり、1902年3月5日 - 19… 安永 良徳(やすなが よしのり、1902年3月5日 - 1970年9月12日)は、昭和時代の彫刻家。福岡県美術協会理事長。
田中 稔男(たなか としお、1902年2月14日 - 199… 田中 稔男(たなか としお、1902年2月14日 - 1993年3月29日)は、日本の社会運動家。衆議院議員。
香月 保(かつき / かずき たもつ、1901年(明治34年… 香月 保(かつき / かずき たもつ、1901年(明治34年)4月30日 - 1964年(昭和39年)3月12日)は、日本のジャーナリスト。福岡県田川市長。 福岡県田川郡方城村大字弁城(方城町を経て現福智町弁城)に生まれる。1918年福岡県立中学修猷館を卒業、同級生には後に朝日新聞で同僚となる笠信太郎と益田豊彦がいる。1923年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。 東京朝日新聞に入社し、同社ロンドン支局長、亜細亜部長を経て、1945年朝日新聞大阪本社編集局長に就任する。 1947年4月第1回大阪府知事選挙に日本社会党公認候補として立候補するが、修猷館の同級生である赤間文三に敗れ落選する。 1951年田川市長に当選し、1955年まで務める。
王丸 勇(おうまる いさむ、1901年3月28日 - 199… 王丸 勇(おうまる いさむ、1901年3月28日 - 1995年8月19日)は、日本の精神医学者。 福岡県議会議長、福岡市議会議長などを歴任した牛乳商・王丸代吉の長男として、福岡県久留米市に生まれる。福岡県立中学修猷館、旧制第六高等学校を経て、1926年、九州帝国大学医学部を卒業し下田光造教授の精神科に入局する。 1929年10月、九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)神経精神医学講座開設に際して初代教授に就任し、1946年3月久留米医科大学教授、1950年4月久留米大学医学部教授となり、後に久留米大学医学部長を2期務めている。日本精神神経学会会長、日本精神分析学会会長、九州精神神経学会会長を歴任する。
真井 耕象(まない こうぞう、1901年3月3日 - 200… 真井 耕象(まない こうぞう、1901年3月3日 - 2000年2月16日)は、日本の土木工学者。北海道大学名誉教授。
古森 善五郎(こもり ぜんごろう、1901年 - 1959年… 古森 善五郎(こもり ぜんごろう、1901年 - 1959年)は、日本の外科学者、ドイツ陸軍の軍人(軍医)。
笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - … 笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - 1967年12月4日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞論説主幹をつとめた。
阿部 源蔵(あべ げんぞう、1900年(明治33年)12月1… 阿部 源蔵(あべ げんぞう、1900年(明治33年)12月1日 - 1974年(昭和49年)4月22日)は、日本の政治家、内務官僚。 福岡市長、陸軍司政官。スラバヤ市長。玄洋社社員。 阿部八重吉の長男として福岡市真砂町(現博多区千代)に生まれる。1920年、福岡県立中学修猷館、1922年、第五高等学校文科甲類を経て、1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業し、高等試験行政科に合格して内務省に入省。 警視庁の大森署長、浅草署長、目黒署長、本富士署長などを務める。目黒署長時代には、二・二六事件に遭遇しており、沈着な処置で名を上げている。その後、1938年8月、山梨県総務部地方課長兼人事課長、1941年1月、高知県書記官・学務部長を経て、ジャワの陸軍司政長官としてインドネシアに渡り、1944年12月、スラバヤ市長に就任。
安藤 常次郎(あんどう つねじろう、1900年(明治33年)… 安藤 常次郎(あんどう つねじろう、1900年(明治33年)11月11日 - 1994年(平成6年)9月28日)は、日本の国文学者。 福岡県生まれ。俳号・安藤のりを。福岡県立中学修猷館を経て、1926年早稲田大学文学部国文科卒業。 早稲田大学教育学部教授、71年定年退職、名誉教授。武蔵野女子大学教授。能狂言を専門とした。
益田 豊彦(ますだ とよひこ、1900年5月22日 - 19… 益田 豊彦(ますだ とよひこ、1900年5月22日 - 1974年7月11日)は、日本のジャーナリスト。
原 吉平(はら きちへい、1900年(明治33年)1月15日… 原 吉平(はら きちへい、1900年(明治33年)1月15日 - 1986年(昭和61年)5月30日)は、日本の実業家。大日本紡績社長、ユニチカ初代会長。日本貿易振興会(ジェトロ)理事長。
小野 謙次郎(おの けんじろう、1899年11月20日 - … 小野 謙次郎(おの けんじろう、1899年11月20日 - 1983年10月5日)は、日本の元裁判官。名古屋高等裁判所長官、札幌高等裁判所長官などを務めた。 佐賀県に生まれる。1917年福岡県立中学修猷館を経て、1923年東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。 1925年判事に任官され、福岡地方裁判所判事、長崎控訴院判事部長を経て、1946年2月山形地方裁判所所長に進み、鹿児島地方裁判所所長、福岡高等裁判所判事、福岡地方裁判所所長を歴任の後、1960年11月札幌高等裁判所長官、1963年6月名古屋高等裁判所長官に就任。1964年11月停年退官。
筬島 威一(おさじま いいち、1899年11月13日 - 1… 筬島 威一(おさじま いいち、1899年11月13日 - 1973年7月1日)は、日本の実業家。 愛媛県松山市に生まれる。1917年福岡県立中学修猷館、1920年第五高等学校工科を経て、1923年東京帝国大学工学部を卒業。 1923年三井物産に入社し大阪機械支部勤務。1929年から1934年までロンドン支店勤務。帰国後、機械課長、大阪支店長代理、同支店次長、佐世保支店長、福岡支店長を務め、1947年に三井物産が解体されると同時に退社し、三保物産を設立し代表取締役となる。 1948年1月ゼネラル物産(後にゼネラル石油と改称し現東燃ゼネラル石油)佐世保出張所長を委嘱され、1952年8月同社に入社して取締役大阪支店長、1953年6月常務取締役、1958年11月代表取締役を経て、1959年ゼネラル海運代表取締役となり、1962年2月ゼネラル石油代表取締役社長に就任する。
平井 新(ひらい あらた、1899年9月10日 - 2000… 平井 新(ひらい あらた、1899年9月10日 - 2000年3月9日)は、日本の社会思想史学者。慶應義塾大学経済学部長・大学院経済学研究科委員長・名誉教授・野球部長。福岡市出身 。
赤間 文三(あかま ぶんぞう、1899年5月31日 - 19… 赤間 文三(あかま ぶんぞう、1899年5月31日 - 1973年5月2日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。 大阪府知事(公選初代)、法務大臣(24代)。大阪府知事時代は東京都知事安井誠一郎とともに、1950年代における都道府県知事のボス的存在として君臨し、赤間天皇の異名で呼ばれた。 赤間岩吉の三男として、福岡県宗像郡津屋崎町(現在の福津市)に生まれる。福岡県立中学修猷館、旧制山口高等学校を経て、1925年3月東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業する。 1926年2月内務省に入省。岡山県属。同年11月高等試験行政科試験に合格。1935年10月大阪府都市計画課長、1939年4月徳島県経済部長まで務めた後、商工省に転じ、1941年11月大臣官房会計課長。
岡安 彦三郎(おかやす ひこさぶろう、1899年4月20日 … 岡安 彦三郎(おかやす ひこさぶろう、1899年4月20日 - 1982年9月14日)は、日本の地方公務員。東京都副知事を務めた。 岡安六郎の五男として埼玉県に生まれる。父・六郎が生命保険会社の福岡支店長を務めていたため福岡市で育つ。1917年福岡県立中学修猷館、第五高等学校を経て、1925年京都帝国大学法学部法律学科を卒業。 東京市役所に入り、財務局地理課庶務掛長、同地理課長、経済局庶務課長、市長室企画部予算課長、1943年7月に東京市と東京府が廃止され東京都となると、その都長官官房用度課長、1946年5月日本橋区長、財務課長、財務部長、財務局長を歴任した後、1949年12月、東京都副知事に就任。
高木 幹夫(たかぎ みきお、1899年3月21日 - 196… 高木 幹夫(たかぎ みきお、1899年3月21日 - 1966年8月14日)は、日本の実業家。元東京海上火災保険社長。
内海 十楼(うつみ じゅうろう、1899年1月19日 - 1… 内海 十楼(うつみ じゅうろう、1899年1月19日 - 1962年12月24日)は、日本の裁判官。東京高等裁判所判事、仙台地方裁判所所長などを務めた。 内海重男の長男として福岡市に生まれる。1919年福岡県立中学修猷館、1922年3月第五高等学校文科甲類を経て、1925年3月東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年高等試験司法科に合格。 1926年司法官試補となり、1928年千葉地方裁判所判事に進み、その後、東京地方裁判所判事、東京控訴院判事、東京民事地方裁判所判事部長、札幌控訴院判事部長を経て、1947年秋田地方裁判所所長に就任。仙台地方裁判所所長を経て、1951年4月東京高等裁判所判事に就任。
秋吉 三郎(あきよし さぶろう、1898年6月21日 - 1… 秋吉 三郎(あきよし さぶろう、1898年6月21日 - 1982年12月4日)は、日本の高分子化学者。 福岡県出身。1917年福岡県立中学修猷館を経て、1923年九州帝国大学工学部応用化学科を卒業。 商工省大阪工業試験所に入り、技手を経て技師となり、1935年学位を受け、同所の第四部長、第二部長を歴任。第二次世界大戦時には、陸軍兵器行政本部からの委嘱により、「重合「エチレン」蝋状物ノ合成ノ研究」を行っている。 1945年九州帝国大学工学部教授に就任。1951年大阪工業試験所および熊本大学教授も兼務。1956年3月九州大学評議員に選ばれ、1959年7月九州大学工学部長も併任する。 1961年帝人の常務取締役に転じ、開発本部長兼中央研究所所長を務め、1965年1月研究管理室長を委嘱され、1966年11月退任する。
太田 辨次郎 (弁次郎)(おおた べんじろう、1898年4月… 太田 辨次郎 (弁次郎)(おおた べんじろう、1898年4月27日 - 1981年〈昭和56年〉11月11日)は、日本の実業家、歌人。 四代目太田清蔵のニ男として、福岡県に生まれる。実兄は五代目太田清蔵。1917年福岡県立中学修猷館、1921年7月第五高等学校経済科を経て、1924年7月東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。 卒業後、博多湾鉄道汽船に入社し、副支配人となる。1926年6月、第一徴兵保険(東邦生命保険の前身)に転じ、取締役経理部長、1946年4月専務、1954年6月副社長を経て、1961年5月、兄五代目太田清蔵から引き継ぎ、東邦生命保険社長に就任。1977年6月同会長となる。九州勧業、箱根カントリー倶楽部、芝パークホテル、帝国ホテル、西日本鉄道の取締役も務めた。
井上 孝太郎(いのうえ こうたろう、1898年3月29日 -… 井上 孝太郎(いのうえ こうたろう、1898年3月29日 - 1984年5月23日)は、日本の教育者。 井上為三郎の三男として福岡県に生まれる。1933年東京文理科大学(東京教育大学文学部・理学部の前身)数学科を卒業。 1949年4月より1958年3月まで福岡県立修猷館高等学校館長(校長)を務め、小倉市(現・北九州市)の常盤高等学校校長を経て、1960年11月より1963年1月まで純真女子高等学校(現・純真高等学校)校長、および純真女子短期大学(現・純真短期大学)学長に就任する。その間、1961年1月福岡県教育委員に挙げられ、後に同委員長を務める。 その後、精華女子短期大学学生部長、福岡家庭裁判所調停委員などを務めた。
桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1897年6月21日 -… 桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1897年6月21日 - 1980年12月28日)は、日本の陸軍軍人、僧侶。最終階級は陸軍少将。法名、全覚。
浅香 末起(あさか すえき、1896年11月10日 - 19… 浅香 末起(あさか すえき、1896年11月10日 - 1971年)は、日本の植民政策学者。 福岡藩士族徳島徳の四男として福岡県に生まれる。1914年福岡県立中学修猷館、1917年第二高等学校を経て、1921年3月京都帝国大学経済学部を卒業。京大在学中に浅香家に迎えられ結婚し、浅香に改姓した。 1921年4月日本銀行に入行するが、研究者を志し、1923年2月台北高等商業学校(現・国立台湾大学管理学院)講師に就任、1924年5月同教授に昇任する。1931年2月大阪商科大学(現・大阪市立大学)助教授に転じ、1933年3月同教授に昇任する。1935年10月から1年間、植民政策研究のため欧米に留学し、1941年7月より1944年9月まで、大阪商科大学に在籍したまま外務省事務嘱託を務める。