スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
竹下 真由(たけした まゆ、1981年9月 - )は、日本の… 竹下 真由(たけした まゆ、1981年9月 - )は、日本の実業家。竹下製菓代表取締役社長、清水屋食品代表取締役社長。藍綬褒章受章。 佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立佐賀西高等学校を経て、2005年東京工業大学(現東京科学大学)工学部経営システム工学科卒業。2007年、同大学大学院理工学研究科経営工学専攻修士課程修了。大学ではIDCロボットコンテストへの出場を目標に活動し、制御工学科の科目も受講し、国際大会に出場した。 2007年アクセンチュアに入社。通信ハイテク事業部配属され、経営コンサルタント業務に従事した。2011年、結婚を機に家業の竹下製菓に入社。経営企画室で業務改善等に取り組み、2014年に取締役商品開発室長になる。
中尾 清一郎(なかお せいいちろう、1960年(昭和35年)… 中尾 清一郎(なかお せいいちろう、1960年(昭和35年)8月2日 - )は、株式会社佐賀新聞社の代表取締役社長。佐賀県出身。 1997年3月、中尾は、佐賀市におけるシンポジウムで「佐賀というのは福岡から下にみられ、福岡人が士農工商の商であれば、佐賀は穢多非人」と発言。これが差別発言として問題視され、部落解放同盟佐賀県連合会が中尾を糾弾し、謝罪に追い込んだ。一方、部落解放同盟と対立する全国部落解放運動連合会九州地協は「部落差別発言ではない」「比喩として不適切だっただけ」との見解を発表し、糾弾会に出席しないよう中尾に促した。 2001年7月に発足した「エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議」(林真理子幹事長)に立ち上げから関わり、2回目の「エンジン01オープンカレッジ」は佐賀で開かれ、80人の著名人が佐賀に集結した。
香月 道生(かつき みちお、1960年 - )は、日本の実業… 香月 道生(かつき みちお、1960年 - )は、日本の実業家。北島代表取締役社長。元佐賀県公安委員会委員長。 北島の12代目として生まれる。1979年佐賀県立佐賀西高等学校卒業。同級生に中尾清一郎佐賀新聞社代表取締役社長がいた。1983年一橋大学商学部卒業。在学中は端艇部に所属。 卒業後は、都市銀行からも誘いを受けたが、西武百貨店に入社し、人事部に配属された。 1988年北島入社。2003年から北島代表取締役社長。2007年佐賀商工会議所副会頭。2009年非特定営利活動法人まちづくり機構ユマニテさが理事長。 2014年佐賀県公安委員会委員。2015年から佐賀県公安委員会委員長を1年間務め、2018年からも佐賀県公安委員会委員長を1年間務めた。
井手 一男(いで かずお、1959年11月7日 - 2020… 井手 一男(いで かずお、1959年11月7日 - 2020年8月12日)は、日本の実業家、元俳優。福岡県中間市出身。佐賀市立城南中学校、佐賀県立佐賀西高等学校卒業。東京都立大学中退。 福岡県生まれ、小学校6年生の時に佐賀県へ移住。東京都立大学入学時に上京。 大学在学中から、山本邦彦が主宰する「麦の会演技研究所」に入り、同氏の付き人や運転手をしながら演技を学ぶ。同会の後輩に本村健太郎がいる。大学時代より本名で俳優活動を開始し、麦の会の舞台では主演も経験。劇団麦の会、オフィスヨーコ、香山新二郎事務所、松本オフィスに所属していた。 1989年頃に井出 一男、1992年からは井出 一馬(いで かずま)に改名し、東海テレビ系ドラマ『約束の夏』では主役に抜擢された。
山口 節生(やまぐち せつお、1949年〈昭和24年〉9月2… 山口 節生(やまぐち せつお、1949年〈昭和24年〉9月26日 - )は、日本の政治活動家、コンサルタント業、不動産業、実業家である。元・高等学校教員で元・信託銀行員。佐賀県出身。 1949年、佐賀県に生まれる。佐賀県立佐賀西高等学校、一橋大学商学部を卒業し、東京大学経済学部に学士入学して卒業。 1974年4月、三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)に入行。その間、中央大学法学部二部法律学科に学士入学して卒業。三菱信託銀行では不動産鑑定業務に携わった。1977年、三菱信託銀行を退職。地元佐賀に帰郷し、佐賀県立伊万里商業高等学校商業科教諭となる。その後、佐賀県立有田工業高等学校英語科教諭、佐賀県立鳥栖高等学校英語科教諭を務め、1986年に高校教諭を退職。
古賀 常次郎(こが つねじろう、1939年〈昭和14年〉5月… 古賀 常次郎(こが つねじろう、1939年〈昭和14年〉5月18日 - 2026年〈令和8年〉3月4日)は佐賀県の実業家、篤志家、発明家。古賀商事代表取締役。更生保護活動への取り組み、旭日双光章など数々の受章・受賞で知られる。佐賀県佐賀市出身。
牛島 洋太郎(うしじま ようたろう、1936年7月30日- … 牛島 洋太郎(うしじま ようたろう、1936年7月30日- )は佐賀県佐賀市出身の実業家。サッカーJ2サガン鳥栖を運営するサガンドリームスの元代表取締役社長。
津村 準二(つむら じゅんじ、1936年2月5日 - )は、… 津村 準二(つむら じゅんじ、1936年2月5日 - )は、日本の経営者。佐賀県佐賀市川副町早津江出身。 佐賀郡早津江出身。中川副国民学校から龍谷中学校を経て佐賀県立佐賀高等学校に進む。プロ野球選手の田中久寿男が小学校時代の同級生に、小説家の岩橋邦枝が高校時代の1年先輩に居た。1958年に東京大学法学部を卒業し、所属していたボート部の先輩に勧められ同年に東洋紡績に入社。1980年9月に取締役に就任し、1997年6月には専務に就任した。1999年6月に社長に昇格した。2005年6月に会長に就任し、2010年6月から相談役を務めた。
川内 通康(かわうち みちやす、1935年(昭和10年)12… 川内 通康(かわうち みちやす、1935年(昭和10年)12月2日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の実業家。ニッポン放送元社長。佐賀県佐賀市出身。 佐賀市水ケ江にあるロングサン薬局の長男として産まれる。 佐賀大附属中、佐賀高校を経て、1959年に東京大学教育学部を卒業し、同年にニッポン放送に入社。 1979年に取締役に就任し、1983年に常務、1985年に専務、1989年6月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任し、1999年6月会長に退いた。 1992年から1999年までに日本民間放送連盟の理事を務め、2001年と2002年に東京国際映画祭のゼネラルプロデューサーも務めた。
増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 20… 増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 2025年6月3日)は、日本の実業家。三菱重工業取締役社長や、同社取締役会長、日本防衛装備工業会会長等を務めた。 長崎県または静岡県出身。佐賀高校を経て、1957年九州大学工学部卒業、三菱造船(現三菱重工業)入社。1987年三菱重工業広島製作所副所長。1989年三菱重工業下関造船所長。1991年三菱重工業取締役下関造船所長。1992年三菱重工業常務取締役機械事業本部長。1994年三菱重工業取締役副社長機械事業本部長。1995年三菱重工業取締役社長。1999年三菱重工業取締役会長、日本原子力発電取締役。2000年日本防衛装備工業会会長。2001年経済産業省産業構造審議会航空機宇宙産業分科会航空機委員会委員長。
成田 豊(なりた ゆたか、1929年(昭和4年)9月19日 … 成田 豊(なりた ゆたか、1929年(昭和4年)9月19日 - 2011年(平成23年)11月20日)は、日本の実業家。大手広告代理店・電通グループの会長、ならびに電通の最高顧問を務めた。2010年6月より電通名誉相談役。1993年から長年にわたり電通のトップに君臨した。位階は従三位。 1929年、日本統治下の朝鮮忠清南道天安郡(現在の天安市)生まれ。父清臣(きよおみ)は石川県出身・日本統治下の朝鮮総督府鉄道勤務。母ソメは佐賀県出身。従来、京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)生まれと一般に言われてきたが、正確な出生地は天安(ソウルの南約100kmにある街。本人の告白によれば、細かな説明をするのが面倒で京城生まれと言ってきたという)。
土井 定包(どい さだかね、1928年7月27日 - 200… 土井 定包(どい さだかね、1928年7月27日 - 2009年4月14日)は、日本の実業家。佐賀県生まれ。元大和証券社長・会長。大和証券を業界2位に押し上げ「中興の祖」と評されるが、総会屋への利益供与事件によって1997年に退任、顧問に退いた。
石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10… 石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10日 - 2001年(平成13年)1月12日)は、日本の造船技師(専門は舶用内燃機関、造船の生産技術・品質管理などの生産管理全般)、海軍軍人(予備将校)、実業家である。最終階級は海軍中尉。従七位。とくに、戦時急造された海防艦の専門家であり、戦時中、御蔵型など40隻の海防艦を竣工させた。戦後は、南極観測船の建造にも関わった。ブロック工法(ブロック建造方式)による艦船建造の先駆者の一人。 佐賀県神埼市出身。生家は佐賀藩主鍋島家の藩祖以来の外戚家門石井家。初代藩主鍋島勝茂の従兄石井茂成の8代目の子孫という。 神埼市立神埼小学校を経て、佐賀県立佐賀中学校(現・佐賀西高等学校)に進学。
永倉 三郎(ながくら さぶろう、1910年(明治43年)2月… 永倉 三郎(ながくら さぶろう、1910年(明治43年)2月15日 - 1993年(平成5年)10月20日 )は、日本の経営者。九州電力社長。九州旅客鉄道初代会長。九州・山口経済連合会会長。 佐賀県佐賀市出身。佐賀県立佐賀高等学校卒業。1934年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に東邦電力に入社。 1942年に九州配電(のちの九州電力)に転じる。戦時中は陸軍第49師団の主計中尉としてインパール作戦に従軍した。1963年5月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1974年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任し、1987年6月から取締役相談役を務めた。福岡放送取締役、九州旅客鉄道初代会長、九州・山口経済連合会会長なども歴任。
松尾 靜磨(まつお しずま、1903年2月17日 - 197… 松尾 靜磨(まつお しずま、1903年2月17日 - 1972年12月31日)は運輸省航空庁長官および日本航空社長・会長を務めた人物。 佐賀県杵島郡若木村(後の武雄市)出身。 連合国軍最高司令官総司令部によって航空事業が壊滅的な打撃を受けた中、民間航空の再建に取り組み、フラッグ・キャリアの日本航空の設立に実現したことから戦後日本航空業界の父と言われる。 杵島郡若木村(後の武雄市若木町)に4人兄弟の次男として生まれた。松尾家は代々庄屋を務める旧家であり、靜麿の祖父・安兵衛は土木建築業・松尾組(現、松尾建設)を創業、更に佐賀県内の各種企業の経営に参画するなど地元財界にて重きを成した。 旧制佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、旧制佐賀高等学校(現・佐賀大学)を経て、九州帝国大学工学部機械工学科卒業。
松尾 靜麿(まつお しずま、1903年2月17日 - 197… 松尾 靜麿(まつお しずま、1903年2月17日 - 1972年12月31日)は、元運輸省航空庁長官および元日本航空社長・会長。佐賀県杵島郡若木村(後の武雄市)出身。連合国軍最高司令官総司令部によって航空事業が壊滅的な打撃を受けた中、民間航空の再建に取り組んだことから戦後日本航空業界の父と言われる。
市村 清(いちむら きよし、1900年4月4日 - 1968… 市村 清(いちむら きよし、1900年4月4日 - 1968年12月16日)は、日本の実業家。リコーを中心とする「リコー三愛グループ」の創始者。 「人の行く裏に道あり花の山」を座右の銘とし、常識の裏をかくアイディア社長として一世を風靡した。銀座4丁目交差点に建てた円柱・総ガラス張りの個性的な「三愛ドリームセンター」(1963年完成、2023年解体)も、元々は市村の「お客を動かさず、建物を回して商品の方を動かしてはどうか」との発想に基づくものであった。 産業界・学界で功労者を顕彰する市村賞にその名を遺す。 1900年4月4日、佐賀県三養基郡北茂安村(現在のみやき町)の農家・市村豊吉の長男として生まれる。
進藤 武左ヱ門(進藤 武左衞門、しんどう ぶざえもん、189… 進藤 武左ヱ門(進藤 武左衞門、しんどう ぶざえもん、1896年 - 1981年)は、日本の実業家。日本発送電副総裁、中国電力初代会長、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁などを務めた。 山梨県北巨摩郡小淵沢村(現・北杜市)出身。山梨県立甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)、長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、佐賀県立佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、旧制第五高等学校を経て、九州帝国大学(現・九州大学)工学部電気科卒業。1923年東邦電力入社。東京電力を経て、東京電灯取締役、関東配電副社長、戦災復興院業務局長、資源庁長官、日本発送電副総裁、通商産業省(現・経済産業省)資源局長、行政審議会委員、中国電力会長、電源開発副総裁、大聖通商株式会社会長、愛知用水公団副総裁、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁、電源開発調整審議会会長代理などを歴任。
大倉 邦彦(おおくら くにひこ、旧姓:江原、1882年(明治… 大倉 邦彦(おおくら くにひこ、旧姓:江原、1882年(明治15年)4月9日 - 1971年(昭和46年)7月25日)は、日本の実業家・教育者。号を三空居士と称した。大倉喜八郎の大倉財閥とは全く関係がない。 大倉洋紙店(現・新生紙パルプ商事)会長。現在の神奈川県横浜市港北区大倉山に大倉精神文化研究所を創設。第10・11代東洋大学学長。 1882年4月9日、佐賀県神埼郡西郷村(現神埼市)の士族・江原家に生まれる。1902年に旧制佐賀中学校、1906年に上海の東亜同文書院を卒業の後、大倉洋紙店に入社。社長の大倉文二に見込まれて婿養子となり、その後社長に就任、事業を大きく発展させる。 日本の教育界・思想界の乱れを憂えた邦彦は、教育の重要性を説き、私財を投じて東京目黒に富士見幼稚園、郷里である佐賀県西郷村に農村工芸学院などを開設したほか、この考えをさらに広く普及させるべく、1932年には現在の神奈川県横浜市港北区大倉山に大倉精神文化研究所を創設する。
指山 弘養 は、日本の経営者。佐賀銀行頭取を務めた。