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半井 清(なからい きよし、1888年(明治21年)3月31… 半井 清(なからい きよし、1888年(明治21年)3月31日 - 1982年(昭和57年)9月3日)は、日本の内務官僚、政治家。官選府県知事、北海道庁長官、横浜市長。岡山県真庭市出身。位階は従三位。 岡山県真庭郡落合町(現:真庭市)出身。1888年(明治21年)衆議院議員・福井三郎の長男として生まれるが半井家を継いだ。第一高等学校を経て、1913年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、大阪府属となり内務部地方課に配属。その後、大阪府理事官、大阪府視学官、石川県理事官などを歴任。 1919年10月、朝鮮総督府に転じ学務局宗教課長に就任。
下元 連(しももと むらじ、1888年 - 1984年10月… 下元 連(しももと むらじ、1888年 - 1984年10月2日)は、日本の大蔵官僚、建築家、工学者(建築学)。 日本建築学会副会長、戦災復興院技監、戦災復興院営繕部部長、工学院大学工学部教授などを歴任した。 大蔵省(のちの財務省)に所属する技師として、総理大臣官邸(のちに総理大臣公邸に転用)をはじめとする多数の官公庁を設計した。退官後は、下元設計事務所の代表として活動すると同時に、工学院大学工学部の教授として後進を育成した。 1888年、福岡県小倉市(のちの福岡県北九州市)にて生まれた。大志を抱いて上京し、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学に入学し建築学を学んだ。1914年、東京帝国大学工科大学の建築学科(のちの東京大学工学部建築学科)を卒業し、学士号を得た。
戸田 保忠(とだ やすただ、1887年(明治20年)9月10… 戸田 保忠(とだ やすただ、1887年(明治20年)9月10日 – 1938年(昭和13年)12月18日)は、農商務官僚、農林官僚。 茨城県出身。第一高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。島根県属試補、島根県理事官、農務局事務官・臨時米穀管理局事務官、農商務書記官・参事官、同副業課長、農務課長、大臣官房会計課長、畜産局長、水産局長、農務局長を歴任した。1937年(昭和12年)、農林次官に就任した。 退官後は日本勧業銀行参与理事、漁業組合連合会会長を務めた。
吉村 哲三(よしむら てつぞう、1887年(明治20年)3月… 吉村 哲三(よしむら てつぞう、1887年(明治20年)3月10日 - 1967年(昭和42年)3月1日)は、日本の内務官僚、実業家。政友会系官選県知事、鳥取市長、鳥取銀行頭取。 現在の鳥取市立川町出身。第一高等学校を卒業。1911年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。日本銀行に入るが三カ月で退職。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1913年、内務省に入省し東京府属となる。 以後、鳥取県八頭郡長、宮城県理事官、内務事務官・大臣官房都市計画課勤務、同都市計課長兼鉄道書記官、兼土木局河川課長などを歴任し、1924年、大阪府書記官・内務部長に就任。 1927年11月、青森県知事に就任。
豊島 長吉(とよしま ちょうきち、1887年(明治20年)1… 豊島 長吉(とよしま ちょうきち、1887年(明治20年)1月2日 - 1949年(昭和24年))は、日本の内務官僚。官選栃木県知事。 愛媛県大内郡黒羽村(香川県大川郡相生村大字黒羽、引田町を経て現東かがわ市黒羽)で、豊島九平、清の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1913年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し京都府属となる。 以後、長崎県理事官、地方視学官、福井県警察部長、愛媛県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長などを歴任。 1931年12月、栃木県知事に就任。阿久津村小作争議事件の解決に尽力。
山口 尚章(やまぐち なおあき、1886年(明治19年)5月… 山口 尚章(やまぐち なおあき、1886年(明治19年)5月6日 - 1952年(昭和27年)4月2日)は、内務官僚。長崎県大村市長。旧姓・冨永。 長崎県東彼杵郡千綿村瀬戸郷(現東彼杵町瀬戸郷)で、冨永新作の長男として生まれる。1895年(明治28年)3月1日、母の実家、彼杵村坂本郷俵坂の山口家の養子となる。長崎県立長崎中学校を経て、1905年(明治38年)第一高等学校に入学したが病のため退学。その後静養して、1911年(明治44年)早稲田大学政治科を卒業。1913年(大正2年)に高等文官試験に合格した。愛媛県属、西宇和郡長、愛媛県理事官、福島県理事官、佐賀県理事官、岩手県警察部長、鳥取県内務部長、滋賀県内務部長、鹿児島県警察部長、沖縄県内務部長、福井県内務部長、同総務部長を歴任し、1936年(昭和11年)に退官した。
長瀬 貞一(ながせ ていいち、1886年(明治19年)3月1… 長瀬 貞一(ながせ ていいち、1886年(明治19年)3月15日 – 1939年(昭和14年)11月14日)は、農商務官僚、農林官僚。 三重県桑名郡出身。第一高等学校を経て、1911年(明治44年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。林務属、山林事務官、熊本大林区署詰、山林書記官、農商務省山林局林産課長、農林書記官、大臣官房文書課長を歴任。1927年(昭和2年)以降、水産局長、山林局長、米穀部長、農務局長を務めた。1936年(昭和11年)、農林次官に就任した。 退官後は飼料配給株式会社社長を務めた。
鵜沢 憲(うざわ けん、1886年(明治19年)3月1日 -… 鵜沢 憲(うざわ けん、1886年(明治19年)3月1日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。官選県知事。 千葉県出身。鵜沢信一の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1912年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し兵庫県警部となる。 以後、兵庫県警視、神戸水上警察署長、兵庫県警察部保安課長、同警務課長、高知県理事官、法制局参事官、朝鮮総督府事務官兼同府参事官、警察講習所教授、拓殖局書記官兼内務事務官、滋賀県書記官・内務部長、京都府書記官・内務部長、兵庫県書記官・内務部長など歴任。 1929年7月5日、岐阜県知事に就任。道路改良工事などに尽力。
清水 収吉(しみず しゅうきち、1885年(明治18年)8月… 清水 収吉(しみず しゅうきち、1885年(明治18年)8月 - 1967年(昭和42年)8月5日)は、明治末期から昭和にかけて活動した日本の官僚、実業家。逓信官僚から実業界に転じて東邦電力副社長や四国配電社長を務めた。岐阜県出身。 清水収吉は、1885年(明治18年)8月、岐阜県の田中清兵衛の次男として生まれた。1906年(明治39年)7月東京の第一高等学校第一部英法科を卒業。次いで1910年(明治43年)7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。その後清水やすの養子となり、清水家を相続する。 大学卒業後はただちに逓信省へ入省した。同年の文官高等試験に合格し、翌1911年(明治44年)12月高等官に叙され逓信管理局事務官補に任ぜられる。
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1884年(明治17年)1… 鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1884年(明治17年)11月8日 - 1958年(昭和33年)6月27日)は、日本の内務官僚。官選府県知事、錦鶏間祗候。 山形県南置賜郡米沢芳泉町(のち南原村大字芳泉町、現米沢市)出身。元米沢藩士・鈴木幸松の長男として生まれ、母方の祖父・鈴木伊和太の養子となる。第一高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1910年、内務省に入り、石川県警部に任官した。 1910年12月、愛媛県警視となる。以後、岩手県事務官、神奈川県理事官、島根県警察部長、台湾総督府警視兼参事官、内務書記官、地方局市町村課長などを歴任した。
時永 浦三(ときなが うらぞう、1884年(明治17年)4月… 時永 浦三(ときなが うらぞう、1884年(明治17年)4月6日 - 1929年(昭和4年)2月7日)は、日本の朝鮮総督府・内務官僚。官選県知事。 広島県甲奴郡上下村(現府中市)出身。時永清吉の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1909年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進学。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1910年5月、統監府属として渡韓した。 1910年10月、朝鮮総督府取調局属となる。以後、同取調局事務官、同道事務官・平安南道在勤、京畿道在勤、同事務官・総務局総務課長、兼同参事官、同内務部第二課長、同済世院庶務課長事務嘱託、同警務官兼同警視、同警務総監部保安課長、同兼警務総監部高等警察課長事務取扱、同事務官、兼同参事官などを歴任し、1922年1月、朝鮮総督府監察官に就任。
木下 信(きのした まこと、1884年〈明治17年〉2月8日… 木下 信(きのした まこと、1884年〈明治17年〉2月8日 - 1959年〈昭和34年〉6月27日)は、日本の内務官僚、政治家。憲政会系県知事、台湾総督府総務長官、衆議院議員。 長野県上伊那郡中箕輪村(現:箕輪町)に木下彦四郎の四男として生まれる。第一高等学校を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し内務省に入省、長野県属となる。 以後、熊本県鹿本郡長、同上益城郡長、長野県小県郡長、同県理事官、秋田県警察部長、北海道庁拓殖部長、警視庁刑事部長、同警務部長などを歴任。 1924年(大正13年)6月、鳥取県知事に就任。
長谷川 久一(はせがわ きゅういち、1884年(明治17年)… 長谷川 久一(はせがわ きゅういち、1884年(明治17年)1月7日 - 1945年(昭和20年)8月25日)は、日本の内務官僚。 東京府知事や警視総監を歴任。 旧唐津藩士・長谷川芳之助(一刀流の使い手である長谷川善兵衛久徴の子)の長男として岡山県で生まれる。第一高等学校を卒業。 1907年(明治40年)、東京帝国大学法科政治科を卒業。高等文官試験に合格し、内務省に入る。内務書記官、内務参事官、三重県警察部長、千葉県警察部長、警視庁第二部長、警視庁保安部長、岐阜県内務部長、内務監察官、内務省土木局長を歴任。 1923年(大正12年)10月25日、1924年(大正13年)6月24日、石川県知事を務める。
宮脇 梅吉(みやわき うめきち、1883年(明治16年)9月… 宮脇 梅吉(みやわき うめきち、1883年(明治16年)9月12日 - 1941年(昭和16年)1月12日)は、日本の内務官僚。官選県知事。 愛媛県大内郡水主村(現在の香川県東かがわ市)出身。宮脇清吉の五男として生まれる。第一高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、統監府判事となり、晋州、大邱、京城の各裁判所で勤務。 1913年6月、内務省に転じ埼玉県理事官・内務部学務課長に就任。以後、福井県警察部長、和歌山県警察部長、広島県警察部長、京都府警察部長、宮城県内務部長、広島県書記官・内務部長、石川県書記官・内務部長などを歴任。
川淵 洽馬(かわぶち こうま、1883年〈明治16年〉8月1… 川淵 洽馬(かわぶち こうま、1883年〈明治16年〉8月15日 - 1946年 〈昭和21年〉10月1日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、高知市長、衆議院議員。財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第7代会長。旧姓は宮崎。姓は川渕とも表記される。 高知県高岡郡窪川町(現・四万十町)生まれ。宮崎文次の二男として生まれ、川淵龍起の養子となる。第一高等学校を経て、1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年(明治45年)、内務省に入り警視庁警部に任官。 以後、警視庁警視、月島警察署長、台湾総督府警視、山形県警察部長、広島県警察部長、京都府警察部長、警視庁書記官・警務部長、警察講習所教授兼内務省参事官などを歴任。
芝辻 一郎(しばつじ いちろう、1883年(明治16年)6月… 芝辻 一郎(しばつじ いちろう、1883年(明治16年)6月6日 - 1962年(昭和37年)1月12日)は、日本の内務官僚。官選山梨県知事、川崎市長、沼津市長。 千葉県安房郡北条町長須賀(現:館山市長須賀)で、旧龍野藩士・芝辻勝の長男として生まれる。北条町尋常高等小学校、千葉中学校、第一高等学校を経て、1910年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年9月、内務省に入省し東京府属となる。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、神奈川県理事官、同県三浦郡長、同愛甲郡長、福島県北会津郡長、同県伊達郡長、富山県事務官・学務部長、愛媛県警察部長、宮崎県書記官・内務部長、三重県書記官・内務部長などを歴任。
別府 総太郎(べっぷ そうたろう、1883年(明治16年)5… 別府 総太郎(べっぷ そうたろう、1883年(明治16年)5月17日 - 1931年(昭和6年)5月16日)は、日本の内務官僚。官選県知事。 山口県豊浦郡滝部村(豊北町を経て現下関市豊北町大字滝部)出身。別府玄三の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り福岡県試補となる。 以後、福岡県理事官、群馬県理事官兼視学官、内閣書記官兼国勢院書記官、法制局参事官、拓殖事務局長などを歴任。 1924年6月、島根県知事に就任。1926年9月、奈良県知事に転じた。1927年5月、栃木県知事に就任。
前田 直造(まえだ なおぞう、1883年(明治16年)3月1… 前田 直造(まえだ なおぞう、1883年(明治16年)3月10日 - 1943年(昭和18年)4月10日)は、日本の逓信官僚。 三重県出身。第一高等学校を経て、1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。翌年に高等文官試験に合格した。逓信局書記、通信事務官補、通信副事務官、逓信局副事務官、逓信局事務官、逓信書記官を歴任し、その間に和歌山郵便局長、京都中央電話局長、北海道逓信局総務部長、熊本逓信局監察課長、同監理課長、東京逓信局規画課長を務めた。さらに逓信局電話課長、電務局規画課長などを歴任。1927年(昭和2年)、仙台逓信局長に就任し、大阪逓信局長、東京逓信局長も務めた。1933年(昭和8年)、退官。
岡 正雄(おか まさお、1882年〈明治15年〉12月27日… 岡 正雄(おか まさお、1882年〈明治15年〉12月27日 - 1948年〈昭和23年〉10月3日)は、日本の内務・警察官僚。憲政会系官選県知事、内務省警保局長。 島根県松江市出身。岡政徳の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進む。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1910年、内務省に入省し、北海道庁属となる。 以後、北海道庁事務官補、同理事官、佐賀県理事官、新潟県理事官、青森県警察部長、鳥取県内務部長、愛知県警察部長などを歴任。 1924年7月、富山県知事に就任。県営林造成、第二次伏木港築港工事、県営電力開発などに尽力。憲政会系と見られていたが、公正な県政運営により県民の信頼を得た。
池田 魁(いけだ かい、1882年(明治15年)12月10日… 池田 魁(いけだ かい、1882年(明治15年)12月10日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。東京市豊島区長。 鹿児島県大島郡住用村(現在の奄美市)出身。第一高等学校を経て、1917年(大正6年)3月、東京帝国大学法科大学を卒業。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格し、朝鮮総督府逓信局に勤務した後、鎮南浦府尹を務めた。 1932年(昭和7年)、東京市に入り、芝区会計課長を経て、豊島区長に就任した。
加勢 清雄(かせい きよお / かせ きよお、1882年〈明… 加勢 清雄(かせい きよお / かせ きよお、1882年〈明治15年〉7月13日 - 1971年〈昭和46年〉11月24日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。 現在の山形県米沢市出身。加勢清隆の二男、あるいは三男。第一高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1911年、内務省に入省し秋田県警視となる。 以後、秋田県事務官、新潟県事務官、埼玉県警察部長、新潟県警察部長、愛知県内務部長、福岡県書記官・内務部長、北海道庁土木部長などを歴任。 1926年9月、宮崎県知事に就任。日向カボチャの宣伝を行った。1927年5月、高知県知事に転任。
本山 文平(もとやま ぶんぺい、1882年4月 - 1980… 本山 文平(もとやま ぶんぺい、1882年4月 - 1980年9月13日)は、大正時代から昭和時代にかけての日本統治時代の台湾及び日本の官僚。 新潟県出身。第一高等学校を経て、1910年、東京帝国大学法科大学を卒業。台湾総督府に入り専売局属となる。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 1924年の奉令で常吉徳寿の後を引き継いで台湾台中州の知事となった。管轄は、現在の台中市、台中市、彰化県、南投県などの地区。1926年10月、警務局長に転じ、1928年7月まで在任した。 後に内地に戻り、1929年には大分県知事に任命され、翌1930年には熊本県知事に転任した。1931年12月18日に休職。
山岡 国利(やまおか くにとし、1882年〈明治15年〉2月… 山岡 国利(やまおか くにとし、1882年〈明治15年〉2月 - 1945年〈昭和20年〉3月25日)は、日本の内務・農商務官僚、実業家。官選県知事。旧姓・奥、旧名・堅次。 鹿児島県川内市(薩摩川内市)出身。奥斎之助の二男として生まれた。1900年(明治33年)、山岡国吉の養子となり、1930年(昭和5年)、名を国利と改名。 第一高等学校を首席で卒業。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し山形県属となる。 以後、警視庁方面監察官、農商務大臣秘書官兼農商務省参事官、同省山林局書記官、同事務官、三重県警察部長、福岡県警察部長、兵庫県警察部長、内務省土木局河川課長などを歴任。
長 延連(ちょう のぶつら、1881年〈明治14年〉8月4日… 長 延連(ちょう のぶつら、1881年〈明治14年〉8月4日 - 1944年〈昭和19年〉4月21日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事、警視総監。 静岡県敷知郡浜松常盤町(浜名郡浜松町大字常盤を経て現浜松市中央区常盤町)出身。長唯連の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1907年に京都帝国大学法科大学を卒業。文部省に入り普通学務局属となる。1908年11月、文官高等試験行政科試験に合格。文部省普通学務局第三課長を務める。 内務省に移り、香川県事務官、高知県事務官・警察部長、山梨県警察部長、福岡県警察部長兼港務部長、大分県・山口県・京都府の各内務部長などを歴任。 1922年6月、岡山県知事に就任。
斎藤 宗宜(さいとう むねのり、1881年(明治14年)4月… 斎藤 宗宜(さいとう むねのり、1881年(明治14年)4月1日 - 1939年(昭和14年)12月20日)は、日本の内務官僚、弁護士。府県知事。 静岡県出身。第一高等学校を経て、1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務省に入り山林属となるが、内務省に転じ、1910年、岐阜県山県郡長に就任した。 以後、群馬県学務課長、山形県警察部長、静岡県警察部長、宮城県警察部長、高知県・熊本県の各内務部長などを歴任。 1923年10月、宮崎県知事に就任。さらに、熊本県・大阪府の各知事を務める。1932年6月、京都府知事に就任。不況下の中小商工業者の救済に尽力し「産業知事」と呼ばれた。
吉松 憲郎(よしまつ のりお、1881年(明治14年)1月2… 吉松 憲郎(よしまつ のりお、1881年(明治14年)1月25日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。 高知県出身。第一高等学校を経て、1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、1907年(明治40年)統監府財政監査庁に入り、書記官となった。その後朝鮮総督府道事務官となり、平安北道第二部長、慶尚北道第一部長、仁川府尹を歴任し、1921年(大正10年)から京城府尹を務めた。
梅谷 光貞(うめたに みつさだ、1880年〈明治13年〉12… 梅谷 光貞(うめたに みつさだ、1880年〈明治13年〉12月2日 - 1936年〈昭和11年〉9月27日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 兵庫県養父郡畑村(現・養父市)で、梅谷伊平の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1909年1月、内務省に入省し警視庁警部となる。 1910年(明治43年)11月、警視庁警視に昇進。以後、岩手県警察部長、栃木県警察部長等、警察畑の要職を歴任した。1916年6月、台湾総督府に転出し、警視・民政部警察本署保安課長に就任。その後、警察官及司獄官練習所長事務取扱、台北庁長、総督府事務官、兼参事官、新竹州知事などを歴任。
日比 重雅(ひび しげまさ、1880年(明治13年)6月 -… 日比 重雅(ひび しげまさ、1880年(明治13年)6月 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選鳥取県知事。 本籍・三重県。内務官僚・日比重明の長男として生まれた。第一高等学校を卒業。1906年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し東京府属となる。 以後、山口県事務官、奈良県事務官、香川県事務官、香川県警察部長、和歌山県警察部長、三重県警察部長、岐阜県内務部長、静岡県内務部長、宮城県内務部長などを歴任。 1922年10月16日、鳥取県知事に就任。政府の方針に従い財政緊縮政策を実施した。1924年6月24日、知事を休職となる。1926年6月23日、休職満期となり退官した。
馬場 鍈一(ばば えいいち、1879年〈明治12年〉10月5… 馬場 鍈一(ばば えいいち、1879年〈明治12年〉10月5日 - 1937年〈昭和12年〉12月21日)は、日本の政治家、大蔵官僚。法制局長官、日本勧業銀行総裁、貴族院勅選議員、広田内閣大蔵大臣、第一次近衛内閣内務大臣を歴任した。積極財政派で、蔵相時代に大規模な省内人事の刷新や極端な積極財政を行った馬場財政で知られる。 東京府芝区(現在の東京都港区)に、旧幕臣・山本時光の長男として生まれる。時光は一時期日雇人夫に身をやつしていたと伝えられ、生家は貧しかった。後に鉄道技師で、旧会津藩士の馬場兼の婿養子となり改姓する。麹町区富士見小学校高等科3年から1892年(明治25年)4月に東京府尋常中学校2年へ編入学、1896年(明治29年)3月に尋中を卒業し、第一高等学校文科政治科へ入学。
春藤 嘉平(しゅんどう かへい、1879年(明治12年)8月… 春藤 嘉平(しゅんどう かへい、1879年(明治12年)8月27日 - 1953年(昭和28年)4月4日)は、日本の内務・警察官僚。官選青森県知事、呉市長、川崎市長。 後の岡山県児島郡八浜町(現:玉野市)で春藤常治の長男として生まれる。 第一高等学校を卒業。1905年10月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し山梨県属となる。1907年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 以後、栃木県事務官、千葉県事務官・警察部長、三重県事務官・警察部長、埼玉県警察部長、山梨県内務部長、熊本県内務部長、宮城県内務部長などを歴任。 1921年3月9日、青森県知事に就任。河川改修事業を推進した。
本間 利雄(ほんま としお、1877年(明治10年)3月3日… 本間 利雄(ほんま としお、1877年(明治10年)3月3日 - 1970年(昭和45年)2月2日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。 山形県出身。酒田本間家の一族、本間東三郎の長男として生まれる。東京外国語学校を経て第一高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業し大学院に進んだ。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し富山県属となる。 以後、富山県事務官、同理事官、島根県警察部長、愛媛県警察部長、広島県警察部長、警視庁官房主事、同高等警察課長、兵庫県内務部長などを歴任。 1922年10月、長野県知事に就任。ブラジル移民の推進、郡制廃止への対応、中等学校の整備、道路網の改良などを推進。
大熊 喜邦(おおくま よしくに、1877年1月13日 - 1… 大熊 喜邦(おおくま よしくに、1877年1月13日 - 1952年2月25日)は、日本の建築家、営繕官僚。公共建築の中心的人物。中央諸官庁及び地方庁舎に数多く携わる。東京生まれ。妻木頼黄・矢橋賢吉の後を引き継いで国会議事堂の建設を統括した。旧文部省庁舎なども設計。一方、江戸時代の建築・法制などを研究し、その研究書を著す。著書に『世界の議事堂』などがある。工学博士・経済学博士。 麹町生まれ。父は元旗本であった。第一高等学校を経て、1903年、東京帝国大学工科大学(現・東京大学工学部)建築学科を卒業。卒業後は大学院に籍を置き、横河民輔の横河工務所に入所。帝国劇場などの設計に関与した。 1905 (M38)年、東京帝国大学工科大学講師。
馬渡 俊雄(まわたり としお、1876年(明治9年)12月1… 馬渡 俊雄(まわたり としお、1876年(明治9年)12月14日 - 1946年(昭和21年)2月1日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。旧姓・加藤。 東京府豊多摩郡淀橋町で加藤弘之の三男として生まれる。1885年7月、佐賀藩の家老諫早一学の家臣で、判事や弁護士を務めた馬渡俊猷の養子となる。第一高等学校を経て、1901年9月、東京帝国大学法科大学政治学科に入学。1905年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1906年、東京帝大を卒業し内務省に入省、愛知県属となる。 以後、滋賀県事務官、大阪府事務官、山口県事務官・警察部長、福岡県事務官・警察部長、神奈川県警察部長、和歌山県内務部長、新潟県内務部長などを歴任。
道岡 秀彦(みちおか ひでひこ、1876年(明治9年)11月… 道岡 秀彦(みちおか ひでひこ、1876年(明治9年)11月15日 - 1924年(大正13年)11月15日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 後の鹿児島県薩摩郡隈之城村西手(現薩摩川内市)出身。道岡要介の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1903年、京都帝国大学法科大学を卒業。司法官試補となるが、1905年、逓信省に転じ鉄道局属となる。1906年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 以後、臨時鉄道国有準備局事務官兼逓信省書記官、青森県事務官・警察部長、千葉県事務官・警察部長、岡山県警察部長、大阪府警察部長、警察講習所長などを歴任。 1919年4月、青森県知事に就任。学校教育の向上などに尽力。
佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治… 佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治9年)11月4日 - 1952年(昭和27年)12月28日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。 後の東京市四谷区四谷舟町(現新宿区舟町)出身。佐竹万三の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1903年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。逓信省に入省し管船局属となる。1905年、内務省に転じ神奈川県属に就任した。 1906年、福井県事務官となる。以後、岡山県事務官・第二部長、山梨県事務官・警察部長、鹿児島県事務官・警察部長、奈良県事務官・内務部長、滋賀県内務部長、福岡県内務部長などを歴任。
力石 雄一郎(ちからいし ゆういちろう、1876年(明治9年… 力石 雄一郎(ちからいし ゆういちろう、1876年(明治9年)6月30日 - 1933年(昭和8年)3月17日)は、日本の内務官僚。政友会系官選府県知事。族籍は愛媛県士族。 愛媛県喜多郡大洲町(現:大洲市)で、旧大洲藩士・力石八十綱の長男として生まれる。東京に移り、府立一中、第一高等学校を経て、1900年7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年、文官高等試験に合格。内務省に入省。 以後、徳島県参事官、岩手県警部長、岩手県事務官・第四部長、石川県事務官・警察部長、関東都督府大連民政署長、長野県・岐阜県の各内務部長などを歴任。 1914年4月、第2次大隈内閣が成立し長野県知事に発令された。以後、大分県・茨城県・宮城県・秋田県・新潟県の各知事を経て、1928年5月、大阪府知事に就任。
三松 武夫(みまつ たけお、1876年(明治9年)3月9日 … 三松 武夫(みまつ たけお、1876年(明治9年)3月9日 - 1934年(昭和9年)5月26日)は、日本の農商務官僚。憲政会・民政党系県知事。 大分県日田町で三松則之の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1899年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務省に入り農商務属となる。 以後、農商務省山林局事務官、同省農務局事務官、同省書記官などを歴任。 1914年7月、鳥取県知事に就任。1917年1月、同知事を退任。横浜市助役を経て、1924年6月、山口県知事となる。1925年10月、新潟県知事に就任。1927年4月、同県知事を退任。1929年7月、新潟県知事に再任され、1930年8月まで務め退官した。
加福豊次(かふくとよじ、1876年-1921年10月23日)… 加福豊次(かふくとよじ、1876年-1921年10月23日)は日本統治下の台湾における官僚。台北庁長、台中庁長、台中州知事などを務めた。 原籍は長崎県。東京府北豊島郡滝野川村に生まれ、1891年(明治24年)第一高等学校 (旧制)に入学、1896年(明治29年)陸軍士官学校に入学。1899年東京帝国大学法科大学仏法科卒業後、日露戦争勃発により招集されて主計少尉となり、第1軍付きの国際法顧問として出征。 1905年に台湾地方院検査官となり、1909年より台湾総督府警務課長、保安課長などをへて1914年に台北庁長就任。1917年、総督府事務官に転任、1918年、台北局林務課長に任命され、1919年に台中庁長、翌年地方制度改革に伴い台中州知事に就任したが、 1921年(大正10年)2月、台中疑獄事件により解任され、台湾証券公取の設立準備を進める中、脳出血に腎臓病を合併し46歳で死去した。
永田 亀作(ながた かめさく、1875年(明治9年)9月6日… 永田 亀作(ながた かめさく、1875年(明治9年)9月6日 – 没年不詳)は、日本の内務官僚。神戸市助役。 静岡県榛原郡菅山村(現在の牧之原市)出身。第一高等学校を経て、1902年(明治35年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、大学院に進んだ。翌年11月、文官高等試験行政科試験に合格。千葉県立千葉中学校教諭、青森県視学官、同事務官、同警察部長、福岡県事務官、沖縄県事務官、同内務部長、岩手県内務部長を歴任し、1919年(大正8年)に休職となった。 その後、1921年(大正10年)から神戸市助役を務めた。
皆川 治廣(みながわ はるひろ、1875年(明治8年)3月7… 皆川 治廣(みながわ はるひろ、1875年(明治8年)3月7日 - 1958年(昭和33年)3月7日)は、司法官僚、検事、判事。 愛媛県松山市出身。旧制第一高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補として大阪地方裁判所に勤務した。翌年、日露戦争が勃発すると第四軍司令部附国際法顧問として従軍した。 1906年(明治39年)、大阪地方裁判所予備検事となり、小倉区裁判所検事、東京地方裁判所検事を歴任した。1910年(明治43年)、ブリュッセルで開催された万国刑法会議に出席した後、フランス・ドイツ・スイスに留学した。1913年(大正2年)に帰国後、司法書記官・大臣官房職員課長に任命され、法律取調委員会幹事も務めた。
石橋 和(いしばし やわら、1873年(明治6年)6月3日 … 石橋 和(いしばし やわら、1873年(明治6年)6月3日 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 福岡県出身。石橋伊三郎の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1899年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し土木局属となる。 以後、滋賀県参事官、岩手県参事官、埼玉県警部長、埼玉県事務官・第四部長、愛知県事務官・警察部長、福島県事務官・内務部長、岐阜県内務部長、大阪府警察部長、東京府内務部長などを歴任した。 1915年1月8日、佐賀県知事に就任。1917年1月17日、岐阜県知事に転任。美濃九郡の米生産検査制度を実施し、大井川の水利権問題の解決などを行う。
小原 新三(おはら しんぞう、1873年(明治6年)3月13… 小原 新三(おはら しんぞう、1873年(明治6年)3月13日 - 1953年(昭和28年)6月27日)は、日本の内務・朝鮮総督府官僚。官選県知事、錦鶏間祗候。俳号・烏兎(うと)。 東京府出身。新潟県庶務課長を務めた小原実の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1897年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。貴族院事務局に入局した。 1898年、貴族院事務局書記官兼内務省参事官に就任。以後、青森県事務官、奈良県内務部長を歴任。1910年10月、朝鮮総督府に転じ内務部地方局長に就任。さらに、忠清南道長官を経て、1916年10月、総督府農商工部長官となる。
尾崎 勇次郎(おざき ゆうじろう、1873年〈明治6年〉3月… 尾崎 勇次郎(おざき ゆうじろう、1873年〈明治6年〉3月1日 - 1956年〈昭和31年〉5月19日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。旧姓・片山。 後の兵庫県多紀郡篠山町(現丹波篠山市)で片山新三郎の二男として生まれ、1878年に尾崎文七の養子となる。第一高等学校を卒業。1899年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し地方局属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 1900年9月4日、和歌山県参事官となる。以後、宮城県参事官、福島県警察部長、香川県警察部長、樺太民政署事務官、同民政・事業部長、専売局主事、樺太庁内務部長、北海道庁内務部長などを歴任。
保科 孝一(ほしな こういち、明治5年9月20日(1872年… 保科 孝一(ほしな こういち、明治5年9月20日(1872年10月22日) - 昭和30年(1955年)7月2日)は、日本の国語学者、文部官僚。 1872年、置賜県米沢(現・山形県米沢市)に米沢藩士の保科忠次郎の子として生まれた。第一高等学校を経て、1897年(明治30年)に帝国大学国文科を卒業。卒業後は、上田萬年の創設した国語研究室の助手となった。 1898年(明治31年)に文部省図書課嘱託となり、国語国字問題の研究調査に当たる。以来1947年(昭和22年)まで50年にわたって国語政策に関わった。1901年(明治34年)に国語調査委員会設置にあたり補助委員。1902年(明治35年)に東京帝国大学助教授。
遠藤 源六(えんどう げんろく、1872年9月17日(明治5… 遠藤 源六(えんどう げんろく、1872年9月17日(明治5年8月15日)- 1971年(昭和46年)5月13日)は、日本の海軍文官、法制官僚、法学者。行政裁判所長官、枢密顧問官、明治大学教授、法学博士。号・虚舟。 宮城県栗原郡、後の白幡村(現栗原市)で、遠藤佐源治の三男として生まれる。第一高等学校を経て、1900年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業し同大学院に進む。 1900年8月、海軍省に入省し主理試補・東京軍法会議附に就任。同年11月、文官高等試験に合格。以後、海軍省参事官、兼同司法局、兼海軍大学校教官、大本営附、佐世保捕獲審検所評定官、兼海軍経理学校教官などを歴任。この間、明治大学講師を務め、1908年1月15日に法学博士号を取得した。
神山 閏次(かみやま じゅんじ、1870年11月7日(明治3… 神山 閏次(かみやま じゅんじ、1870年11月7日(明治3年10月14日)- 1943年(昭和18年)3月8日)は、日本の内務・農商務官僚。官選群馬県知事、錦鶏間祗候。 熊本県出身。熊本藩士・神山譲の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1895年(明治28年)帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し県治局属となる。 1896年(明治29年)5月、青森県参事官に就任。以後、司法大臣秘書官兼司法省参事官、衆議院書記官兼内務省参事官、農商務大臣秘書官兼衆議院書記官兼農商務省参事官、農商務省水産局長などを歴任。 1908年(明治41年)8月、群馬県知事に就任。
杉山 四五郎(すぎやま しごろう、1870年2月6日〈明治3… 杉山 四五郎(すぎやま しごろう、1870年2月6日〈明治3年1月6日〉- 1928年〈昭和3年〉6月13日)は、日本の内務官僚、政治家。政友会系府県知事、衆議院議員。 越後国蒲原郡島潟村出身。大庄屋役・小川右平太の四男[要出典]として生まれ、1894年(明治27年)に大蔵省官吏・杉山叙(松本藩士・杉山叙主の次男[要出典]。明治維新後官界に入り、丸亀税務監督局長を務めた)の養子となる。開成中学、第一高等学校を経て、1894年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年8月、内務省に入り、愛知県属として内務部第一課長に発令された。1895年(明治28年)11月、高等文官試験行政科試験に合格した。 1896年(明治29年)1月、内務属となり土木局に配属された。
折原 巳一郎(おりはら みいちろう、明治2年8月7日〈186… 折原 巳一郎(おりはら みいちろう、明治2年8月7日〈1869年9月12日〉 - 1933年〈昭和8年〉11月13日)は、日本の内務官僚、政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員。 上野国邑楽郡、のちの群馬県邑楽郡大箇野村(現板倉町)に、村長・県会議員として活躍した折原逸太郎の長男として生まれる。第一高等学校を経て、1896年(明治29年)に帝国大学法科大学を卒業。内務省に入り警保局属に任官し戸籍課に配属。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。 1897年(明治30年)愛媛県参事官となり、以後、静岡県・和歌山県の各参事官、大阪府第三部長、滋賀県事務官・第一部長兼第三部長、福岡県・兵庫県の各内務部長などを歴任。
清野 長太郎(せいの ちょうたろう、1869年5月12日(明… 清野 長太郎(せいの ちょうたろう、1869年5月12日(明治2年4月1日) - 1926年9月15日)は、日本の内務官僚。憲政会系官選県知事、復興局長官。 香川県高松出身。高松藩士・清野彦三郎の長男として生まれる。第一高等学校を経て、1895年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、高等文官試験行政科試験に合格。内務省に入り警保局属となる。富山県参事官、神奈川県参事官、内務省地方局町村課長などを歴任。 1906年1月、秋田県知事に就任。同年11月、南満州鉄道理事に転じた。1916年4月、兵庫県知事に発令され、1919年4月まで在任。在任中の1918年(大正7年)8月には、神戸市内で米騒動(1918年米騒動)が激化。
菅原 通敬(すがわら みちよし、1869年2月16日(明治2… 菅原 通敬(すがわら みちよし、1869年2月16日(明治2年1月6日)– 1946年(昭和21年)12月18日)は、日本の大蔵官僚・政治家。大蔵次官、貴族院議員、枢密顧問官、錦鶏間祗候。 仙台藩士・郡長、菅原通実の長男として生まれる。仙台中学、第一高等学校を経て、1895年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。大蔵省に入省し大蔵属となり、主税局に配属された。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 1895年11月、横浜税関倉庫課長に就任。以後、沖縄県収税長、司税官・熊本税務管理局、税務監督官・主税局内国税課、函館税務管理局長、丸亀税務管理局長、神戸税務管理局長、神戸税務監督局長、大蔵書記官・主税局内国税課長、主税局長などを歴任。