スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
橋口 隆(はしぐち たかし、1913年〈大正2年〉10月1日… 橋口 隆(はしぐち たかし、1913年〈大正2年〉10月1日 - 2005年〈平成17年〉2月21日)は、日本の政治家、元商工・通産官僚、元自由民主党衆議院議員(6期)。 鹿児島県肝属郡根占町(現・南大隅町)出身。橋口順孝の長男。第七高等学校造士館を経て、1938年、東京帝国大学法学部を卒業。1937年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1938年、商工省に入省し貿易局属となる。 以後、商工省・情報局・軍需省・綜合計画局・戦災復興院・物価庁などの事務官、商工省木製品課長、通商産業省アルコール事業長、広島通商産業局長、福岡通商産業局長などを歴任。 1967年1月の第31回衆議院議員総選挙で鹿児島3区から自民党公認で立候補して初当選。
周 仏海(しゅう ふつかい、1897年5月29日〈光緒23年… 周 仏海(しゅう ふつかい、1897年5月29日〈光緒23年4月28日〉 - 1948年〈民国37年〉2月28日)は、中華民国の財政家・政治家。本名周 福海。汪兆銘政権の有力者。 湖南省生まれ。日本に留学し第七高等学校造士館 (旧制)・京都帝国大学に学ぶ。この頃から共産主義に触れるようになり中国共産党とも接触を持つ。1921年に開催された中共一大会議には日本への留学生を代表する形で参加した。しかし、1924年に帰国すると中国国民党宣伝部秘書になり、共産党と関係を絶つ。 その後、北伐に参加し一時汪兆銘の武漢国民政府に参画するが、その後は戴季陶の庇護を受け、蔣介石の下で三民主義のイデオローグとして活躍、国民党中央執行委員・党中央宣伝部副部長などを歴任。
有元 史郎(ありもと しろう、1896年(明治29年)6月2… 有元 史郎(ありもと しろう、1896年(明治29年)6月25日 - 1938年(昭和13年)5月30日)は、日本の教育者、政治家。芝浦工業大学創設者。第4代岡山県津山市長(1937年)。広島県尾道市土堂町出身。本姓は菅原氏。諱は頼忠。 広島県尾道市土堂町出身。船具を扱う尾道の名家有元益太郎季久の四男として生まれるが、会社が廃業し3歳のとき、兄2人とともに叔母に引き取られる。14歳のとき、家出同然に兵庫県西宮市の叔父のもとへ向かう。奉公の後、独力で大阪天王寺の桃山中学校に編入、しかし腸チフスに感染し同校退学。一年間兵役に服した後、検定試験で中学を卒業。兄の援助を受け1919年、鹿児島の第七高等学校理科甲類入学。
塩月 学(學、しおつき まなぶ、1892年(明治25年)3月… 塩月 学(學、しおつき まなぶ、1892年(明治25年)3月10日 - 1966年(昭和41年)12月17日)は、大正から昭和期の雑誌編集者、政治家。衆議院議員。 大分県大野郡三重村(三重町を経て現豊後大野市)で、塩月古五郎の長男として生まれる。故郷や大分の呉服店に奉公後、19歳で上京。苦学して、第七高等学校造士館を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。 安田保善社に入社し、その後、秘書課長に就任。政界入りを目指して安田保善社を退職し、第一出版社を経営し、日本青年社を創立し雑誌『青年日本』を発刊した。 1929年(昭和4年)東京市疑獄事件を受けて実施された東京市会議員選挙に出馬して最高点で当選。
滝脇 宏光(瀧脇、たきわき ひろみつ、1888年〈明治21年… 滝脇 宏光(瀧脇、たきわき ひろみつ、1888年〈明治21年〉12月13日 - 1964年〈昭和39年〉2月22日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・古市、旧名・強哉。 帝国大学工科大学学長・古市公威の四男強哉として生まれ、子爵・滝脇信鑰の養子となる。養父の隠居に伴い、1923年(大正12年)4月30日、子爵を襲爵。宏光と改名した。 第七高等学校造士館を経て、1915年(大正4年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年、鉄道院に入り経理局属となる。1916年(大正5年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。以後、鉄道院書記、同副参事兼同総裁秘書、鉄道省事務官兼同大臣秘書官、鉄道省参事官、内閣総理大臣秘書官などを歴任。
崎山 嗣朝(さきやま しちょう、1888年(明治21年)5月… 崎山 嗣朝(さきやま しちょう、1888年(明治21年)5月4日 - 1960年(昭和35年)6月4日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、那覇市長。 沖縄県首里(現在の那覇市)に崎山嗣記の長男として生まれ、幼時を石垣島で過ごした。沖縄県立中学校を卒業後、第七高等学校に進み、1913年(大正2年)に卒業した。さらに京都帝国大学法科大学独法科に学び、1917年(大正6年)に卒業した。翌年に帰郷し、弁護士を開業した。 那覇市会議員、沖縄県会議員を経て、1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。計4期務めた。 1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙 所属 立憲政友会 1932年(昭和7年)第18回衆議院議員総選挙 所属 立憲政友会 1937年(昭和12年) 第20回衆議院議員総選挙 所属 立憲政友会 1943年(昭和18年)3月には那覇市長に選出された。
今宿 次雄(いましゅく つぐお、1884年(明治17年)1月… 今宿 次雄(いましゅく つぐお、1884年(明治17年)1月10日 - 1971年(昭和46年)9月4日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、八日市市長。旧姓・三浦。 京都府京都市下京区綾小路通出身。三浦寛一の二男として生まれ、今宿家の養子となる。第七高等学校造士館を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務省に入省。内務省に転じ滋賀県属となる。 以後、滋賀県警視、同理事官、熊本県理事官、福岡県事務官、千葉県警察部長、埼玉県書記官・内務部長などを歴任。 1926年9月、沖縄県知事に就任。第1次若槻内閣総辞職に伴い1927年5月に辞任。1929年9月、佐賀県知事に就任。
橋口 行彦(はしぐち ゆきひこ、1883年10月22日 - … 橋口 行彦(はしぐち ゆきひこ、1883年10月22日 - 1963年7月28日)は日本の政治家、鉄道技師・官僚。鹿児島県串木野市初代市長、鉄道大臣官房研究所所長。 鹿児島県生まれ、串木野市(現いちき串木野市)出身。1907年7月第七高等学校造士館第二部(工科志望)卒業。1912年7月に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、鉄道院(後に鉄道省と改称)に入って技手となり、1918年11月技師に昇進。1923年8月から1925年10月に鉄道省在外研究員として欧米留学。1935年6月、鉄道省監督局技術課長となる。1936年7月15日、鉄道大臣官房研究所(現鉄道総合技術研究所)所長に就任。在任中の1937年2月、国際鉄道会議日本政府代表委員としてフランス出張。