スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 … 大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 - 2022年2月18日)は、日本の指揮者。東京芸術大学名誉教授。 東京都生まれ。父は旭物産合資会社(後の旭光学工業)の社長を務めた大町弘蔵、祖父は陸軍主計少将 の大町豊五郎、曽祖父は医師の大町淳信で、典薬寮に仕えたこともある地下家の医師の家系であった。 少年時代、作曲家の呉泰次郎が開いていた音楽私塾で音楽理論、作曲法、指揮法の手ほどきを受ける。旧制成城高等学校を経て、東京芸術大学作曲科に入学するも、指揮への興味が募り、指揮法を渡邊暁雄、クルト・ヴェスに師事。その後、ウィーン国立音楽大学指揮科に入学し、指揮をハンス・スワロフスキー、フランコ・フェラーラに師事。
飯島 紀(いいじま おさむ、1928年2月 - )は、日本の… 飯島 紀(いいじま おさむ、1928年2月 - )は、日本の古代オリエント学者。 東京市目黒村(現:目黒区)生まれ。1945年芝中学校(旧制)卒業後、1949年成城高等学校 (旧制) 卒業。1953年京都大学理学部化学科卒業。京都大学文学部にて聴講生としてセム語を履修。松下電器産業に勤務、1988年退職。日本オリエント学会会員。
河竹 登志夫(かわたけ としお、1924年12月7日 - 2… 河竹 登志夫(かわたけ としお、1924年12月7日 - 2013年5月6日)は、日本の演劇学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1974年)(学位論文「近代日本演劇とハムレット : ハムレット移入史の研究」)。早稲田大学名誉教授。1995年勲三等旭日中綬章受章、2000年恩賜賞・日本芸術院賞受賞、2001年文化功労者。 本名は俊雄。演劇研究家・河竹繁俊の二男として東京に生まれる。歌舞伎作者の河竹黙阿弥の曾孫にあたり、祖母(繁俊の養母)の糸女が河竹黙阿弥の娘である。 旧制成城高等学校、東京帝国大学理学部物理学科卒業、早稲田大学第一文学部演劇学科、同大学院を経てハーバード・エンチン研究所客員研究員として招かれた。
矢崎 光圀(やさき みつくに、1923年(大正12年)11月… 矢崎 光圀(やさき みつくに、1923年(大正12年)11月29日 - 2004年9月13日)は、日本の法学者(法哲学)、大阪大学名誉教授。法学博士(東京大学、1968年)(学位論文「法実証主義-現代におけるその意味と機能-」)。正四位勲三等旭日中綬章。山梨県中巨摩郡(現・南アルプス市)生まれ。言語学者・翻訳家の矢崎源九郎は兄。俳優の矢崎滋は甥。 1942年9月成城高等学校文科乙類卒業、1947年9月東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年10月東京大学大学院特別研究生。 1950年4月学習院大学講師、1951年5月大阪大学法経学部助教授。1961年5月大阪大学法学部教授。1969年9月大阪大学法学部長(11月まで)。
増山 太助(ますやま たすけ、1913年8月20日 - 20… 増山 太助(ますやま たすけ、1913年8月20日 - 2007年5月27日)は、日本の社会運動家、社会運動研究家である。 東京・日本橋新堀町生まれ。開成中学を1931年3月に卒業。翌4月成城高等学校に入学、2学年のとき自由主義教育の理念を掲げる小原國芳主事の解雇反対運動(成城事件)で生徒側の闘争委員を務めた。1935年4月京都帝国大学経済学部に入学、農業経済を専攻しのち地代論を学んだ。在学中、新村猛・中井正一らの『世界文化』の発行に呼応し、反ファシズム人民戦線運動の一環として、1936年5月『学生評論』を創刊した。1938年9月「日本共産主義者団」の事件に連座して検挙されたが、同年12月不起訴で釈放され、1939年3月大学を卒業した。
中江 孝男(なかえ たかお、1913年4月30日 - 没年不… 中江 孝男(なかえ たかお、1913年4月30日 - 没年不明)は、日本の官僚・実業家。東京帝国大学在学中にバスケットボール選手として活躍し、1936年ベルリンオリンピックへの出場経験がある。のちに農林省に官僚として勤務したのち、祖父中江種造の興した中江産業に務める。志賀直哉の娘婿である。 祖父は鉱山王と呼ばれ中江産業を興した中江種造。父は種造の子・種一で、母は料理研究家として知られる中江百合(渡辺暢の娘)。 旧制成城高等学校、東京帝国大学農学部に学び、籠球部に所属。1936年ベルリンオリンピックでは、同じ東京帝大の田中秀次郎・鹿子木健日子とともにバスケットボール日本代表に選ばれた。 大学卒業後、農林省に入省し官僚となる。
古谷 綱正(ふるや つなまさ、1912年〈明治45年〉4月1… 古谷 綱正(ふるや つなまさ、1912年〈明治45年〉4月15日 - 1989年〈平成元年〉5月11日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。毎日新聞社論説委員、JNNニュースコープメインキャスター。 東京出身。旧制成城高等学校卒業。同校の尋常科(旧制成城第二中学校)時代から非行に走り、喫煙に始まり学校をサボって映画館に入り浸るなどの行為を繰り返し、尋常科4年の際には落第一歩手前の状況となるが、同校のダルトン・プランなどのシステムをフル活用してなんとか落第を免れた。高等科では左翼運動に走り警察に検挙され、事実上停学処分となり3年次の2学期と3学期は期末試験すら受けていない状態だったが、どういうわけか落第にもならず卒業できた。
小室 栄一(こむろ えいいち、1912年4月12日 - 没年… 小室 栄一(こむろ えいいち、1912年4月12日 - 没年不詳)は、日本の歴史学者。 東京生まれ。1934年に成城高等学校文科甲類を卒業し、東京帝国大学文学部言語学科に入学。その後、西洋史学科に転科し、大類伸に学び、卒業論文「中世英國城廓形式の研究」をまとめ、1937年に卒業。同年、同大学大学院に入学し、1941年修了。この間、1939年に日本大学予科講師となり、1942年4月に日本女子大学教授、1949年4月に東洋大学文学部史学科助教授、1951年同大学教授。1954年4月に明治大学文学部歴史地理学科教授となり、1983年に定年退職。 専門は西洋史であるが、1958年から関東地方の中世城郭の調査研究を行った。
松田 智雄(まつだ ともお、1911年5月22日 - 199… 松田 智雄(まつだ ともお、1911年5月22日 - 1995年11月9日)は、日本の経済史学者、東京大学名誉教授。近代ドイツ経済史を研究。 朝鮮仁川生まれ。旧制成城高校を経て、1934年に東京帝国大学文学部西洋史学科を卒業し、経済学部経済学科に入学。1937年に卒業。1948年に立教大学教授、1955年6月1日から1972年3月31日まで東京大学経済学部教授。その後、ケルン日本文化会館長、図書館情報大学長。 松田は長野県軽井沢の別荘地発展に大きく貢献した人物である。市村今朝蔵夫妻が1932年に開拓した、軽井沢南原にある学者村別荘地「友達の村」に我妻栄、蝋山政道、松本重治、吾妻光俊、井上秀、黒川武雄、野村胡堂、前田多門らとともに初期から別荘を構えた。
富永 次郎(とみなが じろう 1909年4月23日 - 19… 富永 次郎(とみなが じろう 1909年4月23日 - 1969年7月14日)は、日本の美術評論家。 東京本郷に生まれる。富永太郎は兄、富永三郎は弟。1925年(大正14年)12月旧制成城第二中学校4年のとき、兄太郎死去。1927年(昭和2年)富永太郎詩集を没後出版。旧制成城高等学校で大岡昇平や古谷綱武と知り合い、1929年(昭和4年)4月、同人雑誌『白痴群』創刊時に、同人として参加。同誌は、編輯人を河上徹太郎が務め、村井康男とその門下生たち、中原中也が創作や翻訳を寄せるものであった。京都帝国大学文学部美学科卒業。1940年(昭和15年)小説『黄昏暦』を出版。そのほかに美術書、こども向けの美術案内書の著作がある。
安原 喜弘(やすはら よしひろ、1908年(明治41年)5月… 安原 喜弘(やすはら よしひろ、1908年(明治41年)5月19日 - 1992年(平成4年)11月4日)は、日本の詩人、歌人。中原中也との親交が深く、多くの書簡を交わした人物として知られる。 1908年(明治41年)東京市芝区生まれ、その後目黒で育った。旧制成城第二中学校(1926年に旧制成城高等学校となる)に進み、そこで加藤英倫、富永次郎、古谷綱武などと知り合う。また、高校在学中の1928年(昭和3年)秋に、同じく学友である大岡昇平の紹介で中原中也と知り合った。後に大岡、中原らとともに同人誌『白痴群』を共同で企画し、1929年(昭和4年)4月に創刊した。また、同時期に京都帝国大学文学部哲学科へ入学し、京都市左京区百万遍にある京都アパートメントに転居する。
鈴木 知太郎(すずき ともたろう、1905年10月30日 -… 鈴木 知太郎(すずき ともたろう、1905年10月30日 - 1977年12月5日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(日本大学・論文博士・1960年)。日本大学名誉教授。 愛知県渥美郡高松村(現・田原市)出身。1930年(昭和5年)、日本大学国文科卒業。1939年(昭和14年)成城高等学校教授、1943年(昭和18年)日本大学助教授を経て、1949年(昭和24年)日本大学教授に就任。1960年(昭和35年)、論文「土佐日記の研究」で日本大学より文学博士の学位を取得。1965年(昭和40年)から1970年(昭和45年)までは日本大学櫻丘高等学校校長を兼任。 1976年(昭和51年)、日本大学教授を定年で退職した。
清水 文雄(しみず ふみお、1903年(明治36年)6月6日… 清水 文雄(しみず ふみお、1903年(明治36年)6月6日 - 1998年(平成10年)2月4日)は、熊本県出身の国文学者。和泉式部など中古文学・中世文学の研究で有名。作家・三島由紀夫の才能を見出したことで知られる。 1932年(昭和7年)、広島文理科大学卒業。1933年(昭和8年)、蓮田善明や栗山理一、池田勉と共に「国文学試論」を発行。1938年(昭和13年)、蓮田たちと共に「文藝文化」創刊。 1938年(昭和13年)、国語教師として旧制成城高校から学習院に赴任。1939年(昭和14年)、当時中等科3年生だった平岡公威(三島由紀夫)に、国文法と作文を教える。1940年(昭和15年)、寄宿舎の星雲寮舎監。
倉野 憲司(くらの けんじ、1902年3月9日 - 1991… 倉野 憲司(くらの けんじ、1902年3月9日 - 1991年2月28日)は、日本の国文学者。福岡女子大学名誉教授。学位は文学博士(東京大学・論文博士・1951年)。 福岡県遠賀郡芦屋町に生まれる。1926年に東京帝國大学文学部国文学科を卒業後、ただちに成城高等学校教授となり、以後、東京女子大学教授、広島文理科大学助教授、文部省図書監修官、神宮皇學館大學教授を歴任。 戦後は鈴鹿高等学校教諭等を経て、1950年に福岡女子大学教授に就任。同大学において1952年に学生部長、1956年に文学部長、1962年に図書館長など要職を歴任し、1964年には学長となり、1972年まで3期8年間つとめた。同年退職して同大学名誉教授、また勲二等瑞宝章を受章。