河原井 正雄(かわらい まさお、1954年(昭和29年)7月… 河原井 正雄(かわらい まさお、1954年(昭和29年)7月26日 - )は、群馬県桐生市出身の元アマチュア野球選手、野球指導者。青山学院大学硬式野球部監督・大学野球日本代表監督等を歴任。 桐生市本町に生まれる。子どものころから稲川東一郎率いる群馬県立桐生高等学校硬式野球部に憧れ同校へ入学、1年生から中心選手として活躍する。投手として1972年夏の甲子園県大会を勝ち抜き、北関東大会準決勝に進出。足利工の石田真と投げ合うが9回サヨナラ負け、甲子園には出場できなかった。 1973年に卒業後、青山学院大学に進学し同大学硬式野球部に所属。東都大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、同1973年春季リーグでは1年上のエース金沢真哉を擁し、深沢進(のち東芝)らとともに打線の中心となり活躍。
峰島 三千男(みねしま みちお、1954年7月25日-)は、… 峰島 三千男(みねしま みちお、1954年7月25日-)は、日本の工学者。現在は順天堂大学医療科学部臨床工学科学科長、特任教授である。医工学研究を行い、新規治療技術の創出、医療技術の開発に携わった。とりわけ、血液透析をはじめとする血液浄化の分野で多くの業績を残している。また、1987年の臨床工学技士法制定に際し、関連学術団体の立場から参画し、教科書執筆、セミナー講演等を通じ多大な功績を残した。現在も医工学研究に従事するとともに臨床工学技士を目指す学生の育成に努めている。
酒井 ゆきえ(さかい ゆきえ、本名:酒井 幸江〈読み同じ〉、… 酒井 ゆきえ(さかい ゆきえ、本名:酒井 幸江〈読み同じ〉、1954年〈昭和29年〉7月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、女優。一般社団法人日本国際文化協会理事。血液型はA型。エフロード(フルハウスグループ)所属。 東京都世田谷区梅丘出身。区立山崎小学校、山崎中学校、東京都立明正高校、山脇学園短期大学英文科卒業。 幼稚園の時、銀行員だった父親の転勤で3年ほど帯広で暮らした。高校卒業後は共学の4年制大学に行きたかったが、母親の希望で山脇短大へ進学。学校推薦で大正海上火災(後の三井海上)に入社が内定していたが、就職前にちゃんとした日本語を身につけたかったことと、東山千栄子に憧れていたことから、綺麗な日本語を話す仕事に就きたかったという思いもあって、フジテレビのアナウンサー試験を受けたら、あっさり合格してしまった。
柳家 はん治(やなぎや はんじ、1954年7月24日 - )… 柳家 はん治(やなぎや はんじ、1954年7月24日 - )は、東京都八王子市出身の落語家。落語協会所属の真打。本名∶荒井 良雄。出囃子は『雛鶴三番嫂』、紋は『変り羽団扇』。 日野高校を卒業。高校の3学年上に忌野清志郎がいる。國學院大學出身。 1977年5月、十代目柳家小三治に入門して「柳家小はぜ」を名乗る。初高座は10月、師匠の会で「道灌」。 1982年3月に柳家小勇、川流亭かっぱと共に二ツ目昇進し、「はん治」と改名。1992年3月、北とぴあ若手落語家競演会大賞受賞。 1993年9月に古今亭菊寿、入船亭扇海、三遊亭若圓歌、四代目柳亭市馬、柳家さん生、三代目入船亭扇蔵、柳家喜多八、全亭武生、古今亭志ん上と共に真打に昇進。
久我 なつみ(くが なつみ、1954年7月24日- )は、日… 久我 なつみ(くが なつみ、1954年7月24日- )は、日本のエッセイスト、作家、元画家。美術に関する著書を多く執筆する。 京都市生まれ。父邦光史郎、母田中阿里子はともに作家。同志社女子高等学校、同志社大学文学部英文科卒業。YMCAで英語講師のかたわら美術を学ぶ。新制作展入選3回。関西新制作展入選2回。1998年『フェノロサと魔女の町』で第5回蓮如賞、2005年『日本を愛したティファニー』で第53回日本エッセイストクラブ賞受賞。日本文学についての著述もある。
松平 盟子(まつだいら めいこ、1954年7月24日 - )… 松平 盟子(まつだいら めいこ、1954年7月24日 - )は、日本の歌人。愛知県岡崎市生まれ。 南山大学文学部国語国文学科卒業。国語教師を経て、コスモス短歌会に入会する。1977年、作品「帆を張る父のやうに」50首で第23回角川短歌賞を受賞。1990年、『プラチナ・ブルース』で河野愛子賞を受賞。 歌誌『プチ☆モンド』を主宰する。読売新聞地方版「よみうり文芸」選者。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吉沢 俊幸(よしざわ としゆき、本名:吉澤 俊幸、1954年… 吉沢 俊幸(よしざわ としゆき、本名:吉澤 俊幸、1954年7月23日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手。 日大三高では2年生の時、遊撃手として1971年の春の選抜に出場。1年上のエース渡部良克(日大-名古屋日産)を擁し順調に勝ち進む。決勝では渡部と大鉄高の奥田直也の投げ合いとなるが、2-0で完封勝利、初優勝を飾った。同年夏の東京大会では準決勝で日大一高の保坂英二に完封負け。他の1年上のチームメートに捕手の岩沢建一がいた。 翌1972年の選抜にも連続出場。同期の待井昇、小曽根修治(電電関東)両投手の好投もあり決勝に進むが、日大櫻丘高のエース仲根正広に完封を喫し準優勝にとどまる。夏の東京大会は6回戦で戸山高に完封負けを喫した。
工藤 博義(くどう ひろよし、1954年7月23日 - )は… 工藤 博義(くどう ひろよし、1954年7月23日 - )は、福岡県遠賀郡水巻町出身の元プロ野球選手(外野手)。 折尾高から社会人野球の新日本製鐵八幡に進む。1974年の都市対抗野球では左腕エース萩野友康を擁し、1回戦で鐘淵化学を相手に延長13回サヨナラ打を放つなど活躍。決勝に進出するが大昭和製紙北海道に延長10回惜敗。準優勝にとどまるが若獅子賞を獲得した。1977年の都市対抗野球では盛岡鉄道管理局との1回戦に2点本塁打を放ち、強肩俊足の長距離打者として注目される。 1977年のプロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから5位指名され入団。 プロ1年目の1978年にはジュニアオールスターに出場し、1979年には、ウエスタンリーグで10本塁打を記録する。
佐藤 明(さとう あきら、1954年7月23日 - )は、日… 佐藤 明(さとう あきら、1954年7月23日 - )は、日本の裁判官。福岡高等裁判所宮崎支部長や、福岡高等裁判所部総括判事を務めた。 中央大学卒業後、千葉地方裁判所判事補、名古屋地方裁判所判事補、大阪地方裁判所判事、秋田地方裁判所判事、高松高等裁判所判事、大阪地方裁判所堺支部判事、神戸地方裁判所部総括判事、京都地方裁判所部総括判事、福岡高等裁判所宮崎支部長、福岡高等裁判所部総括判事等を歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
今枝 良三(いまえだ りょうぞう、1954年7月22日 - … 今枝 良三(いまえだ りょうぞう、1954年7月22日 - )は、日本の土木技術者、実業家。前田道路株式会社代表取締役社長。 愛知県出身。1977年名古屋工業大学土木工学科卒業、前田道路入社。西関東支店長を経て、2009年取締役執行役員西関東支店長に昇格。2010年取締役執行役員工事事業本部副本部長。同年取締役執行役員製品事業本部長。2011年取締役常務執行役員製品事業本部長。2012年取締役常務執行役員中部支店長。2014年取締役常務執行役員製品・技術部門管掌、工事事業本部長。2015年から代表取締役社長を務め、親会社である前田建設工業による株式公開買付けへの対応にあたるなどした。日本道路建設業協会常任理事、日本道路協会理事、浜松市やらまいか大使等も歴任。
諸角 敬(もろずみ けい、1954年7月22日 - )は、日… 諸角 敬(もろずみ けい、1954年7月22日 - )は、日本の建築家。一級建築士事務所studioA主宰。 1954年、神奈川県・逗子市生まれ。1977年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。1977年から82年まで林・山田・中原設計同人。1983-84年、studio Mangiarottiに所属。1985年、studioA設立。 1993年-95年に早稲田大学理工学部建築学科非常勤講師となる。現在、日本大学生産工学部建築学科、工学院大学工学部建築学科にて非常勤講師。また、NPO法人「家づくりの会」理事。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
モヒカーノ関(モヒカーノせき、1954年〈昭和29年〉7月2… モヒカーノ関(モヒカーノせき、1954年〈昭和29年〉7月22日 - 2013年〈平成25年〉1月23日)もしくは関 恭史(せき たかひと)は日本のラテン・ジャズピアニスト。北海道芦別市出身。神奈川県横浜市在住。 従来より親しみやすい楽曲をハッピーに演奏する芸風が好評だったが、近年はトリッキーなリズムや複雑なフレージング、緊張感のあるハーモナイズなど高度な音楽性と持ち前のエンターテインメントを融合させる方向に進んできている。 明るいキャラクターとトレードマークのモヒカン頭が「警戒されない・愛される」人物像を形成している。豊かな声量でピアノ弾き語りもこなす。 7歳よりピアノを始める。中学・高校時代はアルペンスキーの選手として活躍。
玉龍 大蔵(たまりゅう だいぞう、1954年7月22日- )… 玉龍 大蔵(たまりゅう だいぞう、1954年7月22日- )は、長崎県長崎市出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。本名は永田 大蔵(ながた だいぞう)。最高位は西小結(1987年11月場所)。現役時代は身長191cm・体重125kg。得意手は右四つ・吊り・上手投げ・足癖など。趣味は音楽鑑賞。血液型はA型。 林業を営む一家の次男として生まれ、長崎市立東長崎中学校では、柔道を経験した。 中学3年生の時、元関脇・玉乃海の片男波親方の勧誘を受けて、片男波部屋に入門。初めは勧誘を断ったが、自身がNHK相撲解説者の玉ノ海梅吉(元関脇)と同郷であると教えられ、その縁で見学だけならというつもりで部屋を訪れたらそのまま入門が決定したという。
渡辺 博栄(わたなべ ひろひで、1954年7月21日 - )… 渡辺 博栄(わたなべ ひろひで、1954年7月21日 - )は、気象予報士。NHKの気象情報番組に数多く出演していた。 秋田県三種町出身。秋田県立能代高等学校卒業。1973年、財団法人(現:一般財団法人)日本気象協会入社。民放のローカル番組やNHKラジオへの出演を経て、1992年にNHKモーニングワイド・サンデーの気象キャスターに起用され、NHKニュースおはよう日本や正午前の気象情報のキャスターを長期にわたり務めた。この間、1995年2月に気象予報士に合格。 長らく日曜8:55(→8:57)の気象情報担当を務めていたことから、直前の「週刊こどもニュース」に呼ばれ簡単に解説したことがある。これがきっかけか、1999年から2003年にかけては同番組で「お天気おじさん」を担った。
中島 弘美(なかじま ひろみ、1954年7月21日 - )は… 中島 弘美(なかじま ひろみ、1954年7月21日 - )は、日本熊本県出身の元プロ野球選手(ポジションは投手)。1977年から1978年までの登録名は、中島 啓助(〜けいすけ)。
大西 勝敬(おおにし よしのり、1954年7月21日 - )… 大西 勝敬(おおにし よしのり、1954年7月21日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。現在はコーチ。大阪府大阪市出身。法政大学卒業。1973年全日本選手権3位。 1973年、国民体育大会に東京都代表として出場し、高校男子で優勝する。同年の全日本選手権では、佐野稔、松村充に続き3位に入る。 1977年の全日本選手権を最後に引退した後は、桜ノ宮スケートリンクのコーチを経て大阪府立臨海スポーツセンターで主任コーチを務めた。教え子には町田樹、加納誠、平池大人、北村明子などがいる。加納とはカルガリー五輪へ、町田とはソチ五輪へコーチとして帯同。現在は日本フィギュアスケーティングインストラクター協会の副会長を務める。
横山 雅史(よこやま まさふみ、1954年7月21日 - )… 横山 雅史(よこやま まさふみ、1954年7月21日 - )は、東京都出身のベーシスト、作曲家。 早稲田大学法学部卒業。学生時代より活動開始。橋本一子、藤本敦夫、木村万作、石井AQらと組んだ「カラード・ミュージック(Colored Music)」での活動を経て、谷山浩子バンド、森高千里バンドの中核的メンバーとしてレコーディング、ステージに参加。元チャクラの板倉文らによるキリング・タイム、今堀恒雄や菊地成孔らとのティポグラフィカ、土屋昌巳バンドなど、ニュー・ウェイヴ・前衛シーンのバンドにも参加する一方、スタジオ・ミュージシャンとしては、アイドルからベテランまで数多くのアーティストと共演し、楽曲を提供した。
岡本 勝人(おかもと かつひと、1954年(昭和29年)7月… 岡本 勝人(おかもと かつひと、1954年(昭和29年)7月20日 - 2025年11月5日)は、日本の詩人、文芸評論家。 埼玉県小川町に生まれる。県立川越高等学校卒業後、青山学院大学法学部公法学科に進学。大学在学中に、西洋史の秀村欣二、文芸評論家の饗庭孝男、詩人の黒田三郎に出会う。また高校の同窓である作家の盛田隆二、水城昭彦と同人誌「積乱雲」を発行する。大学卒業後、学校法人大乗淑徳学園法人本部他に勤務。在職中に、加島祥造、北村太郎、疋田寛吉などの「荒地」の詩人に出会う。また、小田切進、清岡卓行、高橋英夫に親炙する。早稲田文学、三田文学に作品を寄稿。週刊読書人にて、書評を執筆。その他、詩と詩論に関する書評、古寺巡礼や白洲正子論、柳宗悦論を執筆し、今日に至る。
牟礼 正稔(むれい まさとし、1954年〈昭和29年〉7月2… 牟礼 正稔(むれい まさとし、1954年〈昭和29年〉7月20日 - )は、日本の政治家。兵庫県赤穂市長(2期)。 兵庫県赤穂市坂越出身。赤穂市立坂越小学校、赤穂市立坂越中学校、兵庫県立赤穂高等学校、大阪大学法学部卒業。1978年(昭和53年)、兵庫県庁に入庁。県立大播磨光都キャンパス事務部長や県道路公社播但連絡道路管理事務所長などを務めた。2014年(平成26年)7月、赤穂市長選挙への出馬を志し県庁を退職。 2015年(平成27年)1月18日執行。元副市長の明石元秀、元会社経営者の矢野英樹ら2候補らと市長選を争うも次点で落選。※当日有権者数:40,501人 最終投票率:61.00%(前回比:+9.87pts) 2019年(平成31年)1月20日執行。
田中 勝英(たなか かつひで、1954年7月20日 - )は… 田中 勝英(たなか かつひで、1954年7月20日 - )は、日本の経営者。太陽生命社長、会長を務めた。 東京都出身。1977年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に太陽生命に入社。2001年7月に取締役に就任し、2004年3月に常務、2008年6月に専務を経て、2009年6月に副社長に就任し、2011年4月には社長に昇格。2019年4月に会長に就任。
渡辺 純(わたなべ じゅん、1954年7月20日 - )は日… 渡辺 純(わたなべ じゅん、1954年7月20日 - )は日本の建築家。株式会社JWA(Jun Watanabe&Associates)建築・都市設計主宰。作品は元所員として(株)槇総合計画事務所にて責任担当した幕張メッセ国際会議場、独立後のものとして安比高原牧場牛舎、中部大学男子留学生寮、ピアースコード中目黒、アジールコート荻窪、いずみやま荘ショートステイ棟、二葉学園グループホームアスター、広尾の二軒長屋、など。 1954年、東京都に生まれる。1978年、東京大学工学部建築学科卒業。1983年ハーバード大学建築大学院修了。丹下健三・都市・建築設計研究所(1978-1981)、I.M.ペイアンドパートナーズ(1983-1985)、槇総合計画事務所(1985-1990)勤務の後、1990年株式会社JWA建築・都市設計代表取締役として独立。
奈良 富士子(なら ふじこ、1954年7月19日 - )は、… 奈良 富士子(なら ふじこ、1954年7月19日 - )は、日本の俳優、歌手。本名:清水 富士子。旧姓は芸名と同じ。別芸名は水島 彩子。 大阪府大阪市東住吉区出身。日本大学豊山女子高等学校卒業。浅井企画、サムデイを経てオフィスPSC所属。 幼少時代から子役として映画やテレビに出演していた。1971年に『美人はいかが?』で初の主演を務め、以降本格的に役者として活動するようになる。1972年に、『はだしの女の子』で歌手デビュー。 ※ すべてCBS・ソニーより発売 ※ CBS・ソニーより発売
村田 誉之(むらた よしゆき、1954年7月19日 - )は… 村田 誉之(むらた よしゆき、1954年7月19日 - )は、日本の実業家。大和ハウス工業代表取締役副社長。 大成建設代表取締役社長、同副会長を歴任した。 埼玉県出身。小学生の頃に国立競技場 を見て憧れ、建設会社を志した。高校1年生の最後に、建築の世界に進もうと決心したという。開成高等学校を経て、東京大学工学部建築学科に進学。 大学では内田祥哉研究室に在籍。同級生には建築家の隈研吾や大江匡がいた。また、在学中は心身を鍛えるためアメリカンフットボールにも取り組んだ。卒業した1977年、大成建設に入社。 1996年東京支店作業所長、2003年同支店工事部長、2009年大成建設ハウジング社長、2011年大成建設執行役員関東支店長、2013年4月常務執行役員建築総本部長兼建築本部長兼社長室副室長、同年6月取締役に就任。
天野 尚(あまの たかし、1954年7月18日 - 2015… 天野 尚(あまの たかし、1954年7月18日 - 2015年8月4日)は、日本の写真家、実業家、元競輪選手。新潟県西蒲原郡巻町(現・新潟市西蒲区)出身。新潟県立吉田商業高等学校(現・吉田高等学校)卒業。アクアデザインアマノの創業者で、ネイチャーアクアリウムを提唱した。また写真家としては、アマゾン、ボルネオなどの熱帯雨林の撮影に力を注いでいた。 1954年7月18日、新潟県西蒲原郡巻町に生まれる。16年間競輪選手として活動する一方で世界各地の熱帯雨林を訪れ、風景写真やエッセイを専門誌に発表するなどした。 1982年、アクアデザインアマノを創立。アクアリストでもあり、自身のデザインした水槽のレイアウトをADA本社にネイチャーアクアリウム・ギャラリーとして展示している。
田浦 芳孝(たうら よしたか、1954年7月18日 - )は… 田浦 芳孝(たうら よしたか、1954年7月18日 - )は、日本の実業家。JR北海道元会長。 熊本県出身。熊本県立済々黌高等学校を経て、1978年(昭和53年)に早稲田大学政治経済学部を卒業し、日本国有鉄道に入社。東日本旅客鉄道仙台支社長、常務IT・Suica事業本部長、JR東日本情報システム代表取締役社長、ビューカード社長を歴任した。JR東日本でSuica普及の立役者として活躍した。 2020年北海道旅客鉄道会長に就任した。2022年退任。 2023年東日本鉄道文化財団理事長に就任した。
西田 洋一(にしだ よういち、1954年(昭和29年)7月1… 西田 洋一(にしだ よういち、1954年(昭和29年)7月18日 - )は、日本の政治家。自由民主党愛媛県議会議員(5期)。株式会社ケーブルネットワーク西瀬戸代表取締役社長。元 長浜町長。 愛媛県長浜町出身。1978年慶応義塾大学法学部卒業。卒業後は丸紅に入社する。その後、帰郷し、1986年に長浜町長選挙に立候補し、当選。1990年に行われた長浜町長選挙には立候補せず、1期4年で退任。1998年6月に行われた長浜町長選挙に立候補し新人候補を破り当選。2002年6月の長浜町長選挙では山鳥坂ダム建設事業への反対を訴えた元職の上田邦彦を1,109票差で破り、再選。 2005年1月11日に長浜町が大洲市、肱川町、河辺村と合併した事に伴い失職。
新井 清(あらい きよし、1954年7月17日 - )は栃木… 新井 清(あらい きよし、1954年7月17日 - )は栃木放送の元アナウンサー・元報道制作部記者。埼玉県上福岡市(現在のふじみ野市)出身、國學院大學卒業。 『それゆけウィークエンド』という番組では「さすらいのガールハント」コーナーを担当、隠しマイクを持って女の子に話しかけてナンパするようなコーナーであったが、その成功率は70%ともいわれた。 レコード会社に知人が多いということで、会食、飲み会の席でレコードを出そうかという話が何度か出たという。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
豊島 近(とよしま ちかし、1954年7月17日 - )は、… 豊島 近(とよしま ちかし、1954年7月17日 - )は、日本の生物学者(構造生物学)。東京大学定量生命科学研究所教授。秋田県由利本荘市出身。 秋田県立秋田高等学校を経て、1978年東京大学理学部物理学科卒業、1983年同大大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了(理学博士)。1984年同助手となり、1986年にスタンフォード大学博士研究員、1988年にMRC分子生物学研究所研究員となる。1990年に帰国し、東京工業大学助教授に就任。 クライオ電子顕微鏡およびX線回折の手法による、筋小胞体カルシウムポンプなどのP型ATPアーゼのイオン能動輸送機構の解明で知られる。
川口 啓太(かわぐち けいた、1954年7月15日 - )は… 川口 啓太(かわぐち けいた、1954年7月15日 - )は、元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 初めは日大一高に通学していたが、日体荏原高に転校する。高校卒業後に明治大学に進学して硬式野球部に所属。東京六大学野球リーグではエースの丸山清光や名取和彦の好投もあり、1975年に春秋季連続優勝を飾る。同年春季リーグではベストナイン(三塁手)に選出された。直後の全日本大学野球選手権ではこの大会初となる満塁本塁打も記録するが、準決勝で中畑清を打の主軸とする駒大に敗退する。しかし同年の明治神宮野球大会は、決勝で因縁の駒大を降し優勝を飾った。 その後は江戸川学園取手高校の野球部部長、沼津学園高校の監督を務めた。
合田 隆史(ごうだ たかふみ、1954年7月14日 - )は… 合田 隆史(ごうだ たかふみ、1954年7月14日 - )は、前尚絅学院大学学長。日本生涯教育学会第20期会長。文部科学省に所属していた元国家公務員。生涯学習政策局長を最後に2013年7月同省を退官。
旭堂 南左衛門(きょくどう なんざえもん、1954年7月14… 旭堂 南左衛門(きょくどう なんざえもん、1954年7月14日 - )は、日本の講談師。本名:西野 安彦。現在、上方講談協会会長。 兵庫県三田市出身。兵庫県立篠山鳳鳴高等学校、近畿大学商経学部卒業。 1976年 3代目旭堂南陵に入門、旭堂南学として初高座。1987年、真打昇進。旭堂南左衛門を創名。1990年「第8回咲くやこの花賞」受賞。1993年、国立演芸場花形演芸会金賞を受賞。 1997年、カラオケDEチャンス(奈良テレビ)の司会を卒業。2000年、日本テレマン協会主催の「ヘンデル:オラトリオ本邦初演シリーズ」に内容解説の講談師として出演。それ以後、各地の歴史をテーマに「音楽絵巻」を創作し、中野順哉との二人三脚で「上方講談」の創作活動を積極的に行う。
あいはら 友子(あいはら ともこ、1954年7月14日 - … あいはら 友子(あいはら ともこ、1954年7月14日 - )は、日本の女優、株式研究家、画家。日本テクニカルアナリスト協会公認テクニカルアナリスト。高野山真言宗僧籍・高野山宝亀福寿会理事。本名、高木(旧姓・原) かよ子。
常田佐久(つねた さく、1954年(昭和29年)7月14日 … 常田佐久(つねた さく、1954年(昭和29年)7月14日 - )は日本の天文学者。人工衛星、観測ロケット、気球などの飛翔体を使った天文学、特に太陽の研究を専門とする。東京都文京区出身。 1978年(昭和53年)3月に東京大学理学部天文学科を卒業、1980年(昭和55年)に東京大学大学院理学系研究科天文学専門課程修士課程を修了、1983年(昭和58年)に同理学系研究科天文学専門課程博士課程を修了し理学博士となる。その後日本学術振興会研究員を経て、1986年(昭和61年)に東京大学東京天文台助手、1988年(昭和63年)からは東京大学理学部で助手、1992年(平成4年)には助教授となる。1996年(平成8年)に国立天文台の太陽物理研究系に教授として迎えられ、以降2012年(平成24年)まで太陽物理学関係の研究を続ける。
大西 多摩恵(おおにし たまえ、1954年7月13日 - )… 大西 多摩恵(おおにし たまえ、1954年7月13日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。
濵地 昭男(はまじ あきお、1954年7月13日 - )は、… 濵地 昭男(はまじ あきお、1954年7月13日 - )は、日本の技術者、実業家。三菱アルミニウム代表取締役社長や、日本アルミニウム協会会長を務めた。 和歌山県出身。1979年東北大学大学院工学研究科資源工学専攻修了、三菱鉱業セメント(現三菱マテリアル)入社。2007年執行役員。2010常務執行役員。2012年常務取締役。2015年取締役副社長。 2016年から三菱アルミニウム代表取締役社長及び日本アルミニウム協会会長を務めたが、品質データ不正事件で三菱アルミニウムが不正競争防止法違反により起訴されたことを受け2018年に引責辞任した。
古川 享(ふるかわ すすむ、1954年7月12日 - )は、… 古川 享(ふるかわ すすむ、1954年7月12日 - )は、日本の実業家。マイクロソフト(現:日本マイクロソフト)初代代表取締役社長かつ初代会長、米国Microsoft本社副社長、元慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授。ビル・ゲイツが最も信頼した日本人の一人。「インテル、入ってる」というコピーの生みの親でもある。 以下混乱を防ぐため、米マイクロソフトを「Microsoft」、マイクロソフト株式会社(現:日本マイクロソフト株式会社)を「MSKK」と表記する。 東京都生まれ。東京教育大学附属駒場中学校に落ちて麻布中学校に入る。麻布学園在学中は文化祭実行委員として学園紛争に関与。麻布高等学校卒業後、駿台予備校に籍を置きつつ秋葉原のマイコンショップ「コスモス」で店員として働く。
上條 正仁(かみじょう まさひと、1954年7月12日 - … 上條 正仁(かみじょう まさひと、1954年7月12日 - )は、日本の経営者、銀行家。東京都出身。 1977年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に協和銀行に入行。2003年に埼玉りそな銀行執行役員に就任し、2006年に代表取締役、2008年に専務を経て、2009年には社長に就任。2014年4月に会長に就任。
大谷 明裕(おおたに めいゆう、 (1954-07-12) … 大谷 明裕(おおたに めいゆう、 (1954-07-12) 1954年7月12日(71歳) - )は、日本の作曲家・シンガーソングライター。シンガーソングライター活動時は「大谷めいゆう」名義。 大阪府大阪市出身。大阪府立北野高等学校卒業。早稲田大学中退。学生時代からのバンド活動を経て音楽界へ。作曲家の曽根幸明に師事。その後、作・編曲家の池多孝春について編曲・理論を学ぶ。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
大垣信良(おおがき のぶよし 、1954年7月11日 – )… 大垣信良(おおがき のぶよし 、1954年7月11日 – )は、日本のテレビディレクター、プロデューサー、演出家。 1954年、神奈川県横浜市生まれ。1978年、早稲田大学政治経済学部を卒業して、日本テレビ放送網に入社した。同期には桜田和之がいる。1996年、日本テレビ放送網を退社。現在は株式会社えすと取締役を務める。 自身がプロデュースした番組「ルックルックこんにちは」で大垣は芸能リポーターを活用していたが、それは「取材と、それを伝えることは別の能力。臨場感を出すためにもリポーターは欠かせない」からであったという。 1995年、「ルックルックこんにちは」にオウム真理教関係者を生出演させたところ、当時オウム真理教は警察から捜査を受けていたために批判を受けることになった。
岡田 知弘(おかだ ともひろ、1954年7月11日 - )は… 岡田 知弘(おかだ ともひろ、1954年7月11日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。日本学術会議連携会員(21期・22期)。専門は地域経済学、農業経済学、マルクス経済学。 1954年、富山県西礪波郡福岡町(現・高岡市)生まれ。1973年、富山県立高岡高等学校理数科卒業、京都大学文学部入学。1975年、京都大学経済学部転入学。1978年、京都大学経済学部卒業。1985年、京都大学大学院経済学研究科経済政策学専攻博士後期課程退学、岐阜経済大学専任講師、1988年同助教授。1990年、京都大学経済学部助教授、1996年同教授。1997年、京都大学大学院経済学研究科教授。2010年、京都大学大学院公共政策連携研究部教授を併任(- 2016年)、2015年、京都大学大学院経済学研究科教授へ再配置。
柴田 元幸(しばた もとゆき、1954年7月11日 - )は… 柴田 元幸(しばた もとゆき、1954年7月11日 - )は、日本のアメリカ文学研究者、翻訳家。東京大学名誉教授。東京都大田区出身。
森 まゆみ(もり まゆみ、1954年7月10日 - )は、日… 森 まゆみ(もり まゆみ、1954年7月10日 - )は、日本の作家・エッセイスト・編集者・市民運動家。公益財代法人日本ナショナルトラスト理事。早稲田大学ジャーナリズム研究所特別招聘研究員。明治学院大学国際平和研究所研究員。 作家の近藤富枝は伯母。日本人音楽グループの在日ファンク・ギターの仰木亮彦は甥。従姉妹に武蔵野大学大学院言語文化研究科教授の堀井惠子。化学者の水島三一郎は母方の遠戚。 東京都文京区動坂出身。両親とも歯科医の家に生まれる。処女作のペンネームは母方の苗字に由来している。 文京区立誠之小学校、お茶の水女子大学附属中学校・高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部卒業(藤原保信に師事)。 出版社(オズマPR及びサイマル出版会)で企画・編集の仕事に携わった後、東京大学新聞研究所(現・東京大学大学院情報学環教育部)修了(稲葉三千男、香内三郎らに師事)。
平田 英之(ひらた ひでゆき、1954年7月10日 - 20… 平田 英之(ひらた ひでゆき、1954年7月10日 - 2013年4月2日)は、兵庫県宝塚市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 兵庫・宝塚高から立命館大へ進学。当時の立命大は関西六大学野球リーグ2部に低迷していたが、2年時の1974年春季リーグ入替戦で1部復帰を果たす。優勝には届かなかったが3位3回を記録し、好投手として注目された。リーグ通算成績は48試合登板、12勝19敗、防御率1.71。 1976年ドラフト3位で広島東洋カープ入団。1977年から一軍で起用されるが、あまり活躍の場はなかった。 1978年11月に望月卓也、劔持節雄と共に金田留広、渡辺秀武との3対2の交換トレードでロッテオリオンズに移籍。
原 克(はら かつみ、1954年7月10日 - )は、日本の… 原 克(はら かつみ、1954年7月10日 - )は、日本のドイツ文学者。専門は表象文化論、ドイツ文学、メディア論、都市論。早稲田大学教育学部教授。 長野県伊那市出身。1975年、立教大学文学部ドイツ文学科卒業。1982年、立教大学大学院文学研究科博士課程中退、神戸大学国際文化学部専任講師。1985年~1987年ボーフム・ルール大学客員研究員。1994年立教大学文学部ドイツ文学科助教授、1995年同教授。2003年早稲田大学教育学部教授。2001~2002年、ベルリン・フンボルト大学客員教授。2007年と2009年に、日本テレビ系『世界一受けたい授業』に講師として出演した。 日本ドイツ文学会、阪神ドイツ文学会、カール・アインシュタイン学会 (Carl Einstein Gesellschaft) 所属。
青木 純子(あおき じゅんこ、1954年(昭和29年)7月1… 青木 純子(あおき じゅんこ、1954年(昭和29年)7月10日 - )は、日本の翻訳家。 東京都生まれ。早稲田大学大学院博士課程満期退学。ロシア・ポーランド文学者であり翻訳家でもある工藤幸雄に師事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小牧雅伸(こまき まさのぶ、1954年7月10日 - 202… 小牧雅伸(こまき まさのぶ、1954年7月10日 - 2022年1月24日)は、日本の編集者、ライター。 京都府福知山市出身。「スタジオ小牧」主宰。城西国際大学メディア学部メディア情報学科非常勤講師。 アニメ雑誌『アニメック』の元編集長で、誌上では(ま)のペンネームを用いた。以前はKを使用していたが、使用者が増えたために変更している。 1974年、東京電機大学入学のため上京。放送中の『宇宙戦艦ヤマト』を知り、ファンクラブ「ヤマトラボ」の設立に携わる。SF・アニメ・特撮のサークルや、江古田の喫茶店「まんが画廊」で人脈を拡げ、1977年に櫛野麻美、浜松克樹、氷川竜介、伊藤秀明らと『月刊OUT』創刊2号のヤマト特集を担当。
橋本 孝之(はしもと たかゆき、1954年7月9日 - )は… 橋本 孝之(はしもと たかゆき、1954年7月9日 - )は日本の実業家。元日本アイ・ビー・エム社長。愛知県出身。 1978年、名古屋大学工学部卒業後、日本アイ・ビー・エム入社。名古屋地区営業担当、ゼネラル・ビジネス事業部長、専務取締役等を経て、2009年社長就任(在職中の業績の推移については日本アイ・ビー・エム#業績の推移を参照)。2012年5月15日付で、社長をマーティン・イェッターに譲り、取締役会長となる。2017年8月より名誉相談役を務める。
田代 富雄(たしろ とみお、1954年7月9日 - )は、神… 田代 富雄(たしろ とみお、1954年7月9日 - )は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手(内野手)、監督、コーチ、解説者。
鈴木 比佐雄(すずき ひさお、1954年7月9日 - )は、… 鈴木 比佐雄(すずき ひさお、1954年7月9日 - )は、日本の詩人、評論家、編集者。出版社コールサック社の創業者。 東京都荒川区に生まれる。法政大学文学部哲学科卒業。1987年、詩誌「コールサック」(石炭袋)を創刊。2006年、株式会社コールサック社を創業し現在も代表者。「コールサック」(石炭袋)は出版社になってから俳句・短歌・小説・評論などを含めた季刊の総合文芸誌となって2020年6月までに102号が刊行されている。2007年に企画・編集・発行した『原爆詩一八一人集』<日本語版>』と『Against Nuclear Weapons A collection of Poems by 181 Poets 1945-2007』(『原爆詩一八一人集』<英語版>)によって2008年9月に第18回宮沢賢治学会イーハトーブセンター『イーハトーブ賞奨励賞』を受賞。
井上 源三(いのうえ もとみ、1954年7月8日 - )は、… 井上 源三(いのうえ もとみ、1954年7月8日 - )は、日本の元総務官僚。総務省市町村課長、防衛省地方協力局長、内閣府審議官、日本消防協会理事長、地方自治研究機構理事長などを歴任。 京都府出身。洛星中学校・高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1977年 自治省入省。同年7月北海道地方課、財政課。その後、1982年6月に岩手県学事文書課長、地方課長、1990年4月に埼玉県財政課長、1993年4月に北九州市財政局長、1996年9月に自治省広報室長、1998年4月に地方分権推進委員会参事官、2000年7月に自治省固定資産税課長、2001年9月に自治省市町村課長、2004年7月に消防庁総務課長。 2005年9月に内閣官房内閣審議官(安全保障・危機管理担当)、イラク復興支援推進室長、国家安全保障会議準備室長、2008年8月に防衛省地方協力局長、2011年8月に防衛省装備施設本部長、2012年1月に内閣府政策統括官(沖縄施策担当)、2014年7月に内閣府審議官、2015年7月に退官。