渡辺 由一(わたなべ よしいち、1954年4月5日 - )… 渡辺 由一(わたなべ よしいち、1954年4月5日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 東北高校、仙台大学を経て、東洋工業に所属した。1978年には古田篤良、小原秀男、山出実、中野重富、安原真一らとともに天皇杯決勝進出に貢献。 日本代表としては、1979年のジャパンカップを始め国際Aマッチ6試合に出場し1得点を記録している。
一白水星:8,199人
渡辺 由一(わたなべ よしいち、1954年4月5日 - )… 渡辺 由一(わたなべ よしいち、1954年4月5日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 東北高校、仙台大学を経て、東洋工業に所属した。1978年には古田篤良、小原秀男、山出実、中野重富、安原真一らとともに天皇杯決勝進出に貢献。 日本代表としては、1979年のジャパンカップを始め国際Aマッチ6試合に出場し1得点を記録している。
阿藤 芳樹(あとう よしき、1954年4月5日 - )は、日… 阿藤 芳樹(あとう よしき、1954年4月5日 - )は、日本の鑑定士。『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系列)に、西洋アンティークの準レギュラー鑑定士として出演している。阿藤ギャラリー代表取締役。 西洋美術研究会会長、赤坂古物商防犯協力会会長。 杉並区立宮前中学校、東京都立杉並高等学校卒業。 1992年11月より、阿藤ギャラリー代表取締役に就任した。 2011年には、『開運!なんでも鑑定団』放送900回記念会見に出席。 2021年に行われた、『開運!なんでも鑑定団』の人気鑑定士ランキングでは、15位となった。
蒲生 晴明(がもう せいめい、1954年4月5日 - )は、… 蒲生 晴明(がもう せいめい、1954年4月5日 - )は、東京都出身の元ハンドボール選手、指導者。ニックネームは「ガモ」。日本代表の監督も務めた。1999年4月から中部大学に転籍し、2005年4月健康科学教室教授(2011年:健康とスポーツ教育科教授)として体育・スポーツを教育する傍ら、同大学ハンドボール部監督・総監督・部長を歴任している。 中央大学附属高等学校から中央大学に進学し、1年で全日本入り。以来、オリンピックで3大会(モスクワを含む)連続で代表に選ばれ、世界選手権などの国際大会でも活躍した。 卒業後入社した大同特殊鋼でも攻撃記録の最高数を樹立。1970年代から1980年代にかけて日本ハンドボール界をリードしていた。
山田 啓二(やまだ けいじ、1954年〈昭和29年〉4月5日… 山田 啓二(やまだ けいじ、1954年〈昭和29年〉4月5日 - )は、日本の自治官僚、政治家。勲等は旭日大綬章。京都府京都文化博物館長、学校法人京都産業大学理事長。 京都府知事(公選第15・16・17・18代)、全国知事会会長(第11代)、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)副代表・「知事・市町村長連合会議」座長、京都舞鶴港振興会会長、関西観光本部副理事長を歴任した。 兵庫県洲本市で生まれ、後に伊丹市、東京都杉並区に転居。桐朋高等学校、東京大学法学部卒業。1977年4月、自治省(現・総務省)に入省した。本省勤務の他、和歌山県や高知県、内閣法制局、国土庁への出向も経験し、1999年より京都府総務部長。
岩木 哲(いわき さとし、1954年4月5日 - )は、大阪… 岩木 哲(いわき さとし、1954年4月5日 - )は、大阪府大阪市住之江区出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
吉田 武男(よしだ たけお、1954年4月5日 - )は、日… 吉田 武男(よしだ たけお、1954年4月5日 - )は、日本の教育学者、筑波大学教授。 奈良県生まれ。奈良教育大学小学校教育課程卒、筑波大学大学院博士課程教育学研究科単位取得退学。奈良県の小学校教師をへて、関西外国語大学講師、助教授、1994年高知大学教育学部助教授、1998年筑波大学教育学系助教授、2007年同人間総合科学研究科准教授、2008年教授、2001年人間系教授・教育学類長。2006年「シュタイナーの人間形成論に関する研究 特に道徳教育に着目して」で博士(教育学)。
上井 文彦(うわい ふみひこ、1954年4月4日 - )は、… 上井 文彦(うわい ふみひこ、1954年4月4日 - )は、日本の実業家、元新日本プロレス執行役員。元プロレス興行師。 大阪経済大学卒業。1977年、新日本プロレスに入社。1985年、新日本を退社してUWFに移るも翌年に復帰。以後、営業、渉外、マッチメイカーなどを歴任。アントニオ猪木vsマサ斎藤(巌流島決戦)などに関わる。 その後、有限会社ビッグマウスを設立し、関連会社としてプロレス興行部門のビッグマウス・ラウドを立ち上げた。前田日明のスーパーバイザー就任等で話題となるが、1年間で前田と袂を分かつ。2006年10月「UWAI STATION」旗揚げ。2007年10月の興行を最後に活動休止。大阪に戻り、一般企業に就職する。
瀬木 比呂志(せぎ ひろし、1954年〈昭和29年〉4月3日… 瀬木 比呂志(せぎ ひろし、1954年〈昭和29年〉4月3日 - )は、日本の民事訴訟法学者、明治大学名誉教授、著述家、元判事。裁判官時代の一般書については、関根 牧彦(せきね まきひこ)の筆名を用いていた。 1954年名古屋市に生まれる。1973年愛知県立旭丘高校卒業。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1977年同大学卒業。2年の司法修習(第31期)を経て、1979年東京地裁判事補。以後、東京を中心に勤務し、東京地裁判事部総括(裁判長)等を務め、また、最高裁には、事務総局民事局局付と最高裁調査官として2度勤務している。東京とその周辺以外の勤務地は、浜松、大阪、沖縄である。 2012年明治大学法科大学院教授に転身。
河村 秀則(かわむら ひでのり、1954年4月3日 - 20… 河村 秀則(かわむら ひでのり、1954年4月3日 - 2024年5月23日 )は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)。 桜宮高ではプロの誘いを蹴り、社会人野球のデュプロへ入団。しかし、暫くして退社し、ダンプの運転手をしながら自力で野球修行する。 パワーのある打撃を見せつけテスト合格し、1977年オフにドラフト外で大洋ホエールズへ入団。 しかし、一軍公式戦に出場がないまま、わずか1年で現役を引退した。
平井 一三(ひらい かずみ、1954年4月3日 - )は、日… 平井 一三(ひらい かずみ、1954年4月3日 - )は、日本の政治家。福岡県筑紫野市長(1期)。元福岡県議会議員(3期)、元筑紫野市議会議員(1期)。 福岡県筑紫野市出身。福岡大学大濠高等学校を経て、九州工業大学工学部開発土木工学科卒。建設会社やコンサルタント会社に勤務した後、家業の有限会社徳光興産に入り、代表取締役に就任する。 2007年筑紫野市議会議員に当選。2011年福岡県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し、当選。3期務める。 2023年1月22日の筑紫野市長選挙では自由民主党筑紫野市支部の推薦を受け出馬。自民党福岡県連は現職の藤田陽三を推薦したため分裂選挙となった。12年振りの選挙戦となり初当選。
尾堂 真一(おどう しんいち、1954年4月3日 - )は日… 尾堂 真一(おどう しんいち、1954年4月3日 - )は日本の実業家。日本特殊陶業代表取締役会長兼社長や、日本ファインセラミックス協会会長、日本自動車部品工業会会長、中部経済同友会代表幹事、涼仙ゴルフ倶楽部理事長、愛知県公安委員会委員等を歴任した。 鹿児島県で家具製造販売業者の子として生まれる。1967年鹿児島大学教育学部附属小学校卒業。1970年鹿児島大学教育学部附属中学校卒業。1973年鹿児島県立鹿児島中央高等学校卒業。1977年専修大学商学部卒業、日本特殊陶業入社。2005年米国特殊陶業社長。2007年取締役に昇格。2010年常務取締役。2011年から代表取締役社長を務め、自動車向け点火プラグの生産能力増強などを進めた。
田野倉 利男(たのくら としお、1954年4月3日 - )は… 田野倉 利男(たのくら としお、1954年4月3日 - )は中日ドラゴンズ・ロッテオリオンズに所属した元プロ野球選手(内野手)。東京都出身。引退後はロッテの2軍コーチを務めた。
萩原 博(はぎわら ひろし、1954年4月3日 - )は、日… 萩原 博(はぎわら ひろし、1954年4月3日 - )は、日本の実業家。株式会社千葉日報社代表取締役社長、同社会長などを歴任。 この項目は、報道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:メディア)。 この項目は、出版に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ出版)。 項目が文学作品の場合には{{Lit-stub}}を、文学作品以外の書籍・雑誌の場合には{{Book-stub}}を、漫画の場合には{{Manga-stub}}を貼り付けてください。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
田野倉 利男(たのくら としお、1954年4月3日 - )は… 田野倉 利男(たのくら としお、1954年4月3日 - )は、中日ドラゴンズ・ロッテオリオンズに所属した元プロ野球選手(内野手)。東京都出身。引退後はロッテの2軍コーチを務めた。 小学校時代に調布リトルリーグに入る。早稲田実高では遊撃手、4番打者として活躍。1972年春季都大会では決勝に進出し、待井昇が先発し、吉沢俊幸が4番の日大三高を降す。続く関東大会でも決勝で成東高を破り優勝を飾った。成東高には後にプロで同期となる鈴木孝政がいたが、この試合には登板しなかった。同年夏は都大会で敗れ、甲子園には出場できなかった。 ドラフト4位で中日に入団。なかなか一軍に定着できなかったが、1976年には広瀬宰の移籍もあって、遊撃手の定位置を正岡真二、梅田邦三と争う。
たらさわ みち(1954年4月3日 - )は、日本の漫画家… たらさわ みち(1954年4月3日 - )は、日本の漫画家。女性。東京都目黒区出身、血液型はO型。いわゆる、ポスト24年組の一人。 ペンネームは旧姓の「桵沢」をひらがな表記にしたもの。 2人姉妹の次女として誕生。子供の頃は、石ノ森章太郎の影響を受け、いわゆるお絵描きノートに読み切りの漫画から長篇まで取りそろえた作品を描き、友人に見せていた、という。 高校卒業後、ベビーシッターなどをしつつ、投稿をつづけ、その間に、萩尾望都・竹宮惠子・ささやななえこなどのアシスタントを経験。1975年11月号からの「メルヘン」四部作(「メルヘン」・「プラネタリウムより」・「シルバーマン」・「パラダイス」)(『別冊少女コミック』)でデビュー。
岸奥 裕二(きしおく ゆうじ、1954年4月2日 - )は、… 岸奥 裕二(きしおく ゆうじ、1954年4月2日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(ストッパー、スイーパー)。 北海道室蘭市出身。室蘭大谷高等学校から1973年に日本サッカーリーグの新日鐵サッカー部に入団。トレードマークの口元の髭と、センターバックとして大柄ではないが、得意のハードタックルで他チームのエースキラーとして活躍。北海道出身者として初めて日本代表に選出され、モスクワオリンピック予選5試合に出場した。引退後は新日鐵君津サッカー部の監督も務めた。 日本サッカーリーグ1部成績 ・JSL東西対抗戦 2回出場(1980年、1981年)
伊東 千恵子(いとう ちえこ、1954年4月2日 - )は、… 伊東 千恵子(いとう ちえこ、1954年4月2日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県出身。 長野県諏訪二葉高等学校-三協精機。 1972年のインターハイ1500mで優勝。 インスブルックオリンピックでは1500m22位、3000m21位だった。
石川 嘉枝(いしかわ よしえ、1954年4月2日 - )は、… 石川 嘉枝(いしかわ よしえ、1954年4月2日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 東京都新宿区出身。名古屋市立桜台高等学校を経て、1973年に日本リーグのユニチカ貝塚(当時)に入団。 ブロックの名手として知られ、1977年の日本リーグ準優勝に貢献しブロック賞を獲得、翌年にもブロック賞獲得。1979-80シーズンではコーチ役に退いたがリーグ戦第2戦目から一線に復帰し、同期の横山樹理とともにユニチカ優勝の原動力となり、自らも3年連続となるブロック賞およびベスト6賞に輝いた。日本リーグ歴代通算ブロック本数でもベスト10入りをマークしている。 1978年に全日本入りを果たし、1978年の世界選手権では銀メダルを獲得した。
細井豊(ほそい ゆたか、1954年4月2日 - )は、愛知県… 細井豊(ほそい ゆたか、1954年4月2日 - )は、愛知県知多市出身の日本のキーボーディスト、歌手、作曲家、編曲家。 センチメンタル・シティ・ロマンスのメンバー。ボーカル、キーボード、ハーモニカを担当。通称は、「ユタさん」。 センチメンタル・シティ・ロマンスの活動以外にも様々なアーティストへのライブサポート、レコーディングを務める。
信原 幸弘(のぶはら ゆきひろ、1954年4月2日 - )は… 信原 幸弘(のぶはら ゆきひろ、1954年4月2日 - )は、日本の哲学者。専門は、科学哲学・心の哲学・認知科学の哲学。東京大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1973年淳心学院高等学校卒業、1977年東京大学教養学部教養学科(科学史及び科学哲学分科)卒業、1983年同大学院理学系研究科科学史・科学基礎論専攻博士課程同単位取得退学、1985年関東学院大学工学部専任講師、1990年創価大学文学部助教授、1992年筑波大学哲学・思想学系助教授、1995年東京大学大学院総合文化研究科助教授、2000年5月「心の現代哲学」で東京大学より博士(学術)の学位を取得、2007年 准教授、2008年教授(広域科学専攻相関基礎科学系)、2011年科学基礎論学会理事長。
信国 一朗(のぶくに いちろう、1954年(昭和29年)4月… 信国 一朗(のぶくに いちろう、1954年(昭和29年)4月2日 - )日本の報道記者、実業家。テレビユー福島代表取締役社長、TBSホールディングス(以下「TBSHD」)・TBSテレビ常務取締役、TBSラジオ&コミュニケーションズ取締役会長、緑山スタジオ・シティ代表取締役会長、WOWOW取締役(非常勤)を務めた。福岡県出身。 ラ・サール高等学校・東京大学経済学部卒業後、1978年(昭和53年)4月にTBS入社。テレビユー山形取締役相談役で元社長の湯川哲生、元TBS報道局主席解説委員の岩城浩幸、映画プロデューサーの永田守(大映元社長永田雅一の孫)は同期。特に湯川とは東大でも同期にあたる。 入社後は報道局に配属され、社会部、取材記者、報道番組ディレクター・プロデューサーとして活躍。
和田 博文(わだ ひろふみ、1954年4月2日 - )は、日… 和田 博文(わだ ひろふみ、1954年4月2日 - )は、日本の文化史・比較文化・日本近現代文学の研究者。東洋大学名誉教授。東京女子大学で副学長・比較文化研究所長・丸山眞男記念比較思想研究センター長を歴任。 神奈川県横浜市生まれ。1979年青山学院大学経済学部経済学科卒業、1982年神戸大学大学院文学研究科修士課程(国文学専攻)修了、1984年同文化学研究科博士課程(文化基礎論専攻)中退。同年に奈良大学文学部国文学科専任講師となり、助教授、教授に。その間の1994年にロンドン大学SOAS客員研究員。2002年に東洋大学文学部日本文学文化学科教授となる。2012年にパリ第7大学客員研究員、2015年に復旦大学大学院客員教授。
早川 清(はやかわ きよし、1954年4月2日 - )は、新… 早川 清(はやかわ きよし、1954年4月2日 - )は、新潮社の編集者。 1978年、慶應義塾大学法学部卒業。『週刊新潮』『新潮45』編集部、ネットワーク編集室を経て、2001年、松田宏の後任として『週刊新潮』編集長に就任(同誌8月30日号から)。2005年6月から新潮社取締役。2009年のニセ赤報隊実名手記事件について「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」(4月23日号)と題する10頁のトップ記事を掲載し、誤報を認めた。その後、2009年4月30日号を最後に『週刊新潮』編集長を退任。
平沢 進(ひらさわ すすむ、1954年〈昭和29年〉4月1日… 平沢 進(ひらさわ すすむ、1954年〈昭和29年〉4月1日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、著作家。愛称は、師匠、ヒラサワ、ステルス。東京都出身。ケイオスユニオン所属(代表取締役)。1994年よりデジタル・マルチメディアコンサート「インタラクティブ・ライブ」を主宰。第79回アカデミー賞歌曲賞部門ノミネート候補。 1973年にプログレッシブ・ロックバンドマンドレイクを結成し、音楽活動を開始する。 1979年にテクノポップバンドP-MODELを結成し、ボーカル・ギターとしてシングル『美術館で会った人だろ(ART MANIA)』でメジャーデビュー。テクノ御三家の一角として、テクノポップブームの火付け役となり、テクノ・ニューウェイブシーンにおける中心的存在となる。
藤本 敦夫(ふじもと あつお、1954年4月1日 - )は、… 藤本 敦夫(ふじもと あつお、1954年4月1日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の音楽家。橋本一子は妻。 神奈川県立横須賀高等学校、早稲田大学卒業。ピアノを高橋悠治、高橋アキを育てた蔭山英子に、声楽を前田幸市郎、ベルトラメリ能子に師事、小学生の頃よりステージ、テレビ、ラジオ、レコーディングなどで活動。1980年にはYMO初の国内ツアー、「TECHNOPOLIS 2000-20」に参加。その後、橋本一子、横山雅史、木村万作、石井AQらと組んだ「カラード・ミュージック (Colored Music)」などでのリーダー活動の他、山下洋輔、渡辺香津美、坂田明、今堀恒雄、菊地成孔、谷山浩子、小川美潮、POiSON GiRL FRiEND、Phewなどとコラボする一方、テレビ、映画の作曲家、プロデューサー、アレンジャー、セッションミュージシャンなど多岐にわたって活動する。
宮田 まゆみ(みやた まゆみ、1954年4月1日 - )は、… 宮田 まゆみ(みやた まゆみ、1954年4月1日 - )は、東京都出身の笙奏者。国立音楽大学客員教授。 国立音楽大学音楽学部器楽学科ピアノ専攻卒業後、雅楽を学び、1979年より国立劇場の雅楽公演に出演。1983年より笙のリサイタルを行って注目を集め、1986年に芸術選奨新人賞を受賞。その後も、東洋の伝統楽器「笙」を国際的に広めるために活動している。 古典的な演奏の他に、オーケストラとの共演や、現代音楽にも取り組み、笙の音色を通じて、多彩な音楽表現を追求している。1998年の長野オリンピック開会式では「君が代」の演奏を行った。
林 真理子(はやし まりこ、1954年〈昭和29年〉4月1日… 林 真理子(はやし まりこ、1954年〈昭和29年〉4月1日 - )は、日本の小説家、エッセイストである。有限会社林真理子企画事務所代表取締役。日本文藝家協会理事長、日本ペンクラブ会員、学校法人日本大学理事長、株式会社GENDA社外取締役。166㎝。 山梨県山梨市出身。山梨県立日川高等学校、日本大学藝術学部文芸学科卒業。 コピーライターとして活動の後、作家として1982年(昭和57年)に出版したエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が、処女作にしてベストセラーとなった。さらに1986年(昭和61年)には、『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞を受賞し、小説家としての地位を確立した。林の功績は、 1980年代以降において、「ねたみ・そねみ・しっとを解放」したことであるとも評される。
江頭 実(えがしら みのる、1954年〈昭和29年〉4月1日… 江頭 実(えがしら みのる、1954年〈昭和29年〉4月1日 - )は、日本の政治家、銀行員。熊本県菊池市長(4期)。 熊本県菊池郡隈府町(現菊池市隈府)に生まれる。1972年(昭和47年)3月、熊本県立菊池高等学校卒業。1976年(昭和51年)3月、九州大学経済学部卒業。同年4月、富士銀行に入社。ドイツ、ニューヨーク、ロンドン、スイスなど主に海外部門に従事した。スイス富士銀行社長やロンドン支店長を歴任した。 2009年(平成21年)1月、ソフトバンクに入社。2012年7月、同社を退職し千葉県市原市から帰郷。 2013年(平成25年)4月14日に行われた菊池市長選挙に出馬。元市議の北田彰、元市議の二ノ文伸元ら2候補を破り初当選した。
若林 秀樹(わかばやし ひでき、1954年(昭和29年)4月… 若林 秀樹(わかばやし ひでき、1954年(昭和29年)4月1日 -)は、財団法人日本国際フォーラム常勤参与。日本の政治家。前参議院議員。2001年7月の第19回参議院議員通常選挙に民主党から初当選し、2007年7月まで1期務めた。
二代目 京山 幸枝若(きょうやま こうしわか、1954年4月… 二代目 京山 幸枝若(きょうやま こうしわか、1954年4月1日 - )は浪曲師。本名∶福本 一光。吉本興業所属、浪曲親友協会会長、重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)。 兵庫県姫路市出身。初代京山幸枝若と浪曲で三味線の伴奏をする曲師との間に出来た子。母である曲師側に引き取られ、興行会社を経営していた曲師の夫が父親代わりとなり育てられた。 学生時代の半ばはフォークソングに熱中。浪曲には見向きもしなかったが、友人が持ってきた初代京山幸枝若が口演しているレコードを聞き感動して浪曲の道を志した。デビューした当時から(やはり親子なので)名人幸枝若と声・容姿がソックリな事から人気は上がっていった。しかし、ある日母親から自分の父親が義理の父親であり、本当の父親は自分憧れている幸枝若である事を告げられた。
貴羽山 善之(たかばやま よしゆき、1954年3月31日 -… 貴羽山 善之(たかばやま よしゆき、1954年3月31日 - )は、広島県呉市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は高間 義之(たかま よしゆき)、身長183cm、体重111kg。最高位は西十両10枚目(1981年5月場所)。得意技は右四つ、吊り。 中学校では野球部に所属し、ポジションは捕手と外野手を務めた。卒業後も野球を続けるために広島県のなかで野球の名門である私立呉港高校へ入学したが、兄が陸上部で活躍していたので誘われて陸上部に入部した。2年生になって体格が大きくなったので市民大会の砲丸投げに高校生の部で出場しようとした時は、前日に釘を踏んでしまって歩くのも大変だったが、出場を辞退するのも悔しいので強引に参加し優勝してしまった。
長田 百合子(おさだ ゆりこ、1954年3月30日 - )は… 長田 百合子(おさだ ゆりこ、1954年3月30日 - )は岐阜県出身の教育評論家。非行や引きこもり等の問題の解決に取り組んでおり、当事者やその家族に対して強い口調で叱り飛ばす姿がマスメディアから注目されるようになった。 愛知県各所に補習塾を置く「塾教育学院」を経営し、同塾のメンタルケア部門の代表および学習塾部門の取締役を務める。愛知県教育委員会「愛知の教育を考える懇談会」委員、教師研修機関「埼玉師範塾」特別講師、NPO「家庭教育再生機構」理事長、一般社団法人「日本家庭教育再生機構」理事長を歴任した。 2001年9月に講談社から出版された著書『親がかわれば子どももかわる』の中で「メンタルケアとは長田百合子の造語である」と述べている。
武市 三郎(たけいち さぶろう、1954年3月30日 - )… 武市 三郎(たけいち さぶろう、1954年3月30日 - )は、将棋棋士。徳島県徳島市出身。丸田祐三九段門下。棋士番号152。2014年引退。 1981年11月11日に四段に昇段し、プロ入り。プロ入り後初参加の第22期十段戦(1982年-83年)予選で決勝まで勝ち進んだ。難関の十段リーグ出場まであと1勝と迫ったが、桐山清澄に敗れた。 第7回(1984年度)オールスター勝ち抜き戦の本戦に出場し、1戦目で中原誠に敗北した。第34回(1984年度)NHK杯の本戦に出場し、1回戦で石田和雄に敗北した。第24期十段戦(1984年-85年)予選で準決勝まで勝ち進むも、加藤一二三に敗れ、十段リーグ入りをまたも果たせなかった。
ヤマザキ ミノリ(本名:山崎 稔、1954年3月29日 - … ヤマザキ ミノリ(本名:山崎 稔、1954年3月29日 - )は、日本の造形作家、空間デザイナー。女子美術大学名誉教授。 群馬県桐生市生まれ。群馬県立桐生高等学校、東京芸術大学工芸科鋳金専攻卒業(安宅賞受賞)。東京芸術大学構成デザイン大学院修了。 東京工芸大学芸術学部デザイン学科助教授(1995年~1998年)、女子美術大学芸術学部デザイン科助教授(1998年~2001年)、女子美術大学芸術学部メディアアート学科助教授(2001年~2003年)、2003年に同教授に昇格、2010年4月から2019年3月まで女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科ヒーリング表現領域教授。 空間設計、ライトアートを中心に美術活動を展開。
小平 尚典(こひら なおのり、1954年3月29日-)は、福… 小平 尚典(こひら なおのり、1954年3月29日-)は、福岡県北九州市小倉北区出身の日本の写真家である。 1975年に日本大学芸術学部写真学科を卒業。大学卒業後、渡英。1年ほど滞在し、欧州を放浪。帰国後、英国パンクロック取材を機に社会 派写真家としてデビュー。同時にエディトリアルカメラマンとして数多くの雑誌の仕事をする。もともとジャーナリスト志向が強く1980年に新潮社FOCUS(フォーカス)創刊に参加。1987年家族を連れて米国ロサンゼルスに移住、今度は世界を相手に取材活動を開始する。2009年に22年間の米国生活にピリウドを打ち帰国。メディアプロデューサーとして新境地も開く。株式会社コヒラ・パーソンズ・プロジェクト代表取締役CEO。
松林 淳(まつばやし すなお、1954年3月29日 - )は… 松林 淳(まつばやし すなお、1954年3月29日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。ダイハツ工業のDNGA(ダイハツ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)開発を主導し、同社代表取締役会長や新興国小型車カンパニー(ECC)プレジデント等を歴任した。 1977年山口大学工学部卒業、ダイハツ工業入社。2003年ダイハツ工業製品企画部チーフ・エンジニア(部長待遇)に就任。2006年ダイハツ工業執行役員。 2011年ボルツ代表取締役社長。2016年からダイハツ工業取締役専務執行役員を務め、新興国小型車カンパニー(ECC)のChief Technical Officerも兼務して、DNGA(ダイハツ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)の開発を主導した。
香川 正人(かがわ まさと、1954年3月27日 - 201… 香川 正人(かがわ まさと、1954年3月27日 - 2016年11月3日)は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(投手)。 元プロ野球選手の香川正は実父。 坂出工業高校では2年生からエースとなる。1971年夏の甲子園香川県予選では、1回戦で三本松高を相手にノーヒットノーランを記録。しかし準決勝で坂出商に敗退した。高校卒業後は早稲田大学に進学するが、同期には阿部政文、谷井潤一(日産自動車)と好投手がおり、東京六大学野球リーグではあまり出番はなかった。 大学卒業後は三菱重工神戸に入社、1977年ドラフトで近鉄バファローズに5位指名される。これを保留したまま1978年の都市対抗にエースとして出場。1回戦で東芝の黒紙義弘と投げ合うが完封負け。
パンチみつお(1954年3月27日 - )は、日本のお笑いタ… パンチみつお(1954年3月27日 - )は、日本のお笑いタレント。本名:小池 三生(こいけ みつお)。 福岡県北九州市小倉出身。福岡県立小倉西高等学校出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。血液型O型。
飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう、1954年3月26日 - … 飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう、1954年3月26日 - )は、日本の写真評論家である。 宮城県仙台市出身。1977年、日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。 『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房。1986年)、『写真に帰れ 光画の時代』(平凡社。1988年)、『都市の視線 日本の写真 1920〜30年代』(創元社。1989年)の3部作で、頭角を現わし、日本の20世紀前半の写真研究者の第一人者に躍り出た[大言壮語的]。その後、雑誌「deja-vu」の編集長となる。 公募展である写真新世紀とひとつぼ展には設立当初から審査員として参加した。 90年代の『ガーリーフォト』ブームを作った。
渡邊 啓貴(わたなべ ひろたか、1954年3月26日- )は… 渡邊 啓貴(わたなべ ひろたか、1954年3月26日- )は、日本の政治学者、帝京大学法学部教授、東京外国語大学名誉教授。専門は、ヨーロッパ国際関係論、フランス政治・外交、ヨーロッパ外交史、米欧同盟論。
岡本 厚(おかもと あつし、1954年3月26日 - )は、… 岡本 厚(おかもと あつし、1954年3月26日 - )は、日本のジャーナリスト、岩波書店代表取締役社長、元『世界』編集長。
アダム・カバット(Adam Kabat、1954年3月26日… アダム・カバット(Adam Kabat、1954年3月26日 - )は、アメリカ人の日本文学研究者。1997年より武蔵大学教授。専攻は近世・近代日本文学(幻想文学)、日本の妖怪を研究。 アメリカニューヨーク州生まれ。1979年に来日し、アメリカ・カナダ大学連合日本研究センターで日本語学ぶ。1981年ウェズリアン大学を卒業し、文部省の奨学金を得て再来日。東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻博士課程中退、指導教官は延広真治。
立藏 義明(たちくら よしあき、1954年 <昭和29年> … 立藏 義明(たちくら よしあき、1954年 <昭和29年> 3月25日 - )は、日本の地方公務員。茨城県土木部技監や、同都市局長、同土木部長を務めた。瑞宝小綬章受章。 茨城県出身。1976年 京都大学工学部交通土木工学科卒業、茨城県庁入職。1990年 (平成2年) 県総務部県庁舎建設準備局係長。1998年 県土木部監理課主任企画員。1999年 県土木部主任企画員。2000年 県水戸土木事務所道路整備第二課長。2002年 同部都市局都市計画課長補佐。2004年 県土浦土木事務所技佐兼次長兼事業調整課長。2006年 同部企画監。2008年 同部都市局公園街路課長。2010年 同部技監兼土浦土木事務所長。
藤石 修(ふじいし おさむ、1954年3月25日 - )は日… 藤石 修(ふじいし おさむ、1954年3月25日 - )は日本の撮影監督(カメラマン)。新潟県新潟市出身。日本大学芸術学部卒業。日本映画撮影監督協会(J.S.C.)会員。 父親は新潟交通のバスの運転手。父の影響で子どもの頃から写真好きで、高校で映研に入り、自主映画で8ミリ映画を撮る。日芸に進むが学費が続かず3年で中退。高校で自主映画を撮ったときにライトを借りた新潟映画社を訪ねて採用を頼んだら、東京支社を紹介してくれた。同社は社員3人、16ミリのPR映画を製作する会社であった。その後ピンク映画を1年半こなす。このとき志賀葉一や佐々木原保志らと知り合う。製作期間は一本につき4日だった。1979年に「東映で『下落合焼とりムービー』のセカンドのカメラ(フォーカスマン)をやらないか」と誘われる。
友添 雅直(ともぞえ まさなお、1954年3月25日 - )… 友添 雅直(ともぞえ まさなお、1954年3月25日 - )は日本の実業家。 福岡県出身。1972年福岡県立修猷館高等学校を経て、1974年 早稲田大学国際部から米国に交換留学、1977年早稲田大学法学部を卒業。 1977年4月トヨタ自動車販売入社。2001年1月米国トヨタ自動車販売に出向し、2005年6月トヨタ自動車常務役員、2011年4月同社専務役員、2011年4月トヨタ モーター ノース アメリカ上級副社長を経て、2012年6月トヨタモーターセールス&マーケティング(2015年7月にトヨタ自動車に統合)代表取締役社長に就任。 2015年5月中部国際空港顧問に転じ、2015年6月同社代表取締役社長に就任。
大島 やすいち(おおしま やすいち、本名:大島 矢須一(読み… 大島 やすいち(おおしま やすいち、本名:大島 矢須一(読み同じ)、1954年3月24日 - )は、日本の漫画家。京都府京都市出身。平安高等学校卒業。東京都練馬区在住。男性。 高校時代は沼田清のアシスタントを務め、1971年、『週刊少年サンデー』(小学館)掲載の「青春の土」(新人漫画賞入選)でデビュー。 主に少年漫画・青年漫画を執筆している。 代表作に『おやこ刑事(でか)』(原作:林律雄)、『バツ&テリー』等。 妻の川島れいこも漫画家で、川島との間に生まれた娘の大島永遠と三島弥生もそれぞれ漫画家として活躍中。お笑い芸人の小林アナは遠戚にあたる[要出典]。
木村 充揮(きむら あつき、1954年3月24日 - )は、… 木村 充揮(きむら あつき、1954年3月24日 - )は、日本の歌手。ブルースバンド「憂歌団」のボーカル。 在日韓国人であることを公表しており、本名は朴 秀勝(ぱく・すすん, 朝: 박수승)。通名は木村 秀勝(きむら ひでかつ)で、同名義で作詞活動も行う。 大阪府大阪市生野区生まれ。大阪市立工芸高等学校美術科卒業。 木村の父は済州島生まれで、若い時に北海道、青森、東京を経て大阪に来た在日韓国人1世であり、その息子の木村は在日韓国人2世になる。 木村は7人兄弟の4番目(上から兄・兄・木村・妹・妹・弟の順[疑問点 – ノート])。実家は「東金属」という金属加工業を営んでおり、1階が工場、2階が住居であった。
井戸 謙一(いど けんいち、男性、1954年3月24日 - … 井戸 謙一(いど けんいち、男性、1954年3月24日 - )は、日本国の弁護士であり、元裁判官である。 大阪府生まれ。1975年(昭和50年)司法試験に合格。1977年東京大学教育学部卒業、同年司法研修所入所。1979年(昭和54年)4月9日、神戸地方裁判所に判事補として任官し、以後、甲府地方裁判所、福岡家庭裁判所小倉支部、大津地方裁判所彦根支部(判事任官)、大阪地方裁判所(大阪高等裁判所判事職務代行)、山口地方裁判所宇部支部(支部長)、京都地方裁判所、金沢地方裁判所(民事部総括)、京都地方裁判所(民事部総括)、大阪高等裁判所と転勤し、2011年(平成23年)3月31日に退官。 裁判長として、住民基本台帳ネットワークシステム差止等請求事件(金沢地方裁判所平成14年(ワ)第836号等、2005年(平成17年)5月30日判決言い渡し)や、志賀原子力発電所2号原子炉運転差止請求事件(同裁判所平成11年(ワ)第430号、2006年(平成18年)3月24日判決言い渡し)といった著名事件の判決に関与した。
師岡 文男(もろおか ふみお、1954年3月24日 - )は… 師岡 文男(もろおか ふみお、1954年3月24日 - )は、日本のスポーツ学者。上智大学文学部保健体育研究室教授。フライングディスクを日本に広めた人物である。東京都生まれ。 1954年東京都生まれ。父は写真家の師岡宏次。1976年上智大学文学部史学科卒業。1979年筑波大学大学院体育研究科修了後、上智大学文学部保健体育研究室助手、講師、助教授、1986-87年イリノイ大学客員講師を経て、2000年より上智大学教授。大学評議員・保健体育研究室長(2014年3月まで)・上智社会福祉専門学校・立教大学兼任講師も務めた。 1980年からフライングディスクを体育実技に採用し、13週の授業を開始。1980年フライングディスクチーム”FREAKS”設立と共に顧問に就任。
松井 豊(まつい ゆたか、1954年3月24日- )は、日本… 松井 豊(まつい ゆたか、1954年3月24日- )は、日本の社会心理学者。筑波大学教授。埼玉県生まれ。1976年東京教育大学文学部心理学科卒業。1982年東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科博士課程満期退学。89年「援助行動の意思決定過程に関する研究 状況対応モデルの提唱」で都立大学文学博士。1984年東横学園女子短期大学講師、1987年東京都立立川短期大学講師、90年助教授、1991年聖心女子大学助教授、1998年筑波大学助教授、2005年同人間総合科学研究科心理学専攻教授。