熊谷 眞一(くまがい しんいち、1941年(昭和16年)5月… 熊谷 眞一(くまがい しんいち、1941年(昭和16年)5月18日 - 2021年(令和3年)2月8日)は、日本の実業家。シベール創業者。 山形県大江町に生まれる。 山形市立商業高等学校卒業後、仙台市、新潟県三条市、東京での菓子職人の修行を経て、父親が営む和菓子店「松月堂」に入る。1966年25歳の時、山形市緑町に県内では初となる洋菓子専門店「シベール」を開業し、市内や仙台市等に店舗網を広げていった。 洋菓子専門から10年後にパン製造に手を広げ、売れ残ったフランスパンを活用して売り出したという「ラスク」が手ごろな贈答品として全国で高い評判を受け、山形を代表する企業の1つに成長させ、JASDAQ上場へと導いた。
石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941… 石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941年5月18日 - 2013年3月9日)は、日本の作詞家・作曲家。一般社団法人真世界宗教連合会元相談役。 東京都新宿区出身。父親の澤ノ井音次郎は、十数人の弟子を持つ看板業を営んでいた。家業が繁盛し裕福になると女遊びに手を出し、正妻の他に8人の妾を持ち、石坂自身も4番目の妾の婚外子であった。しかし子に恵まれなかった音二郎の正妻・千恵の元で女手一つ愛情深く育てられ、石坂もまた千恵への深い思慕で結ばれていた。新宿区立四ツ谷第二中学校を卒業後、肺結核と闘いながら職を転々とする。 19歳の秋、自死を考えるが、鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」を聴き、発奮され作詞家を志すようになる。
藤 公之介(ふじ こうのすけ、本名:工藤 喜美夫〈くどう き… 藤 公之介(ふじ こうのすけ、本名:工藤 喜美夫〈くどう きみお〉、1941年〈昭和16年〉5月17日 - )は、日本の作詞家、詩人、放送作家。 宮城県塩竈市出身。東北学院中学校・高等学校を経て、日本大学芸術学部卒業。アイドルから、大人の歌まで幅広い作詞活動をしている。
中村 達也(なかむら たつや、1941年5月17日 - )は… 中村 達也(なかむら たつや、1941年5月17日 - )は、日本の経済学者、中央大学名誉教授。専門は経済理論、社会経済学。 秋田県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。一橋大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。沖縄大学助教授、1974年中央大学商学部助教授、80年教授、1983年千葉大学法経学部教授、1991年中央大学商学部教授、2012年定年退任、名誉教授。 東京外国語大学では伊東光晴に、一橋大学大学院では都留重人に師事する。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 -… 倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 - )は、日本の元俳優。兵庫県神戸市出身。旧芸名:倉丘伸太郎。 兵庫県立兵庫高等学校在学中の1959年に東映ニューフェイスの第6期生に合格、高校を中退して役者となる。1963年4月、日本電波映画に入社。同年10月から放送されたテレビドラマ『姿三四郎』の三四郎役で人気を博し、以降柔道モノのドラマに相次いで出演する。その人気は高く、1965年度のブロマイド売上男性俳優部門で2位となっている。1970年代半ば頃に芸名を「倉丘伸太郎」から「倉岡伸太朗」に改名した。1970年代以降はテレビ時代劇へのゲスト出演が主となり、1981年の映画出演を最後に芸能界を引退する。
倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 -… 倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 - )は、日本の元俳優。兵庫県神戸市出身。旧芸名:倉丘伸太郎。
相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日… 相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日本の中国研究者、福岡教育大学名誉教授。
相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日… 相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日本の中国研究者、福岡教育大学名誉教授。 中華民国河北省張家口市生まれ。1964年熊本大学法文学部卒、1973年東京教育大学大学院博士課程満期退学、福岡教育大学講師、1975年助教授、1983年教授、2001年定年退官、名誉教授、青山学院大学教授。2012年退職。
土屋 浩子(つちや ひろこ、1941年5月16日 - 200… 土屋 浩子(つちや ひろこ、1941年5月16日 - 2008年11月1日)は、日本の歌人。 長野県佐久市出身。1973年(昭和48年)3月、「短歌新潮」入会、丸山忠治に師事。その後同人となり、歌誌編集と後進の指導に携わった。1985年(昭和60年)12月、第一歌集「風花」を出版。2007年(平成19年)6月、第二歌集「水辺の秋」を出版。元シンガーソングライターの土屋竜一は長男。2008年(平成20年)11月1日没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
前田 忠明(まえだ ただあき、1941年5月15日 - 20… 前田 忠明(まえだ ただあき、1941年5月15日 - 2022年9月28日)は、日本の芸能リポーター。愛称は前忠(まえちゅう)・本名の「ただあき」を音読みした「ちゅうめい」。従って「ちゅうめい」は愛称であり、本名は「ただあき」と読む。 北海道空知郡岩見沢町(現:岩見沢市)出身。1980年4月から2020年3月まで長きに渡りフジテレビと専属契約を結び、「フジテレビ芸能デスク」の肩書きで活動してきた。 北海道空知郡岩見沢町(現:岩見沢市)生まれ。北海道岩見沢東高等学校、明治大学文学部演劇学科卒業。1970年、『女性自身』(光文社)の記者となり、主に芸能記事を担当。1980年、芸能リポーターとしてテレビに転身し、フジテレビと専属契約を結んだ。
原田 敬三(はらだ けいぞう、1941年5月15日 - )は… 原田 敬三(はらだ けいぞう、1941年5月15日 - )は、日本の経営者。フジタ社長を務めた。 京都府出身。1964年に神戸大学工学部を卒業し、同年に藤田組(のちのフジタ)に入社。1998年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2001年6月に専務を経て、2002年7月に副社長に就任し、同年10月には社長に昇格。2005年6月に社長を退任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北原 淳(きたはら あつし、1941年5月15日 - 201… 北原 淳(きたはら あつし、1941年5月15日 - 2013年11月5日)は、日本の農業経済学者。神戸大学名誉教授。東南アジア、韓国などアジアの農村経済を研究した。 長野県生まれ。1966年東京大学経済学部経済学科卒業、同大学院修士課程修了。1991年「タイ農村社会論」で、経済学博士の学位を取得。 1966年アジア経済研究所研究員、1976年神戸大学経済学部助教授、教授。1999年名古屋大学経済学研究所教授、研究所長、2000年名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済動態研究センター長。2004年定年退官、2006年龍谷大学教授、2011年退職。
花柳 幻舟(はなやぎ げんしゅう、本名 川井 洋子、1941… 花柳 幻舟(はなやぎ げんしゅう、本名 川井 洋子、1941年〈昭和16年〉5月15日 - 2019年〈平成31年〉2月28日)は、日本の著作家・舞踊家・女優。フェミニスト・アナキスト。 京阪神を中心に西日本各地を巡回する劇団の子として大阪市に生まれ、2歳で舞台に立つ。東映ポルノ、日活ロマンポルノなどに多数出演。日本舞踊の花柳流に入門。花柳流名取となったが家元制度打倒運動を開始、家元制度批判の著書『花柳流に反逆する』を出版する。 1980年、花柳流家元・三世花柳壽輔を襲撃して包丁で斬りつけ、傷害罪で服役する。この時期、幻舟は歴史学者の羽仁五郎と交際があり、羽仁からは「ぼくのガールフレンド」と呼ばれていた。
田島 和子(たじま かずこ、1941年5月14日 - )は、… 田島 和子(たじま かずこ、1941年5月14日 - )は、日本の元女優。埼玉県大宮市(現:埼玉県さいたま市)出身。東京都立新宿高等学校卒。本名は同じ。夫は俳優の草野大悟(1991年、死別)。作家の佐多稲子は伯母にあたる(田島の父親が佐多の実弟)。 劇団俳優座第12期生。同期には應蘭芳、北川恭子、東野英心、橋本功、山本圭、渡辺康子などがいる。その後は文学座、自由劇場、六月劇場に所属した。
塩谷 隆英(しおや たかふさ、1941年(昭和16年)5月1… 塩谷 隆英(しおや たかふさ、1941年(昭和16年)5月13日 - )は、日本の経済企画庁官僚。経済企画事務次官などを歴任。 東京大学法学部第2類(公法コース)・第1類(私法コース)卒業後、経済企画庁に入庁。長官官房企画課に配属。調査局審議官、国民生活局審議官を経て、1995年(平成7年)国土庁計画・調整局長、1997年(平成9年)経済企画庁調整局長。1998年(平成10年)6月から1999年(平成11年)8月まで経済企画事務次官を務めた。 退官後、経済企画庁顧問を経て、2000年(平成12年)に総合研究開発機構理事長。
守屋 秀繁(もりや ひでしげ、1941年5月13日 - )は… 守屋 秀繁(もりや ひでしげ、1941年5月13日 - )は、日本の医学者。千葉大学名誉教授。第14代横綱審議委員会委員長。 千葉県山武市の守屋酒造前社長の弟である。 千葉県立千葉高等学校を経て、 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
神田 厚(かんだ あつし、1941年5月11日 - 2008… 神田 厚(かんだ あつし、1941年5月11日 - 2008年2月22日)は、日本の政治家。勲章は正四位旭日重光章。防衛庁長官(第55代)、民社党国会対策委員長、衆議院議員(8期)を歴任した。父は衆議院議員を務めた神田大作。 1941年(昭和16年)栃木県芳賀郡益子町生まれ。栃木県立真岡高等学校、1966年(昭和41年)早稲田大学文学部を卒業した。早大を卒業した後に、駒込学園高等学校教諭、栃木自動車整備専門学校教員、父・神田大作衆議院議員秘書を経て、1976年(昭和51年)12月の第34回衆議院議員総選挙に旧栃木県第2区から民社党公認で出馬し、初当選を果たした。民社党の同期当選に大内啓伍、中野寛成、米沢隆がいる。
栽 弘義(さい ひろよし、1941年5月11日 - 2007… 栽 弘義(さい ひろよし、1941年5月11日 - 2007年5月8日)は、沖縄県糸満市出身の高校野球指導者。長男は自由ケ丘高等学校監督の赤嶺琢。 1941年、沖縄県糸満市に生まれる。4歳のときに沖縄戦に遭遇し、3人の姉を失い、自らも背中に重傷を負った。高校時代は糸満高校野球部に所属。 当時、夏の甲子園は現在のような一県一代表制は採用されておらず、夏の沖縄大会で優勝しても、九州の学校との決定戦に勝たないと甲子園に出場できなかったため、沖縄勢にとって、甲子園出場は至難であった。しかし、栽が2年生だった1958年夏は、夏の甲子園が第40回の記念大会を迎え、特別に一県一代表制を採用したことから、沖縄大会優勝校が甲子園に出場できることとなった。
古厩 忠夫(ふるまや ただお、1941年5月11日 - 20… 古厩 忠夫(ふるまや ただお、1941年5月11日 - 2003年2月28日)は、日本の歴史学者。専門は、中国近代史・日本近代史。長野県東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市)出身。
朝井 茂治(あさい しげじ、1941年5月11日 - 201… 朝井 茂治(あさい しげじ、1941年5月11日 - 2010年5月2日)は、静岡県裾野市出身の元プロ野球選手(内野手)。一時期、登録名を朝樹 一義世とした。
西岡 憲康(にしおか のりやす、1941年〈昭和16年〉5月… 西岡 憲康(にしおか のりやす、1941年〈昭和16年〉5月10日 - 2013年〈平成25年〉8月26日)は、日本の政治家、元岡山県備前市長(4期)。 1941年満洲国奉天省奉天市にて生まれる。1946年(昭和21年)に岡山県和気郡日生町(現在の備前市)へ引き揚げ、日生町立日生小学校、日生町立日生中学校を経て大阪府立北野高等学校に進学し、その後京都大学法学部に入り、卒業する。卒業後は岡山県庁に入り、のち自治省に出向する。 1975年、岡山県議会議員に初当選し(和気郡選挙区、自由民主党)、4期務める。1988年と1992年の岡山県知事選挙、1989年の参院選(岡山県選挙区、無所属)、1996年の衆院選(岡山3区、新進党)、1999年の岡山県議選に立候補したがいずれも落選した。
田頭 基典(たがしら もとのり、1941年5月10日 - 2… 田頭 基典(たがしら もとのり、1941年5月10日 - 2023年6月26日)は、日本の国税官僚。大蔵省北海道財務局長などを経て、島根銀行代表取締役頭取や、同行代表取締役会長を務めた。 広島県立尾道商業高等学校卒業後、1960年 広島国税局入局(総務部総務課)。1971年7月 大蔵省主計局総務課。1973年7月 大蔵省主計局通産第二係長。1975年7月 大蔵省主計局司計課。1976年7月 大蔵省主計局文部第一係長。1978年7月 大蔵省主計局総務課。1980年7月 大蔵省主計局総務課長補佐。1992年6月 大蔵省主計局主計官。1995年 大蔵省主計局司計課長。1998年6月30日 北海道財務局長。
吉住 弘(よしずみ ひろし、1941年〈昭和16年〉5月10… 吉住 弘(よしずみ ひろし、1941年〈昭和16年〉5月10日 - 2015年〈平成27年〉1月7日)は、日本の政治家。位階は従四位。東京都台東区長(3期)、東京都議会議員(1期)、台東区議会議員(7期)などを務めた。 現在の東京都台東区生まれ。専修大学経済学部卒業。 山田久就元衆議院議員の秘書を務める。台東区議会議員7期、区議会議長、東京都議会議員1期を経て、2003年2月の台東区長選挙に自由民主党公認で出馬し、当選を果たした。 2007年3月の区長選では無所属で自民党の推薦を受け再選。 2011年の台東区長選挙に際しては、3選出馬し「長期政権」を目指す吉住に対し、参議院議員や経済産業副大臣を務めた国政経験の豊富な保坂三蔵も立候補の意向を表明。
宮沢 明子(みやざわ めいこ、1941年(昭和16年)5月1… 宮沢 明子(みやざわ めいこ、1941年(昭和16年)5月10日 - 2019年(平成31年)4月23日)は、日本のピアニスト、エッセイスト。ヨーロッパ、ニューヨーク、東京を拠点に活動し、ハイドンやモーツァルトなど古典派を中心にしたレパートリーを得意とした。長兄は法制審議会委員や日本被害者学会理事長、中央大学教授などを務めた宮沢浩一。母はピアニストの宮沢八千代。父は元富士銀行数寄屋橋支店長の宮沢義衛。 1941年5月10日に、神奈川県逗子市で生まれる。ピアニストだった母からピアノの手ほどきを受けたが、小学生のころは「身体が細いし、手が小さいし、とても神経質だからピアニストは無理」と周りに言われショックを受けていた。
小山田 秀生(おやまだ ひでお、1941年(昭和16年)5月… 小山田 秀生(おやまだ ひでお、1941年(昭和16年)5月10日 - )は、日本の宗教家。世界基督教統一神霊協会の日本統一教会第4・9代会長。元国際勝共連合会長、元世界平和連合会長、元天宙平和連合日本会長。 娘の堀守子は世界平和女性連合の日本会長を務め、堀守子の夫の堀正一は2025年12月9日に世界平和統一家庭連合の日本教会会長に就任した。 山形県出身。東北大学を卒業。世界基督教統一神霊協会に入教し、1968年(昭和43年)に全国大学原理研究会の会長に就任する。 1969年(昭和44年)5月1日、渋谷区松濤の教団本部で22組(12組と既成10組)の男女が文鮮明・韓鶴子夫妻から祝福を受けて合同結婚した。
清水 三雄(しみず みつお、1941年5月10日 - )は日… 清水 三雄(しみず みつお、1941年5月10日 - )は日本の政治活動家、経営者である。京都府出身。立命館大学卒業。 2024年7月20日時点
桜井 昇(さくらい のぼる、1941年5月10日 - ) は… 桜井 昇(さくらい のぼる、1941年5月10日 - ) は、将棋棋士。2007年、引退。原田泰夫九段門下。棋士番号は90。群馬県吾妻郡長野原町出身。杉並区立天沼中学校卒。 1965年、23歳でデビュー。同年度、順位戦C級2組で8勝4敗(16人中3位)の好成績を挙げ、C級2組を1期抜けして昇級。同時に五段昇段。 1966年度、古豪新鋭戦で優勝。準決勝の相手はまだ十代の中原誠、決勝戦の相手は長老の北村秀治郎であった。 1975年度、第23回王座戦でベスト4。同年度、第6回新人王戦では決勝三番勝負に進み、森安秀光に0-2で敗れて準優勝。 第27期(1972年度)順位戦C級1組で8勝2敗の2位となり、B級2組に昇級。
井手 三千男(いで みちお、1941年5月9日 - 2006… 井手 三千男(いで みちお、1941年5月9日 - 2006年6月26日)は、日本の写真家。 広島市安佐北区安佐町出身。多摩芸術学園(現 多摩美術大学)写真科卒業。 4歳の夏(1945年8月6日)、自宅から広島市に投下された原子爆弾のキノコ雲を見る。多摩美大卒業後、広島市で広告会社に勤務していたが、1968年写真家として独立。 広島市や原爆資料館が刊行した出版物の編集の大半に関わり、被爆の記憶を印画紙に残した。『図説戦後広島市史』ではB-29が原爆投下直後にキノコ雲を撮影した6,000m上空からの撮影に挑んだ。また、広島県の文化財の出版にも携わり、多くの文化財を空撮などの様々な手法で撮影した。原爆ドームと厳島神社の世界遺産登録時には公式写真も撮影している。
岡村 達雄(おかむら たつお、1941年5月9日 - 200… 岡村 達雄(おかむら たつお、1941年5月9日 - 2008年7月8日)は、日本の教育行政学者。関西大学名誉教授。 東京教育大学大学院教育学研究科博士課程(教育行財政専攻)修了。長崎大学専任講師、助教授、教授、関西大学文学部教授を経て、名誉教授。同大学文学部長、学校法人関西大学評議員も務めた。
波形 昭一(なみかた しょういち、1941年5月9日 - 2… 波形 昭一(なみかた しょういち、1941年5月9日 - 2020年12月12日)は、日本の経済学者、獨協大学名誉教授。 新潟県十日町市生まれ。1965年早稲田大学第一商学部卒業、1970年同大学大学院商学研究科博士課程満期修了、1987年「日本植民地金融政策史の研究」で商学博士(早稲田大学)。1970年獨協大学経済学部講師、1975年助教授、1982年教授。2012年定年、名誉教授。
樺山 紘一(かばやま こういち、1941年5月8日 - )は… 樺山 紘一(かばやま こういち、1941年5月8日 - )は、日本の歴史学者、東京大学文学部名誉教授、印刷博物館館長。
豊岡 秀訓(とよおか ひでのり、1941年5月8日 - 20… 豊岡 秀訓(とよおか ひでのり、1941年5月8日 - 2020年7月8日)は、日本の麻酔科医、元帝京大学医学部麻酔科教授。 1980年、「Effects of morphine on the rexed lamina 7 spinal neuronal response to graded noxious radiant heat stimulation(侵害性輻射熱刺激に対するRexed7層脊髄細胞の反対に及ぼすモルフィンの効果)」で、東京大学より医学博士を取得。おもな研究テーマは、麻酔のファーマコキネティクス(薬物動態学)[リンク切れ]、急性呼吸不全、低流量麻酔。 1967年、東京大学医学部卒業。
大笹 吉雄(おおざさ よしお、1941年5月8日 - )は、… 大笹 吉雄(おおざさ よしお、1941年5月8日 - )は、日本の演劇評論家。 大阪府に生まれる。早稲田大学第一文学部演劇科で郡司正勝に師事する。1964年に卒業後、歌舞伎雑誌『演劇界』を発行している演劇出版社に勤務するが、演劇批評をするため1975年に退社。6か月たって初めて原稿依頼があったという。37歳で最初の著書『正統なる頽廃』を刊行した。 1985年よりライフワーク『日本現代演劇史』の刊行を始め、同年に第1巻でサントリー学芸賞受賞した。以後も1991年に『花顔の人・花柳章太郎伝』で大佛次郎賞受賞。2008年『女優二代』で読売文学賞受賞。2010年『新日本現代演劇史』で河竹賞受賞。2014年『最後の岸田國士論』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年〈昭和16年〉5月… 萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年〈昭和16年〉5月7日 - )は、日本のコメディアン、テレビ司会者。 1966年、相方の坂上二郎と結成した「コント55号」が絶大な人気を得て、60年代後半のテレビを席巻する。 70年以降は司会者としての単独活動も開始。特に80年代以降は彼の名前を冠したレギュラー番組が軒並み高視聴率を記録、「視聴率100%男」との異名を取った。また、これらの番組から始まった様々なお笑いのスタイルは(後述)その後のバラエティー番組へ多大なる影響を与えた。 昭和のバラエティー番組黄金期を代表する人物である。 日本野球連盟に所属する野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」創立者で、初代監督を務めた。
青江 三奈(あおえ みな、1941年〈昭和16年〉5月7日 … 青江 三奈(あおえ みな、1941年〈昭和16年〉5月7日 - 2000年〈平成12年〉7月2日)は、日本の歌手(演歌・歌謡曲など)。本名は井原(鈴木) 静子(いはら しずこ)。芸能活動におけるプロフィールでは、生年月日を1945年7月7日としていた。血液型はA型。 東京都江東区南砂出身。1947年区立砂町小学校に入学、1953年区立第三砂町中学校に入学を経て、1956年に東京成徳高等学校に進学。1959年に高校を卒業した後、西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、「銀巴里」などで歌い始める。 「青江三奈」の芸名は、作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載した小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来する。
佐藤 茂雄(さとう しげたか、1941年(昭和16年)5月7… 佐藤 茂雄(さとう しげたか、1941年(昭和16年)5月7日 - 2015年(平成27年)11月20日)は、大分県出身の日本の実業家。京阪電気鉄道最高顧問。大阪商工会議所会頭。位階は従三位。 神奈川県横須賀市に生まれ、大分県臼杵市で育つ。祖父も父も大日本帝国海軍の軍人だった。父は第二次世界大戦中インド洋で戦死。父は「長男を立派に育ててくれ」という遺書を書いていて、佐藤が悪さをすると母にそれを見せられた。そのような経緯から、幼い頃は海軍に憧れていた。京都大学在学中にはボート部に所属した。 1965年(昭和40年)に京都大学法学部を卒業後、京阪電気鉄道株式会社に入社。 1995年6月、同社取締役。
佐々木 肇(ささき はじめ、1941年5月7日 - )は、日… 佐々木 肇(ささき はじめ、1941年5月7日 - )は、日本の政治家。元北海道赤平市長(3期)。元札幌市議会議員(2期)。 北海道空知郡赤平村(のち赤平町、現・赤平市)出身。1960年、北海道赤平高等学校卒。市内で茶の販売を営む。1975年、33歳で赤平市長選挙に立候補し、現職の遠藤勝太郎を破って初当選する。1979年と1983年で再選。1987年に落選した。3回とも相手は元市議の親松貞義だった。その後、札幌市に移り、1991年の北海道議会議員選挙に東区から無所属で立候補したが落選した。1993年の札幌市議会議員補欠選挙に自民党公認で立候補して当選。1995年に再選。1999年に落選した。
松生 秀二(まつおい ひでじ 1941年(昭和16年)5月7… 松生 秀二(まつおい ひでじ 1941年(昭和16年)5月7日 - 2025年(令和7年)10月19日)は、日本の映画監督。北海道北見市生まれ。日本大学藝術学部中退。日本映画監督協会会員、日本アカデミー賞協会会員。劇団三松座演出家。BMCエンタープライズ特別講師。 大映テレビ、円谷プロ、東京映画等で助監督を経て1970年「あなたはいない」でテレビドラマ監督デビュー。「あばれはっちゃくシリーズ」などを経て、1980年代後半以降は東海テレビ制作昼の帯ドラマを手掛け、多数のヒット作を演出・プロデュースする。 一時期、フジテレビの「めざましテレビ」でレポーターを担当していた松生めぐみは長女である。 2025年10月19日死去。
山内 亮史(やまうち りょうじ、1941年5月6日 - )は… 山内 亮史(やまうち りょうじ、1941年5月6日 - )は、日本の社会学者。学校法人旭川大学(現:学校法人旭川志峯学院)の前理事長。旭川大学(現:旭川市立大学)及び旭川大学短期大学部(現:旭川市立大学短期大学部)の元学長。北海道出身。 北海道札幌西高等学校卒業。横路孝弘と同級生であった。北海道学芸大学札幌分校学芸学部卒業。1970年、北海道大学大学院教育学研究科博士課程教育社会学専攻単位修得後退学。1971年4月、旭川大学経済学部専任講師に就任。1975年に同経済学部助教授、1990年に同経済学部教授。1999年、旭川大学大学院研究科教授。2000年、旭川大学副学長。2003年4月、旭川大学学長、旭川大学女子短期大学部学長に就任(~2021年3月)。
津田 喬(つだ たかし、1941年5月6日 - )は、日本の… 津田 喬(つだ たかし、1941年5月6日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。京都府出身。京都市立伏見工業高等学校卒。リベルタ所属。特技はウクレレ、京言葉。実父は翻訳家の津田穣。 劇団俳優座養成所第12期生として俳優デビュー。同期には東野英心、松山英太郎など。その他、劇団東宝現代劇、劇団仲間、劇団河にも在籍していた。 演劇、テレビ、ラジオ、日本舞踊の舞台の黒子兼司会者など幅広く活動し、ボランティアではデイサービスでの舞踊司会者、ウクレレ弾き語りなどを披露している。
田上 富信(たのうえ とみのぶ、1941年5月6日 - )は… 田上 富信(たのうえ とみのぶ、1941年5月6日 - )は、日本の法学者。専門は、民法・不法行為・使用者責任。学位は、博士(法学)(神戸大学・論文博士・2006年)。愛知学院大学法科大学院教授。関西学院大学名誉教授。大分県竹田市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
岡 希太郎(おか きたろう、1941年5月6日 - )は、日… 岡 希太郎(おか きたろう、1941年5月6日 - )は、日本の薬学者、薬学博士。コーヒーと予防医学に関する研究で知られる。 1941年、東京都に生まれる。東京薬科大学卒業ののちスタンフォード大学医学部に留学。医薬品化学と臨床薬理学を専攻。臓器移植の薬理学、漢方薬の薬物動態学、出生体重と生活習慣病との関係などについて研究した。2004年からは研究テーマを「コーヒーと健康」に絞り込み、2007年には『珈琲一杯の薬理学』を著した。東京薬科大学名誉教授、日本コーヒー文化学会常任理事サイエンス委員長などを現任する。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
渋谷 武夫(しぶや たけお、1941年5月6日 - )は、日… 渋谷 武夫(しぶや たけお、1941年5月6日 - )は、日本の経営学者・会計学者。専修大学名誉教授、松蔭大学教授。 川崎市生まれ。1966年一橋大学経済学部卒、1980年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学。日本生命保険相互会社入社、72年退社。1980年富士短期大学専任講師、83年助教授、1985年専修大学商学部助教授。90年教授、2012年定年、名誉教授、松蔭大学教授。
大久保 賢(おおくぼ まさる、1941年5月5日 - )は、… 大久保 賢(おおくぼ まさる、1941年5月5日 - )は、広島県広島市矢賀(現・東区)出身の元サッカー選手(FW)・指導者。 広島市立矢賀小学校時代からサッカーを始め、広島市立二葉中学校ではFW・HB・GKと全てのポジションを経験。進学校の広島皆実高校時代は渡部英麿監督から指導を受け、HBで県下有数の選手となり、藤枝で行われた第1回高校選抜大会のオール中国の代表選手に選出され優勝。 高校卒業後の1960年に立教大学へ進学すると、関東大学リーグ1部では2度の2位を経験するなど活躍し、大学卒業後の1964年には名古屋相互銀行へ入部。大久保が2年目の1965年にチームは8チームで創設された日本サッカーリーグに参加し、大久保はエース兼CFや兼任コーチとして活躍。
瓦葺 利夫(かわらぶき としお、1941年5月5日 - )は… 瓦葺 利夫(かわらぶき としお、1941年5月5日 - )は、日本の実業家、起業家、経営者。松屋フーズの創業者、代表取締役会長。長男は同社代表取締役社長の瓦葺一利。 茨城県多賀郡関南村(現:北茨城市関南町)出身。1966年に早稲田大学商学部を卒業。 1966年(昭和41年)、東京都練馬区羽沢の住宅街に「中華飯店 松屋」を開業。同店舗は1969年(昭和44年)に閉店した。 1968年(昭和43年)6月、東京都練馬区栄町(江古田駅北口)に、牛めし・焼肉定食店「松屋」1号店として松屋江古田店を開店。この店舗は現在も現存しており、店内には「松屋1号店 江古田店 松屋の歴史はここから始まった」と書かれたパネルと松屋の歴史が書かれたパネルが展示されている。
真理 明美(まり あけみ、1941年〈昭和16年〉5月4日 … 真理 明美(まり あけみ、1941年〈昭和16年〉5月4日 - 2017年〈平成29年〉8月8日)は、日本の女優。本名は、須川 久美子 (旧姓:及川 )。岩手県盛岡市出身。夫は映画監督の須川栄三(1998年死別)。身長162cm、B86cm、W58cm、H88cm(1974年3月)。 岩手県立花巻南高等学校卒業後、デパートガールを経て、松竹『モンローのような女』のヒロインに募集し金的を射止め、1963年に松竹入社。同作で主演デビューする。松竹は映画のタイトルに合わせ、芸名を真理明美とし、渡米させてマリリン・モンローの墓に詣でさせるなど鳴物入りの宣伝をしたが空振りに終わり、期待が大きかっただけにその反動で熱が冷めるのも早く、以降の作品は顔見せ程度の出演になった。
皇 達也(すめらぎ たつや、1941年(昭和16年)5月4日… 皇 達也(すめらぎ たつや、1941年(昭和16年)5月4日 - 2021年(令和3年)3月20日)は、日本のテレビプロデューサー。ジャパン・コンテンツ・コンサルティング代表取締役社長。 テレビ朝日事業局長、取締役制作局長歴任後、テレビ朝日サービス代表取締役社長を務めた。テレ朝の天皇の異名で知られた。 父は元広島大学学長で教育学者の皇至道。叔父も東北大学名誉教授で、玉川大学文学部長を務めた教育学者の皇晃之。 広島県出身。広島大学附属中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。慶應在学中からNETテレビ(日本教育テレビ。後のテレビ朝日)でアルバイトをしており、卒業後の1964年、社員に登用され正式に同局入社。
船山 隆(ふなやま たかし、1941年5月2日 - )は日本… 船山 隆(ふなやま たかし、1941年5月2日 - )は日本の音楽学者、現代音楽研究家、批評家。東京芸術大学名誉教授、東京オペラシティ文化財団評議員。戸籍名は舩山隆だが、著作では船山隆という表記を使っている。 福島県郡山市に生まれる。福島県立安積高等学校、東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1967年、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。1972年から1974年にかけて、パリ第8大学大学院博士課程に在学。1984年、東京芸術大学教授。2009年に定年退任、名誉教授となる。 1987年、第1回津山国際総合音楽祭の副監督に就任。第2回、第3回、第6回、第10回の音楽監督を歴任。津山文化振興財団理事(1998年~2012年)、津山市音楽顧問(2002年~2012年)も務めた。
武部 勤(たけべ つとむ、1941年〈昭和16年〉5月1日 … 武部 勤(たけべ つとむ、1941年〈昭和16年〉5月1日 - )は、日本の政治家。社団法人日米平和・文化交流協会理事。公益財団法人東亜総研代表理事。 農林水産大臣(第32代)、衆議院議員(8期)、衆議院議院運営委員長(第63代)、自由民主党幹事長(第39代)、公益財団法人全日本ボウリング協会会長を歴任した。 衆議院議員の武部新は長男。タレントの田丸麻紀は義理の娘(次男の妻)。 北海道斜里郡斜里町生まれ。父親は中華料理店主人。斜里町立斜里小学校、斜里町立斜里中学校、北海道斜里高等学校卒業後、早稲田大学第二法学部(夜学)に進学。その後、3年次に進級する際に第一学部に転部し、1964年に早稲田大学第一法学部を卒業する。
川島 豪(かわしま つよし[要出典]、1941年5月1日 -… 川島 豪(かわしま つよし[要出典]、1941年5月1日 - 1990年12月9日)は、新左翼活動家。日本共産党(革命左派)神奈川県委員会議長。岐阜県大垣市出身。 癌で死去。1990年12月9日 1960年、岐阜県立大垣北高等学校卒業、岐阜大学入学。60年安保闘争に参加。1962年、東京水産大学に再入学。1964年に大学自治会会長に就任。党派としては社学同マル戦派に属していたが、大学卒業後、社学同ML派議長だった河北三男と「警鐘」グループを結成する。 「警鐘」はやがて毛沢東思想を掲げるようになり、1968年には日本共産党(左派)神奈川県委員会に合流するが、武装闘争に否定的な左派党員とは意見が合わず、河北・川島らは1969年3月に分裂し日本共産党(革命左派)神奈川県委員会を結成する。