福山 透(ふくやま とおる、昭和23年(1948年)8月9日… 福山 透(ふくやま とおる、昭和23年(1948年)8月9日 - )は日本の有機化学者。名古屋大学大学院創薬科学研究科特任教授、東京大学名誉教授、元評議員(2007年4月〜2009年3月)。研究分野は天然物全合成、有機合成化学、有機反応開発。愛知県安城市出身。 ライス大学時代より天然物全合成に取り組み、マイトマイシン、デュオカルマイシン、(–)-CP-263,114、ストリキニーネ、レイナマイシン、FR900482など数多くの複雑な化合物の合成を完成している、アルカロイド類合成の世界的第一人者である。特にマイトマイシンの大量合成法は医薬品合成化学に多くのインパクトを与えた[要出典]。 またその過程で2-ニトロベンゼンスルホニル基(アミノ基の保護基の一つ)、インドールの合成法(福山インドール合成と呼ばれ、第一世代と第二世代がある)、穏和な条件でアルデヒドをチオエステルより生成する福山還元、ヨウ化銅(I)を用いた穏和な芳香族アミノ化反応などの合成手法や反応を多数開発しており、いずれも広く使われる有用な合成手段となっている。
西川 喜代治(にしかわ きよじ、1948年〈昭和23年〉8月… 西川 喜代治(にしかわ きよじ、1948年〈昭和23年〉8月9日 - )は、日本の政治家、元滋賀県高島市長(1期)。旭日双光章受章。 滋賀県出身。滋賀県立高島高等学校卒。今津町役場に入り、総務課長となる。今津町は合併で高島市となり、高島市役所勤務となる。同市健康福祉部長を経て、2009年の高島市長選挙に立候補し、現職を破り当選。高島市長を1期務め、2013年の高島市長選挙で福井正明に敗れた。2018年秋の叙勲で旭日双光章を受章。
泉谷 直木(いずみや なおき、1948年8月9日 - )は日… 泉谷 直木(いずみや なおき、1948年8月9日 - )は日本の実業家。アサヒグループホールディングス代表取締役社長兼最高経営責任者や、同社代表取締役会長を経て、現在、取締役会長兼取締役会議長、ニューオータニ取締役、リクルートホールディングス取締役、大林組取締役、日本経団連審議員会副議長。 京都府出身。京都市立紫野高等学校を経て、1972年京都産業大学法学部法律学科卒業、アサヒビール入社、博多工場配属。労働組合役員などを経て、1986年新設の広報企画課長。1996年新設の経営企画部長。2000年執行役員グループ経営戦略本部長。2001年執行役員首都圏本部副本部長兼東京支社長。2003年取締役。2004年常務取締役。
吉野 正芳(よしの まさよし、1948年〈昭和23年〉8月8… 吉野 正芳(よしの まさよし、1948年〈昭和23年〉8月8日 - )は、日本の政治家、実業家。 衆議院議員(8期)、復興大臣(第7・8代)、環境副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、文部科学大臣政務官(第3次小泉改造内閣)、福島県議会議員(3期)、社会福祉法人ハートフルなこそ理事長等を務めた。 福島県出身。福島県立磐城高等学校、早稲田大学商学部(日下部ゼミ:会計学)卒業。大学卒業後、家業の吉野木材株式会社に入社した。 1987年、福島県議会議員選挙に出馬し、初当選した。以後、1999年まで3期12年務める。2000年、第42回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で福島5区から出馬し、民主党新人で磐城高の同級生にあたる吉田泉を破り、当選した。
松永 章(まつなが あきら、1948年8月8日 - )は、静… 松永 章(まつなが あきら、1948年8月8日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ゴールへの嗅覚の鋭さから「ハイエナ」の異名で呼ばれたストライカーである。 1967年の藤枝東高校3年次にはキャプテンとして同校を戦後初となる選手権、高校総体、国体の3冠獲得に導き(なお、3年時の公式戦の記録は72戦70勝2分である)日本ユース代表に選出された。その後、早稲田大学を経て、1971年に日本サッカーリーグの日立製作所サッカー部に入部した。 日立では監督・高橋英辰の厳しい指導の下「走る日立」の異名で呼ばれたチームの中心選手として1972年の日本リーグ初制覇に貢献。また、得点ランキングにも常に顔を出し、釜本邦茂とは毎年激しい得点王争いを繰り広げ、2年連続で得点王(1972年、1973年)に輝いた。
八月 真澄(はづき ますみ、1948年8月8日 - )は、日… 八月 真澄(はづき ますみ、1948年8月8日 - )は、日本の歌手でミュージカル女優、作詞・作曲家。 ウイリー沖山の直弟子。ヨーデル講師でありBelting歌唱法のインストラクターでもある。 現在はライブ活動は不定期に開催しリモートで全国の生徒にヨーデルを指導。 佐賀県武雄市出身。小学校時代に神戸に一家で移住。高校卒業と同時に伊藤忠商事大阪本社に英文タイピストとして勤務するも19才で退社し舞台俳優を目指し単身上京。演劇の勉強をしながらステージで歌う。 NHKのヤング101の第二期生に合格して、青木マスミとしてNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に1971年7月7日に初出演。ヤング101には1974年3月31日の番組最終回まで在籍した。
山本 幸三(やまもと こうぞう、1948年〈昭和23年〉8月… 山本 幸三(やまもと こうぞう、1948年〈昭和23年〉8月8日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。 衆議院議員(8期)、経済産業副大臣(第1次安倍内閣)、内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革)、衆議院法務委員長・消費者問題に関する特別委員長・地方創生に関する特別委員長・災害対策特別委員長、自由民主党金融調査会長等を歴任した。 福岡県門司市(現・北九州市門司区)生まれ。福岡県立京都高等学校卒業後、東京大学理科一類に入学。しかし、3年次の専門課程に進学する際は理系から文系に転じ、東京大学経済学部卒業。 東大卒業後、大蔵省にトップで入省した。大蔵省在職中の1973年、コーネル大学経営大学院に留学し、MBAを取得した。
大木 哲(おおき さとる、1948年8月8日 - )は、日本… 大木 哲(おおき さとる、1948年8月8日 - )は、日本の政治家、歯科医師。神奈川県大和市長(4期)、神奈川県議会議員(3期)を務めた。 東京都江東区亀戸出身。青山学院大学経済学部卒業。サラリーマン生活を経て、28歳のとき鶴見大学歯学部に学士入学し、卒業。勤務医を経て、歯科医院を開設。 日本新党の選挙ボランティアに参加したことをきっかけに政治と関わるようになり、1995年の第13回統一地方選挙において、新進党より神奈川県議会議員選挙に立候補し、初当選。2期目の選挙では、民主党より立候補し当選。2003年、3期目当選。 2007年、大和市長選挙に立候補し当選。第14代大和市長に就任。対立候補であった前市長が4期目をかけた選挙であったため、多選の弊害を争点とした。
高橋 雄一(たかはし ゆういち、1948年8月8日 - )は… 高橋 雄一(たかはし ゆういち、1948年8月8日 - )は、神奈川県大和市出身のフリーアナウンサー。 中央大学卒業後に一般企業勤務を経て、1973年1月に福島テレビ(FTV)へ入社。同期には榎本文克がいる。 福島競馬の実況アナウンサーとして一部の競馬ファンにおなじみであった。特に1993年の七夕賞では「ツインターボ全開だ、ターボエンジン。逃げ切った!」とツインターボの逃げ切り勝ちを実況して、今でも語り草となっている。 2006年7月1日付の人事異動において、営業業務局専任局長に就くことになったため、アナウンサー職を離れた。アナウンサーとして最後の仕事は、その1週間後に行われた福島競馬の七夕賞の実況だった。
神野 正英(じんの まさひで、1948年8月7日 - )は日… 神野 正英(じんの まさひで、1948年8月7日 - )は日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。高知県出身。 中学時代から陸上競技を始める。当初は走幅跳の選手だった。高知市立高知西部中学校の1期生で、当時校庭が小学校と併用だったため練習場所が限られ、助走路と砂場だけが確保できた走幅跳をおこなったという。中学3年だった1963年に県の大会で6メートル67センチを記録し、中学ランキングで3位だった。一方で短距離走もおこない、同じ中学3年生の6月に高知中学通信競技選手権大会で11秒5を出した(1か月前には12秒5だった)ことで自らのスピードを自覚したという。 高知高等学校に進学する。高校時代も走幅跳を続け、2年生の時には第20回国民体育大会に7メートル18センチで優勝し、この年の自己ベストは7メートル20センチで、追い風参考で7メートル41センチを記録したこともあった。
田原 文夫(たはら ふみお、1948年8月7日 - )は、日… 田原 文夫(たはら ふみお、1948年8月7日 - )は、日本の農水官僚。 京都大学法学部卒業後、1972年農林省入省。秘書課監査官、食糧庁の課長補佐を経て静岡県に出向。1987年大臣秘書官事務取扱。1989年水産庁企画課長。競馬監督課長等を経て2000年大臣官房総務審議官。大臣官房長から水産庁長官。次期事務次官ともいわれたが、2005年に辞職。
見上 崇洋(みかみ たかひろ、1948年8月6日 - )は、… 見上 崇洋(みかみ たかひろ、1948年8月6日 - )は、日本の法学者(行政法学・都市法・土地法)。立命館大学政策科学部教授、学校法人立命館副総長、前同法人副理事長、前政策科学部長。元民主主義科学者協会法律部会理事。岡山県出身。
河上 茂(かわかみ しげる、1948年8月5日 - )は日本… 河上 茂(かわかみ しげる、1948年8月5日 - )は日本の政治家。千葉県議会議員(8期)。第67代千葉県議会議長、松戸市議会議員(4期)を歴任した。 千葉県松戸市生まれ。1967年に専修大学松戸高等学校を卒業。1971年に専修大学法学部法律学科を卒業。建設会社社員を経て、1973年から染谷誠の秘書を勤める。1982年11月の松戸市議会議員選挙に立候補して初当選を果たした。以後、1995年2月まで4期務めた。同年4月の千葉県議会議員選挙に松戸市南選挙区から無所属で立候補して、初当選を果たした。当選後、自由民主党から追加公認された。1999年4月11日の県議選で松戸市選挙区から立候補して再選を果たした。
高松 伸(たかまつ しん、1948年8月5日 - )は、日本… 高松 伸(たかまつ しん、1948年8月5日 - )は、日本の建築家。京都大学名誉教授。工学博士。一級建築士。株式会社高松伸建築設計事務所代表取締役。日本建築学会会員、アメリカ建築家協会名誉会員 (AIA)、ドイツ建築家協会 (BDA) 名誉会員、王立英国建築家協会会員 (RIBA)。 島根県出身。1984年、「織陣Ⅰ」にて日本建築家協会新人賞を受賞し建築家としてデビューを飾る。1989年、40才にして日本建築界最高の栄誉であるところの日本建築学会賞を「キリンプラザ大阪」にて受賞。その後、芸術選奨文部大臣賞、国土庁長官賞、BCS賞(建築業協会賞)、公共建築賞など数々の賞を受賞する。「天津博物館」、「ドイツ・ドュースブルグ市駅前再開発」などの国際設計競技にて最優秀賞を獲得するなど、海外でも活躍。
小形 利文(おがた としふみ、1948年8月5日 - )は、… 小形 利文(おがた としふみ、1948年8月5日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
猪崎 宣昭(いざき のぶあき、1948年8月5日 - )は、… 猪崎 宣昭(いざき のぶあき、1948年8月5日 - )は、日本の映画監督。愛媛県出身。 日本大学藝術学部卒業。三船プロダクションに入社し斎藤光正に師事する。テレビドラマにおいてあらゆるジャンルの膨大な数の作品を手がけている。 監督(太字はメイン監督) この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
飯塚 恒生(いいづか つねお、1948年8月5日 - )は、… 飯塚 恒生(いいづか つねお、1948年8月5日 - )は、日本の経営者。東急建設社長、会長を務めた。 神奈川県出身。1971年に早稲田大学理工学部を卒業し、同年に東急建設に入社した。2006年6月に常務に就任し、2010年4月には社長に昇格した。2018年6月には会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山之内 重美(やまのうち しげみ、本名:上杉重美、旧芸名:山… 山之内 重美(やまのうち しげみ、本名:上杉重美、旧芸名:山之内滋美、1948年8月4日 - ) は、日本の歌手、女優、ロシア演劇・ロシア大衆歌謡ピェースニャ研究家である。 京都府京都市出身、大阪外国語大学ロシア語学科、早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専修卒。関西芸術座、劇団三十人会、表現劇場に参加。吉田名保美事務所、中村企画(社長中村敦夫)を経て現在フリー。 在学中より演劇に惹かれ、女優を目指す(代表作参照)。ロシア語のできる女優は日本では少なく、他に栗原小巻が知られている程度である。ロシア演劇研究家としてはスターリンに粛清された悲劇の演出家メイエルホリドを永年のテーマとし、メイエルホリドの孫娘であり生涯をかけて祖父の名誉回復に尽力したマリヤとの深い親交があった。
吉田研作(よしだ けんさく、1948年8月4日- )は、日本… 吉田研作(よしだ けんさく、1948年8月4日- )は、日本の英語学・英語教育学者。上智大学名誉教授、公益財団法人日本英語検定協会会長。 京都府生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業。同大学大学院言語学専攻修士課程修了。ミシガン大学大学院博士課程修了。上智大学外国語学部講師、助教授、教授、学部長、特別招聘教授、言語教育研究センター長を歴任。2021年4月より、上智大学名誉教授および公益財団法人日本英語検定協会会長。
杉原 薫(すぎはら かおる、1948年8月3日 - )は、日… 杉原 薫(すぎはら かおる、1948年8月3日 - )は、日本の男性経済史家(アジア経済史)。大阪大学教授、京都大学教授、東京大学教授を歴任。定年後、政策研究大学院大学特別教授を経て、総合地球環境学研究所特任教授。 1980年代半ばに「アジア間貿易」論を提唱、その後のアジア経済史に大きな影響を及ぼす。近年ではグローバルヒストリーを中心とした研究を行う。1996年、東京大学より博士(経済学)(論題「アジア間貿易の形成と構造」)。 経済学者(経済学史研究)の杉原四郎は父、歴史学者の杉原達は弟である。妻は歴史学者の長崎暢子である。 1996年『アジア間貿易の形成と構造』、日本経済新聞経済図書文化賞、サントリー学芸賞受章。
本間 政雄(ほんま まさお、1948年8月3日 - )は、元… 本間 政雄(ほんま まさお、1948年8月3日 - )は、元学校法人立命館副総長、元立命館アジア太平洋大学副学長、元学校法人関東学院常務理事、元文部官僚。2013年4月から学校法人梅光学院理事長に就任。2005年に設立された国立大学マネジメント研究会の会長となり、2011年の大学マネジメント研究会への改称後も引き続き会長を務めている。2021年7月31日、任期途中にもかかわらず梅光学院理事長の職を突然辞任した。 愛知県名古屋市出身。名古屋大学法学部政治学科を卒業し、1971年(昭和46年)に文部省入省。入省3年目に人事院の行政官長期在外研究員制度によりロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。
斎藤 一人(さいとう ひとり、1948年〈昭和23年〉8月3… 斎藤 一人(さいとう ひとり、1948年〈昭和23年〉8月3日 - )は、日本の実業家、著作家、講演家。東京都江戸川区小岩生まれ。 「銀座まるかん」創設者。1970年頃から漢方茶の販売を開始し、後に漢方をベースとした化粧品や健康食品の開発に着手。銀座日本漢方研究所(2002年1月に「銀座まるかん」に改名)を創業。 口癖は、「ツイてる!」。大金持ちな顔の反面、商人は節税とかではなく、国にしっかり税金を納めて社会貢献するという考えを持つ。経済を良くすることが経済的豊かさを生んでいく[出典無効]。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大田黒 久美(おおたぐろ くみ、1948年8月2日 - )は… 大田黒 久美(おおたぐろ くみ、1948年8月2日 - )は、日本の女優。別名義、大田黒 美波。 神奈川県藤沢市出身。北鎌倉女子学園高等学校卒業。 1969年、内藤洋子主演の映画『華麗なる闘い』の縫い子役募集のオーディションを受け、最終選考まで残る。オーディションの優勝者は、山田はるみだったが、最終選考に残った7人でファニー・セブン(桐生かほる、皆川妙子、坂本千桃、萩元克子、徳峰真理、中沢直子らがいた)として同映画に出演することになり本名の大田黒美波名義でデビューする。 1969年、東宝へ入社。東宝アカデミーを経て、翌1970年4月、東宝テレビ部に移籍し、テレビドラマを中心に活躍する。 1971年、東京12チャンネルの『ワン・ツウ アタック!』で主役に抜擢され、芸名を本名の美波から久美に改める。
矢沢正(やざわ ただし、1948年8月2日 - )は、愛知県… 矢沢正(やざわ ただし、1948年8月2日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手)、解説者。
谷口 博昭(たにぐち ひろあき、1948年 <昭和23年> … 谷口 博昭(たにぐち ひろあき、1948年 <昭和23年> 8月1日 - )は、日本の元建設・国土交通官僚、和歌山県出身。元国土交通事務次官。第109代土木学会会長、建設業技術者センター理事長(非常勤)。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立桐蔭高等学校を経て、東京大学工学部土木工学科卒業。建設省入省後は、技官として道路行政に従事。道路局高速道路課長、企画課長、近畿地方整備局長、道路局長等を経て、2006年(平成18年)に技監に、2009年(平成21年)7月24日に、国土交通事務次官に就任した(技官で3人目、道路畑では佐藤信秋以来2人目)。この間にも、土木学会副会長(総務)を2007年(平成19年)度から2008年(平成20年)度にかけて務めた。
平口 洋(ひらぐち ひろし、1948年〈昭和23年〉8月1日… 平口 洋(ひらぐち ひろし、1948年〈昭和23年〉8月1日 - )は、日本の政治家、建設・国土交通官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)。法務大臣(第111-112代)、自由民主党広島県支部連合会長。 法務副大臣(第4次安倍第1次改造内閣)、環境副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、法務大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員長、同農林水産委員長、同法務委員長、自由民主党政務調査会副会長、同国土交通部会長、同厚生労働部会長、自由民主党副幹事長、同報道局長、国土交通省河川局次長、日本道路公団総務部長、秋田県警察本部長などを歴任。 広島県安芸郡江田島村(現:江田島市)生まれ。
嶋田 芳博(しまだ よしひろ、1948年(昭和23年)8月1… 嶋田 芳博(しまだ よしひろ、1948年(昭和23年)8月1日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県鹿屋市長(1期)。 鹿児島県鹿屋市出身。1964年鹿屋市立鹿屋中学校卒業、1967年鹿児島県立鹿屋高等学校卒業、1971年水産大学校卒業。鹿屋青年会議所理事長、鹿屋ロータリークラブ会長などを歴任し、2010年の鹿屋市長選挙に立候補し、当選する。2014年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元鹿児島県職員の中西茂に敗れた。
吉川 潮(よしかわ うしお、1948年8月1日 - )は、日… 吉川 潮(よしかわ うしお、1948年8月1日 - )は、日本の演芸評論家、小説家、コラムニスト。ルポライターのほか、放送作家。 妻は、粋曲(色物)の柳家小菊(落語協会所属)。日本文芸家協会会員。駄句駄句会同人、俳号は「駄郎(だろう)」。 茨城県真壁郡下館町(現・筑西市)出身。父親は長唄の岡安喜三四郎。姉と妹がおり、三人の名付け親は西條八十。 1971年立教大学経済学部卒業。 ルポライターのほか、放送作家として「青島幸男のお昼のワイドショー」などの構成を担当する一方、1979年から演芸評論家として演芸評、コラムを書き始める。1980年「小説現代」で小説家としてデビュー。 落語立川流の顧問であったが、2014年11月に辞任した。
浜口 末男(はまぐち すえお、Paul Sueo Hamag… 浜口 末男(はまぐち すえお、Paul Sueo Hamaguchi, 1948年8月1日 - 2020年12月28日)は、日本のカトリック教会聖職者でカトリック大分司教区の司教。洗礼名は「パウロ」。 1948年8月1日、長崎県長崎市西出津町で誕生。カトリック出津教会出身。福岡サン・スルピス大神学院で学ぶ。カトリック大阪教区の前田万葉大司教・枢機卿と同級生であった。 1975年3月19日に司祭叙階。1975年3月26日から大浦教会助任司祭、1978年3月13日から出津教会主任司祭、1984年3月24日から大曽教会主任司祭。1992年3月3日からカトリック長崎大司教区立長崎カトリック神学院で働き、後に院長を務めた。
永田 文治(ながた ふみはる、1948年7月31日 - 20… 永田 文治(ながた ふみはる、1948年7月31日 - 2025年8月8日)は、日本の実業家。鹿児島銀行頭取、会長、相談役を歴任。 鹿児島県鹿屋市出身。1972年3月鹿児島大学法文学部卒業、4月鹿児島銀行入行。取締役法人推進部長、取締役営業支援部長、取締役審査部長、常務取締役を経て、2006年6月鹿児島銀行代表取締役頭取に就任。14年ぶりの生え抜きの頭取となった(前頭取大野芳雄は日銀出身)。2010年6月取締役会長に就任。2013年6月相談役に就任。 南九州の農業や関連産業を支援するため、2008年に頭取として、民間だけで構成する農業ファンドとしては全国初となるアグリクラスターファンドを設立した。
小賀 正義(こが まさよし、1948年〈昭和23年〉7月31… 小賀 正義(こが まさよし、1948年〈昭和23年〉7月31日 - )は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫が結成した「楯の会」の2期生で第5班班長。三島、森田必勝と共に、憲法改正のための自衛隊の決起(クーデター)を呼びかける三島事件に参加した一員である 1948年(昭和23年)7月31日、和歌山県有田市千田1279番地に誕生。会社員であった父は1953年(昭和28年)、正義が5歳の時に亡くなり、母・竹子はみかん園を営みながら、正義とその1歳下の妹・令子を育てた(令子は成長すると母と共にみかん園を経営)。母親が宗教法人「生長の家」に所属していた関係で、正義は中学1年頃から「生長の家」の練成会などに参加するようになった。
渡辺 佳英(わたなべ よしひで、1948年7月31日 - )… 渡辺 佳英(わたなべ よしひで、1948年7月31日 - )は、日本の実業家。大崎電気工業株式会社取締役会長CEO(代表取締役)。公益財団法人日本ハンドボール協会第8代会長(2003年 - 2017年)を務め、アジアハンドボール連盟(AHF)第一副会長および国際ハンドボール連盟(IHF)理事も歴任した。 東京都出身。慶應義塾大学工学部を卒業後、野村総合研究所を経て大崎電気工業に入社。1988年、父で代表取締役社長であった渡辺和美の急逝を受けて同職を継承した。在任中、主力製品の電力量計の高度化・デジタル化を推進。2012年にシンガポールのスマートメーターメーカーEDMI Limitedを傘下に収め、100カ国以上に事業展開するグローバル企業への変革をリードした。
横山 久吉郎(よこやま きゅうきちろう、1948年7月31日… 横山 久吉郎(よこやま きゅうきちろう、1948年7月31日 - )は、日本の実業家、久月代表取締役会長、久月七代目。 1948年7月31日生まれ。東京都出身。 1967年4月、立教大学入学。大学では「企画研究会」というサークルに属し、大手旅行会社の協力を得て、海外ゼミツアーを企画し、120名の若者に36日間のヨーロッパ観光とケンブリッジ大学での講習プログラムを実施するなどの前衛的な取り組みを行った。大学4年の夏には英会話の勉強のため、アメリカのミシガン大学イングリッシュ・ランゲージ・インスティテュートに留学。また、アメリカ大陸を単独でバスで横断する経験をした。 1971年3月、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。
斎藤 芳明(さいとう よしあき、1948年7月30日 - )… 斎藤 芳明(さいとう よしあき、1948年7月30日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 鹿沼農商では第47回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場。東海一高に3-5で初戦で敗退。 栃木県の最優秀選手にも選ばれたこともあり、オーバースローの本格派、打撃も良く、大きく落ちるドロップを決め球とした。 1966年第1次ドラフト会議で阪急ブレーブスから3位で指名され入団。 一軍公式戦に出場することはなく、退団した。
山口 富夫(やまぐち とみお、1948年7月30日 - )は… 山口 富夫(やまぐち とみお、1948年7月30日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手/右投げ右打ち)である。プロ入り前の名前は山口 富雄(読みは、上記と同じ)だった。 横浜高校、神奈川大学を経て三協精機に入社、1971年の都市対抗ではチームの準決勝進出に貢献。1972年のドラフト会議で、太平洋クラブライオンズの2位指名を受けてプロ入り。新人の年にオープン戦で開幕投手を務めたが公式戦での登板機会に恵まれないまま、1975年オフに金銭トレードで読売ジャイアンツに移った。ジャイアンツでは打撃投手を兼務しつつ一軍入りを目指したが、活躍できず引退後もジャイアンツに残り、1992年まで打撃投手としてチームを陰から支えた。
ヤマサキ ユズル(1948年7月30日 - )は長崎市出身の… ヤマサキ ユズル(1948年7月30日 - )は長崎市出身の画家。長崎市館内町にある「月の美術館」館長。シンガーソングライターでもあり、8月9日前後に長崎市で開催されている長崎原爆平和祈念「詩の夕べ」に毎年参加し、反戦平和の意思を自作の曲で表現している。
宇野 邦一(うの くにいち、1948年7月30日 - )は、… 宇野 邦一(うの くにいち、1948年7月30日 - )は、日本の哲学者、フランス文学者、翻訳家。立教大学名誉教授。専門は映像身体論、身体論、現代思想。 島根県松江市出身。松江工業高等専門学校、京都大学文学部仏文学科卒業。パリ第8大学でジル・ドゥルーズの指導を受け、アントナン・アルトーについての研究で1980年に博士号取得。1979年、「文学の終末について」で第22回群像新人文学賞評論部門優秀作。1983年神戸市外国語大学助教授、1987年立教大学助教授。法学部、現代心理学部で教授を務めた。2014年退任。立教大学名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29… 山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手、右投右打)・監督・コーチ、野球解説者。秋田県能代市出身、兵庫県西宮市在住。 現役時代はNPBの阪急ブレーブス(パシフィック・リーグ)で1969年から1988年までプレーし、12年連続開幕投手を務めるなどエースとして活躍した。通算654試合登板、3865投球回、284勝166敗、防御率3.18、2058奪三振を記録、チームの8回のリーグ優勝に貢献、特に1975年・1976年・1977年には3年連続の日本シリーズ優勝を経験している。通算284勝はNPBのアンダースロー投手としては最多で、球界関係者からは史上最高のサブマリン投手と称されることもある。
小川 賢太郎(おがわ けんたろう、1948年7月29日 - … 小川 賢太郎(おがわ けんたろう、1948年7月29日 - 2026年4月6日)は、日本の実業家、起業家、経営者。すき家などを展開しているゼンショーの創業者で、同社代表取締役会長。 2017年より、国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)第2代会長。 石川県出身。東京都立新宿高等学校を経て、東京大学に進学するが、全共闘運動に関わり中退。 港湾労働を経て、ベトナム戦争から「資本主義のもとで貧困をなくす」ことに目覚め、通信教育で中小企業診断士の資格を取得。 1978年、吉野家に入社。同社の倒産などをきっかけに独立し、1982年にゼンショーを創業。社名は創業時に「全勝」「善意の商売」「禅の心で商売を行う」の3つの意味を込めて命名した。
山際 淳司(やまぎわ じゅんじ、1948年7月29日 - 1… 山際 淳司(やまぎわ じゅんじ、1948年7月29日 - 1995年5月29日)は日本のノンフィクション作家・小説家・翻訳家。本名:犬塚 進(いぬづか すすむ)。神奈川県横須賀市(現・逗子市域)生まれ。 息子はコンサルタント、ライター・犬塚星司。 神奈川県立横須賀高等学校、中央大学法学部一部法律学科卒業。大学在学中、『別冊経済評論』1972年5月号に『高石ともやの歌(フォーク)と心(ハート)』と『言語と感性』の2本のルポを発表し文筆活動を開始。前者は「山際淳司」のペンネームで、後者は本名の犬塚進名義で書かれた。犬塚進名義では、『週刊サンケイ』に人物ルポを執筆するなどしていたが、その頃から、独自の視点、詳細な描写、読んで飽きさせない表現などで認められていた。
陽田 浅吉(ようだ あさきち、1948年7月29日 - )は… 陽田 浅吉(ようだ あさきち、1948年7月29日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
園田 喜則(そのだ よしのり、1948年7月29日-1989… 園田 喜則(そのだ よしのり、1948年7月29日-1989年9月6日)は、大阪府出身(出生地は島根県大田市)で、東京オリオンズ・ロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に所属した元プロ野球選手。ポジションは内野手。
島津 佳一(しまづ よしかず、1948年7月29日- )は、… 島津 佳一(しまづ よしかず、1948年7月29日- )は、大分県日田市出身の元プロ野球選手(外野手)である。
槇野 博史(まきの ひろふみ、1948年7月29日 - )は… 槇野 博史(まきの ひろふみ、1948年7月29日 - )は、日本の医学者、教育者、医師(内科医)、医学博士、岡山大学教授で、第14代岡山大学学長(任期:2017年4月1日から6年間)を務めた。岡山大学名誉教授。 専攻は内科学(特に腎、免疫、内分泌)。岡山県岡山市北区出身。
江幡 幸伸(えばた ゆきのぶ、1948年7月29日 - )は… 江幡 幸伸(えばた ゆきのぶ、1948年7月29日 - )は、日本の実業家。東京都出身。株式会社東京スポーツ新聞社元取締役相談役・代表取締役社長。 東京都出身。1974年、上智大学文学部新聞学科卒業後、株式会社東京スポーツ新聞社に入社。同社整理局長、編集局長、取締役編集局長等を経て、2007年、同社代表取締役社長に就任。2013年、同社代表取締役社長から退任し、同社取締役相談役に就任。
橋本孝伸(はしもと たかのぶ、1948年7月29日 - )は… 橋本孝伸(はしもと たかのぶ、1948年7月29日 - )は日本の大蔵官僚。国税不服審判所次長。 兵庫県明石市出身。灘高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1971年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1972年5月 大臣官房秘書課調査係長心得。1973年8月 大臣官房調査企画課。1974年7月 主計局総務課調査主任。1975年 主計局総務課企画係長。1976年7月 帯広税務署長。1977年7月 国税庁調査査察部調査課長補佐。1978年7月 日本開発銀行人事部副調査役。1995年5月 金沢国税局長。1997年7月 理財局たばこ塩事業審議官。1998年7月 国税不服審判所次長。1999年7月 退官。
大熊 徹(おおくま とおる、1948年7月29日 - 202… 大熊 徹(おおくま とおる、1948年7月29日 - 2024年4月1日)は、日本の国語教育学者、東京学芸大学名誉教授。 千葉県市川市生まれ。1972年東京学芸大学教育学部国語科卒業。東京学芸大学附属世田谷小学校教諭、東京学芸大学大学院修士課程修了。東京学芸大学助教授、教授、2014年定年退官、名誉教授。全国大学国語教育学会常任理事、日本国語教育学会常任理事・編集部長、市川市教育委員長など。 2024年4月1日、嚥下機能障害のため東京都の自宅で死去。75歳没。
小川 謙(おがわ けん、1948年7月29日 - )は、日本… 小川 謙(おがわ けん、1948年7月29日 - )は、日本の実業家。日本トランスシティ代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、東海倉庫協会会長、三重県商工会議所連合会会長。元日本倉庫協会副会長。元中部経済連合会副会長。 三重県出身。1971年立教大学法学部卒業、四日市倉庫入社。2000年日本トランスシティ関連事業部長。2001年日本トランスシティ中部支社名古屋支店長。2005年日本トランスシティ取締役人事部長。2007年日本トランスシティ常務取締役運輸事業部長。2011年から日本トランスシティ代表取締役社長兼営業本部長兼管理本部長を務め、グローバル化などを進めた。2019年日本トランスシティ代表取締役会長。
東山 敬司(ひがしやま けいじ、1948年7月28日 - )… 東山 敬司(ひがしやま けいじ、1948年7月28日 - )は、主に1960年代末から1970年代末頃にかけて活動していた日本の俳優。本名同じ、身長181㎝(1969年当時)。 埼玉県大宮市(現・さいたま市)出身。父は自転車の部品を作る工場を経営していたが、当人が4歳の時に事業に失敗、その後も父がギャンブルに凝った末に破産、実質上、一家は全てのものを失ったことで大宮を出て、当人と姉の二人だけは親類の家へ預けられ、後に東京都杉並区荻窪に転居。 本人曰く、「近所でも評判の暴れん坊で、ガキ大将」という少年時代を過ごす。小学生の頃から映画好きで、頻繁に映画館に通っていた。 杉並区立若杉小学校→杉並区立天沼中学校を経て東京都立西高等学校を卒業、一年浪人後、早稲田大学商学部に進学。
市川 徹(いちかわ とおる、1948年7月28日 - 202… 市川 徹(いちかわ とおる、1948年7月28日 - 2023年8月30日)は、日本の映画監督、プロデューサーである。 浅野高等学校卒業後、日本大学に進学。1972年に卒業し、テレビ神奈川(tvk)に入社する。tvkでは、音楽・バラエティ番組などの制作や営業を担当する。87年に独立し、サム・エンタープライズの芸能部長になると共に音楽・映像の制作会社を設立し、KATSUMI、米倉利紀などを抱える。1993年、第一作となる『ファンキー・モンキー・ティーチャー3 康平の微笑』で映画監督デビューする。その後、十余年の間、監督として数多くの青春、コメディ映画やヤクザ映画のVシネマ作品を手がける。2006年から2007年の富山県や神奈川県を舞台にした伝記映画『九転十起』三部作の監督を機に、日本各地のご当地映画を撮り続けている。