松井 みどり(まつい みどり、1948年7月2日 - )は、… 松井 みどり(まつい みどり、1948年7月2日 - )は、日本の翻訳家。 東京都生まれ。東京教育大学英文科卒。高校で教えたあと、ロバート・ホワイティングの日本の野球・相撲に関するエッセイを翻訳し、翻訳家となる。犬好きでもあり、裏千家の茶道師範でもある。
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松井 みどり(まつい みどり、1948年7月2日 - )は、… 松井 みどり(まつい みどり、1948年7月2日 - )は、日本の翻訳家。 東京都生まれ。東京教育大学英文科卒。高校で教えたあと、ロバート・ホワイティングの日本の野球・相撲に関するエッセイを翻訳し、翻訳家となる。犬好きでもあり、裏千家の茶道師範でもある。
北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ、1948年7月2日 - … 北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ、1948年7月2日 - )は、北海道瀬棚郡北檜山町(現・久遠郡せたな町)出身で九重部屋(入門時は出羽海部屋)所属の元大相撲力士。本名は土谷 孝(つちや たかし)。最高位は東関脇(1976年7月場所)。現役時代の体格は身長175cm、体重115kg。得意技は左四つ、寄り、もろ差し。 出羽海部屋付きの九重(元横綱・千代の山)の勧誘を受けて1964年7月場所、初土俵を踏む。力士になった理由は中学の校長が九重を大相撲に勧誘したというものであり、そういった経緯もあって以降関取に向けて精進を重ねた。1967年3月、九重親方の独立に際して、大関北の富士らとともに九重部屋へ移籍。
尾形 好雄(おがた よしお、1948年7月2日 - )は、日… 尾形 好雄(おがた よしお、1948年7月2日 - )は、日本の登山家。福島県福島市出身。元スポニチ登山学校校長、現日本山岳協会理事長。ヒマラヤ山脈の未踏峰を登頂し、一度も事故を起こさなかった日本を代表する登山家である。 福島県福島市出身、同県二本松市在住。 父親を早くに亡くしたため、小学校時代から家計のために自転車での牛乳配達をはじめていた。中学生時代から登山に興味を示し、兄たちとともに地元安達太良山を踏破する。福島県立福島工業高等学校入学後、山岳部に入部、登山の基礎知識を学ぶ。生徒会長と折衝して部の予算を倍額にした。 1967年に社会人で構成される「雪と岩の会」に参加、登山家として活動を始める。
森下 裕(もりした ゆたか、1948年7月1日 - )は、日… 森下 裕(もりした ゆたか、1948年7月1日 - )は、日本の政治家。第2代福井県三方上中郡若狭町長。 福井県遠敷郡上中町大鳥羽(現・三方上中郡若狭町)出身。福井県立若狭農林高等学校卒業後、1968年に旧上中町職員として奉職。福井県出向、琵琶湖若狭湾快速鉄道建設および小浜線電化促進協議会への勤務を経て、産業課長、企画課長を歴任。2005年に旧三方町との合併で生まれた若狭町の初代助役に就任。同町の副町長を経て、2009年から第2代若狭町長を務める。
黑田 義久(くろだ よしひさ、1948年〈昭和23年〉7月1… 黑田 義久(くろだ よしひさ、1948年〈昭和23年〉7月1日 - )は日本の外交官。EU公使等を経て、ウズベキスタン及びタジキスタン駐箚特命全権大使。 兵庫県姫路市出身。姫路市立砥堀小学校等を経て、1973年に京都大学法学部を卒業し外務省入省。1974年7月から1977年6月までロシア語研修。 ウラジオストク総領事、ユジノサハリンスク総領事、欧州連合政府代表部公使、レバノン駐箚特命全権大使を経て、2009年から独立行政法人航海訓練所監事。2010年からウズベキスタン駐箚特命全権大使。タジキスタン兼箚。 家族は妻と娘が1人いる。
塩崎 修(しおざき おさむ、1948年〈昭和23年〉7月1日… 塩崎 修(しおざき おさむ、1948年〈昭和23年〉7月1日 - )は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官等を経て、ホンジュラス共和国駐箚特命全権大使。 東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。1973年外務省入省。[要出典] 1984年在エジプト日本大使館一等書記官、1986年在インドネシア日本大使館参事官、1990年外務省経済協力局国際機構課長、1991年内閣官房内閣内政審議室内閣審議官、1993年外務省文化交流部文化第一課長、1995年在ケニア日本大使館公使、1997年在オーストラリア日本大使館公使。[要出典] 2000年宇宙開発事業団調査国際部参事、2002年ニューヨーク領事。2003年7月からホーチミン総領事を3年半務め、日系企業のベトナム進出の支援等を行った。
朝永 徹一(ともなが てついち、1948年6月30日 - )… 朝永 徹一(ともなが てついち、1948年6月30日 - )は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、サインデザイナー。都市計画や大型施設のサイン・ディスプレーのプロデュースを行っている。元女子美術大学短期大学部非常勤講師。 長崎県長崎市に生まれる。 1964年、長崎市立長崎商業高等学校 時代、1年先輩の蛭子能収らと美術部で活動した。1965年、日本宣伝美術会西日本展で準入選となる。 1968年、新宿の歌声喫茶「灯」 で、合唱歌集の楽譜・イラスト等グラフィック面から、舞台装置・照明に至るまで演出を担当する。 1970年、日本万国博覧会においてテーマ館太陽の塔内部の展示計画(ディスプレイ)の一部を、また東京都の世界貿易センタービルのサイン計画を乃村工藝社所属で、それぞれ担当する。
矢部 徳美(やべ のりよし、1948年6月29日 - )は、… 矢部 徳美(やべ のりよし、1948年6月29日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 内郷高校では1年から遊撃手。1966年夏の甲子園県予選で準々決勝に進むが会津高に敗退。高校卒業後は常磐炭鉱に入社。同社の系列会社で構成する社会人野球チームであるオール常磐に入団、遊撃手として活躍する。 一番打者として1970年の都市対抗に出場。1回戦では電電東海を相手に逆転本塁打を放ち、勝利の立役者となる。2回戦で日本石油のエース三浦健二に完封を喫するが、小柄ながら好守好打の内野手として注目を浴びる。 1970年ドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け入団。1971年のジュニアオールスターに出場。
杉原 厚吉(すぎはら こうきち、1948年6月29日 - )… 杉原 厚吉(すぎはら こうきち、1948年6月29日 - )は、日本の数理工学者。東京大学名誉教授。明治大学先端数理科学インスティテュート研究特別教授。 1948年岐阜県高山市生まれ。高山市立西小学校、高山市立中山中学校、岐阜県立斐太高等学校を経て、1971年東京大学工学部計数工学科卒業、1973年東京大学大学院工学系研究科計数工学専門課程修士課程修了、工学部助手、7月通商産業省電子技術総合研究所研究官、1980年東京大学より工学博士の学位を取得。1981年名古屋大学工学部情報工学科助教授、1986年東京大学工学部助教授、1991年教授、2001年東京大学大学院情報理工学系研究科数理情報学専攻教授、2009年4月より明治大学研究・知財戦略機構特任教授。
八村 広三郎(はちむら こうざぶろう、1948年〈昭和23年… 八村 広三郎(はちむら こうざぶろう、1948年〈昭和23年〉6月29日 - )は、日本の工学者。立命館大学情報理工学部名誉教授、工学博士。滋賀県地域情報化推進会議顧問。 専門は情報工学(画像情報学)。 鳥取県鳥取市出身。鳥取銀行元頭取の八村信三・緑夫妻の三男として生まれる。鳥取県立鳥取西高等学校を経て、1971年(昭和46年)京都大学工学部電気工学第二学科卒業。1976年(昭和51年)京都大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程単位取得退学。 1978年(昭和53年)国立民族学博物館第五研究部助手。1979年(昭和54年)京都大学工学博士。1983年(昭和58年)京都大学情報処理教育センター助教授。
鎌田 實(かまた みのる、1948年6月28日 - )は、日… 鎌田 實(かまた みのる、1948年6月28日 - )は、日本の医師、作家、社会運動家。地域医療従事者。 諏訪中央病院名誉院長、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)理事長、日本・イラク・メディカルネット(JIM-NET)代表、東京医科歯科大学臨床教授、東海大学医学部客員教授、岐阜経済大学客員教授。北九州市アドバイザー。ピースボート水先案内人。 東京都杉並区出身。1歳10ヶ月で養子に出され、青森県から上京し個人タクシー業を営む養父と病弱な養母に引き取られる。ただし30歳を過ぎてパスポートを取得するまで養子であることは鎌田本人には伏せられていた。 子供の頃から読書家で『どくとるマンボウ航海記』を読んで、船医になって世界中を旅することに憧れていた。
鈴木 弘(すずき ひろし、1948年6月28日 - )は、東… 鈴木 弘(すずき ひろし、1948年6月28日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)。左投左打。 196cmの長身から「ジャンボ鈴木」の異名を持つ。 国士舘高等学校、大東文化大学を経て、1970年春にキャピー原田に誘われサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。MLBの球団と契約した初の日本人野手となった。 この年の3月に行われた日米野球にジャイアンツのメンバーとして来日して2試合に出場(うち1試合は先発)。アメリカに戻った後は傘下A級ディケーター・コモドアーズ(英語版)で開幕を迎えたが、1か月後にはルーキー級のグレートフォールズ・ジャイアンツ(英語版)に降格。異国での生活に慣れなかったこともあり成績は上がらず、2球団合計で70試合に出場して、打率.149、2本塁打という結果に終わった。
角﨑 利夫(つのざき としお、1948年(昭和23年)6月2… 角﨑 利夫(つのざき としお、1948年(昭和23年)6月28日 - )は、日本の外交官。カザフスタン兼キルギス駐箚特命全権大使、セルビア兼モンテネグロ駐箚特命全権大使、査察担当大使などを歴任した。 富山県高岡市出身。富山県立高岡高等学校を経て、1972年(昭和47年)東京大学法学部を卒業し、外務省に入省する。外務省では、駐ソ連大使館、駐英大使館勤務、外務省国際連合局人権難民課長、大蔵省関税局監視課長を経て、 夫人の角崎悦子は、アジア防災センター主任研究員。悦子夫人の父は大蔵官僚出身で自由民主党衆議院議員、経済企画庁長官や総務庁長官を務めた塩崎潤。帝京大学法学部教授や政策研究大学院大学(政策研究院)名誉教授の山根裕子は悦子夫人の姉、自民党衆議院議員で安倍内閣内閣官房長官の塩崎恭久は弟である。
安達 哲治(あだち てつじ、1948年6月28日 - )は日… 安達 哲治(あだち てつじ、1948年6月28日 - )は日本を代表するバレエ洋踊家の一人。香川県丸亀市出身。 1979年 専修学校教員認定授与 1991年 文化庁芸術祭賞受賞(個人) 1993年 文化庁在外特別研修員(パリオペラ座、ロイヤルバレエ団) 2000年 文化庁芸術祭優秀賞受賞(NBAバレエ団) 2004年 橘秋子賞特別賞受賞(個人) 2005年 舞踊批評家協会賞受賞(NBAバレエ団) 2006年 ジャクソン国際バレエコンクール審査員 2011年 丸亀市文化観光大使委嘱 2014年 著書「バレエコンクール審査員は何を視るか?」 2020年 丸亀市文化振興賞受賞 1948年、安達家の次男として丸亀市で生まれる。
関戸 明夫(せきど あきお、1948年6月28日 - )は、… 関戸 明夫(せきど あきお、1948年6月28日 - )は、日本の企業家。ギグワークス株式会社代表取締役(兼グループCEO)、株式会社グローバルBPO代表取締役。 東京都出身。東京海上火災保険在職中に、企業派遣研修生としてマサチューセッツ工科大学のビジネススクール(スローン・スクール・オブ・マネジメント)に留学後、「環境制御システムの設計・施行」を手がける三協工業の社長に就任。体験重視の哲学から会社説明会で井戸掘りを体験させたり、外国人留学生の積極採用、「22歳の人を副社長にしても差はない」と新入社員から副社長を公募したりなどが夕刊フジ特捜班「追跡」に取り上げられている。 その後、マサチューセッツ工科大学のクラスメートで、後にSynnex社をニューヨークに上場したロバート・ファン氏と「パソコン部品のディストリビューター」であるシネックスジャパンを設立。
石川 賢(いしかわ けん、KEN ISHIKAWA、本名:石… 石川 賢(いしかわ けん、KEN ISHIKAWA、本名:石川賢一、1948年6月28日 - 2006年11月15日)は、日本の漫画家。栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)出身。血液型はAB型。 代表作に『ゲッターロボ』、『魔獣戦線』、『虚無戦記』、『極道兵器』などがある。バイオレンス描写をメインに、スペースオペラ、ヒーローロボット、時代劇・忍術、任侠、ゴルフなど多岐にわたる主題を扱った。 高校卒業後の1969年、永井豪のアシスタントとしてダイナミックプロに入社する。永井は、「弟子などと思ったことは一度もない。戦友であり、友であり最大の味方である」と語っている。また「デビュー前から知り合っていたら、藤子不二雄先生みたいになっていたかも知れない。
瀬戸山 功(せとやま いさお、1948年6月27日 - )は… 瀬戸山 功(せとやま いさお、1948年6月27日 - )は、日本の元俳優。本名同じ。 鹿児島県出身。國學院大學卒業。東宝芸能、星野事務所に所属していた。 1970年代から1980年代にかけて映画、テレビドラマ、舞台に脇役として出演。1973年の円谷プロ制作の特撮ドラマ『ジャンボーグA』(毎日放送)では、PAT隊員・大羽健次役でレギュラー出演した。 特技は、殺陣、乗馬。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
鎌田 守恭(かまだ もりやす、1948年6月27日 - )は… 鎌田 守恭(かまだ もりやす、1948年6月27日 - )は日本の政治家。自民党所属の香川県議会議員。当選9回。 高松中心市街地を地盤としている数少ない県議会議員の一人。高松中央商店街の再開発を始めとした市街地活性化や観光振興に積極的に取り組んでいる。香川漆器にも造詣が深く漆芸振興策を訴えている。
中 康次(なか こうじ、1948年6月26日 - 2015年… 中 康次(なか こうじ、1948年6月26日 - 2015年12月19日)は、日本の俳優。旧芸名は中 康治(読み同一)、中 孝舟()。本名は福中 康治。 京都府京都市出身。京都府立嵯峨野高等学校卒業。 高校時代に父が病死し、高校卒業直後に上京。ファッションモデル、CMモデルの仕事をしながら生計を立てていた。 1979年、映画『戦国自衛隊』では上杉と武田の争う真っ只中にタイムスリップする自衛隊員を演じ、191cmの長身と甘いマスクで正統派の二枚目として注目を集めた。以後、『柳生あばれ旅』(テレビ朝日)、『宮本武蔵』(NHK)、『スケバン刑事』(フジテレビ)などのテレビドラマで活躍。 1986年の東京宝塚劇場『三味線お千代』で初舞台を踏んでからは、多くの舞台にも出演した。
諸石 幸生(もろいし さちお、1948年6月26日 - 20… 諸石 幸生(もろいし さちお、1948年6月26日 - 2022年4月9日)は、日本の音楽評論家。 1948年佐賀県佐賀市に生まれる。1967年、佐賀県立佐賀北高等学校卒業。早稲田大学法学部卒業。 学生時代にはオーケストラでトロンボーン奏者を経験する一方、夜にはバンドマンを務めたりもしていた。 大学卒業後は音楽鑑賞教育振興会に10年間勤務、義務教育課程における鑑賞指導法の研究・啓蒙に携わる一方、『演奏家大事典』の編纂にも従事していた 1984年にステレオサウンド社から創刊された『音楽通信』に創刊メンバーの1人として携わる《編集長には同じく音楽評論家の黒田恭一が就任したものの、半年で休刊となった》 以後、フリーの音楽評論家として、音楽専門誌、新聞、ライナーノーツへの執筆や、ラジオ放送におけるクラシック音楽関連番組へのパーソナリティ或いはゲスト解説者としての出演などの活動を行ってきている。
高田 文夫(たかだ ふみお、1948年〈昭和23年〉6月25… 高田 文夫(たかだ ふみお、1948年〈昭和23年〉6月25日 - )は日本の放送作家、タレント。本名は高田 文雄(読み同じ)。愛称は「高田ギョロメ文夫」「高田先生」「高田センセー」。 落語家として、「立川 藤志楼」の高座名で落語立川流Bコース入りしている。「駄句駄句会」同人、俳号は「風眠(ふうみん)」。生年月日は沢田研二・誠直也と同じ。長男は日刊スポーツ記者の高田文太。 東京ヤクルトスワローズのファンとしても知られている。 東京都渋谷区富ヶ谷に生まれる。父の高田栄三は歴史書関係の出版社 国文社の経営者で丹羽文雄と仲が良かった事から「文雄」と名付けられた。父方の親戚は出版社の経営者が多く、雑誌『映画評論』発行人高田俊郎もその一人で芸能好きは彼の影響が大きい。
沢田 研二(さわだ けんじ、1948年〈昭和23年〉6月25… 沢田 研二(さわだ けんじ、1948年〈昭和23年〉6月25日 - )は、日本の歌手、俳優、ソングライター。ザ・タイガースおよびPYGのボーカル。本名:澤田 硏二(読み同じ)。 両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)生まれで京都府京都市育ち。ニックネームは『ジュリー』。妻は女優の田中裕子。義弟は俳優の田中隆三。前妻は歌手の伊藤エミ。 1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期から最前線で活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録。1982年から1991年までの9年間は歴代1位の座を保つ。アルバムも合わせた総売上は約1572万枚。ザ・タイガース、PYG時代も含めたシングルの総売上は1,668万枚に上る。
荒川 俊三(あらかわ しゅんぞう、1948年6月25日 - … 荒川 俊三(あらかわ しゅんぞう、1948年6月25日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。 兵庫高校では第38回選抜高等学校野球大会に一番、センターで出場。初戦で高知高校に敗れる。 高校卒業後は、かまぼこ製造業に就職したが、その後に近鉄の入団テストを受ける。打撃もよく、100メートル走と遠投でテスト生全員のトップで晴れて合格し、1966年にドラフト外で近鉄バファローズへ入団した。高校時代は大野姓で、プロ入り後に荒川姓となる。 近鉄では控え内野手でほとんど出場機会がなかったが、1968年7月21日東京スタジアムでの東京オリオンズ戦で乱闘の最中、もみ合いの中で榎本喜八をバットで殴打し、昏倒させた。
松田 譲(まつだ ゆずる、1948年6月25日 - )は、日… 松田 譲(まつだ ゆずる、1948年6月25日 - )は、日本の薬学研究者、実業家、農学博士。協和発酵キリン代表取締役社長や、日本製薬団体連合会副会長、日本農芸化学会副会長を務めた。 新潟県出身。1971年新潟大学農学部卒業。1977年東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、農学博士、協和発酵工業(現協和発酵キリン)入社。東京研究所研究員を務め、新薬開発にあたった。主任研究員を経て、2000年執行役員医薬総合研究所長。2002年常務取締役総合企画室長に昇格。 2003年から協和発酵工業代表取締役社長を務め、キリンファーマとの経営統合を行い、2008年に合併後の協和発酵キリン代表取締役社長に就任。
林 信夫(はやし のぶお、1948年6月25日 - )は、日… 林 信夫(はやし のぶお、1948年6月25日 - )は、日本の法制史学者。京都大学名誉教授。京都大学大学院法学研究科長・法学部長、京都大学副学長、エア・ウォーター監査役等を歴任した。 1973年東北大学法学部法学科卒業。1974年東北大学法学部助手。専修大学法学部専任講師を経て、1982年専修大学法学部助教授。1988年専修大学法学部教授。1995年立教大学法学部教授。2001年京都大学大学院法学研究科教授。2009年京都大学大学院法学研究科長・法学部長。2011年京都大学附属図書館長、京都大学図書館機構長。2012年京都大学文書館長、京都大学副学長(法務・コンプライアンス担当)。2013年京都大学名誉教授、京都大学大学院総合生存学館特定教授。
中条 博(ちゅうじょう ひろし、1948年6月24日 - )… 中条 博(ちゅうじょう ひろし、1948年6月24日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
王 紅花(おう こうか、1948年6月23日 - )は、歌人… 王 紅花(おう こうか、1948年6月23日 - )は、歌人。本名は松平美津。歌人・画家の松平修文は夫。 埼玉県児玉郡上里町生まれ。埼玉県立熊谷女子高等学校を経て、ロサンゼルス市立大学卒業。 大学在学中に作歌を始め、「ロッキー短歌」「潮音」に出詠。1971年、大学を卒業し、帰国。1978年、松平修文と結婚。1979年2月、個人誌「夏暦」を創刊。1982年、個人誌と同じタイトルの歌集『夏暦』を上梓。 2017年、夫である松平修文が死去。2025年に刊行された歌集のタイトル『緑色の人』は松平のことを指す。
新井 昌則(あらい まさのり、1948年6月23日 - )は… 新井 昌則(あらい まさのり、1948年6月23日 - )は、埼玉県大里郡岡部町(現・深谷市)出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 深谷商では3年次の1966年に夏の甲子園西関東大会県予選準々決勝へ進出するが、川越工に敗退、甲子園には届かなかった。同年の第1次ドラフト3位で大洋ホエールズに入団し、俊足好打の内野手と期待されるが、5年間で僅か2試合にしか出場できずほとんど二軍暮らしで終わった。 1972年に佐藤元彦との交換トレードで、ロッテオリオンズへ移籍。1973年に初安打を放つと、1974年には一軍に定着し、内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとして起用され91試合に出場。6月1日の近鉄戦(川崎)で神部年男から初本塁打を記録。
二宮 さよ子(にのみや さよこ、本名同じ、1948年6月23… 二宮 さよ子(にのみや さよこ、本名同じ、1948年6月23日 - )は、日本の女優、舞踊家。身長162cm、体重55kg。静岡県熱海市生まれ。 静岡県立三島北高等学校卒業。 趣味は三味線。実家はとんかつ屋。 1967年に高校を卒業すると、同年に文学座付属演劇研究所へ入所。杉村春子の部屋子として、身の回りの世話をしながら女優としての心得を叩き込まれる。 1973年から座員に昇格し、1990年、退団。 1973年に萩原健一主演の『化石の森』でスクリーンデビューしており、『吉原炎上』共々ヌードによる大胆な演技で話題となった。 はっきりした美貌と口跡で、気丈な女性役を得意とし、アメリカのテレビ映画の主人公ワンダーウーマン役のアテレコなどもこなした。
阪口 善雄(さかぐち よしお、1948年(昭和23年)6月2… 阪口 善雄(さかぐち よしお、1948年(昭和23年)6月23日 - )は、日本の政治家。大阪府吹田市長(3期)、大阪府議会議員(3期)を務めた。 大阪府生まれ。大阪府立茨木高等学校、大阪市立大学文学部卒業。1982年から吹田市職員。 1987年、父親の跡を継ぎ、大阪府議会議員選挙に日本社会党公認で出馬し、初当選を果たした。以後3期連続当選。1999年、自民・民主・社民3党の推薦で吹田市長選挙に出馬し、当選。約30年続いた革新市政に終止符を打った(ただし阪口も元々は社会党の出身である)。 2011年4月、統一地方選挙に際して実施された吹田市長選に4選をめざして出馬したが、大阪維新の会が擁立した新人の井上哲也に敗れ、落選した。
大場 隆広(おおば たかひろ、1948年6月23日 - 20… 大場 隆広(おおば たかひろ、1948年6月23日 - 2016年7月16日)は、福岡県田川郡香春町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。息子は元巨人の大場豊千。 別府鶴見丘高校では3年次の1966年、エースとして夏の甲子園予選中九州大会準決勝に進出したが、熊本一工の田尻茂敏と投げ合い敗退。甲子園出場はならなかったが、予選では1試合平均11の三振を奪う。荒削りながら速球に魅力があり、ドロップを武器とした。1966年第1次ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け、1967年に入団。1年目にはジュニアオールスターに選出されるなど貴重な本格派左腕として期待されたが、一軍では結果を出せず、1970年オフに自由契約となり、近鉄バファローズへ移籍。
横山 忠始(よこやま ただし、1948年〈昭和23年〉6月2… 横山 忠始(よこやま ただし、1948年〈昭和23年〉6月23日 - 2017年〈平成29年〉11月3日)は、日本の政治家。香川県議会議員(1期)、旧詫間町長(4期)、三豊市長(3期)を歴任。第22代大阪市長の横山英幸は長男。 香川県詫間町(現・三豊市)に生まれる。 1972年、関西学院大学法学部卒業。卒業後、大平正芳の秘書となる。 1983年から1987年に、香川県議会議員。 1993年、詫間町長に就任。以後、4期務める。 2006年1月、三豊郡7町が合併したことにより三豊市が誕生し、同年2月12日の市長選で、初代市長に当選した。以後、3期務めた。 2017年9月の定例市議会で、2018年1月に予定される同市長選に立候補しない意向を表明。
池田 英男(いけだ ひでお、1948年6月23日 - )は日… 池田 英男(いけだ ひでお、1948年6月23日 - )は日本の農学者。農学博士・技術士・名誉教授。長年にわたり農業に関する研究・教育をおこなっている。研究分野は園芸学、植物栄養学、生物環境調節学、施設栽培学、養液栽培技術など多岐に渡る。 1967年、茨城県立水戸第一高等学校卒業。1971年、東京教育大学農学部農学科(現筑波大学)卒業。1973年、大阪府立大学大学院農学研究科園芸農学専攻修了課程修了(蔬菜の亜硝酸害に関する研究)。1973年、大阪府立大学農学部助手、1988年、筑波大学農林学系助教授、1992年、大阪府立大学農学部教授。この間に農林水産省流動研究員(農業技術研究所、農業工学研究所など)、三重大学大学院・鳥取大学大学院などで講師兼任、福井県農業試験場客員研究員兼任。
笹野 高史(ささの たかし、1948年〈昭和23年〉6月22… 笹野 高史(ささの たかし、1948年〈昭和23年〉6月22日 - )は日本の俳優、タレント。自由劇場に所属した後、現在はグランパパプロダクション所属。身長167 cm、体重57 kg。 兵庫県出身。兵庫県立洲本高等学校卒業、日本大学芸術学部中退。 淡路島の造り酒屋「東洋長」に四男として誕生。裕福な家に育ったが、3歳の時に父を、11歳の時に母を相次ぎ亡くした。 兵庫県立洲本高等学校卒業。高校生時代は演劇部ではなく、陸上競技部と音楽部に入っていた。そこそこ足が速かったとのことで、陸上部では100メートル競走、200メートル競走の短距離や走幅跳を専門としていた。中学生時代は野球部に所属していた。しかし小さいころから腎臓と肝臓が弱く、陸上の練習中に血尿が出る事態にまでなり、最終的にはドクターストップが掛かって陸上競技は辞めてしまう。
奥村 正博 (おくむら しょうはく、1948年6月22日-)… 奥村 正博 (おくむら しょうはく、1948年6月22日-)は、日本の曹洞宗の僧侶で、インディアナ州ブルーミントンの三心寺の開山。 1997年から2010年までサンフランシスコにある曹洞宗北アメリカ開教センター(現、曹洞宗国際禅センター)長を務めた。 1948年、大阪に生まれた。その後駒澤大学に入学した。在学中の1969年に安泰寺の接心に参加、翌1970年12月8日、安泰寺にて内山興正の下で出家し、1975年に内山が隠退するまで修行を続けた 。 その後、アメリカに渡り、マサチューセッツにパイオニアヴァレー禅堂(英語版)を共同創設し、1981年までそこで禅を教えた。 その年、病気のため一旦日本に帰国し、1993年まで京都禅センターで内山の命で内山や道元の著書を日本語から英語に翻訳し始めた。
大高 博幸(おおたか ひろゆき、1948年6月22日 - )… 大高 博幸(おおたか ひろゆき、1948年6月22日 - )は、神奈川県小田原市出身のビューティーエキスパート。苗字の表記は正しくは「大髙」。 1973年、外資系化粧品会社のトレーナーとして勤務。1997年、フリーランスになり、女性誌や美容関連イベント、化粧品会社のアドバイザーやマーケティングに携わった。ラジオ番組J-WAVEの「VIVA! ACCESS」で、月1回「欅坂 BEAUTY CLINIC」コーナーを担当し、視聴者の美容に関する質問に答えた。
都倉 俊一(とくら しゅんいち、1948年〈昭和23年〉6月… 都倉 俊一(とくら しゅんいち、1948年〈昭和23年〉6月21日 - )は、日本の作曲家、編曲家。第23代文化庁長官。元日本音楽著作権協会(JASRAC)会長。元エスワン・カンパニー経営者。シュン・トクラ名義でも活動している。 東京都出身。4歳のころからバイオリンを習う。父都倉栄二が外交官であったことから、7歳の時にドイツに渡り、小学校の時は、ボンのアメリカンスクールで音楽の基礎を学ぶ。12歳になり帰国。学習院中等科の同級生には元総務大臣の鳩山邦夫、元日本郵政社長の長門正貢、元朝日新聞編集委員の萩谷順などがいる。中学校卒業後に再びドイツに渡り、高校ではベルリンのギムナジウムに通って、「ビートキャッツ」というバンドで活動。
永坂 嘉光(ながさか よしみつ、1948年6月21日 - )… 永坂 嘉光(ながさか よしみつ、1948年6月21日 - )は、日本の写真家。大阪芸術大学写真学科教授。 故郷の高野山のほか、宗教と文化をテーマに日本各地やインド、ブータン、スリランカなどアジア各国で撮影している。 1948年6月21日、和歌山県高野山生まれ。 大阪芸術大学芸術学部卒業。岩宮武二に師事。 大阪芸術大学写真学科教授。 2019年3月、大阪芸術大学写真学科教授定年退職。 1970年代頃から故郷の高野山の撮影をライフワークとしてはじめる。1980年代前半より空海の足跡を辿って日本各地や中国で撮影。1990年ごろからは日本全国の霊場などを撮影しており、多数の写真集を出版している。 台南市中西区環河街、2019年3月2日(土)~4月14日(日))
庄田 隆(しょうだ たかし、1948年6月21日- )は、… 庄田 隆(しょうだ たかし、1948年6月21日- )は、日本の経営者。石川県出身。 1972年に東京大学薬学部製薬化学科を卒業し、同年に三共に入社した。2001年に取締役に就任し、翌年には常務に就任し、2003年には社長に昇格した。2005年9月に第一三共社長に就任し、2010年から2014年までに会長を務め、2014年6月から2019年6月までに相談役を務めた。 2019年11月に旭日重光章を受章した。
山路 亨(やまじ とおる、1948年6月21日 - )は日本… 山路 亨(やまじ とおる、1948年6月21日 - )は日本の実業家。元原子力発電環境整備機構理事長。 東京都出身。1972年一橋大学法学部を卒業し、東京電力入社。同社資材部長や、常務取締役を務めた。 2006年原子力発電環境整備機構理事長に就任。特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律に基づき、概要調査地区等の選定業務にあたる。これに応じて、2007年に高知県安芸郡東洋町が応募を行ったが、受理を撤回するように求め上京した飯泉嘉門徳島県知事、橋本大二郎高知県知事と面会。面会においては「地域に迷惑を掛けないようにやっていきたい。」と答えるにとどめ、面会後の会見では「原環機構として申請の手続きは粛々と進める。
大島 清(おおしま きよし、1948年6月20日 - )は、… 大島 清(おおしま きよし、1948年6月20日 - )は、日本の政治家。埼玉県伊奈町長(3期)。 埼玉県北足立郡伊奈村(現・伊奈町)出身。埼玉県立上尾高等学校を卒業後、上尾商工会議所や伊奈町観光協会で町おこしに尽力したという。中央大学法学部通信部を中退。不動産管理会社社長を務めた。 2016年(平成28年)4月24日に行われた伊奈町長選挙に自民党・公明党の推薦を得て立候補。引退する野川和好町長の長男の野川英和を大差で破り、初当選を果たした。投票率は37.57%。5月14日、町長就任。 2020年(令和2年)、無投票により再選。 2024年(令和6年)4月21日に行われた伊奈町長選挙に元兵庫県議会議員の小西彦治を大差で破り、三選を果たした。
緒方 昭一(おがた しょういち、1948年6月20日 - )… 緒方 昭一(おがた しょういち、1948年6月20日 - )は、日本のフリーアナウンサー、事件レポーター。 福岡県出身。1972年に上智大学卒業後、福島中央テレビに入社。後に同社を退社し『プロポーズ大作戦』(朝日放送)のコーナー司会などを経て、フジテレビ専属のレポーターとなる。また、オフィスCHKに所属していた時期がある。フジテレビで約28年に渡り事件レポーターを務めた。また、全日空61便ハイジャック事件に遭遇し、番組向けにリポートをしていた。2011年10月をもって『とくダネ!』の事件レポーターを降板。以後は複数のアナウンス学校や声優養成学校のにてアナウンス講師を務めている。
渡辺 憲正(わたなべ のりまさ、1948年6月20日 - )… 渡辺 憲正(わたなべ のりまさ、1948年6月20日 - )は、日本の社会学者、関東学院大学名誉教授。日本哲学会理事。元唯物論研究会委員長。 静岡県清水市生まれ。1973年東京大学教育学部教育哲学科卒、1982年一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得満期退学。指導教官は良知力。 一橋大学助手、中国短期大学講師、助教授、1992年関東学院大学経済学部助教授、教授。2007年には副学長として関東学院大学ラグビー部部員の大麻事件に対応し、関東ラグビーフットボール協会へ報告書を提出するなどした。 2008年、唯物論研究協会委員長。2011年日本哲学会評議員、2017年同理事兼評議員。
岩渕 徹(いわぶち とおる、1948年6月20日 - )は徳… 岩渕 徹(いわぶち とおる、1948年6月20日 - )は徳間書店代表取締役会長。宮城県出身。東北大学法学部卒。 1971年、徳間書店に入社、「週刊アサヒ芸能」編集部に配属。1992年「月刊問題小説」編集長。1995年文庫編集部編集長、1998年編集四局局長、1999年取締役、2001年常務を経て、2008年社長に就任。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
西 謙二(にし けんじ、1948年6月20日 - )は、日本… 西 謙二(にし けんじ、1948年6月20日 - )は、日本の裁判官、法務官僚、弁護士。最高裁判所調査官や、法務省東京法務局訟務部長等を経て、福岡高等裁判所部総括判事を最後に定年退官し、法務省難民審査参与員などを務めた。 一橋大学法学部卒業。大阪地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局行政局付、東京地方裁判所判事補、東京簡易裁判所判事等を経て、1983年から1984年まで西ドイツ・シュトゥットガルト地方裁判所等に留学した。 札幌簡易裁判所判事、東京地方裁判所判事補、最高裁判所調査官、福岡地方裁判所判事、福岡高等裁判所判事、法務省東京法務局訟務部長(検事)兼内閣司法制度改革推進本部国際化検討会委員、東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事等を経て、2008年那覇家庭裁判所所長。
田村 信一(たむら しんいち、1948年(昭和23年)6月2… 田村 信一(たむら しんいち、1948年(昭和23年)6月20日 - )は、日本の社会思想史学者、北星学園大学元学長。経済学博士(立教大学)。 東京都生。1971年(昭和46年)法政大学経済学部卒業。1979年立教大学大学院経済学研究科博士課程修了。同年、同経済学部助手。1981年北星学園大学経済学部専任講師。1984年北星学園大学経済学部助教授。1991年北星学園大学経済学部教授。2001年北星学園大学院経済学研究科教授。2005年北星学園大学副学長。2006年同副学長。2012年同大学学長に就任。2018年同定年退職。同名誉教授。 専門は、社会思想史・経済思想史・経済政策論など幅広く研究。 従軍慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の植村隆が非常勤講師を務める北星学園大に脅迫状が届いた問題では、我々も小さな大学であり学生確保も安泰ではない、来期は非常勤講師の雇用契約を更新しない、来期の更新がなくても外圧に屈したことにはならないとの考えを学内の会議で示したことを2014年10月31日の記者会見で述べた。
あべ 弘士(あべ ひろし、1948年6月19日 - )は、日… あべ 弘士(あべ ひろし、1948年6月19日 - )は、日本の絵本作家。 北海道旭川市出身。3人きょうだいの末っ子だった(上に兄と姉)。幼少時から野外での遊びに熱中し、また絵を描いたり工作することが得意だった。小学生から高校時代まで百人一首にも打ち込み、市の大会で優勝したこともあった。中学時代は野球部を目指したがベビーブーム世代で生徒数が多いため断念、スカウトされて合唱部に入り、こちらも高校3年生まで続ける。北海道旭川西高等学校を卒業[要出典]。 高校卒業後、大学受験に3年続けて失敗して進学を諦め、叔父の鉄工所に入り、跡を継ぐ前提で働く。3年間勤務しているうちに、絵に対する興味が再燃して独学で勉強を始める。
大野 裕明(おおの ひろあき、1948年6月19日 - )は… 大野 裕明(おおの ひろあき、1948年6月19日 - )は、日本の天文家。福島県田村市滝根町にある「星の村天文台」の台長。 福島市生まれ。高校生の時に、天体写真家・藤井旭に師事。高校卒業後は家業を営みつつ、藤井らと白河天体観測所を設立し、普及活動を行う。また、国立科学博物館の村山定男にも師事した。 1992年から2005年2月まで14年間、滝根町の「星の村天文台」台長を務め、2009年4月より天文台台長に再任。 (株)大野企画 会長、福島天文同好会 会長、日本宇宙少年団福島分団 団長、福島県環境アドバイザー、光学機器メーカー (株)ビクセンアドバイザー、白河天体観測所メンバー 広報担当などを務める。
三田 誠広(みた まさひろ、1948年6月18日-)は、日本… 三田 誠広(みた まさひろ、1948年6月18日-)は、日本の小説家。日本文藝家協会副理事長。日本文藝著作権センター事務局長。著作権問題を考える創作者団体協議会議長。歴史時代作家クラブ会員。武蔵野大学名誉教授(2019年-)。加賀乙彦顕彰特別文学賞選考委員、委員長。日本メンデルスゾーン協会理事長。 大阪府出身。私立追手門学院小学校、同中学校を卒業。大阪府立大手前高等学校で岩脇正人、佐々木幹郎、山崎博昭らの学生運動に参加する。2年生のとき不登校となり、1年間休学し、読書と思索の日々を送っていたとき書いた小説『Mの世界』で文藝学生小説コンクール佳作入選し、18歳の誕生日を前にして文壇にデビュー。 早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。
里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日… 里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日本の医学者。医学博士。専門は、外科学一般、移植外科、消化器外科。独立行政法人日本学術振興会理事長、日本外科学会名誉理事長。沖縄県那覇市生まれ。 第21代東北大学総長、国立大学協会会長、日本外科学会初代理事長等を歴任。 1948年6月18日、沖縄県那覇市で生まれる。1967年3月、那覇高等学校を卒業。国費・自費沖縄学生制度に応募するも進学先が選べなかったため、沖縄から遠い東北大学に進学した。在学中、東京で祖国復帰運動に参加。 1974年3月、東北大学医学部医学科を卒業。同年4月からは東京都済生会中央病院で勤務し、同年7月に医師免許を取得。