神谷 宏治(かみや こうじ、1928年8月7日 - 2014… 神谷 宏治(かみや こうじ、1928年8月7日 - 2014年10月2日)は日本の建築家、都市計画家。丹下健三の下で浅田孝、大谷幸夫、磯崎新らと共に都市と建築の設計に従事し、丹下が主宰したURTEC((株)都市・建築設計研究所)の初代代表取締役(1961-1971)として活躍。丹下の最高傑作と目される国立代々木競技場(1964)の設計チーフを務めた。退社後、日本大学教授としてコーポラティブハウスを発展させたコープタウンの普及に尽力し、丹下の建築哲学の継承という難題に貴重な手がかりを与えた。日本建築学会特別賞(国立代々木競技場)、建築業協会賞(香川県立体育館)、科学技術庁長官賞(万国博大屋根の巨大架構)。
横山 昭市(よこやま しよういち、1928年8月7日 - 2… 横山 昭市(よこやま しよういち、1928年8月7日 - 2023年11月10日)は、日本の地理学者(専攻は人文地理学なかんずく政治地理学)。愛媛大学名誉教授。 1928年(昭和3年)東京都渋谷区生まれ。東京高等師範学校文科(地理・歴史専攻)3年修了、東京文理科大学(後の筑波大学)地理学専攻卒。1965年(昭和40年)『香港工業化の研究』にて理学博士(東京教育大学)。 愛媛大学文理学部助教授、同法文学部教授に就く。 この間、米国ワシントン大学客員研究教授、総理府事務官・国土庁国土審議会特別委員、愛媛県文化の里整備委員長、県史編纂部会長、しまなみ海道イベント企画委員長、愛媛県文化振興財団評議員、愛媛県美術館運営委員などを歴任。
友國 八郎(ともくに はちろう、1928年8月7日 - 20… 友國 八郎(ともくに はちろう、1928年8月7日 - 2022年10月27日)は、日本の実業家。大阪商船三井船舶(現商船三井)元代表取締役会長、同社代表取締役相談役、商船三井最高顧問、社団法人日本海難防止協会会長、一般財団法人海技振興センター会長、一般社団法人日本アルゼンチン協会会長等を歴任した。アルゼンチンコメンダドール勲章受章。 1953年一橋大学商学部卒業、三井船舶(現商船三井)入社。1981年大阪商船三井船舶(現商船三井)取締役。1985年常務取締役。1988年代表取締役専務取締役。1989年代表取締役副社長。1991年代表取締役会長。1994年代表取締役相談役。1996年相談役。1997年小池酸素工業監査役。
伊野上 のぼる(いのうえ のぼる、1928年8月7日 - 2… 伊野上 のぼる(いのうえ のぼる、1928年8月7日 - 2011年7月9日)は、昭和時代後期日本の作詞家。本名は井上 三夫(いのうえ みつお)。 別名義に乗田 まさみ (正美)、井上 浩志ほか。 1928年(昭和3年)、宮城県刈田郡宮村(現在の蔵王町遠刈田温泉)に7人兄弟の末子として生まれる。少年の頃より本が好きで、文芸雑誌に「井上蔵王」という名で投稿することもあったという。 のちに作詞家の石本美由起に師事。代表作に北原謙二『ふるさとのはなしをしよう』やCMソング『かに道楽』がある。『ふるさとのはなしをしよう』は落語家の立川談志が最も好んだ歌のひとつとされ、談志一門の集まりでは最後にこの歌をみんなで合唱したという。
久保 守(くぼ まもる、1928年8月6日 - 1992年3… 久保 守(くぼ まもる、1928年8月6日 - 1992年3月10日)は、奈良県出身のプロ野球選手。 母校の五條中学校で教諭を勤めていたが1950年に阪急ブレーブスへ入団。1952年退団。
会田 長栄(會田 長榮、あいた ちょうえい、1928年8月5… 会田 長栄(會田 長榮、あいた ちょうえい、1928年8月5日 - 2016年2月2日)は、日本の政治家、参議院議員。 福島県出身。旧制石川中卒。福島県労協議長、福島県教組委員長を経て、1989年の第15回参議院議員通常選挙に日本社会党から福島県選挙区に立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選し、政界から引退する。 2003年4月の春の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章した。 2016年2月2日、肺炎のため、死去した。87歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
佐藤 昭子(さとう あきこ、旧名:佐藤 昭〈さとう あき〉、… 佐藤 昭子(さとう あきこ、旧名:佐藤 昭〈さとう あき〉、1928年〈昭和3年〉8月5日 - 2010年〈平成22年〉3月11日、女性)は、日本の政治家秘書、政治運動家。33年間にわたって田中角栄の秘書を務め、その愛人であったといわれ「越山会の女王」と称された。後に「政経調査会」を主宰した。 新潟県刈羽郡枇杷島村(現・柏崎市)に生まれる。両親は雑貨店を営んでいた。6人きょうだいの末っ子であったが、1人の姉は昭の出生前に死亡しており、1944年(昭和19年)までに父母、2人の兄、2人の姉と死別した。枇杷島小学校3年からそろばん塾に通って1級を取得し、数学・習字・体育が得意であった。1941年(昭和16年)小学校卒業後に進学した新潟県立柏崎高等女学校(5年制、のち4年制に変更。
山口 宗之(やまぐち むねゆき、1928年〈昭和3年〉8月5… 山口 宗之(やまぐち むねゆき、1928年〈昭和3年〉8月5日 - 2012年〈平成24年〉3月21日)は、日本の歴史学者。従四位瑞宝中綬章。学位は文学博士(九州大学・1980年・論文博士)。九州大学名誉教授。専門は幕末政治思想史。陸海軍将校に関する著書もある。 佐賀県藤津郡多良村(現・太良町大字多良)生まれ。1935年(昭和10年)、村立多良尋常小学校入学。1941年(昭和16年)、佐賀県立鹿島中学校(現・佐賀県立鹿島高等学校)入学。1945年(昭和20年)3月、佐賀県立鹿島中学校卒業(4年繰上げ)。同年4月、第七高等学校造士館文科一類(のち文科乙類となる)入学。1948年(昭和23年)3月、第七高等学校造士館文科乙類卒業。
傳田 功(でんだ いさお、1928年8月4日 -2011年)… 傳田 功(でんだ いさお、1928年8月4日 -2011年)は、日本の農学者。滋賀大学名誉教授・京都学園大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 長野県生まれ。1953年、旧制京都大学農学部農林経済学科卒。大学院研究奨学生。1956年、農学部助手。1960年、講師。1965年、滋賀大学農学部助教授。1966年、「近代日本農業思想史研究」で京都大学より農学博士の学位を取得。1971年7月、教授。1993年、定年退官、滋賀大学名誉教授、京都学園大学経済学部教授。1996年、学長。2002年、定年。2007年、瑞宝中綬章受賞。
川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 20… 川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 2021年1月9日) は日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長、同会長、関西経済連合会会長、日本電線工業会会長等を歴任。位階は従三位。勲一等瑞宝章受章。 東京都吉祥寺出身。父は厚生省官僚。東京府立二中、海軍兵学校第77期を経て、1952年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。古川栄一ゼミ出身。 商社志望だったが、大学卒業後は、健康診断で落ちた内定者の代わりとして、ゼミの教授の勧めで住友電気工業に入社。1975年同社取締役、1978年常務取締役、1980年代表取締役専務、1982年代表取締役社長、1991年代表取締役会長、1999年相談役。2008年8月名誉顧問 財団法人関西情報センター会長などを経て、1994年から1997年まで関西経済連合会会長を務め、関西国際空港第二期事業の取りまとめ等や、阪神・淡路大震災への対応にあたり、総理府阪神・淡路復興委員会委員も務めた。
水島 恵一(みずしま けいいち、1928年8月3日 - 20… 水島 恵一(みずしま けいいち、1928年8月3日 - 2015年7月27日)は、日本の心理学者、文教大学名誉教授。 東京生まれ。父は東京大学名誉教授で学士院会員の化学者である水島三一郎。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学法学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科心理学専攻修了。1965年「自己疎外理論による非行性仮説設定とその臨床的検討」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。横浜少年鑑別所技官、立正女子大学助教授、校名変更で文教大学人間科学部教授。文教大学学長(1996-2001)、2000年定年退任、名誉教授。2012年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。墓所は多磨霊園。 次弟水島昭二は元東大教授、三弟水島裕は元参議院議員。
大橋 和夫(おおはし かずお、1928年(昭和3年)8月3日… 大橋 和夫(おおはし かずお、1928年(昭和3年)8月3日 - 2005年(平成17年)10月25日)は、日本の政治家。千葉県船橋市長。 新潟県長岡市出身。表町小学校、旧制長岡中学校、旧制新潟高等学校を経て、東京大学法学部卒業後、自治庁に入庁。外事広報課長、地方課長、衆議院議長秘書官、埼玉県財政課長等を歴任、1968年4月、千葉県へ赴任。企画部長を経て、1971年7月には千葉県教育長に就任、県立高校7校を新設開校したのをはじめ、若潮国体の開催、千葉県立美術館の開館等に尽力。後に川上紀一と千葉県知事の座を巡って争うが、知事選挙において川上に敗れる。 習志野文化ホール理事長を歴任後、1981年7月、公選制第6代の船橋市長に就任した。
谷 洋子(たに ようこ、1928年8月2日 - 1999年4… 谷 洋子(たに ようこ、1928年8月2日 - 1999年4月19日)は、日本の女優。国際映画俳優の草分けとして知られる。『風は知らない』『バレン』などに出演。 父は経済学者の猪谷善一、母・妙子は儒学者江木鰐水の曾孫である。 江木鰐水の長男保男は明治時代に江木写真館を開業する。妙子の父となる定男は、保男の後妻である悦子に育てられる。悦子の父は愛媛県令などを歴任した関新平である。また、悦子の妹にませ子(aka万世子)が、異母姉妹に大正三美人の一人江木欣々がいる。ませ子は鏑木清方の美人画「築地明石町」のモデルとなった女性である。 定男は悦子の妹・ませ子と結婚し、妙子と二人の妹を儲ける。作家の中勘助は、定男と一高で知り合い江木家にも出入りするようになるが、妙子を幼女のころから熱愛し、作品にも描いた。
稲沢 秀夫(いなざわ ひでお、1928年8月1日 - )は、… 稲沢 秀夫(いなざわ ひでお、1928年8月1日 - )は、日本の英文学者、学習院大学名誉教授。 千葉県生まれ。1952年東京大学文学部英文科卒。青山学院女子短期大学助教授、学習院大学英文科教授。1999年、定年退任、名誉教授。 アメリカ文学専攻だが、後年谷崎潤一郎に関心を抱き、谷崎松子に話を聞いて『聞書谷崎潤一郎』を刊行するが、松子によって多くが削除されたため、残りの秘話を『秘本谷崎潤一郎』としてワープロ打ちの私家版として刊行した。
天羽 浩平(あもう こうへい、1928年(昭和3年)7月31… 天羽 浩平(あもう こうへい、1928年(昭和3年)7月31日 - )は、日本の計算機科学者、実業家。 外交官の父・天羽英二の三男として関東州・大連で生まれる。 東京市青南尋常小学校、旧制東京都立第一中学校、旧制第一高等学校を経て、東京大学工学部電気工学科へ入学する。1952年(昭和27年)同大卒業後、東京芝浦電気(現・東芝)に入社。同年より第一回フルブライト留学生としてスタンフォード大学大学院電子工学科にてコンピュータを研究し工学博士の学位を取得する。1956年(昭和31年)に帰国し、コンピュータの開発、設計から商品化や事業化に取り組む。その後は、日電東芝情報システム常務取締役、東芝取締役・常務取締役、日本オリベッティ副社長、日本サン・マイクロシステムズ代表取締役社長、米国サン・マイクロシステムズ副社長、外資系情報産業研究会会長、日本サン・マイクロシステムズ代表取締役会長、会津リエゾンオフィサー、日本ピープルソフト監査役などを歴任した。
荒井 注(あらい ちゅう、1928年〈昭和3年〉7月30日 … 荒井 注(あらい ちゅう、1928年〈昭和3年〉7月30日 - 2000年〈平成12年〉2月9日)は、日本のコメディアン、俳優。ザ・ドリフターズ元メンバー。東京都出身。本名は荒井 安雄(あらい やすお)。 四谷にて生まれる。家は料亭を営んでいた。旧制日本学園中学校を経て、立教大学文学部宗教学科を中退後、二松學舍大学文学部国文学科卒業。 大学卒業後は脚本家を目指しながら、音楽バンドグループ『クレージーウエスト』のバンドマンを務めていた。なお、二松學舍大学在学中に中学と高校の教員免許(高校の科目は国語)を取得したことから、同大学卒業後に教師を務めたことがあるとの文献もあるが、真偽は不明である。芥川龍之介や太宰治を愛読する文学青年という一面もあった。
下邨 昭三(しもむら しょうぞう、1928年 <昭和3年> … 下邨 昭三(しもむら しょうぞう、1928年 <昭和3年> 7月29日 - 2020年 <令和2年> 5月28日)は日本の通産・科学技術技官。東京都杉並区永福2丁目在住。趣味はスポーツ。科学技術事務次官、日本科学技術情報センター理事長、日本原子力研究所理事長などを歴任。位階は正四位。 大阪府出身。東京大学第一工学部電気工学科卒業。1951年 通商産業省入省。工業技術院標準部電気規格課長などを経て、1973年7月 資源エネルギー庁公益事業部技術課長。1974年6月 科学技術庁長官官房秘書課長。1975年8月 長官官房参事官。1976年7月 工業技術院標準部長。1978年6月 科学技術庁長官官房参事官。
柴田 睦夫(しばた むつお、1928年7月28日 - 201… 柴田 睦夫(しばた むつお、1928年7月28日 - 2013年4月26日)は日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算5期)。元静岡第一テレビアナウンサーの柴田将平と元NHK福岡放送局キャスターの柴田文子は孫にあたる。 福岡県三井郡立石村(現・小郡市)出身。福岡県立朝倉中学校2年で大阪の陸軍幼年学校に転入、旧制福岡高校、東京大学法学部政治学科卒業後、厚生省勤務を経て、1954年弁護士を開業、東京合同法律事務所に入る。弁護士時代は自由法曹団に所属し、松川事件や藤本事件などの弁護団に加わった。この間、1956年には千葉市中央区に柴田睦夫法律事務所を開設、同法律事務所は後に千葉第一法律事務所と名を変え、現在に至る。
寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 -… 寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 - )は、仏教学者、浄土真宗僧侶、大谷大学名誉教授。
玉風 福太郎(たまかぜ ふくたろう、1928年〈昭和3年〉7… 玉風 福太郎(たまかぜ ふくたろう、1928年〈昭和3年〉7月28日 - )は、群馬県出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は本多 福太郎(ほんだ ふくたろう)。身長180cm、体重87kg。最高位は東十両4枚目。得意手は左四つ、投げ。 群馬県吾妻郡沢田村(現・中之条町)出身。中之条高等小学校卒業後、志願兵として海軍に所属した。 1948年若松部屋に入門。同年10月場所で初土俵。新序で好成績を残すと、序ノ口、序二段と連続して優勝するなど勢いは止まらず、初土俵から5場所で幕下に昇進した。幕下でも好成績を残し、1952年1月場所に十両に昇進。この場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下に陥落するが、1953年1月場所に十両に復帰すると、十両に定着する。
奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1… 奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1990年3月28日)は、日本の法学者、憲法学者、弁護士。 東京府で出生。長野県北安曇郡松川村出身。1946年(昭和21年)旧制松本第二中学19回(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。中央大学法学部卒、1958年早稲田大学大学院政治学研究科修了。神奈川大学講師・助教授、近畿大学教授。近畿大学比較法政治研究所長・法学部教授。法と秩序研究会理事長、日本学術会議会員。世界平和教授アカデミー会員。
土井 定包(どい さだかね、1928年7月27日 - 200… 土井 定包(どい さだかね、1928年7月27日 - 2009年4月14日)は、日本の実業家。佐賀県生まれ。元大和証券社長・会長。大和証券を業界2位に押し上げ「中興の祖」と評されるが、総会屋への利益供与事件によって1997年に退任、顧問に退いた。
西沢 竜生(西澤 龍生、にしざわ りゅうせい、1928年7月… 西沢 竜生(西澤 龍生、にしざわ りゅうせい、1928年7月27日 - )は、日本のスペイン史学者、筑波大学名誉教授。 東京府生まれ。東京高等師範学校卒。杉勇等から薫陶を受ける。京都帝国大学史学科卒。下村寅太郎に師事、東京教育大学助手、東海大学助教授、愛知県立大学教授を経て、筑波大学教授、1992年定年退官、名誉教授、東京成徳大学教授。 原随園、井上智勇、田中美知太郎の指導のもと、西洋古典学による古代史研究から出発したが、後にオルテガの翻訳など、スペイン史、ヨーロッパ精神史を研究した。 門下生に小松進(筑波学院大学教授)、相京邦宏(豊橋技術科学大学准教授)、等松春夫(防衛大学校教授)、石黒盛久(金沢大学教授)、樋脇博敏(東京女子大学教授)、八十田博人(共立女子大学教授)、石田信一(跡見学園女子大学教授)、田中圭子(大分県立芸術文化短期大学教授)らがいる。
波多 健治郎(はた けんじろう、1928年(昭和3年)7月2… 波多 健治郎(はた けんじろう、1928年(昭和3年)7月27日 - )は、日本の経営者。元明治生命保険社長・会長。勲二等旭日重光章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉田 夏彦(よしだ なつひこ、1928年7月27日 - 20… 吉田 夏彦(よしだ なつひこ、1928年7月27日 - 2020年8月13日)は、日本の哲学者、東京工業大学名誉教授。専門は科学哲学。
田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 20… 田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 2018年9月)は、日本の元陸上競技選手。熊本県玉名市出身。中央大学卒業。 陸上競技部の無い中学校の出身だったが、全学年が参加する2000m競走の体力測定が毎年あり、一番速かった。1946年に第五高等学校で戦後初の県大会が行われ、予選は一着で通過し、決勝では1位の選手と同タイムながら2位だった。 1947年に中央大学予科に入学。トラックでの成績は振るわなかったが箱根駅伝の6区を試走した際に、前回大会(第23回箱根駅伝)で6区を走った野谷守也を大幅に上回るタイムで走り、第24回箱根駅伝の6区に出場。氷点下8度の中、1時間20分38秒の記録で区間賞を獲得し、22年ぶりの総合優勝に貢献した。
安武 洋子(やすたけ ひろこ、1928年7月26日 - 20… 安武 洋子(やすたけ ひろこ、1928年7月26日 - 2019年8月8日)は、日本の政治家。参議院議員(日本共産党公認、通算2期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員。安武ひろ子とも表記。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立第二神戸高等女学校(現・兵庫県立夢野台高等学校)を卒業後、兵庫県総評婦人部長などを経て、1974年の参院選で兵庫県選挙区から出馬し初当選を果たす。当選2回。原水爆禁止日本協議会副理事長として核廃絶運動にも取り組んだ。 2019年8月8日午後7時27分、肺がんのため兵庫県明石市の病院で死去。91歳没。
藤沢 友吉郎(ふじさわ ともよしろう、1928年7月26日 … 藤沢 友吉郎(ふじさわ ともよしろう、1928年7月26日 - )は、日本の経営者、薬学博士。藤沢薬品工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に東北大学理学部化学科を卒業し、同年に藤沢薬品工業に入社。1970年11月に取締役に就任し、1972年11月に常務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1978年1月には社長に昇格。1992年6月に会長に就任し、1998年6月に取締役相談役を経て、2005年4月からアステラス製薬相談役を務めた。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2002年11月に勲二等瑞宝章を受章。
阿武 聰信(あんの としのぶ、1928年7月25日 - 没年… 阿武 聰信(あんの としのぶ、1928年7月25日 - 没年不詳)は、日本の構造化学者。 福岡市中央区に生まれる。1945年3月福岡県中学修猷館、1948年3月旧制福岡高等学校を経て、1951年3月九州大学理学部化学科卒業。1955年3月同大学大学院研究奨学生修了。 1955年4月九州大学講師に採用され、1959年9月から1961年10月まで分子の電子構造研究のためイギリスに出張、その間1959年10月理学博士の学位を取得。1962年5月九州大学助教授、1962年6月から同年9月までパラベンゾキノンの振動スペクトルの研究のためアメリカ合衆国に出張、1963年6月から同年10月までパラベンゾキノンの電子構造の研究のためアメリカ合衆国に出張。
水野 正夫(みずの まさお、1928年7月25日 - 201… 水野 正夫(みずの まさお、1928年7月25日 - 2014年5月3日)は、日本の服飾デザイナー。愛知県名古屋市出身。
河原 宏(かわはら ひろし、1928年7月24日 - 201… 河原 宏(かわはら ひろし、1928年7月24日 - 2012年2月28日)は、思想史学者、早稲田大学名誉教授、政治学博士。 東京府生まれ。父は商学博士河原茂太郎。杉並区高円寺で育ち、杉並区立第四小、東京府立第十中学校、海軍機関学校、東京高校、成蹊大学を経て早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得満期退学。 1955年「日本文化史上の澁澤栄一」で渋沢青淵記念財団龍門社の懸賞論文で一等入選。1981年「昭和政治思想研究」で早大政治学博士。早稲田大学政治経済学部にて助教授、教授を歴任。1998年定年退職し、名誉教授。日本政治思想史、また日本文化論について著書多数。 2012年2月28日、多臓器不全により、東京都内の私邸にて死去。
矢島 信男(やじま のぶお、1928年〈昭和3年〉7月24日… 矢島 信男(やじま のぶお、1928年〈昭和3年〉7月24日 - 2019年〈令和元年〉11月28日)は、日本の特撮監督。埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。特撮研究所創業者。 幼少期から映画を愛好し、ジョン・フォード監督の『ハリケーン』(1937年)を観たことから特殊技術にも興味を持ち始め、中学生のころには映画を作ることを志していた。 1949年(昭和24年)に東京物理学校(現:東京理科大学)理化学科を中退し、松竹へと入社。大船撮影所に配属される。新入当時は編集から現像、直営館(浅草松竹)の窓口で切符のモギリに到るまで興行の流れを一通り体験したことが、後々のコスト感覚に優れた演出への貴重な礎となっていく。
小林 責(こばやし せき、1928年7月24日 - 2018… 小林 責(こばやし せき、1928年7月24日 - 2018年5月22日)は、日本の能狂言研究者。武蔵野大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学卒。武蔵野女子大学助教授、教授、1972年同大能楽資料センター運営委員。99年定年退任、武蔵野大学名誉教授。 1985年『狂言辞典 資料編』で田辺尚雄賞受賞。 2018年5月22日、老衰のため死去。89歳。
重松 開三郎(しげまつ かいさぶろう、1928年 <昭和3年… 重松 開三郎(しげまつ かいさぶろう、1928年 <昭和3年> 7月23日 - 2022年 <令和4年> 11月15日)は、日本の実業家。重松製作所の代表取締役社長、会長を務めた。位階は正六位。 東京都生まれ。城北中学校を経て、1949年に都立工業専門学校機械科を卒業し株式会社重松製作所に入社。1952年に取締役、1956年に常務取締役、1977年に代表取締役社長に就任し、その後、代表取締役会長および相談役を務めた。2022年死去。死没日付をもって正六位に叙された。 2002年に勲五等双光旭日章を受章した
糸永 真一(いとなが しんいち、Paul Shinichi … 糸永 真一(いとなが しんいち、Paul Shinichi Itonaga, 1928年7月23日-2016年12月10日)は、日本のカトリック教会聖職者でカトリック鹿児島司教区第2代司教。洗礼名は「パウロ」。 長崎県平戸市紐差町生まれ。紐差教会で幼児洗礼。1941年に長崎公教神学校に入学し、1948年に福岡サン・スルピス大神学院神学科に進んだ。1951年9月にカナダ・モントリオール大学神学部に留学し、1952年9月14日に同所で司祭叙階。1953年に同大学神学部修士課程を終了し帰国。 帰国後はカトリック長崎教区で働き、大司教館で書記長を約10年間務め、1955年5月からカトリック時報の編集にあたる他に、長崎純心短期大学で哲学講師、レジオ・マリエの長崎クリア総指導司祭となった。
宇沢 弘文(うざわ ひろふみ、旧字体: 宇澤 弘文、1928… 宇沢 弘文(うざわ ひろふみ、旧字体: 宇澤 弘文、1928年〈昭和3年〉7月21日 - 2014年〈平成26年〉9月18日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。シカゴ大学ではジョセフ・E・スティグリッツを指導した。東京大学名誉教授。位階は従三位。 鳥取県米子市出身。父時夫は小学校の教師。宇沢家の始祖は江戸中期に遡る。元は米子の南に位置する法勝寺(現在の南部町)というところの出で、のちに米子に移った。生家は代々米屋を営んでいたが破産している(時期は不明)。宇沢家は長い間、男の子に恵まれなかった。全くの女系家族といってよい。父も祖父も婿養子である。
石川 達也(いしかわ たつや、1928年7月21日 - 20… 石川 達也(いしかわ たつや、1928年7月21日 - 2014年7月2日)は、日本の歯科医師、歯学者。元東京歯科大学学長、名誉教授、歯科保存学第三講座教授。元日本全身咬合学会会長、元日本コンピューター歯科医学会会長。 1951年神戸経済大学卒業、1955年東京歯科大学卒業。以後、同大学助手、講師、助教授を経て1965年教授に就任。1995年より2004年まで東京歯科大学学長。 この項目は、歯学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:歯学/Portal:医学と医療)。
川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 20… 川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 2015年5月22日)は日本の医師(外科医)。 長野県長野市出身。1952年に名古屋大学医学部卒業。1953年、暁子(さとこ)と結婚。夫婦として医師として一緒に歩み始める。 1962年JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)入会。理事を務めた。 アメリカ合衆国のオールバニ医科大学(en)留学を経て一般外科、胸部外科にたずさわる。 1976年ネパール王国での短期医療協力の経験を生かし、1980年アジア保健研修所を設立。1981年愛知国際病院を開設し院長に就任。 1992年老人保健施設 愛泉館発足。1999年よりホスピス病棟を開設。 1959年 医学博士(名古屋大学)。
森 昭夫(もり あきお、1928年7月20日 - )は、日本… 森 昭夫(もり あきお、1928年7月20日 - )は、日本の経営学者。神戸大学名誉教授。元日本経営財務研究学会会長。元日本経営学会理事長。元日本学術会議会員。 東京生まれ。1941年中野区立野方第四小学校卒業。1945年東京都立第四中学校(現東京都立西高等学校)卒業。同年陸軍予科士官学校卒業。1948年高松経済専門学校(現香川大学経済学部)卒業。1951年神戸経済大学(現神戸大学)卒業。平井泰太郎門下。同年神戸大学経営学部助手。1954年神戸大学経営学部講師。1958年神戸大学経営学部助教授。1965年神戸大学経営学博士。1973年神戸大学評議員。1974年神戸大学経営学部長事務代理。1981年神戸大学附属図書館長、神戸大学評議員。
日恵野 晃(ひえの あきら、1928年7月20日 - 没年不… 日恵野 晃(ひえの あきら、1928年7月20日 - 没年不詳[要出典])は、日本の俳優。本名は同じ。 東京府東京市(現:東京都)出身。学習院大学卒業。新倉事務所に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
村田 英憲(むらた ひでのり、1928年7月20日 - 20… 村田 英憲(むらた ひでのり、1928年7月20日 - 2023年9月30日)は、日本の男性アニメーションプロデューサー。株式会社エイケン創業者、名誉会長。広島県広島市出身。 1945年8月6日、広島市で被爆し弟を亡くす。中央大学在学中に学生自動車連盟の初代委員長を務めた。 日本テレビジョン(TCJ。民放テレビ局の日本テレビホールディングス・日本テレビ放送網とは無関係)の映画部長だった1969年にアニメ部門を独立させて「株式会社TCJ動画センター」を設立。同年、朝日新聞に連載中の『サザエさん』に目を付け、宣弘社を通じてフジテレビにテレビアニメ版『サザエさん』の企画を持ち込み、製作を手掛け、国民的長寿番組とした。
濱村 秀雄(はまむら・ひでお、1928年7月20日 - 20… 濱村 秀雄(はまむら・ひでお、1928年7月20日 - 2000年5月7日)は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。専門は長距離走。姓は常用漢字体で「浜村」とも表記される。 山口県吉敷郡秋穂町出身。兄2人がいたが、いずれも早逝したために三男であった秀雄が濱村家の家督を継承した。 1946年に地元秋穂町体育大会が開かれた際に、1,500m競走に参加して優勝したことをきっかけに山口県内の大会に出場するようになり、その後、山口県庁に公務員として奉職、山口県教育委員会所属の肩書で全国規模の大会に出場するようになる。 1952年1月、第1回別府マラソン(現在の別府大分毎日マラソン)に一般参加選手として出場、2時間1分50秒で優勝を飾ると、1952年ヘルシンキオリンピック代表選考会として施行された同年5月の毎日マラソン(後のびわ湖毎日マラソン)に出場、2時間30分17秒で3位となったものの、ヘルシンキオリンピックの代表には選出されなかった(優勝した内川義高、2位の西田勝雄のほか、山田敬蔵が代表)。
檜垣 俊幸(ひがき としゆき、1928年7月18日 - )は… 檜垣 俊幸(ひがき としゆき、1928年7月18日 - )は、日本の実業家。今治造船のグループ社主。 1928年7月18日に造船業を営む檜垣正一の3男として誕生した。1943年3月に今治市立近見尋常高等小学校高等科を卒業後、今治造船に入社。今治造船は父親の檜垣正一の経営していた造船会社などが合併して誕生した造船会社であった。 戦後の1945年には今治造船を退社して檜垣造船有限会社を設立していたが、1955年に愛媛汽船の赤尾柳吉らと共に休業に陥っていた今治造船を再スタートさせた。1959年2月には今治造船の全株式を檜垣家が取得。以後、今治造船の専務取締役、副社長、代表取締役社長、代表取締役会長などを歴任し、2017年4月にグループ社主に就任。
福岡 悟郎(ふくおか ごろう、1928年7月18日 - 20… 福岡 悟郎(ふくおか ごろう、1928年7月18日 - 2004年3月23日)は、日本の経営者。共同印刷社長を務めた。 佐賀県出身。1951年に東京大学経済学部を卒業し、同年に第一銀行に入行。1978年12月に第一勧業銀行取締役に就任し、1982年5月に常務を経て、1984年8月に共同印刷副社長に就任し、1988年6月には社長に昇格。1996年6月に取締相談役に就任し、1998年6月には相談役に就任。 2004年3月23日肺癌のために死去。75歳没。
葉治 英哉(はじ えいさい、1928年7月18日 - 201… 葉治 英哉(はじ えいさい、1928年7月18日 - 2016年2月29日)は、日本の小説家。本名は奥山英一(おくやま えいいち)。 青森県出身。八戸市在住。青森師範学校中退。 法政大学文学部日本文学科卒業。1957年「農婦トヨ」で第1回東奥小説賞(佳作2席)受賞。1989年「戊辰牛方参陣記」で第37回地上文学賞受賞。1994年「(またぎ)物見隊顛末」で第1回松本清張賞受賞(「またぎ」は「犭+又」) 。 2016年2月29日死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
森 浩一(もり こういち、1928年7月17日 - 2013… 森 浩一(もり こういち、1928年7月17日 - 2013年8月6日)は、日本の考古学者。同志社大学名誉教授。専門は、日本考古学・日本文化史学。 大阪府大阪市出身。少年時代は堺市近郊に住み、尋常小学校の国史の国定教科書における記紀神話と、堺市の百舌鳥古墳群を通じて、古墳及び陵墓への関心を抱く。大阪府立堺中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)卒業。1951年に同志社大学文学部英文学科卒業、1957年、同大学院文学研究科文化史学専攻修士課程修了。学生時代から古墳の発掘と報告書作成に取り組む(例:黄金塚古墳)。学生考古学研究会も創設(後に古代学研究会)。 卒業後は府立泉大津高校の教諭を務める傍ら、新沢千塚(奈良県橿原市)など古墳の発掘に従事。
藤平 進(ふじひら すすむ、1928年7月17日 - 20… 藤平 進(ふじひら すすむ、1928年7月17日 - 2017年4月15日)は、日本の経営者。広島銀行頭取を務めた。 広島県出身。1951年に東京大学法学部を卒業し、同年に広島銀行に入行した。1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1988年3月に専務を経て、1990年6月に副頭取に就任し、1992年4月には頭取に昇格。1994年6月に取締役相談役に就任し、1995年6月には相談役に就任。 2017年4月15日、肺炎のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊津野 朋弘(いつの ともひろ、1928年7月17日- )は… 伊津野 朋弘(いつの ともひろ、1928年7月17日- )は、日本の教育行政学者。東京学芸大学名誉教授。 熊本県山鹿市出身。海軍兵学校、1953年東京文理科大学教育学科卒、千葉県教育研究所研究員、千葉県立千葉東高等学校教諭、北海道教育大学助教授、東京学芸大学助教授、教授、92年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授、97年退任。
案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日… 案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日 - )は、日本の政治家。日本社会党に所属し、参議院議員(1期)を務めた。 福岡県久留米市生まれ。1945年(昭和20年)、旧制久留米商業学校(現久留米市立久留米商業高等学校)を卒業した。1946年(昭和21年)、拓殖大学専門部経営科を卒業した。同年、郵政省福岡貯金局に入省した。1972年(昭和47年)に退職した。 1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。1期務める。在任中は、決算委員会委員などを務めた。 1980年(昭和55年)6月の第12回通常選挙にも立候補の予定であったが、病気を理由に公認を取り消された。
国谷 誠朗(くにや のぶあき、1928年7月15日 - 20… 国谷 誠朗(くにや のぶあき、1928年7月15日 - 2002年8月3日)は、日本の臨床心理学者。医学博士。専門は臨床心理学・家族心理学。交流分析・家族療法を日本に紹介した草分けの一人[要出典]。 東京大学文学部心理学科卒業、同大学大学院進学、医学部研究生として研究を重ね、1986年「精神分裂病圏患者家族に対するシステム論的働きかけの研究 -家族療法の技法・プロセスおよび治療上の位置付け」で東大医学博士。日本女子大学人間社会学部心理学科教授、聖徳大学人文学部教授などを歴任。 日本交流分析学会(常任理事)、日本家族心理学会(常任理事)、国際家族心理学会(日本代表)などを歴任した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。